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2003 謹賀新年 10月
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カレンダ−式の2002年の分、修復改定中

秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)
(10月20日)


10月31日

橋一つ細田の遠し夕暮れぬ阿武隈の奥や秋の暮かな

阿武隈の一すじ細きその道や秋の日入りて月の幽けき

細田という所には実際暗くなりつつあって行っていない、ただ細田へとの案内板がありここから細田へ行くのかと思って細田へ行く道をながめていた。そこには小さな橋がかかっていて御堂なんかあったようだ。自転車だと必ず別れ道がポイントになる。別れ道が心に残る。旅ではこの別れ道が重要だから「追分け」という別れ道が地名として多く残っているしこの追分で人は別れて二度と合わないということが多かったと思う。なぜなら歩いて旅することは簡単にできないのだ。こうしたことは自動車の旅ではわからない、自動車の旅はすべてが近くなり遠さの感覚が消失しているのだ。遠さの感覚は明らかに旅情にかかせないのだ。日本は狭いが歩いたら広いのである。自動車ではこの遠さの感覚がないから旅情もないのだ。汽車でもないし汽車では別れ道はないからこうした旅情はない、ともかく自転車で次に細田へ行くにも簡単には行けない遠さが常に残るのだ。自動車をもっていればまたすぐに行けるが自転車だと簡単に行けない遠さにそこはあり簡単には行けない遠い場所として見るのである。


10月30日

 死してのちその意味語る秋の暮

今回の近くの医者の死は大きかった。まだその医者は生きている感じだ。患者が行けばそこにいる感じがするのだ。それだけこのへんでは存在力のあった。その人が職場から消えたり死んだりして何か大きな喪失感が生まれればその人は存在感があったのだ。それがないなら存在感がない、現代で存在感をもてる人は少ない。例えばこれが大病院の医者だったら患者にとっても存在感はない、というのは病院は勤めているからその年まで医者はやれないのだ。90まではやれない、90まで地域の医者の現役としてあったことが存在感をあるものにしたのだ。

いづれにしろどんな人だった死ねばあの人はなんなんだったのだろうとみんな考える。つまりその人の生の意味が問われる。ある意味でその生の意味が浮き彫りにされる。生きているうちはわからなくても死んでからはその生の意味は権力に左右されず問われる。どうしても生きているうちは権力的地位にある人にはその権力に目が向けられる。しかし死ねば死んでいる人は自身はもはや権力はないのだから権力抜きの真実の姿を見ようとする。だから死後の評価のほうが正しいものとなる。

医者にしても何かもし本当に献身的な人だったら死んでもその地域に尽くしている。何かそういう徳が精神的なものがその土地に残る。その人はいなくても何か霊的なものがそこに殘りその土地をうるおしてゆく。しかし一方でそこに悪い人とか何か強欲だけの人とかがいて死ぬとそのあとも何かそこに悪い霊が漂っていたりするかも、つまり自殺した場所に地縛霊のこるごとく、でもこの地域ではすでに自殺者も3人もいるし急病でわけがわからず死んだものもいる。どんな場所でもいいものと悪いものが混じり合っている。大都会になるとやはりそこは犯罪や何か悪い霊がうようよと漂っているから影響されるかもしれない、だから宗教団体が都会では繁栄するのかもしれない、汚れたところには汚れたものが住みやすいということは確かであろう。

この俳句自体はあまりいいものではないだろう。どうも自分の場合秋の暮が使いすぎる。俳句は俳句だけでなくそのあとに説明したりその俳句について語る方が面白いではないか?これはインターネットでやりやすいのだ。普通は雑誌では俳句しかのっていないがインターネットではその俳句について書くことがいくらでもできるからである。


10月29日

秋の薔薇すでに夕べの光かな

秋の薔薇の連作だけど秋の薔薇は朝より夕べの方が合っているのか自分の俳句のテ−マとして秋の薔薇があった。これですでに20くらい作ったかあとで比較してまとめてみよう。


10月28日

日々静か雨にぬれたる秋の薔薇


day by day 、stillnes of days
wetted roses
with quiet dropping rains
in autumn


秋の薔薇の方がひかれる。薔薇は長く咲いている。春に買った小さな薔薇もまだ咲いているし新しい花も咲いた。普通花は散るのが早いのだが薔薇は春から夏、秋と冬まで咲いている。こういう花はめずらしい。この薔薇はとなりの庭に咲いていた薔薇である。花はどこに咲いていようが見るのは無料である。薔薇についてはかなり連作的に作った。これも(日々静か)だけが違いあとは同じのがあるがそれでも違ったものになっているから不思議である。同じものもできてしまうのが俳句なのだ。


10月27日

旧道を今日も我が行く秋の蝶

I go on my old way today too
I find out a butterfly in autumn

国道の6号線は自動車で詩にはならない、その脇の旧道を行くと俳句や詩になる。それは人間的リズムで行くからである。自転車で行くと詩になるがバイクとか自動車は早すぎて詩にならない、人間的リズムをこえてしまっているからだ。自転車のリズムが人間的なものを維持する限界である。これが戦前からさらに江戸時代になると歩くリズムだからまさにそれは絵になり詩なる光景だった。そういう光景が多かった。人間が自然に息づいていたのだ。人間が主役だった。今は自動車や機械やビルが主役なのだ。だから詩になりにくいのである。人間が主役でないところに芸術はありえない、人間のドラマもありえないのだ。これは想像で書いたもので俳句ともならないが

秋の暮旅行く人や一里塚

旅している人自体歩いているから様になっている。それ自体が一幅の絵となっているのだ。確かに今でも国道のひっきりなしに自動車の通る歩道を歩いて旅している、浮浪者のような人もみかけるがそれがなんだかみじめなのだ。人間の歩く行為が自動車によってみじめにされている。歩く行為はは全くその道にそぐわないのだ。これが昔の道だったら自動車の通らない道で人が歩く道だったら歩く人はまさに大地を歩く道を歩く人になって詩にも絵にもなるのだ。だから現代では山頭火のような放浪の歩く詩人はありえない、歩くとしてもどうしてもわかりやすい道となると自動車の多い国道を行くことになる。脇道にそれると歩くにはいいのだが遠くなってしまうのだ。道もわからなくなってしまう。でもそういう道が旅行するには今ではいいのである。


10月26日

前畑に秋の夕陽や農夫立つ

秋の山重なる影の三つほど

十字路にコスモスゆれて街に来る


家の前の田が前田とか門田となるのと同じく家の前にあるのが前畑になる。前畑というと「マエハタ」がんばれの水泳選手思い出すが前畑は前田と同じく前にある畑であった。前田がその家のものにとって重要なものであるごとく前畑も重要なものであろう。自分は農家ではないから農家の実感的なものの感じかたに欠けているからわからない面がある。自分の前に田があり畑がありそれが自分のものとして密接にかかわっているものの感じかたは違うのだ。やはり自分のそこは庭のごとく愛情を感じる対象かもしれない。家の前にあるのだからより身近になっているのだ。だから前畑に立っているときやはり充実感がでてくる。「これはオレの畑だ」となる。この畑や田を耕していることは自給自足だからそこに安心感がある。そういう感覚は農家でないとわからないのだ。つまり姓とか地名は密接に生活にかかわるところから生まれたのだ。姓のもとは地名とするときいかに日本人が地名でその生活実感を表してきたかわかるのである。ありふれた地名にもそうした生活実感がわかると改めて再発見するのである。


10月25日

 家一軒佐須に遠しも乳神の碑一つあわれ秋深まりぬ

阿武隈高原の飯館から佐須(サス)に行く所の奥深い中に一軒の家がありそこの家の庭に乳神という碑があった。佐須(サス)とは焼き畑の意味であり焼き畑にはふさわしい山の奥だから実感がある。この乳神信仰というのは全国各地にあったのだ。これは乳神で検索すればでてくる。時事問題でも書いた。この家は自転車で行くと一日かかりであり遠いのだ。最近は2年くらい行っていない、道も細い山道だった。今は自動車の通れる道になっているかもしれない、つまりこの遠さの感覚が自動車時代になくなったのだ。だから乳神の意味もわからない、あんな辺鄙な所で牛乳もない時代に乳神に祈るということは、乳が頼りの子育てだった。江戸時代あたりは隣の村でも遠い感覚だったのだ。歩きではそうなるのである。交通が発達すると自動車で汽車で飛行機で行く、到達する時間が遠さの感覚になってこうして近くでもめったに行けないという感覚はなくなったのである。仙台まで汽車で約一時間とするとこの山の中の一軒家の方がずっと遠い、自転車でしか行けないからそうなるのだ。

時事問題3(乳神)


10月24日

今日も見る隣に静か秋の薔薇

俳句とか短歌は写実が基本だとすると毎日の生活の中で地域の中でその題材は限られてくるのでつづけるのがむずかしくなる。一方詩は想像で書くからかえって場所に制約されないのだ。これが詩と俳句、短歌の相違である。芭蕉の俳句がほとんど旅の俳句だったのもそれを物語っている。実際に見て聞いてその場で作るのが俳句短歌であるが詩の場合、想像だからその範囲は経験したことやその他無限大にあるのだ。ここにやはり俳句短歌の限界があるのだ。

まあ、住宅地でも混み合ったところはいやだし騒々し所はいやだ。ここは新住宅地になったがまだ静かとはいえる。でも自動車の騒音などでいやだ。自分は江戸時代とか中世の世界に憧れる。そこが貧乏で自由のない世界といいイメ−ジはないが一方で時代には必ずいい面と悪い面があるのだ。現代の騒音の世界は中世から比べると良くない面である。中世は生活が狭い範囲の自給自足的世界だから精神も安定していたしヒュ−マンサイズの世界で和みがあったのだ。中世の教会や芸術がそれを示している。インターネットでその世界をかいま見た。あういうものがあるとインターネットも使える。ヨ−ロッパを旅してもあういうふうに詳しくは見れないのだ。大きな教会は見たがあんなこじんまりした教会が中世の教会であり芸術だった。あういう世界をもっとインターネットに出るといいが出版社がこれまでしたことだからインターネットには著作権で出さないからでてこないのだ。あれは自分で写真撮ったから出しているのだろう。あういうふうに詳しく見ることはなかなか普通の人にはできない。外国の場合どこに何があるのかさえわからないからだ。あれは貴重な中世の教会の案内である。

そもそもなぜ中世では奇怪な動物が教会の建築に彫刻されたのか、これは現代のビルを見るがいい、全く動物も植物も彫刻されてない、何の装飾もない、ただ機能的な箱にしかすぎないではないか、中世やエジプトでも古代の建築は装飾性に優れている。建築を現代のビルのようにただのその中で人間のしめる空間があればいいとか考えなかった。動物も植物もそのとりまく世界を建築に盛り込んだのだ。動物も植物もその生活も一体としてあったからである。現代はそうした動植物とも大地とも分離させられてただ機能的人工的世界になってしまったのだ。人間の文明はすべて進歩とかの概念では考えられない、文明は進歩したのではなく変化したとする方がわかりやすい、だから古代でも中世でもそこには現代にない精神の豊かさが発見されて驚くのである。

http://homepage1.nifty.com/Pyrus/sh/0301/Pyr030199.html


10月22日

  秋雨や惜しまれ死にし医者の家

近くの医者が88才で突然死んだ。この年までやれたのは近所の老人相手でありみんな症状もしっていて実際の注射などは看護婦がしていたのだ。自分の家でも子供のときからホ−ムドクタ−となっていた。ただ口が悪くずけずけいうので嫌い去って行った人も多かった。ただ老人は毎日近くだから通う、心臓悪い家のものは毎日通っていた。それでまわりのものががっかりしている。だからみんなまわりのものはここの医者に通っていたものは惜しんでいる。考えてみればこの年まで現役で社会の役にたっていたことは幸せだった。88まで現役で近隣からも必要とされている人は社会ではほとんどない、みんな現役を引退している。

この年までこのように社会に必要とされていること自体幸せであった。ただ本人はそれは意識していなかった。金は相当に残した。それも普通の額ではない。こうした財産を残すと子供による財産争いになったりする。財産こそ目当てになってしまう悲しさがある。しかしここの医者は死ぬまで医者でありつづけた。ありつづけられたことは幸せである。死ぬまで地域で役割があり存在感があったのだ。その役割をもたされている方が人間にとって大事であり幸せなことである。

天職を持ち天命を全うすることは最高の幸せである。金は二の次にしてそんな生涯を送れる人はほんのわずかである。このことは意外と本人も気付いていないのだ。金がどれくらいとれるかでその職がいいかどうか判定される。ところが医者はそれだけではない、みんなに惜しまれれて死んだのは医者として最高の幸せだった。しかし本人はそれに気づかす死んだ。あまりに死を意識する前に死んだのだ。昨日まで診療していたからだ。本人も死を意識する時間がない内、あっというまに死んでしまったのである。とにかくその地域でなくてはならないもの、なくてはならない人間、そんな役目をもたされている人はまれである。そんな存在感をもたされている人はやはり例え金にならなくても幸せである。しかし今の時代ほとんどの人が金で価値を計っているのだ。本人もやはり金は普通の額でないものを残したのだから金に価値をおき自分が与えられた役目にみんなから惜しまれたという医者の幸せを感じて死んだかどうかはわからない。どうしても人間は自分のことが一番わからない面があるからだ。

10月16日

この道の行く人まれに秋の薔薇

我が一人見しやひそけき秋の薔薇


10月15日

猫休む農家の庭に菊の花

農家の庭に猫が夕べの日ざしを受けて休んでいた。猫と菊は合っているのか、しっとりと落ち着いているから猫と菊の取り合わせはそれなりに俳句になったか、ずっとまた天気が悪く外に出れない、なんかまだ異常気象だ。同じ所にいると題材がなくこのペ−ジも書けなくなった。見ているものがいつも同じだから毎日つづけることがむずかしい。ちょっとでも隣の街にでも行くと見るものが変わるから作れる。晴れたら二本松の方に自転車で行こうと思っている。
毎日書くには同じ場所では新鮮味がなくなりだめだからどこかに一週間くらいいて通信で報告すると面白い。これを沖縄でやったがそうでもしないは同じ場所ではつづけられない面がでてきた。それでも一年間つづけたことはやはり通信で毎日書けるということが書くことを促進させたのだ。



10月9日

蝉の声聞き入り静か秋の山

秋の蝉聞き入り静か里の山

墓一つ何を語るや秋の蝉



10月8日

鳩群れて金木犀の香の満つる

金木犀がぷんぷんと匂っている。七里香が沈丁花であり九里香が金木犀というそうだ。それだけの範囲ににおうとか確かにこの匂いは強烈である。

日本人は香の文化がないのは香る花が少なかったからだろう。西洋には香る花が多く香水の文化もある。香るという言葉が多様なのもそのためである。

香るの英語について
http://mariyot.infoseek.livedoor.com/onomatope.htm

fragrant oliveと金木犀がなっているのは何故かわからない?

10月7日

虫の音や今日一人行き姥柳


自分が名づけた姥柳の道を通ったのは自分一人だけだったろう。
やはり自然でも人間の接しない所は自然ではない、どんな絶海の孤島でも人間がそこに行くことで意味があるのであり人間の介入しない自然はそれはないと同じなのだ。ヒマラヤのエベレストでも人間が登頂して介入したからそれも人間化された自然となるのだ。どんな山奥でも人間が行くことで意味が与えられる。人間が自然に意味を与えるのであり自然が主格となり意味を与えることはないのだ。主格は常に人間なのである。どんな奥地でも人間からの便りがあればそこは生きた場所となる。


10月6日

桜井の古墳に秋の日ざしかな地域の実りここにありしも

原町の桜井古墳は東北で四、五番目くらいに大きいからそれなりの地方の国があった。それなりの実りがあった。大きな古墳はやはり古代の勢力図なのである。奈良に一番多いのはそのためである。

詳しくは相馬郡の部へ

10月5日

山陰に今年も咲きぬ桔梗かな墓の静かに誰か参るべし

墓に興味があるのは墓が人間最後の場だからである。そこに人間の一生の思いが宿っているともいえる。人間死んだらその人を偲ぶのはその残したものとか書いたものとかしかないからだ。有名人でない限りそうしたものはなかなか残らない、墓の魅力はそこが人間最後の場になっているからだ。

カレンダ−式でまえに何カ月毎日一句一首やっていたがあれはめんどうで失敗だった。ラインが別なものが入ったりしておかしくなっている。あれを直してもう一度作り直して自分で読んでみよう。このホームページはあとから直したり付け加えたりと作者にとっては便利なものなのだ。自分が個人がこれだけ自由に制限なく表現できることは作者にとってはメリットが大きい。しかし読まれるかとなるとこれは大変である。自分だけが読んでいるホームページとなりかねないのだ。つまりこのホームページは読まれるには誰かのホームページを読んで相互にアクセスされるらうにしないと読まれないような仕組みになっている。自分の場合それをしていないからアクセスがふえないのだ。まあ読まれなくても記録として残るからあとでふりかえるのにも便利である。


10月4日

石により今日も静かに秋の薔薇

I look on the rose
by the stone
in autumn today again
the silence!

10月3日

飾らずに石の二つや堅実な暮らしの良きも秋の日さしぬ


時事問題11に書いたけどブランド欲しくて通り魔になるというのは考えられない、それも女性なのだから。これは異常な人なのか、それでもバブル時代の人は浮かれて生活したから堅実さにかける。すべてではないにしろ水商売のようなものをしていると堅実に真面目に生活できなくなるというのが怖い。水商売というのを差別しているのではなくあまりにも簡単に金が入るような仕事をしているとこつこつ真面目に働くのは馬鹿らしくなる。一面それは怖いことである。その怖さが極端にでたのがこの事件だった。そういう世代は問題をおこしやすいことは確かである。欲望は常に制御されねばならぬものなのだ。そういう訓練を受けていない世代は非常に危険なものになる。自分の欲望が充たされないと短絡的に犯罪に走ることにもなるのだ。これからはどうしても堅実な世界になりバブルのような高度成長はもどってこないのだ。そういう自覚が欠けているしバブルを夢見る人がまだいるのかもしれない、それはもうないと自覚するべきである。

文学にしても賞をもらうために賞をもらって浮かれているようなものはいいものは書けないのだ。マスコミのコマ−シャル用に使われるのだ。出版社とかマスコミにはそうしたもので売り出し騒いで視聴率稼いだりもうけるためにやっているのだ。だからインターネットの方に真実がある時代でもある。マスコミも独占でありバブルだったのだ。このマスコミの華やかな独占の時代もインターネットで終わりとなる。

時事問題11(大きい世代間の落差)


10月2日

稚内へ道の遠しも雨ぬれてハクサンチドリ見つつ休みぬ

旅は体にもその記憶が残っているとき本当に旅したことになる。
自転車で行った稚内までは遠かった。その遠さがやはり旅なのだ。例えばアメリカを汽車で旅したがあんなに広い国でも何日も汽車に乗りどおしでも広さはわからなかった。どれだけ広い国なのか実感としてえられなかった。これが自転車で横断したらその広さにあきれるだろう。汽車ではその広さはわからなかった。
この短歌は休んで走り休んでは走りしていたからハクサンチドリの花が途中かなり咲いていてそれが記憶に残ったのだ。ハクサンチドリは高原に咲くものであるがこの北の果てでは平地にたくさん咲いていた。何かしら記憶に残っていればその旅は何かしらの意味を持つものだったことはいえる。たいがい忘れることが多いからだ。忘れないような旅をするには自転車のように大地を体でトレ−スしないとだめである。旅は距離に換算すると100キロだったら一時間、二時間、三時間、・・・・と時間をかけたほうが印象深くなる。


10月1日

秋風や縮小したる店一つ

秋風や廃線をたどる旅の人



仙台のロイコスが縮小するためか品物を売り出して整理していた。仙台の駅前に大型店の電器店二つは共存しない、ヨドバシカメラがこれからは一人じめになるのか、秋風が吹いて店も縮小だ。日本の景気もそんなにもとのようにはよくならない、やはり日本の適正規模がありそれににあうのがいいのだ。品質の良いのは不景気の時代にも売れている。いいものはいつの時代も高くても売れるのだ。縮小しても質を高めることで商売になる。大量生産の時代は終わったのだ。それにしても2ちゃんねるにでていたヨドバシカメラが笑い顔がたりないと派遣社員に暴力ふるって訴えられたのは驚いた。あの笑い顔の裏にはそんなことがあったのかと思った。ロイコスとヨドバシで接客態度が違う、ヨドバシは積極的でありロイコスは普通でありロイコスはだめになった。これでヨドバシは仙台では独占だ。

北海道の稚内まで自転車で行ったとき廃線があった。廃線に心ひかれるのもわかる。ロイコスで廃線をテ−マにしたCD-ROMを買った。半額だから安かった。まあ、なんか今年は秋風が早くから身に沁みる。秋が深まるのが早いような気がする。