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2005年7月31日(日) |
沖縄の芭蕉 |
サンシンの音に芭蕉や夏の月
不思議なのは沖縄の国際通りのすぐ裏の宿に泊まったが芭蕉があった。やっぱり南国だなと思った。国際通りと言っても裏には粗末な家がったりバラックの飲み屋があったり田舎的なのである。ビルとか事務所で埋めつくされているわけではない、南国的な所が良かった。そしていつもサンシンの音が夜もひびいてくるのが沖縄であった。
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2005年7月30日(土) |
昼寝 |
昼寝しして老鶯の声今日も聞く
この頃やけに暑い、体もバテた。でものんびり昼寝だ。スペインではシエスタという昼寝の週間がある。二時間くら店を会社を昼間休む。暑いとやっぱりそうなる。インドとかでも暑いと涼しくなった午後から活動するとかなる。まあ、会社勤めがなければのんびりでいい、今の時代老人がふえることなどで江戸時代に回帰してゆく、老鶯というのが自分の俳句のテ-マになっているのもそういう時代だからだ。
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2005年7月28日(木) |
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雲雀が原伝家の旗に坂上る
野馬追いは旗祭りである。旗は先祖伝来の旗である。だから御神旗をとって雲雀が原の坂を上るときその先祖伝来の旗が目立つ、自分の家の名誉をあげることになるのだ。ただ今や一気に坂を上る馬は少ない、やっと上っているのが現状である。訓練していないから落馬しているのも多い。
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2005年7月27日(水) |
夏台風 |
去りにり夏台風や夕燕
夏台風去りにしあとの熱気かな
季語はなかなかわからん、台風だと秋だけど夏だったら夏台風だった
これは自分で思いついたのだ。さいわい台風は風のみで早々とさった。
ただ熱気が残る。
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2005年7月24日(日) |
野馬追いの日 |
夏の朝花輪をなすや街に行く
夏の朝若竹十本はや伸びぬ
風ゆれて合歓咲く道を走り行く
草深しこの道暮れて合歓の花
故郷の山の面影合歓の花
今日は午前中は晴れたので野馬追いの神旗争奪戦を見に原町に行った。終わりの方だった見ることができた。何回も見ているので新鮮味がない、丘を駆け上るときが迫力がある。馬に乗りなれていないから落馬する人がかなりいた。馬に乗ることはモンゴルで経験したから結構怖いことなのだ。モンゴルの馬は小型だからよかった。あれが高かったら怖い、走ったら振り落とされるようだった。
心地よく蹄の音や馬帰る
パカパカと旗をとりご褒美をもらい馬が帰る、ぱかぱかと馬と人とがこの時だけ一体となる。馬というものを知ることは今やむずかしい。昔は馬と人は一体だったのだ。その馬と人が一体になっている姿がなんともなつかしいというか人間的なものを感じた。馬は日常の生活から消えたから馬を感じることはむずかしいのだ。毎日が車の洪水では疲れる。馬と人間、動物と人間が日常の生活で一体になることはなにかほっとする。それほど人間は今や機械とか人工物に囲まれ疲弊してしまったのだ。馬と人間が一体なって暮らしていた時、それはかけがえなのい生活がそこにあったのだ。曲がり屋で馬と同居したのもそうである。でもそこに馬がいないから実感として馬と人間の親密だった生活を知ることができないのである。牛と一体となった生活なら確かにインドにある。そこでもやはり牛から得られる何かがあった。牛というものがそこで生きていたのだ。そこから牛がもっている精神的パワ-を受けとっていた。牛の忍耐強さとかをエネルギ-として受けとっていたのだ。それがない都会の人工的世界はかえって異様なのである。人間も生物だから自然と生物と離れては生きていけなものだったのだ。
相馬郷土史(ビデオと写真)
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2005年7月23日(土) |
野馬追い(馬の糞) |
法螺貝に怒号に花火に馬の糞
野馬追い始まったけど河原で旗取りあったのも見なかった。野馬追いは観光客でも一回見たら終わりである。全員参加型でないから全体的に盛り上がらない、でもこのときだけ元気になるのが先祖伝来の甲冑を身につけて参加する人だろう。何か叫び馬が先陣を切り走ってゆく。まあ、車社会ではない、人間的なものがここに生まれる。
奇妙だが馬の糞とか犬の糞とかはやっかいなものである。アサファルトにしたものは消えないのだ。いつまでも藁になっても残っている。片づけないときえないのである。土だったら分解するが消えないのである。アサファルトとは自然でないからリサイクルしないのである。こういうところにも文明の問題があると思った。モンゴルとかインドとか糞は燃料として使っているからリサイクルしているが文明国ではそうならないから動物を飼うことはかえってめんどうなのだ。文明国で野生の動物を飼うことは合わないのである。
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2005年7月22日(金) |
6号線 |
老鶯の二三羽今日も里の道
ノウゼンに立葵咲き6号線
最近また曇ってきた。梅雨のもどりか明日野馬追いは曇りだった。今頃からっと晴れるんだけど今年はだめだ。6号線は騒々しくていやだけと生きた道なのだ。馬籠とか妻籠とかに昔の道を残したけどそれは死んだ道なのだ。熊野の道にしても遠い過去の死んだ道なのだ。やはり死んだ道には魅力がない、人間が今生きて通っている道でないと魅力がないのだ。昔の街道でもそうである。いつも行く道は旧道でも何人か地元の人でも通っていればそれなりに生きた道なのである。その点遍路の道は生きている。今も遍路が観光でも歩いていることが道を生かしているのだ。
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2005年7月19日(火) |
釣り人一人 |
10人の釣り人並び夏の海
老鶯や釣り人一人松の影
昨日は海に10人くらい釣り人がいた。休みだったからだ。異常な暑さで体調崩した。今日は一人くらいしかいない、老鶯が松林ではっきりと鳴いていた。一人だとなんとなくのどかな感じがする。ここも火力発電所とかでかでかとありのどかな感じがなくなった。今の時代のどかなと感じることが少ない、なんか常に騒々しいのだ。江戸時代は常にのどかな風景がいつも広がっていたのである。
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2005年7月15日(金) |
四阿屋(あづまや) |
老鶯や四阿屋二つ川の岸
遠山や道新しくや立葵
今年はこの辺は梅雨でも雨ふらない、今日は雲がないから一日晴れているだろう。やっと四国遍路の旅のまとめができる。これは自分なりにも圧巻だった。ここからさらに発展するものがかなりある。四国にはやはり一つ一つの碑にも古い歴史がしみこんでいるから違っていたのだ。
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2005年7月14日(木) |
尼鷺 |
みちのくに尼鷺十数羽汽車に見ゆ
On my going train
I find out tens of amasagi
in michinoku
クロスバイクス-パ-常陸や都草
尼鷺は南から群れてくる。それを走っている汽車の窓より良く見た。
このクロスバイクはタイヤが太く走りやすい、ス-パ-常陸が走り去った。
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2005年7月13日(水) |
雨にぬれた紫陽花 |
雨濡れて紫陽花の青息づきぬ
カノコユリ開きし朝や燕かな
苔の花虫一匹きてかそけきや
紫陽花はやはり雨ぬれていると映える、昨日の雨の粒が残っていた。
今日は晴れた。カノコユリが開いて燕が電線にとまっている。苔の花にはかそかに黒い小さな虫がきていた。あまり見たことのない虫である。自然には常に命の輝きがある。日々変化する命の輝きがある。
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2005年7月11日(月) |
市(マチ)に二里の道 |
誰が行く松影静か夏の昼
隠されて文目一本旧き道
夏菊や新しき店原町に
老鶯や隣の市に二里の道
原町までは7、8キロだとするとおそらく1里が4キロくらいだとするとそのくらいの道か、一里とか二里とかの距離の測り方の方が人間的である。歩測であり機械的ではない、ヒュ-マンサイズとか人間的な距離感覚をとりもどすべきである。隣が二里だとすると自転車で行っても遠くはない、そこに五万くらいの市があればそれなりの用はたせる。DVDをTSUTAYAで借りたのだがこれがちょっと車がないと不便なのだ。その他はほとんど不便を感じない、本なんかもアマゾンで専門書は買えるし通信販売でも必要なものはほとんど買える、田舎でもそれだけ便利になったのだ。ただ近くに五万くらいの都市は必要である。一〇万くらいだとさらにいいかもしれない、時々実際に都市に行く必要があるからだ。ただあまりに大きくなると必要はないのだ。まあ、自転車だと二里が限度である。ともかく人間的になるには一里とか二里とかいう感覚をとりもどすべきなのだ。車にはそれがないのだ。車の感覚は一里と言った場合一〇里になっているのだ。俳句にしてもこうした感覚を取り戻さないかぎり作れなくなっているし江戸時代の俳句すら鑑賞もできない、感覚がスピ-ド感があまりに違いすぎるからだ。
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2005年7月7日(木) |
五月闇 |
我がたもと縁(えにし)の墓や五月闇
蝶一羽庭をい出じや梅雨曇る
ここで五月闇と出したのはこの意味がよくわからないからだ。ただこの句は自分の死んだ縁者(腹違いの兄の墓)が自分の家の墓と別にありここに子細は言えないが墓が近くにある。その墓を思うとき五月闇というのがあっしいるのではないかと作った。死者とはやはり身近にあって思いだすものなのである。墓があればその墓を依代として死者を供養し思いだすのである。だから靖国神社に祀られた死者はその縁者の身近なものでない、国魂みたいなものになってしまった。身近に思う霊じゃないのだ。そこが特殊であり神にされたような普通の祀りかたとは違ったものとなる。そこに大きな問題がある。
http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/115.html(五月闇の説明)
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2005年7月6日(水) |
文目 |
一本の文目に松や旧道(ふるきみち)梅雨の雨ふりひそか帰りぬ
菖蒲(あやめ)と文目は違う、菖蒲は水辺に咲くけど文目は文の模様であり乾いた地に咲くのである。
菖蒲というときたいがい水辺に咲く大きめの花である。
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2005年7月3日(日) |
垣根と紫陽花 |
紫陽花や垣根の長く夕べかな
札幌に帰る車や夏の夕
長い垣根の家で広い庭に紫陽花が咲いていた。垣根は外から中が見える。そこが一つの日本の文化なのだ。ブロックとかの西洋の庭は壁に囲まれて見えないのだ。完全に囲われている。庭そのものが防御するものであり境界であり他者を入れない閉鎖された世界である。外と内がはっきりしている世界である。敵と味方を分ける世界なのだ。西洋の壁、ウオ-ルには大きな意味がある。日本の垣根は他者がのぞかせる、他者を警戒しない、そうした親和的なものがある。ただこれも竹とか自然の素材を活かした単に家を囲っただけのものともいえる。自然の素材をそのまま活かすのが日本人の文化だからだ。
札幌のナンバ-だと遠いと思った。一日以上はかかる。どこから来たか車のナンバ-をコンビニで見るとそれなりに面白いが話しかけることもないのでつまらない、自転車だったりすると話しかけたりするが車ではしない、車には土地の人との会話すらない、通りすぎて行くだけなのだ。
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2005年7月1日(金) |
庭の妖精 |
妖精の日影にひそむ小さき庭
a fairy hidding in secret
in the shade of my small garden
この妖精はうまく配置した。これで生きる花や庭がある。ここから童話を書けたりする。最近ほとんど書いていない、才能がないから書けないのだ。ともかく夏は晴れるといい、梅雨も必要だが日本の夏は短いから夏を楽しめないのだ。夏は3ケ月必要である。それも晴れないと夏らしくないからだめなのだ。
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