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2004年12月1日(水) |
本の重さ |
年の暮加えし本の重さかな
水辺には波紋もたたず枯芒
この本は厚かった。二千円以上したけどブックオフで千円で買った。厚い本を読むのは容易でない、本の読むこつはやはり速読である。要点だけを読むように心がける。読書百辺意自ずから通ずというのは現代に合わないのだ。知識が膨大に世界的に広がりすぎたのである。チチェンだウクライナだと次々になじみのないところで問題がおきても知識がないからわからない、それをわかろうとすれば知識が次々に広がる。知識は今や追いつけない、処理しきれない、こうしてまた本が一冊加えられたがこの本は重い、本には重さがある。本は物としての重量感がある。これもインタ-ネットと違う、物としてあるから物として貯えられた感じになる。でも実際は知識は物ではなかったがインタ-ネットでわかったのである。知識は本のように物として並べ貯えるのではなく実際役に立つのはパソコンで自宅で簡単に閲覧できることが知識として一番利用しやすいことだったのである。
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2004年11月30日(火) |
河口の枯芒 |
夕日さし河口の水辺の枯芒
東北の港というと河口でも一般的に淋しい、南のような大きな港ができなかった。それでも川があり河口があそこに小さな漁港がある。漁港は結構あるのだ。隠れたように三陸辺りでもある。貿易とか通商の港はなくたいがい漁港だったのである。
阿武隈川でも川を下り河口の港から江戸まで米を運んでいたがそんな面影はない、何か昔ながらの漁村があるだけなのだ。漁村といって今は魚とるだけで暮らしている人は少ない、海にかたまって家があるから漁村のように見えるが実質は純粋な漁村とか農村は日本にはなくなっているのだ。これも写生であるからとやかく説明してもしょうがない、平凡な句ともなるのか、俳句は何か詩のように作りすぎるとだめである。つまらないと思っても写生するほかないのだ。
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2004年11月29日(月) |
本の整理 |
短日や本の整理追われ暮る
本はかなたのものがある。一部屋をうめるくらい十分にある。その本もあまりに多くなるとどこにどんな本があるかもわからなくなる。それで同じ本を二冊買ったりして馬鹿みたりこんな本買っていたのかこんなことが書いてあったのかと読み直してみると驚く、本もまた買っても読んでいない、消化していない、知識は消化する方がむずかしい。知識は膨大にあっても消化されずある。二三割は消化してもあとは読んでも忘れていたりただ積まれ並べてあるだけなものも多い。結局人間一人の消化する知識は限られているのだ。一個のスイカがあるとするその一切れくらいかじっているのだがまるまる実際は知識の場合利用されず残っているのだ。いづれにしろ人間は消化するというか理解するというか操作するというのではなく金であれ時間であれ何であれ絶えず追われている。昨今はニュ-スに追われる。つまり様々なものに追われたちまち終わっている。本も実際、もはや整理しきれなくなっている。
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2004年11月28日(日) |
無花果の枯れた葉 |
無花果の葉の十枚ほどなお散らず隣の庭を今日も見てをり
つくづく短歌も写生である。ありのままということは実際訴えるものがあるのだ。ありのままの体験をそのまま書けばそれも訴える。とぎとぎ匿名だがそういうありのままの体験の発言がインタ-ネットにあり驚くことがある。この光景も別に変わっていない、しかしありのままということが何かを意味あるものを語るのである。現代は写真の世界だがこれもありのままを語るということで不可欠の道具なのである。写真というのもだからよくよく注意深くみないとその語るものをよみとれないのである。そのありのままの中に実際は多くの語るものがあるのだ。
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2004年11月27日(土) |
社の松一本 |
北風や社を守る松一本
何か守るべきもきがあり北風に吹かれ松一本が立っている。その守るべきものがあるからこそ北風に耐えて立っている。ちょうど親であれば子を守るごとく、作った俳句の理屈を書いているようなものだが自分の俳句を哲学しているのだが、これも俳句があまりに短いためにそうなるのである。俳句はいろいろあるけどその意味するものを書ける人はそれなりの創造的なことをしてしいるきである。つまり芸術は鑑賞するのも創造的でないとできないのである。江戸時代の俳句なんか特にそうである。当時の時代背景をよまないとわからないしまた今の時代では書けないものがあることが貴重なのである。
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2004年11月25日(木) |
北風 |
北風や欅一本古りて立つ
北風や家一軒の普請かな
これも確実に同じ俳句がありそうだ。俳句は今やこの同じ俳句があるということこれが問題なのだ。短いからそうなるのだ。俳句を全部インタ-ネットに置いて検索できたらそして自由に編集できたらこれまた新しい世界が開けるのだ。一つのテ-マの俳句を並べて評論することに俳句はあっている。なぜなら季語が常にテ-マになっているからその季語について創作されるからキ-ワ-ド検索に向いているのである。
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2004年11月24日(水) |
冬の蝶 |
老いゆくやかすかに消えぬ冬の蝶
one winter butterfly comes in my garden
and faintly goes away in secret
今日珍しく庭に蝶が一羽来た。冬になっているから冬の蝶である。でもなんか今年は暑い、蠅もまた十匹くらいきている。その蝶はかそかに消えた。老いというと早いかもしれないが自分より5才下でもしきりに老人になったと俳句を作ってホ-ムペ-ジをだしている京都の人がいた。それなりに面白い、その人のテ-マは何なのかというと「温め酒」なのである。学生時代のマルクスとかいろいろ語り温め酒で仲間と昔を偲んでいるのだ。俳句は実際老人に向いているところがある。青年にいい俳句は少ない、俳句の表現自体、青年向きでないのかもしれない、日本では40くらいで隠居という文化があった。50以上なれば隠居であり新たな隠居文化を作るということもこれからありうる。ただ現代は老人にやさしい時代ではない、現代の社会は老人には向いていない、江戸時代に隠居という場が与えられていたことはそれだけ隠居でも社会に認められていたのである。それは老人の数が少ないからできたことである。そして時間の感覚やその他老人向きであった。変化が少ないから老人には住みやすかったのである。これだけめまぐるし変遷する世界はスピ-ド時代は隠居には向いていない、そして団塊の世代が老人になると数が多すぎるから余計に大事にされない、今でもものすごい敵意が団塊の世代に対して若い者がもっている。これは恐ろしくなるほどである。
温め酒のホ-ムペ-ジはキ-ワ-ドが「温め酒」だからこれででてくると思う。私のホ-ムペ-ジの俳句のキ-ワ-ドは「秋の薔薇」になるかもしれない、これではかなり書いているからだ。それぞれにあったテ-マというものが成熟してくるとできるのである。インタ-ネットでこのキ-ワ-ドは大事である。キ-ワ-ド文化というべきものを作り出したのだ。人から探すことはあったがキ-ワ-ドから探すということはなかった。キ-ワ-ドから一つの世界を作りだしていけるという不思議な世界が生まれたのである。
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2004年11月23日(火) |
帰る烏 |
十数羽烏帰るや冬日没る
これも写生である。十数羽ということがポイントなのだ。烏はたいがい南に向かって帰る。これは習性なことは確かである。他でも南に向かって帰っていた。烏は普通ばらばらにいても夕方帰るときはまるで一体となり仲間となる。十数羽は常に一団となって暮らしているのだ。俳句は写生だから味気なくても見たままを句にするほかないのだ。短いから同じ俳句が他にあってもしかたないことである。全く同じものがあるということはそこに俳句の限界がきているきかもしれない、すでに数が多いから同じものができてしまうといことである。
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2004年11月22日(月) |
冬の一日 |
今はなき人とて何を語るらむ冬の日さして故郷の墓
冬の月照らして旧道帰るかな
冬の月が照らして明るい道を帰る、電灯の光は必要ないくらい明るかった。これも国道だとひっきりなしに車で月の光も映えないのだ。時々死んだ人を考える、それにしても死んで語ることの少ない人が多すぎる、墓を調べてもほとんどわからないのだ。何も記録が残っていないからだ。かえってこれからはインタ-ネットが庶民の記録を残すものとなるかもしれない、二宮尊徳の記事と解説も偶然発見したのである。インタ-ネットは相当に数を見ないと発見できない、これも別に二宮尊徳を探したわけではなかったのだ。二宮尊徳と入れてここがでてくることはないのだ。ただキ-ワ-ドが事前にわかれば出やすいのである。しかしそのキ-ワ-ドは書いた本人が一番知っているのであり他の人にはわからないのだ。だからいつも偶然にでてくることが多いのだ。
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2004年11月21日(日) |
冬鴎 |
真野川に小さき湊や冬鴎
旧道に冬の日さして昼の月
真野川は河口から近いから鴎がくる。小さな漁港が鴉にある。そこでとれる石鰈を売りにくるがこれは高い、一匹2千円もするから高い、普通の人はあまり買わない、買う人は決まっている。松川浦で売っている鰈は500円くらいだがあれはここでとれたものではない、中国辺りでとれたものを売っているのだ。一匹2千円となれば普通買わない、この小さな町に生きて石鰈が食えるのは幸せだろう。現代はかえって田舎に暮らしている方が得なのだ。暮らしやすいのだ。何十年間前は都会の方がいい面があった。というのは都会にしかないものがかなりあったからだ。今はそういうことはない、物ならなんでも手に入る。本すらアマゾンなどでいくらでも買うことができる。ただ本は手にとって見ないとわからないので困るのだ。新刊でどんなものがでたなどかもわかりにくいし高いからあまり買いないなのも難点である。
この句は真野川という地名と湊と冬鴎が自分で言うのもなんだがぴったりとあっている。こういう句は江戸時代とかにあっている。貧乏な時代の方が自然と密着して生きていたからいい句ができた。漁村や農村というが農家というが漁業だけで暮らしている人はいないし農業だけで暮らしている人はいない、純粋な漁村とか農村は今や日本にはないのだ。自然と密着した生活は詩的な面から見れば絵にも詩にもなるのである。これは勝手な見方だか何か今とは違う世界がそこにあったのだ。それは戦前からさらに江戸時代に帰らないと想像しないともうなくなった世界なのである。
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2004年11月20日(土) |
残菊 |
残菊や今日も通れる人のあり
秋の薔薇四五輪淋し田舎駅しみじみと見て今日も暮れにき
自然は全然人間と関係しないとまた生きてこない、山の奥の全然知らないところに咲いて花は生きてこない、一人でもその花を見れば生きてくる、鳥がいて猿がいてもそこに人間が欠けるとだめなのだ。人間がすべての主だからだ。ここに自然とかかわる人間のむずかしさがある。人間があまりに自然にはいりこむと自然は生きてこない、逆に自然が人間と全くかかわりないものとなるとそれも荒寥とした世界になるのだ。
残菊でもここに通る人がある、それもそんなには多くない、だからかえって自然と調和する、自然が生きてくる。都会では人が多すぎるのだ。だから自然は見逃されるのだ。しみじみと見るということがないのである。あわただしく人は過ぎてゆくだけである。
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2004年11月18日(木) |
ヨ-ロッパ 薔薇 駅 |
秋の薔薇四五輪駅に今日も暮る
about four and five
roses in autumn at station
It come to close today again
この薔薇は田舎駅であってこそ意味がある。都会の駅だと何かまた違ったものになる。淋しい田舎駅に咲いている四五輪ということに意味がありまたそれ故の存在感なのである。都会のようにあまりに人が多いと自然のものも映えないのである。人間も存在感がなくなる。都会では高層ビルの方が存在感があり人間は蟻のようになってしまう。
パリに向かう電車
窓辺に古い教会の塔
淋しき駅に秋の薔薇
コンパ-トメントに
本を読む女性と二人
いづこの駅や
電車は過ぎ去りぬ
今旅を思い出して書いている。旅というのは思い出すことも旅である。この思い出すことが豊かであれば旅は成功していた。特に外国はそうである。外国はなかなかどこにいったかも思い出せない、地名もわからない、そこの場所についてもわからない、わからないことが多すぎるからだ。ヨ-ロッパのコンパ-トメントは部屋になっていて広いしゆったりししている。日本にはない一つのぜいたくな(spacious)空間である。大陸的である。このワンシ-ンはたまたま思い出したので書いたのだ。こうした記憶をよみがえらせてゆくと外国の旅行についても書けるかもしれない、それとパリについての本などを読み自分なりに構成してゆくのである。このつづきはまた他で発表しよう。
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2004年11月17日(水) |
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清楚なる白薔薇ここに冬となる
白薔薇はまた咲いている、冬の白薔薇であるが不思議だ。薔薇は冬まで咲いている。冬となりまた趣が変わるがその汚れない白さは変わらない、冬となりより静粛な趣となる。その花はふれがたくある。
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2004年11月16日(火) |
秋の薔薇と駅 |
秋の薔薇四五輪淋し田舎駅
これも写生である。七八輪でもなく四五輪でありこの写生に意味があるのだ。俳句は何度も言うけどつくづく写生である。短いからあまり感情的なものを入れることはできないからだ。これは禅の精神にもにている。
今日はトラッジトで電車にのりでかけてみた。その報告はまた別になる。
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2004年11月15日(月) |
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残菊や道の辺に記す碑の一つ
小さな碑の一つ何を語るのか、いつもの道を行く、野辺の残菊を見る
今日も雨だった。雨が今年は多い、寒くもなった。
太宰府天満宮の残菊の宴は、康保元年(964)大宰府の官人であった小野好古により、菊の花を愛でられた菅原道真公をお忍び致し始められたと伝わっています
残菊の宴というのがあったのも意外である。桜とか梅はあっても菊はきかなかった。菊を惜しむためなのか菊はやはり日本人に愛でられた花だからだ。天皇家のご紋も菊である。ただ残菊というとき野菊も残菊になるのか、とにかく冬になったことは確かである。
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2004年11月13日(土) |
白薔薇と残る虫 |
ひそけしや白薔薇あわれ残る虫
いつもゆく道に白薔薇がまだ咲いている。あれも不思議だ。そもそも薔薇は砂漠辺りの乾いた地が原産である。それが冬まで咲いている。あそこに咲いて薔薇を気づいている人はない、この句はまさに自分を象徴している。自分を知るものはいない、残る虫の声だけがかすかに聞こえる、残る虫とは二人の家の老婆だった。あとは誰も知らない、ともかく今日は冬らしくなった。寒かった。一面の冬田になってしまった。
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2004年11月12日(金) |
隣の無花果 |
黄ばみたる隣の庭の無花果の葉をしみじみと雨の日に見ゆ
隣町通りに落葉夜のふけぬ
これも単に写生である。隣の庭でも鑑賞するのはただである。花を見てもただである。これが自然のいいところである。例えば江戸時代は武家屋敷の庭は相当に広く外国人が見てうらやましかったという。下級武士や町人は狭いところに住んでいた。でも景観的には長い白壁の塀がつづき庭の緑があり江戸は緑豊かな街だったとなる。それが家がふえすぎビルがたち全く変わってしまったのである。庭でもそこに樹を植え花で飾れば隣も全体の街もきれいになり豊かになる。自然は鑑賞すらならただなのである。
隣の市は近い、だから通りの落葉をゆっくり見ている。原町市は鹿島町と同じ生活圏にある。だから合併ししても地理的にもなんら違和感がないのだ。ところが飯館は遠いし地理的に山でさえぎられている。だから山の独立国として合併しないのもいい選択だったのかもしれない、ただ財政的にはかなり苦しいだろう。
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2004年11月11日(木) |
パリの秋 |
木の葉散るパリの裏町あわれかな安宿今日は満員なりしも
落葉踏みパリの裏町ア-チ門
パリには2回行ったけどパリはやはり芸術的になる雰囲気がある。私が泊まったのは駅でもはずれの裏町だった。なぜヨ-ロッパの駅が街のはずれにあるのかそれは昔城壁で囲まれていて容易に中央部に入れないようにしていた名残りだという、パリには何かいたるところ路地裏でも絵になる風景があるから画家が多いことになるのか、ただどうも外国はわかりにくい、外国を語るにはやはり一年くらい住んだ人でないとわからない、何日かいたってわからないのだ。たまたま常に安宿探していたがそこにいたのは受け付けは黒人である。そこは下がカフェ-になっていて上が泊まる部屋だが最低の宿である。そこには泊まらず近くの個室の部屋に泊まったがここは高かった。それでまた別な安い宿に移った。宿探しには苦労するし自分の場合外国は何か楽しめない、外国旅行はかなりの苦行になってしまう。外国は日本と変わっているからなじむには時間が必要なのである。これは何だろうと知るまで時間がかかるからだ。結局わからずじまいに印象も残らずに帰ってきてしまうのが一般的な外国旅行ではなかろうか、その中でデ-プな旅をする人はやはり時間をかけている人である。
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2004年11月10日(水) |
刈田 |
同じ場所人も木も古りぬ刈田かな
同じ場所に人も年取り木も古りてゆく、同じ場所にいても季節の変化がある。いつのまにかまた刈田になっていた。同じ場所でもこの世は変わってゆく、変わらないものはないのだ。しんみりと刈田を前に今は立っている。
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2004年11月9日(火) |
秋暑し-蠅 |
10匹ほど蠅集まるや秋暑し
気候が異常だ。庭に蠅が10匹くらい集まっていた。今日は暑い。秋暑しは9月の季語だろう。気候が一カ月くらいずれた。日本は熱帯化している。季語もずれて変わってしまう。でも俳句は写生だから見たままを書かねばならない、だから秋暑しであり蠅十匹が来たでいいのである。
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2004年11月6日(土) |
transitで川俣から東和へ秋の俳句 |
汗かかず軽快に走り秋の星
sparkling stars in autumn
fast running byecicle with no sweat
折り畳み自転車で原町からバスで東和まで行ってきた。あの自転車は坂は上れない、帰りはずっと下りだからなんとか帰ることができた。やはり短い距離と平坦な所でしか使えない、それなら普通に走る
久しぶりで走ったので気持ちよかった。今頃はスポ-ツには最適だ。俳句と写真は別なペ-ジで
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2004年11月3日(水) |
白い秋の薔薇 |
雨ぬれて今日もこの道一人行く散るもひそけき秋の薔薇かな
pure secret whiteness!
roses in late autume
白い秋の薔薇がいつも咲いている。不思議なのはこの白い薔薇は夏からずっと散っては何輪か咲いている。ひっそりとほとんど気づかれないように咲いている。白い薔薇だから余計ひっそりとして静かなのである。夏の薔薇は若い盛りの薔薇であるがこれは意外と早く終わる、青春の時期は短いのだ。秋の薔薇の時期は結構長い、自分にあっているのは秋の薔薇である。
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2004年11月2日(火) |
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雨ぬれて今日も来たれり秋の薔薇
雨の日や耳を澄ませば残る虫
I carefully hear
faintest voices of insects
in late autumn.
雨にぬれて買い物にゆく、そこのいつもの道に薔薇がそっと咲いている。
もしかしたらその薔薇を自分をまっているのかもしれない、身近だから雨にぬれても行けるのだ。
残る虫の声は耳を澄まさないと聞こえない、耳を澄ますとかすかに聞こえる。かすかな命がありその命の声に耳を傾ける。しかしこうしたかすかな声はかきけされる。騒音と世の中のあわただしさにかきけされる。
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