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7月5日
株上昇梅雨の晴れ間やまた曇る
インタ−ネットは今を話題にできる。こんな句でも今の話題として通じ合うのだ。これは一日遅れでも古くなる場合がある。今を話題にできたのはテレビだけである。だからテレビが主要なメデアになったのだ。2ちゃんねるも今を話題にできるからあれだけ読む人や発言する人がふえたのである。インタ−ネットはライブだからこうして今の話題に直結するのだ。だからインタ−ネットは毎日書くべきものなのだ。毎日発信することに意義があるのだ。
株というのも天気と同じなのだ。今や経済のことすら誰もわからない、専門家の予想もはずれている。天然現象でありギャンブルになっているのだ。誰かが操作しているのか、それも謎である。株はあがったがそれも一時の梅雨の晴れ間で終わるのかもしれない、景気良くなる要素があるようには見えない、景気も神頼みみたいになっているのももはや経済すら巨大化グロ−バル化して見通すことができなくなったからである。
7月5日
都草今日幾羽の蝶来る
都草に蝶がひらひら舞っている。何羽の蝶が来るのか、都草と名前がいい。名前が意外と大事であり人間は名前でイメ−ジするのだ。名付けることが神に託された人間の仕事でもあった。まあ、平凡な所にも詩はあるものである。インタ−ネットで毎日こうして今日の一句一首をほぼ一年つづけたことはふしぎな経験だった。というのはこんなにつづくとは思っていなかったからだ。表現の場が与えられたことによってメデアによって喚起され創作できたのがこの「今日の一句一首」であったことは間違いない、これがなければ毎日俳句や短歌を作ることもなかった。
創作というものも何か喚起されるものがないとできないことがわかった。つまりこうして毎日作り書くということがこのインタ−ネットでできる強みなのだ。そしてすぐに身近なことでも話題にして書けることなのだ。例えば俳句でも他の番組でも見ながらインタ−ネットで語れることである。そういうふうにライブとしてつながっていることが今までにないものなのだ。だからこれはインタ−ネットで華咲いた文化なのである。確かに俳句というものは昔からあった。しかし投句するにしても一カ月それ以上あとになってのるからこの毎日作り出すのとは全然違っているのだ。とにかくなんとか表現して出そうとしたから一年もつづいたのである。例えは作家でも雑誌社からでも定期的になんとか書いてくれとか催促されたりこんなもの書いてくれとか相談されたりして編集者と一緒になって作ることがある。創作というのはそうして要求されてでてくるとういものがあったのだ。「今日の一句一首」まさにそうだったのだ。とにかく一日一つ作るというノルマを課した結果できたのである
都草は京都に多く咲いていたからとあるが本当だろうか?みやびな花だからミヤコグサかとも、花の名の由来は実際は本当ははっきりしていない、いろいろと伝えるうちに変質しているのだ。地名の由来もそうである。地名と関係ない伝説までつくりあげている。
淀君草(淀君が愛したという)と言われたのは本当かもしれない、なぜなら歴史上の実在の人だかだ。花に特定の人の名前をつけるのはあまりいいものではない、淀君というと余りいいイメ−ジがないし花のイメ−ジがそこなわれるのだ。Birdfoot と外国で名付けたのも味気ない、鳥の足ににているからだが詩的ではない、やはり都草が一番あっている。そしてまた逢う日までという花言葉もあっていた。なぜこの花言葉がでてきたのかわからないが自分が俳句にした都草にはあっていた。旅人が夏きてこの都草の咲く所で出会いまた別れるということが多いからである。
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7月4日
蟹一匹出てきて活きる里の川
蟹一匹が増水した川からでてきて盛んにハサミをもちあげる。蟹は夏の季語だった。季語が多いのでわからなくなるが夏にふさわしいことは確かである。どういうわけか私は蟹座生まれなのだ。蟹は水を好むから意外と自分は夏が好きなのかもしれない、ただ夏にも冬にも自分は弱い、体が弱いのだ。暑くてふ−ふ−なるし寒くてもだめだ。沖縄に行くがこれも暑くて途中でダウンして動けなくなるかもしれない、まあそれでも休んでいるからいい、この句は蟹一匹が近くの川からでてきて生き物が川に住んでいることを感じる。子供の頃は確かに川で魚をとったりして遊んでいた。私の父親は釣りが好きで鮎などをよくとりオカズにしていたのだ。鰻もとるのも好きだった。鰻というのは田んぼの畦の穴にミミズを巻いて竿をさしこんでず−とそれに食いつくのを待っている気の長い釣りである。子供のときだからじっと待っているのがいやだったのだ。釣りはそもそも気の長くない人でないとだめである。
いづれにしろ川というのはそれなりに食料になる魚がいたしそれでオカズにしていた時代があったのだ。そのとき川は生きていたのだ。今は川は水は流れているのだが生活のなかで生きているという感じがしない、上流にはどこでもダムができて川というのは単なる水を通す水路のような感じがするのだ。どんな自然でも生活と切り離されると生きたものではなくなる。里山というのが実は里山が生活の場からなくなったから学者がなつかしんで里山と言ったようにそこに生活するものが呼んだものではなかった。
川もまたなんか生きたものとなっていない、ただ今日このハサミをしきりに持ち上げて威嚇する蟹を見てこの川にも生き物が棲んでいたのだと思った。生き物がいて川でも山でも実際は活きた場所になる。生き物と自然は一体だからである。人間もまた自然と一体として生きるときやはり動物に感じると同じ生命力を感じるのだ。今はそうした自然の生命力より人工的機械力になってしまったのだ。それが自然というのを生気なくさせてしまったのである。
7月3日
旅人のこれより増えむ都草
旅人がこれから増えてくる。今日は梅雨寒だ。インタ−ネットで仙台発沖縄までの航空券注文した。オリタタミ自転車で沖縄に行くことにした。沖縄は泊まる所など安い。北海道とにて長期滞在者がいる。沖縄には一回しか行ってないからわからない所である。船で東京から三日かけて行った。貨物船のようなもので三日でもあきた。これが世界一周となったらピ−スボ−トのようなものだったらあきる。本当にいやになるだろう。船はいいが時間をもてあますのだ。まあ、帰りは船で帰ってきてもいいかもしれないが自転車があるのでめんどうである。
7月2日
溶岩の岩肌荒く夏の鳥
日本は火山国だから溶岩がむきだしになっている所が多い。これも旅の回想して作った。