沓掛沢橋というのがあった。これは気づかなかったが真野ダムができる前に大倉のときにあった地名をとって橋の名にしたのだろう。ここに沓掛とあるのはやはり昔
人が行き来して名付けられたのだろう。町からかなり遠いからである。そもそも沓掛という地名はいたるところにあり草履をはきかえたところだった。その捨てる草履を掛けておいたからこんな地名がついたのか、草履は大正時代まで旅するのにはいていたのだ。
秋の日や沓掛橋に一休み

ここで死にかけたスズメバチがいた。この弱ったものでもスズメバチは怖い。触ったらブ-ンと飛んだ。

弱りしもスズメバチ怖し山の秋

スズメバチ-ビデオ

これからが飯館に出る坂がある、これを上るのに歩きで時間がかかる。飯館に出ると2時ころになっているのだ。ようやく新しくできた舗装の道を出ると飯館である。あの道はかなり長いが前は林におおわれて潺湲と水の流れの音がひびくだけの神秘的な道だった。あれが失われたのは飯館村の神秘性を失ってしまった。森につつまれた自然の神秘性がまだ山にはある。あそこに道を作るほどでもなかった。あれも公共事業のためであり業者に仕事を与える為である。金にならない自然は地元の人にとってもありがたくないものなのだ。だから平気で自然は破壊されるのである。
臼石から回ったら飯樋から小宮の方へ向かっていた。ひもろぎの里とあり丸い石が飾られていた。これもはじめてみた。これについては時事問題21で書いた。

石一つ祀るやあわれ薄かな
それからさらに行くと三叉の松があり山間に開けた土地に稲架(はざ)が立てられていた。ここは通ったことがない道のようだった。こんな開けた場所があるのも飯館は実際はかなり広いからだ。

三叉の松や古りにき飯樋に稲架(はざ)を建てにし夫婦見ゆるも
それから小宮の方に向かっていった。あれ飯館の草野の方に帰るのかと思った。小宮という名は何か心に残る、この淋しい山の村に小宮というのがあっている。村立の小宮小学校という門がこれであった。ここに本当に小学校があるのかと思った。
こうしてまた草野に帰り山をこえて帰る場所にいつもの大きな石があった。そこを村人が歩いていた。田んぼにそって小川が流れ山鳩を何羽かみかけた。飯館はやはり山らしく町より一段淋しく感じる、しんとするのでいいのである。平地に出るとどうしても騒々しくなるからだ。
小宮にそ小学校あり虫の声

山鳩に水音清し秋の夕


飯館に大石一つ村人のここを歩みて秋の日暮れぬ

飯館に秋の夕べや虫の声小宮をめぐり帰りけるかな


飯館の秋-小紀行

時事問題21(馬券売り場でイメ-ジ悪くした飯館村