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2005年2月2日(水) |
今日も寒い |
寒椿今日一人のみ見て帰る
冬芒隠れし鳥を知らざりき
寒空に帰る鴉を見送りぬ
冬の里牛一声や家一軒
one voice of a cow
one house
a villige in winter
冬日没り明るさ残る二月かな
今年は寒い、ここは風花だけで雪はふらない、山の向こうは降っている、白い息がでるから相当に寒い、それでも紅梅がある家に何輪か咲いていた。やはり春がきているのだ日も多少長くなった。二月は東北ではまだまだ冬である。南に雪が降って東北のここに雪はふらない、ここはそもそも雪のふらない場所なのだ。
冬芒のなかに何もないて思っていたら鳥が隠れていた、飛び立ったのでわかった。何もないようでも生命の営みはどんなところにもある。それが地球である。牛が一頭ないて冬の暮である。寒いから今年は冬らしいとなる。冬らしい冬もいいものである。
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2005年2月1日(火) |
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冬柳道の細きや六地蔵
相馬に行く昔の街道は道が細い、今のような広い道はない、でも松並木が昔のままだとするとそれでもかなり広い道になるのか、奥の細道というように街道は細い道だった。細くても十分だった。歩く道だからである。そういう道には六地蔵と昔の石碑や田んぼなどがにあうのだ。国道はそうした情緒を喪失させた。情の世界はそこにはない、人間がいるのかいないのかロボットが自動車に乗って運んでいるような気もする。何かに追いまくられて突っ走っているのだ。
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2005年1月31日(月) |
眠る山 |
寂けさや外国(とつくに)知らず眠る山
今日もまたなべかんむり山眠るかな
江戸時代は外国のことは知らないから外国のことで悩むことはなかった。今は世界のことで常に悩まねばならない、世界と交わることはいい面もあったが悪い面もあった。世界的衝突が信じられない国同士の大量殺戮となった。世界が狭くなり国が交わることはとめることができない、でも江戸時代の300年の不思議は国内でも戦争はなかった。外国とも戦争やもめごとがなかった平和の時代だったのだ。山は眠っていたが平和だったのである。人間の世界なんでも時代によってもいい面と悪い面が必ずあるのだ。外国と交わることはそんなにいいことなのかという疑問もでてくる。外国は外国でやってくれ、日本は日本で平和でやるからといいたくもなる。平和的に交わるならいいが戦乱にまきこまれてゆくからだ。中国と貿易で密接になるとまたいろいろ紛争の火種がでてくる。江戸時代になぜこれほどまでに回帰してゆくのか、それはやはり現代があまりにも様々なことで解決つかない問題にまきこまれるからである。
鍋かんむり山は今日も眠っている。平和な田舎町に今や眠っているのが一番幸せだ。都会もわずらわしいし様々なことがわずらわしい、やはり江戸時代が自分には合っていたのだ。そこには日本的なアットホ-ムがあったのだ。
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2005年1月30日(日) |
一族の墓 |
かたくなに一族の墓残るかも山里にまた北風鳴りぬ
阿武隈の山の中に一族の墓があった。「小泉」とありかなりの一族の墓である。山とか部落とかは同じ姓の人が多い、檜枝岐は平家落人の里で星とか平とか三つの姓くらいが大方である。山とか部落では外から入ってくる人がいないから姓が限られたものとなる。町では外から入ってくるから姓は多くなる。昔にかえればかえるほど姓は少なかった。一族がかたまり継続されたからである。
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2005年1月29日(土) |
蕾(つぼみ) |
走りつつふくらむ蕾6号線
6号線はうるさくていやだがやはり幹線道路でありレストランがあり大きな蕾がふくらんでいた。フキノトウもでたというからやはり春めいているのだろう。
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2005年1月28日(金) |
春めく光 |
春めきし光のさして鉢の花心やわらぐ老いたる人かな
山眠る隠居の多き田舎町
今日は春めいた光がさした。今までは本当に寒かった。春の兆しがみえた。でも山は眠っている。そして隠居が老人が多いのだ。のんびりしているとなるが活気にはともしい。しかし活動ばかりでは疲れる、冬は眠りと休みの時期なのだ。人間は自然のリズムにあわせるときやはり心身共健康になるのだ。
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2005年1月27日(木) |
寒月(2) |
寝静まる町や中天に寒の月
the coldest moon
on a silenced town
in the center of the sky
寒月に動かぬものや石二つ
旧道にまた松一本に松一本標しとあれな冬深まりぬ
「月天心貧しき町を通りけり」月こそ天心にあるべきものであり小さな町では月は中天に上り輝く、これは当たり前のことだけば当たり前のことが当たり前でなくなったのが現代なのだ。当たり前のことを見直す必要がでてきたのだ。江戸時代がだから見直されるのである。明治維新から無理した近代化が日本をゆがめてしまったからだ。
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2005年1月26日(水) |
寒鳥(2) |
寒鳥の二三度庭に餌求む
寒鳥のつなぎに食うや椿の芽
鈴なりに鳴いて騒いで寒雀
椿の芽を鳥が食うのか?今日は食っていたみたいだ。鳥が何が食料になるのかわからないが今どき食料が不足するから町にやてくるのがふえる。春になると山にも食料がふえるがつなぎに食う食料が必要なのだ。何か食料がたりなければ別なものを食う、一つの餌しか食えないものは動物でも滅びやすいのではないか?コアラはユ-カリの葉しか食わないからユ-カリの葉がなくなると滅んでしまう。人間もまた同じなのだ。米しか作っていないと米がとれないとき食料がなくなり飢えることになる。ところがその他米がとれなくても食料になるものをとれればうえずにすむのだ。
鈴なりになって鳴いて騒いでいたのは寒雀である。昔の子供はどこでも鈴なりになり集まり騒ぎ遊んでいた。それは今でも後進国ではそうである。子供が多いからだ。それが自然の姿かもしれない、今や子供の遊ぶ姿も見えない、なにか歪んでいる。文明化することは一面人間的なものがなくなることであるのだ。やはり子供が多いということは活気がでるのだ。老人ばかりでは活気はでてこないから問題なのだ。
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2005年1月24日(月) |
寒鳥 |
餌求め寒鳥一羽庭を去る
餌を求めて朝一羽ヒヨドリが来ていた。でも何もついばまず去ったから食うものが何もなかったのだろう。なんか今年は寒い、こんなに寒い年は最近なかった。寒鳥も一段と寒く感じられた。
極月の町の真中に移るかな
The coldest moon go up
in the center of the town
月とか太陽とかこれはもともと江戸時代でも中心に映えるものだった。日月は常に生活の中心にあったのだ。文明化されたとき中心にあるのは時計になったのである。どっちが人間として豊かだとなると日月が中心になっていた時代なのだ。「月天心貧しき町を通りけり」月は常に中心にあった。そのときこそ人間もまたその月を仰ぎ清らかな心になったのである。
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2005年1月22日(土) |
勤め人の哀愁 |
出勤の人も老いけり冬芒
出勤の人や枯木の五六本
勤め人目立たず終わる冬芒
誰が知るや倉庫勤め冬日没る
サラリ-マンとか勤め人の気持ちはよくわかならい、でも朝電車で出勤している人を見ると会社つとめで一生終わる人が多いのが今の時代である。それもまた人生である。人生の哀愁がそこに漂っている。人間の一生はほとんどめだたず終わるのが普通である。でもそれだけ長いと職場に愛着がでたり何かしるすべきものがでてくる。何しろ30年とか長く勤めたらとくにそうだろう。その気持ちはなかなかわかりにくい、会社をもうけとか金をかせぐという面だけでなくそこで何を残し何が思い出になったかということがある。必ずそういうものを人間は最後に回顧するようになる。会社人間というとき会社のことはいろいろいわれるが人間そのものをあまり見ない、だから会社人間には哀愁が漂っているのかもしれない、ともかく人間は長く生きれば必ず何か愛着するものがでてくる。自分の場合は汽車の旅が長いかち鉄道に愛着するようになったのだ。
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2005年1月20日(木) |
相馬駅 |
相馬駅枯木一本古りにけり
相馬駅というときなにか古い感じがしないか、でも相馬藩はあったが駅の名前は戦後できたのだから、古いわけではない、中村駅だったのだ。でも相馬というと古い感じになり原町となるとそんな感じがしない、今度新しい市になる、南相馬というとこれもかえって古い感じになる、新しい市なのだが何か前からあったような古い感じになる。それが名前の不思議である。原町市枯木一本古りにけりに・・・・とは枯木があってもならない、原町市の方が鉄道の駅としては発展していたし原町まで急行がきて相馬まで行かないのもあった。原町止まりの急行があり原町は上野からのタ-ミナルになっていたので車庫とかもあったのだ。
青春18切符でかなり得した。三回も利用したからだ。やはり汽車の旅の面白さは途中下車にあった。でも今はこれがしにくい、あとの汽車がいつくるかわからなくなる。でも今回津川と喜多方に途中下車したのでそれなりによかった。これから一部時事問題に書いたので2部を書いていこう。
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2005年1月17日(月) |
寒椿一四五輪 |
寒椿一四五輪も咲きぬべし
寒椿一四五軒の部落かな
凍雲を夕日のそめて老家族
やっぱり子規の写生の問題の句、「鶏頭の一四五本もありぬべし」はこれが句になるかどうかの前に写生としての究極の問題提起だったのだ。寒椿となると寒さの中にひきしまり句になっている感じがでていないか?まさに本当に一四五輪咲いていたのである。やはり俳句は写生が基本なのだ。
「ありぬべし」から「咲きぬべし」に直した。鶏頭の一四五本というときこれは何輪ではないいからありぬべしとしたのか、つべし、ぬべしは強調表現だとあった。ぬべしは強調的意味合いがあった。ちょっと文法的にわからなくなったがやはり咲きぬべしがいいのだろう。
寒椿一四五輪はちょうど一四五輪軒の部落だった。それもあっていたのだ。
老家族というとき我が家は老家族になってしまった。明日はまた青春18切符で残り二日間のってみよう。遠くには行けないけどこれで三回目である。これはかえって遠くに行くより近くでもこまぎれに行くと得である。温泉に一泊して終わりだろう。どこがいいかわからない、なかなか秘湯となると交通の便が悪いので行きにくいのだ。電車の旅も同じになってしまうのでつまらなくなる。景色が同じになりつまらなくなるのだ。まあ、ともかく明日はでかけてみよう。
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2005年1月16日(日) |
鯛 |
新年や嵐の中を鯛買いに
嵐だったけど鯛を売りだしたので買いに行った。ぬれたけど考えてみると魚を海でとっている人の方が命懸けである。雨にぬれるくらいたいしたことないとなる。魚が高いのはやはり危険だからである。魚は今は量がとれないから余計高くなるのだ。今年は去年のつづきで荒れ模様だ。それでも鯛は縁起がいいかもしれないから新年にはいい、これで正月も終わりだ。
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2005年1月15日(土) |
蕾(つぼみ) |
白椿の蕾をぬらす氷雨かな
多少ふくらんだ庭の椿のつぼみを氷雨がぬらしている。雪だと言ったがあめだった。その雨も冷たい。だから外に出たくない、蕾をぬらす冷たい雨もある。しかしやがて花は開くだろう、いやその前にまた雪がふりようやく蕾も開くのだ。花が開くまでそれなりの期間がありその中に風も雪も雨もあるのだ。花も簡単には咲かないということである。
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2005年1月14日(金) |
地蔵 |
土凍てて社も古りぬ地蔵かな
今年は寒い、土が凍っている。そこに小さな社がある。そして地蔵がある。これが古来からの日本の風景である。貧しい農村の姿である。医者にも行けず地蔵に願うほかなかったのだ。地蔵には寺という建物がない、野の仏であり貧しい農民が心の支えとして祀ったものかもしれない、だから地蔵と庶民の伝説は数限りなくある、田植えのときは忙しいから困ったら誰か来て手伝ってくれたと思ったら地蔵さんだったとかそんな類の話が山ほどある。地蔵は庶民に最も親しい身近な存在だったのだ。地蔵というときそこの後ろには寺もない、ただ地蔵と庶民の直接の交わりとしてあるだけなのである。地蔵信仰は純粋な庶民の信仰だから地蔵だけは何か親しみを感じるのである。
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2005年1月13日(木) |
寒烏 |
寒烏のついばむ実や人知らぬ
何か枯れた木になっている実を鳥がついばんでいた。あんな実食えるのか不思議だ。そもそも動物などが何を食って生きているのかわからない、鹿は冬の間木の皮や芽を食っているという、でも人間には不思議である。キリストが鳥が食べ物のを心配するか、食うものは神によって与えられているから心配する必要はないというとき、動物に関してはいえる、人間にはわからないが、神がそなえてくださっている。また人間すらも昔になれば山で何を食って生きていたのかわからない、米にたよっていたものは飢饉のとき死んだが山で暮らしていた人は山に食料があり生きることができたらしい、縄文人にしても何を食っていたのかドングリなど食えるのか今になれば不思議である。この世には人に知り得ないことがいくらでもある。そもそもこんな一万くらいの町でも食うものがあり生活できること自体不思議である。何して暮らしているのかわからないからだ。自然に関してもそうだが神が知っていても人に知り得ないことはいくらでもある。そこが神と人間との差である。人は自然を全部知り得ない、神秘なものとして以前として残るのだ。
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2005年1月12日(水) |
寒星 |
寒星のまたたく二つ三つかな
the coldest stars
which is twinkling at me
the two and three ones
こんな簡単なのも誰か作っている。子供の俳句である。こういう簡単なのを英語にするといい、英語が苦手でも意外と俳句は英語にするのに向いている。長くないから簡単だから英語にしようとするときそれほどめんどうにならないからだ。英語で芸術を表現することは英語を勉強する励みになるのだ。語学はそれぞれ何か目的、励みとなるものがないとつづかない、いやになってしまう。私の場合も結局身につかないのはやはり目的とか励みになるものがないからである。しゃべる相手もいるわけでもないし英語を持続的に勉強する環境に日本はないから困るのだ。言葉も生きたものだから常に使用しないとだめなのだ。こんな短いものでも英語にしたという喜びがあるから意外と面白いとなり英語にしているだ。
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2005年1月11日(火) |
渋民の地名 |
渋民のもとは枯杉冬の暮
渋民という名だけが心に残る。ここは管江真澄遊覧記では枯杉と言っていた。この名前がなんかわびしい、啄木の生まれた地としてふさわしい。一方花巻は花(桜)が渦巻く淵にたくさん散ったから花巻だという、巻きは渦巻くなのだろうか、地名というのはこじつけがあるからわからない、でも地名から連想することが多いのだ。その土地土地による旅ができなくなっているからだ。通りすぎる旅が多くなっているからだ。だから名前の影響が大きいのである。
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2005年1月10日(月) |
新年の将棋 |
新年の駒打つひびき有段者
将棋はソフトでしかやっていない、あとは有段者のを見ているだけである。有段者のは見ているだけで面白い。ぎりぎりの戦いであり白熱するからだ。見ていてもわからない面はあるがそれなりに最後の戦いはわかりやすい、将棋は有段者とか強いものとやらないと面白くないのだ。ソフトは有段者でありこれとやっているとなかなか勝てない、前に何回ももどしてやっと勝つからソフトでも面白いのだ。いづれにしろ将棋は強くなれない、なんでもそうだが見せる人見るものがスポ-ツでもあるように分かれる、ただ見て楽しむ将棋もありうるのか24将棋はいつもやっているし早さしだから見ていても面白い、見る将棋として24将棋も一つの娯楽を作り出したのかもしれない、毎日見ていてもあきないのも不思議であり将棋は奥深いものがある。まあ、これは息ぬきである。息抜きは通信でも対戦すると疲れるからだめなのだ。気楽なのでないと息抜きにはなれないからだ。
ともかく駒の打つひびきがパソコンでもひびきそれにふさわしいのは有段者でありそれも上位の人である。娯楽も時代とともに変わるのだ。テレビの時代は終わり別なものにシフトしつつあるのだ。中高年でも登山が盛んになったようにスキ-などはすたれそれに変わる中高年向きの娯楽がでてくる。秘湯巡りがその一つである。あと青春18切符が。二回のれるのでまたでかけてみよう、でも今年はかなり寒いから困る。
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2005年1月8日(土) |
草餅 |
皺だらけ老女にもらう草の餅
餅は正月でも食わないが草餅は好きである。田舎の味だ。それを皺だらけの手からもらう。ただその手には愛情がある。草餅には味がある。普通の餅は食いたくない、時代が変わっても残るものは残るのか、草餅の味は田舎の味かおふくろの味か何かそうしたものはいつまでも残るかもしれない、パンには味わいない価値が草餅にはある。
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2005年1月7日(金) |
風雨のなかの虹 |
新年や風雨のなかに虹たちぬ
寒鴉獲物奪い合い鳴き騒ぐ
自転車で原町まで行ったら雨になった。その雨の中を走ってきた。そしたら行く手に虹がたった。風雨の中に今年も船出か、まだ災害の傷跡はつづく、でもそこにも虹がたつ、希望の虹が立つ、それが人間の世界だ。絶望の中にも希望を探してゆく、それが人間の歴史でもあった。自転車は風雨を受けやすい、だからこそまた自然を直接感じる。
鴉が鳥の羽のようなものをくわえて奪いあっていた。鳥を襲ったのか時々鳥の羽がちらばっていることがある。鳶とか鴉が他の鳥を襲う、こうしした光景は青森辺りにあっている。というのは青森辺りはかなりの飢餓地帯だったのだ。人が人を食うという恐るべきこともあった。自然界ではやはり冬になると餌がたりなくなるかもしれない、まあ、今年も船出した。災害は今年も尾をひく、あれだけの災害の傷跡は千年に一度くらいしかないかもしれない、それほどひどいものだった。
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2005年1月6日(木) |
人間同じことの繰り返し |
新年やまただましあいこの世かな
新年になっても人間はかわらん、人間は永遠に変わらない、人間そのものが絶望なんだよ、サギの手口も変わらない、水戸黄門の子孫だというのもこれも今までの手法だ。これにのせられる方も変だ。人間は新しい人間にならないかぎり人間は変わらない、つまりこの世では神の国は実現しないということ、人間そのものが変わらないから社会がいくらたっても改良できないのである。これだけ科学が発達してもそうなのだ。ただ宗教をこえて今回の津波で世界が協力したことはいいことである。そういう自分も口ばかりだと常に言われるから寄付しないとまずい、北朝鮮まで寄付したから、明日寄付しよう・・・
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2005年1月5日(水) |
地名の旅(春) |
雪の富士見て帰るかな国立へ紅梅咲きて新宿に行く
富士山を見て中央線で帰ってきたとき国立を通る、これも合成地名だと思わなかった。
国分寺と立川のあいだにできた「国立」・・・・市町村合併の名前でもめているがこんなに合成地名があるのには驚く、合成地名になると元の謂われがわからなくなる場合がある。国立というと何か謂われあると思っていた。国分寺があるからだ。ここは謂われあるにしても国立は合成地名だから謂われはない、合成地名ははやはり問題だ。これがまた多くなると歴史が失われることになる。ともかく鉄道の旅は一面地名の旅になってしまう。常に駅名だけが心に残る旅になるのだ。この歌にしてもなんとなく国立から新宿へと名前がはるめいた感じになる。
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2005年1月4日(火) |
冬の鳥 |
田舎駅のる人まばら冬の鳥
仙台に人集まるや年始め
ツグミはいつも一羽である。越冬する渡り鳥である。田舎駅のホ-ムにはいつも数人しかのらない、八時は学生などのるがそのあとは数人である。今日は正月で多少多かった。でも少ない、都会とは大違いである。そこに冬の鳥がいるということは田舎の駅らしいし、詩になる。詩になるところはこうした閑散としたところなのだ。そういうところには自然も映えるのだ。
都会には都会の役目がある、仙台に行って本などを買ったり他にバッグなども買った。若い人の熱気が都会にある。しかしそこにはぎらぎらした欲望もうずまいている。でも歓楽街にはいかないから仙台でも感じない、欲望をもっている人がそうした欲望の世界にひきつけられる。それはどこでも同じである。
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2005年1月2日(日) |
新年の荒海 |
大海の唸り轟き松に雪
新年や荒海飛びぬ鴎かも松に雪つみ粛然とせり
海というのは怖い、ここも海から近いからよく海の水がきておぼれる夢見る、それが津波なんだよ、あの海の水がおしよせてくる恐怖がある。昨日は海が荒れてうねっている。
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