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特集 折りたたみ自転車で小名浜まで
通信実験(三春まで)(三春までの自転車旅行の記録
(4月16 )
再び三春へ(4月22日−)一部(船引まで)写真追加
二部(三春)を加える
故郷の春を写す4月21日
自転車で相馬へ 5月5日
大悲山磨崖仏(写真と詩)(小高)
五台山の神秘5月29日
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6月30日
街に来て買い物するや夕燕
I look upon swiftly crossing flight
by many swallows,
I come to the neighboring city
for shopping in twilight,
6月29日
夏の海波しぶきはね釣りの人
梅雨の晴れ間に海に行った。釣りをしていた。海の釣りは結構大きなものがとれるから面白いかもしれない。
6月28日
窓閉じて薔薇のみ見せる瀟洒な家
近くの家を回って庭をみると薔薇がどこにも咲いている。この家の窓は閉じていた。薔薇だけをみて帰る。ここに人がでてくると帰っていやになるかもしれない、どこでも人がでてくると自然の美はそこなわれることがおおい。ただこの薔薇だけを見て行ってくださいというのならいい、人がでてくるとたいがいが何か良きものがそこなわれる。だからヘシオドスは「神は人間の暮らしを隠した」と言っているのだ。罪も日本ではツツムからきているらしくつつみ隠すことだった。人間はつつみ隠されるべきなのだが悪い人間ほど下品な人間ほどこの世では大きな顔しているし力を権力をもってのさばっているのだ。だから自然と清くありたいものはこの世を避けるようになるのだ。いづれにしろ花を見るのは実際は無料である。自然の美も無料で鑑賞できる。皮肉なことにこの世で一番いいものは無料なのである。ただ心が濁ったものはこの世で一番いいものも見えないのである。
6月27日
我が庭の小さき花をいたわりつ今日も暮れにき人知れじかも
no one knows that i am taking care
pretty flowers in secret in my garden
and it comes to a close today too.
人間をいたわることはむずかしい。人間を愛すということがむずかしいのは愛というものを素直に受け入れないからでもある。愛が愛として通じないこともありまた本当の愛を実行することがむずかしいこと、愛の押しつけとか愛をみせびらかすとか純粋な愛というのはまれである。小さな花を愛す、いたわるということは楽だし目立たないしそれでもささやかであるが愛になっているのだ。なぜ人間がからむと善が善としてなりたちにくいのか結局愛すといって愛を実行している思っている人も実は自分のエゴの押しつけが多いのである。純粋な愛がこの世で実行できないのは愛と思っているのがエゴの自我の愛の延長だからである。
6月25日
華やげる十輪ほどの薔薇(そうび)かな
about ten beuteous roses
これは鶏頭の十四五本のありぬべし(子規)と同じ類似俳句である。これが俳句になるのかどうかわからない、子規が言ったように俳句を極端化するとこうなるのだ。これは外国人にはわからない、10輪の薔薇の花があったそれがなんなんだとなる。それは何も詩になっていない、事実を指摘しただけだとなる。ただこれ以上減らすことも付け加えることもできないのだ。それなりに完全なのである。英語では表せないがやはり日本語ではそれなりに俳句になっているのかもしれない、俳句の基本はやはり写実であり極端化するとこうなってしまうのだ。類似俳句が多いのはそのためである。確かに五輪では華やいだ感じがしないし10輪というのがミソ、ポイントなのかもしれない。でもこういう俳句って誰かが作っているかもしれない、全俳句を検索できたらこれと全く同じものがあるかもしれない、確かに1パ−セントはまるっきり同じものがあるかもしれない、そうなりやすいのが俳句なのだ。
十輪の薔薇はみごとにさくら色
これは検索で10輪 薔薇ででてきたのだ。この句は自分の句とにた類似俳句である。ただここでみごとにという説明をつけているからだめなのだ。他にも
山藤の静かなる色山の池
ここに静かなると説明をつけているからだめなのだ。俳句は短いから説明をつけるとだめなのだ。もちろんそれで成功しいるのもあるが大方はうまくいっていないのだ。この女性の俳句は写真など作り方はうまいか失敗している。
評論と鑑賞へ(薔薇の句)
6月24日
若者の筋骨逞し夏の山
若者が自転車で走る。自分より早い。二倍くらい早いから追いつかない。
あれをみるとうらやましくなる。何よりも人間は健康である。50過ぎると健康が一番の問題である。健康は金では買いない、今回の自分の胃はかなり悪い。これでは旅行もできないから苦しい。健康であれば自転車旅行はできる。というのは自転車旅行は若者だけがやると思って若いときやっていなかったが実際は中高年向きである。休んだりペ−スを落としたりなんとか走れるのが自転車なのだ。登山はそういかない、疲労度が違うのだ。いつまでも休んでいることもできない、だからつづかなかったのだ。
6月23日
夕空やかもめに波の音夏燕
Sky in twilight
beating waves
seagulls and summer swallows
夏燕という季語がよくわからない、つばめというとそもそも夏にふさわしいからだ。燕来るとなれば春だが夏にこそ盛んに飛んでいるからだ。海の方に行ったら盛んに燕がとんでいた。すでに子として育った燕も交じっているのでふえてきていることは確かだろう。かもめもとび燕も夏の夕空を縦横にとんでいる。夏燕という季語があっているかもしれない、今年は旅に出れない,体調不良になってしまった。胃がかなり悪くなった。なんの原因かわからない、50以上は病気の年だと言われるが病気になりやすいことは確かである。
6月21日
a piece of poem in the sea
白波うちよせ白波うちよせ
ハマヒルガオが一面に咲き
カモメが一羽ひらりとやってきた
沖には船が航行して
カモメはいつのまにか消えていた
海は広くかなたへと去って行った
ハマヒルガオに海の風はそよぎ
夏の海は青春のように波立っている
外国でも結構俳句が作られているのか、なんか季語のないのが多い、この外国人の俳画は英語がわからなくても鑑賞できる。絵というのも万国共通だからわかるのだ。言葉その点わかりにくいので損である。
外国人の俳画
http://www.mahoroba.ne.jp/~kuni/haiga_gallery/
6月20日
郭公や旅人遠く去りにけり
郭公の今日の宿にもひびくかな
郭公やライダ−一人また来たる
a cuckoo comes
a traveler has gone
in the distance
a cuckoo is sounding out
at my today's inn again
郭公が昨日きたが去っていったろう。というのはやはり自然が残っているところには郭公はいつく。まえはそうだったからだ。今はこの町も自然がなくなってきているからいつかなくなったのだろう。郭公といえば北海道一カ月の旅では郭公が良く鳴いていた。次から次と渡り歩く旅には郭公は合っていた。
郭公のように去ってゆくこと、この人生からも去って行ければいい、寝たきりとかなんか邪魔者ととなってこの世に執着して生きているのはいやだ。
とにかく旅も一カ月もしていると本当に旅した気分になる。でも今の時代はスケ−ルが大きい。世界を一年くらい放浪しているのもめずらしくない時代だからな、ただその中には一カ所に沈没している人がいるから必ずしも旅しているわけではない、自転車のようなもので旅している人は本当にしている。
評論と鑑賞へ(郭公の俳句と短歌)
6月19日
ヨシキリや故郷の川にシジミとる
今日は郭公の鳴き声も聞いた。郭公は前は良くないていたが最近はこの町では鳴かなくなった。それがちょっとさみしい。どこか遠くに飛んでいったかもしれない、いい場所探して飛んで行った。
川ではヨシキリが盛んに鳴いている。シジミをとる人が何人がいたが前はしじみはとれたが今はこの川ではとれないようだ。自分も前にはかなりシジミをとったことがあった。真野川のシジミはうまいといわれた。今は買って食っている。
6月18日
また一つでで虫見つけ拾うかな何もせざりし田舎の道に
昨日デジカメでとった薔薇の花の蕾は開いていた。尼蛙はいなかった。「毎日変わる」まさに毎日変わるのがこの世である。不思議なことに昨日の薔薇と今日見た薔薇は全然違っていた。おそらくその日の気分にもよる。とにかくあらゆるものが変わる。一刻一刻さえ変わっているのがこの世であり自然でもあるのだ。だからデジカメでこまめにとっていた方がよい、花の表情も一刻一刻変わっているからだ。今日また同じでで虫を拾った。何もすることのない自分はでで虫を拾うのが仕事か、のんびりとした田舎にでで虫はふさわしい。なかなか大きなでで虫は少ない、北海道には大きなでで虫がいた。
6月17日
薔薇の中一日ひそむや尼蛙
a pretty frog hidden
in blossom of rose
all day long in secret
尼蛙は隱れているからわからない、最初葉っぱにいたのがもう一回来たら花の中にいたのだ。気付かなかった。途中の他人の家の薔薇だった。
6月16日
アンコ−ル貯水湖暮れて青き花
ノボタンの青や夕べの貯水湖に
ここはアンコ−ルワットの一番大きな貯水湖の水路でありそこに夕べ花が咲いていた。この花がなにかわからない、ノボタンともにているがよくわからない、とにかく人間の記憶はあいまいであり写真をみて思い出す方が正確になる。外国には日本にはない花が咲いているが名前を知ることはかなりむずかしい。とにかく写真の方が記憶が正確でありあとで役に立つ。ちょっと見えにくいが大きな花の下に咲いている花に注目!
6月15日
でで虫を一つ見つけぬ自転車を下りて歩みぬ夕暮れの道
小さなでんでん虫を一つ見つけた。自転車を下りてゆっくりと坂道を歩む。
夏の日は長い。自転車のいいところはこうしてゆっくりと歩いたり花や回りのものに目をそそぐことができることである。自動車だとこういうことはできないのだ。「いぞぐ必要はない、ゆっくり行けよ」となるのだ。
6月14日
楢原に泊まる一夜の古き宿汽笛ひびきて夏の日暮れぬ
楢原の駅名変わる歳月や我が旅せしは昔なるかな
今楢原という駅はなくなっていた。これはショックだった。会津鉄道は会津下郷駅になっていた。この会津鉄道さえ赤字路線でなくなってしまうところだった。これは栃木県と結び東京ともつながり第3セクタ−として辛うじて残った。なぜこれがショックだったかというと自分は楢原という駅名のときにそこに下りて古い旅館に泊まったことがあったのだ。それで楢原とは楢の木が多く生えていたから楢原だとか記憶していた。それはよくわからない、もともとは奈良原と漢字をあてていた。ここにとまったのは20年以上前か本当に昔になったのだ。ただそこに泊まったことは記憶していた。汽笛のひびきがまじかに聞こえる所だった。あそこから二股山を見たのである。
「楢原」「楢原」・・・楢原の駅がなくなった!!!!!!
オレが泊まった町がなくなったのか、どうしたんだ、聞きのがしたのか、そんなはずはない、「楢原」「楢原」・・・・オレが一度訪ねた町は消えたのか、ああ・・・昔となってしまったのだ、こうなってしまうこともあるのか、町の名も変わる、ついに自分の住んでいた家さえなくなり誰も記憶するものすらなくなる、これが人生なんだ、この世から消えてしまうというショックである。
これは時事問題10に書き加えアップ
ここにSLが走っている時代の風景がでている。
SL会津線
http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/index.htm
6月13日
夏の峰二股山の会津かな
Mt.Futamata in Aizu,sharp and keen,
the twined one in summer
会津にはいい山がある。山も2000メ−トル級でないと山らしくない。阿武隈には阿武隈高原であって山はないのだ。それでいつもものたりないのだ。山を見るには会津とか長野県に行かないとだめである。この二股山は全く二つそろった高さの鋭い対になった山である。いろいろ会津には山があるがこれはやはり象徴的な山だろう。梅雨の間は題材が少ないからつづけるのがむずかしい。梅雨のときはいつも北海道に行っていた。北海道もあきたのでもしかしたらオ−ストラリアに行くかもしれん。
6月10日
風そよぎ昼顔咲ける空地かな
最近住宅地ばかりふえた。百軒くらい立つかもしれない、田舎でも土地が高いし簡単に家を建てることはできない、だから家が建たない空き地がやたら多いのだ。当分この空き地はうまりそうになく昼顔が咲いているだけである。
6月8日
芍薬の残る一輪も半ば散り我が手に散らし庭の暮れにき
牡丹も散った、芍薬も残っていた一輪が半ばちっていたので自分の手で散らした。蕾のとき花の盛りのとき、そして散ってゆくとき、これまた人間の歴史であり人生である。まだその花の余韻は庭に残っている。インタ−ネットはライブだから逐次変化する様相を写真とかで伝えるのに向いている。自然も変化なら人生そのものも絶えざる変化なのだ。何一つ常住なものはない、人事も自然も刻々変化してやまない、今栄えているのはたちまち夢となってしまう。青春も一時の夢である。この歌では我が手に散らしたということに感慨を覚えた。つまり自然に散らすのではなく自分が介入してその死を早めたという自分が自然にかかわったということでこの歌ができたのだ。庭の面白さは人間がかかわることにある。人間がアレンジすることにある。そこが自然そのままとは違う世界が生まれるのだ。
牡丹十輪、芍薬十輪、その花の輝き
巣を作る燕は明るくさえづり
美しき日、輝かしき日は去りぬ
その花々に囲まれ我はありし
美しきものに囲まれ我はありし
ハマカンザシまたそえられて
我が庭に夏の輝きはつづきぬ
常に美しき日は絶えず我にあらむ
醜きものの我が前にあるべからじ
おぞましき日は罪の日は忘らるべし
美しき日はまた鮮やかに蘇らむ
さらに一段と鮮やかに蘇らむ
美しき日はやはり蘇る。汚れた日は苦いものとして罪の叱責としてやはり責める、これが因果応報である。だから青春時代でも汚れた日々を送ったものは汚れた思い出しか浮かんでこないし苦いものとなるのだ。ただ青春時代はただ刹那的に生きるだけでわからないのである。性に消費される若者が多いことは確かである。しかしそれは苦い思い出となり良きものを残さないのだ。心に残る良きものがあるのだ。金に残らなくても心に残るものがある。宝を天に積めとキリストが言ったとき、心に残る良き思い出を作れということである。それが意外と宝になるのだ。損得をぬきにして良きことは心に残るのだ。
6月7日
我も寄るツツジの赤し道の駅
相馬の道の駅で買い物した。コ−ヒ−カップと小さな石の壺であった。コ−ヒ−カップは大きめでもちやすくないとだめだ。旅行してお土産に買ったのは飾ってあるだけで使いなかった。お土産には茶碗がいいので買ったのである。この茶碗もどこで買ったかなど紹介すれば面白い。インタ−ネットでもいろいろ品物を紹介している。その人の好みのものを紹介すると生きてくる。
。
6月6日
十輪の牡丹芍薬散りしあと
ten bottans and shakuyakus have lost
the brilliant glories are gone
朝日さしはまかんざしの十輪ほど
牡丹も散り芍薬も散った、栄光の日の輝きは我が前から消えてゆく。
しかし夏の日の輝きはまだまだこれからだ。
6月5日
朝日さし芍薬の花に虫数匹
a few insects around the Shakuyaku blooming
in the sunshine on the morning
明るい朝の日ざしに芍薬が咲き虫が何匹か訪れた。それはこの庭を乱すものではない、ホームページを考えると今やアクセスされない、虫も来ないホームページがかなりあるのでは?数がふえすぎたことである。自分のホームページも虫数匹がきている感じではある。ホームページはみんな書くのが熱心だが読むことに熱心な人は少ないのだ。有名な人はホームページを出していてもたいがい読んでいない、めんどうなのである。探すことに時間がかかるである。有名な人は忙しいから余計そうなる。今日の一句一歌をやってみてもこれだけだすのにも結構手間かかるものである。書くということは結構労力が必要なのだ。だからインタ−ネットはパソコンの操作といいホームページにアップするにしても時間がかかるから暇人しかやれない感じがするのだ。ただ小さな出版社を個人でやれることがすごいのだ。もう少し資料とか写真とか絵とか図版とかを外部から導入すれば作り方を見せかたを工夫すれば個人でも出版社になれるのである。ただ手間暇かかるからかかりきりになる。それで無料では出版社も出さないのである。
6月3日
ハマナスと夏菊白し風そよぎ走りて近き海への道
夕日さし夏菊なおも明るしや