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2004-1月小林勇一作

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江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) 2004-1-30

日本詩歌紀行地図に「松江と常夜灯」アップ2004江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) 2004-1-30

秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)





1月31日


昔よりここにありにし柿の木を我は知りにき冬深まりぬ

柿の木一本だけがこの辺で残った昔の名残だ。この辺は住宅地になって余りにも変わりすぎた。住所まで変わるらしい。町全体でも変わった。世の中とはこのように変わる。江戸も東京都なり凄まじい変遷を経た。昔の人がもし生き返って見たら自分が住んだ所とは思えない、まるで別世界に来た感じになる。江戸時代は火事でくるしんだ。火事のない日はなかった。おそらく毎日のように火事騒ぎがったのか、ちょうど毎日交通事故がない日がないと同じだ。今は火事の代わりに交通事故で苦しんでいる。人間はこの世は一難去ってまた一難である。時代もそうである。火事という災難はなくなったが交通事故という災難に苦しんでいる。江戸時代もいろいろ苦しいことがあったが明治以降も同じである。かえって戦争という大災害で大変な苦しみにあった。300万人も死ぬなんて江戸時代や戦国時代すらない、ある意味で明治からは大災難の時代だったのだ。世界がグロ-バル化したことそれが大災難の時代でもあったのだ。

新聞の切り抜き集め小説を読む老人や冬深まりぬ

これは今までしてきたことである。こうした日常は過去のものになる。新聞は存続するかどうかわからない、コストがかかりすぎるし紙の無駄でもある。本なんかも常に半分が返品だとかで膨大な資源の無駄をしているのだ。新聞とか本は今の時代、無駄が多すぎる。毎日簡単にインタ-ネットで書いたり送れたりするのとは全然違う。その差が大きすぎるのだ。電子化がさらに進めば新聞とか本とかはなくなる可能性がある。これだけ簡単に発信できるのに余りにも資源や人手をかけすぎるからだ。ただ老人にとっては新聞は欠かせない、新聞を毎日丁寧に一日かかりで読んでいるのだ。

1月30日



冬深む 隣に親し 老の友

冬木立 社一つを 守るかな


ここ3カ月ほとんど町から出なかった。隣の市には行ったが他は行っていない、それでもこうして毎日俳句書いていることも不思議だ。ネタ切れになるはずだからである。ただ田舎というのは事物が存在感があり生きているのだ。一本の枯木でもそれが何か身近に見ていると存在感がある。昨日の俳句であるが

一本の枯木が真直ぐにここに暮る

これも俳句になるかわからないものだがそれは前からそこにあった木であるがここに一本枯木がある、真っ直ぐ立っている、そしてここに今日も暮れてゆく、ただそれだけのことだがこの枯木が存在しているということをあらためて確認したのである。都会だとビルと人ごみと騒音の中で存在が希薄になる。田舎では一本の木でも存在感あるしそれに気づかないこともある。
存在というのはそこに長くいて感じることが多い。遺跡でもそこに長くいるとその存在感が体と一体になるように重みを増してくる。時間の中で存在感がでてくるのだ。時間の中で存在を感じることがある。時間が大きな要素となる。自然のものは時間の中で存在感をましてくる。古代の遺跡なんかも石で朽ちないから時間の中で存在感をましてくる。ちょっと旅行しただけでは外国がわからないのはそのためである。時間の中でその存在を心に映し成長さすことができないからである。歴史の中で長い時間の中で残されたものはそれなりの存在感を持つのだ。ヨ-ロッパは石の文化だからそういうものが多いのだ。
まあ、老人は田舎の方がすみやすい、田舎に帰りたいという老人もいる。都会では老人は存在感を持てない、存在感はまた自然の中で持たされるからである。自然がない所では存在感を持たされないからみじめなのだ。



1月29日


寒烏何を食うてや今日も暮る(自作)

時事問題13に高等遊民とかフリ-タ-のことを書いたが自然界というのも実際不思議である。鳥というのは一体何を食って毎日生きているのか不思議である。これは人間もそうなのだ。これだけの人間が何を生業として生きているのか不思議である。それでも人間は江戸時代とは違う、様々に生きる方法がある。アルジェリアまで行って石油の仕事している人も田舎では考えられないし今の時代外国で稼いでいる人も多い。いろんな職がありそれなりに生活している。
これが江戸時代だとかなり違っていただろう。高等遊民という言葉は漱石が言った言葉だがこれは極々限られた人であった。江戸時代は高等遊民になるのは厳しい。それが一茶の句でわかる。

年の市何しに出たと人のいふ(浅草市にゆく)

一茶は常に働かない自分を責めているしまた責められる社会だったのだ。そうした余裕を許す社会ではなかった。今だったら別に働かなくても無職でも年の市に行こうがデパ-トに行こうが誰も責めないし何も買わなくても見物して帰ってもそんなことに自責の念を感じる人もいない、都会ではそんな人いくらでもいる。ただ田舎だと目立つことは確かでも退職した人などが今では田舎では多い、それらの人も年金暮らしで働いていないのだ。江戸時代では一茶のような俳諧に身を費やしているような人は相当いずらかったからあういう句をたくさん書いた。

穀潰し(ごくつぶし)桜の下に暮らしけり

江戸時代の田舎では汗水垂らして働いていた農民が多いのである。ぶらぶらししているだけで目立った。今の田舎は違う、いつも田んぼや畑で働いている人など見かけない、たまにトラクタ-で土を起こしたり田植えの時期などは人が目立つ、でも日頃田や畑に人は余りみかけないのだ。ではどこに働いているのかというと農家の人でも公務員になどなっている人が多いのだ。だから農家でも一人一台車をもっているのだ。専業農家は非常に少ない、公共事業にしても自分の家の前の川にかけた橋は車の通る道より歩道の方が広いすごく立派な橋だけどこれもあんな立派な橋が必要かと言ったら必要でなかった。歩道にしたってあそこを歩く人は日に何人しか歩かない、そんな金をかけてなぜ作ったかというと必要からではない、土建業者のために仕事を与えたのである。それから野球場も作った。これもあんなもの必要なのかといったら必要ではない、たまにしか使わないからだ。今作っている会館みたいなものもここでそんなに催しものがやるわけではないから必ずしも必要なものでもない、実際こういう公共事業が全国に行われた。それは地元の人のためというより土建業者のためであり仕事を与えるためである。地元の人が多少は必要でも切実に必要なものではなかった。切実に必要な福祉施設など後回しになっているのだ。芭蕉、一茶、蕪村はやはり江戸時代を象徴した三人だった。芭蕉は旅であり、一茶は江戸時代のはぐれもの、蕪村は俳句を絵にした独自の美学を持った、それぞれの個性が光っている。江戸時代には他にも漢詩などいろいろ興隆したものかあったのだ。それを調べると当時のことが浮かんでくる。

いづれにしろ江戸時代も人の見方によって変わってくる。貧しい時代であったことは確かである。でも飢饉が度々あったというのは違っていたとか研究する人もいる。江戸時代でも飢饉はめったになかった。飢饉は天候の不順によってなるがその天候の不順はめったにおこらない、冷害でもそんなに起こらない、水不足もそんなに起こらない、飢饉はめったになかった。飢饉はむしろ人災の結果の方が多い。それを証明しているのがアフリカであれ政治的混乱からあれほど悲惨な結果になっている。子供まで戦争にかりだされている。内戦がなかったときみんな一応それなりに生活ができていたのだ。北朝鮮も政治的な問題で飢饉になっているのであり人災であって政治が良くなれば飢饉など今ではすぐ解消するのである。人間にとって政治的混乱がいかに怖いものかこれが実証している。中国でも戦争の繰り返しだからその時飢饉が発生したのでありどこの国でもそんなに度々飢饉はないのである


参考-時事問題13(モラトリアムの時代)


1月28日


書百巻 五十路の我や 冬籠もる

一本の枯木の直にここに暮る

墓一つ何を語るや冬菜かな

書百巻とか千巻を集める時代は終わった。集めて限度がある。インタ-ネットの時代は本を集めることではない、編集とか引用とかつまりリンクが大事になる。知的環境が変わってしまったのだ。図書館は過去の書物を保管し保存するにはいいが利用するには不便なのだ。電子化した方が知的作業には効率的である。インタ-ネットとオンラインの方がソフトでもなんでも使いやすくなる。常に変えたり追加が容易だからだ。本は固定して変えられない、そして本はそんなに出せない、ところが今日の一句一首のようにインタ-ネットは毎日の変化を書いてゆく、ジャ-ナル、日々の日誌がベ-スなのだ。だから本の発行スタイルでは間に合わない、表現は極度に限られることになる。今回はインホ-シ-クの翻訳があったので英語で試したみたらあれ結構うまく訳しているな、俺より英語力あることに驚いた。これをベ-スに英語の翻訳できるかなとも思った、英語のホ-ムペ-ジも訳しているが結構訳しているからだいたいわかるみたいだ。これは前はソフトでやっていたらしいがこうして今やオンライン化した方がいい、なぜなら常にソフトは改良しているからこうした辞書みたいなものは毎日付け加えることがあるしその情報量も膨大である。だからオンラインの方がいい、そして月いくらとか定額ではらい読むのである。本にしたってあることを調べるのに安くなっても買い切れないのだ。だから本をデ-タ-ベ-ス化して何百冊の本の中から必要な情報を探し出すとしたら定額制が便利である。新聞のようにデ-タ-ベ-スとして利用するのである。この翻訳を使って俳句なども英語に訳すことができるかもしれない、ただそのままではなく英語的文章にして日本語入れる必要がある。つくづく人間の能力は極めて限られたものだがこうしたものがパソコンにオンライン化されると能力がアップする。英語が日常的に利用できるようになるかもしれない、中国語でも翻訳があるからこれもへたに中国語など学ぶよりいい、ここからも情報が入る。前は7千円とかで翻訳ソフトを買ったりいろいろやてみたがソフトはせいぜい使うのが5つくらいである。あとは使えない、ただオンラインなら使える、常に改良しているからいいのだ。

ここに出した文を翻訳にだしてみた。これは結構使える。これまでの俳句などもこの翻訳で英語化して英語の簡単なホ-ムペ-ジも作れるかもしれない、楽しみだ。


人間にはこうした精神的に安らげる一室が必要だ。それはあまり明るい部屋ではだめである。茶室のような閉ざされた部屋である。そこで意外と想像力が刺激されるからアイデアが湧いてくる。何か思いつき書くのにはむいている。

Such 1 room which can feel at ease mentally is required for man. It is useless in the not much bright room. It is a shut room like a tearoom. Then, since imaginative power is stimulated as it is unexpected, an idea springs. It is turning to thinking of some and writing.

この家は30年くらいたつが丈夫な家である。柱も特別太い柱で頑丈である。見栄えはよくないが頑丈なのである。昔の家は大黒柱があるように頑丈に作った。今の家は見栄えはいいのだが柱も細く長く持たない、家はなかなか作れないから三代くらいもたないと損する


This house is a strong house although about 30 year passes. A pillar is also strong with an extraordinarily thick pillar. Although appearance is not good, it is strong. The old house was strongly made, as there was a mainstay. Although the appearance of the present house is good, the house which does not have a pillar for a long time thinly, either will be lost, if it does not have about three generation, since it cannot make easily.

鴨の仲間が五六羽、静かな冬の池にいる。隠された沼にいる。そのくらいが落ち着いていい、人がつきあいる仲間も五六人である。そのくらいでグル-プを作り研鑽する仲間を持つのがいい、鴨というのは本当に冬にふさわしい鳥である。

The friend of a duck is in 56 birds and the quiet pond of winter. It is in the hidden swamp. Those the extent may settle down associate and る仲間 is also 56 persons. It is the bird suitable in winter which it is about it, and having the friend who makes and studies a group says, and is called duck truly.

インフォシーク マルチ翻訳
http://www.infoseek.co.jp/Honyaku?pg=honyaku_top.html


1月27日


寒月や 今日も人来じ 門鎖す

十把ほど 鴨寄り合うや 夕日かな

半年ほど遠くい出ざる山中に 埋もる城跡冬深まりぬ


門を鎖そうとしたら寒月が冴えて光っている。私は十何年まともに人と会っていない、確かに家には人は来ているが私にはこない、人を拒絶するように寒月が光っている。人と会わないことは仙人のように心すむことである。会うべき人はあまりに少ない、今のような情報化の時代、人に会わなくても知識がえられる。昔は人に会わない限り知識が得られなかったのだ。今でも人と会う価値は大きいがその価値が少なくなったのは情報が今やネットなどでいながらにして得られるからである。今は江戸のことを調べている。私がいくら本があるからといったってそれはわずかである。ネットでは断片的でもそれなりに求める知識が集まるのだ。電子本でも本は買える。それで仙台にすらここ三カ月も行っていない、買い物がないからである。
会津とか山に鎖されたところは情報的には遅れる。だから会津は固陋な保守となって世界の動きがわからなかった。薩摩とか長州は海外と通じて海外のことを知っていたのである。地理的なことで遅れをとったのである。これは地理的なことだからどうにもならなかったのだ。山中に埋もれしてしまった城跡と同じであった。まだここでは雪は降っていない、雪はここでは遠く見にいかないと見れない、ほとんど積もることはないし降らないのである。


1月26日

橋に出会う人の熱気や江戸の春

両国に 千両の商い 江戸の春

江戸の春 侍行くや 国はどこ

艶やかに 着物流して 江戸の春



両国橋の名の由来は武蔵と下総の両国を結んだ意による。江戸時代の国境は今の国境のような重要な意味をもっていた。何故なら国を出るためには手形が必要だし関所を出るとなると別な国に行くと同じである。今で言えば外国に行くような気分だった。この感覚がわからないのだ。この両国橋はかなり大きなものだった。浮世絵を見ればわかる。その賑わいも相当なものだった。川は船で満ちているしどこの国か遠くから来た侍が今江戸にようやくついたなと感慨深げに橋の袂に立っている。つまり江戸に来たということは全然今の感覚とは違う。これだけの賑わいはどこにもなかったからだ。この両国橋から神田川に入ると柳橋とか三右衛門と名がついた橋がある。こうした小さい橋にもいわれがある。「三右衛門の長屋にいたお松が亡くなった」とありこれは長屋の大家の名であろう。大家は当時大きな役目をになっていたからだ。それで橋の名にもなった。ここを通って三右衛門の長屋があったのだ。ともかく東京にもいろいろ歴史があるが何回行っても歴史を感じたことがないのだ。ただビルだけを見てきたからである。だから昔にかえって昔を思い浮かべるバ-チャルの旅の方が江戸を偲ぶことができる。今の東京はつまらないのだ。昔を思い浮かべるものがないからだ。当時の江戸がいかに活気ある場所だったか想像してみるといい、表情からして江戸ッ子と田舎の人間はすぐわかった。江戸っ子はこうした活気の中でイキがいいのである。目もぱっちり歌舞伎役者のようにぱっちり開いているし着物の女性もいかにも都会的な感覚なのだ。田舎の人間とは全然違っていたのだ。歌舞伎役者でもなんであんな大見得とかするのか、人間の動作が大きい、人間が大きく浮かび上がっている。あんな動作をすること自体今ではない、大きな振る舞いをする人間がいたからではないか、ビルとか自動車の中で追われるような人間ではなかった。現代の東京ではこうした見分けがつかないのだ。都会にはもはや人間が欠落しているからだ。自動車とビルの間で人間は閉塞して浮かび上がらないのだ。江戸の人間のほうが生き生きしていたのだ。

柳橋
http://homepage1.nifty.com/yanaken/kandagawa/bridges/yanagibashi.htm

両国には日に三千両ものお金が落ちると言われております。
朝は青物市場が開催されまして、市場でまず千両。
昼には橋のたもとにある広小路にある見せ物芝居小屋などで千両。
よりには納涼船で千両。


1月23日

北風や買い物遠し自転車で

ス-パ-まで今日は寒く、風が強いので自転車だと遠く感じる。
北風とか雪とかそういう天候が昔の生活ではかなり影響しただろう。そうした天候のなかでも生活があった。そこに人間が強くかえってでてくる。自然の力を克服していったのだがそれが逆に人間的なものを喪失したのである。




1月22日


故郷の墓所の隣の冬菜かな

北風にバス停一つ誰か乗る


故郷の墓所の脇に冬菜が植えられている。誰か墓を守らねばならぬ。墓と冬菜はにあっている。粗末なもの、誠実なものが墓を守る。長男は墓を守ることが勤めであった。故郷に残るものは普通長男であり長男には長男の勤めがあり土地まで平等に財産分与の対象にするのはそうしたそれぞれの勤めを壊すから家庭が乱れ国も乱れたのだ。夫婦別姓になったりしたら個人墓になりそれこそ墓ばかりふえてゆく、無縁墓がふえて困っているのだ。墓は捨てるわけにいかないから墓はふえてゆく、むしろ墓を大きな一族の墓とか村の墓にしてしまいばそのあともお参りする人があるからかえっていいのである。お参りする人がなくなったら墓も淋しいからだ。
伝統を簡単に破壊するとそのあと必ず乱れる。それに代わるものが根付くまで時間がかかるのだ。そもそも伝統が千年とか長い時間で作られてきたからである。それを壊したら次に代わるものが根付くまで時間がかかるからその間乱れて終始がつかなくなる。家とは古いものだ、夫婦は男女は平等だとか言うのはいいがそういう土壌が日本にあるか、個人主義があったかというとないから簡単にはいかないのである。日本の問題自体余りにも急速に伝統的社会を欧米型に変えてしまったことにより乱れてしまったのだ。だから民主主義自体何かを理解しないし根付かないのである。



1月21日


別れ道碑の小さく冬の暮


1月19日

一本の枯木の立ちて故郷に謂われを伝え社の古りぬ


1月17日

冬の燈や昔の道の行き帰り

昔の道行く人一人池凍る


堤の池が凍ってしまった。厚くはないがここでは凍ることはあまりないがこの頃寒いので凍った。雪もまだ降っていない、ここで降るのは2月である。昔の道はやはり通うにはいい、原町までは自転車で一時間もかからないし楽だ。相馬になると遠いが一週間に一回くらいは行っている。買い物がここだけでは無理だ。買い物は実際に現物を見ないとまずい場合がある。パソコン関係はどういうものかわかったので通信販売でもいい、本なんか意外と見ないとわからない、調べるために本を通信販売で買ったがこれが自分の期待したものとは全然違っていた。内容がわからず買ったので失敗だった。本はやはり立ち読みできないとだめだ。仙台はまた遠いから買い物には向いていない、東京もさらに買い物に向いていていない、時間がなくてゆっくり見れないから損な買い物をするのだ。今日は比較的あたたかったからよかった。まあ、田舎でも今はそんなに不便ではない、前は本を買いに仙台に一週間に一度は行っていた。今は行くのが億劫になったから2、3ケ月も行かないようになってしまった。インタ-ネットがあるからそれで補っている。


1月16日

我が一室今日も静かに冬籠もる

I am taking rest
at my calm settled room
which closed today too
all day long in winter



部屋が三つくらいがあるがその一室は窓は一つくらいで閉ざされている。
かなり狭くもある。そこは書斎だから揺り椅子に座りながら時々何気なく本を手にとってはぱらぱらと読む、読むとも無しに読む。それが意外と頭に入る。本を全部を意気込んで読むというのはかえって読めない、どうも知的活動には普通の仕事とと違い怠惰なことも要求される。わがままなことが要求されている。相当自分はわがままだから常に創作のアイデアが湧くのだ。
何もしない瞑想にふける空間と時間である。そういう離れの一室が必要だ。冬は外界から閉ざされ冬籠もる。そして過去を思い出したり忘却する。忘却の時間でもある。自己を忘れることも精神健康上いい、自己を絶えず意識することこれが不幸の要因である。一瞬たりとも自己、自我から離れられないのだ。自我から解放されないのだ。それはエゴでもある。欲でもある。そこに不幸の最大の要因がある。自己とか自我から解脱するとき心は安らかになる。

人間にはこうした精神的に安らげる一室が必要だ。それはあまり明るい部屋ではだめである。茶室のような閉ざされた部屋である。そこで意外と想像力が刺激されるからアイデアが湧いてくる。何か思いつき書くのにはむいている。こういう一室を持たなかったら知的活動はできないだろう。ただ自分の回りの環境はよくない、この一室は自動車の騒音が比較的さえぎられているからいい。自動車の騒音は前はなかった。家が建っていてさえぎられていたのだ。それがなくなったので自動車の音がもろにひびくようになったのだ。ほとんどここ一カ月動かず我が一室にこもりきりである。こうした何もわずらいがなく時が過ぎてゆくのは幸福である。人はたとえ山の中にこもって何かにわずらわされている。これは間違いない、一人すもうがそうである。町の中でも静かで人にわずらわされず生きて行ければいい。人間の永遠の安住の地などどこにもない、この世は火宅の世である。何もわずらわいがないときそれが幸福だ。また必ずわずらいがやってくる。それは山の中に隠れてもそうである。必ず何かわずらうものができてくる、それが人間なのだ。宗教団体などに入りわずらいを逃れるようとするのも無駄である。そこにいい人ばかりではない、そこもまたさらなる患いの場所でありある意味で牢獄に自ら入るようなものである。この世にどこにも安らぎの場所などない。人間ほとんどが自我やエゴをかかえているから他人に安らぎを求めること自体無駄である。一番の災いは自分の自我にありエゴにありこれから逃れられない限り、解脱しないかぎり
安らぎはないのだ。


1月15日

冬深む定められたる主の座

the position of host in stability
in the latest winter
(in the depth of winter)
坐る場所がきちんと定められていて、足載せのある一番暖かいところが主人の座。

その隣が長男。

煙が流れてくるところには次男、三男。煙いのを辛抱して暮らさせ、辛抱強い性格にするためだそうだ。将来、うちを出て、暮らしていかなければならないから

http://www2.ocn.ne.jp/~khongo/03_04_08_3.htm

ここに囲炉裏を囲んでちゃんと座る場所がそれぞれ決まっていた。主の隣が長男で次男三男から嫁、姑の座と決まっていた。これが封建的だとか古いしきたりだとか言われるかもしれないが人間はやはり定められた運命がある。古来、長子権はないがしろにできないものであった。それは世界中で同じだからある意味で神によって決められたものなのだ。長子権をないがしろにすることは許されることではなかった。これもすべてではないがそういう習慣は人類の長い歴史の中で決められた知恵でありこういうものをかって変えると家庭も世も乱れるのである。
戦後確かに財産権が兄弟平等に分割されるようになったがそれで農業するための土地が売られたりと不都合になった。長子はやはりその家を背負って立つ責任あるものだから大事にされる。一見合理的でない、不平等に見えるものでもそれなりの長い時間の中で作られた知恵があったのだ。

ただそもそも兄弟は必ず問題がおきる。人類の最初の人殺しが兄弟の争いだったことでもわかる。カインはアベルを妬み殺したのだ。兄弟は財産争いでも争いの元となる。ただ長子権を変えることは変えて家庭の崩壊とか伝統の崩壊とか家の継承が絶たれるとか問題がでてくる。まあ、現代ではかつての家そのものが崩壊している。アメリカのように個人レベルの世界になり家という存在感は希薄である。ただ人間には確かに定められた運命がある。これは変えられないように思う。次男三男は確かに不満かもしれないがそれをバネとして生きるのも運命である。では長男はすべていいかというとそうでもない、親の老後の世話とかいろいろ責任を持たされるから大事にされたのである。農業というのが三代つづいて初めて仕事になるとか言われるから継承が大事になるからそういうシキタリが生まれたのだ。確かに伝統を否定するのもいいがそれに変わるものがうまく機能しているかというとしていない、それが家の乱れとなり世の乱れとなっているのが現代なのだ。だから古いものの良さも見直す必要があるのだ。

インタ-ネットは民俗学の研究に意外と役立つ、地方地方にある伝統的なものが語られるからだ。今回英語が浮かんできて英語にした。実際これだけ短いものの真意が伝えられるか疑問である。表現も適切ではない、「冬深む」という季語がよくわからない、やはり俳句は季語の比重が大きいのだ。季語なくして俳句はありえない、これは日本の伝統芸術だから英語にしては通じないだろう。



1月14日


揺り椅子に今日も揺られて冬ごもり

渡し場となつかし跡や虫の声


今日も閉じ籠もりきりだ。ちょっと買いものに出かけたが風が強い。自転車は風に弱い。
毎日いろいろ昔のことや旅のことを思い出す日々である。時事問題で書いたが昔の時間はゆっくりと流れていた。それで昔の小説が面白いことを発見した。そこには昔の風物やら昔の生活が語られているから昔の生活の記録になっている。小説は苦手だからほとんど読んでいなかったがインタ-ネットで調べるとついでに必ず今や電子化された小説がでてくるから読むのである。これもインタ-ネットで読書そのものが変わってしまったことを経験しているのだ。ついでにあるペ-ジを読むのである。

北上川にそい自転車で行ったときその岸辺に正岡子規がここから旅したという渡し場がしあった。かなり上流でありああ、なるほどここから船で下って行ったのかと思った。それは秋の暮だった。渡し場であれ停車場であれそれらがなつかしくなるのはそこが人間的なリズムで暮らしていたときの跡であり名残だからである。自動車とか電車とか機械が行き来していたのではない、人間が行き来していたからなつかしいとなる。自分の場合思い出すことはいくらでもある。


時事問題の深層13へ(昔の生活)

1月13日


また一冊手にとる書物冬籠もる

冬はやはり読書にむいているのか、家にこもりきりになってしまった。書物は山ほどあるからこれ以上買っても読むことがむずかしい。インタ-ネットでも情報はそれなりに入る。もう情報を取り入れるにも限度がある。今まで読んだものを読み返した方が味わい深いものとなる。そもそも人間読める量は限られている。限られているからこれからは広くではなく深く読むことだろう。誰か書いていたが古い知識に新しい知識を結びつける方法が記憶を定着させるという。なるほどなと思った。英語の単語でも一度覚えた単語を基にしてそれに新しい単語を結びつけ覚える。そういう方法しか今や覚えることはない、新しいことは覚えられなくなるのだ。人間は知識でも結局限られた中でしか身につかない、確かに若いときは広く浅くだがあとは狭く深くやるほかないのだ。本屋に行かなくてもインタ-ネット内の情報だけでもそこからだけの情報でも多くなっている。あらゆる情報を取り入れることは不可能である。インタ-ネットだけでは偏ったり軽薄になるかもしれないがそれでもそれなりにたりる世界だからその中で情報を取り入れて自分なりに消化するほかない。本を一冊読むことはかなり疲れる。今まであるものを読み返すだけで大変である。本の内容を解説したり批評したりするのがいいようである。実際本というのは読みこなすことが大変なのだ。読んでいても読んでいないのだ。結構赤線で記しつけているのだがこんなとこ読んでいたのかとなる。能力のないせいもあるが人間読める量は限られていることは確かである。


1月12日

一時の荒ぶる声に火伏かな正月つづく田舎の町に

昨日は火伏せだった。家々に若者が裸で歩き水をかける。今日は神社の祭り囃子が早朝から回った。正月にも祭りがあるから正月がまだつづいているのか、祭りが昔は盛大にあったから季節も感じた。今は暴走族のように若者も祭りでエネルギ-を発散させないからうっぷんがたまるともいえる。祭りというのも村にとっては必要なものだった。今祭りは村の生活とは結びついていていない、形式的な文化財の保護となるとその祭りも死んでいるから活気がなくなる。やはり現実生活と結びついてすべては生きてくるのだ。

1月11日

北風や我に受け継ぐ家のあり


この家は30年くらいたつが丈夫な家である。柱も特別太い柱で頑丈である。見栄えはよくないが頑丈なのである。昔の家は大黒柱があるように頑丈に作った。今の家は見栄えはいいのだが柱も細く長く持たない、家はなかなか作れないから三代くらいもたないと損する。今は30年ももたないくらいの家なのだ。家はしかし環境もよくないとだめだ。見晴らしがいいとか騒音がないとかも左右されるからむずかしい。ここは環境が変わり騒音とかその他見晴らしもなくなりそれがいやだ。でも家は簡単に移るわけにはいかない。今日は北風が強く吹いて家をゆすっている。受け継ぐ家のあるのは幸福であろう。文学者が商家の何代目かに出るのもそこに財産が蓄えられ余裕ができるからそういう人が出やすい。知的仕事は環境に左右されやすい。なかなか仕事の関係で自分の才能を伸ばせない人はかなりいる。自然を観る余裕が得られないのだ。才能があるなしではなくそういう環境がかなり左右している。
誰でも一つのテ-マで研究すればそれには詳しくなる。これは天才でなくても積み重ねだからできるのだ。どんな天才だったすべてに詳しくなれない、その一つのことに詳しくなること自体、大変な労力か必要になるのだ。だからあらゆることに詳しい人はいないのだ。誰でも何か祖先から受け継ぐべきものをもっている。家だけでなくその土地でもまた国でもそうである。そういうものがあることは幸福である。



1月10日

古時計一つ書斎に冬籠もる

トタン屋根の家にヒュ-ヒュ-風がうなり
すきま風がはいりこむ
古い家の柱にいつも柱時計がかかっていた
柱時計は黙々と静かに時をきざんでいた
中の機械が見えて調子悪くなると油をさしたり
布団にくるまって寝た
その古時計は新しいのに変えることはなかった
それはいつも家の真ん中の柱にあった
柱時計はそこにいつも家族の一員のようにあった
今その柱時計を模したものを書斎にかけて
一人暖をとり昔を思い出して冬ごもり
子供のときも青春もたちまち過ぎ去った
ただ思い出にふけるだけになったのか
古時計は古い友人のようにそこにあった
物にもこんなに存在感があった
それはすぐに取り変えられずいつでもあったからか
今はなんでも簡単に取り替えられる
人間すら取り替えられて新しいものにされ
リストラされて捨てられる
やはりいつまでも取り替えられずいつもあるもの
それにも価値があるのだ


昔の家は雨漏りとか隙間風が入るトタン屋根のヤハな家だった。
そういう家でも何かなつかしくなる。しかしそれもあまりに遠くなった。
今や古いものがなつかしいというか、過去への思いが強くなる。それはまた昔の歴史を見直すことにもなる。それで書いたのが時事問題の「虞美人草を読み昔の産物をふりかえる」であった。明治時代の光景は今からすると江戸時代の延長でもあり近代化の最初の風景でもあり何か魅力あるのだ。今や何か失ったものを切に求める時代になった。過去への情熱の方が強くなった。
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1月9日

冬の雲四五片動かず祠かな

母すすむ梅の古酒かな冬の暮

ここ二三カ月仙台にもどこにも遠くはでていない、こもりきりだ。出無精になってしまった。旅を思い出しているのが冬にはいい、でも運動不足になる。
冬の雲と同じだ。祠は日本の象徴だ。小さな村で祠を中心にして助け合い生きてきたのが日本人だ。そこに交流ないと冬の雲のように停滞する。確かに海に面しているのだが東北は瀬戸内海とか南の海と違って商業の港ではない、漁業の港なのだ。

酒はずっと飲んでいなかったが梅酒を少し飲むようになった。梅酒は食欲を増進させるからいいみたいだ。自分の家で作って古くなった梅酒があった。これを飲む。
梅酒は今いいのが売っている。ただ調味料など入らない純粋の梅酒がいい、まだまだ冬は長い、ここは雪は降らないので自転車で買い物に行くのにも不便はない、ちょっと遠出もできるからいい、雪になると自転車でも行けなくなる。



1月8日

寒鳥の今日も来るかな我が庭に

無線塔形見と残る冬の雲



ヒヨドリが餌を探して今日も我が庭にきた。いかにも寒そうである。今日は特に寒い、北風がうなっている。北朝鮮も窮鳥であり寒鳥である。餌を見つけに苦しいから来る、日本に助けてもらいたいから来るのだ。雀には飯をやっているがヒヨドリは何の実を探しにきているのか、実のようなものがない庭である。

無線塔は原町にあり東洋一と言われ関東大地震のときアメリカにいち早く無線をしたことで知られている。しかし今は形見となって模型が残っているだけだ。もう用なしでありあまり誰も注目しない、でも語りつがれることはある。


1月7日

小さなる城の二つや石垣の残り知らじな冬の暮かな


城というのは小さな城をふくめると各地にかなり残っている。丸森にあった城は知らなかった。城主が伊達と相馬に交互に変わった。丸森は伊達と相馬の境界だった。丸森は他にも夫婦岩があるのもわからなかった。何回か行っていてもわからないことがある。というより調べようがないのだ。地元に旅行に行っても図書館に行って調べる時間がないし旅行してその土地でだしている本など買ったがこれもあとであまり役だっていない、調べるとき調べないとわからなくなる。地域の情報はだからわかりにくかったのだ。でも旅してもこの地域の歴史がわかるとわからないでは全然違う。芭蕉の旅自体、歌枕を訪ねた旅のようにすでに故人が訪ねた所を訪ねたのだ。いわれを知って訪ねたのだ。大原に行って大原のことを日本人は一応知っている。外国人がきてではそこの由来がわからなかったらなんの印象もない、ただ京都の田舎に来たなで終わってしまう。実際外国ではこういうことが多かった。だからいいものが書けないのだ。


1月6日


池一つ五六羽の鴨の仲間かな

鴨の仲間が五六羽、静かな冬の池にいる。隠された沼にいる。そのくらいが落ち着いていい、人がつきあいる仲間も五六人である。そのくらいでグル-プを作り研鑽する仲間を持つのがいい、鴨というのは本当に冬にふさわしい鳥である。オシドリ夫婦とういう意味もわかる。鴨は冬の鳥であり老人にふさわしい、おそらく余り飛ばずに沼とか池に静かにうかんでいるからかもしれない、しっとりとして落ち着いた鳥に見える。自然は年によってかなり見方が変わってくる。鴨にはあんまり注意を払わなかった。しかしよくよくみると冬にふさわしい鳥だと思った。ここには自然の沼はない、会津のように自然の沼のある所はそこを毎日訪ねれば季節によって変わる楽しみがある。沼一つあるだけで自然的にはそこの生活に彩をそえ豊かになる。毎日観察できることは実に恵まれたことなのだ。田島の針生部落にはあった。
あそこの沼はそれなりの大きさでいい沼だった。あそこは余り注目されていないがいい沼である。


1月5日


四つの店福もらいに回るかな

新春の空にはばたけ未来の子鴎一羽の我に飛び来ぬ


今日四つの店を回った。やはり店は元旦は休みにすべきだろう。初売りは縁起をかつぐ、あまりせこくせわしく働きすぎるのは良くない、休むときは休むべきである。ス-パ-三つとセブンエレブンに回った。これしかいつも行っていない、福をもらうというとき福は誰でももっているしどんな地域でも国でも福はあるのだ。ええ、自分にいったい何の福があるのかと思うかもしれないが人間も一人一人違うし何かしら福をもっている。技術の福であれ知識の福であれ性格の福であれ才能の福であれ何かにたけたものを必ず人はもっている。その福を売ることが商売なのだ。福を与えることが商売なのだ。与えられるものは与えるべきである。自分の場合、ホ-ムペ-ジで福を知識の福を与えているのだろう。ホ-ムペ-ジも何かえるものがなければこないだろう。何かしら与えるべきものがあることは幸せである。神は常に何かを与えるだけだから幸せなのだ。絶えずとろう、得ようとがつがつしている人は不幸である。その人こそ貧乏神である。与えるものがない人はいない、五体健康だったら何かしら福を与えることができる。障害者だって福を与えることができるのだ。心がけ次第でそうなる。手助けができる。だから出版社などが著作権など独占して人に与えないようにするとか知識に関してもその他福を独占して一人じめするようなことはよくない、もちろん人は何らか見返り収入がないなら暮らしてはいけないのだが福を独占することは利用させないようにするのはよくない、知識もそうである。図書館であれ本であれ知識はもっと流通させるべきである。蔵の中にしまっていたって知識は生きてこない、図書館とか本は知識的に広範囲には利用しにくい、リンクできないことが致命的なのだ。また簡単に発表もできない、非常に閉鎖的空間なのである。知識は独占されていたし、知識が独占された所では専門家が幅をきかす、だから現代の知識人はマスコミになった。何百万人の視聴者の前で発言する人はそれだけで情報を発言力を独占していた。これがインタ-ネットで変わるべきである。これからはマスコミの一極集中から多様化の時代である。多様化とは様々な方面から多様な違った福をもらうから豊かになるのだ。


1月3日

枯芦に鴨の番いや沼一つ

落ち着いて新住宅地に冬の薔薇

昨日の枯芦の句は写生ではなかった。毎日鴨の番いを見たわけではない、今日の沼一つが写生である。鴨もあんまり多いといやだ。餌やる白鳥のいる沼には百羽くらいいた。あれでは落ち着かない、いつもの沼にひっそりと鴨が何羽かいるのがいいのだ。例えばそんなに鴨が集まること自体、不自然ではないか、鴨が冬どうして餌をとるのかわからないが人間が餌をやっていたわけではない、それぞれの沼で何か餌があり食っていた。だから普通は分散して沼にいるのが自然ではないか、熊でも鹿でも自然の領域が犯されると里におりてきて荒らすことになる。動物も不自然な生き方を強いられるのか、静寂の沼にひっそりと鴨が何羽かいるのが落ち着いていい。



1月2日

何求む今日も静かに枯芒

枯芦に鴨の番いや今日も見る


新年だけど今や枯芒に心ひかれる。枯芒の静寂がいい、これからはわび、さびの時代である。晩年はあまり波風はたってほしくない,こうした騒音社会では特にそうである。日本にはわび、さびを良しとする伝統がある。これはアメリカのような新しい国ではない、ヨ-ロッパにはアンテ-クがある。イギリスなんか古いから魅力がある。歴史がある所がいい、ここ百年は戦争が三回に急速な高度成長時代だった。大量生産とコマ-シャリズムの席巻だった。めまぐるしい変化であった。今度は落ち着いた時代になるべきだ。江戸時代が今や見本だ。茶室や隠居の文化だ。今までは若者の文化だった。凄まじいほど若者の文化が席巻した。これから団塊の世代が老人になれば隠居の文化だ。隠居の文化はもともと日本にあった。じっくり自然の中に身を浸し物の神髄を見る。これからはそういう時代だ。


1月1日

申年は知恵の時代や学励め

穏やかに初日のさして枯芒


猿は知恵の象徴かもしれない、動物は人間の精神的象徴である。牛は忍耐強いとかライオンは勇気とか鳥は自由とか精神が具現化化したものである。猿は知恵であり今年は知恵を知識を駆使する時代である。そもそも二〇世紀は世界が拡大した。外国についてもあらゆる所で知識がそして知恵も必要としている。インタ-ネットなんかそうである。四六時中知識を調べていなければならない、知識は乗数的に膨大なものとなっている。その知識を応用する、知恵の時代でもある。それでも人間の取り入れる知識が限られている。どうしてももはや選ばないととてもじゃないが読みきれない、キ−ワ−ド検索では自分の探しているものを見つけようとしているから必ずそれに関するものは読むがその他漠然としていたら探し得ようがない、インタ-ネットは探すのが大仕事なのだ。今年も今日の一句一首はつづくのだろう。これがインタ-ネット的な表現方法なのだ。その時その時ひらめいたことを書いてゆくのだ。だからなんかホ-ムペ-ジ初めてから忙しいのだ。

毎日書くということはつくづく大変なものだ。でもこれは今までにない表現の情熱を作り出した。毎日発表する場があり書けることはすごいことだ。そんな場を今まで与えてくれない、一生に一度記念に本出してもそれを置いてくれる本屋すらない、これが現実だった。今や表現と知識と知恵の時代だ。毎日表現に工夫し出していかねばならぬ。これがみんなやるとなると読むよりただ書くことに夢中になる。へたな歌でもみんな自分の歌を聴いてくれとなる。しかしもはやできない、ただキ−ワ−ド検索では自分の求めるものを探す、あとはなかなかもう読めないのだ。ただ編集することは創作である。インタ-ネットのなかのいい俳句をとりあげ批評したり鑑賞したりすることは自分のためにもなる。俳句も膨大な数でありそれをキ−ワ−ドでしぼり批評を加えてゆくと生きてくる。その一番いい方法は類似俳句を集め、分類することである。するとそこに一つの創造的世界が浮上してくるのだ。

新年から枯芒ではさえないが枯芒も今や自分のテ-マだ。枯芒になっゆくからである