(小林勇一)

市町村合併名前の問題として連続して書いてきましたが地名談義そのものはつづいています。

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池の名前三つ




池の名前三つ

●【五位ノ池の地名にまつわる伝説】

「五位ノ池」という町名は、昔この地にあった大きな池があったことから、その池の名前にちなんでつけられました。その池は、西代村の田畑に水を注ぐためのため池で、よくゴイサギが集まっていたことから、五位ノ池という名前がついていました。

この世にこそ王位も無下(むげ)にかるけれ、昔は宣旨をむかッてよみければ、 枯れたる草木も花咲き実なり、とぶ鳥もしたがひけり。
  中比(なかごろ)の事ぞかし。 延喜御門(えんぎのみかど)、神泉苑(しんぜんえん)に行幸 あッて、池のみぎはに鷺(さぎ)のゐたりけるを、六位を召して、「あの鷺とッて参らせよ」と仰せければ、 いかでかとらんと思ひけれども、綸言(りんげん)なればあゆみむかふ。
 鷺はねづくろひしてたたんとす。「宣旨ぞ」と仰すれば、ひらんで飛びさらず。これをとッて 参りたり。「なんぢが宣旨にしたがッて、参りたるこそ神妙(しんべう)なれ。 やがて五位になせ」とて、鷺を五位にぞなされける。今日(けふ)より後 (のち)は鷺のなかの王たるべしといふ札をあそばいて、頸(くび) にかけてはなたせ給ふ。
 まッたく鷺の御料(おんれふ)にはあらず、只王威 (わうい)の程をしろしめさんがためなり。


ゴイサギというのは良くみかける鳥である。この名前の由来がここからきているとは思わなかった。もしそうだとするとサギという名前はあったが平家の時代までゴイサギという名前はなかった。サギと読んでいたのか、この物語は奇妙だが天皇の威光が薄れてゆく時代のことだった。東国に鎌倉幕府ができる時代でありそれで宣治であれ位を授けてもありがたみが重みが威厳がなくなったのだ。それで鳥に位を授けたということがそれを物語っている。サギにかこつけてその当時の天皇の権威の失墜してゆく様を書いたのである。それにしても平家時代までこの鳥の名前がなかったのは不思議である。サギにしては変わっているからだ。



●月不見の池:つきみずのいけ 糸魚川市

月不見の池とは、池の名前の由来は、池の上を覆い尽くすほどの藤の花の大木があって、夜空の月が隠れるほどだったと言うところから、池の名前が付いたと言われています。

こうした池を実際にあるのを見た。藤に覆われてしまっている池である。深い森の中だった。藤の花はやはりこれほど咲く花でもあるのだ。池の名前も無数にある。これに注目したのは私の故郷を歩いていたらそこに池があり藤の花が垂れていたのだ。その藤の木が倒れて池につかっても花は咲いていた。それでここを古藤池と名付けた。藤池とか藤見池とかはあるから古池に藤を合体させたのだ。池というと日本では堤のことでありため池のことである。沼となると自然の沼だがこれは少ないのだ。

●万葉集の池

 冬の10月、大和国に、高市の池、藤原の池、片岡の池、菅原の池、三立の池、山田の池、剣の池を作った。山城の国に、大溝を栗隈に掘った。河内の国に、戸刈の池、依網(よさみ)の池、大津の池、安宿(やすかべ)の池などを作った。使いを諸国に遣わして大小にしたがって池を築かせた。また、国ごとに屯倉を設置した。ことがかなって太子は奏上された。国中は、厳しい日照りの憂いがなくなり、百姓は富んで楽になった。 
(皇太子本紀下太子九2003・7)


1249: 君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも

3089: 遠つ人狩道の池に住む鳥の立ちても居ても君をしぞ思ふ

3289: み佩かしを剣の池の蓮葉に.......(長歌)

3492: 小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも


ぺカンペはアイヌ語で菱の実を意味し、茹でたり乾燥したものを保存して粥などに入れたそうです。

菱の実は8月から9月に熟すると言う。犬飼哲夫によると、アイヌコタンがこの湖畔に開かれたのも、菱の実がたくさんとれることが理由の一つらしい。菱は水面に繁茂する草だが、その実は澱粉が多く、主食になるのである。

ぺカンペの地名:別寒辺牛


1249がなぜ浮沼の池となっているのか?つまり池の前にここは沼だったのである。沼と池は違う、沼は自然の湿地帯の沼であり日本には田になるところは湿地帯になっていたところが多いのだ。だから浮沼という原始の状態がここに記されている。万葉時代も菱の実を食っていたのだ。ひしめく・・・一杯あるということで菱から生まれた言葉だろう。狩道とは狩りに行く道である。池はもともと人工的に作られたものであり稲作には池は不可欠であり渡来人が土木工事の技術をもたらし作った。池と稲作は不可分に結びついていたのだ。ともかく関西の池は古代にさかのぼるから古い、東北地方の池はそんなに古くないがしかし鹿島町にある唐神池というのは唐神は韓(から)の神でありここにも名前まで記した渡来人が出てきたのだからその頃から唐神という地名があった。その唐神の地にあとから池を作ったから唐神池となった。そして今回名付けた古藤池は小山田という所にあったのだ。小山田という地名は多い、山から水が流れる所でありそういう地形が日本には多いからだ。ただこの小山田を上ってゆくと隠町とあるから隠田があったのか奥になるからあっても不思議ではない。
古藤池

古池に隠れて家や藤の花

牛蛙鳴く声太し夏の昼

牛蛙水底沈む夏の沼

藤垂れぬ影なす道を歩みきて池にひそけく息づく命