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-3月
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3月31月
白椿の蕾のいまだ固きかな今年の寒さ如実に語る
白椿は例年ならば今頃とっくに咲いている。半月は遅れている。こんな年はここ十年なかった。今年は本当に寒かったのだ。人間は今、季節感でも機械に頼っている。平均気温がどうだから今年は寒いとかなんとか統計とか機械で季節も計る。原始的感覚で体内時計で季節の変わり目とかを感じることがなくなっている。人間の時間の感覚も文明下では機械とかにより作られるのである。「種蒔き桜」というのがあるが桜が咲いた時種をまく、それは確かな時間の感覚である。それは機械に頼る文明より自然の理にあった時間感覚である。いまだにこの固い蕾は今年の寒さが今までと違う寒さだったか語っている。例えば今でも氷河期というのがありその痕跡がいたるところに化石とか動物、植物の分布にも残されている。これも大きな驚きである。カナダには白い熊がいる。それは氷河期に南下した白熊と在来の熊が混じって白い熊ができたという。植物でも氷河期の痕跡はいたるところにある。地球の氷河期がいかに生物に影響したかそれは大きな驚きである。気候とか地形とか環境の変化が文明にも影響したことを知ることは興味深い。なぜかというと人知とか人工だけでなく気候とか地形とか神の業であり造り主の側の作用により人事も左右されるということにあるからだ。イラクの戦争でも神風が吹いたというモンゴルの船が沈んだということも自然に左右されて歴史が作られたということがあるからだ。これだけ科学が発達した時代でも砂嵐に悩まされているアメリカ軍のようにやはり科学だけすべてが決することができないことがあることは神がなお人間の歴史にも介入しているということがなおあるのだ。イスラエルがなぜあの位置にあるのか、つまりあそこが世界の中心的位置にあり神が定めた地球の中心だということにあるのだ。これも神の働きであり神の定めたことである。なぜアメリカがイラクにこだわるのかといとやはりその地理的条件なのだ。イラクが地理的に重要な地点にあるからだ。イラクを抑えれば中東を抑えられるということがあるからだ。歴史は故に地理学なのである。
3月30日
採りどりの花より選ぶ春の店
many kinds of colorful flowers
for many choises at a shop in spring
3月28日
梅林の夕べや満つる香りかな
梅林の中に入ったら香りが強い、夕べになって一日の香りが充満していた。梅はやはり花を見るというより香りである。匂いでも良かったが香りという方が高雅な感じがする。におうは汚いものもにおうになる。香るはいい匂いだけをさしている。におうというのももともとは汚いものをは言っていなかった。におうとは満ちるという意味だったらしい。
3月27日
電車待つホ−ムにあまたいぬふぐり
田舎の駅だからホ−ムも土でありいぬふぐりが一杯咲いていた。田舎だと自然はどこにでも存在感を示すから季節感を感じるのである。
3月26日
それぞれに新生活や春の星
自分の新生活は通信だった。adslと今度は外で通信するために回線式の無線に変えるのに大変だった。使っただけとられるものに変えた。遅くはなるが旅の時は使える。通信ではニフティから苦しんでいる。パソコンの生命は通信だったのである。通信で結びつくことだった。とにかくそれぞれの新生活が始まるのが春である。
3月25日
みちのくの我が町にも初燕
故郷を広く巡りて芽吹きかな
I go around my homeland here and there
I find out shooting buds in spring
故郷を一周した。故郷の範囲は相馬郡になるが自転車で行ける範囲かもしれないがまだ広げてもいい、でも自転車だとそれ以上広がるとかなり苦しくなる。なぜか自転車はあきないのだ。やはり自転車は自然を呼吸するからだ。自然の息吹がじかに入ってくる。それであきないのである。汽車は日本中隈なく乗ってあきた。贅沢と言えば贅沢だが汽車の旅はあきるが自転車の旅はあきることがない、同じ道を行くことはないしいつも違った自然を呼吸するのである。昨日は初燕が来た。ちょっと早い気もするがこの初燕も桜前線のように北になればなるほど遅い、稚内に初燕がくるのは5月下旬だったろう。あそこまで旅して初燕だった。初燕はやはり気持ちがいい、とにかく春が再び胎動した。今年は寒さが長かった。しかしようやく本当の春がやってきた。
3月24日
春風にまた翔けゆくや自由の鳥
鳥は自由の象徴である。でも必ずしも自由社会だからといって自由になっているとは限らない、組織とか集団に閉じ込められている人間に自由はない。宗教でもそうだし本当に自由な人間は実際は上野霄里氏とかほんの一部のアウトサイダ−にあったがその代償は悲惨なものであったのではないか、実際本当の自由はどんな社会でも実現しがたいのである。人間社会自体がなぜか組織化、集団化、序列化、.....になってゆくのが人間の業なのだろう。これは人間が社会というものを作って以来そうなのだ。当然自由を求めるのは非社会的人間にならざるをえないのだ。なぜならあれだけ自由を説いた非組織化を説いた上野氏すら組織といえないまでも派閥化することはとめられないのだ。それを責めることはできないにしても組織化、派閥化からまねがれる人間はこの世では存在させられないのである。独裁はその極端な形にしても人間社会の典型的なものとして常に存在するのである。日本の内部でもどこの国の内部でも常にそうした団体は公然と存在して独裁を目指すのである。だから人間は鳥にいつまでも憧れるのだ。自由でないからこそ鳥が一段と自由の象徴として理想化されるのである。
自由の鳥
山奥から山鳩が飛んでくる
春の光に芽吹く木々
水はざわめきひびき流れる
春は再び胎動し始めた
ライダ−が走り去ってゆく
その一時は解放された自由
大地を潤し水は流れる
春風に自由の鳥は枝から枝へ
山から街に出たら電車のひびき
春よ、活動の時はまたやってきた
自由への憧れはやまぬ
自由の空への飛翔よ
その翼よ、国を越えて羽ばたく
その翼のたくましくあれ
自由の憧れはやまぬ
それを抑えることはできぬ
日に日に春の日は輝きまして
自由の鳥はさらに力強くはばたく
3月23日
春光や水ざわめきて鳥翔ける
街に出て汽車のひびきや春うらら
自転車で山から街へ一周した。半年書き続けて一休みした。
50mbのhpはインタ−ネットのなかでも少ない、十分に本一冊分のポリュ−ムである。たいがい一回読んで終わりのが多いホームページでこのボリュ−ムまで書いたことは我ながら満足している。
とにかくホームページの問題は更新しつづけることなのだ。息切れしてしまう人も多い。だから読む量が少ない、書くプロじゃないんだから書きつづけられないのだ。
3月18日
石にそゆベルフラワ−や夕暮れぬ
I planted a lot of bellflowers
by the lonely silenced stone
in my garden with no visiter
この花の名前はカンパニュラであり日本の蛍袋と同じ種類である。
風鈴草となると大きな花だがこれは小さくした種類である。庭に植えたのだが雨と風と雪でだめになった。この花もいい花である。ツリガネニンジンという野生の花もそうである。風鈴のような花なのである。
今日は「農家の店」で同級生と30年ぶりくらいにあった。自分は仙人のようにここ数十年人と会っていないのだ。しゃべることもほとんどない、人間が苦手であり自然と接していると心なごむからである。
石と花
我が庭の鎮まる石の一つ
そのかたえにあわれ
ベルフラワ−の一塊り
紫の花をそえて植えにき
深山の中に人知れず
秘めて咲く花のごとしも
ひそまりて咲きぬ
そは神の御旨に隠されて
そこに静かに咲くべし
訪ねる人もなくして
我が庭の暮れにけるかな
これは童話にもしました
童話の部へ
3月16日
クロッカスの白紫も咲きにけり狭き庭しもにぎわいうれし
クロッカスの白と紫も咲いた。それぞれの色があり咲きそろう
、個性があって咲きそろう、それがいいことだ。春もようやく本格的だ。
3月15日
海望み櫻井古墳や春の雲
櫻井古墳は海に近い。新田川が当時はかなり入り込んでいたから海は真近だった。海から侵入した人々が作ったのか、海との接点が何かあると考えざるえない。もう一つの四角の小さい最初の古墳らしいのもさらに海に近いのである。ただなかなか海との接点を見つけるのは今からするとむずかしいのだ。
3月14日
春光や山鳩の群れ飛び来る
川沿いに東屋できて春の雲
鳥は何も着ていない、自然の衣を着させられている。故に自然の光を常にまとっている。家も着るものもないのだが自然の光を帯び風を帯び緑を帯びまとっている。常に自然の中に映えているから美しいのだ。人間はビルだ、自動車だ、工場だ、・・・・自然を遮断するから醜いのである。だからとうしても自然の中で仕事している人は自然の光を帯びているから美しいはずなのだが現実はそこで仕事している人は不満だらけなのである。野菜作っても米を作っても魚をとっても安いと嘆くだけなのである。それが鳥と人間の違いなのだ。鳥が自分の境遇を嘆くことはありえない自然はそれぞれに神の技によってマッチされたものだから美しいのである。
原町の新田川沿いも河川工事して歩道や東屋を作った。そこを歩むと気持ちがいい、ようやく春の光になった。
3月13日
ようやくにみな咲き出しぬ福寿草
at length,all adonises bloom out in my garden
やっと福寿草の余りの花も咲きだした。でも今日も結構寒い。
それでも徐々に白椿も芽吹き春らしくなってゆく。こうした俳句はシリ−ズとして読まないとわからない、インタ−ネットは時々刻々伝えられるからこうしたシリ−ズものに向いている。それも現在を題材にするのに向いているのだ。つまり活魚を新鮮なもの野菜をいち早く市場にだしているのは同じである。新鮮さが勝負なのである。それはニュ−スでもそうである。ただ読む人は毎日読めないから問題なのだ。個人のホームページに毎日アクセスすることはむずかしいからだ。ただあとからまとめて読むとその時の感動が伝わらない場合があることはありえる。
3月12日
白椿の蕾ふくらみ我が庭に仄かに月や我が手にふれぬ
白椿の蕾がちょっとふくらんできた。昨日は雪がまたふった。それも春の雪ではない。今日は多少いい。adslになったからホームページにアップするのも瞬時だった。adslになってできることがあるかもしれない、まだその企画がでないがやはり動画になるだろう。ホームページではいろいろ通信が進歩するたび表現の分野拡大するのだ。常時接続になりこの「今日の一句一歌」を半年つづけたごとくadslに対応する企画がでてくるのである。それが何になるのか今はわからないがでてくるはずである。
3月10日
この道に梅の蕾やまた来なむ
今年はなんか昨日もちょっと雪ふったり寒い。その雪も細かいので淡い春の雪とは違う、花開くのも遅くなる。梅ならすでに開いているはずである。上野ではすでに桜が開いたとか今年は今までになく寒い。とにかく日常的に行く道は蕾から花が開き散るまで見ることになる。それは人にしても子供のときから成長して老人になるまで見るのと同じである。
adslの工事である。カ−ドにランポ−トをつけてとりあえずやることにした。新しいパソコンを買うのは間に合わない、ただこれがかなり不安である。でもこれによってまた新しく開ける世界がでてくることは楽しみである。表現するとなると今までは本だったがこれは普通の人は一生に一回くらいしか出せないほど大変なものだった。このホームページの表現は実に安価であり便利である。だからこうして毎日半年以上「今日の一句一歌」がつづいたのである。毎日放送するのと本を出すのとは全然違うのだ。adslになったら何か別な世界が開けるかもしれない、それはより実況中継になる世界だと思う。
3月8日
この道の行く人まれによく見れば蛹一つや春を待つらし
なぜかこの蛹は緑色していた。他にねこやなぎ
や芽吹いた木の芽があった。ただ今年は春が遅い
まだ梅は蕾のままである。
六号線の脇の細い道を自転車で原町まで行った。あのような昔の道は何度行っても発見がある。六号線は自動車が遠くだけの道だからつまらないのだ。自転車旅行でもあのような自動車だけが頻繁に通る道は便利なのだがつまらないのだ。遠くに行くとどうしても便利な道を行くからつまらないときがある。幹線道路はつまらないのである。人が通らない道は自転車で行っても何か必ず発見がある。何度行ってもあるのだ。自動車や汽車の旅行があきるのはこうして道草して辺りのものをよくみれないからつまらなくなったのだ。汽車の旅だってそうなのだ。通りすぎてゆくだけにだからつまらないとなる。旅は寄り道であり道草である。
ぶらぶらと道草楽し木々芽吹く
I relax on my way in freedom.
I find out a sign of spring
on putting forth buds.
on my wayだから安らぐ、他人の道だったら安らがないのだ。
組織とか団体の道は実は他人の道である。他人が定めた道を行っている。
とにかくそれぞれの行く道は違うしそこで安らぐのである。他人の道では安らぐはずがないのだ。これは上野氏が絶えず言っていたことである。自分のペ−スで自分の道を発見し歩むことである。他人の定めた人生を歩んでもそれは自分を生きたことではないのだから安らぐことがない、何か大事なことを殺してしまっているからだ。
3月7日
姥柳誰かよりなむ今日一人この道通り春寒しかも
姥柳と思いついたのだがわかったことは人間の思いつくことはすでに長い歴史の中で誰かが思いついたことでありそれが姥柳という伝説や地名になったのだ。インタ−ネットをつぶさに探せば自分だけが考えていると思ったことが他人もまるっきり同じことを考えていたことがわかる。
こんなことがマイナスに働いたのがインタ−ネットで募集された自殺だったのだ。自殺したい人はたくさんいる。それを表には言い出せないし冗談のように思われる。ところがインタ−ネットで実際に本当に自殺したい人がいるのだ。真剣に自殺を考えている人と出会うことになるのだ。インタ−ネットには共通なものが発見しやすいのである。なぜって検索でも俳句なんか探そうとするとき検索で同じものがないか同じ関連したものかないかを探しているからである。翁草とあればそれの説明とかいろいろ探している。こういうことがよくあるから自殺志願者が共通項として選び出されてそれらが自殺という行為にいたる。悪事でも同じ悪事を思いついた人がいてそれらの人が集まり行動した人がいる。
人の思いがインタ−ネットに現れてそれらが行動になる。これはインドの思想家が言っていたことである。誰かが殺すという念が強く出たらその念が実際の行動になる、いや念だけでも人を殺しうるというのである。インタ−ネットのメディアはそういう特徴があるのだ。
3月6日
福寿草とクロッカス咲くよりそいて小さき庭にも幸のあるかな
まばゆさやクロッカスの黄に福寿草我が庭に映えて輝く日かな
brightness!
in bloom of crocuses and adonises
the golden coloured ones
in my garden
今年も福寿草とクロッカスが咲いた。小さい庭であるがそれなりにここにも一つの世界がある。なぜ日本では家庭というのだろうか、庭は自然であり家と庭(自然)が一体となって家庭がある。そう解釈した人がある。外国では家と庭は別物である。庭は小さな自然であり庭は農作業の場でもあったから実は庭は生活と切り離せない生活の場だったのだ。農家では昔は脱穀やいろんな農作業をしていたのだ。今の言う庭の感覚とは違う庭は花を見るというものではなく生活の場の延長としての庭だから家庭となったのだ。農耕民族と生活の場は直結している。ところが外国では庭はガ−デンでありガ−ドするもの防御するもの塀などで固く囲まれたもの外敵の侵入から防ぐものとなっている。農耕民族の庭の感覚とはかなり違うのだ。遊牧民だと羊をかう草原が生活の場でありそこが庭になるのだが農耕民の庭とはあまりにも違う世界である。延々と広がる庭なのだ。だからガ−デンとは極めて人工的なものになる。イスラム世界でもそうであり庭とは人間によって作られた楽園でありオワシスであり自然にできた自然のままのものではないのだ。
まばゆさやクロッカスの黄に福寿草我が庭に映えて輝く日かな
本当の輝きは黄金ではない、黄金には人間の欲がまとわりついている。本当の純粋無垢な輝きは花の輝きである。まばゆい黄色の花が重なり輝き咲いている。そのまぶしさ、それが本当に神に祝福された輝きである。
3月5日
春寒しこの道通り姥柳(うばやなぎ)
今日も寒い。久しぶりに例の一本柳の道を通った。この枯れた柳に「姥柳」と自分で名づけた。自分の家にも90の姥がいるからそれをイメ−ジしてしまうのだ。姥柳というと他にもあると思ったが検索したらそれにまつわるものは結構多い。興味ある人は調べるといい。
京都市中京区蛸薬師新町東姥柳
なんとなく京都だと雰囲気がでてくる。京都の地名には歴史があるので調べると面白い。その場所に行って雰囲気を味わうのもいいがなかなか細かい地点になると探しにくいかもしれないがぶらぶら歩いているとそんな場所に行き当たるかもしれない、歩くことが必要なのだ。
3月4日
寒戻る鎮まる墓所や唸る風
また風が吹いて寒くなった。俳句でもその人によりテ−マになるのが違ってくる。墓が自分のテ−マの一つである。秋の薔薇というのもそうだった。何かそこにその人にとってこだわるものがある。それがテ−マである。これは俳句でなくてもなぜその人がそのテ−マにこだわらざるをえないのか、人を見る場合そこが注意する必要がある。生い立ち、経験からこだわるテ−マがでてくる。一生ひきずるテ−マがその人生の経験からでてくるのだ。家族環境であれその相違は大きいのだ。学問でもそうした個人的こだわりから普遍的な命題へと入っている。なぜアメリカ国籍の在日の学者がアメリカの黒人研究家になったか差別という同じテ−マを共有したからである。在日はそういう人が多いのだ。いづれにしろ墓所はしんとして唸る風のなかにまた静まり返っている。
3月3日
なお去らぬ50やあわれ冬の鳥
まだ去って行かない冬の鳥、50過ぎると冬の鳥だ。ただこれからはわびしさだけがましてゆくのか、冬の鳥にふさわしい年だ。死ぬには早いが自らあわれむのも妙だがそんな年である。
3月1日
風受けて自転車走る冬の鳥
my running bicycle against winds
on flight of a bird in winter
山陰に残れる雪の厚きかな春まだ遠し飯館の村
今年は春が遠い。ここ三カ月寒くて遠くに出なかった。昨日は一日寝ていたし体調不良になった。やはり外に出ないとだめだ。今日は晴れたので上萱を栃窪から自転車で登って飯館のいつもの山陰の道を回って帰ってきた。飯館はかなり標高が高い、今年は氷点下14度になったことがあった。だから冷害で米もとれないことがある。雪はそれほど残っていなかった。でも山の陰になっているところには雪が残っていた。一番高い所に達したら雪の大きな嶺が見えた。おそらく吾妻山だろう。初めて見た。雲一つのない冬晴れだった。まだここは冬である。蔵王は角度が違うしあそこから見えるのは吾妻山である。あの道を今日行ったのは自分一人だった。一台の車も通らなかった。雪が残っているので通りにくいからかもしれない。とにかく爽快になった。その山で携帯のコンロでコ−ヒ−をわかし飲んだらうまかった。冬でも雪の上を歩いたり風の音を聞いたりすると気持ちいい。
ただこれまでは寒くてだめだった。なんとか耐えられる気温にはなった。わざわざ金だしてスキ−など行く必要がない。スキ−ができないからいうのではなく冬は冬の靜けさを楽しむのがいいのだ。スキ−場はがら空きだと言っていたし若い人でもBGMがうるさいと2ちゃんねるで言っていた。会津の針生部落でも静かな山の部落だったがスキ−場にしてがんがんBGMを鳴らすようになった。そこで地元の人がスキ−場を手伝っていた。でもスキ−場が福島県でも何ケ所かだめになったのは当然である。若者は少なくなるし若者は金がない、中高年向きの落ち着いた冬を楽しむ施設がいいのだ。暖炉とかであたたまりゆっくりしたいのである。日本人は何かせかせかしてゆっくり楽しむ余裕がないのだ。スキ−がいいからとみんなスキ−場にしたのは今になれば失敗だった。自分はスキ−場がある所には行きたくない、うるさいのだ。スキ−場のない所に行った方がいい。三月だが今年はまだ冬を楽しめるようだ。風を受けて自転車が走る、そこで一句できるのだ。これが自動車だと風を感じないからできないのだ。冷たい風も自然の現象であり自動車はこれを遮断するから俳句もできないのである。俳句も自然を感じるからできる。冷たい風も今頃ならそれなりに耐えられるし気持ちいいものなのである。
残雪の山の道
山の上に消残る雪
サクサクと踏みつ
樹々に鳴る風の清しも
山のかなたに望む
厚き雪覆う嶺
一声小鳥のひびきて
わたり飛ぶかな
山陰に消残る雪
ただ獣の足跡や
ここ行く人のなしも
山々は忍耐の沈黙
千年万年動ぜじ
世は知らじ世は知らじ
ただ悠久の時を刻む
春を待ちつつ
その春は来るべし
山々はひそまりぬ
かなたに望む雪の嶺
ここに二軒あった家が今は一軒しかない
橋の名は「共栄橋」である
これは開拓に入った家であり
歴史は新しい。阿武隈には結構多いみたいだ。
残念なことに二軒だけの家だがともに栄えることはなかった。