阿武隈の魅力は道にある(小林勇一)
(many branched roads in Abukuma high land)

阿武隈の魅力は何か、ここには温泉も高い山もない、観光としては目立つものがないから福島県でも観光スポットではない、会津や磐梯山は観光地である。会津は登山するのにいい山が多い。今中高年は登山ブ-ムだから車社会だから麓まで車で行き登山している人が多い。百名山が人気なのもそのためである。車だと歩くということがないから道の魅力を感じることがない、車にとっての道は単に目的地まで通過する道にすぎない、ところが歩くなり自転車なりで道をゆくと幾重にも道が別れてつづいている。一体この道はどこに行くのだろうと誘いこまれるように細い道まで行くことになる。歩くとか自転車の旅はこの幾重にも別れた細い道を行くことなのだ。「奥の細道」とはまさに奥へ通じる細道、道の魅力だった。道は未知であり未知に誘い込まれる神秘的な感覚である。江戸時代辺りは特にその道の向こうに何があるのかわからない世界だった。だから道は未知であり魅力に満ちていたのだ。道は車が洪水のように流れる国道を行くべきではない、そこはもはや道ではない、ただ物が運ばれるだけの人間が行き交う道ではない、そこを通ってもなんら印象に残るものはない、ただ疲れるだけなのだ。でも遠くから来た人はどうしても最短距離の国道を行くのである。早く目的地につくからである。私も遠くに行った時はそうだった。どうしても脇道にそれると目的地につくのがかなり遅くなるからだ。自転車の場合特にそうである。ちょっとはずれるとかなり時間がかかるのだ。だから遠くに行くと脇道にそれることはなかなかできないのだ。阿武隈だかと近いから脇道にそれても帰れる、むしろそうした細い脇道を行くことが面白いのだ。

春日さしこの道別れいづこなれ誘われ行きて女神山かな


うららかな春の日、時間も気にせずポタリングで阿武隈の道を走っている、また道は別れてどこかに通じている。そこは女神山だった。女神山は月館とか川俣の養蚕を伝いた小手姫のことである。阿武隈は会津のように高い峻険な山がないから高原のようなところに点々と家が隠されるようにある。細い道をたどると山陰に森に隠されるように家がある。阿武隈の魅力はこの道にあるのだ。芭蕉がたどった「奥の細道」は今はつまらない、そこは神秘の細道ではないからだ。実際芭蕉がたどった奥の細道は国道であり芭蕉が体験した旅を追想することすらできない、当時の奥の細道を行ってこそ作られた詩である。距離感覚からして全く今とは違うからだ。今は「奥の細道」は別なところにある。新幹線の通るところにはない国道にもないのだ。旅とは未知の体験であり思わぬことを感じることなのだ。そんな旅自体が消失した。まず遠くに来たという感覚すらなくなった。これは海外に行ってすらそうなのだ。飛行機で何時間とか海外すら近いのである。


辛崎や草鞋ながらの夏の暮 伊藤信徳


この句であるがこの人は京都の商人であるから近江の辛崎はそれほど遠くなくても当時はそれなりの距離なのだ。草鞋をはいてここまで来た。そこはさざなみの志賀の都で有名な所であった。草鞋はきながらというのがその草鞋のはいている感覚が旅をしてきたということに通じている。草鞋をはいて歩くということが旅することだった。草鞋は旅にかかせないものだった。だから沓掛といたるところにあるのは草鞋をかけておく場所、草鞋をはきかえる峠とか坂のことであった。大倉にも沓掛橋というのがあった。大倉は真野ダムの底に沈んだがあそこにも沓掛とあるのはやはり草鞋にちなんで名づけられた。沓掛という地名があったためだろう。この句では単に辛崎やというだけでその辛崎には旅をしてここまで来たなという京を離れてきた感覚がある。今ではそんなこと全くない、今日は余りに近すぎるからだ。だからそこに詩情など全くなくなっているのだ。

阿武隈の魅力は山が低いのでその間幾重にも道が通じて家があることなのだ。そして道の魅力は細い道にある。山陰の影になりやすい道、上ったり下ったり幾重にも別れゆく道である。山間であれ道がまたふえたのだ。公共事業でいたるところに道がふえたのも無駄であるがそれがかえって舗装されているから自転車で行きやすいのである。なぜこんなところまで舗装して道を作っているのか、道がふえているのだ。この道のために一部飯館の山陰の神秘な場所は破壊されたが阿武隈山地には道が多い。

流れにそい上り来たれば黄鶺鴒枝にとまりて滝のひびけり


馬洗川のあるところもそうである。別れた小径を行くとそこにひなびた何軒かの昔からの家がある。古い土蔵や土橋があり板橋をわたり小径を行くとそこに思いがけず田がある。こうした隠し田のようなのが山間に多い、それは気づかないことが多いのだ。前には遠く旅してそうした道を分け入ったら小さな城跡があったことに驚いた。まさに隠れ城である。思わず開けたようなところそこにも田があり米が作られているのが日本なのである。

阿武隈の魅力は山そのものにはない、なだからな山であり会津のような峻険な山がないためである。山間を上り下りして幾重にも別れた道に魅力がある。山木屋で四つに別れている道もそうである。相馬の妹思いの若殿が三春に嫁いだ妹をそこで駕籠をとめ案じたように道は思いの道でもあり玉づさの道、思いを伝えてくれと人に通じている道なのだ。


都路へ 道のつづくや 春の暮

一村に 道は分かれて 春の暮

探梅や 知らざる道に 誘わるる

日永きや また道二つに 分かるかな

two parted lanes again
still in the daytime
in spring