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2003 謹賀新年 11月
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秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)
(10月20日)

11月29日

再読す書斎の本や冬の雨

メモに本について


11月28日

冬の薔薇山茶花静か田舎暮る

これもなんでもないが季語が二つでふさわしくないがなんでもないことが味わい深いことなのだ。今は冬の薔薇が一輪、山茶花が咲いて静かな時をすごす、それは田舎にふさわしい。都会は50以上になったらすむところではない、疲れるだけである。ただ田舎でも環境悪いとだめだ。自分の家は環境悪くなったのですみずらくなった。やはり自動車の騒音のない見晴らしのいい所がいい、何もみえない荒野が今や一番いいのだ。都会はもはや幻影であり自分にとって存在しない、異常な世界である。都会は眼中から消えるべきだ。そこからはいいものは善きものは生まれない、外国人でも悪いやつが欲深きものが集まってくる。都会とはそういう場所なのだ。京都辺りはそれなりに自然もあり文化もあっていいが東京辺りは人間の住む所ではない、だからこれからは都会の過疎化が起きてくるというのは本当だろう。地方に人口が逆流するのが次の時代である。阿武隈高原なんかは土地も広いし住みやすいから移住するにはいい、問題は仕事だが何かこれから考える、ふさわしい仕事が作り出される必要がある。


11月27日

冬あたたかきなお咲きてあり月見草

今日も行くこの道一人冬の薔薇

今日はちょっと寒いが年末にきてあたたかい、今年はさほど寒くないみたいだ。月見草がまだ咲いている。長く咲く花とすぐに枯れる花がある。薔薇は春から冬まで咲いていたが残っているのは一二輪と淋しい。冬に咲く花もおもむきがある。

11月26日

幾日や黄金に輝く銀杏の樹はや散りつくし枯木となりぬ


黄金色に輝いていた銀杏の樹が今日見たらすっかり葉を散りつくして枯木となっていた。人間の変化も激しいが自然の変化も激しい。輝きはたちまち消えて枯木となる。実際光陰矢のごとし、あっというまに老いの日がやってくる。過ぎて見ればそうなのだ。20年の歳月でも過ぎて見ればなんのことはない、あっという間にすぎないのだ。これは若い時はわからないが実際そうなのである。


11月23日

この道に残る一輪冬の薔薇

one rose remained
on my routine
in winter


薔薇は長く咲いている。何故かわからないが一年中咲いている。でも最後に残る薔薇は少ない、秋には散ってしまった。これだけ短いのだから同じ句があるかもしれない、俳句は常に同じものを誰か作っているんじゃないかと思うのだ。おそらく全俳句をインターネットにおいて検索したら同じでなくてもにたようなのがかなりあることは確かである。すると著作権が問題になるのだ。誰の作品かわからなくなるのだ。今日は外は風が吹いて冬らしくなった。自転車は風が一番の苦手だ。風ですすめなくなるのだ。自転車はもろに自然に左右されやすい。それでなかなか遠くに行くのもむずかしくなる。


11月21日


山鳩の群れて飛び立つ羽音かな
     冬の静まる空気の中を

山鳩の十羽の羽音冬の空

山茶花の囲む部落の集会場


短歌と俳句はやはり違うのか、十羽というのが一番の違いだろう。写実性、具体性が強くなるのが俳句である。情緒的になるのが短歌である。とにかくこれだけ短い中に表現できるのは日本的凝縮の文化である。これは風土ともマッチしてできたのだ。大陸ではこういう文化は生まれなかった。だいたい中国やモンゴルやアメリカのような広さのなかでは短歌と俳句は合わない、だから外国の俳句はいいのが少ないのだ。文化は風土から生まれることは確かである。


11月20日

切り株を晩菊あまた装いぬ

これは昨日とった写真を見て思い浮かんだのだ。前にも言ったが写真は記録として大事なのだ。一回でその場の全部を記録することは人間にはできないのだ。人間の記憶力はコンピュタ−なんかと比べると実に小さいものである。記憶力は機械の方が格段と優れている。しかしある一点に集中して全体を見て絵であり何かを創造することは人間が優れている。今や脳に二つの機能が必要なのだ。脳にコンピュタ−をとりつけて記録させるものとそれから創造する能力である。

ところが記録したものが消えると創造すらできない、あとから想像して書けといっても忘れてだめなのだ。記録するのはデジカメでいちいちとるのではなく脳にコンピュタ−の目としてとりつけられていて全部記録させることが能率的である。ともかく今や人間はコンピュタ−が不可欠になっている。通信も不可欠である。こうして毎日書く日誌(ジャ−ナル)がいかに創造を増進させるものかわかったのだ。ただこうして一人で書きつづけているが他の人の日誌はほとんど読んでいない、数が多くて読めないのだ。日記のなかにも貴重な情報が埋もれていても数が多くてもはや発見できないのだ。むしろだから誰かがいいものを見つけたらそれらを編集されたものを読むほか読めない、ちょうど雑誌がやっていた、選ばれた編集されたものを読むほかできなくなっている。つまりインターネットはみんな自分のことは面白いから書いているが他の人の読むのは少ないのである。発信する人は百万人いる。俳句だってその数はものすごいものになっている。

これらを読めるかといったら読めないのだ。ただ自分と同じような類似俳句を探すときなど読むのである。あとはやっぱり選句されたものとかはいいものがある。ともかくこうして一年以上書きつづけたがほとんど他者のものは読んでいないのである。結社に入れば必ず批評されたりするがインターネットではそれもないのが多いのだ。そもそも結社の雑誌としてのせるものとインターネットのこのような日誌的書き方発表の仕方は違うからである。その時々の感想が出発点として書いているのと一カ月に一回何句か出すという方法とは全然違う発表の仕方なのだ。だからインターネットの日誌は一面独りよがりになってしまうのだ。


11月19日

一本の松の切られしその跡に
我が佇みて冬の日暮れぬ


冬の日や切り株一つ残るかな

この松が切られて一年か二年たっている。なぜ切ったのかわからない、松が枯れやすいのと病気にかかりやすい、他でも松は切られている。一本松がありそこに社がある風景は日本の風景である。日本人は松に対する思いが深い。だから松という地名が多いし松にまつわる話も古代から多いのだ。これは童話にも書いた、そこに写真を出していた。今になれば貴重な写真になる。ここに松があったという証拠である。近くの88歳で死んだ医者も近くの老人の拠り所となっていた。それがいなくなり拠り所を失った。
この一本の松のように消えたが人々の心の中に残っている。切り株としてまだ残っている。そういう存在感のあった人はまれである。


一本松の春(童話館)


11月17日

我がそばに今しばし鳴く残る虫


11月16日

晩菊の墓所に静かや一部落



11月15日

前畑に晩菊静か農婦かな

前畑に晩菊静か今日も暮る


前畑というの農家の庭のようになっている畑のことである。前畑ということから注目して農家を見るのも一視点である。中畑とかもあり畑のつく名字が非常に多い。田と畑の民族か日本だった。ただ単に地名や名字がつくことはない、そこに日常的に思い入れがあるから地名となったのだ。都会に住んでいる人はこの感覚はわからなくなっている。自分でさえ最近、ああ、なるほどな前畑というのが農家にはある。前畑という名字もあると気づいたのだ。人間当たり前のこと気づけばそれも発見である。もう一つわからなくなるのは生活が変わり生活実感が失われるからわからなくなる。旅というのが自動車になったとき旅が失われただけではない、そうした昔の風景とか生活が失われたから昔の旅そのものや昔の人の思いがわからなくなるのだ。全然違った生活空間のなかを旅していたのだ。旅するまわりの景色もビルや自動車の洪水でまるっきり変わってしまったから今の旅は同じ場所を旅しても昔の旅とは違ってしまったのだ。


11月14日

前畑に老人ありて冬日没る
(前畑に秋の夕陽や農夫立つ

晩菊の夕日をあびて道の辺に



前畑というのは前も作った。今まで畑や田んぼに人がいることはあたり前だと思っていた。しかし家の前の田や畑はまた農家にとっては特別なものである。離れた所の田や畑はまた農家にとっては別なものでありこの辺で島田屋などとついた屋号の農家がある。なぜ農家に屋号がついているのが不思議だが小島田とうい地名がありこれは島と名づけたのは遠くの島に行くような離れた場所にあるから名づけられた。唐畑とは唐のように遠くにあるから名づけられたともありともかく家のすぐ前にある畑や田んぼと遠くにある田畑は農家の人にとってかなり違ったものである。それは農家の人でないとわからないものだろう。これに農家でもない自分が気づいたかというと前田とういのは特別なものだということを地名を勉強して知っていたからである。つまり俳句作るにしてもこうした知識が役に立つからいろいろ歴史でも勉強していないといい句も作れないのでありまた句も深く読めないである。それ以上に実感をもてないものは俳句を作れない、一番こうした俳句を作れるのは農家の人である。一番実感がこもるからである。


11月13日

残る虫今日も聞くかな故郷に

最後に残る虫の声をきく、故郷という場で聞く、これは他の土地では聞けない、故郷だから聞ける、ある土地に長くいるとその土地の声が聞こえる。聞くことができる。だから郷土誌とういのはその土地の人でしか書けないのである。学者でもやはり書けないのである。インターネットで郷土誌が盛んになるのはそのためである。これは本にだしても全国向きだと売れない、本の世界は非常に限られた人しか参入できない閉鎖された世界である。1ペ−ジでも郷土を紹介しただけでもその数が膨大だからインターネットでは役に立つのだ。


11月12日

とりどりに晩菊映えて広き庭

旧道を今日も行くかな残る虫


various coloured chrysanthemums
in a spacious garden
I was fashinated
by the latest ones


人間は晩年の方が人間は面白い。というのは青年は色がないのだ。だからみんなまだ色ついていなから個性がないから見ていても面白くない。晩年になると個性がでてくる。どんな人間でもそれなりの歴史を刻むから人間として面白いのだ。人間は晩年になって味がでる。俳句なんかも若い人の俳句には味がないしつまらないのが多いのである。こんな短い俳句でも結構味を出すのにはむずかしいのだ。晩年になると当たり前の良さ、奇をてらうことなくあるものをそのまま見つめ素直に表現する、それが芸術になる。俳句ですら若いうちはいいのができない、平凡な当たり前の良さがわからないのだ。とにかくそれぞれの味がでてくるのは晩年であり若いうちはそのための準備である。若いうちはその芽がでるとしてもいいものはできないのだ。またできなくてもいいのである。いい作品を作ることにあせることもよくない、あせったってできないのだ。ただ訓練は積んでいた方がいい、それでも人によって違うかもしれないがいいものはできない、しかし晩年になると自然とほとんどいいものを作ろうとしなくても自然体になるからできる。平凡な単純なことの良さを発見するからだ。つまり人間は見る目がないかぎりそこにいいものがあっても芸術となるべきものがあってもわからないのである。


11月11日

冬の燈や松質実に家数軒


11月10日

一すじの滝のひびきや朝の菊

これは二本松の城で見た滝と菊からまた思い出して作った。思い出したときあとから作るときいいものができる。無駄を省いてその時の感興を凝縮して表現しやすいからだろう。その場にいるときはいろいろなものが目に入るがあとからその連関性に気づく。焦点がしぼられるからいいものができる。だから20年前くらいの旅の光景が浮かんでは詩にしたり俳句や短歌にする作業がつづいているのだ。


11月9日

晩菊や路地裏静か小松かな

これは狭い日本的な風景である。小松というのが極めて日本的である。狭い庭に小松一本が日本なのだ。小松市というのもある。小松というとまた日本の小柄なつつましい女性を連想する。日本には前に小(こ)とついたものの名が多い。小杉、小林、小屋、小菊、小春日、小家・・・・・蕪村の句に・・・菜の花や・・・小家がちとかあったようだがこれが日本の風景なのだ。盆栽なんかが文化なのも狭い国から生まれた文化なのだ。晩菊についてはこれも連作としてかなり作った。俳句は短歌より連作が作りやすい、晩菊をテ−マにして短いから作りやすいのかもしれない。晩菊とか秋の薔薇というのが自分のテ−マとしてあっているのだ。このテ−マは人によって違うからその人が何にひかれているからわかると詩や俳句もわかりやいのだ。人は必ず自然でも何かに思い入れができてくるのだ。だから同じ菊を見てもその人の感情とか思い入れとか個性で別なものに見ているからそれぞれ違って面白いのである。こんなふうにして毎日俳句一つでも書いてだすことはこれは創作にとってはいい、インターネットは思いついたらすぐだせることなのだ。本だったら一年後とか実際は一生に一冊とか出せないからもはやそこでは創作活動はできない、創作とはこのように毎日書くものだし時事問題でもその他日記でも毎日書いてゆくと上達するのだ。日々の勤めのように書くのである。あとでまとめて書くというのはほとんどできない、だから旅したときでも自分がノ−トパソコンで通信でホームページにアップすることは記録として貴重なのだ。そのとき感じたことが生々しく残るからである。あとからそれを読んだり見たりしてまた書くといいものができるのだ。


11月8日

今日もまた病を語る老あわれ
  かすかに鳴きぬ残る虫聞く

晩菊の静けさここにまた通る

晩菊や郷土を語る一人かな

老人の話すことは毎日病気のことである。もう病気から離れられない、毎日医者に通っている。必ずどこか悪いのだ。老化自体が病気だしこれは直す方法がないのだ。近くの医者がなくなったのがショックだった。老人になっていやなのはこの病気なのだ。みんな病気持ちになってしまう。老人は病気に縛られている。おそらく死ぬまでこの病気から解放されない、老人でもこの病気がないならさほどいやなものではない、病気で自分もまわりのものも嫌になってしまうのだ。しかし老は誰にでも訪れる。その前に死んだものは幸せだともいえる。しかし人間は老は老なりに病気になれば病気を生きねばならぬ。それが人間の宿命だからどうしようもないのだ。今や親が老人であり子供まで老人になっている家庭も多くなっている。大老人の親に息子の小老人さらに中老人というのも増えてくるのだ。

晩菊の静けさここにまた通る

この句がどうして俳句になるのか?ただこれだけで俳句になるのか俳句は短いから説明が必要なのだ。あとがきが必要なのだ。それがインターネットではできるからいいのだ。雑誌では俳句はのせてもどういう経過でできたかはわからない、晩菊が咲いている、そこを今日も通った、単にそれだけではないか?となる。でもこの晩菊は別に晩菊だけではない人に投影された晩菊のことである。つまり自分の場合、90にもなる老人の親がいるからそこに思いが投影されるのだ。若いときは恋人に思いが投影される。人間の思いのなかによみこまれた自然なのだ。「ここに」というのがポイントである。いつもここにその晩菊は咲き老人はいて何かを語る。老人の存在意義はただ存在することである。過去を歴史を背負って存在することに意味があるのだ。それは「静けさ」であり「ここに」なのである。

晩菊や郷土を語る一人かな

この句はホームページで柴田に住んでいる人がかいていた。自分の家の歴史とか柴田の歴史や、自分の遊んだ昔とか家族の歴史とか短歌も書きそれに説明を加えている。絵もだしているし写真もだしている。ホームページの出しかたはあういうふうになる。今まではせいぜい結社でも何句から採用されて俳句だけでるだけだったが今やこうしていくらでも自由に表現できるのだ。地域を語るホームページは多い、これは明らかに民俗学とか郷土史や歴史にも役に立つ、地域のことはどんな学者よりもその地域の人が地理などわかるから詳しいのだ。こうしたものが全国規模に出されるとその土地のことがわかってくる。この地域とか郷土史関係は明らかにすでに膨大でありそれだけですごい資料になっている。

柴田町のこと
http://www.jet.ne.jp/~seto3104/index.htm


11月7日

庵一つ残る跡なき山に月

西行庵というのを吉野山に訪ねたがかなり奥深い人も通わぬ所である。あんな処に人が住めたとは思えない、西行であれ良寛であれそれがすがすがしいのはよけなこの世のものを捨てて庵一つに棲んだ、それも単なる仮の宿であり宿すらないような生きかたである。そこにかえって様々なこの世のしがらみ、欲から離れた清々しいものが生まれた。いろいろなものをこの世のものを捨てたときかえって身は気楽になりこの世の重荷も軽くされる。これは逆説的なことである。何でもものがあったほうがいいという世界とは違う。ものがありすぎること豊かであることその他いろいろなものをもつことはかえって人間にとって重荷になるのだ。身一つ庵に棲む、その庵すら仮の宿にすぎないのだ。そのときかえって心は澄んだ境地になりこの世の争いから解放され自由の身になれる。

宗教は庵一つでありそれも仮の宿であり結局あとには何も残らないのがいい、山の間には月だけがでていたのだ。何も残っているものはそこにない、だからかえって清々しいのだ。今の宗教団体とはまるで違う世界である。様々な欲がそこには俗世間よりむきだしになっているのだ。だから権力争いが起こる。まさか朽ち果てそうな庵一つほしいからと跡目争いなど起こらないだろう。ありとあらゆる俗世間のしがらみがそこにはまとわりついているのだ。それを捨てるのが宗教である。だから大伽藍や大聖堂も確かに建築としては立派でも宗教があるとは限らない、東洋的水墨画の世界のように庵一つの世界が東洋的美学の世界である。文明はすでに負いきれない重荷を背負い込みそれを捨てることすらできなくなっている。その重荷で世界がつぶされるような状態なのだ。では電気なしで石油なしで自動車なしで暮らせというのではない、それは実際にはできない、ただ心の状態としてそういう庵一つのような状態、いろいろなものを捨ててこそ心の平安は得られるのだ。


11月6日

淋しさや見送る一つ秋の蝶

晩菊や旧道に傾く石碑かな

街道の標しと一本枯柳

街道に古井戸一つ残る虫

松並木城下の暮れて月と菊


馬の方に行ってきた。古井戸が一つあった。あそこに家があって井戸だけが残ったのだろうか、くみ上げ式のポンプの井戸は昔どこにでもあったのだ。たいがい自転車で行く人でも六号線を行くから昔の街道を通らないからただ距離を移動する旅になる。遠くになると自分もそうだった。最短距離を行ってしまうのだ。なかなか回り道できないのだ。でも昔の街道を行かないと歴史を偲ぶことができないのでつまらない、どうしても昔の道より早く行ける方の道を選んでしまうから現代はただ目的に早く到達するだけの旅になってしまうのだ











11月5日

いとおしむこの道通り秋の薔薇

I love the roses in autum
close to my routain in secret

(いとおしむ)はこれは日本語的なものでありこれは英語には訳しようがないだろう。この言葉を分解するとイト・オシムになる。これは機織りなどをして糸を惜しむ、糸を大事にしたこ言葉なのだろうか?そう解釈しても辻褄があう。秋の薔薇だけで連作しているけどこれだけで句になるのかどうかわからない、俳句はちょっと言葉を変えただけで別なものになる場合がある。いとおしむという日本語の言葉が生きるからそうなる。明らかにいとおしむはloveではないだろう。
日々生活する場所には人間は自ずと愛着がでてくる。人の家の庭を見てもただだからいい。花は自分の家に咲いていなくても他の家でもただでみれるのである。庭なくても花は見れる。つまり自然は公平に人に与えられているのだ。


11月4日

秋晴れや罪なき人の心かな

雲一つない、罪がないならばこの空のようにそして太陽はその心の中に輝く、罪に心が濁れば自然も心に映らないのだ。ということはこころが曇ること、濁ることは神の栄光なる自然も見えなくなるから生きる意味すらなくなる、美しいものが見えないとしたらそうなる。芸術家には汚れた人もいるではないかというがやはり自然の本質は見えなくなる。それが罪の恐ろしさである。この罪はいろいろあるからむずかしいが確かに罪を犯しているものは自然の美は見えなくなる。それこそ大きな罰であるがそういうことを余り重要視していない。罪なんかたいしたことがないと思っている。しかし罪が人間の心に食い入って人間は見えるものも見えなくなるのだ。


11月2日

買い物に今日も行く道月見草なお咲きにけり秋深まりぬ


月見草は長く咲いている。買い物にゆくときでもそこに自然があればなごみがあり俳句にもなる。都会の騒音の世界では自然がない、それが人間の生活を潤いないものにしているのだ。

11月1日

小春日や歳を重ねて九十に

また一つ道の別れて秋の暮

鴎一羽秋の夕陽に河口かな


今日は暖かかった。これからは晴れる日が多くなるだろう。天気悪い日がつづきすぎた。今の老人は苦労したから長生きは許されるとういかその苦労の代償として長生きが与えられている。年金も十分である。しかしこれからの老人はこういくのか、小春日のなかでゆったりしていられるのか、疑問である。数も桁違いに多くなるし老人はもういないほうがいいとなるかもしれない、この句はまさに今の時代を象徴するものであり次の時代はこうした句は作れないかもしれない、時代とともに文学も変わるからだ。文学は時代を反映したものでありそれが過去の俳句を文学を読む面白さになる。

今回の句は俳句らしいものができた。短歌と俳句は違う。余韻が深いのは俳句のほうだろう。これだけ短いなかに凝縮して表せるのは世界でも俳句だけなのだ。そこに俳句の意味がある。もう一つはやはり写生が俳句なのだ。最後の句にしてもそれはただ写生しただけで一見ありふれて何が詩になっているかもわからないかもしれない、写生はやはり写生だけで何をかを示すものでありそれに説明を加えると冗長になり句が引き締まらないのだ。

別れ道の句は前にも春に作った。類似のものを並べて比較することができるのも俳句である。年取ると人生は別れである。若い時は人生は出会いなのだ。絶えざる出会いである。女性との出会いが恋愛となり様々な出会いが若いときなのだ。しかし年取ると人生とは無数の別れである。身近なものが肉親が死んだりと死んで別れることが多いのだ。その数は非常に多くなる。回りのものがどんどん死んでゆくのだ。次々に別れさってしまうのが人間である。どれだけの人間と別れてゆくのか、その道はもはや出会いの道ではない、無数の別れの道である。無情の別れの道である。