自転車で三春へ(2回目)4月22日−
飯館から今まで来たことのないところに迷い込んだが船引に6時前についたから予定どうりだった。偶然来た道が二本松までの塩の道で観音様など道に朽ちかけるようにあった。馬で二本松までの道のりは遠い。途中二日くらいは泊まったとすると往復5日もかかった。阿武隈高原は結構広いのだ。いくつもの町があることでもわかる。自転車で来ればまだまだ知らない村がある。こんなところに村があったのかと不思議に思った。桃源郷とはあたたかな陽気に誘われた迷い込んだ所だった。それはこの広い阿武隈高原にふさわしいかもしれない。
寂けさやこぶしの白さ山の中
the silenced scene in blooming kobushi
the white coloured purity
in the depth of the mountains
このこぶしを品種改良したのが大きな木蓮らしい、木蓮は人の棲む所に咲くがコブシは山の中に咲く自然のままに咲くのが良い、その清楚、汚れのない純白がいい、卑しい人の目にふれず山の気にふれているのだ。
春うらら道に迷いて知らぬ村
春の雲隠す一村山の中
春の雲村境越える旅の人
ここは飯館村と川俣町の境ではないがもう少し行けばそうである。石の花が二つもいい、ここから坂道がかなりつづいた。なんともいい春の日だった。ぽかぽかと春の日がさして桜は満開だ。気の向くままに自転車を走らせる。これが旅なんだよ、汽車は旅にならない、自分で行く道を選べないからだ。
塩の道観音様に春日かな
この観音様は江戸時代のものだ。塩の道の目印しとしてなんとか残っている。時代は「天和」とあり確かに江戸時代のものである。天和(1681-1684)だから実に古い。寄進した人の名前が裏に彫られてあった。古い碑は細部を見ることが大事である。小さな字で見逃すことが多い。自分の場合文学的になるから歴史的事実を見逃している。歴史的事実とは記録されて明確に残っているものでありそこから想像する世界である。この碑で印象に残ったのはあとで写真を見て気がついたのだ。手をしっかりと合わせている。旅の道中を祈る姿なのだろう。心に訴えるものがある。旅では記録や写真は大事である。人間の記憶力はあてにならない、写真は確実に写している。デジカメはいくらでもとれるからなるべくいろんな角度からとっておくことである。今でしっかりと祈っているこの姿はいい。人が彫ったものでその人がやはり道中の安全に対する心があったのか、昔の旅の容易でない経験からこのような切実な祈りの姿を形にしえたのかもしれない、これは写真を見て深く感銘した。別に塩の道をたどって来たのではないがかえってよかった。道に迷うことも旅なんだ、旅では道に迷うのが普通である。そこで意外な発見をするのも旅である。途中には茶屋跡というのもあった。ここには悲恋の伝説があった。
山中に悲恋の伝説碑の一つ枝垂桜や我が寄り去りぬ
これは若い旅の渡り職人の石工が近くの寺に頼まれ地蔵を彫った。それを近くの茶屋の娘、このおせん茶屋という茶屋跡の娘だったろうか、この若い男を見て恋におちいった。この地蔵が完成したら石工はここを去らねばならないとおそれその肩を自ら切りおとしたという。これはどこまで本当かどうかわからない、地蔵を作っているのに失敗したのかもしれない、それを回りのものが想像で作りだしたものかもしれない、ただ一日でも長く一緒にいたいという気持ちはあったからそうなったのか、なかなかその当時は遠くに行くということがむずかしく遠くのものとは別れるということはしばしばあったかもしれない、そもそもこんな山の中では話題もないので冷やかしに回りのものが作った話かもしれない、いづれにしろ真実はどこにあるのか今は推測するのみである。ここで思ったここはまさに峠であり峠の茶屋だった。峠は一息つく所だから茶屋があったのか、それにしても茶屋があるくらいだから結構塩の道に行き来はあったらしい。ここをおりて山木屋に出ると問屋とあり二本松への道にでる。三春へも行く交差点になっている。自分はここから船引から三春へ向かった。ここに塩問屋があり塩43俵を受け取ったという記録があり塩を運んだ人の名も記されている。塩問屋の鑑札が残っていて「安達郡山木屋村内菅ノ又、塩問屋」とある。ここには確かに大きな塩問屋があったのだ。高屋敷という地名も殘り何かそうした大きな屋敷もあって地名として残ったのかここらは昔の道の交差点であったことは今も変わりないから不思議ではない。
山越えて山木屋にいず春の昼二本松へ道は伸びにき
道三つここに交わり春の昼
阿武隈の村々染める夕桜
阿武隈の山中深く籠もる家春の日あわれ塩の道行く
阿武隈の山中深く幾重にも分け入れる道や春の夕暮
阿武隈は山深い、その山深い奥に人が住んでいる。それも不思議な感じがした。今まで塩の道は飯館までしか考えなかったが阿武隈高原を横断して二本松まで通じていることに意味があったのだ。あの山を越えて山木屋に出て二本松へ通じる道に出たときなんか解放感があった。二本松に近づいてきたという感覚である。これは自動車でス−と苦労もなく来てはわからない、旅と道は密接な関係があった。途中別な道にそれて行ったことがあったがこの道はどこに行くんだろうかと阿武隈の奥深さを思ったのだ。そもそも道は幾重にも通じている。自転車で行く魅力は一つ道が違うと景色が別なものに見えてくるのだ。だから道を行く旅は飽きないのである。今では迷うという経験すらしない、余りにも人は予定された道を行っているから不思議とか驚きすら感じなくなっているのだ。
まじかにも片曽根山や船引に我は着きにき春の夕暮
こうして晩方に船引についた。船引は町の真ん中にでんと片曽根山がそびえている。あの山は面白い。町の真ん中にあることが面白いのだ。いたるところ満開の桜だった。どこの村も家も桜色に染まっていた。
春うらら塩の道
阿武隈の奥深きかな
幾筋にも分け入る道や
知られざる人の棲むかな
昔の塩の道一すじ通りぬ
山深く祈る観音様の古り
歳月は流れしもここに殘りぬ
静かに手を合わすその姿
心打たれぬ昔の人の心かな
ようやく山越えて下り来る
うららかな春の日や
山木屋は中継ぎの問屋
かたや対馬へかたや二本松へ
かたや三春へとつづく道
問屋と地名殘りて塩は
馬の背に乗せられ二本松へ
貴重なる塩は運ばれぬ
高屋敷とはここに栄いの屋敷なれ
梅も香りて春うらら道はつづきぬ
ここはまことに昔の道の
交わる所栄いし所
我も確かにこの道踏みて
昔の真実(まこと)をここに知るかな
桜色三春へ