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2005年1月1日(土) |
松に雪 |
新し年を迎えむ松に雪
常磐樹の松の緑に雪つみて新しき年いや重け吉事
今年もあけました。松に雪というのは縁起がいいのかも、例年にない寒さだけど今年は良い年でありますように
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2004年12月31日(金) |
大晦日の雪 |
目だたじも小松に雪や今日映えぬ
おさまらぬ地震にゆれて年終わる
夕ぐれてふる雪寂かもの隠す
昨日も地震があった。ここでも三日くらい地震がつづいている。今年を象徴していた。ともかく今年も終わった。なんかホ-ムペ-ジ作りはいそがしい。明日また新年で新しく年賀など出さないとならないし今日も書きつづけている。書くことは私の場合はつきることなくある。ただそれなりのものをまとめて書くとなると時間がかかるのだ。
目立たなかったいつも行く道のわきの小松も雪がふったら雪によそわれてリンとして美しかった。こういうことが雪にある。雪というのは浜通りではほとんどふらないから雪の世界はわからない、だから青森とか秋田や会津に行くほか雪についてはわからないのだ。
今年もホ-ムペ-ジでただひたすら書きつづけた。一方的ではあってもこうして書きつづけて報道できることは生きがいになる。リアルタイムだから実際は今同時にと大晦日を迎える時を共有することがこのインタ-ネットの醍醐味なのだ。だからといって他の人のホ-ムペ-ジを読むわけではないが日々こうして伝えることこれに意味があるのだ。
今正月として出すものを書いている。国立図書館いい明治時代のいい短歌の紀行文を発見したのだ。これを読んで紹介しようとしていると他のホ-ムペ-ジを読むということができない、どちらかというと昔のいいものを読むことに費やすべきことがわかったのだ。今の時代より昔のものに膨大な読むべきものがあるのだ。それがただで読めるということはすごいことだ。あれは決して読めるものではなかった。なぜなら古本でも見つけられないしかなり高価になってしまうから買うこともできなかったからである。
ともかくみなさんも良いお年を・・・・
来年も書きつづけますのでよろしく・・・・・・
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2004年12月30日(木) |
凍った池の鴨 |
よりあいて寒さをしのぐ鴨四五羽
雪で歩道を自転車で行けなかった。自転車はこれで危なくて原町まで行けない、クルマも徐行運転していたから助かった。寒いから雪はとけない、別に買い物には困らないが雪は一面生活上の障害になる。この鴨は飼われている鴨である。田の草を食わせるために飼っているのだ。自然の鴨でないからこれもすでに人間的なのである。餌は用意されている、ただ寒さは外だから野生と同じく厳しいからこの句ができた。
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2004年12月29日(水) |
雪がふるふる |
北風に老木一本社かな
A north wind to the old lonly tree
at the small shrine
A wind sounds これは固有名詞になっている。機械翻訳ではこうでてきた。
機械翻訳はどこまで通用するのか目安にはなるが人間が手を加えないと完全な翻訳は無理である。
今外は雪がかなりふっている。浜通りは雪はふらない、この年の暮にこんなに雪降るのはめずらしい。今年は寒いのかな、雪というと青森の雪が一番幻想的だった。最果ての地の雪景色がなんともいいのである。北海道は真冬にも流氷を見に行ったけど北海道の雪と津軽の雪は違う、津軽の雪には情があるというと変だが何か違う、会津の雪も違う,信濃の雪も違う、この雪の個性はどこからでてくるのか?科学的に成分が違うというだけでなく何かその土地独特のものとして雪が個性化しているのだ。日本の雪そのものが外国の雪とも違う,この雪の魅力はなかなか語りつくせない、ここで雪の世界がわからないからである。ともかくも今もしんしんと雪がふっている。
北上線のることまれに雪に灯のかそけきあわれ誰か住むらむ
北上線は結局二回のったとしても一回目は記憶にないから実際はこの年になるまで一回しかのったことにならない、それだけにそこに灯っていた雪の中にともっていた灯は遠い灯であった。それ故幻想的であり詩的になる。遠いところはどこでも憧れとか幻想的になる要素があるのだ。それは遠さが演出しているのであり遠さがなくなるとそうした気分がでてこない、北上線自体なかなか普通のらないから一層そう感じたのである。
雪ふるや買い物行けずまにあわせ
買い物は風と雪に自転車は弱いから行きにくい、おかずはまにあわせになるが別にそれでもここでは問題ない、まず一日くらいしかふらずとけてしまうのが多いからだ。でも行けないことはない、これが昔ゆ雪国だったら大変である。雪の中に野菜などを貯えていた。冬ごもりのための用意が必要だった。今は雪国でもクルマさえあれば寒さえ感じることなくス-パ-に買い物に行ける。今は山の中まで品物はそろっているからなんでも買えるのだ。ただクルマのないものはどうなるのかバスの便もないとしたらかなりの不便が強いられるのだ。
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2004年12月27日(月) |
倉庫 |
寒風や倉庫の脇を買い物に
I go shopping aginst cold winds
along the road by the same storehouse
買い物も今日はあった。タイも買った。いろいろあった。買い物が仕事だ。
倉庫の脇の道をいつでも行っている。倉庫というのは目立たないにしても生活には不可欠なものなのだ。倉庫の重みは日常の生活の中で農民とか職人とか労働者の象徴のようなものである。教会とか寺とか官庁とか学校とか建物にもいろいろあるが倉庫は意外と見逃されている。倉庫には生活の重みがあるのだ。それは目立たないしありふれているが倉庫はやはり生活の象徴としてある。芸術というと生活と切り離された別な世界を空想的な世界を追及しているように思えるが浮世離れした人だと思っているが芸術と生活は密接なつながりがある。それは昔の使った日用品が竹の籠でも道具が今では芸術品となってお土産となっているからだ。ただ生活の重み、生活で使われなくなったときその価値は喪失してしまったのだ。
今回の鉄道の旅でもそうである。鉄道が日常で生活で使われなくなったら観光用だけでは死んでしまうのだ。ともかく俳句は写生に徹してゆくとかえっていいものができるし進歩する。写生はだれでもできる。つまりあまり作らないようにすることありのままを表現することである。それが意外と深い意味を持つ場合がある。ただ全くありふれているから平凡すぎてこれが俳句なのか詩なのかという問題はでてくる。
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2004年12月25日(土) |
盛岡の橋 |
盛岡や橋いくつわたる年の暮
盛岡は橋の街でもあった。この橋が情緒があった。北上川と中津川があり、それぞれ違った感じになる。中津川沿いが情緒がある。
「青春18切符で雪の青森へ」をアップしました。
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2004年12月21日(火) |
俳句から短歌へ |
冬の薔薇ここにも一輪あわれかなひそかに見つつ通りすぎゆく
俳句から短歌になることもある。短歌から俳句になることもある。この場合、短歌の方がよかった。俳句では言わんとしていることがたりなかったのである。写生ということで共通していることはいえる。
明日また青春18切符ででかけよう、今度は遠くになる、盛岡から大館まで一日でゆく、朝6時のにのらないと間に合わない、青春18切符は連続して電車に乗るのに向いている。途中よると一日分を使い果たしてしまい、次の日になるからなんか損になった感じになるのだ。
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2004年12月20日(月) |
冬の河(ヨ-ロッパ) |
国分かち歴史の古りぬ冬の河
the old history of the city
the two parted countries
by the river in winter
日本では大陸のような河がないか河について理解できない、河が歴史を作ってきたことも理解できない、これは想像で作ったけど大きな河によって風景や歴史が作られている、セ-ヌ河は小さいからあまり魅力ないがドナウ河は大きいところがありとうとうと流れている河がなんとも魅力的ななのだ。
時事問題24の「日露戦争からウクライナのこと」へ
冬の薔薇ここにも一輪あわれかな
農家の庭に一輪冬の薔薇が咲いていたのを見つけた。一輪くらい冬でも咲き残っているのが冬の薔薇である。
年の瀬や原町相馬に買い物に
原町と相馬に買い物に行く、原町は近いから一週間に一回は行っている。合併で決まったひばりの市は不満があり取り消された。そして投票で決めることになった。南相馬が多かったのだから投票で決める前に決まっている。これもでも不満がある。でもどうしても相馬を入れたいのである。名前が知られていないと相馬野馬追いがあるから困るのだ。ハガキには私は「相馬原」と書いた、これも一票くらいあったのである相馬と原町の字をとったことになる。原とあるからそこで野馬追いの雲雀が原をイメ-ジもする。しかし雲雀が原がだめだったのはこれが団地とか新興住宅地の小さい地域の名前をイメ-ジするからよくなかった。でも南相馬は味気ないし好きになれない、私は嫌だが投票だとこれに決まってしまう。筑紫野市は絵巻物のようなホ-ムペ-ジにしていて芸術性があった。名前も何か万葉の香りが漂っていて好感がもたれた。これはいい名前であり歴史にもマッチしているからよかった。ともかく今年も終わりだ。今年は遠くに旅行に行けなかった、自分にとってはめずらしい年だった。これからあまり旅はできなくなるかもしれん、病人をかかえているからだ。まあ、この辺は過疎地ではない、相馬市にも新しい工場ができる。東北で過疎地になるのは会津とか岩手県以北が多いのだ。
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2004年12月19日(日) |
寒夜 |
遠き昔一人回顧す寒夜かな
寒夜なり冷たき骸とならむかな
死というのが具体的に身近に感じるようになった。死がすぐ近くにある。13才の時父を亡くしてから私は死のことを考えつづけてきた。しかし今や死は具体的であり身近である。自らの死期が迫っていることを若いときのように想像ではなく具体的に感じるのだ。常にもはや死と隣り合わせにあるのが中高年である。
たいがいどんな人でも人生は悔恨がある。それは成功した人、大金持ちになった人でもある。何かしら悔いている。本当に充実した悔いのない人生を送った人の話を聞いてみたい、そんな人はいないだろう。誰も悔恨の人生なのだ。罪の人生なのである。だからその人の本当の人生はあまり語られていない、語りたくないのだ。自分は正直に語っている。それでも語れないものは必ずもっているのが人間である。
まあ、今年ももう終わりだ。この4年間我ながら書きつづけた。これも簡単に書けるからである。また俳句というのは日々書くことに向いていたのである。短いから一句くらい作れるからである。自分のホ-ムペ-ジは一方的なのが弱点だったがともかく書きつづけることができた。それなりに読んでくれた人もいるみたいだ。最近までわからなかった、ヒットグラフで一ペ-ジつづアクセスがわかるのにしたらここのペ-ジも一人は確実に見てくれている。反応は得られない、というより一人記録するように書いていたし掲示板など置かないから得られない、そこが最大の問題だったがともかくこれだけ書きつづけたことに満足している。
あとはこの記録したものを分類したりまとめることが必要になる。季語ごとに分類したり地域ごとに分類したりする必要がある。あまりに多くなって自分でさえどこに何を書いたかもわからなくなって、あれ、こんなこと書いていたのかと驚いている自分である。
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2004年12月16日(木) |
冬の薔薇2 |
冬の薔薇闇のつつみて我知りぬ
青春18切符買ったからトラジットをもってまた旅行してみよう。これは遠く行かないと損である。トランジットをもってとなるとあまり遠くにも行けない、この組み合わせは途中下車できるのでいいのだが冬は日が短いので向いていないか、旅も電車だけではつまらなくなったからこんな旅になった。ノ-トパソコンは重いのでもっていけない、報告は帰ってからになる。
今回は石越まで行き栗原電鉄にのり帰ってきた。日帰りだった。あと何日かしてまた行くことにした。
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2004年12月15日(水) |
冬の薔薇 |
一輪の塵もつかざる冬の薔薇
one lonly rose
with no dust
in winter
春夏はほこりがたち塵がつく、冬の薔薇は凍結したように塵もつかないように咲いている。冬は乾燥しているから薔薇にはいい環境なのだ。薔薇は原産地は砂漠のような乾燥地であり湿った所でなかった。あらゆるものが埃と塵にまみれるのがこの世である。その中で自然は原初のままの美を保っている。塵もつかない一輪の花を人間に見いだすのはむずかしい。すべてこの世は汚れにまみれている。人の集まる所すでに塵にまみれ垢がつき、不浄の世界となっているのだ。
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2004年12月14日(火) |
冬の蝶 |
近所の庭に冬日や石静か
the light of the sun in winter
on stones in the garden
at a neighboring house
土手歩み老人と会い冬の蝶
年取るとやはり落ち着いた所がよくなる、騒々しい所はいやになる。近所の庭の石に冬の日がさしている。それだけでも心落ち着くものを感じたのだ。自分の性格は年取る前から騒々しい所がいやだったし人ごみとか人と接するのが嫌だった。だからこれまでヒキコモリといえばヒキコモリだったのだ。ただそれでも本当に落ち着きたいのは60頃からだろう。都会が魅力ある人もいるが都会には今はあまり行きたくない、日本の都市は魅力ない、ヨ-ロッパの都市は魅力あるからまた行きたい、必ず歴史の重みが感じられるのだ。
今日土手を歩いていたら冬の蝶が一瞬飛んだ、今日は寒いからめずらしい、冬の蝶はまだ飛んでいるのだ。一月になったら冬の蝶は消えるだろう。今日のような寒い日に見たのはめずらしい。
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2004年12月12日(日) |
冬の海に船一つ |
船一つ沖になお見え冬の海
a ship still in my sight
on the Ocean in winter
沖に船野辺地や遠く冬の海
Noheji、the remote port in the north
a ship on the Ocean in winter
船の句はこれも写生である。なかなか船は消えない、船はたとえば島でも見送りがあり人間の情がそそがれる時間がある。車にはない、見送るという時間がないのだ。英語にしてもこれが英語だと通じるのかどうか、船が一つ冬の海にあお見えるという意味が通じるのか、これは俳句という文化の理解だからむずかしい。単なる写生が果たして芸術として主張できるのかもむずかしい問題である。
津軽の冬の旅での野辺地で作った句とにているがここでは野辺地の港の位置とか歴史的背景がないと句が味わえない、江戸時代では北前船でかなり貿易があり栄えた所だった。今になると一艘沖に船があるがその昔を偲ぶのだがそれは遠い昔になった。前は帆を張った船がかなり行き来していたのである。野辺地という名前も何か辺境じみてあっていたのである。これは沖縄の自転車旅行で寄った
山原の辺野古とにていた。ここも山原に近く淋し所なのである。
津軽の冬の旅では紀行文にする予定だったがなかなか書けない、ただ日本だし記憶もあるし歴史的にも掘り起こせるから書ける、ただ書くということもかなり根気がいる。こうして短い文だと書きやすいのだ。だからこうして毎日なんとかつづいているのである。
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2004年12月11日(土) |
松一本 |
小国へと行く電車かな雪埋もる一本松を過ぎて行くかも
米沢から小国へと行く米坂線を雪に埋もれたとき旅した。車窓から一本松があって雪に埋もれていた。車内はがら空きでありその一本松が記憶に残った。汽車の旅でも外国でもそうだったが必ずしも同室の人とぺらぺらしゃべることではない、黙っていても印象に残ることがある。しゃべると回りの風景などが記憶に残らない、団体旅行がだめなのは絶えず人と一緒に行動するからしゃべることが多くかえって記憶に残らないことが多い、特に辺りの景色はしゃべることに費やされて頭に残らないからどこに行ったのさえか記憶になくなる場合があるのだ。この一本松が記憶に残ったのは電車ががらあきで外をじっと見ていたからである。だからその一本松が自然と記憶に残されたのだ。これが急行だったら記憶に残らない、早すぎるから人間のリズムに合わないから記憶に残らない、「文明が人間の情を奪った」で書いたように物にも人にも情をそそぐ時間が余裕がないのだ。だから旅をしてその光景を思い出せば旅をしていたのである。江戸時代などの歩いて旅した人は確実にその一歩一歩踏みしめた行程を思い出している。今の旅人はただ通りすぎてゆく、何の印象も残らず通りすぎてゆくだけの旅人である。
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2004年12月9日(木) |
残るパッタの一二匹 |
駅に咲く一輪淋し冬の薔薇今日我が見つつはや日の暮れぬ
一二匹バッタ残るや冬田かな
猫一匹山茶花咲いて裏の辻
駅の薔薇は二輪は散っていたが一輪は咲き残っていた。それがなんとも淋しい。
バッタも今となるとなんかあわれだ。他にも害虫の虫が死んでいた。人があわれを感じるのは個々にしか感じない、集団には感じない、宗教団体なったときすでに誰もあわれを感じて集まっているのではない、共同の利益のために集まっている。上の人も下の人にあわれなど感じない、あがめさせるもの、利益を得させるものとしてしか見ない、ともかく大勢になると人間はあわれを感じない、老人も少なければあわれなのである。団塊の世代は数が多いから老人になってもあわれみの対象にならなくなる。バッタも数が多くて迷惑なものだったが今になれば一匹二匹生き残っていてそれがあわれに感じられるのである。
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2004年12月7日(火) |
石二つ |
石二つまた寒さきて年の経ぬ
two steady stones
in my yard for years
the cold season comes again
庭にある石二つ、寒さがまたきた。石二つというとき、これは何かの象徴なのだ。石に例えてそれぞれの生を語るのである。例えばこの石二つが老夫婦だとするとともに暮らし耐えてきた人生を思うかもしれない、そういう人はまた実感ある俳句が作れる。つまり俳句は短いからそれに対する説明は極力さけるべきである。短くても深いものがあり深く読むことが必要なのだ。庭にある石をよむとか説明書きは別にするのである。そして肝心のものだけを表現する。ある一つのものを目立たすのである。人間やはり楽しみばかりではない、ともに耐えてきた人生があるときその人生にも意味がでてくる。享楽ばかりでは後年何も思い出となるものがなくなる。享楽は儚く消える。実となるのは老年になり別なものだったということを気づくのである。その時は時すでに遅しなのかもしれない、享楽は煙と消えてない、ただ二人を結びつけるのは耐えてきた人生である。一人でもそうである。そこに本当の実りがある。
stead
決まっている恋人のことをステデイ−steady− と日本語でも言う。立っている−変わらない−決まった人に変化した言葉。in
stead of(〜の代わりに)のstead(これだでは「場所」)は、「立つ所」から来ている。
farm・stead-農場 ((付属建物も含める))
農場であり建物などを意味して変わらない、堅実な、着実なとなった。なんらかの建物をさししていた。
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2004年12月6日(月) |
欅 |
冬晴れや一本高き欅かな
highly one straight Keyaki tree
in the clear sky in winter
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2004年12月4日(土) |
冬晴れ |
冬晴れや鋭く樹々の梢かな
keen tree tops
in the clear sky
in winter
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2004年12月3日(金) |
孟宗竹 |
孟宗竹太く根づきて冬日没る
(窯元に孟宗竹や冬ごもり)
冬晴れや鳩群れ飛びて新市街
in the clear sky in winter
a flight of a group of pigeon
at a new town
孟宗竹というのはいい、窯元と孟宗竹はあっていた。現代の問題は生活感がともしくなっていることなのだ。「農家あり蔵頼もしや冬に入る」としても今蔵というのは実際の生活で生きているかというとわからない、昔だったら蔵は生きていた。明治でも蔵の街で知られる喜多方のように蔵は生きていた。今はなにか生活感に欠けている。観光は生活とはいえないのだ。そこに生活が生きたものとなっていないと句を生きてこないのだ。句も想像で勝手に作るわけにいかないのである。結局芸術も生活の反映である。ルネサンスは別に芸術家だけが天才だけが作り出したものではない、その時生活に活気がありそこから必然的に生まれたのである。今日は雲一つない冬晴れだったからこっちのほうが生きているのかもしれない、というのはどこも新住宅地とか新市街が多くなっているからだ。これが時代の趨勢だから時代を反映するのである。芸術も現在の生活の反映の一つである。江戸時代の俳句が今いいと感じるのはまさに自然村としてあり自然のなかで人間がマッチして暮らしていたからである。それは今とは違って自然と大地と密着したものだった。蔵一つとっても蔵は飾りではない生きていたから何か本当に頼もしいと感じる世界だったのである。
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2004年12月2日(木) |
冬に入る |
残菊にはや日はうすれ墓地のあり
農家あり蔵頼もしや冬に入る
五六本街道に松冬日没る
冬柳街道に残る六地蔵
「鶏頭の十四五本もありぬべし」これが写生の句として問題になったが私もこれは句ではない、でも写生の問題として提起されるのに一番いい例だったのである。私もバラが何輪咲いていたとか五六本の松とか数にこだわる。意外とこの数が写生では大事になっていた。五六本と七八本でかなり感じが違う数によって感じが違ってくるのだ。特に薔薇の句に関してはそうだった。四五輪、七八輪、十輪・・・とかで全部違っているしそこが肝心なところだったからだ。
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