小林勇一作




相馬郷土史研究プログ

相馬郷土史研究プログはじめました
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今日の一句一首プログへ
こちらも継続しています、本プログです

著作権フリ-ビデオ(野馬追い)
リンクきれていたので直しました
神旗争奪戦


  2010


相馬藩の地理的一体感6月8日

野馬追いの鎌の旗印の背景5月25日

南相馬市鹿島区栃窪上萱(うえがや)に残った一本の桜(短歌十首) 5月23日
丸森町筆甫の古田口の地名の現代的意味(田より水芭蕉が価値ある時代)4月28日
南相馬市図書館での泉官衙跡の講演の要旨 3月10日
近代デジタルライブラリの二宮尊徳の相馬藩の記述 2月18日
福島県(浜通り)の東風(こち)について1月17日
団塊の世代が生まれ育った時代 2月16日
相馬より会津へ (白河街道-詩と文) 2月13日
相馬野馬追いとヨ-ロッパ戦争の叙事詩(ミルトンの詩より)-消えた記事を回復 2月12日
製糸工場女工の労働から働く価値観の変化を歴史的に考察(時事問題の深層40へ)2月10日

枯草(故郷に住むということ) 1月30日
春めく雲(福島県-浜通り-中通り-会津の気候) 1月24日
冬の短歌十首(風花の飯館村)1月23日
2010-1-22
野馬追いに出ていた石田三成の旗印
http://musubu.sblo2.jp/article/34893695.html
2010-1-19
湿地帯に囲まれていた田中城の興亡 (南相馬市鹿島区)
2010-1-12
松島瑞巌寺の歴史的背景(伊達政宗について)
2010-1-8
橲原村(じさばら)冬の短歌十首(村に生きる意義)



初めて見た相馬市の小野の里12-27

相馬市成田の竹内氏の姓の由来12-25
相馬市の高松から小野を回る(俳句短歌-写真)12-25
相馬藩の城南十景、北山八景の短歌の感想12-24

相馬市成田の五郎右ェ門橋の由来12-23
冬の俳句十句(日立木→相馬市→成田の墓地を回る)
12-23
相馬藩内の人の移動について12-18
南相馬市鹿島区栃窪の魅力(冬の俳句より)12-15
何故棚田が作られたか?12-10
相馬藩玉野村の境界争いはなぜ起こった?11-1
故郷秋思十首(平城宮から陸奥の真野) 10-19
古代より都と密接な関係があった南相馬市鹿島区(真野)10-16
南相馬市原町区萱浜と鹿島区大内の原初は湿地帯 10-10
母の霜焼け9-20
鎌倉からみちのくへ 8-27
夏の日に仙台まで(逢隈駅の由来)8-25
お盆の風習の相違(鹿島区では提灯を表に飾らない・・・?)8-10
旗帳に記されていない旗 8-1
野馬追いの詩(2)−新しい旗も参入?7-24
熊鷹の話(ここにも熊鷹がいた?7-6
郷土史研究に必要なもの(町誌)6-1
伊達政宗の陰に隠れて忘れられた月鑑斎(相馬氏と縁故の武将)5-31
陸奥の袖の渡りは石巻の説5-24
春の短歌十首(津島から葛尾、三春、飯館へ・・)5月4日
井戸の話(沢庵和尚の春雨庵から・・・)5月2日
日立木村(正一位館腰宮の碑の謎) 4月27日
南相馬原町区市片倉村の謎 -4月15日
陸軍兵長の墓(戦争の敗因) 4月9日
いわきの姓と相馬氏の姓 3月29日
飯館村-大倉から佐須、草野へ(春の短歌十首) 3月28日
兎(うさぎ)の話 3月26日
標葉郷(浪江)-末森村の謎 3 月24日

末続村の謎(2)-相馬氏にも末(須江)氏がいた3月21日
常磐線-末続駅の謎(新妻氏一族の村だった)3月19日
福島県陸前浜街道の自然と歴史をたどる3月17日

南相馬市の鹿島区に九州の国の名が地名としてある訳 3月14日
旗巻峠-伊達と相馬の攻防の歴史3月3日
春の日旗巻峠を越えて丸森へ(詩の部)3月2日
春の日に旗巻峠を越えて丸森に(短歌の部)2日
野馬追いの旗の研究-目立つ大将の母衣(ほろ)の意味(地域代表の旗)2月24日
戊辰戦争東北の一つの哀話(白河の遊女の墓)2月21日
野馬追いの旗にある冠木(かぶらぎ)の姓と冠木門の旗印の謎2月19日
郷土史研究で大事な字地名(黎明さんから提示された相馬市の地名の謎2月18日
福島県相馬市石上字隠居田の意味2月15日
奥州栃窪村が寄進した四国遍路(箸蔵寺へ)の丁石の裏付け2月10日
奥州栃窪村(現 福島県鹿島町)の住人が寄進した金毘羅参りの
「箸蔵寺百丁」の道標は歴史的事実2月9日

相馬野馬追いと酷似していたミルトンの叙事詩2月1日
市のつく地名(古市の古さ)1月28日
越中富山の薬売りと相馬への移民(江戸時代の情報伝達の謎)1月25日
小説から昔を回想して郷愁にひたる(酒屋は昔の村や町の中核)1月21日
野馬追いから考える地方文化ルネサンス(再生)の時代(野馬追いの短歌連作)1月1日


2008

江戸時代の旅の謎-親密な人と人の交わり(南相馬市鹿島区の江戸時代の旅の記録)
葛尾大尽と歴史の道12月28日
前田前畑の地名の意味(南相馬市原町区大原より)12月27日
原町の名の起こり(地名も合併しても歴史的継承が必要)12月13日
相馬市の発展の歴史的順序(方角地名が地名の基本12月12日
相馬焼のキ-ワ-ドから小話一つ11月21日骨の話11月13日
秋深む飯館村の道(飯館村の今と昔)
10月30日

葛尾(かつろう)村から三春へ(秋の暮-(残された一つの物語)
万葉集の「松がうらにさわゑうら立ちまひと・」の東歌は当時の景観のイメ−ジと合わない(相馬郷土史研究)10月19日

野馬追いの旗の分類−旗印は村々で同系統だった9月15日
浪江の地名と土井晩翆の歌9月9日
常磐線10句−常磐線の果す役割(福島県内)(鉄道の部)9月4日
橲原(じさばら)に住む老人の話(小池の炭鉱で働いていた)8月27日
飯館村の魅力(相馬郷土史プログへ)8月23日昔の山の暮らし(馬を飼う牧として利用されていた)8月20日
相馬藩の境にまつわる話8月15日
都路(みやこじ)山都 宮古 みやこ町 都田・・・・みやことつく地名の謎8月1日
(相馬郷土史研究プログへ)
方言のもごいと酷い(むごい)の意味は?7月28日
野馬追いの地元からの見方、感想万華鏡の旗(野馬追いの新しい旗)
千里疾走する天馬(詩の部)
l野馬追いの旗印の分類(1)2 3 4 5(プログ)7月15日
野馬追いの一つの旗の意味は?(山中郷の山とついた旗の謎)7月13日
郷土史も地理が大事−(虎捕山伝説から佐須の場の解明)6月28日
忘れられた道−卒塔婆峠

相馬市は城跡のお掘りが今も中心 (歴史は地理的位置関係が重要)6月19日
葛尾村(落合)の明暦と元禄と記された石碑の謎6月13日
飯館地名歌集6月7日
麦のつく地名の背景(麦と田は併存していた)(地名談義
病院から南相馬市原町区の街をながめ昔を思う
(原町市は一早く近代化された街だった
5月20日
南相馬市鹿島区台田中の墓を調べる(田中城に由来する墓?
5月14日
相馬藩の飢饉の歴史(宝暦から始まっていた)(プログヘ)5月10日
飯館の大倉の名の由来は鎌倉の大倉郷から?
5月3日
飯館村なぜは南相馬市に合併しなかったか?(地形的要因が大きい)4月26日
鉄、銅、馬、黄金、塩の道としての陸奥の真野の草原4月24日(プログへ)
相馬市(日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎 4月23日(プログへ)
日立木(日下石+立谷+赤木)も合成地名4月23日
越中から相馬へ移住した人の墓誌(プログへ)4月3日
自転車の思い出再考(日本の自転車の歴史)(プログへ)4月2日
浪江の津島の遠さ(伝説の径路)(プログへ)3月28日
橲原(じさばら)のジサはエゴの木の古語(プログへ)3月21日
相馬方言の「そくなり」の意味(プログへ)3月19日
(方言は情の言葉−方言の消失はは文化の消失)

南相馬市立病院が観光スポットの穴場?2008−2−4

磐城−相馬街道(百街道一歩の道中記)を読み−歌にして偲ぶ
(浪江町の正西寺の歴史の謎)−プログへ
2008−1−11
 相馬市日下石地域の方角地名2008−1−8


2007

名取に鯨が打ち上げられた(相馬(鹿島区)にもあった鯨の碑)(相馬郷土史関連)12月11日
戦地の引揚者が入植した歴史12月5日
木のつく地名(宮城県仙台市宮城野区銀杏町)11−22
明治−大正−昭和−元号の町村名は消える運命に(地名談義)11−16
真土など土のつく地名(地名分類)10月27日
飯館村で考える農業の問題(飯館村のコ−ヒ−店で自家製のパン買う矛盾))−プログへ10月26日
飯館村が残った理由(地形的境界と歴史的境界)10月12日常磐線−太子堂駅−新駅名と昔(地名談義)9月25日
地名は実益からつけられた(地名談義)9月22日
陸奥の真野の草原の歌の謎が解けた!9月19日
新鉄道唱歌(仙台−相馬−磐城)
(時事鉄道)8月29日
近くの箪笥職人の話8月4日(プログへ)
伊達に抗して荒ぶる馬(野馬追い迫る)7月19日
明治維新は何であったのか?(相馬藩のその後7月14日
錯覚しやすい陸奥真野の草原→真野の萱-6月26日(プログヘ)
会津の方角の不明(広い地域では方角地名が大事だった)6月7日
企業イメ−ジで(ひばり野市がいい)市町村が決められるのか?(市町村合併後の再考5月11日
なぜ南相馬市になって違和感がつづくのか?(広域地名化は文化の破壊)3月3日
大倉の老婆が相馬女学校出たと・・・(プログへ)2月13日


2006

冬の日の飯館村をめぐりて(なぜ老子の無為自然が実行されないのか?)11月18日
冬日山村(飯館)−詩−写真2006−11−17日
陸奥真野草原考−補足2006−11−9日
相馬焼の歴史(俳画をそえて)2006−11−2
幸田露伴 「遊行雑記」の相馬の部を読む2006−10−7
飯館の秋のあわれ(田作り米に執着した日本人(飯館の道へ)9月19日
町名など名前の変遷は歴史そのもの(双葉の新山−長塚駅の由来)9-10


2005

交通事故の死角(鹿島町南海老で二回交通事故で死亡
11月24日(時事30)
切実な農民の語りから学ぶ(インタ-ネットで新しい民俗学の研究)(時事問題深層30)
フランスでの暴動と相馬の移民の歴史の比較2005-11-12日(時事問題深層30)
川俣の歴史と詩情(川俣は山影の町)2005-11-4
高速道路常磐道の衝撃2005-8月14日(時事29)
野馬追いは馬の日として盛り上げる(時事28)2005-7-25




地名散策
地名をたずねる クリック


相馬の地名と秋田、青森の地名の共通性(ケとキは共通の言葉)2005-1-6日
阿武隈編

阿武隈の魅力は道にある2004-11-12日

阿武隈の歴史の道(相馬から川俣へ)2004-11-8
(一部殿様道について調べ加筆しました)



五台山の神秘(写真と詩)


市町村合併で名前が変わる)−(ここにまとめました)−地名談義

市町村合併の名前(続)「南相馬」では不満が・・・8月12日
新市名は雲雀野市と雄琴の由来など 9月7日
飯館村が合併に反対なのはなぜ 9月26日
馬券売り場でイメ-ジ悪くした飯館村 10月8日
二宮尊徳は相馬に来ていなかった11月22日
市町村合併の名前の混乱
(ひばりの市は取り消しで投票で決める新市名)12月21日
新市名が南相馬市に決まったが・・・12月29日
合併で変わる名前の疑問(相馬藩と宮古と岩泉に関係あり)2005-1-5
北、南など方向地名は多いが・・・(南相馬の名前でいいのか)2005-1-8
地名を変えることは大きな変化だ(こんなに合併で名前を変えていいのか)2005-1-20
大きい名前のイメ-ジ力2005-1-24
地名の安易な変更は問題だ(市町村合併問題)2005-1-27
漢字とカナの相違も大きい1-30
太平洋市で決まる-地名は勝手につけていいのか2月3日
115年つづいた都路村が合併で消失(その謂われなど)2月12日
広域的な地名を名付けるこの違和感(市町村合併の名前の問題)12月16日
北畠氏と熊沢天皇騒動(阿武隈にも古い歴史の因縁)(都路村の続編)2月19日
セントレア騒動の顛末は・・・(相馬中央市、相馬中郷市ではどうか・・・2月20日
琉球の意味とさつま市の波紋(市町村合併問題)2月25日
セントレア(中心)志向(中村は中心の村だった)2月28日
相馬藩(市)と中村藩(市)の相違は何なのか?3月1日
地名の古さ(中世には鹿島町と飯館村は千倉庄内にあった)3月2日
奥州市は東北全体をさすから問題だ3月3日
歴史を無視した地名の問題(小牛田が美里でいいのか)3月6日
鉄道ができて文化の破壊、地名の破壊が起きた(市町村合併問題)3月10日
(常磐線湯本の湯長谷は湯長屋か)

湯本のさはこの湯の由来は・・・(地名への愛着の喪失はなぜ)3月11日
記憶になかった江刺市の発見(市町村合併問題)3月16日
森と角田市が合併して阿武隈市も問題だ3月16日
(角丸市は冗談か)

南相馬市の方角地名は事務的すぎてやっぱり嫌だ2005-7-11
市町村合併名前-イメ-ジダウン2005-8-9


四国の旅から

香川の意味、地名はその土地を豊かにする再び四国の旅へ3月17日

四国地名の旅(やっぱり四国中央市は味気ない)4月6日
地名は悲惨な歴史を記す(碑にも残らなかった遍路の無念)4月19日
四国の貞光町からはば山(端山)へ(地名の元は音からはじまった)4月20日
姓と地名の伝播(宇和島藩は伊達藩が移る)4月22日
音戸は隠渡(おんど)だった-加古川は鹿子(水手)-かこ5月3日

牡鹿半島の地名(5月24日)

ここから新しいペ-ジ

池の名前三つ(地名談義のペ-ジ)(市町村合併問題の続きです)







八沢浦から相馬市へ
(相馬藩の特色)




大悲山磨崖仏
(写真と詩)



夏の故郷風景2005(写真と詩)
2005-6-19

栃窪部落(金比羅の碑)

消滅した上萱部落

岩松氏の伝説


みちのくの境界について

萱原と虫の句

鹿島町の土地の新旧(歴史背景、地形などから)2004-4-9

古代史−鹿島町(真野郷)の解読
(クリック)
(毛野王国の解読など
)

陸奥真野草原考

詫馬野の紫草の歌と陸奥の真野の萱原の歌の謎
2004-5-20(1)
陸奥真野の草原は本当に萱原だったのか2004-5-23日(2)
陸奥真野の草原の疑問(2)2004-6-9(3)
陸奥真野草原考(4)
(泉廃寺跡(郡衙)から渡来人の人名の木簡発見!)2004-6-12
真野草原は草原(萱原)でなかった(続編)
(狩猟採集や焼畑から稲作へ変わる過程から)(5)
2004-6-24
日本の中の加耶の不思議(陸奥真野草原考6)2004-6-29
(カヤの謎は深い)
陸奥真野草原考(7)移動地名の謎2004-7-9
陸奥真野草原考−補足2006−11−9日
相馬の製鉄遺跡群(飯村均)を読んで2007−1月11日
(南相馬市の金沢製鉄遺跡の土器にあった「今」の陰刻の謎)


陸奥の真野の草原の歌の謎が解けた!2007−9−19

(詩の部)


飯館村


飯館の道2004-5-2

詩の部
(別にクリック)

阿武隈海溝2004-10-17