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小林勇一
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中国は新たな世界文明の中心地になりえるのか9月3日
スパルクタスの反乱(奴隷の歴史)9月10日
読書の秋(読書のコツは何なのか)9月17日
フリ-タ-、ニ-ト問題の深層(自民圧勝の要因)9月23日
炭から考える都会と田舎の問題(グロ-バル化の暗黒、危険な側面)9月25日
フランスの移民の暴動の拡大と江戸時代の相馬への移民の比較11月8日
作られる報道(杉村太蔵衆院議員は自民党の操り人形)11月10日
事実でない姥捨山の伝説(作られる伝説と報道)11月12日
切実な農民の語りから学ぶ(インタ-ネットで新しい民俗学)11月4日
最近買った商品(口コミが大事になる)11月20日
宣伝にたぶらかされた時代(NHKは宣伝するな)11月22日
交通事故の死角11月24日
中国は新たな世界文明の中心地になりえるのか
●中国から仏教文明を取り入れた日本
中国はあれだけの広大な国だから世界的な文明を作ったことは歴史的に誰もが認めている。その文明に習って日本も奈良時代に万葉集など国風文化と唐風文化の融合が行われ一大文化が華咲いた。そこには中国も仏教を取り入れたことによる仏教文明が華開いたのだ。仏教というのは当時は宗教だけではない、技術的なものもそれと当時に入ってきた。日本では奈良の大仏を作ったり塔を作ったり伽藍を作ったりしたのも仏教の思想的な面を深く理解してなくてもその塔とか伽藍などは日本にそもそもなかったのである。だから誰しもその仏像とか塔とか伽藍に目を見張るものがあり感嘆していたのだ。不思議にこれはロシアにキリスト教が入ってきた時と同じだった。
まず初めにブガール人がウラジーミルのもとにきて、イスラム教を国教として採用するように勧めた。しかしこの宗教が酒を禁止していることを聞いたウラジーミルは「ルーシ(ロシア人)は酒なしに生きることができぬ」といってこの勧めを断った。次にハザール人が来てユダヤ教を勧めた。ウラジーミルは、彼らがその罪故にイェルサレムを追われ、自分達の土地をもっていないと聞き、そのような神はいらないと言った。最後にコンスタンティノープルからギリシャ人の哲学者がやってきてキリスト教の教えを説いた。翌年彼は10人の知慮に富む家臣を派遣してそれぞれの信仰と勤行がどのように行われているか調べさせた。帰国したこれらの家臣たちは、コンスタンティノープルでこの世のものとは思えないほど美しい勤行を見たことを報告した。この報告を聞いて、ウラジーミルはキリスト教を国教とすることを決意した、という。
この逸話はロシア人を如実に現しているもので興味を持った。ロシア人はウオツカ、酒がかかせないのだ。これは寒さのために酒を飲む習慣ができている。酒と脂肪をとる必要を体が要求する。北極熊であれ熊が脂肪を貯えて寒さをしのぐと同じなのである。昼間からビ-ルを水代わりに飲んでいるのもそのためである。また土地にこだわったのも古来農民だからそうなった。遊牧民だったら土地にこだわらないはずである。次にキリスト教を導入したのはその思想とは関係なくその荘厳な美にひかれたのだ。特にビザンチンは華麗に教会を装飾したからである。これはイコンともなりあとで偶像崇拝で争うことになった。これはしかし実に日本の仏教を取り入れた時と同じだったのだ。
欽明天皇(552)百済の聖明王が釈迦金銅像一躯、幡蓋(はたぎぬ)、経論をいくらか、大和朝廷に献上した。
そして群臣たちに
「西番(にしのとなれるくに)の献じた仏の相貌(かお)端厳(きらぎら)しい。まったく未曽有のものである。拝礼すべきではなかろうか?」と言われた。
天皇が仏教を取り入れた動機がロシアと同じだったのである。奈良時代に日本と中国の唐を比べると格段の文明の相違があった。だから漢字もそうだが中国の唐からあらゆるものを取り入れたのだ。つまりこの時は日本は中国とは比べることができないほど遅れた国だったのだ。仏教という時それは当時は仏像であれ建築であれ総合した文明だった。だからこの時日本は中国に従属する国となっても損はなかったし積極的にその文明を取り入れたのである。しかしその後は日本は独自に発展した歴史を作ったからその時代と同じように中国が日本を考えるのは的はずれである。
●ロ-マと長安は世界文明の中心都市だった
ロ-マと異民族の関係も圧倒的な文明の差があったのだ。建築術にしても文化の差は歴然としていた。だからヨ-ロッパ各地に建てられたコロッセオとか門とかロ-マの道とかインフラは異民族には作りえない格段に進んだ技術、文明だった。文字すらなくラテン文字が漢字のように各地に記され残っている。ロ-マはロ-マ法とういう法律も作っていたしキリスト教もあとで付け加えられ世界文明と発展したのだ。だから今でもフランスのラテン圏とドイツのゲルマン圏は文化が違っている。それほどロ-マ文明の影響は大きかったのだ。今でも各地のロ-マの残した遺跡を見ると驚くほど荘厳なものがある。日本に入って来た仏像以上の驚きがあったに違いない、まさに圧倒的な文明の差があり異民族も奴隷にされたりしたが従ったのである。その文明に組み入れられた方が得だったのである。ただ奴隷問題はアキレス腱でありその奴隷問題でロ-マがゆきづまったというのも文明は武力や力だけでは維持できないことがわかる。公平な法の施行や様々な装置が必要なのだ。一方的に奴隷にして酷使するとかそういうものでは文明は維持できない、とくに異民族をとりこむ世界文明となると公平さが要求される。だから異民族でもロ-マ市民権を得て重要な地位につく人もいた。これはモンゴルの元の国家でも多民族国家だからイラン人なども交じり王を補佐する重要な地位についた。世界文明となればそうなる。
では中国は今かつての唐の長安(西安)のような世界都市となり世界文明を再び作ることができるのか?確かにその要件はそなえているし北京にいると中国の中心であり中国は一つの世界文明であり北京はその中心だと実感するのだ。面白かったのはユ-スで英語を学んでいる学生が次、次に入ってくる外国人を迎えていることだった。私自身驚いたのがこの学生自体の出身地だったのだ。コルラ出身だということに驚いたのだ。こんな遠くから来ている、それも日本人が憧れるシルクロ-ドの道筋にある都市だった。中国はつくづく広い、北京はこのように広い中国の中心にあるということを実感したのだ。中国自体が世界文明だということが実感する。これは日本ではなりえない、国土が狭いのと世界の中心都市とか意識を持ちえない、世界文明も作りえない、日本はギリシャとにている。いち早く西欧化して先進文化を取り入れたのだ。それは先進文明ではない、文明は最も大きな規範とかを持つものである。仏教文明-キリスト教文明-イスラム文明-とかそれは技術だけではない、一大精神技術文明なのだ。ロ-マはそういう文明を作り出した。ギリシャはその技術とか知識を供給したがロ-マは文明を作ったのである。
●中国は新しい文明を創造しないと世界の中心にはなれない
中国には中華思想が中国が世界の中心でありその周辺国は中国に帰属すべきものであるという思想が根強い、あれだけ大きい国だからそうなるのもわかる。でもそういう要件を供えていても世界の文明の中心たるべきものを持っているのかということである。武力だけでは世界の中心にはなりえない、他の異民族だって従わないだろう。歴史をふりかえれば明らかに唐の長安時代はそうした世界文明の中心として機能したことは確かである。しかし今の中国がそうした唐のような周辺国が熱意をもって学びに行く場所なのか、留学生を送る場所なのかというとそうはなっていない、政治制度もロ-マより優れているのか、中国国民は金持ちと極端な貧乏人に別れている。それは国内に膨大な奴隷をかかえているロ-マともにている。それがアキレス腱になっていることはにている。もし唐の時代のようだったら積極的に学び従うということはありうる。しかしそれは過去のことであり現代はまた条件が違っている。つまり中国は過去の周辺国が朝貢すべきだというか古い思想では世界文明の中心にはなりえないのだ。
天安門での残酷な弾圧や今回の東トルキスタンの反乱やチベットの過酷な弾圧が正当化できるのか、ロ-マのように高度な文明を与えるのだから多少の犠牲はしかたないといえるのか、中国は技術的にも精神的にも何をもって指導するのかも明確ではない、つまり過去の仏教文明のようなものがないのだ。マルクス主義は失敗したし共産党一党独裁は過去の王朝支配と何ら変わりないのである。そんな旧弊なものに周辺国は従わない、アメリカの民主制がいいとなる。中国が新たな世界文明の中心地なるには新しい文明を規範を作りださねばならない、それは過去の歴史から起きるとしても現代ではまた違ったものとなるのだ。それは中国だけではない、日本をふくめたアジア全体の課題なのである。新しいアジアルネサンス、アジア文明が作れるのかという大きな問題に直面しているのだ。今の中国はそうした新しい文明を創造企画する要件はあっても実際は旧弊から脱しえないから周辺国から支持されないのだ。
ただあと50年とか100年のスパンで見るとき中国はそういう文明を作り出して新たなアジアの世界文明の中心になっていることはありうる。日本自身はそうした世界文明を作り出す中心になる要件を供えていないから世界文明を作り出すことはできない。結局日本は技術を輸出する国である。その技術も大きな技術とはなりえない、飛行機のある部品を提供するとか、足となる自動車を提供するとか文明ではない、文明の部品の技術の一部門を提供するだけなのである。文明についての誤解は一部分ではない、全体が文明である。芸術にしても全体の中に機能して生きているのだ。ベ-トベンの音楽はその音楽が生まれたドイツの大地と切り離せず作られたのだからその土地に行って鑑賞しないとわからないというのも本当なのだ。culture(文化)は密接に土地と結びついている。日本人はその点ヨ-ロッパからは文明を導入しなかった。技術だけを導入したのだ。仏教を導入した時は文明を導入したのである。日本はかつてフランスのパリに行きトランジスタ-の商人だと言われたことでもわかる。パリも世界の中心だったという誇りがあり日本は技術を提供する商人に見えたのでありロ-マなどのようにまた唐の仏教文明のような荘厳なものを作り出したものとは見ていないのだ。ただ将来的にはどうしても中国との共同で新しいアジアルネサンス、アジア新文明を担う役目になる。それは百年後とか二百年後とかなると想定されるしその輪廓も見えていないのである。その前に中国は分裂するとなると別な枠組みが模索されるから例えば今回旅したロシアの極東地方のような世界が新たな希望の地となりうる。インドがまたアジアの文明の担い手となるのかもしれない、インドはやはりアジアの源だからだ。
スパルクタスの反乱(奴隷の歴史)
「国家とは征服の結果であり勝者が敗者の上に支配階級として君臨する」
「国家は力の産物であり力によって維持される」
「このように力でおさえつけるのは通常狩猟族や遊牧民である。屈服されるのは定住する農業集団である。」デュラント(世界の歴史1)
例えば中国の最初の統一国家を作った始皇帝は長安(西安)を都にした。なぜここが最初の都となったのか?遊牧民と境を接する場所にあり地下の兵馬俑には異民族が交じっていたし始皇帝は異民族の出だったとか遊牧民が入ってきて農耕民を従いて最初の国家ができたのである。そこに強力な馬が統一の武器としてあり馬を縦横に操作するものが国も操作できたのである。インドでも遊牧民のア-リア人が進入してドラビダ族を従わせて最初の国家ができた。その時の名残として支配者と被支配者の階級文化が起きてカ-スト制ができた。ロ-マは農業国家だったが狩猟民族のゲルマン人に最後支配されたのもそのためである。ロシアもタタ-ルの軛というので一時的にモンゴルの遊牧民に支配されたのもそうである。日本も騎馬民族によって作られたというのもそのためである。中国の清国を建国したのも満州の遊牧騎馬民族だった。遊牧民、騎馬民族は戦争の達人であり一挙にその機動力で国を支配することができたのである。
そしてなぜ一民族が奴隷化されたのか、スラブ(slave)という一民族が奴隷という言葉となったのか、一民族が奴隷となることが戦争が頻発するところではあるからだ。奴隷になることはそれでもみな殺しになるよりは進歩したのであり奴隷はキリスト教でも広く容認されていたのである。奴隷が悪いという認識がほとんどなかったのである。信じられないことだけれどこれは例えば買春は貧乏な人達を助けるものだというのとにている。貧乏で飢えて死ぬよりは売春でも金になればそれは死ぬよりはいいとなる。奴隷に対するうしろめたさがほとんどなかったのである。弱肉強食の世界が自然の原理のように肯定されていた。これに疑念を抱いたのがキリストやシャカだった。奴隷も人間でありすべてのものを愛するべき人間として見ることを説いた。シャカはヒンズ-教と対立したしキリストの教えはユダヤ教と対立したのである。異民族とか奴隷というものの壁を破ることは容易でなかったのだ。パウロさえ奴隷に感謝したというから奴隷はみな殺しから救われたとなれば奴隷の身分は悪いとはならないということになる。今奴隷に関して世界共通で許されない不道徳なものとされているのはさらに人類のモラルが進歩したとなる。金で女性を買ってもうしろめたいものを感じるとなれば古代のようにモラルは進歩したことになる。ただ金が万能になり新しい過酷な奴隷制が生まれたのも現代である。
スパルタクスの反乱は剣闘士として野獣や人間との闘いの見せ物とされた怒りから起きた。これまでの奴隷は労働力としての奴隷だったがこれは全く人間を野獣化したものだった。コロッセオという文明の高度な技術の壮大な建築物の中で最も野蛮なことが行われていた。これは時代が変わっても人間の高度な技術は人殺しのために使われているから同じである。だから奴隷の反乱が起きたのだ。このときあれだけの大きな反乱になったかというと奴隷集団がまとまって存在していた。その人たちが共感したからできた。しかし現代の奴隷制は個々に金で買われる存在であり一民族までが大量に奴隷にされることはない、個々が金で買収されるから奴隷がまとまって反乱するということはない、資本主義は弱肉強食であり必然的に奴隷を作るのだ。貧富の格差も必然的に生まれるのが資本主義なのだ。資本主義にもいい点はあるにしても貧富の格差は生まれその中で奴隷制が内部から生まれてしまう。古代のように戦争の狩りで奴隷を獲得するのとは違う、金が万能となり公然と売買されるのである。なぜウラジオストック ロシア 売春というキ-ワ-ドで来るものが多いかというとロシアは一時期経済が混乱してどん底になりその時人身売買が行われた。今も保証がなくなり経済的困窮した人々がそうされやすい、ただロシアは今経済的に立ち直っているからそんなに売春する人がいるとは思えない、むしろ結婚詐欺とかでだまされている日本人が多くなっているのだ。ともかく奴隷制にも歴史がありいちがいに過去の奴隷制が過酷だったとか言えない、現代の奴隷制の方が過酷だという見方も成り立つのである。奴隷の反乱が起きないこと自体、あからさまに奴隷の姿が見えなくしているからである。もし一民族が戦争して女性がみんな奴隷に売られたりしたらそのむごさに執拗に反抗するものがでてくるが個々が奴隷の対象にされているからそうした怒りが全体のものとして連帯できないのである。
スパルタカスの反乱
すべての敗軍の将たち、敗れ去ったすべての英雄よ
世に知られた英雄とも肩を並べる無数の埋もれた英雄たちよ 万歳(草の葉-ホイットマン)
奴隷に甘んじることなく
ロ-マ帝国の横暴に立ち向かう
敗れたりとはいえその歴史的意義は大きい
ともに戦いしものの意義も大きい
彼らは今もその戦いの日を回顧して
安住を選ばずその意地を見せて
ともに戦いし日をかえり見て満足す
ロ-マ帝国を震撼とさせし
奴隷に甘んじることなき勇者たち
力のみにて人は従えざるを知らしめぬ
戦いしものの誇りは高く天に召される
歴史の意義は勝者にのみにあらじ
敗者にもありて記録されるべし
トラキア出身のスパルタカス
そは歴史の記念となり
広く万人に語り継がれるべき英雄なり
その故郷の山陰に伝説は残りぬ
日本の戦争にかくなる意義ありや
ただ屍を大陸に晒すものなれや悲し
その意義の定めかねざる
そしりのみありて無念を残しぬ
その死は意味なく大陸の土となる
スパルクタスの反乱はやはり人類史のなかで輝いている。これは映画で見て感動した。あれは良くできた映画である。映画で歴史を学ぶというのもむずかしいのだがまざまざとその悲劇が最後のロ-マの街道にさらされた磔の反抗した奴隷によって示された。それが生々しい凄惨なものを見せつけたのだ。歴史とはただ事実の羅列ではない、そこに何かしの意義を見いだし評価することである。それは勝者のみにあるわけではない、敗者にこそ逆にある場合がありあとからその意味が再評価される。日本の戦争の靖国問題にしても歴史的意義が評価されないから問題なのである。敗者でも歴史的意義が見いだされれば称揚されるし人類史の中で記憶され記念とされるものとして残るのである。歴史とは何か?これ自体解明することはできない、ただ歴史を哲学することが必要なのだ。何故そうなってその意味は何なのかという哲学が歴史にも必要なのである。歴史の舞台は大きすぎるからわかりにくいにしても今回の奴隷制にしても実際奴隷自体が人類にとっては一歩進歩したものだったのだ。その前は戦争に敗れたらみな殺しにされたからだ。奴隷制にも意味があったということがわかる。これは現代的感覚ではわからないにしても一つの人類の進歩したものだったということが歴史的にわかるのである。
スパルタクス奴隷戦争
http://www.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2004/shimizu.html
成功しなかった原因として主に三つをあげている。
l 武器が調達できなかった
2 外国人で地元のイタリア人から強力が得られなかった
3 食料など自力生産がなく奪うほかなかった
これは現代でも通じている。外国人労働者は地元の国から反発される。武器や食料を自ら調達できないと戦争はできない、それでも反乱自体は評価される。ロ-マの横暴があまりにひどかったのである。大学院生の論文は時々でているがインタ-ネットには専門家の論文は一ペ-ジくらいしかでてないことが問題、リンクできないから知識の広がりが得られないのだ。
エイズと奴隷(グロ-バル経済と現代奴隷制」ケビン、ベイルズを読む)
読書の秋(読書のコツは何なのか)
秋深む読書百遍の書一巻
●言葉からの問題意識
本を読むコツは何なのか?本は何か問題意識を持つ時、真剣にその方面の本を読む。興味からも読む。例えば今の時代の恵まれているのは簡単に外国に行けることである。外国に行けば言葉とかその他異文化に直接ふれるのだから必ず問題意識を持つのだ。ロシアに行って耳慣れないスラブ語をじかに聞いて刺激を受けた。一つをアジ-ンというのも本当に変わった言葉だと思った。
アジーン1адин
ドヴァー2 два
トリー3 три
これはサンスクリット語の数詞だがなんとなくロシア語に似た響きがあるね。
ロシア語は古い印欧語を今に伝える言語だね。
・1 eka
・2 dvi
・3 tri
1:mono, 2:di,bi, 3:tri,
1:single, 2:double, 3:triple,
1:solo, 2:duet,duo, 3:trio,
これらは同じ系統だけどアジ-ンはわからん、スラブ語とサンスクリット語も同根のところがあった。印欧語はル-ツが同じだから一つの文化圏を形成しているんだよ
ここですでに問題意識を持ち言葉や文化に興味を持つことができる。言葉はやはりその国にじかに言って一言でも通じれば興味を持つのである。これは一つの例にすぎないが今や世界的に問題意識とか興味を持つ世界が広がったのだ。日本より若者はまず世界を旅する時代であるからいろいろと世界的問題意識に目覚めるから自ずと国際的になっているのだ。ロシア語には古い形の言葉が残っている。それでかなり複雑なものとなっているというのも中心からはずれた辺境では古い言葉が残る。沖縄と青森には日本の古語が残って今でも使われているというのと同じである。印欧語の古い形がスラブ語に残ったとなるのか、スラブ語の響きはまた独特なものがあった。イタリア語とかフランス語とかラテン系にはない、ゲルマン語とにた北方的重々しい響きでありロシアの広い大地にひびきわたる音のひびきだったのだ。
●読書のコツは一等級のものにふれること
読書のコツはまず古典とか人類に残されたも一級品を読みふれることである。それがわからないにしても読んでみることである。「読書百遍意自ずから通ず」から始めるほかないのだ。そして一番大事なことは本を読む時間さえ極めて限られたものであることなのだ。「光陰矢のごとし・・・、少年学なりがたし」である。いかに本すらわずかのものしか読めないことに老年になり驚くだろう。人間膨大な知識があってもほんの一つかみしか得られないし理解することができないのだ。あなたに与えられた膨大な人類の遺産はほとんど読まれずに理解されずに終るという読書の現実があるのだ。これはもちろんその人により子供のときから漱石のぼっちゃんなんか理解したとか天才的な人は別である。多くの凡人はいくら良書があっても理解できずに終る。凡人はまたつまらない本の方に漫画とかその他三文小説とかミステリ-とか読みやすいものを読むからそこで貴重な時間を奪われてそのうちにまたたくまに時間が過ぎて肝心な古典など読めないし何一つ理解せず後年語ることもない老人になって終る。天才でない凡人はそれだけ理解もできないのだから懸命に理解するように努力するほかないのだ。むずかしくても読んでみる、「読書百遍意自ずから通ず」も無駄ではないのだ。後年その一行なり理解することがありうるのだ。老年になると硬い本はよみずらくなるから若いとき硬い本を読むべきなのだが逆になっている。
本はそして必ず一等級のもの古典となって残っているものを最初に読むべきであり現代の流行にのったベストセラ-など読むべきではない、たちまちそれらは泡沫のように消えてしまうし、後年何かしらそこからひきだすものはないのだ。人類に残した一等級のものは何度読んでもそこから学び教えられひきだすものがある。それは百人百様に読みつづけられることがある。それが古典なのである。それだけ深みがありくめど尽くせぬ知識の智恵の泉なのである。詩人ではホイットマンなどがそうである。人類的詩人となると数えるほどしかいない、ホイットマンは比較的現代に近い世界的詩人だった。それも平民的詩人だったことに大きな意味があるのだ。ともかく人生は短いから読書でも常に一等級のものにふれていないとあっというもにくだらないものにのみこまれて終る。この世ではこの卑俗化させる力が余りにも大きすぎるのだ。知識の世界でも宗教の世界でも卑俗化への強大な力が支配しているしのみこまれてしまうのだ。コマ-シャリズムの出版の世界もそうである。そこで宣伝されるのは大衆的な売れる本となる。書店には今という時点では良書は置くことすらないことがある。地方の書店は全く今や昔のような教養を提供する場所ですらない、アガリスクの癌が直る本を目立つところに置いてくれと金をもらって頼まれていた書店もあるし宗教団体の宣伝の場所にされているところもある。営利が第一だからそうなってしまったのだ。だから現時点では良書にふれることすらむずかしく紛い物を読まされることが多いのである。
●人物に作品に傾倒すること
読書のコツは問題意識を持つことであり次に人物とか作品に傾倒することである。問題意識をもって読んだ本は私の場合、藤原弘達の「創価学会を斬る」でありあれは創価学会のファシズム、カルト団体なことを見破った名著だった。内部にいるものにとってはカルトというのは非常にわかりにくいのだ。内部のものは社会的正義を実現すると思ってやっいるからだ。次に読んだのが上野霄里氏の本であるがこれも最初何なのか良くわからなかった。最近やっと何なのかわかるようになった。これも凡人だからとなるが最近また通信で新しく上野霄里氏の本を二冊ほどとりよせた。彼の本はくまなく読んでいる。彼という人間を知り尽くしている。上野霄里氏自体ミラ-に傾倒し没頭したのである。読書というのをこえて人間そのものと交接して精神的オ-ガニズムに達したのが二人だった。本当の読書というのはそういうものになる。その人間の細胞を成している一つ一つに興味を持ちオ-ガニズムに達するのである。私はミラ-については全然興味持てなかったし今でもわからない、ただミラ-のあの型破りの生きざまが上野霄里氏に火をつけたことはわかる。天才は天才を知るとはまさにこのことだった。凡人は火をつけられても感応しないのである。読書のコツはこのようにある一等級の人物にふれ読むことなのである。作品だったらゲ-テの作品とか他に哲学書とかを絶えず手にとり百編も読んでいることなのだ。そこに常に何かしらの発見があり天才の作品は古典となったものは何か違うと気づくのである。若いときはなかなか理解できない、でも老年になってからはその一等級の人物、作品も自らが主人となって利用する立場になるのだ。山を配置し木々を岩をそこに花を配置する。若いときは強烈な個性に圧倒されて一つの物として配置されるものであった。しかし今は自らが創造者であり神のごとくそのような一等級の大人物でも作品でも自らが料理する立場になるのだ。
人間は他人の人生を生きることもできる。しかし自分の人生を生きるものとなるとき、はじめて他人の生活を見たり聞いたり感受したり、より深く理解し、他人の生活に浸透してゆくことが可能なのである。(宇模永造-上野霄里著)
上野霄里氏の本でも最近文庫になったのを読んだがさ-と目を通しただけで要点はすぐわかった。他の本でも全部読まなくても流し読みしてもテレビ見ながらでもその本の要点がすぐわかるのだ。だから私自身言うのもなんだが小説は苦手だからだめにしても書評に向いている自分を発見したのである。
最近発行された上野霄里氏の本(明窓出版)
「宇模永造」
これはかなり若いときのものであるがやはり躍動する彼独特のリズム感がある。
「新土佐日記」
これは最近書いたものらしい、「卯之町」についての話が興味深いものがあった。私も旅して寄ったが通りすぎただけだった。つまり過去というのはその人の想像力と思い込みがないと浮かんでこないのである。あのような小さな町が江戸時代に文化的な場所でもあったということが浮き彫りにされた。
これが明窓出版で電子本で60パ-セントくらい立ち読みできるのはすごい、実際これを縦書きのソフトで読んだ、結局ほとんど要点は読んでしまったのである。ネットで読めば電子本で読めば費用はほとんどゼロなのである。これを出版にすると配達料だとかいろいろかかるのだ。それにしても800円くらいでは安い、本にすると金がかかるから出版というのは割にあわなくなったのだ。
フリ-タ-、ニ-ト問題の深層(自民圧勝の要因)
フリ-タ-の将来やりたいこと
職人 15.7%
クリエイター 13.0%
会社員 12.2%
自営業 10.3%
特になし 9.6%
公務員 8.7%
デザイナー 4.4%
ミュージシャン 3.5%
起業家 3.5%
先生 2.6%
「学生援護会調べ」
NHKで若者ののことやっていたけど本当に歌手になりたくて毎日練習している女性いたけどあとどれだけ本当にクリエ-タ-になる練習しているのか疑問、誰でもギタ-くらいひくし小説にしたって誰でも書いているしクリエ-タ-となるとあいまいなんだよ、その点職人になると堅実なんだよ、でも江戸時代じゃないんだからこれも東京都で職人に一カ月弟子入りする制度できたけどむずかしい。職人というと大工なんかまだ職人だけど大工は修行が必要だからなかなかなりたくない、つまりフリ-タ-に見られのは実際は正社員とか安定した職業につきたいんだけどつけない社会的事情がある。それで一応クリエ-タ-と言う漠然としたものを希望としているだけなんだんだよ、それがフリ-タ-の実態だよ
今回の選挙でこういうフリ-タ-とかニ-トまで自民党支持にまわった。それはなぜなのか?フリ-タ-とか一番妬みの対象になっているのが公務員なんだよ、その中でも郵便局への妬みが大きいとある。自分たちと同じようなことをやっていてたいしたスキルもないのに高額の金を税金からもらっているという不満なんだよ、フリ-タ-はこれから悲惨な状態になる、本当にクリエ-タ-を目指してそうなったわけではないしなんとなくそうなった、そうさせられてしまったからだ。そしてこれは数が多いから社会にはねかえってくる、税金がふえないとか保険金が入らないとか老人がふえてもその年金も払えないとか社会問題になる。これが昔のように極めてまれな社会にも取り上げられない人達だったらこんなに騒がないよ、働かず食っていける若者が数百万いること自体豊かだからできることである。貧乏だったらどんな仕事でもせざるをえない、貧しい国では子供も働いているし売春にしても親のためとかギリギリの生活のためにしているから同情できる。日本はアジアで売春できるし働かなくても一応食ってもいける恵まれた国なんだよ、それを社会が悪いとか言うのは他の国と比べると違っているように思う。
確かにニ-トなんかは問題が深刻である。「小人閑居して不善を成す」であり犯罪を犯したりすることになりやすい、自分もそうだったからな、金がなくなるとまた礼節もなくなり犯罪に走りやすい、だから人間はどんな仕事で仕事があるのが社会を安定化させることなのだ。すべての人がクリエ-タ-になれるのかというと疑問だからだ。そんな理想社会が来るとは思えない、そういう人は収入は期待できないからそれなりの財源が必要になる。となると親の財産がある人は自分の好きなことを追及できるかもしれん、不公平だけどやはり財産問題が大きいんだよ、財産がないなら普通に職についた方が無難だとなる。社会が悪いとか不公平だといっても厳然としていつの社会でもそういうものがある。オマエはなんなんだとなるが自分も恵まれたにしても恵まれた中で懸命に知識の吸収をしてクリエトしてこうしてインタ-ネットに出しているのだ。明らかに人間は人によって境遇が違う、同じ兄弟でも全く違った道を行く人もいるし境遇も違ってくる。人の境遇には運命的なものがある。それはどうしようもないもんなんだよ、その境遇の中で改善を計るしか方法がないんだよ、社会に不満だからといって一気に平等化とか共産革命がかえって悲惨になったのはそういうことがある。それぞれの境遇を社会革命では解決できないという厳粛な掟のようなものがある。長男と生まれたのは運命でありそれと同時に責任も追わされる。なんでも平等だというのはかえって家を乱し国を乱してしまうんだよ
今回の選挙で自民が圧勝した原因はフリ-タ-とかニ-トまで自民に票を入れたからである。それはなぜなのか、一つは明らかに公務員の優遇に対するフリ-タ-とかニ-トまで不満をもっていた。自分たちの不満がそこに向けられたのだ。自民党の方がそこにアピ-ルしたんだよ、それと特権化した在日の団体とか差別団体とか国内の反日グル-プに対する反発が大きくそれが2ちゃんねるなどを通じて若者にアピ-ルした。現代文明はインドや中国で貧乏人が同情をひくために手足を切ったりして不具になるという。俺たちは不具だから社会に同情される権利がある。金を恵めとなる。実際インドとかイスラムでは乞食は堂々とその権利を主張するのであり恵んでくれというよう義務として要求しているのだ。これらの人が団体化すると恐喝まがいのことをしてその権利を主張して社会に圧力をかける。宗教団体もまさに今やミラ-が「松葉杖なしで歩けない」と言う時、不具だからこそ権利を主張できる。こうした歪(いびつ)な文明のゆがみに対する反発があったのだ。小泉首相は格差社会とか競争社会とかアメリカ型にするというのは一面こうした今まで特権化した団体に対する強硬な姿勢に共感したからである。ただおかしいなのはフリ-タ-とかニ-トは小泉首相が弱者として切り捨てる層だったことの矛盾である。これらの人が小泉首相に票を入れたということが矛盾している。フリ-タ-やニ-トなどを下層化社会化して格差社会にしてしまうのが小泉首相の政策なんだから。
ただこの矛盾も結局自分たちの不満が公務員であれ、在日とか差別団体とかその他特権化した団体、NHKもそうなんだよ、そうしたものへの不満票として小泉自民党に入れたことが今回の圧倒的勝利となった原因である、こうした下層にうずまく不満が一党独裁、ナチスのようなものを生む原因にもなった。不満のはけ口が自民党に流れた原因であった。民主党は公務員とかを擁護する方に見られた。公務員とか特権階級に対するフリ-タ-とかの若者の不満をあまり考慮しなかったことが敗因であった。いろいろな見方があるが今の若者に関してはそう見えるのだ。
フリ-タ-やヒキコモリ問題(高等遊民なのか?)
労働にすべて価値があるものなのか?6月9日(時事分類上野霄里の部)
(ニ-ト、フリ-タ-がふえたのはなぜ?)
炭から考える都会と田舎 (グロ-バル化の危険な側面)
△小野炭:相模(同前)
永承四年内裏の歌合に初雪を詠める
都にも初雪ふれば小野山のまきの炭がまたきまさるらむ
△大原炭:後拾遺和歌集(古代)
人の炭たてまつらむいかがといひたりければよめる よみひとしらず
心ざし大原山のすみならばおもひをそへてみこすばかりぞ
小野炭や手習ふ人の灰ぜせり 芭蕉
「小野炭」という言葉が気になったのである。「小野道風の名前にゆかりのある小野炭」という。「消炭に薪割る音かをのの奥」という句は「小野 京都西北の山間部、葛野郡小野郷。小野炭の産地。」とある。
秋田炭,仁別炭,羽前炭(山寺炭),大沼炭,常陸炭,佐倉炭,久留利炭,安房炭,
八王子炭,青梅炭,相模炭,鶴来炭,越中炭,能登炭,輪島炭,越前炭,甲州炭,
信濃炭,飛騨炭(吉城炭,荒城炭),天城炭,伊豆炭,駿河炭,藤(富士)炭,三
河炭,太平炭,伊勢炭,田丸炭,近江炭,小野炭,鞍馬炭,横山炭,光滝炭,堺炭,
一倉炭,池田炭,播磨炭,吉野炭,山中炭,長谷炭,宇陀炭,熊野炭,日高炭,田辺
炭,長島炭,新宮炭,因幡炭,伯耆炭,意宇炭,出雲炭,備中炭,安芸炭,備後炭,
伊予炭,宇和炭,土佐炭,阿波炭,池田炭(阿波),祖谷炭,川崎炭,筑前炭,豊前
炭,大分炭,日向炭,薩摩炭(地炭,御国炭)
△原木材料によるもの
姥目ウバメ(馬目)炭,松炭,槭カエデ炭,榿ハリノキ炭,朴ホオノキ炭,椎檍カシ炭,椢クルミ炭,
櫟クヌギ炭,栗炭,槲カシワ(檻)炭,椚クヌギ(欅)炭,桜炭,桂炭,槻ツキ炭,つつじ炭,
雑木炭,堅木炭,桐炭,かしを炭(かせをすみ,えせひの木炭)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/08/0825.htm
冬が近くなったのでインタ-ネットのプログを読んでいて炭のことを書いてあった。子供の頃納屋に炭俵などを置いていたし炭を使っていた。なぜ今この炭をとりあげたかというと「都にも初雪ふれば小野山のまきの炭がまたきまさるらむ」都に初雪がふると寒くなるとまず暖房のことを頭に浮かぶ、昔は炭だから炭のことを考える。小野山で盛んに炭を焼くころだなとなる。つまり炭が生産される山の村のことを思うのである。「心ざし大原山のすみならばおもひをそへてみこすばかりぞ」これも大原の炭はまことにありがたいと感謝している歌である。今はどうか寒くなると灯油の値段とか石油が紛争で高くなるとか外国のことに思いをはせて近くの炭のとれる山の村のことなど思わない、ここに明らかに都と村がすでに昔のようにつながりがもてない分離したものとなっいることに気づくのである。奇妙なのはでは都の人はどうなっているかというとアルジェリアとかに石油をとるために仕事のために行っているというのが現代のグロ-バル化の世界なのである。都会と田舎の対立はまさにこうしたグロ-バル化とかに大きく関係している。田舎は公共事業の無駄ばかりしているとか、郵便局は無駄だとか公務員は無駄とかもわかるがやたら無駄ばかり都会の人に言われる。田舎の人間は遂には人間が意地汚いやつらばかりで悪魔と同じだとかまでなっている。確かに狭い地域で生きる村の人間はその性質が姑息になり性格の悪くなっている人間が本当にいる。ただ都会と田舎の問題を考えると本質的な問題はこの炭のように都会と田舎の結びつきが経済の分野で疎遠になってしまったことにあるのだ。もし都会で寒くなった、炭をとをしようかと考えたら田舎のことをその炭を通じて考えるのである。田舎はただ公共事業の無駄をする、俺たち都会で働くものの税金で熊しか通らない所に高速道路を作っているとかそうした批判ばかりになる。都会と田舎の対立が激しくなるのだ。
●グロ-バル化の暗黒、危険な側面
ともかく炭でもこのように種類が豊富でありそれは地域的特産物であり地域が豊かだった証拠である。そういうものが失ったとき田舎は魅力ないものとなった。ただ都会から工場をもってくるとか生産が都会中心になってしまったことである。グロ-バル化はいいことばかりではなかった。石油とは実は大変なコストがかかるものなのだ。中東という危険な地域からはるばる石油を運ぶこと自体大変な労力がかかるし石油を得るためには戦争にさえかり出される。石油は文明を維持する生命線だからそうなる。日本の戦争もアメリカの経済封鎖で石油が調達できなくなったためだともある。石油に頼ることは戦争にまでなるということである。もし国内の炭などにエネルギ-を頼っていればそうはならない、これは外国でもみな同じである。石油の争奪戦になり大規模な世界戦争になってしまうのだ。もし国内にあるものだけでエネルギ-をまかなっていればこうならないのだ。だからグロ-バル化は世界的な暗黒をも作り出したのだ。ウラジオストック 売春とかロシアへの売春の要求がキ-ワ-ドで私のホ-ムペ-ジに毎日何人か来ているのにあきれた。おそらくロシアに売春を望む日本人が一万人くらいいるのかもしれない、つまりロシアは一時経済的に困窮して売春でかせがざるをえない女性が増えたのだ。世界グロ-バル化経済は相手が弱るとそれにつけこんでハエエナのように強いものが食い物にする世界なのである。これもイスラム圏が栄えていたときヨ-ロッパ人は今のカンボジアの少女のように5ドルで買われていた。奴隷にされていた。これも因果は巡るになるから日本も経済的に困窮したら今のアジアのように中国人とかロシア人とかに逆に食い物にされる。それが非情な弱肉強食のグロ-バル化経済でもあるのだ。グロ-バル化いうのがすべてがいいものではないしその暗黒面を冷静に見ていないと恐るべきことになる。だから江戸時代というものへの回帰現象が起こるのもわかる。それぞれの国はその国なりの方法で自給自足するのが神の定めでありそれが自然の理にもあっていたとうことがあるのだ。グロ-バル化したらかえって地球そのものが温暖化であれ経済格差からの少女売春であれテロであれ様々な問題が生じたのもグロ-バル化の結果なのである。
都会と田舎の対立の先鋭化
フランスの移民の暴動の拡大と江戸時代の相馬への移民の比較
今回のフランスの暴動で移民のことが問題になった。ではこういうことが日本になかったかというと日本国内であったのだ。前に自ら書いたもので発見した。余りに多く書いたのでわからなくなっているので読み直しているのだ。
幕府は1637(寛永14)年、農民の村外移動(離村)を厳しく規制するため、農民の村外移動には役人の証明書を必要とするお触れ(法令)を出し、また、1643(寛永20)年には、田畑永代売買禁止を定め、かつ農民の離村を完全に禁止した。
一、百姓、地頭の年貢所当相つとめず、他領へまかり去る事、盗人
の罪科たるべし
「塵芥集(じんかいしゅう)」 伊達稙宗(伊達政宗) 16世紀前半
江戸時代まで移動の自由はなかった。藩によって管理されていた。白石から逃れた百姓が追われて飯館殺されてその墓まであったというのは驚きである。相馬への移民は民謡にも残っている。移民が必要だったから相馬よいとこ、相馬相馬と木萱もなびく なびく木萱に 花が咲く 花が咲く これは移民を奨励する宣伝する歌だった。相馬に真宗系の寺があるのはそのためである。真宗系は火葬をもたらした。それまでは葬儀は土葬だった。真宗系移民は良く働いたという、草分けといって旧家の指導の下に良く働いた。移民は上昇志向が強いからかえってその土地でも国でもプラスになるのだ。アメリカの活力が移民によって保たれていることでもわかる。
ここに真宗というのは宗教が文化が違った人達が相馬に入って来たのだ。イスラムというのもそうである。宗教が違うし貧しい移民なのである。移民はすべて悪いものではないし必要だからこそ移民を受け入れる。移民を呼ぶのである。ただこれが今や日本国内だけではない外国人になるから問題が大きくなっている。国と国の関係も大きく影響する。それで移民がうまくいかないのだ。移民はやはり最初はその国の上層部とか土地の人の下になって働く他ないのだ。それで徐々に生活基盤を築き上に上がってゆくのが順序である。日本では在日には手厚い保護が成されているし高い地位にもついているし日本人よりいい暮らしをしている人も多いのだ。そもそも外国人は移民は下から積み上げてその土地で成功してゆくほかない、それはやむをえないこたとである。そういうことを覚悟で来ている。しかしもし相馬に来た移民とは違いいつまでたっても地位が向上しなければそこに不満が鬱積して今回のような暴動になるのだ。
うーんでも、今日の産経に「ちょっといい話」風の記事があった。
ベトナム戦争の時アメリカに亡命したベトナム人達は、アメリカに救ってもらった恩返しをするべく軍隊に入る人が多いんだそうだ。古くは日系人が第二次大戦で必死に戦ったように、そのような難民またはその子供たちがアメリカに忠誠をつくしている。
イラク戦争の時もミャンマー難民出身の米兵が「アメリカと民主主義のために戦った」と
語っていたことがあったね。
難民もそういう人達ばかりならいいのだが・・・なかなかうまくいかんね。
これは意外だった。アリリカはやはり懐が深い、無理やりではなく利益だけでなはくこうして主義に同調したりしてアメリカのために戦うということがある。命懸けで戦う人がでてくる。これはロ-マ帝国でもそういうことがあった。異民族がロ-マ帝国の市民権を得てロ-マのために戦うという人がいた。最初は上にあがれない若者が軍隊に入りアメリカ人として認められるか志願すると思っていた。こうした意識があるのもアメリカなのだ。アメリカは移民の国だから移民を活かすことができる大きな国なのである。確かに日本も戦時中、韓国人とか台湾人も日本帝国の為に一緒に戦ったがこれだけの意識があったのか、強制的だったのかアメリカとは違っている。日本とかヨ-ロッパの国々は移民を受け入れる国としては小さいからうまくいかないこともある。ともかく今回の暴動はベルギ-やドイツまで広がってきているから深刻である。第三次世界戦争の前触れだとか騒いでいる人もいる。それほど深刻なものとなってゆくのか、フランスの全土に広がっていることが驚きなのだ。都会だけではない田舎もふくめた全土に広がっているのだ。それだけすでに広範囲に移民が根を張ってしまった現状を見せつけたのだ。これはEUの崩壊だとかかなり深刻であり移民がいかに深刻な問題を起こすかを示した。これは日本でも移民を考え直す契機となる。相馬への移民はうまくいったが外国からとなるとさらに軋轢が大きくなってくるから同化することがむずかしくなってくる考えさせられる。ただ移民問題は常に日本国内でも存在したのである。日本が少子化になるとどうしても移民を呼ばざるをえないことがある。だから簡単に移民がいらないでやっていけるのかこれも問題なのである。
作られる報道(杉村太蔵衆院議員は自民党の操り人形)
自民党新人の杉村太蔵衆院議員(26)が9日午後、東京・永田町の衆院議員会館で、フリーターやニートらとの意見交換集会「第1回杉村太蔵が聞きたいっ!」を開いた。約50人の参加者を相手に「衆院議員もニートも紙一重」などと約2時間にわたって熱弁。自らが現代の若者の代表であることを“タイゾー節”で訴えた。
>劇団の代表を務めるAさん(31)は妻(19)や演劇仲間ら計6人で参加
演技力を買われてヤラセに協力?
今朝とくダネを見てビックリ。
ニートやフリーターばっかりのはずなのに、
うちの大学の同じクラスのやつが画面に映ってるんだもん。
最近学校で会ったぞ。バリバリのM大生だぞ。
これは余りに見え見えの作られた報道だった。組織化すると結局その個人の本音は出なくなる。最初2千5百万もらうんだぜとか言った時はその個人の本音だった。それ以後は自民党という組織に操られる操り人形として自民党の宣伝のために使われる。組織化するこれは何も政治家だけではない、宗教団体でも組織化すれば常に組織のためになるから個人の本音はなくなる。創価などでも池田大作は老人に親切にしましたとか集まりでしきりに宣伝するけどこれも演技されたものであり作られたものだった。そういう事実は全くないのである。聖教新聞であれ赤旗であれ様々な党派や組織の広報誌があるけどそこは組織にとって不利なこと悪いことは書かない、マスコミにしたって宣伝を出してくれる会社の悪口は言わない、新聞社でもそうである。営利事業だからそうなる。宣伝するところ常にヤラセや演技が行われているのだ。マスコミの報道自体、NHKですらヤラセや演技が行われていたように日常的に報道は作られているのだ。自民党は広報活動がうまい、マスコミ対策がうまい、一方2ちゃんねるの面白さはこうした内部の情報がでて来ることなのだ。
「あれ、あいつどうしてあそこにいるんだ・・・」一学生の仲間がこの会合にでていたと言うことは自民党から出演料まで出て参加させられていた。ニ-トでもなんでもない、学生なのである。ニ-トとかフリ-タ-が増えてこれも大きな票田となったから自民党でタイゾ-をダシに仕組んだのである。演劇関係者が呼ばれたこと自体、正に自民党に演出された作られたものである。政治とか宗教団体の宣伝とか幻想に左右されやすいのだ。例えば物は宣伝だけでは売れない、宣伝してもやっぱりいいものしか売れない、使ってみていいか悪いか判断されるからそうなる。一時的に売れても物の判断は消費者によって成されるから偽ることができないのだ。それでブランド品が定着する故である。ところが物ではない、政治とか宗教とか文学とか何かわかりにくいから宣伝で買う人がかなりいた。これはベストセラ-だとか賞をとったとかで出版社で大々的に宣伝するのだ。こういうものは価値判断がむずかしいから大衆はのせられるのである。
前にも書いたけど大衆化した社会は常に大衆を操作するための演技が行われる。その効果が一番大きかったのはテレビだったのだ。6局の電波の独占だったからそうなった。ただこれからインタ-ネット時代になるとこうしたマスコミの力は衰えてゆく、その一つが「あそこにいるのは同じ大学のオレの仲間だぜ、なんでニ-トの会合に・・・」と指摘するのが即座にインタ-ネットにでているのでそうかあれもヤラセなのか自民党に仕組まれていたのか、演技していたのかとかなる。演技にすでに誠実さとかその人の真情は喪失しているから演技なのである。宗教となると普通は心をもっとも大事にするからその人の真情がハ-トが一番大事になるが組織化した宗教団体ではそうした個々のハ-ト(真情)は奪われるのだ。その点親鸞なんか凄いよな、千人殺して見て、その罪深さを知れとかこんなこと今言ったらどうなる、たちまち組織から追放されているよ、組織化されるとそこに操り人形のロボットしかいないということなのだ。その人の本音とか本人の発言はなくなる。人間はそこでは失言とか失敗とかも許されるなくなる、自民党であれなんであれイメ-ジ悪くされるからである。だから悪いことをしても巧みに隠されてしまう、例えば創価の熱心な信者だった、板橋の少年の両親殺害も原因として全然指摘されていない、多少は関係していたことは確かなのだが組織の圧力で隠されるのである。組織は失言とか失敗とか様々な過ちを外に出すことをさせないのである。でも人間は完全でないし失敗もするしそれはそれでいいし問題は失敗しても失敗しました、私は本当はこうですとか言えば許されるものなんだけどそれが全くないようにしてしまうのが組織化された団体なのである。美談として宣伝されるのはそれだけですでに美談でなくなっている。美談は報道されない、報道された時点で美談でなくなっているからだ。本当はニ-トなんか人間のクズだから我が党はそんなものを切り捨てる、でも数が増えたから票田になるから仕方なく人気取りにやっていますというのが組織の本音だったのである。
事実でない姥捨山の伝説(作られる伝説と報道)
彼ら取材班によると「これまで各地の姥捨て伝説の地を訪ね、姥捨ての追跡調査をすればするほど、分からなくなり、厳密に調べていくと、姥捨ての事実はなくなってしまう」のだという。一重ヶ根の念仏平の伝説も例にもれず、やはり単なる伝説でしかなかったようだ
http://jyofukuji.com/06kokoro/2004/08.htm
キ-ワ-ドでで「史実 姥捨山」と来ていたのでトラックバックしてグ-グルで調べた。川俣の口太山は実方の歌の朽人(くちひと)から来たものであり実方が朽ちる人となったのであり地元の人が捨てられた姥捨山かどうかわからない、つまり朽ちる人から口太山(クチブト)山になりそこから想像しして人が朽ちさせる姥捨山にしたのである。平家落人伝説というのも8割9割が史実ではない、人々の願望が平家の子孫ということにしてしまったのである。伝説には庶民の願望が強く働いているのだ。
継母の両親は信濃国司(中納言の義兄弟)によって殺害される。継母は甥の更科十郎家秀を頼るが、家秀は一族が命を失ったのはこの人のせいだと思って、伯母である継母とその娘を更科山の奥へ捨て去る。二人は山中で雷に打たれて死んでしまう。このことがあってから更科山を伯母捨山というようになったのである。
高等専門学校授業研究
http://www.sogogakushu.gr.jp/kosen/jissen_3_22zaichi.html
この話も継母(ままはは)伝説として広く語られるものであり姥捨山は「伯母である継母とその娘を更科山の奥へ捨て去る」からきているから伯母捨山であり姥捨山ではなかった。老人を捨てることとは関係していないのに姥捨山となってしまった。川俣の口太山もそうである。姥捨山というのは事実としてあったとしてもまずまれなことだったことは確かである。
姥捨て伝承というのは、結局は老人を大切にするべきだという話です。
難題型は老人の智慧の大切さを、もっこ型は誰もが老いる事を述べている。
老人問題というのは、何も今認識され始めたものでは無い。
口減らしと言うときむしろ子を間引くと捨てるというのがリアリティある話である。これの方が姥捨山より容易だということもある。老人でもやはり大人となると捨てること自体いろいろとむずかしいからだ。姥捨山の話は結局老親を捨てに行ったが捨てきれずに後悔して親孝行したとか老人を大切にしろという話を姥捨山を語って村で教えたのである。また当時の権力者も古代から親孝行は奨励されてをり親孝行したものには天皇から褒美まで与えられている。それは江戸時代まで続いたのである。だから姥捨山というのは作られた話が多い。平家落人の里の伝説も八九割は作られたものであり史実ではない、それは山の中で暮らす人々が俺たちの子孫は高貴な平家の出だったということで慰めていた。それは人々の願望だったからそうなった。一寸法師も都に出て偉くなるという願望の伝説なのだ。伝説とか昔話はこの人々の願望がかなり反映して作られている。またこうした話は伝説は上からの権力者によって作られることがある。
今でも自民党であれ政党や宗教団体など組織ではありもしないのにあったと作られた話で人を集める。不治の病が直ったとか危ういところを助かったとかいろいろ脚色されて語られる。まず宗教団体の新聞は嘘が多い、真実は語られない、アガリスクなど癌の薬にしても人間は一旦そういう病気になるとどうしても頼るからだまされると経験者が言っているから間違いないのだ。つまり歴史では史実と教訓の話とかは別に考えるべきである。姥捨山の話を聞いているとそんなに老親を捨てていたんだから貧しくてどうにもならなかったとかなる。でもその頃老人で長生きした人は非常に少ないのだ。むしろ老人は大事にされたし老人は当時では村の長老として智恵あるものとして大事にされたということがある。だから姥捨山の話がこれほどまるで日本中が姥捨山だらけというふうに見てしまうのは史実ではないし根拠のない話を信じているという不思議がある。そして現代でも報道は権力者によって操作され真実がなくても作られるて演技されて報道されているのだ。だから歴史は史実をおさえることから始めるべきでありその後の伝説とか物語はその史実から派生したものとして読むべきなのである。これは現代にも通じているのだ。50年前のことになるとあれだけの戦争のことも何が事実であり何が脚色されたものなのかわからない、これは中国、韓国でも事実でないのにでっちあげて過大に犠牲を言うし一方日本でも事実であるのにやたら美化して事実を否定する物語をかってに作ることがある。双方とも歴史認識において間違っていることは正すべきなのだ。
切実な農民の語りから学ぶ(インタ-ネットで新しい民俗学)
柳田国男が書かれた歴史より庶民の口碑を言い伝えを重んじた日本の民俗学を創始した。その頃まだ日本の古い生活が各地に残っていたのだ。そうした日本人の生活が消えて行った時それは貴重な記録となった。民俗学とは庶民を基にした学問だからどうしても歴史資料だけではない直接庶民の口から話や経験を聞くことが必要になった。それを柳田国男が始めたのが民俗学だったのだ。国学者として折口信夫がいるがこの人は日本古典を基にして新しい国学を起こしたのであり柳田国男とはまた違っていた。民俗学とは何か、これは庶民と密接に結びついた庶民の生活の智恵と記録の集成である。これがなぜ今インタ-ネットで再び脚光をあびるかというとインタ-ネットには全国の地方の歴史とか昔話とかそれぞれの今の時点での生活の苦労など赤裸々に語られていることが多い。それが一人一人に接することなくインタ-ネット内で根気よく検索しているとでて来るのだ。検索の手間はあってもこれを一人一人から聞き出すのは容易なことではないしそれはまた特殊な才能が必要になって来る。もちろん本当は直接その場でじかに人から聞いた方が生々しい話になるからアピ-ルする。宮本常一も柳田国男と同じ手法でその跡を継いだのである。歴史を勉強するには地方の歴史とか民話とか昔話とか伝説とかを解読することが必須なのである。司馬遼太郎氏がこうしたものが苦手だったということは彼には庶民から歴史を見る眼が欠けていたということになる。大きな国の歴史とかを知るにはいいのだが地方の庶民の側から見る歴史が欠けてしまうことになる。地方の歴史とか伝説とかそういうものが何に役立つのかとなるとフランスの暴動と相馬藩の移民の歴史を対称的に私が書いた時、対称的に書くことによりその事件の深層が浮き彫りにされることがあるのだ。これは日本史と外国の歴史でもそうである。日本史と外国の歴史も同じ人間の記録だから日本史と比べてこれも同じようなことがあったのだと納得することがかなりあるのだ。外国の歴史を知るには日本の歴史が基礎としてまた日本の歴史を知るには地方や民俗学としてのアプロ-チが必ず必要なのだ。次にその例をインタ-ネットから探したのであげてみた。
かめのゆめ-
http://www.pure.co.jp/~aretha/kame.htm
昔、農業に従事する人口がまだ多かった頃、除草等の作業は手作業でできました。
ですが、現在農業従事人口は全労働者の6%にすぎません。少なくなった従事者
で効率的に作業を行うにはどうしても除草剤が必要です。また、稲の害虫である
ツマグロヨコバエやイネミズゾウムシは体長1cmに満たない動物です。これらを
効果的に駆除するためには殺虫剤が必要になってきています。
確かに農薬を使わない栽培方法はあります。生態系を維持し害虫の発生を押さえ
る栽培方法がありますが、残念ながらこの出荷方法では、収穫量が上がらず、消費者
にかってもらえる品質の米は収穫できません。こうした栽培法を行うには労働的に
日本の農業は崩壊しています。すでに農業従事者の平均年齢は50代を超えています。
少なくなった労働従事者に負担できることは限られてきているのです。
田の草取りというのが昔あった。夏の暑い時期に行われていたようだ。そういう光景が田舎にあった。田の草取りという労働も大変なものだった。今見かけなくなったのは農薬のせいである。農業というのは実際は人手のかかるものでありその人手を省くために機械と農薬が使われるようになったのだ。農家では田植えや稲刈りは村中総出で行われた。そこで景気付けるために田植え歌とか労働歌が生まれたのである。これがネパ-ルとかの山村に行ったとき若い人こんな山の中に多いことに驚いた。今でも遅れた国では山村でも若者が多いのである。若者が中心なのである。日本の田舎も若者が中心だったのだ。だから人の活気はあったのである。
多分、あなたは農業というものを軽く考えてらっしゃると思います。農業はあなた
が考えているほど甘くはありません。自分も幼年時農作業の手伝い中に両足の全指を
損傷する怪我を負いましたし、その際私の父親は右手中指の第一関節から欠損する
怪我をしています。また、アメリカザリガニを殺すほどの強い農薬を一番近くで
浴びているのは、ほかならぬ農業従事者ということに心が回りませんか?私の父親は
ほとんど酒も飲まない人間でしたが、30代後半に病死しています。その後農作業
に従事した私は朝に農薬を撒いて学校に出るという生活をしましたが髪の毛は抜け
頬はひび割れ、血がにじみながら授業を受けたという思いでがあります。
それほど体に影響がある農薬を、それでも使わなければならないのは、すでに稲が
自然界で繁殖できない植物になっているからです。人間が手を加えていなければ、
米が実ることはできません。
これが農薬を使わざるをえなくなった農家の実態なのである。農薬をいちがいに悪いといえないのは農薬なしで農業ができなくさせられた社会状態にあったのだ。
あなたにとって「天明の大飢饉」など、歴史上の事でしょうが、自分の母の家系は
武士であったにもかかわらず、一族の半分が餓死しています。さらに福島県相馬地方は
当時の相馬藩の調べでは人口か1/3になったと言われています。飢饉など大昔の
ものだと思われるかもしれないでしょうが、昭和55年の冷害で、自分は学校の弁当
に入れるご飯の上だけ白い部分のものを入れてもらい、後はヒエが混ざったご飯を
入れて持っていったことすらあります。あなたは本当に「餓えた」という経験はあり
ますか?
相馬の飢饉で藩から逃げるものなどがあり人口が激減した。放置された荒れ地も増えて越中から移民を呼んだ。大飢饉があり真夏でも綿入れを着たとかありその原因は冷害だった。今でも山から吹く冷たい風がヤマセでありこれは今でも東北地方では冷害となる。東北地方は寒冷地だったから稲作は向いていなかったのだ。この時二宮尊徳仕法が行われ立ち直った。ここで武士であったにもかかわらず一族の半分が餓死したというがこれが本当だったとすると深刻さがわかる。ただこれは史実として立証できるのかわからない。しかし昭和55年にも冷害があったのか、私には記憶がない、ここが農家に生きるものとの違いである。
古くを振り返ると度重なる冷害に見舞われ、悲惨な歴史が刻まれてきた。冷害を克服することは、東北稲作の最大の課題であったと言える
http://tohoku.naro.affrc.go.jp/reigai/zusetu/inasaku/jittai/syuryotokei.html
この飯は「オオドチマンマ」といって、稗の飯の中へ更に野草のアザミの新芽を混入して炊いたものである。この話に注目したのはアザミが食料にされていたことである。この名の由来は大栃はその土地の名でありマンマは飯である。その土地で作られた料理なのだ。こうしたその土地だけの料理は無数にありこれは地元でもわからない、失われた一つの文化でありこれを再生しようとする試みが各地で行われている。
http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/sub5.htm
べんけいは太平洋に接し、カヤやアシが繁った浜の名残を地名が伝える萓浜に根付き、各家庭ごとの味を育ててきた萓浜限定の郷土食だ。べいけいと名付けた由来も諸説あるが、Y子さんによれば「7種類使うから弁慶の七つ道具と結びついた」。確かにだし、白ごまを除くと7種だ。「弁慶が食べたとか、一向宗の精進料理の説もある」と
萓浜は南、北に分かれるが、Y子さんが住む北萓浜は、天明の飢饉(ききん)のとき、相馬藩復興のため募集した移民の入植地になった経緯がある。
一向宗の人が相馬の飢饉で荒廃した地に移住した。萱浜が原町市の海に接しており稲作には不向きである。山側の方が水が良く稲作には適しているからだ。飢饉食みたいなものがかなり各地にあった。飢饉の時だけ食べるものである。飢饉食として身近に植えられたものもあった。彼岸花もそうだったという説を出している学者もいた。サツマイモ一番普及した飢饉の備えになった作物であり瀬戸内海の島ではそれで救われたので芋地蔵などが今でも祀ってあるのだ。そういうものが飽食の時代になり忘れられたのである。麦飯は食っていたが稗飯を食ったという人は今やまれである。
菅江真澄の宿泊したのは小沢の離れ家。ちょうど天明の飢饉の時代であり、「米が一粒もないので泊めるわけにはいかない」という主婦に「一晩くらいなら食事をしなくてもいいので」といって泊まったはずなのに夕飯・朝食ともご馳走になっている。夕食は「粟飯に塩漬けの桃を添えたもの」、朝食は「稗飯」。とてもヘルシーな食事である(^^;)。岩手県北部は米があまり取れなかった地域のため、米食に頼った食生活はしていなかったようで、明治天皇の東北巡幸に随行した人の記録に「民家の食物稗飯というものをみたるに、少しも米を混ぜず〜」とある。
真澄が小沢を訪れる前に、津軽を巡り、飢饉で馬肉を食い、それが尽きると人を食って生き延びた人々の話を記録している。一戸町の歴史(岩手日報)によると、飢饉の時は竹の実を食べたとある。竹の実ってなんだ?
明治時代まで東北では稗飯だったのである。その他の野草などう食べていたのだ。野草は飢饉食になる。しかし今やこの智恵が伝えられていないから飢饉になったりすると生き延びられないことになりかねない、常に外国の援助を頼るが果たしていつも外国が頼りになるかどうかわからないからだ。人間は緊急の備え失われている。それは余りにも恵まれているからそうなのであり一旦そうした緊急の場合にはかえって困ることになるのだ。
弁当のことがでていたが弁当でも中学時代玉子焼きを弁当に入れてもってゆくとうらやましがられた。玉子焼きを食えるのはあの頃裕福だったのである。同級生の多くが集団就職で中卒で金の卵として東京に行ったことでもわかる。そういう所にあの時は無感覚だった。学校給食というのがあったがあの歴史も
山形県鶴岡町の私立忠愛小学校においておにぎり・焼き魚・漬け物といった昼食を貧困児童に与えたのが日本で初めての給食とされている。
戦後の学校給食もそうだった。まずい粉ミルクなどが支給されていたのだ。あれでも大分助かったのである。食の歴史もれっきとした歴史でありそれにまつわる話は無数にあるのだ。こうした話は延々にインタ-ネットからキ-ワ-ドで探すと続くのである。地方の料理に関しては非常にサイトが多いのだ。そして旅行に関して疑問なのは都会から田舎に来て何万円もの旅館に泊まり高価なうまいもの食うために泊まる宣伝をテレビでしているけどあれは旅とは全然違う、あれは贅沢な保養であって旅ではない、旅にはまた別な意味があった。伊勢参りでは農家の人は他国の農業を学ぶことであり新しい種などを仕入れることなどがあった。経済視察のような目的もありまた旅自体が大変な他国を歩いて実地に知る旅だった。そこでは今の旅行と違って様々なことを学んだのである。むしろ田舎に来たらこうした昔の料理を謂われを聞いてその土地の歴史に耳を傾けるべきなのだ。そうしてこそその土地のことも知るし田舎への歴史とかに共感して田舎の意味を見直すことができるのだ。都会の金持ちが豪華な旅館に泊まりグルメの旅行してもその土地のことも事情も歴史もわからないからかえってつまらないものになる。理想的なのは柳田国男のような旅の仕方が良かったのである。今の旅は何か見聞を広めるとかではない、金ばかり使ってもそこに旅として得られるべきものが得られない、昔の旅より精神的には貧しいものとなっている皮肉があるのだ。
最近買った商品(口コミが大事になる)
マルチパワ-ステ-ション
これは蛍光灯部分は飾りでありソ-ラ-充電も効力がない、使えたのは懐中電灯とししての発行とラジオである。携帯用にキャンプでもってゆこうとしたが大きくてできないから緊急用におくにはいい。携帯電話の充電はできるらしいが持ち歩くのは大きすぎてだめである。一番の売りは発電力がかなりあり明るく電気がつくことである。サイレンの音も大きく鳴る。私の場合、自転車などで電池がなくなりやすいこととキャンプの電源がほしかったのである。まあ、値段が6千円だからそれなりのものである。小さい発電のが千円くらいででていた。それで面白いニュ-スがでた。
他にも二つ同じ種類のがすでに売っていた。携帯だけ充電する手回しのもあった。インタ-ネットではよく商品さえ調べていないとわからないものなのだ。手のひらにのるなら右の
方を買った方が良かった。ただソ-ラ-電気で充電の出ていない、でも実際はこれはほとんど使えないから必要ないものだった。知らない商品は結構あるものだがとをしても目立つものを買ってしまうのである。アメリカエキスプレスのカ-ド会社のカタログ販売から買ってしまったのである。最初にこれを知っていたら手のひらにのるのが良かったことになる。
発展途上国で、電気が通じていない地域に住む子どもたちにもインター
ネットに触れてもらおうと、レバーを手で回して発電する仕組みの1台
100ドルという格安のパソコンが、16日、公開されました。
これも手動発電なのだ。電気のないところが世界にはネパ-ルとかアフリカとかにまだあることの驚きである。だからマルチパワ-ステ-ションをもっていったら驚くに違いない、手動でも明るく発電するからだ。電気の驚異を子供も感じる。後進国ではやたら大きなダムとか橋とかODAで作っているみたいだけとそれは外国への公共事業となり利権で問題になったように実際は役に立っていないのだ。こうした単純なもの大がかりなものがなくても利用できるものが意外と役にたつことがある。ただこれだって6千円するし一万というパソコンが買えないというこのギャップはあまりにも大きすぎる。これは後進国の電気のないところにお土産にもってゆくにはいいがちょっとでかすぎるのだ。
ブリジストン ハンディバイク
これの特徴はタイヤがパンクしない、空気を入れないタイヤだった。でもこれは段差のあるところではずみがないのでガタンとして走りにくいしこれを走らせるには普通の自転車の倍のエネルギ-がいるし早くは走らせられない、自転車もどきのものだが街を走るくらいならなんとかなる。高速バスなどでは自転車持ち込み禁止だけどこれは棚などにのせられたりバッグに入れて持ち運びは容易である。ただこれはもっと走ると思ったので期待はずれだった。これを近くの自転車屋で買ったら5千円くらい高くなった。チュ-ブの交換とかなんかあとで世話になると思い近くから買った。これは通信販売の方が安いし簡単なものだから近くの自転車屋に世話になることはない、パンクの心配もないからだ。通信販売の方がこれだけ安くなることがあるのがインタ-ネット時代なのだ。それで近くの店は困るようになる。ただ地元に住んでいると地元がもうからない商売というのは困るのだ。みんな利益は離れた都会になってしまう。近隣のつきあいとか地元が収入にらないのは経済的にゆがんでいるし地元に住んでいるものにとってはインタ-ネット経済は地方にとって得にならない。ただ本なんかは九州とか北海道とかから送られてくるから東京とか都会中心の経済とは関係ないのである。インタ-ネットで経済というのも実際一部変化してしまったのだ。
この本は最近イギリスにまた行こうかと思ってイギリスのこと調べようとして買ったがあまりいい本ではなかった。イギリスのガ-デンの話にしては何か欠けている。詩ものせていないし読みごたえあるものではかった。カラ-写真もないのに2000円以上するものでそれを送料こみで900円くらいだから買った。中味を見ていたら買わなかった。今や千円の本は高い、電子本だと500円くらいになる。電子本もふえたが500円くいでないと買いたくない、本というのは平均して1500円は高すぎるのだ。これから本は安くしない限り売れない、電子本なんか元手では本を作る40分の一だそうだからもっと安くなるはずなのだ。
こんなことなぜ書いたかというとインタ-ネット時代、商品の中味を正しく知る、知らせる必要がでてきたのである。今までは商品のいいところしか宣伝していない、これはあるゆるところでそうである。会社とか大組織とかはいいところしか言わせない、悪いところは隠される。マスコミでは重大なことが報道されないことがよくあるのだ。それはスポンサ-がついていてスポンサ-のことは悪く言えないからだ。インタ-ネット時代は消費者の口コミが大きな力を発揮する時代だから一方的な売り込みは効果がなくなる。それは宗教団体にも言えるのだ。その暗黒面もやめた信者などから告発することが容易になるからだ。そして宣伝するものと宣伝されるものは一体なのである。プログであれホ-ムペ-ジであれその商品の宣伝するものは積極的にその商品の宣伝をしているから責任がある。特に一円でも広告料もらえばさらにそうなる。一円でももらえばその商品の公正な判断はむずかしくなるのだ。一円に重みがあるとしたら一千万となったらどれだけの重みがあるのか?宣伝にそれだけの重みがあったということである。しかしインタ-ネットでは無料で発信できるのだから公正な商品の評価は可能なのだ。私が試しにここに書いたことは正直な使ってみての感想であり別に悪意も何もないのである。でも商品を買おうとするとええ、マルチパワステ-ションは持ち運びには不便だ、蛍光灯は使えないのか、・・・とか疑問を持ち買いたい人も買わなくなるということはありうるのだ。自分だってこれを読めばなんだキャンプには持ち運びできないんではどうかなとなってしまう。結局一番いい買い物の仕方は本物を現物を手にとり試してみることなのだが通信販売はそれができないから口コミが有効になる。それがインタ-ネットできるから今までの買い物の仕方と変わってきたのである。中間業者がインタ-ネットで仕事がなくなるというのは本当なのだろう。中抜きになってしまう。出版社とか書店とかメデア(媒体)となるものなどは必要なくなるのである。作家自体が普通の人が簡単に新聞ごときものさえ発行できるのだ。インタ-ネットはなかなか目に見えてわからないが通販の世界はかなり経済を変えているのだ。地方とかさらに苦境にたたされる。いい物を生産しているもの、報道だったらコンテンツをいいものをもっているもの生産できるものは変わらないがただ媒体となるメデアは不必要になってくるのだ。中味が大事になる。街の自転車屋でもそれりに技術をもっていればアドバイスしたり技術的指導ができるからやっていけるかもしれんが売るだけでは5千円も違ってあとのメンテンナンスの心配ないなら通販の方になってしまうのである。
宣伝にたぶらかされた時代(NHKは宣伝するな)
「おれをこんな地獄の底へおとしこんだのは、へつらいのせいだ
おれの舌はそれでも飽きもしなかったよ」ダンテ、地獄編
●組織の時代の罪
ダンテのこの言葉が宣伝と何の関係があるのかというと今の時代は個々としての罪より組織的に犯す罪が多いしそれがよく見えない世界なのである。ダンテの中世は個人の罪として糾弾しているからある意味で人間的地獄の世界でわかりやすいのだ。現代は組織化したものとして罪が隠されるのである。大規模の第二次世界大戦にしてもそれは国と国の組織化した戦争だからその戦争の罪は個々には問われない、それを問うと右翼団体とかから組織から暴力さえふるわれて実際そうなったひともいる。組織化した行動は殺人でも悪でも見えないし問われないことになる怖さがあるのだ。だから会社のためにと悪いことと知っていてもまたしても会社からは罪は問われないことがある。巨大な権力を持っている組織にへつらっていれば罪も問われないのが現代なのだ。なぜ報道機関がこれほど問題になるのか、特にテレビが問題になるのか?それは報道する力が余りにも影響力があったせいである。例えばNHKで何か放送するたびにそれに対して必ず反発する人がいる。それは報道する影響力が大きすぎるからだ。もしインタ-ネットのような微々たる影響力しかないものでせいぜい10人とか100人くらいに対して発信しているならそんなクレ-ムはつかない、NHKに出ることは何か特別なもの、公共的なものとして権威を持つものに認められたような力を獲得することになる。だからNHKに出るものは特権を持ったものとなる。
●NHKは特定の宗教の宣伝をするな
例えば福島県で芥川賞とった僧侶がNHKにでて戒名の値段がどうだこうだと話ししているがこれは明らかに宗教の宣伝である。この僧侶はテレビで絶えず宣伝している。戒名で法外な金をとるのに反発する人もかなりいるのだ。ところが戒名の値段はいくらだとかこれくらいが社会的常識だとかNHKで話せば戒名というものに対する常識はこういうものですよと実は説教しているのである。これは宗教の宣伝とさえ言えるのだ。するとNHKはなぜ特定の宗教を人を宣伝するのかとなる。NHKに関しては常にあらゆる人から受信料をとっているのだから絶えずそうしたクレ-ムはつく、ただ報道する側にすればそんな要求にいちいち答えられないということもある。戒名なんか仏法となんの関係もないしそれで成仏するとかとも関係ない、そんなこと釈迦は一言も言っていないのだ。それはあとから作られた葬式宗教にすぎない、そもそも人が死んだとき戒名の値段がどうだこうだということ自体、地獄に落ちるようなことを僧侶自体がしているのだ。葬式屋だったらしかたないにしても僧侶はすべきではない、人が死んでくれればもうかるのになとそう思うこと自体恐ろしいことではないか?結局今や宗教にかかわる人間はろくなものがいないということである。職業化していれば特にそうである。現代は宣伝によってたぶらかせられる時代なのだ。個々にへつらうことがなくても巨大組織に誰もへつらっている。NHKでも創価の悪口とか共産の悪口とかある力ある団体の悪口、批判は言えないのである。内部の重要なポストがその一員でありその人が番組を作っているからだ。テレビとか報道機関は品物を宣伝するのであれ教育、洗脳機関の役を知らずと果たしているのだ。
●宣伝するものと宣伝されるものは一体
宣伝というとき今やインタ-ネットでもプログでも宣伝をしている。それは一回クリックして一円とかだから微々たるものである、しかしそれでも宣伝するものと宣伝されるものは一体なのである。宣伝することはただ金をもらったから金がもらわなければ放送できないのだからしかたないとなる。それもわかるがインタ-ネット時代は宣伝も変わる。インタ-ネットで会社の製品をそのまま宣伝できるようにもなるし会社自体が見られるようにコンテンツを作ることもできるのだ。ただ以前として宣伝は売るために大事なことはかわりない、マルチパワ-ステ-ションも最初はアメリカンエキスプレスのカタログで見て買ってしまったからだ。他にあったこと比べないで買ってしまったのである。現代は宣伝されるだけで売れるものがある。これまでの本でもそうである。ベストセラ-などは宣伝で売れたのである。現代は政治でも宣伝の力が大きい、宣伝はテレビで作られる、テレビは何千万も見ている時があるからその影響は甚大なのである。ナチスでも天皇の現人神(あらひとかみ)戦争も宣伝の力だった。そして宣伝は絶えず操作される、テレビの最大の武器は視聴率だがマラソンにしても高橋がQちゃんがリベンジだと何千万人が見た。しかし一方でそれは仕組まれた宣伝だったと2ちゃんねるで言う人もいた。スポ-ツは選手の背後に今やスポンサ-がついて巨大な金をかける投資なのである。Qちゃんが勝てば会社の株があがるから宣伝力、コマ-シャルとしして使われる。事実莫大な金をコマ-シャルにでてQちゃんは稼いでいるから商売だとなる。まあ、商売のために戦うのがプロだとなると資本主義はすべてコマ-シャルだとなる。でも宣伝するものと宣伝されるものは一体であり共同に利益を追及しているからそこに報道の公平性が失われるのだ。特にNHKの場合はそうである。すべての人から受信料をとっているし韓流の番組は宣伝になるから報道するなという人達がかなりの数がいる。でも報道はかたよるのだから結局NHKを見たくない人は見なくてもいいし金を払う必要はないのである。一律に金をとること自体不公平になったのである。スクランブルかけるというのも理にあったことである。NHKはもはや民営化するほかなくなっているのだ。これから放送は多様化するし放送するコストが安くなるのだから会社の製品は会社のホ-ムペ-ジで宣伝するのも一番理にあったことである。テレビの問題は6局だけの独占でありその影響力が余りに大きすぎたことなのである。放送というのは宣伝がなくてできるのが理想である。それはインタ-ネットで簡単にできるのだ。影響力が微々たるものでも宣伝がなくてできるから公平な放送ができるのである。
●崩壊すべき巨大組織
NHKは恐竜のように巨大化した。そのことが崩壊の危機となった。最初はテレビは放送するための費用が装置のために金がかかった。電波は6局によっ独占された。その巨大組織はただ今や形骸化して残ることになる。これからの民主主義は巨大組織化の時代ではなくミニサ-クルとか個々のサイトとか小さなもの核となる。コンテンツ作りにしても放送設備がなくてもコンテンツは作れるから無数のコンテンツが生まれてくる。一部英語の教える方式を発明した人がビデオ販売していたしネットで放送したのを無料で聞いてなるほどわかりやすいと思った。ビデオで教えられることがやはり一番わかりやすいのである。コンテンツ作る核は多数できてももはや巨大な放送局は必要ないのだ。だから6局だけのテレビの電波に頼る時代は終わったのである。これからは宗教団体でも巨大組織は崩壊すべきなのだ。組織が巨大化すると弊害が大きすぎるのだ。それは恐竜化してもはや人間的なものから離れ怪物化してくる。もはや制御できない怪物だから誰も制御できず暴走する。ファシズム化してとめることができない、個々に分立した分権していればこうはならない、巨大な恐竜に怪物にすべてがのみこまれてしまう。巨大化組織化は民主主義の破壊である。団体があったとしても個々の小グル-プに留まるべきなのだ。電波の6局の独占は終わり分立分権の時代になるべきなのだ。NHKも時代の流れで分立、分権化して民営化するのが時代の流である。公共的な使命があるというがそういう使命を果たしているわけでもない、必ず報道はかたよるしかたよる報道しかできないのだ。だから民営化するべきなのである。公共的なものなら金のかかる娯楽放送なとするべきではない、そういうもののためにすべての所帯から強制的に受信料をとること自体公共的でないとなる。いづれにしろすべての所帯から公共的だからといって受信料をとる理由がなくなったから民営化してコンテンツを販売する他なくなっているのだ。巨大組織は利権を数の力によって独占するからよくないのだ。巨大化の時代は終わったのである。
商品先物取引大手「グローバリー」による商品取引所法違反事件で、同社の外務員らは損失の続く客から取引終了を告げられると、幹部社員に引き継ぎ、強引な“説得”で時間稼ぎをして取引を継続させ、手数料収入を増やしていたことが23日、愛知県警生活経済課などの調べでわかった。同課では、逮捕した元札幌支店長の田中隆容疑者(36)らだけでなく、各支社・支店で同様の手口が横行していたとみている。
一方、外務員らの中には、同社所属のマラソン金メダリスト野口みずき選手を持ち出し、「有名選手のいる会社だから」などと、勧誘の際に客を安心させていたという。
被害者救済にあたる弁護士は「五輪選手を出して勧誘したり、上司の肩書で客を信用させたり、手数料稼ぎの典型的な悪質商法だ」と指摘している。
(2005年11月24日 読売新聞)
グロ-バリ-関係掲示板
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/051124_3.htm
http://bbs.net-trader.jp/bbs.cgi?dir=co&res=020402002151
交通事故の死角
嘉島町の南海老で一カ月もたたないのに2回も死亡事故があった。それが毎日くらい自分が自転車で通っていたところだからショックだった。今回は自動車がひんぱんに通るところで自転車が車にぶつかり死んだ。17歳の男性だった。事故は意外なところ身近な所に起きる。北海道のような見通しのいいところでも事故が起きやすい、注意せずスピ-ド出すからである。
一回目の事故-ここは車は通るのはまれ ここは車がひんぱんに通る 隣の写真のまっすぐな道のつづき
ニュ-スというのはその現場の近くの人が実際地理など詳しいからあとで報告できるのだ。事件でその現場の近くの人の方が詳しい報告ができる。だから2ちゃんねるとかその現場にいる人の報告は貴重なのである。報道は今や誰でもできるのだから報道自体、新聞とかテレビとかマスコミだけではない身近な人が報道できるしそれが役に立つ場合がある。ええ、こんなところで事故起きたのかとなるのだ。ここは毎日自分が通うところだからショックだった。
自転車が事故起こしたところはひんぱんに車が通るからそれなりに両方から来る車に気をつけていた。でも最初の自動車同士がぶつかったのは意外だった。おそらくまっしぐらに飛ばして前や脇など見ていなかったのだ。信号もないからそれで運悪くぶつかってしまった。信号がないと結構危険な所はかなりあることがこれでもわかるのだ。