1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
時事問題28へ
a private channel in soma-gun
小林勇一
感想はこちらへ
ペ-ジを分けて出しました、ここには全部のせませんので
へ 新しくアップしたものはリンクしています
または
へ
オランダを知るインタ-ネット案内2月25日
ライブドアとフジテレビの株の争奪戦の深層2月27日
西武堤家の没落が意味するものは・・・・・3月3日
十代の文学賞、文学が熱い、見直されたの疑問 3月7日
キ−ワ−ド-料亭政治(中西議員のハレンチ事件はなぜ)3月12日
ライブドア問題の深層(2)3月15日
春再び四国への旅 3月17日
役に立ったトラジットの旅(四国へ小型折り畳み自転車の旅) 4月 5日
遍路の魅力(文明を離れ人間臭いものを求める旅) 4月7日
学校教育がファシズムの温床となる (NHKの明治の教育についてを見て)4月10日
どこの国にも義はない(中国も自らを反省せよ) 4月14日
中国の急激な反日デモはなぜ4月18日
中国のデモは国難の前兆か4月18日
都会のホ-ムレスとホ-ムレス遍路は余りに違っていた4月22日
東アジアの共同体は可能なのか(中国反日デモの深層)4月24日
異常が正常となる便利さを求める文明の危険(JR福知山線脱線事故の深層1) 4月25日
人間的要素が省かれた事故の怖さ(脱線事故の深層2) 4月30日
巨大文明組織の盲点(事故中にポ-リングに宴会のJR職員)5月7日
時間の余裕のなさが事故の原因5月8日
オランダを知るインタ-ネット案内
シ−ボルトはドイツ人なのにオランダ人として入ってきたわけです。日本人の役人が聞いて他の人の言葉と違う。すると俺は山の方に住んでいる山オランダ語だと弁解したと。オランダ語とドイツ語はそれほど似ているんです
山オランダ語というのは山で話される方言であるということか、でもオランダには山はないのである。日本人はオランダのことなどわからなかったのだ。オランダはライン川に通じて海の出口となってをりその地の利によって栄えたのである。貿易で商人国家となって栄えた。
メス、カンフル、モルヒネ、カタル、コレラ、リューマチなどはみなオランダ語からの外来語です。しかし、杉田玄白(1733-1817)が前野良沢らとともに1774年に『解体新書』と題して翻訳刊行したオランダ語の解剖書はもとはドイツ人クルムス(Johann
Adam Kulmus 1689-1745)の著書をオランダ語に翻訳したものです。また、幕末の1823年に来日し、長崎の郊外に鳴滝塾を開いて日本人に医術を伝えたシーボルト(Philipp
Franz von Siebold 1796-1866)はオランダ商館付きの医師として来日したのですが、実は南ドイツはヴュルツブルク生まれのドイツ人です
福島の信夫古作の「外科内科生のための理学入門書」は安政4年(1857)に出版した。もともとこの書はイスホルディングが高地ドイツ語(現ドイツ語)で書きアムステルダムの外科産科医のファン・エ-ベンがオランダ語に翻訳した。オランダから学んだ洋風画家、須賀川出身の亜欧堂田善などがいて銅版画のなかにオランダ語を書き入れた。
オランダの背後には強国、ドイツがいてそのドイツの影響がつよい、ドイツ語→オランダ語→日本語という径路で西欧の文化が入ってきた。オランダはそうした文化移入の仲介者だった。中国→朝鮮半島→日本で韓国が果たした役割と同じである。韓(から)というとき韓は唐でもあり実際は韓国だった。日本で最初に仏教が入ったのも韓国を通じてであり韓国が外国の窓口となっていた。オランダもそうだったのだ。オランダ自体が文化の創造者ではないが文化を伝達した窓口となったのだ。だからオランダ語訳になり蘭学が実は日本中広範囲に学ばれていて林子平とかも長崎に行き海外の知識を入手した。そして意外と日本はすでに海外の動向とか知識があったのである。蘭学で蓄積されていたのだ。解体新書が日本人によって訳されたがそのあと五〇年後にシ-ポルトが本場の医学を実地に教えたがすでに知識があったので学ぶのが早かった。
ですから、英語の Germany と言い方が伝わるより以前にドイツ人から直接 Deutschland
という国名が伝わり、日本人には「ドイツ・ランド」というように解釈され「ドイツという国」という意味で「ドイツ」と呼ばれるようになったと思われます。
ちなみに「ベルギー」という呼び方は、江戸時代のオランダ人が日本に伝えたもので、「イギリス」や「ドイツ」と同様オランダ語読みである。
イギリスについては、イギリス本国より直接伝わったのではなく、徳川時代に通商を通じて国交のあった、オランダからオランダ語の
Engelsch が伝わったという説と、ポルトガル語の Ingles が伝わったという説があって、それらが「エゲレス」や「イギリス」になったと言われています。
「メス」がオランダ語というのがわかってしまった。wwwでオンラインの辞書でも英語knife-オランダ語
Mesとなっている。英語もknifeだったりscalpelだったりいくつかあるけど、Mesはオランダ語なんですよ
「ピンセット」もオランダ語であった(99.8.31)
。ちなみにピンセットにあたるのは英語でforceps。こういうところにもオランダ語が生きているとは、江戸時代の医学者がオランダから学んだからでしょうかね。
レンズのはめこまれた木枠を通して絵を見る風習は江戸時代にオランダから日本に伝わりました。中国ではすでに「のぞきからくり」に似たような物がありましたが、日本では江戸時代にのぞきメガネというレンズを通して平面の絵が立体的に見えるカラクリを見たのが始まりです
「ピント」もオランダ語であった
カメラの撮影で使う言葉、「ピント」は日本語ですが、これは英語では「focus」に相当します。ニコンの
このページ によればオランダ語"brandpunt"が語源のようです。
それに、静物画や人物画や風景画といった分野を開発(?)したのも、十七世紀のオランダ人だった。それまでの画家で、だれが、ただの農家のテーブルや、無名の市民や、へんてつもない田園が絵になると思ったろう。十七世紀のオランダ人たちは、絵画から物語性を追いだしたのである。 もっとも、追いださざるをえなかった。 なにしろ、この国は、画家にとって大きな注文ぬしだったカトリックを否定したために、聖画のしごとがなくなったのである。
静物をありのままに描くことは商品をありのままに見ることに通じている。風景画は最初の地図のようなものであり世界をありのままに見る。地図であれば正確さが要求される。神話的世界でなくありのままの世界を現実に見るということがそうなった。
・石町の鐘紅毛を驚かし
・一ヶ所は和漢へ響く時の鐘
「紅毛」とは「紅毛人」のことで、ポルトガル人やイスパニア人を「南蛮人」と呼んだのに対する語です。金髪の西洋人に対して栗毛色のイギリス人やオランダ人を指す語です。 なおこの鐘は現在東京都中央区の十思公園内に保存されていて、今でも見ることが出来ます。
「阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍」と松尾芭蕉
一年に一回出島から江戸まで将軍に拝謁に3カ月もかけてきたというから大変なことである。その途中で当然日本への見聞を深めたのだ。
東京駅のモデルとなった事でも知られる「アムステルダム中央駅」のプラットフォームの先にある海、ここが
VOCの時代には船の波止場として使用されていたそうです。1594年の春、スペインとの戦争から逃れてアントワープから避難してきた裕福な9人の商人が、VOCの産みの親です。彼等は当時貿易を独占していたポルトガルから「インド胡椒契約」と呼ばれた免状を受け、胡椒の卸売りをしていたのですが、ポルトガルの独占を破るべく直接取引きを開始する決断を下すのです。バルト海沿岸貿易で得た資金と精度の高い情報を頼りに、自ら船を建造しアジアから胡椒を輸入する計画を実行に移そうとします。しかし航海は嵐で遭難したり、海賊(特に南大西洋で跋扈していた英国船)に襲われたりするかもしれず、失敗したら大損害です。そこで9人は「船の建造費、および利益配当支払い前に総売上の
1%を仕事の見返りに受け取る」というシステムを考えだし、新会社の役員となって仲間に投資を呼掛け、出資者を募る事によってリスク分散しようとしたのです。株式会社の誕生です。この事業は一航海限りのベンチャービジネスであり、胡椒を売り捌いて利益を分配すれば、会社は解散する事になっていました。オランダは小国です。先発のスペインやポルトガルが王家の富によって海洋国家として台頭したのとは違い、民間から資金を集める必要があったのです。
http://members.aol.com/nishitatsu1234/zatsudan/VOC.htm
オランダ、中国から出島を通して輸入され、長崎で日本のガラス制作が本格的に始まった。この頃のガラスは今日の硝子と材質が異なり、鉛ガラス(フリントガラス)と呼ばれ、光沢に富んでいた。また、江戸時代のガラスは一般的にポルトガル語でガラスを表すびいどろ(vidro)という言葉で呼ばれていた。硝子と書いてびいどろと読んでいたらしい。蛇足だがビー玉のビーはこのびいどろが語源で、ガラス玉という意味である。また、ギヤマン(diamant)という言葉もある。これはオランダ語でダイヤモンドを表し、国産品びいどろと区別して輸入品を指す。びいどろ以前には瑠璃・玻璃という言葉でガラスを認識していた
●オランダとつく花の名前
○クロ-バ-(白詰草)
いわゆるクローバー。アカツメクサの項で説明したように、江戸時代オランダからの貨物の詰め材に使われ日本に入り定着した草です。牧草で、英語では「クローバーの中で眠る」という諺があり、幸せになることを言います。牧草が豊富なら、家畜もよく育ち、豊かになれるということでしょう。四つ葉のクローバーを探した覚えのある人も多いと思いますが、それがみつかると幸せになれるというジンクスは、この諺から来ているのかもしれません。
○オランダミミナグサ 和蘭耳菜草(ナデシコ科ミミナグサ属)
河口河岸床では、似た仲間のハコベに比べると非常に少ないです。しかし、どこでも見られる草です。 ハコベの花弁が10弁に対しオランダミミナグサは5弁で見分けられます。花弁の先には切れ込みがあります。ミミナグサの名は、葉の形を耳にたとえたものと言われます。
○オタクサ(アジサイ)
シーボルトは動植物のみならず日本の文物を大量にオランダに送った。その中のひとつであるアジサイの一種を、日本での妻タキにちなんで「オタクサ(おタキさん)」と名付けた。
○ハマナス→バラ
ハマナスの学名は「ロサ・ルゴサ」。葉にしわがあるバラ、とい う意味だ。シーボルトの約50年前、1775年に来日したオラン
ダ商館医ツュンベリーが名づけた。良く枝分かれし、春から夏に直径約8センチの花をつける。
欧州への普及はシーボルトの通信販売以降。19世 紀末から盛んに交配され、「ハイブリッド・ル
ゴサ」と呼ばれるバラの一群ができた。フランス北部から北欧の道路によく植えられている。
切り花の改良にも貢献。赤い実は観賞後、摘み取ってジャムにするのが一般的だ。
○アスパラガス
本でも一時流行ったアスパラZなんて有りましたよね。日本には、江戸時代オランダ船で運び込まれました。当時は、まつば独活(うど)又は、オランダキジカクシと呼ばれました。 アスパラガスは繁殖するとキジも隠れられるぐらい茂ることからのいわれでしょう。当初日本では、観賞用に作られ花屋の店頭に飾られました。(繁茂した姿がかすみ草のようだから。)今でも切り花業界で取引されています。勿論切り花王国のオランダでも。
○オランダイチゴ
オランダで改良されたものが江戸時代の終わりにオランダから伝わりました。「オランダイチゴ」が元とされ、明治になって日本で栽培できるように試みられました
オランダにユリ栽培が始まったのは、江戸時代にシーボルトが持ち帰ったユリがそのルーツです。その花はカノコ百合という百合で、これほど美しい花はないとヨーロッパの人々から絶賛されました。その後山百合やスカシ百合,鉄砲ユリなどもオランダに渡っています。今、オランダで栽培されている改良種の百合は、その頃から数えて、15世代から20世代後の改良種です。百合は西洋アジサイ(鉢物の小型のアジサイ)と同様日本を起源としオランダで発展し、日本に入ってきた逆輸入花なのです。もともとチューリップの国オランダでは、(チューリップは1600年頃オランダに入って栽培が始まりました)日本の百合が入荷するまで、チューリップ栽培の歴史が200年以上あったわけですので、球根花の栽培方法のノーハウも進んでいたと想像されます。もともとチューリップはユリ科のお花ですから。オランダの百合栽培は1985年頃から大輪の百合の改良種が製品化され、カサブランカなども出回るようになりました。1995年頃からLAというつぼみが鉄砲百合で花がスカシ百合という両方の特徴を兼ね備えて持つ花が出荷されるようになりました。最近ではもっと進んで、OA(つぼみが大輪系で、花がスカシ百合)LO(つぼみが鉄砲百合で花が大輪系)なども徐々に出荷されています。
○オランダハッカ (シソ科
オランダナデシコ
漢方は日本の伝統医学のことで、漢方で用いる薬が漢方薬です。
江戸時代にオランダ医学(蘭方=らんぽう)に対して、日本の医学を漢方とよんだのがこの言葉のはじまりです。 江戸時代の医学のように古代の中国医学を起源とするものは、中国をはじめ、台湾、韓国など各地にありました。
その中でも特に文化大革命を経た中国の医学は他の地域のものとは大きく変化したのです。そのため現在では、漢方に近い考え方は台湾や韓国の医学に多く残っており、中国には少ないのです。現代の中国医学と漢方は、似たような食材を使った中華料理と和食ほどに異なっているといえるでしょう。
鎖国の時代だったから、あまりノイズに煩わされずに、自分の考えを貫き通しやすい、一つのことに集中しやすい環境ができたのです。鎖国は弊害ばかりが指摘されていますが、そういう意味でメリットも少しあったわけです。ですから、本草家も大まかな流派や学派はありましたが、みんな一人ひとり非常に個性的なんです。文献も単なるレポートや調査データというのではなく、自分の目で見たこと、確かめたことを、いきいきと伸びやかに書いており、それぞれの「人生物語」という感覚で読めて、ついつい引き込まれてしまいます。私は、彼らの生き方を見て、そこから江戸時代に関心を持ったんです。
http://www.athome.co.jp/academy/botany/bot02.html
○乳牛
八代将軍・徳川吉宗が天下を治めていた享保13年(1728年)、吉宗の馬術の師であったオランダ人・ケーセルリングの勧めで、幕府は初めて乳牛を輸入することになり、やってきたのは、雄1頭、雌2頭の3頭の白牛で、御料牧場であった安房(千葉県)の嶺岡牧場で飼育が始まりました
○モルモット
日本におけるモルモットの正式名称(和名)は「テンジクネズミ」です。
明治18年頃東京動物学会で、動物の和名統一が行われた中で決められました。
テンジクネズミは天竺ネズミで天竺はインドのこと。インドのネズミと思ったわけではなく、南の遠い国から来たネズミと考えて名づけたのでしょう。でも動物学の先生が付けたにしては、おかしな名です。
「モルモット」系の名前はオランダとオランダの影響を受けた国で使われています。日本も江戸時代にオランダの影響を受けたのでこの名前が使われています。
○日本から運ばれた伊万里焼
オランダ東インド会社が最初に日本から輸出した磁器は、1650年が145個でしたが、その9年後の1659年にはじつに5万6700個も輸出されました。東インド会社が輸出した伊万里焼の総数は江戸時代だけでも60万個以上といわれ、数量のはっきりしないものも含めると100万をこえるとも考えられています。これらはすべてアムステルダムへ運ばれ、さらにヨーロッパ各国の王侯・貴族に求められ、その宮殿を装飾したのでした(代表的なものはドイツのシャルロッテンブルク宮殿)(写真参照)。
また、その美しさが人々の心をとらえただけでなく、自分たちの手で同じものをつくりだそうという意欲をかきたて、その最初のものがマイセンに現われたのでした。マイセンにかぎらず、ヨーロッパの磁器工房では伊万里焼の絵付けが手本になったのでした。
○エレキテレ
このエレキテルは、橋本宗吉(曇斎)の『阿蘭
陀始制ヱレキテル究理原』の中に書かれているも
のである。
○オルガン
18世紀中ごろ、オランダ船がオルガンを運んできた記録があります。それは運びやすく、演奏者がいなくても、弾ける小型の手回しオルガンだったのでしょう。その後、江戸時代の終わり頃、スペイルドース(オランダ語でオルゴール)が日本に入ってきます。中の機械は異なっても箱から音楽が流れることには変わりありません。
○八重洲口
東京駅に八重洲口があります。これは砂州とは関係ありません。ウイリアム・アダムス(日本名:三浦按針)とともに約400年前に日本にたどり着いたオランダ船に乗っていて、日本に滞在したオランダ人ヤン・ヨーステンの日本名、八重洲からきたものです。念のため。
○蘭服
オランダは漢字では「阿蘭陀」とか一文字では「蘭」と表記されて、西洋の学問はすべて「蘭学」、洋服は「蘭服」と呼ばれていた。
●東南アジア経由でオランダ人がもたらしたもの
綿の種は古代から幾度も入っていたが、根付いたのは江戸時代である。日本にはオランダ東インド会社を通して完成品が持ち込まれた。それらは大別して「更紗」と「縞」だった。それをもとに日本では「和更紗」が生まれ、百種類を超える縞木綿が生み出された。ストライプを意味する「しま」は「東南アジア、南アジアからやってきた島もの」の「島」のことで、江戸時代では「島」と表記した。「縞」と表記するようになったのは後のことである。また「唐桟(とうざん)」という言葉も木綿のストライプを意味したが、それは外国のサントメからやって来た島もの、の意味だった。サントメとはインドのマドラスにある町の名前である。
http://www.japanese-edu.org.hk/yoshitanaka.htm
ジャガタラ芋の意味。ジャガタラはジャカルタの古い名前で、江戸時代にオランダ船がジャワ島経由で日本へ来たことから、運んできた品物を「ジャガタラ〜」と呼びました。
モロッコからの移民を受け入れてきたオランダには、多くのモロッコ人とその2世たちが住んでいる。選手で例をあげればボラルーズの他に、ブカリ(アヤックス)、エルカタビ(AZ)、エルアマディ(トゥベンテ)らがいて、オランダの新聞ではイスラム教のラマダンの時期になると、“断食選手リスト”を発表するほどだ。モロッコ系移民はオランダの社会の一部になっているはずだったのだが・・・・・・。
http://number.goo.ne.jp/soccer/world/europe/20041124-2.html
イスラム社会の女性差別を告発した「サブミッション(服従)」の映画監督、テオ・ファン・ゴッホ氏に対するイスラム過激派のテロ事件はその後、〈目には目を〉(注)そのままに、モスクやプロテスタント教会への放火事件を相次いで引き起こしている。
ゴッホ氏は、11月2日、アムステルダムにある事務所に自転車で向かう途中、何者かに銃撃された。それでも立ち上がって逃げようとしたところを、ナイフを持った男に、数回体を刺され、のどを掻き切られた。男は、ゴッホ氏の胸に5枚の紙を貫くようにナイフを突き立てた。
そこには「西洋の異教徒の敵に対して立ち上がれ」の言葉が記されていた。
警察は男2人を追ったが、手榴弾を投げつけ、4人が負傷した。14時間後、警察は2人を逮捕した。
ムハマド・ブイエリ(26)とサミル・アズーズ(18)。
ブイエリはモロッコとオランダの二つの国籍を持つ。アルカイダと関係する殺人事件で指名手配中だった。
アズーズもモロッコ系オランダ人。昨年、チェチェンに行く途中、ウクライナ治安当局に捕まりオランダに移送された。いったん釈放されたが、爆弾製造機具の保持容疑で再逮捕、裁判を待っているところだった。
オランダのムスリム人口は100万、1600万の総人口の約6%近い。毎年、3万人のムスリムが移民してくる。オランダの4大都市(アムステルダム、ロッテルダム、ハーグ、ユトレヒト)では、14歳以下の人口のうちムスリムが多数派を占めている。
http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/syukan/briefing/backnumber/700/720.html
オランダは江戸時代は日本と関係が深かった。オランダが文化の窓口となり明治維新前にすでに西洋の知識などをかなり蓄積していたのだ。だから明治維新も成功したのだ。明治維新の成功は奇跡ではなく江戸時代三〇〇年に鎖国といっても西洋の知識は入っていたのである。英学の前に蘭学があり蘭学から英語へとシフトされたのだ。
オランダは宗教に寛容であり宗教にこだわる国ではない商業を中心とした開放的国で麻薬さえ自由にしているという国である。インドでシタ-ルを学んでいる人がそのままオランダに行くというのも芸術家も自由に受け入れているからだった。しかし一方でその解放性と自由がテロの温床にもなる。移民を受け入れるのだがオランダ国籍をとりモロッコ系のテロリストがウクライナに入りチェチェンへ入るテロの窓口にもなっていたのだ。国際問題でも時事問題でも今と昔を歴史を知って現在を語らないと深い理解ができないのだ。
このオランダのインタ-ネット案内は著作権的にふれるかもしれないがそもそもインタ-ネットは情報や知識がばらばらになっているからこれをまとめ編集しないと一つのものとして意味がなさない、インタ-ネット案内が必要なのである。これだけまとめるのに編集するのに丸一日以上かかるのだ。手間がかかるからよほど暇な人しかインタ-ネットはうまく利用できないとなる。情報が多様で内容あるものがあってもそれを読みこなすことがインタ-ネットではむずかしいのだ。それで実験的にインタ-ネット案内としてオランダを例にまとめてみたのである。インタ-ネットはこうした編集が容易でありまた編集すると読む人もわかりやすくなるのだ。
このテロの問題は一国だけでとりしまりを強化しても効果がない、グロ-バル化しているから今やオランダが自由だとなるとオランダで国籍をとればアメリカでも日本でも警戒されずに入ってこれるからだ。オランダがテロの窓口となりうる。オランダの自由解放政策というのも世界に影響するから今や自由も他の国から制限される。この問題はむずかしい、今やどこの国からでも日本にも入ってこれるからだ。
ライブドアとフジテレビの株争奪戦の深層
今回のライブトアとフジテレビの株の争奪戦の問題は素人にはわかりにくい、そもそも株自体がわからないものである。金融とか株とかがなぜ問題になるのか、利ざやで稼ぐことがうさんくさいとか不労所得のように見られるからだ。だからそもそも金融はユダヤ人がやったようにベニスの商人のように不浄なものがやるということがあった。今回の問題の裏にも外資のハゲタカファンドがかかわっていてそれの後押しで株が買われ企業がのっとられるという構図があった。ライブドア自体どういう会社なのかよくわかちない、インタ-ネットをやっていても楽天は知っているし楽天は結構もうかるものだとわかっていた。ライブドアを知っている人が少なかったのだ。ライブドア自体インタ-ネットの世界で認知度が低いものだったのだ。だからなぜライブドアがそんなにもうかるものか不思議だった。投資会社でありインタ-ネットのプロというけどインタ-ネットでもうけている姿か見えなかった。ただオペラというプラウザを買ったらこれはライブドアで販売しているものだった。ライブドア自体インタ-ネットの最先端を行くものとして認知されていないので一体既存のメデアと合同して一体何をするというのか一般の人には具体的に見えないから単なる企業買収で外資にしかけられてその利ざやでもうけるのかというふうにもみられた。それは結局インタ-ネットの世界でもライブドアが何をしているのか良くわからなかったからである。
ライブドアの社長についても金でなんでも買えるという主張は反感を覚える。しかし株式のル-ルにのっとてやったのだから合法だともなる。これは司法にゆだねる結果となったがこの問題の深層はどこにあるのか?なぜフジテレビと合体せねばならぬのか、既存とのメデアとインタ-ネットを合体させて何をやりたいのかという具体的な目標がもう一つ見えないからただ株を買い占めて転売してもうけるとかに見えてしまう。ただ金を右から左に動かして巨額の金をもうけることが価値を産み出しているのか問われる。マネ-ゲ-ムが批判されるのもそのためである。そもそも人間の労働はなんらかの価値を産み出すことなのだ。その価値を産み出すために投資される。その価値は多様であるが金そのものには価値はないのである。
土地に価値があるのか、土地を利用するものに価値がある、土地を持っている地主は価値を産み出すのではない、土地を活かす労働が価値を産み出す、戦後地主ではなく小作にも土地を使っていた農民に土地が与えられたのはそうした理由からである。土地でもそこに農地となり人間の労働が加えられ農産物が生産され価値がでてくる。土地の上に家なりビルが建てられて価値がでてくる。だから土地成金とか土地が異常な投機の対象になってパブルになりバブルが崩壊したのも当然だった。土地そのものには価値はなかったのだ。資本主義はそのものの価値より投機の対象になることがある。オランダではチュ-リップが投機の対象になりその後オランダはチュ-リップの品種改良で輸出国になった。ある時は絵画に莫大な値段がついた。これも投機のためであり別に絵画に価値があってもそんな値段は必要ではなかった。資本主義では金余りになると投機の対象を探すためにそうなる。資本の論理でそうなってゆく。
今回の問題も単なる投機の対象としての買収なのかそれとも新たな情報通信の世界を作り出すための買収なのかはっきりしないことが問題になった。「事業は人なり」というとき人には社長とか社員が入るがそもそも現代がこの人が一番見えにくいのだ。番組作りにしても実際はどういう人が作っているのかよくわからない、ただ大きな企業であり団体の一員が作るのだからその団体は会社名はでてきてもそれを構成している人は見えない社会なのである。これはあらそくところでそうである。宗教団体でもそうである。人間はただ大きな団体の一員としてしか認められていないから事業は人なりと言ってもその肝心の人が見えないから判断しにくいのだ。例えは江戸時代から明治時代までは事業は人なりであり江戸時代は職人も企業で働く人ではない、個々の人が作っていたのだ。だからよくカンザシなどが事件の現場に落ちていてそのカンザシは誰が作ったものかでその作った人を江戸中から探し回る。有名なカンザシを作る人はその作った人が特定できるのだ。そしてそのカンザシなどにはその作った人の名前までついていたのである。一方青色発光ダイオ-ドをノ-ベル賞クラスの発明をしても会社に従属しているとわからないしその人の功績もわからなくなる。
現代は事業は人なりといっても例えば藩札の発行について 一人物を信頼して改革が成されたようなことは現代ではありえない、これはまさにその人を信頼したからこそであり事業は人なりであり江戸時代には藩主が優れていればその藩内は豊かになるとかあった。人に左右されることが多いのが江戸時代や明治でありその後は大きな会社化、企業化して人は見えない時代になった。事業が人なりならば簡単に人は金だけでは買収できない、その人が成そうとするものがありその人の価値を追及するものがあるから簡単には買収できないはずなのだ。ライブドアの下では働きたくないという社員、人がでてきたのもそれなりに社員が人が追及する価値観と反するものがあるからとなる。ただ今マスコミ自体が問題でありその人(社員)自身も本当にどういう価値を追及しようとしているのか問題になっているのだ。これもただスポンサ-のいいなりになる大衆にこびた低俗番組ばかり作っているとなるとその社員の人の志というものも疑問なのである。いづれにしろ画家いて画家は画家自身の絵画の価値を追及しているのだか画商はこれを利用して金儲けしようとするのとにている。その絵の価値より投機の対象としていかに高く売るかだけが問題になってしまう。この問題の深層にも単に投機の対象としての買収なのかそれだけではない新しい情報通信の価値創造なのか明確でないから問題になったのだ。
西武堤家没落の意味するものは・・・
おごれるもの久からず
世の中は三日見ぬまの桜かな
夏草やつわものどもの夢のあと
鉄道の旅が長いから鉄道の歴史に興味をもつ。鉄道史は明治以降生活の動脈であり日本の歴史を作ってきた。朝鮮半島にも満州にも鉄道を日本人が作ったのだ。今でも韓国の駅はソウルの駅などは日本人か作ったものが残っている。日本人は新幹線を作ったように鉄道をリ-ドする国となっていたのだ。近江鉄道多賀線は伊勢とならぶ多賀大社があったので伊勢と対抗して多賀大社に参拝客を呼び込む参宮線だった。その頃まだ汽車が動脈であり足だからその役割は大きかった。西武鉄道は最初武蔵野線を買収したことから始まった。武蔵野線とかあったのも何かなつかしい、その面影は全くなくなってしまったからだ。今近江鉄道の社長は義明氏の異母兄で長男の清氏(91)である。ここも赤字路線だが西武の力によって維持されているとか近江は地元だからあえてつづけているとかあるみたいだ。
この堤家が冨を築いたのも鉄道であり土地でありゴルフ場、スキ-場でありリゾ-ト地として最初に手がけた軽井沢の中産階級の勃興したので安い別荘地を提供したこととかホテル業でありそれも
西武鉄道の創業者は父堤康次郎です。
東京大空襲の最中に、ビルの地下に何本も電話を引いて、土地を買いまくり、西武鉄道の基礎を築きました。戦後は、没落した元皇族や華族に金を貸し、そのカタに彼らの持っていた土地を取り上げて、プリンスホテルを次々と建ててきたのです
明治の時、宮家は権力をとりもどした。知事の任命権まであったことには驚いた。明治維新の時は象徴ではない実質的権力を宮家はもったのである。明治維新とは天皇家、宮家の権力復活の歴史でもあったのだ。
盛岡藩(維新時は白石藩と改称)最後の藩主甲斐守利恭は廃藩置県によりこの敷地を手放し、2,3の手を経て明治29年有栖川熾仁親王の邸宅になる。
有栖川宮熾仁(たるひと)が挙げられる。この人はその後戊辰戦争で東征軍大総督として関東まで出向いて江戸城明け渡しにも立会い、明治になってからも特に軍関係の要職を歴任し、西南戦争やら日清戦争にも関与して明治28年(1895)に亡くなっている。
靖国神社は天皇家に尽くした人を祀るものであり天皇家の神社である。だから会津藩士やあとで反逆した西郷隆盛などの西南戦争の薩摩藩士などは祀られていない、国民が共同して祀ったものではない、あくまでも天皇家に尽くした神社である。そもそも日本は国民という概念がなく天皇の臣民として明治時代から国造りしたからそうなる。天皇家となると御家のためにとか連想する。市町村合併問題を調べていて面白かったのは江戸時代に・・・藩とは呼んでいなかったという不思議である。・・・家中のものと呼んでいたらしい、相馬家中、相馬御家中、仙台家中松原新左衛門と申者之鎗持とかなる。藩という意識はようやく幕末辺りからでてきたもので藩士となると法人感覚がでてきてそうなった。家中と藩士は違った感覚になる。堤家は堤藩士ではなく堤家中某となる。堤家を守るために堤家発展のためあったという現代にすればそんな古い体質が残っていたのかという不思議である。殿様のように敬いたてていた。社長がのる電車が通ると駅員が敬礼していたからお召し列車のように天皇なみに迎えていた。資本主義の株という近代的経営とは違う前近代的な一家の繁栄のための経営だった。
現代は政治家でも頭が低い、選挙では頭を下げねばならないし民主主義世界であんな殿様のような人が会社にいるのに驚いた。天皇のように君臨していた。でも鉄道経営といい土地の買い占めからゴルフ場、リゾ-トとこれもバブルの象徴でありその繁栄が崩れさっていった時代の象徴的人間でもあった。田中首相ともにている。ただ二代目ということで違っていた。二代目は本当の権力は得られない、信頼が得られないというのは本当でありそこで苦労する、先代の権力を受け継ぐだけだと外から見られ、内部からも見られるからどうしても本当の権力が得られない、本当に力があって権力を得たからではないからだ。そこにあらゆる団体の後継者の問題がある。いづれにしろたちまちバブル崩壊とか一時代が去ってしまったのだ。世の中は三日見ぬまの桜かなである。たちまち商売のもうけさきも変わってしまう。人間時代の先端を走っているとうぬぼれていても実はどんな人間も時代に動かされている。時代の波にのってまた時代の波からいつのまにまにかに取り残されてたちまち白髪の老人になっているのだ。
第一度を越えた冨は一家とかでは絶対築けない、それは時代とか回りの人や会社で働く人の協力があってできるものである。自分がやった、自分に能力があってやったとうぬぼれておごった時すでに神は見捨てて別な会社や地域や人に冨は移動させる。これはあらゆることにあてはまるのだ。人間が自分でやったとうぬぼれるときおごるときすでに衰退してゆく徴候である。繁栄の時期は短いのだ。一国を富ますものはその国の人が優秀だとかともあまり関係ない、神が冨をもたらすのであり神がまた冨を奪ってしまうのだ。だから世界史はどこも栄枯盛衰の歴史なのである。
日本がこれだけ豊かになったのも日本人の力ではなく神の後押しがあった。原子爆弾とか戦後のどん底から這い上がるために条件的にいろいろ整備された幸運があったのだ。極端な負けかたをしてかえってそれがバネとなって焦土のなから蘇ったのである。戦争の是非はあるが戦争の極端な悲惨な結果が今日の繁栄と平和を作り出したという皮肉があるのだ。朝鮮戦争やベトナム戦争のとき日本は輸出してもうけていたのだ。冨は神によりそれぞれの国に与えられるのでありまた冨はだから移動する 、いつまでも栄えている国がないのはそのためである。だから人間は感謝する心が必要なのだ。富んでも感謝する、バナナ食えるだけでもありがたいと思う、感謝する心が必要なのだが富んだ権力もった人間は感謝するどころかその権力も地位も冨も自分の力で得たとか冨は自分の一家のものだとか税金も払わずにもうけたことはやはり糾弾される。一家の冨は一家のものでないし一国の冨も一国の冨ではない、それは隣人を他国を富ませるためでもある。
すべてが相身互いの世界であり自分だけが一家が一国が富むことや権力を自由にすることはできないのである。
十代の文学賞、文学が熱い、見直されたの疑問 (インタ-ネット一億総ライタ-の時代)
しかし昔にはかえらない 宮本百合子
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3019_10155.html
戦後の出版界の空さわぎは、出版社というものが、つまりはブローカー的存在であって、自分が何一つ生産手段をもってなくても、当る原稿をとることさえ成功すれば、相当の利ざやを掠めとることが出来たからである。戦時中、大軍需会社の下うけをやっていて、小金をためたような小企業家が、さて、敗戦と同時に、何か別途に金をふやす方法をさがした。軍部関係で闇に流れた莫大な紙があった。戦後、続出した新興出版事業者は、ほとんど例外なしに、この敗戦おきみやげたる紙の操作によって出発した。これらの事実については火野葦平のみならず、軍と「民間」との消息に通じた多くの人がもとより無智であろうはずはなかった。
まったく、「バクロウが牛の掘り出しものでもさがすように」新人が売り出された
NHKで若い人が文学賞をとって文学を見直され本が売れているという、百万部も売れたという、その作家が十代なのである。こんなことをまじめくさってNHKで放送するのもおかしい。簡単なもの、低俗なもの、大衆的なものが売れるしこれは常に変わらない文学とか思想界なのである。いかに売れるものを見いだすか出版社では必死で探しているという。最近のブ-ムはインタ-ネットから起きている。「電車男」とかがそうである。ライトノ-ベルとかもそうである。こういうものは何も文学的思想的深みとか意味などなくてもいいのだ。まさに電車の中で軽く読める暇つぶしの作品であり硬いものではない、週刊誌的な暴露本とかゴシップ記事なのである。私自身は小説は苦手だしわからないからあれこれいえないがまともなことを言っている人はやはり常に今の時代の人ではない、宮本百合子の小説も一冊も読んでいないしわからないがこのインタ-ネットというのはたまたまこうした一部分をキ−ワ−ドで読むことがよくある。誰かの有名な人の引用などもよくでてきてよむしまたある短歌とか俳句の感想も日記に書かれているからよく読む。そして確かに今や一億総ライタ-になったということは何度も書いてきた。本を読まないとか活字離れというが今ほどインタ-ネットで読んだりそれも書くということが増えた時代はないのだ。NHKで今小説が見直されているという放送があるとそれについての感想をこうしてすぐかけるのである。
ひと夜さに嵐来たりて築きたるこの砂山は何の墓ぞも 石川啄木
これをプログでとりあげていた人がいた。この解釈はいろいろある。戦争というのもそうだった。カンボジアのキリングフィ-ルドに積み重ねられた骸骨の山にはショックだった。まさにひと夜さに積み重ねられた骸骨の山、砂山の墓だった。これをどう解釈していいか戸惑うし太平洋戦争のことも今やそうである。ひと夜さに膨大な死者が目の前に積まれたのだ。後世の人はそれを実際いろいろ議論してもどう解釈していいかわからないのだ。これは一つの例だがこのように常に一行の俳句でも短歌でも気楽に書けるのがインタ-ネットでありそしてその部分読みが多くなるのだ。長い長編ではない、キ−ワ−ドで作家の作品を閲覧して一部分を読むというのが習慣になる。こうした読書の方法は今までなかった。例えば読書とはドストフェスキ-でもトルストイでもわからなくてもともかく大作家のものを読みその作家の人自体を理解することだった。私の場合、こうしたものを読みきれていないし理解できなかった。日本人は俳句を作った民族のように長編小説とか何か長大なものを作るのに向いていない、だから俳句とか短歌的なものに向いている。
いづれにしろ今百万部売れてもその本も内容も50年後に検討されるようなものではない、やはり文学は内容なのだ。後世に残るものは内容がなければ残らない、内容があれば何度も読まれ再検討されいろいろな解釈がされてゆく、それが古典なのだ。商業主義的なものでもその時代を映した江戸時代の作品であればその当時の生活を知るのでそれなりに記録として貴重なものがある。今は記録が膨大にビジュアルなものでも無数にあるから記録してもそれが意味あるものとなるとは思えない。
インタ-ネットは一面、浅薄なもの軽薄なもの、大衆的低俗なものの洪水になった。これは出版界よりひどいかもしれない、そこから産み出された作家もそれも若者の受ける簡単なもの軽薄なものでいいのである。そこに商業出版が目をつけたのである。いづれにしろ戦後の状態というのもいろいろき興味深いものであった。どさくさにまみれた焼け跡の生活は今の安定した生活とは違いどろどろした人間臭いものがあった。
その一つが紙を利用した出版だったのだ。実際ロ-マ時代は作家には紙が貴重で作家には著作権も何もない、書かせてもらうだけの存在だった。紙という資源を資本をもったものが作家を牛耳ることができたのだからこれも同じである。
まったく、「バクロウが牛の掘り出しものでもさがすように 」新人が売り出された。これは今の十代の若者の文学賞作家にあたる。ひと夜さの嵐に積まれる本である。それは屑本であり本の墓の山となりブックオフで百円で売られるようになる。なぜこんなに売り出され買われたのかもわからなくなる。これを教養のNHKで放送するのもNHKも常に大衆にこびるものだということがわかる。視聴率をかせぐことが優先されるからそうなる。こんなのが文学なのかという辛い批評があってしかるべきだからだ。NHKは受信料をもらっているのだから教育番組のような硬いものを放送することにも価値がある。インタ-ネットのよい点は視聴率も売れなくても簡単に発信できることなのだ。
- (中西議員のハレンチ事件はなぜ)
もちろん江戸にも名のある料亭はありました。しかし諸藩の江戸屋敷詰めの留守居という上級武士達が、他藩との交渉や豪商との金策のために利用しており、一種の料亭政治のはしりですね
明治の政治家・大臣は料亭での会談中に、天下
国家のために激しく議論し、大いに涙を流して泣いたそうです。当時から料亭政治は行われていたのですが、仲居さんが怖がるほどの雰囲気があったようです。
「酒は飲めませんが、料亭は好きみたいですね。以前、安倍さんに誘われて向島へ遊びに行き、芸者も呼びましたが、同行した若手議員が酔っぱらってハダカで寝てしまうような下品な騒ぎに。男前でソフトな印象の安倍さんに似つかわしくない遊びっぷりでした」(自民党関係者)
料亭政治”60回950万円 1日6回で78万円も使った日も
2002年政治資金収支報告書で判明(「赤旗」2003.09.29付)
さらに、政治家同士の「生の声」を交わすための料亭政治、宴会政治が幅を利かせ、結局、理念ではなく、政治家は「政治力」と称された懐柔、恫喝の手練手管に長けていく。
隠れ家風レストランで会食。神楽坂でも最近は不況で料亭が潰れ、その造りを生かしたリーズナブルなレストランが増えているらしい。料亭政治もついでに潰れてくれれば日本もだいぶ風通しが良くなるのだが。
「パリは代表的ですが、ウィーンにもベルリンにもロンドンにも、どの街においても、カフェの存在感は高い。コーヒーを飲むだけの場所ではない。人が集まり、情報を交換する。際限のない議論。批評が生まれ、ジャーナリズムが生まれる。コーヒー一杯で半日を尽くす人たちがたくさんいました」
日本では少なくともカフェでの激論や情報交換が街の姿を創り上げていくという流れはない。それに類似するのは俗にいう「料亭政治」か。しかし、健全性や公開性においてカフェに比すことはできない。
http://www.slownet.ne.jp/members/op/int/200307/hon-2.asp
今回の事件の深層は何なのか?このキ−ワ−ド-料亭政治に設定してインタ-ネットを調べてみた。この料亭政治はすでに江戸時代から始まっていたし日本独特のものなのだろう。酒と女は政治にも欠かせない、政治自体どろどろしたものだからそうなる。そうしたどろどろした世界を否定はできない、政治の世界は深く俗世とかかわる世界だから清廉潔白を求めるのは野暮だともなる。でも大奥政治とか密室の密談とか永田町政治とか料亭政治とか何かそこには陰湿な裏で取引する古い政治の体質があり自民党はそれを受け継いできたのだ。今回の事件でもそうした延長上にあるもので料亭で芸者相手とかホステス相手にやっていれば問題なかった。それが外にはみだしたから問題になった。
今までこうした事件が起きないのは料亭内で内部で処理されていたから外にはでなかった。それが露骨に外部に出てしまったのだ。もう一つの原因として議員に奢りがあった。なんか中小企業の成り上がり者だからとかの指摘もあり権力を得たことで地位を得たことでハメをはずしすぎた。酒がそれに拍車をかけた。酒の恐ろしさがブレ-キをきかなくさせた。江戸時代の酔っぱらいの暴れん坊の旗本のようなドラマを再現した。これは当人自身が大失敗したと悔いている。やはり人間日頃身をつつしまないものは必ず外に行動となってでてくる。客引きだったとかかなりそういう世界を知っている。それが内部だったらそういう世界なのだから外には出なかったのだ。
河豚汁のわれ生きている寝ざめかな
鰒汁(ふぐしる)の宿赤々と燈しけり
最近蕪村の句が面白いから解説している。なぜ彼が河豚を題材にするのか、それは彼自身かなり世俗に深くかかわった生活をしていたからである。だからその危険性も承知していた。料亭とは河豚汁の宿でありそれが赤々とともっている。その河豚を食ったら毒に当たり死ぬかもしれない、そういう世界がこの世である。政治の世界はそうした利害がからむ毒々しい世界なのだ。ともかく誰でも持っている内面の獣性が酒と奢りにより外部に露骨にでてしまった。危険な誘惑の落とし穴に落ちてしまった。いづれにしろ料亭政治はカフェ-で団欒し議論する世界とは違う、そこには芸者とかホステスとか交じりコ-ヒ-ではなく酒の席になるからそうした逸脱も起こる。料亭政治はやはり自民党の古い体質がまだつづいている証拠である。明治時代はそんな場でも真剣勝負のようなことが行われていた。武士がまだ生きていたからそうなった。今はそんなに政治に天下国家に熱くなることはない、戦争に負けた結果、天下国家より経済であり富の追及であり悪く言えばエゴの冨の追及だけになったともなる。いい点を見れば自己実現の個性の才能の追及となったともなる。
「君子危うきに近寄らず」なのだが政治家の場合は常に危うきに近より河豚の毒に当てられるということがある。これはその例だった。どうしたって人間は日頃の行いとかがいくら隠そうとしたって機会を見てでてしまう。料亭政治を日頃していればこういう結果になってもおかしくないと思う。今までもあったのだが外部には出ず巧妙に隠されていたのかもしれない、政治家はそもそも誘惑多い職業だから清潔さを保つことさえ容易ではない、こうした初歩的なことで露骨に獣性が出てしまうようでは勤まらなかったかもしれない、政治の世界は絶えず河豚を食う世界ではないか、だから毒に当たる率も大きいのだ。
ライブドア問題の深層 (2)
●真の価値と幻想の価値
株はわかりにくい、ライブドアは単なるマネゲ-ム、株価操作でもうけようとしているのか、資本コスト、投資したコストに見合うもの以上のものをフジに投資して株価を一時的につりあげている。なんらかの株価操作、マネ−ゲ-ムに見られるのはライブドアという会社が何をやろうとしているのか良く見えないからである。ソフトバンクとかヤフ-はインタ-ネットを促進させるインフラ整備でハ-ドの普及で社会的に認められていた。しかしライブドアをインタ-ネットでさえ知っている人は少なかった。最近有名になりライブドアのアクセスも急激にふえた。テナント募集したら一万もあったからその宣伝効果は大変なものだった。株とかマネゲ-ムになると価値のないものでも価値が急速にあがったように見せかけることができる。それが土地バブルでありオランダではチュ-リップだった。幻想的に価値の拡大化が起きるし操作されるのだ。
これは文学賞とか出版関係でもそうである。宣伝効果により価値の一時的拡大化を起こし一時的に売り出版社のしかけにのせられのである。これは幻想的価値の拡大化である。株も幻想を作り出そうとしているとなれば国家も実は幻想でなりたっていると言う人もいる。大東亜共栄圏というのも壮大な幻想だった。宗教団体はまるっきり幻想そのものである。地獄に落ちるとか極楽に行くとか成仏するとかそうしたわけのわからない幻想を作り出して脅して権力にとりこむ。創価の人が信心する人は死に顔が違うんだよなとか言っているけどこれもまるっきりうそである。あれだけの数がいるのだから一人一人を調べようがない、その死に顔は千差万別なのである。みんなに福運がつくわけでもない、自殺した人やら事故で死ぬ人やら不幸な人は無数にいる。それは社会と同じである。信仰の問題ではなく経済的価値とか権力的価値を高める、幻想的にでも社会的に権力を得るために絶えず会員をふやし財力をふやすことに熱中する。現代文明ほど合理的,民主的、情報社会なのに逆に幻想にふりまわされる社会はなかった。科学、合理主義、民主主義、マスコミ情報社会はかえってこれまでにない巨大な幻想作り出すのである。人間はいいにしろ悪いにしろ幻想を見る想像力の動物なのだ。世界がこれほどすべて科学で解明されてしまったような世界なのに幻想は肥大化し拡大化(メデアの妖怪) している。マネ-ゲ-ムもありもしない価値なのに金によって幻想が作り出されそれにふりまわされる。それが世界的な規模で行われた。これはアメリカの金融業の操作だった。本当の価値が金という本来価値のないものによって攪乱されるのである。
ライブトアに支配されたら企業価値が下がる、上がるとかもめているがこれはそもそもライブドアとは何物かわからないからである。何であんなに収益をあげていたのかもわからない、株でもうけていた、企業買収でもうけていたとかその実体が余りにも不鮮明だったからだ。だから急にインタ-ネットとテレビの融合だと言ってもインタ-ネットをやっている人さえピンとこなかったのだ。ライブドアはまず企業収入をあげたのはインタ-ネットを通してではない、楽天とかソフトバンクやヤフ-はインタ-ネットを通じてもうけていたからわかりやすかったのだ。そこに突然ライブドアがインタ-ネットとテレビの融合とか参入してきたから混乱したのである。規制のメデアはインタ-ネットで曲がり角にきている。その独占の時代は終わりつつありそこで起きてきた問題でもあった。これまでのマスコミ主導の報道は一方的であり一つの幻想をマスコミは作りだしていたのだ。
●規制のメデアはインタ-ネットは商売仇になる
週刊文春の記事によると、
ブログも本当は全然人気がない。
あんな使いにくいブログ、誰も使わないですよ。
一応みんな行って会員登録したりするのですが、基本的に客のことを考えていないから幽霊会員になってしまう。(『週刊文春』)
だそうで。
BlogFan.ORGのブログのアクティブユーザー数を見ればわかるとおり、ライブドアブログはマンスリーとウィークリーでは一番アクティブユーザー数が多いブログです(デイリーでは2番目)。
ライブドアブログが「だれも使わないブログ」なら、他のブログもすべて「だれも使わないブログ」になって、結果日本には「だれも使わないブログ」しかないということになりますね。
「大流行」って書いたのはどこのだれでしょうか?
『基本的に客のことを考えていないから幽霊会員になってしまう』って、ライブドアブログに限らずどこのブログでも幽霊会員はたくさんいますが。
ライブドアブログは、機能を見ても、デザインテンプレの充実度を見ても、企画を見ても、むしろ客のことを考えてるほうだと思いますが。
ここに週刊誌の一方的意見にたいしての批判もなるほどなと思った。幽霊会員というと創価を思い出したからだ。創価の二三割は幽霊会員だしそれを一票に結びつけるのが幹部の仕事だったからだ。規制のメデアはそもそもインタ-ネットというメデアに批判的でるある。認めたがらない、お株をとられから商売仇きになってしまうからである。今までならこんなこといちいち指摘できなかったから勝手に事実でもない調べもしないでも幻想を作り出すことができたのだ。それが今度は一般の人から指摘されるようになる。それでアメリカの記者は一般のプロガ-から批判されてやめさせられたというのもアメリカは情報公開では常に一歩先を行っていることがわかる。
いづれにしろ短期的に作り出す価値はそれはギャンブル、マネ-ゲ-ムになるというのは本当である。例えば映画やアニメのようなものにしてもかなり大変な蓄積がないと作れない、コンテンツ作りは大変でありそれを今すぐ作ってくれといってもできない、相当な積み上げ作業が必要なのだ。それは別に企業だけではない、人間個人にしたって俳句すらいいものを作るのには50以上にならないとだめだとか平凡人であればはんなそうである。そんな簡単に価値をあるものは作り出せないのだ。だから短期的な株操作でもうけるのは何かやましいものギャンブルでもうけるようなものとして見られる。そこにライブドアの問題があったのだ。いづれにしろ確かに資本主義社会では投資は必要である。では真の企業価値を高める、国民を豊かにする投資とは何なのか?公共事業でないとするとそれが何なのか問題である。
http://www.yuichiro-itakura.com/
この人には驚いた。スクランブルの昼のテレビ見ていたとき、ホ-ムペ-ジを見ていた不思議である。生の人間とインタ-ネットの人間が一緒に存在した。それでわかったことはテレビで説明を聞くのと一ペ-ジでも文章読むのとは違ってくる。内容を詳しく知りたかったら文章も読み自ら分析する必要がある。それで書いたのが図であった。図などかいてみて自分なり情報を分析し理解する必要があるのだ。インタ-ネットとテレビはすでに融合している。テレビ見ながら実況中継でチャットして盛り上がっているのもその一つである。インタ-ネットと現実世界は重なってきている。文春を批判していたプログもなるほどと思った。週刊誌でも一方的な決めつけが必ずあるがそれにたいして何か言うことがないからそうかなで終わっていたのである。プログというのはホ-ムペ-ジより影響力があり時事問題などには向いているのかもしれない、今までのホ-ムペ-ジはアクセスされにくいのとレスがめんどうで反応が得られないなどインタ-ネット的特徴を活かされていない面があった。
http://ebn.livedoor.biz/#saishin
文春のライブドアに対する根拠なきプログに対する批判
春再び四国の旅へ
坂越えてまた一坂我が越えて春の風吹く南へ行くかな
四国まで旅に行くことにした。青春18切符で東京まで行く、これも乗りつづけると疲れる、それで水戸で2時間くらいおりてトランジット(折り畳み自転車)でぶらつく。それからまた2時間で東京につき新橋を回り有明埠頭から徳島行きの船にのる。徳島行きは仙台からでていない、東京からあらゆる交通の便がある。外国でも成田まで行くのに一日かかるから不便になる。この船は毎日徳島にでているのも東京からは客があるからだ。常磐線もそれなりに出ている。東京から北九州の船の便もある。これも9千円くらいだと安いからのりやすい。四国とか九州になると遠く感じる。行くのにも一日かかりになり帰るのも大変である。交通費だけで外国に行くくらいかかるのだ。だから四国とか一回行ったとしても九州も良くわからない地域である。そもそも旅の予備知識というのが必要なのだがこれもなかなかむずかしいものである。芭蕉もみちのくを旅した時は歌枕を訪ねた旅だった。壺の碑(つぼのいしぶみ)にあれほど感涙するのも今では考えられない、ただの碑にすぎないとなる。当時の距離感がそうさせたのだ。歩く旅と現代のスピ-ド時代の旅は余りに違いすぎる。坂を越えてはまた坂をこえて行く、それで体で春の風と旅行く醍醐味を感じるのだ。
今の時代旅している人はいない、いや旅ができなくなったのだ。ゆっくり旅しようとすると電車にのれバスにのれ新幹線にのれ飛行機にのれ車にのれと常にその前を走っているからだ。こういう時代には旅を自ら演出するほか旅はできない、短い区間でも歩くなり自転車で行くなり旅を演出しないかぎり旅にならなくなっている。絶えず早く早く前々とせかされてしまうからだ。昔の人の古歌などを理解するのも今の時代の旅していたら理解できない。時間の感覚がまるで違うからだ。今回多少めんどうでもトランジットを持って行くのはただ電車だけに乗り通りすぎる旅ではない旅をしたいという気持ちからである。一駅でも自転車に乗れば回りを春の風を受けて走れば旅になる、気持ちがいいのだ。
旅を実り豊かにするにはやはり旅先の知識が必要なのだ。しかしこれもいつも不便に思うのは旅に出たらなかなか旅先の土地々の知識を得ることがむずかしくなる。どんなところにも必ず謂われがあるものなのだがそれがわからなくなるのだ。不思議にその小さな町の歴史を説明する小冊子なんかも買うことはできない、書店にもたいがい置いていない、中央の出版社が出している一般的なガイドブックが多いが細かい点の情報は欠けている。また本は重いから持ちにくいのだ。ともかく旅は昔の故事一つでもわかるとまた違った趣を呈するものなのだ。地名から読み込んだバ-チャルトリップの光貞町のことを書いたがあれも地名から興味を持ったのである。地名から解きあかせる歴史や昔の生活があるのだ。
旅先ではインタ-ネットで調べることはむずかしかった。手間がかかりすぎるからだ。今回はノ-トパソコンも重いからもっていかない、旅は荷物が重くなるとだめだ。トランジットは軽いから持ってゆくのだ。自分ほど旅に明け暮れた人間もいないが未だに旅上手ともいえない、性格もあるが磐城に旅して湯本の湯の岳のことを知らなかった。こんな近くすら知らないということが多い。つまり湯の岳のことを知らないと実際は旅したことにすらならなかったのだ。それをインタ-ネットで知ったのである。旅のもう一つの問題は旅しても忘れてしまうことなのだ。二三年前に行った磐城だがいつ行ったか忘れていた。メモを見て思いだしたのだ。旅にはだからメモが意外と大事である。つまらないことでもメモしているとあとで役に立つことがある。ビデオカメラとかデジカメは記録に役に立つ、それでも旅では見るものが多くなるから忘れるのである。早すぎる旅は余計印象に残らず忘れるのも早いのだ。ともかく旅の予備知識、こまめな記録、そのあとの整理も大事になる。ただこれを全部処理するのはむずかしい。
「香川」という名前は、「香の川」からきているといわれています。
むかし、香川の奥山に、樺川(樺河)というところがあり、その地に「樺の木」があって、
ここに流れる川の水に香りをうつして流れたことから、「香川」になった
樺とは桜の樹らしい、カバはカワだった。樹の皮はいろいろと利用されていた。樹の皮は貴重なものでありアイヌでも神様の着物をはぐ、神様から皮をいただくという感謝の気持ちで皮をはぎ、全部の皮ははがなかった。自然と密接なかかわりで生活した昔の人々は自然を敬うことが大きかったのだ。カンバとかシラカンバも樺のことであった。この樺にかかわる歴史はかなり古いのだ。香りを移したというより樺の木を生活に利用したゆえにこうした名がついた。木と川は密接な関係があった。香川は木川でもあったのだ。この名前の由来を知るだけでもまず想像力が刺激され旅を豊かにするのだ。だから旅には最低限の知識が必要なのだがこれがうまくいかないのである。インタ-ネットでちょっとした知識でも役に立ったようにそうしたものすらわからないことが多いのだ。
香川とは香る川なりとその奥に木の神さびていにしえ思ふ
香川県であれ四国であれ山が結構険しく重なっている。その深い谷間から春の風が吹いてきた。祖谷に行ったとき奥深い谷間から春の風が吹いてくるのに感動した。
このつづきは詳しくは市町村合併問題へ
役に立ったトラジットの旅(四国へ小型折り畳み自転車の旅)
このトランジットは5分でおりたためた。もっと簡単におりたためる方法があった。実際は二三分でもできた。ほとんど半分にしておりたたみ袋に入れるだけで片手でももてた。だから電車の時間を気に必要はなかった。これは旅では大事なことである。時間に追われ余裕がなくなるとあわてるとゆったりと見るものも見れないからだ。これは片手で小荷物のようにもてる。良かったのはビジネネホテルとかの玄関にちょっと置いてもらったり室内にも簡単にもちこめるから大きな自転車のように置く場所の心配はなかった。このトランジットは都会でも役に立った。あの混雑した上野のアメ横に入っても邪魔にならなかった。これは混雑する都会でも役に立った。都会にもあっているのだ。いつも上野では安いホテルが見つからずカプセルホテルに泊まっていたが今回ほんの百メ-トルもいかない所に五千円で個室でとまれるホテルがあった。カプセルホテルは密室なので圧迫感があっていやだった。もうカプセルホテルには泊まりたくない、上野で五千円では安い、これも自転車だから発見できたのだ。
今日は隅田川まで出て川べりのホ-ムレスのダンボ-ル箱の家の所にでてそこでホ-ムレスと話したがそれは意外なものだった。釣りをしていたしのんびりやっていたのである。近くに公園があるからとそこを回り国技館のある大江戸博物館を見た。混雑する都会でも小型のミニサイクルはかえって役に立つ、小回りがきくし人ごみのなかでも行けるからだ。私の今の体力では自転車で走りつづけることは苦しくなった。でも電車からおりて二つ駅くらいは走れた。二三〇キロは走ると汽車の旅行では見えないものが見えてくるし駅からおりて街を散策するのにも役立つ、今はバスは使えないから駅からは自転車がいい、遍路の後ろから追いつき前に行ったりとトランジットは歩きではないがそれなりに旅の面白さを味わえた。私はどうしても景色のいい所があるとそっちの方に行きたくなる。隅田川も東京では一番景色のいい所であるから行ったのだ。宇和島からの海岸線も本当に景色がいい所だったからそこは何十キロから走った。大三島も一周した。景色のいい所は歩くなり走るなりしないとその良さが実感できないのだ。その点このトランジットは汽車からおりては走りまた一部国道のような自動車の混雑するところは省きいい景色の所だけを走った。四国は海と山の間に平地が少なく景色のいいところが多いから気持ちよかった。
ともかくトランジットは思った以上役に立つものであった。上野で後ろに簡単にとりつけられこる荷台を買った。これげ荷物をのせればさらにのりやすくなる。実際は二〇インチでも結構走る。ある若者はドイツ製の18インチの長距離用の折り畳み自転車で遍路していた。キャンプ道具も積んでいた。あれは長距離用にできているから違うが18インチの小型でもかなり走るしスピ-ドにも変わりないのだ。18インチだとかえって走りやすく感じることもあるのだ。ともかく旅は歩く旅と自転車の旅と汽車の旅とバスの旅、自動車の旅ではまるっきり印象の違ったものになることなのだ。四国では遍路がいるから歩くということが江戸時代のように普通に日常的なものとして実行されていることに驚いた。山頭火が遍路の一種だったこともわからなかったがなるほど遍路であればあんな旅できたのかと理解できた。遍路もいろいろいるが今の時代には不思議な光景を作り出していた。前にも歩くことがなくなったということを何度も書いてきたが四国では歩く人間の姿を見たことに感動したというのも奇妙である。菅笠をかぶり金銅杖をつき白装束の頭陀袋の姿が現実に存在していることに奇妙に感じたとともにそれが今も四国では遍路としてまだ生きていることに四国の遍路の世界が今も生きていることに四国という特殊な風土に生きる人間の姿に文明化した人間にはないものを感じた。しかし実際遍路にもいろいろあり全部を賛美することはできない、これは歴史的にもいろいろな問題があり一言で語れることではない、とにかくトランジットの旅はやはり新しい旅の経験だったことは言える。
遍路の魅力(文明を離れ人間臭いものを求める旅)
遍路行く足どり確か春の日や碑一つ古りて昔を語る
遍路いうものこれも全く未知の世界だった。だから正直これが何を意味しているのか書くことはむずかしい。今回経験したことはこれを現代的情報的なものとして見るのも一つの見方である。遍路は一つ一つの寺を回ってゆく、一つ一つ回って札を打つことによって何か願いをかなえる。現代的なものにするとスタンプラリ-になる。しかしここには重厚な歴史があり人間の負の歴史でもあるがその足下に辺土(遍路)に捨てられた人々の屍が骨が埋まっている道でもあるのだ。そこが遍路というのが不気味なものとして地元の人に見られていたのだ。遍路は姥捨山として故郷から追われた人々から始まった歴史がある。忘れられているが姥捨山は各地にあった。阿武隈の川俣町の口太山は朽ちる山、人が朽ちてゆく、姥捨山だった。今回のショックは光貞町の山の「捨子谷」だった。明らかに子供を口減らしのために捨てる歴史があった。遍路はまずそういう人達から始まった歴史なのである。そこに遍路の歴史的重みがあるのだ。その歴史をふりかえりふまえないで遍路にはでていけないものなのだ。そういう不幸な人達の供養も遍路として勤めであることなのだ。
そういう重い歴史があるのだが現代的な遍路の意味はまた違っている。寺というのは江戸時代は戸籍係とか旅行手形を発行するとか役所の代わりになっていた。侍の菩提寺であり今でも各地の寺町には大きな立派な武家や殿様の墓がある。寺は封建時代はその土地土地に従属した役所の役割を果たしていた。そして封建時代はその土地に縛りつけられていたのだ。だから旅行したい、脱出願望が強かった。それができたのが伊勢参りとか各地の遍路だったのだ。遍路は東京では秩父があり東北では出羽三山とか他にもあったのである。遍路や巡礼の魅力はそうした土地にしばりつけられていた封建時代の唯一、脱出できる、解放感が味わえることだったのだ。
今でも一時的に社会から会社から脱出して別の異空間の世界を体験してリフレッシュする世界なのだ。旅自体そういうものだが遍路の場合、遍路の装束がありそれは江戸時代に帰るという不思議な経験することになる。遍路の歩く姿を見て江戸時代の浮世絵のようなものが蘇った感じがした。人間の歩く姿自体が絵になり詩になっている。実に頼もしいというか人間が道を歩く、大地をひたすら歩くという姿に感動したのである。これは四国で遍路だからありえた。他では歩いていてもこうは感じない、そういう歴史があり伝統があり歩くということが奇異にみられない世界だったのだ。今他では歩いていると犯罪者のようにさえ見られてしまうのだからある意味で異常である。
遍路の魅力は情報的分野から見ると寺がその土地土地で孤立しているのではなくネットワ-ク化されてつながりができて生きてくる。ちょうどコンビニのようにネットワ-クされているから奥山の寺まで生きてくるのだ。何番目の寺というのがあるが他に無住の御堂があり奥の院がある。それもまたネットワ-クの中に組み入れられて生きてくる。M寺とN寺と順番に回るのだがその間に「奥の院」がありこれも完全に結願するには回る必要があるのだ。M+(x)+N=M(x)Nとなり小さな御堂もネットワ-クの中に組み入れられて生きてくるのだ。これはパズルのようなものである。化学の分子記号のようなものでもある。奥の院も回り結願するのだ。
ネットワ-クはビジネスでも力を発揮するしネットワ-ク無しでは今や仕事にならない、東京のある会社では簡単な製本のサ-ビスをしていたがこれが東京都内だけで20くらい支店があった。ところが東京以外には一つもないのだ。東京という巨大都市の中でネットワ-ク化され仕事ができるようになっているから一極集中になるのだ。つまりこうしたネットワ-クの魅力が遍路にある。寺にもそれぞれ個性があり寺の瓦も全部違っていたことに驚いた。その手拭いを石手寺で買った。遍路の奇妙さは捨てられた小犬が遍路について行ったり遍路は今も幽霊となって四国をぐるぐる回っている。犬も遍路になる、幽霊も遍路になっているというからそれが歴史なのである。
私の場合は寺には一回もお参りしていないが遍路は信仰をぬきにしても旅をするものにとっては魅力あるものなのだ。情報というものもネットワ-ク化されるとつながりができて生きてくる。必ず欠けたものがありその欠けたものを補うものが必要になるのだ。封建時代は閉鎖的世界でありそれが実はいいじゃないかの騒ぎに見られるように御伊勢参りとかが明治維新への庶民のエネルギ-の爆発となった。人間の自由へのエネルギ-はおさえることができないものであり封建時代はいづれ自壊する運命にあったのだ。
みんな違っている寺の鬼瓦
学校教育がファシズムの温床となる
(NHKの明治の教育についてを見て)
NHKの明治時代の教育を見てはっと気づいたことは江戸時代の教育は先生は生徒一人一人に個別に対応していたし教室のように生徒は一人の教師の前に整然と並んでいなかった。それぞれが個々に机をかまえ勉強していた。そして先生が生徒に個別に対応していた。それがなんだとなるが、江戸時代と明治時代には常に大きな時代の分かれ目があるのだ。だから江戸時代から明治時代に変わる所に非常に興味深いのである。つまり明治時代は文明化でありこれは欧米化でありこれはまた世界共通に起こったことである。学校教育というのがその一つである。学校教育は世界中で同じであり同じような教育形態をとる。机を並べ先生が一人、教壇の前に立ち命令するように教えるのだ。そもそも学校の校はしばるとか刑罰を意味していたし古代から学校で教えることは強制であり怠るものには刑罰が与えられていた。ただこの学校というのは文明時代の学校とその前の教育は違っていた。ヨ-ロッパでも金持ちの子供は家庭教師がつけられていたしそれが教育でありその貴族の師弟から天才が続々と生まれた。今の学校教育から生まれたのではなくそうした個別的な教育がもともと教育だったのだ。ヨ-ロッパであれほど天才が出たのは学校教育からではない、貴族の個別の教育があったのだ。
学校教育は文明化とともに行われた形式である。それは画一的工業製品とか時間に合わせるとか集団化するとかそれが基本にあるのだ。画一的工業製品を大量に作るとか暗記第一で創造的な個性を無視するとかがある。ある意味で画一的ロボットを生産するのが学校教育の役割でもあった。これになぜNHKの番組を見て気づいたかというとこれがドイツのファシズムとか社会主義的ファシズムとか天皇制であれ創価であれ日本であれ世界を席巻する宗教のカルトになる温床が学校で作られていないかということなのだ。教壇の前に神のごとく君臨するのは一人の先生でありそれに従うのが従順な生徒である。そういう形態がとられやすいし日本では先生に質問したりすることが少ないとか学校では従順な生徒がいい生徒になるのだ。ただそうした形態は教育的に効率的だからそうなっているのでありやむをえないともなる。前にも何度も述べたことであるが工業化とか効率化とか画一化とかこうした文明化はファシズムとかカルト化と確実に結びついているのだ。ナチスの大量虐殺もそうした文明化の過程で起こったことなのだ。
種々雑多な職業や人間や地域性がある封建時代などでは今のファシズムとかカルトというのがこんなに大規模にはならない、事実、日本人は無宗教だというけど3分の2くらいはなんらかのカルトに入っている。あなりの隣には必ずいる、創価がいるし、お光様もいるし、エホバもいるし、様々なカルト団体に属している人がいる。これは明らかにそうした集団化的文明化の結果ではないか、ファシズムとかカルトは密接にこうした文明化と結びついて起こってきている現象なのだ。卑近な例ではニュ-ス番組を見れば様々なものが次から次とで放送されるから混乱する。政治問題を扱っているときスポ-ツ番組とか芸能関係は放送するべきではない、混乱するからだ。マスコミとか放送も混乱を作り出すから考えることもさせないからファシズムがカルトが生まれ要因にもなっているというピカ-トの指摘がある。文明化の教育とかメデアとかいろんなものが現代人をファシズムとかカルトを増殖させているのだ。
学校教育すら受けられない後進国の子供もいるから学校教育を受けられるのは恵まれているともなるが教育とは別に豊かになれば様々な形態があっていいし試される。理想的なものは家庭教師などをつけた個別教育なのである。そこからヨ-ロッパではあまたの天才が輩出した。なぜそうなったのか、豊かだったということに尽きるのだ。豊かだから家庭教師をつけられたし自由に勉強させられたのである。人間の才能は誰でもなにかしらあるしただ常に開発しないと発達しなだけなのである。私自身がその一番いい例なのだ。学校ではひたすら試験のための勉強であった。学問に興味をもっていなかったし点数とるための学問だから高校になり全然学問に興味がなくなったのだ。それで退学寸前であり学校は全くいやになっていた。だから家庭内暴力とかになる。これは自分が元来人間として劣っていたためでもあるからこのことで学校が全部悪いとはいえない、学問に興味を持ったのは学校出てからの方である。旅をして地名に興味をもったのである。そんなものたいしことがないといえばそれまでだが興味をもてば人は黙っていても強制されなくても勉強するのである。今やその勉強する資料などはインタ-ネットとか様々なものでそろえられる。要するに興味がありそれに冨があれば今の時代自らの才能は開発される時代になったのだ。ニ-トとか仕事につかない人がいるがそのなかには豊かだから職につかず自らのやりたいこと才能を開発している人もいる。そういうことができる時代なのだ。だからその中には自ずと金と暇とが与えられ自らの才能を開発する人達がでてくる。その逆の人もいるが放蕩で終わる人もいるが才能を開発してその成果を社会に示す人はでてくる。
いづれにしろ学校教育は世界共通の文明化でありこれがファシズムとかカルトとかを生む温床となっていた一つである。これを学校というだけでなく現代の文明化が
ファシズムとカルトを生むということにもなる。集団化、画一化、効率化、機械化・・・文明化に必然的にこういうことが強制される社会だからだ。そのアンチテ-ゼとして単独者としてのニ-チェやミラ-や上野霄里氏が必然的に生まれたのである。
どこの国にも義はない(中国も自らを反省せよ)
なんぢら人を審(さば)くな。審(さば)かれざらん爲なり。己(おの)がさばく審判(さばき)にて己(おのれ)もさばかれ、己(おの)がはかる量(はかり)にて己(おのれ)も量らるべし。何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認めぬか。視(み)よ、おのが目に梁木(うつばり)のあるに、いかで兄弟にむかひて、汝の目より塵をとり除かせよと言ひ得んや。僞善者よ、まづ己(おの)が目より梁木(うつばり)をとり除け、さらば明かに見えて兄弟の目より塵を取りのぞき得ん。(聖書・マタイ傳七ノ一〜五)
「義人なし、一人だになし、善をなす者なし、一人だになし」(ロ-マ人の手紙」
中国の日本批判というのを考える時、これを国際関係で考えるのではなく個人的関係として考えると相手の罪をしきりにいう、罪を問いただす、しかしその本人に罪はないのか、そんなに相手の罪を言えるのか?主キリストが「罪なきものは打て」といったとき誰も打てなかった。みんな罪人だったのだ。そして人類は今でもそうである。義人は一人もいない、もちろん個人としてもいないのだから義なる国家などないし集団も組織もない、組織、集団化した所は必ず悪がある。どこの国であれ国家そのものが悪なる罪なる存在のところはない、一人も義人がないというときどこの国でも義人が集まってできた国ではない、罪人が集まってできたのが国である。だからアメリカでも原子爆弾を落としても反省もしていない、国そのものが義を実行している国などないのだ。中国も韓国も日本を戦争の恨みから批判するのはそれなりにわかる。でもその自分の国がそんなに罪のないきれいな国なのかといえばやはり罪なる人の集まった国家なのである。国家自体が罪をなし悪行を成す運命にあるのだ。日本を責めるのもいいが共産党国家というものがその幹部の方がどれだけ悪行を成してきたのか、その方が問題じゃないか、日本にその罪を全部なすりつけるのはおかしいのだ。
日本人も罪なる人間の集まりだから戦争中もあくどいことをしたことは確かである。それはいやでも日本人も認めざるをえないのだ。でもそもそも世界の歴史が罪の歴史だとするとき、殺し合い、戦争の歴史が歴史だとすると一体どこの国がその戦争に対して謝罪したり悔い改めるとか言っているだろうか?イギリス帝国もアメリカもそんなこと言わない、国家の関係は国家間の争いを裁くものは誰なのか?これは国連でもないしアメリカでもない、中国でもない、国家間の争いとなるとこれは神の裁きであり一国家と人間を越えた裁きが必要となってくる。どこに義があるのか、日本にもない、では中国に韓国にあるのか?アメリカにあるのか、どこの国にも義はないのだ。そこが一番の問題なのである。
シオンオンは公平をもってあがなわれ、そのうちの悔い改める
者は、正義をもってあがなわれる。(イザヤ1−27)
この世界歴史の裁きは神によってしかありえない、終わりの日に公正な裁きがあるのだ。国も裁かれるし個々人も裁かれる。これは法律などをこえた神の裁きだから完全である。その裁きの日を恐れねばならない、私に罪はないとか私は知らなかったとか、私は現世では大衆にあがめられていたとか言い訳しても無駄だ。カルト団体に入っていて地獄に落ちるだとか脅したりまたロボットのようにカルト化された自ら罪なき無辜の人達も民主社会、自由社会では裁かれる。知らないとか強制されたとかそうした言い訳がきかないのだ。主キリストのみが罪なくあとは全部自分をふくめ裁かれる、罪人なのである。国家も同じだ。相手の罪を言う前に中国様はその欧米に奴隷化された自らを反省せよ、アヘン中毒化された過去を思い見よ、それこそが外国の日本の侵略を許した最大の原因ではないか?韓国も同じである。中国が良くなったのは欧米に日本を先進国として認めそれに追いつくために謙虚に努力するようになったからだ。戦争のことで日本を責める前に自分の国の歴史をかえりみるべきである。大きい国は傲慢になる。アメリカにしてもそうだ。大きい国は帝国は必ず衰退した。それも神の定めたことだ。中国もアメリカも力があるからと傲慢になると神の裁きがくる。ベトナム戦争がそのいい例である。強いものだけが勝つとはならないのが世界であり神の力がそこに働き、すべて人間の力だけでは決められないし決めることができないのが世界史であった。
いづれにしろ自らの国が弱体化するとき、モラルが低下するとき他国がつけこんで攻めてくるのが世界史であった。そこに義の戦争などない、日本も同じだ。今のモラルの低下は中国様に攻められ基を作っている。軍事力ではなく日本人のモラルの低下が問題なのだ。アジアで買春とかでいばりくさっている中高年とか若者の意欲なさ、ニ-トとかの増加とか国の力のモラルの減退こそが問題なのである。日本はもはや国難に対処できないモラルの低下がある。カルト団体に牛耳られる今の政府も非常に危ない、骨抜きにされロボット化され自主性もないし若者に義を求める心はない、享楽に惰弱となりただすべてはマスコミも権力あるものにこびるものとなり誰も義を信を言うものはいないしそれは権力によっておさえられる。中国も傲慢であり自らを改めないものだが日本もまた非常に国難にも対処できない惰弱な国となっているのだ。これはアメリカの属国として戦後自主性を無くしたツケが回ってきているのだ。経済的に属国となりそれが精神的属国ともなってしまったのだ。日本としての精神的自立性も失ったしまったのだ。これが明治維新との大きな相違である。明治維新は国力は経済力は今よりないのに精神的自立性は今よりあった。武士道精神も生きていた。その落差が余りに大きいのである。
中国の急激な反日デモはなぜ
中国でなぜ今急激に反日デモが広がっているのか、前から素地はあったにしてもここまで広がるのが解せない、自主的なデモでなく政府指導のデモの要素も大きい。でもわからないのはあえて経済的成長やオリンピックとかをひかえわざわざマイナス的な行動を政府自体がしかけるというのが解せないのだ。つまりこの背後には政府自体に抑えのきかない問題をかかえてそれが反日デモへと誘導された。各地で農民の暴動が起きているからだ。その抑えをきかなくなり反日デモに誘導した。民衆の自発的意志というより政府自体に大きな問題をかかえそれが反日のデモへと誘導された。これだけ大規模に急激に拡大化することが日中両国にとってどっちも損になるだけなのにあえてそこまで中国政府が共産党が反日デモを仕掛けそれを黙認するほかなくなったのかとなる。
いづれにしろ言論の自由がないのだから共産党一党独裁なのだから民衆の意志とかかわりなく民衆を反日デモに犬のようにけしかけることができる。言論の自由がなければ日本のことも良く知らないし歴史のことも知り得ようがない、共産党を批判する本も情報も口に出すこともできない、そういうなかで正しい理性的な考えを持つことはむずかしい。今回若者が中心だったというのもそのことを示している。若者はカルトとかファシズムにのせられやすい、エネルギ-が旺盛だから行動に走りやすいが深い思慮があっての行動ではない、暴発しやすいのだ。中国の情報環境では新聞とかテレビは官製だから信じない、インタ-ネットが情報源だというのも驚いた。インタ-ネットさえ実際は規制されている。不思議なのはインタ-ネットというとそうした官製的なマスコミ的な情報では得られない情報を得るのが日本などのインタ-ネットなのだ。ところが中国ではその官製の反日がインタ-ネットでもさらに過激な反日になっている。インタ-ネットでも政府批判ができないという言論の自由のなさがあのようなデモになった。
今回のキ−ワ−ドは「愛国無罪」というスロ-ガンである。文化革命でも造反有理とか盛んにスロ-ガンを叫び一千万人が粛清されたとか中国を一つのスロ-ガン革命が席巻して中国人同士が疑心暗鬼にして中国全土をズタズタにしたのである。その傷痕は深いし未だ癒えていない。「愛国無罪」というスロ-ガンがまた中国全土を駆けめぐってゆくのか、第二の文化革命なのか?そのタ-ゲットは今度は日本なのか、それがファシズム、狂気のように日本に向かって来たら怖い、言論の自由がなければ人間は一方的になり判断できない、戦時中も皇国主義があり天皇万歳で死んだ人々がいた。これもやはり言論の自由がないからそうなった。創価でもその他カルト団体も言論の自由がある世界でも容易にカルト化してファシズムになる。言論の自由がなければ公平な判断がしにくい、中国では日本のことやそもそも日中双方の歴史さえいろんな角度から検討することさえできないのだ。そうしたら政府主導になりやすいし自主的に考えてデモすることはありえないのだ。ただ貧富の差で不満な分子が政府にデモを起こす、これは理屈なしの世界である。政府は共産党はこっちの方を恐れている。ともかくこれも急激に起きてきたことなので理解に苦しむ。やはり中国国内に異変があり政府や共産党幹部の危機感がこういうデモを生みだしたのか、日本人には理解に苦しむのだ。だからあわてて感情的になり行動することはつつしむべきである。何か頭を冷やす方法が必要なのだ。火に油をそそぐようなことをすべきではないことは確かである。
中国のデモは日本の国難の前兆なのか
世の中は三日見ぬまの桜かな
つかのまにみるみるふえぬツクシかな(自作)
世の中の変化は激しい、今回の中国のデモもそうである。国際情勢も今は変化が激しい。あっというまにいつのまにかに変わっている。その変わってしまった情勢に気づかない、追いついていけない、中国の変化も激しい、今回のデモも何か大きな変化の徴候なのだ。中国が巨大化してゆく、そして日本はこの巨大化した中国との対応が迫られる。それが現実になったのだ。この巨大化したアメリカと中国が衝突する、冷戦は日本は朝鮮戦争でもベトナム戦争でも特需で会社ももうけた。しかし今度は中国とアメリカにはさまれて苦しい立場になる。もしかしたら朝鮮半島が分断されたように中国とアメリカの狭間でそうした国難がやってくるかもしれない、そうした前兆が今回のデモにはあるかもしれない、新旧の交代もあっという間に成される。みるみるツクシが一面におおっている。新旧交代もあっとというまに行われる。これが世の中である。特にインタ-ネットがあんなに普及して実際の生活まで左右していることに驚いた。日本ではインタ-ネットが普及しても政治を動かすまでになっていない、それが中国では政治を動かしているのに驚いた。こうしたメデアの変化もいつのまにか世の中を変えているのだ。いつのまにか本とかテレビとか新聞の世界はすたれインタ-ネットの影響が大きくなりそれが社会を変えてしまっているということもありうる。変化はあっとというまなのである。
ともかく今回のデモが日本が中国とアメリカの大国の間で苦慮する、大きな困難に直面する前兆である。世界がそういうふうに変化してしまっているのだ。ある意味で日本の国難になってくる。世界情勢が変わり日本は朝鮮戦争やベトナム戦争のような冷戦では安全であった状態から危険な国難を迎えている。つまり今の若い世代の責任はかなり重くなってくる。ニ-トとかフリ-タ-とかそうした人々にこの国難を背負わされるかもしれない、それに耐えのりきれる世代かというと余りにも惰弱であるから押しつぶされることもありうる。中国を批判しても中国は嫌だと言ってもではどこと共同するのかとなるとむずかしい。インドがいいというがそこで仕事している体験談ではカ-スト制が今も厳しく人のつきあいもカ-スト制で決められていてややこしくて大変であるとかなる。そう簡単に乗り換えることはできない、今後は中国とアメリカの大国にはさまれ日本は分断される危機が生まれる。それは朝鮮戦争とかで韓国が分断されたように日本もその分断の危機が生まれる。そういう国際情勢になったのだ。
ただ今後の国難を負うのは今や団塊の世代とかではない、団塊の世代は幸運な時代に生きたともいえる。戦争に負けても自らはその被害はこうむらず豊かな時代を作った。しかし今後の世代は非常に厳しい時代になる。就職難の時代でもあったがさらに国際情勢の国難に直面するとなるとそれを負いきれるものなのか?しかし国際情勢でいやおうなく困難を背負わされる。不幸な時代といえばそうなるが年金にしても次の世代は今までのツケが回る不運な時代に生まれたとなる。時代時代にも運不運がある。戦争で死んだ世代は不運な不幸な世代だった。団塊の世代は運に恵まれた世代だった。ただ今後は悠々自適の豊かな老後が保証されることはこうした国際情勢の変化とかからそうはならない、国難の時代に老齢化社会は対処できない、明治維新は二十代の若者が成したからだ。ただ一国の不運とか冨とか犠牲とかもめぐりめぐってくるのがこの世の定めだった。朝鮮戦争の犠牲やベトナム戦争の犠牲を日本人はよそ事に見ていた。しかしその犠牲が今度は日本に回ってくる可能性がでてきたのだ。いづれにしろ国際情勢の変化も技術の変化も激しいから思わぬことになってしまうのがまたこの世の常だった。どうしても今回の中国のデモはその徴候だから簡単には見れないし一過性のものではないし日本にとっての方が影響が深酷であり難問をかかえるのは日本の方になっている。中国人の方が余裕をもっていることでもわかる。日本の方が国力とかの関係で苦しい立場にたたされる前兆である。
歴史の因果を考えると中国は欧米と日本の間の勢力争いで引き裂かれ分断された。次に朝鮮戦争の冷戦でアメリカと中国、ソ連の間で朝鮮半島が分断された。ベトナム戦争も冷戦のつづきだった。そしてアメリカと大国化した中国の間で日本が分断される危機となるのか?その逃げ道がインドととなるがこれも実際はむずかしい、東南アジアとの連合となるのか、それも中国の伸長でむずかしくなる。最悪なのはアメリカが中国と対立するのではなくアジアから手を引いて日本が孤立して中国と対立することである。朝鮮半島も日本に敵対するとなるとモンゴルの元の日本侵攻の恐怖が再び生まれる。日本というのは地理的に孤立化する傾向があった。それが鎖国の原因の一つだった。隣に巨大な中国がありこの軋轢が古代から存在したのだ。そこで朝鮮半島を巡り覇権争いがあったり対立した。では地理的には隣がない、アメリカがそうなのだが遠いから大陸の力関係とは違う、簡単に分離できる、陸続きだったら脅威をじかに感じるが陸続きでないから日本と一体感をもてないのである。
都会のホ-ムレスとホ-ムレス遍路は余りに違っていた
四国の旅の帰りに隅田川の岸にテントを張って生活しているホ-ムレスの人と話したことはなんか不思議な感じがした。そのホ-ムレスは釣りをしていた。海が近いから魚が上ってきてとれる。ボラかなにかの大群が上ってきたと話題になったこともある。ホ-ムレスというと悲惨なものをイメ-ジするがここのホ-ムレスはそうしたものがなかった。食うにはこまらないし使われて働くより楽だと言っていた。一人は自転車をもっていたし自転車は移動のために必需品だと言っていた。ここでは食うには困ることがないらしい。炊き出しとかどこかでやっていて働く気力のないものはそこを回っている。その他空き缶集めとか現金収入もあるらしい、他に都会だからなんらかの現金収入がある。それにしても全然悲壮感も何もないのんびりした今の生活に満足しているというのも不思議だった。それなりあきらめてそうした生活になれるとそんなに不自由も感じないのか、使われて働くよりいいとなる。だいたい五十以上が多いから使われて働くことそのものに拒否反応があるから働かないのだ。ホ-ムレスに余り犯罪者はいないらしい、一応警察に管理されているから犯罪しにくい、犯罪者がまぎれこむとわかりやすいともなる。だからホ-ムレスには人のよさそうな人が多い。だからこそホ-ムレスになったともなる。
隅田川は前は汚くて匂っていたという、今は匂わないからきれいになった。その隅田川をひっきりなしに観光の変わった漫画にでて来るような観光船が行く、愛知万博で客もふえたとか毎日その船の行くのを見ている。そこで暮らしていればいろいろあるらしい。川に飛び込んで自殺した人がいるとすぐに救急車がかけつけてくるとか言っていたが都会では誰かが見ていることが多いからそういうことで自殺してもすぐに救急車が来て助けられたりする。時代劇でも川に飛び込もうとした人が通りかかりの人に助けられるのがよくある。誰も見ていない田舎だったら誰もとめるものはいない、今ホ-ムレスは田舎をかなり嫌っている。田舎はよそ者は受け入れないとか入ることもできないとか田舎は今やこうした人達を全く受け付けない場所になっていた。昔は乞食がいたが今はいない、そもそも田舎では乞食とかそうした社会からはずれたものは住めないようになっている。生活保護でも受けて暮らすことになる。生活保護がなかったらやはり乞食とか社会から脱落する人は必ずいるのだからこうはなっていないのだ。今はホ-ムレスは都会に集まるのだ。都会は人間もいちいち詮索しないからいいとか田舎を相当に嫌っていた。
そのホ-ムレスの人に教えられて向かい側に行くとそこに公園があった。なかなかいい公園だった。人が少なくそこを大江戸線が走っていたのも田舎ではなかなか見られない光景だった。そこから自転車で走って門前仲町に行きそこにも公園があり写真をとった。両国では大江戸博物館によった。東京で一番気持ちのいいところはあの隅田川の辺りである。海が近いから自然が感じられるのと川がありそこをいつも船が通っていたり橋も多くここが昔から大江戸の人達でにぎわった所なのだ。ただそこでホ-ムレスにあって話したということが奇妙な経験だった。自転車で行くと都会でも見えないものが見えて来る。四国の旅でもそうだった。そのホ-ムレスに四国の名物、ジャコテンくれてやった。これは一枚五十円とか安いのである。四国ではいつも食卓にあるものなのだ。
ジャコとは宇和海で獲れる小魚の一種で、「ホタルジャコ」(別名 ハランボ)という体長8cmほどの小魚です。
この小魚の内臓を取り除き、骨と皮はつけたまますりつぶしたものである。
それにしても四国のホ-ムレス遍路とは余りにも違っていた。やはり今は田舎ではホ-ムレスは辛いことになる。都会だとホ-ムレスが多いからそれなりに救済する人や役所でも手当てを与えたりしている。田舎ではそうしたことは全くない、ただ遍路はそうした習慣が昔からあったから田舎でもホ-ムレスでありえるにしても余りに都会のホ-ムレスと田舎のホ-ムレスは今は違いすぎたのだ。今日食い物がないとか菜の花の食っているとか毎日食うことかく生活では嫌になる。ここでは明日食うことは心配ないのだ。いつも食べ物は用意されているからだ。その辺の違いが大きすぎたのだ。
ホ-ムレスの内訳
一時的ホ-ムレス(すぐに復帰)⇒まもなく復帰
(これは非常に少ない)
空き缶拾いなどをする人は労働意欲もあり労働できる人である
ホ-ムレス選択者は余裕があり多少働けても働かない人
働くことがいやな人・・・・
それから労働意欲も労働できない人
最悪は病気持ちとか瀕死の人
隅田川俳句へ
東アジア共同体は可能なのか?(中国反日デモの深層)
今回の中国のデモとか日中問題のきしみはどこからでてきたのか?その深層は何なのか?それは確かに文明の衝突というのも関係している。グロ−バリゼ-ションによる文明の衝突は20世紀の最大の問題だったからだ。江戸時代までは日本はそうしたグロ−バリゼ-ションと深酷にはかかわっていない、鎖国のように閉鎖した一つの島、宇宙に住んでいた。ただ古代には大きなグロ−バリゼ-ションの中にあった。仏教というグロ−バリゼ-ションの中に抱合された一部として文化、文明を共有したのだ。第一日本の建国が奈良の大仏の建造のように仏教イデオロギ-によって行われたことでもわかる。中国-韓国-日本と一つの文化、文明をこのとき共有していた東アジアの共同体があったのだ。もちろんその時は日本は遣唐使などで中国から文化を取り入れる方であり中華に朝貢する方であった。それは韓国でも新羅とかもそうでありその順位を争っていたのもそのためである。中国では今でも中華思想であり日本は中華帝国の一部として朝貢する立場にある。その考えは変わらない、これも歴史認識の相違なのである。中国自体が過去の歴史の栄光を現代にそのまま継続しようとしている過ちがある。この時は仏教文化などを共有したのであり今のような経済とかで密接に結びついていない、ただ仏教文明という一つの東アジアの共同体が形成されたことは確かである。そのとき遣唐使など留学生が派遣された。中国の文化が優秀だからそれあ学ぶために派遣された。留学生は文化の優越したところに派遣される。この文化の優越が西欧文明の挑戦を受けてアジアは混乱したのだ。日本は明治維新で一早く西欧化した。中国はそれに遅れをとったから欧米と日本に蹂躙されたのである。
今なぜ日中問題がデモでクロ-ズアップされたか、それはグロ−バリゼ-ションで互いに一つの体のようになってしまったからだ。経済的に深く結びついていて離れられなくなっている。しかしその接着剤となるものは何なのか、互いの利益だけなのか、それだけ中国のような大きな国と共同できるのかとなる。これが大きなテ-マとして浮かび上がってきたのではないか?世界史になるとキリスト教共同体は二千年とかかけて欧米に作られたものである。その歴史は重厚なのである。イスラム教共同体もそうである。アジアでは仏教共同体というのがあった。これはなぜか途中で途切れ衰退してしまった。それで明治維新があり日本が天皇イデオロギ-で大東亜共栄圏を目指したことには無理があった。それは共通の理念になりえないものだった。そこに反発されたのである。マルクス主義が中国やロシアの共通のイデオロギ-となった。日本は戦争のことはさておいてその出だしからして大東亜共栄圏を指導するイデオロギ-が間違っており欠如していたのだ。だから大東亜共栄圏はその出だしからして失敗していたのである。それは共通のイデオロギ-になりえるものではなかったのだ。ロ-マ帝国はあれだけ拡大したのは武力だけではない、やはり一つの文明があったからである。最初はロ-マ法とかありその上にキリスト教が合体された。そのロ-マ帝国の上にヨ-ロッパの共通な文明意識が培われEUに発展したのである。
今このデモを契機にして互いの歴史を見直すべきだというのは言える。それ以上に大きなテ-マが浮かび上がってきたのではないか?グロ−バリゼ-ション−による文明の衝突でありその中で共通なものを新たな文明をどこに求めてゆくのかということである。ただ利益だけで経済の発展だけでアジアは結びつけるのかという問題がある。中国が中華思想にこだわり古代のような朝貢国家みたいな考えでは日本は受け入れられないしまた逆に中国にしても日本の天皇制国家のようなものも受け入れられるものではなかった。では新たな共通の統合の理念になるものは何かというとそれはもはやマルクス主義でもないとしたら仏教でもないとしたらアジアにはなにもないことになる。民主主義とか法の平等とかがその共通なものとするには中国にそういうものはない、そもそも中国は13億の国家は一つの国なのかという疑問もある。グロ−バル化することは民主化することだというのも一つの共通の理念であった。民主化とは単に自由というだけでなくそこにはいろいろなものがふくまれている。言論の自由とか法の下の平等とかそういうものが保証されている社会である。中国のデモの原因が共産党一党独裁だということにあり言論の自由もなにもないことにも起因している。そこから一方的な誤った思想が過度に政府により吹き込まれ洗脳される。そういう国は北朝鮮と同じであり同じ文明を共有できないとなる。信用できないとなる。同じ文明を作っていけないとなるのだ。そういう根本的な問題が衝突の原因であり戦争の非を言う前に中国自体そうした文明国ではない、文明を共有しえるものになっていないというのが根本的問題なのだ。そもそも13億という人間が民主化すること自体大変なことであり中国はすでに国内で文明化できない問題をかかえている。今度のデモは反日だけではない、中国の国内問題が吹き出したのである。ともかく中国と日本が同じ文明を共有し平和を築き繁栄することは中国の方に今や大きな問題がありそれを解決しないと不可能であり中国問題のむずかしさを感じた事件だった。
異常が正常となる便利さを求める文明の危険(JR福知山線脱線事故の深層1)
JR福知山線脱線事故 死者39人、けが人220人超に 事故前、伊丹駅をオーバーラン
●異常な時間の感覚
尼崎駅で遅れると市民がものすごく怒るから
運転手は遅れを取り戻そうと必死だったとすれば
尼崎市民の民度も問題だな。
でもこんなこと書いておきながら、
いつもの電車が2分速かったり遅かったりするとムカツク。
この便利さに慣れちゃってるからね。
しかも自分の知ってる国じゃ多少の遅刻もOKだけど、
日本で遅刻したら評価がくっと下がるから…
田舎だったら一分くらい遅れてもは何も言わないけどな
一分遅れて必死に時間に合わせようとしていたのか
遅れを怒るというのも余りにも余裕がなさすぎる
あの、客がというより、会社の体質。
尼崎運転区なんて、運転士が30秒以上遅延したら、研修送りの嫌がらせを。
利益追求しすぎて、人材を育てる余裕が無いから。
そこまでして利益を追求しないと、会社が潰れてしまうような世の中
企業は利益優先。
「おまいの代わりはいくらでもいる」
「嫌なら辞めろ」
が口癖。
バイクだって二人乗りするには1年経たないと駄目なんだ
有料道路の場合は3年以上の経験がいるのに
600人の命を預かるJRの運転手が経験11ヶ月?
呆れる
日本人の電車が一分も遅れないとか自慢にしていたけどその異常性に気づいていなかった。一分ではない30秒内の時間の正確さが要求される。これはもはや人間の手では無理なのでコンピュタ-制御になった。それがうまくいかず暴走になった。運転手のミスというより一分内の遅れも許さない電車の交通、利便さ、効率化を要求する文明社会にも原因があった。国鉄からJRになってこんな事故が起きたことはない、だから事故は起きないものと思っていた。それほど日本の技術は優秀で信頼していた。でも実際は軽業のようなことをしていたのだ。それが経験の未熟な若者にやらせていたからこうなった。これは大変な熟練の運転技術が必要だったのだ。文明を批判してきたがこれも文明故の事故だったのだ。もはや人間は30秒の時間に合わせることは無理である。だからコンピュタ-制御が必要なのだがそれも働かない時があったのか、文明の便利さになれるとそれが正常になりその便利さを維持することがどれほど異常なのかもわからなくなる。異常が正常になっているのだ。何が異常なのかもわからない、これは社会にもあてはまる。カルトがファシズムが正常であり異常と気づかない、それがいつのまにか社会に根を張っていてもそれが多数をしめれば正常でありその異常性を指摘するものはその人こそ異常として社会から排除されるのだ。文明というのは人間の情とか正常性を奪うものなのだ。田舎だったら一分くらい遅れても何も言わない、ここは一時間に一本だからだ。ロ-カル線ではこのくらいの間隔はいい方である。一分で騒ぐということはない、ここが日本人が特に時間にうるさいということがかえって異常なのである。
●路面電車の効用
貧乏人でも車が持ててしまうから無駄に交通量が多くて
珍走のようなアフォが多くて困る。
車は重税課してどうしても車が無いと困る
人間だけ利用して基本的に公共交通機関
を利用すれば道路は片側一車線でも十分。
ちなみに長崎市では、朝ラッシュ時は路面電車が一番時間が読める乗り物
バスはバスレーンがバスだけで渋滞する有様
タクシーも抜け道が少ない都市構造なのではまると悲惨
かつては、自動車の邪魔だというので路面電車をどかしたら、
その分自動車が増えて渋滞がひどくなったのだと思う。多分。
自動車一辺倒の交通体系も異常なのだ。路面電車がある街には郷愁を感じて観光にいい街だった。何か時間を遅くする、路面電車には精神的に人間的なゆとりを与える効用がある。遅いから非能率的だからとか自動車利用者は言うがかえってそのことが車の渋滞を作り出している皮肉がある。つまり文明の効率化、能率化とかの一辺倒の思想はかえって非効率的なものにもする。これは人間というものが機械ではないし機械のように効率化能率化一辺倒で計れないもの、様々な要素があり人間を機械にできないのだ。
「どんな社会にも二:六:二という法則があって(二:五:三だという人もいる)、二割の人は一生懸命働く、六割はその時々によって働いたり働かなかったりする人で、後の二割はどういう人かというと、徹底的に何もしない人。ではそういう人を生産的ではないというような理由で排除したらどうなるか。残った人の中で二:六:二というふうになる…」
するとこんな言葉が返ってきた。
「それは蟻の社会でも同じだ。すべての蟻が勤勉なのではなく、働く蟻とそうでない蟻は七:三なのだ」
http://www003.upp.so-net.ne.jp/kishimi/netaro.htm(三年寝太郎)
どう考えても、二割の蟻
余り働いていない気がするのに、役に立っているらしいから。
因みに、働かない二割をのけると、
残りの内の二割が働かなくなるそうな。
不思議なモンだ
働かない蟻がいて能率的になっているという逆説もある。生物界も機械化能率化では計り知れないものである。むしろ働きすぎるものはかえって社会に迷惑をかけることもありうる。働くことがなんでもいいわけではない、それが自然破壊とか様々な害悪さえもたらしているのに働くことはなんでもいいとされるのはおかしいのだ。
一八七二年に官営の機械製糸工場である富岡製紙場が設立された。女工さんたちが朝九時に工場に入るということを習得するのに二十年近くかかったといわれている。なぜ仕事をするのに同じ時間に皆が一斉に工場に行かなければならないかは、従来の農村文化の枠組みの中では理解されなかったのである。
文明により奪われたものはいろいろあるが時間がその最たるものなのだ。一分刻みの時間で管理されている人間は全く人間的でない、そもそもそうした中で事故が起きなかったのは奇跡に近かった。つまりそれが日本人の異常なほどの勤勉さとか時間にうるさいとか正確さ几帳面さの現れだったのだ。それが日本人の優秀さでもあったが反面、それほどに機械化、能率化、効率化に適応するのは人間として異常でありそれが事故となった原因ではないか、何が正常なのか異常なのかさえわからなくさせたのが文明でもあったのだ。
昨日、JR西日本・尼崎電車区で1分の列車遅延を理由に乗務停止の扱いを受けていた運転士が自殺するという悲しい事態が発生しました。
http://www.jr-souren.com/statemnt/tusin492.htm
●置き石説は松川事件とにている
事件が起きたのは東北本線松川駅−金谷川駅間のカーブの曲がり鼻地点で 検証の結果、転覆地点付近の線路継目部のボルト・ナットがゆるめられ、継ぎ目板がはずされているのが確認された。さらにレールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれており、25mのレール自体、ほとんどまっすぐなまま13mも移動していた。明らかに何者かによる意図的列車妨害であった。
当時はまだ戦後の混乱が収まっていない時期だった。激しいインフレが庶民生活におそいかかり、社会不安が広がっていた。このような中で政府は、戦時中にふくれあがった公務員・国鉄職員の大量首切りを発表。また民間企業も占領軍の推奨する「ドッジライン」と呼ばれる超緊縮経済政策によって、大量の人員整理・合理化に着手、これに抵抗する労働争議が各地で激しく闘われていた
http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/saics/matukawa_jiken.html
この脱線事故で3人が死に4人が死刑を宣告されたがあとで無罪になった。共産党員がやったとか何か政府の意図があった。今回の事故も一面それとにている面がでてきた。JRがしきりに置き石があったとしている。これはインタ-ネットで在日や反日デモの騒然とした中で起こったこともにている。事故が起きたところは在日が多く住んでいるところだとか北側大臣が創価でありそれが置き石を否定したとかいろいろああでもないこうでもないと詮索する。何かあると在日などがとりざたされるのは大坂という土地柄なのだろう。関東大地震の時も朝鮮人が井戸に毒入れたとかこうした大事件とかには必ずでてくる。それにしても余りにJRの置き石説は巧妙であった。白い粉になっていたというけどそんな白くなっいることなどいつでも線路にあるのではないか、特別なことではない、それがそこだけ強調すること自体余りにも見え見えなのだがそれでも効果はあった。みんなともかく置き石にこだわっているからだ。松川事件の場合はこれ以上明確な証拠があったのに国鉄職員ではなかったのだからこの置き石説は余りに薄弱な証拠なのだ。ボルト・ナットがゆるめられ、継ぎ目板がはずされているのが確認された・・・・これくらいのものがあっても無罪となったのであるから置き石説を言うのはJRの見え見えな工作であることは誰でもわかるがそれでもこれにこだわるのはやはりこうした世相が松川事件とにているからなのだ。大きな事故とか事件になるといろいろな尾ひれがついてくるのは松川事件とにているのだ。
人間的要素が省かれた事故の怖さ(脱線事故の深層2)
●玉県越谷市千間台西の市立千間台小学校の図画工作室で、4年生担当の男性教諭(22)=同県幸手市=が首をつって死んでいるのを校長(55)が見つけ、119番した。越谷署は現場の状況から自殺とみて調べている。
●運転手(23歳)脱線事故
今回の事故の原因が技術的にも複合的要因からなったというように何か文明そのものを原因として必然的に起きた気もする。というのは人間は技術的なものだけで解決しない問題がある。いくら技術が発達しても人間的要素は欠かせない、人間を省いて人間だけで技術だけでやるとなると全自動でありロボットに運転させた方が安全だとなる。一部確かにモノレ-ルなどはそうなっている。しかしロボットにあの過密なダイヤの中で運転させたらそれこそあんな事故ではすまなくなる。ロボット化できないものが必ずあるのだ。事故の原因には人間的要素が多い。それは様々な要素がからみあっている。日勤とか指導が人間扱いでなかったとかそこに明らかに人間的要素が欠けていた。厳しく指導してもそれが必ずしも悪いとはならない、例えば江戸時代などの技術指導は人対人によって伝授されていたし人という要素が大きいのだ。親方に弟子入りしてみっちりと長い間欠けてしこまれるのだ。または江戸時代の職業は世襲が多かった。これが悪いかというと技術とかの伝授には子供のときから見習いしているからいいのである。たいがい子供から見慣れた仕事についていて特別変わった職につくことはない、百姓の子は百姓であり侍の子は侍であり商人の子は商人であるから代々培われたものを受け継げばいいのである。
若い人のこの二つの事件は何を意味しているのか?つまり技術は発達して自動化したりシステム化しているのだが人間的要素が欠けていたのだ。そもそも先生にしても電車の運転にしても若いときからそんなに簡単にできるものではない、親方や先輩や師匠にならってできるものである。習うはまねることがまず基本にあるのだ。職業を考えるとこれはまずかなりの訓練が必要なのだ。自分も失敗したように先生自体これも大変なノウハウが必要であり簡単に指導できるものではない、それが卒業してすぐ教壇にたち指導するということがかなりの重荷となった。この事件もなぜか今回の脱線事故とにているのだ。これは明らかに人とという要素を省きただ効率化ばかり目指した結果が大事故につながった。運転もゲ-ムのようには覚えられない、人を通じて学ぶことが基本にありその人が欠けていたのである。今やどこでもこういうことが多いのではないか、会社でも学校でも工場でも政治でも医療でもあらゆる分野で速成する、インスタントに時間も金も手間もかけず人間を効率的に速成させようとあせる。そもそも受験勉強が強いられた団塊の世代からそうである。試験でインスタントに人間を判別しふりわける。子供も長い目で育てない、めんどうだから早く早く育ってくれとなりそうでないと虐待して子育ても放棄する。あらゆる面で人間的要素は省かれてなんでも機械ができるように自動化できるように錯覚しているのではないか、そこに大きな落とし穴がまっていた。
これは何も鉄道だけではない、あらゆる部門でそういう危険性がましているのだ。人間的要素を省かれた人間的に指導されない若い人たちが社会の一線に立っているという恐怖なのだ。だから医療事故でも簡単なミスが続発しているし教育でも人間的要素が省かれた若い先生が指導する。この世代はゲ-ムとかパソコンとかこれも人間的要素が欠けている環境の中で育っている。ということはこういう若い人たちが社会の一線に立っていることはかなり危険なことである。今は人間からの人間への伝承が血の通ったものとして行われていない、もちろん将棋などでもゲ-ムとしてパソコンのなかで学び強くなった人もいるから時代は変わっている。でもやはり人間には人間的要素が欠かせないのだ。そのバランスが崩れると今回のような大事故につながる。それはあらゆるところにありいたるところが危険になるということがある。なぜならそういう若い人がすでにそういう一線の仕事についているからだ。
なぜ明治時代の侍出身者が優秀だったのか、人間的な環境の中で育てられたからである。人間の土台がそこで築かれているからあらゆる面で優秀さを発揮できた、現代はそもそも教育からしてシステム化して機械化して試験でドリルのようなものばかりやらされる。そこに創造性を発揮する要素が欠けているし人間的要素が欠けている。ファシズムやカルトもそうした人間的要素が欠けているところから必然的に生まれてきたのだ。ともかく人間というものは育つのに長い時間がかかるのだ。人間はそもそも動物のように速成できないようにできている。むしろ江戸時代の方が速成するのに向いていた。シンプルな世界だったからだ。現代という社会の複雑さを理解するだけで百年くらい勉強してやっと何か理解できる。民主主義自体何かさえ理解できない、政教分離というのについてもやっと多少理解してきたということでもわかる。それほど現代社会は何かを法律の一文を理解するのにも時間がかかるのだ。とすれば余りにもすべてを早く早くと効率性を目指しても無理だとなる。そこに無理がうまれ必然的に事故につながったのである。これを極端に言えば人間の脳味噌の一部分を無理やりにつかみだしてそこだけが必要だから能力として速成させて活かそうとするのとにている。 その人間全体など使う人も指導する人も見ていていないのだ。その有能な一部の脳味噌だけが必要だという異常な状態なのである。だからこれからもこうした事故は頻発するのではないか?なぜなら技術にしてもじっくりと伝承されないし付け焼き刃の若い人たちが一線に立ち仕事するようになっているからだ。
巨大文明組織の盲点(事故中にポ-リングに宴会のJR職員)
●自分たちの管轄以外だから関心がない
今回の事故を知っていてボ-リング、宴会をしていたというのはやはりこれもその個々の人の問題というよりは文明という組織、会社の問題であった。「まずいと思ったが上司に言えなかった」「管轄外だった」「計画を中断するわけにいかなかった」・・・現代の社会は仕事は自分の与えられた狭い範囲では熱心だが管轄外になると自分の仕事ではないとなる。観光案内所でもその市内は案内してもそこからはずれると私は私の市内だけの案内しかできませんとなる。役所でも会社でも部門が違うと対応してくれない。この問題も管轄外で起こった事故だから我々には責任がないとなる。現代はあらゆる面で極度に細分化された時代なのだ。結局国鉄の民営化は悪い面としては国鉄一家としての大きな一体感を無くして細分化した自分たちの区域意外は責任がないという意識になったのかもしれない。ただかなり近いからそうは言っていられないのが人間の常識としてあった。でもそもそも現代は相互のつながりが希薄になっている。社会がアトム化しているというのはどこでもそうなのだ。この複雑な巨大な文明は全体を把握するということが一番欠けているのだ。全体が見えないのだ。テレビで事故が報道されてもそれが自分たちの会社に密接にかかわる重大事件だったことが即座に認識でなかった。JRだけでなく巨大組織にはそういうシステムになっている。だから意外と文明組織の盲点は突然の危険とか危機に弱いのである。文明というのは恐竜のようなものでありこれも図体は大きいのだがあまりにも巨大で自らを制御できないものとなって崩壊する、自滅するということがある。日本の太平洋戦争もそうである。ただ闇雲に拡大化するだけで制御きかないものになっていた。雪印のときもそだったが巨大組織にはそうした欠陥を内包している。
●危機に弱い文明組織
例えは北朝鮮から一発ミサイルが都会の真ん中に飛んできたらみんな右往左往して終始がつかなくなるかもしれない、部分的にはそれぞれの仕事をしていてもそうした場合、全体で団結して対応する必要がでてくるからだ。田舎ですら地域とかでも相互につながりがない、全体の意識をもてない社会になっている。「秋深む隣は何をする人ぞ」であり隣が一番疎遠な存在となっている。ここでも同じ会社でも疎遠なものに感じていた。鉄道というとレ-ルで結ばれているから会社もそのレ-ルを通じて結ばれていると思ったが自分たちの担当を守るのが責任だということになっていた。それからそんな緊急のときでも上司が全体であり命令に服さねばならないという会社の組織の問題である。これはどこにでもある。組織自体がそいうものであり組織には融通性が欠けてくる。ファシズムの原因もそこにあった。そういう団体は自由な議論とかないし上からの一方的命令に従うだけである。そういうことにならされている人間は結局上にたつものの言うことに従うだけである。それが殺人を行う戦争でもそうである。ナチスでもそうして人を殺すことに無関心でありただロボットのように上の人の命令に従い人間を物のように処理した恐ろしさがある。例えばそういう団体が文明社会を構成している。宗教団体もロボット化された人間の集まりである。創価を批判してきたがそこだけではない、文明社会がそもそも上野霄里氏の批判のようにロボット化された組織だからそうなりやすいのだ。
●マスコミの傲慢
今回そんなに責めていいのかとかあった。同じ会社員だったら普通のことだよとか言う人も逆にあった。それが本音とすると会社人間はそのように飼育されている、家畜人間なのかもしれない、自主的に判断して行動できない世界にいるのだ。だから現代社会はカルトやファシズムになりやすい構造になっているのだ。マスコミには偉そうに責める資格がないといのは本当である。マスコミは国民の代表でもない、しかし常に大勢の人に報道できるという立場を利用して力を得ていたのだ。田中真紀子でもそうしたセンセ-ショナルなテレビ向きの演説が受けてテレビのスタ-、マスコミのスタ-として力を得るようになった。報道の力によって権力を得たのでありマスコミは別に国民を代表しているわけでもない、だから国民を代表したように職員をしかりつける権利はないというのは本当である。遺族にはあってもマスコミ自体にはないのだ。マスコミは事件の現場に写真をとったり悲しみの遺族を無視しして取材したりと実際は事故の処理の迷惑にもなっているのだ。日頃鉄道の危険性を指摘して警告していたら別だがそういうこともない、事故が起きたらこれみよがしと責めているがその事実を科学的に分析したりするのは必要でも職員をしかりつけるような立場にはないのである。
時間の余裕のなさが事故の原因
ヨーロッパで、本当にひまのある人はほとんどいない。おそらく、ひとりもいないのじゃないか。だれもが、投げられた石のように人生を走る。ほとんどすべての人が、目を伏せたまま、大きく手を振り、できるだけ早く先頭に立とうとする。もし他の人が止めでもしようなら、彼らは立腹して、怒鳴る。「どうしてじゃまをするのだ。おれには時間がない。おまえは自分の世話をやくがいい、自分の時間をむだにしないようにな」早く行けば行くほど人はりっぱであり、ゆっくり行く人は値打ちが低いと、まるで彼らはそう考えているようだ。(パパラギ)
今回の事件の深層は運転手のミスだ、電車を暴走させていた。しかしこの暴走させるシステム、社会にも大きな事故を起こす要因があったのだ。効率化とか能率化とか合理化してただひたすら利潤追及社会になった。JRの日勤とかいういじめも別にそこだけで行われていることではない、民間の会社だったら利潤をあげるために必死でありさらに過酷なことが行われているしそれが普通の社会人として果たさねばならない勤めになっている。それに耐えられないやつはやめろとなる。
おれは以前不動産の電話営業をやってた。
売れないときなんて立ったまま電話をさせられた。
さらに左手に電話をガムテープでくくりつけられた。
断られて電話を切るたびに上司に罵声を浴びせられた。
昼食なんて行けなかった。
水も飲めなかった。
トイレに行かせてくれと言ってもその場で漏らせといわれた
どこかの証券会社が自分のところに2年間も電話をかけつづけている。こちらはその気がないのだからいいかげんあきらめたらいいのにと思うが向こうではそうはいかないのだ。それでなんだかこんなにも電話をかけてくる営業のものがあわれになったというか悲しくなったというかその人間自体を考えるようになった。食うために生きるためそこまでやらねばならない人がいるという現実である。たまたま今回事故でJRが問題になったけど日勤とかいじめとかしごきとかどこの会社でも行われている。ただ公務員などはあまりないだろう。JRでも公務員と多少にているからそんなに厳しいものとは思えなかった。今回の問題は利益をあげるために効率化を目指したのだが「安全」への配慮が抜け落ちてしまった。「安全」をになっていた仕事であることが利益優先の効率化だけが頭にあって安全が抜け落ちてしまっていた。「安全」を確保するためには時間的余裕が必要であったのだ。自動車の事故だってスピ-ドを40キロくらいに制限すれば事故は半分くらいにへるのではないか?スピ-ドが事故の原因、安全を脅かすものなのだ。
ともかく一分遅れをとりもどそうとして必死になっていた運転手がいた。それが事故によって浮かび上がった。それは別にこの運転手だけではない、常に時間にせかされあせっている人々が文明人である。文明とは便利になるのだから人間の生活に余裕をもたらすはずなのだがかえって時間に追われ金に追われ情報に追われ毎日何かに追われて生活しているのが文明人である。この運転手もそうした文明のあわれな犠牲者だったのだ。人間には効率化、合理化、画一化・・・こうした価値基準が合わないものを本質的にもっている。老荘思想の無用の用とか何か人間には無駄なものが必要なのだ。例えば無駄な人間と思われるものも無駄ではない、働かない蟻がかえって働く蟻を作っているという生物界の不思議もある。無駄な人がいるようでもその会社でなんらかの目に見えない働きをしているかもしれない、今回の若い運転手をなぐさめたりしていたかもしれない、つまり人間の作用とはみんな効率だけでは計れないものがあるからむずかしいのだ。大都会が息苦しいのは一切の無駄を作らないという世界だからだ。三年寝太郎とか村で許容された寛容さもない。無駄なもの異質なものを徹底に排除しようとする。みんな規格品でないとだめなのだ。人間そのものがロボット化され機械化されている、しかし人間社会は完全にロボット化機械化できない、合理化できない、人間そのものも、生物界そのものがそうした思想と相反するものをもっているからである。
この徹底した効率化、合理化の思想は東洋にはなかった。インドの行者が瞑想ししているのは全く無駄だし中国の老荘思想もそうだった。キリスト教さえマリアとマルタの教えのようにただ家事に忙しくしているマルタは神の御意にかなわぬものとして嫌われた。この合理化、効率化の思想は近代ヨ-ロッパの工業化から生まれた思想である。人間が機械の時間に合わせるために画一化、合理化、効率化になりロボット化されたのである。そこには人間的要素が省かれてしまった。人間が時間を使っているのではなく、時間に使役され時間に消耗されるのが文明人である。この加速しすぎた文明の時間感覚を遅くする必要があるのだ。それが精神の安定とか安全とつながっていたのである。
● 田舎駅のホ-ムで待つ
田舎駅のホ-ムに電車を待っていたらタンポポの綿毛がとび蟻もでてきて歩みはじめた。土のホ-ムだから自然なのである。ホ-ムに待つ時間があるし蟻を歩むのを見ている時間もある。自然がまだ観察できる時間がある。ところが尼崎の電車の事故では一分一秒を争う熾烈な時間競争をしていた。これは全く人間的ではない、そういう世界に生きている人間は時間も空間も奪われてただ機械につめこまれる会社人間のロボットと化しているのだ。異常な時間感覚のなかに生活していたのだがそれが当たり前となり異常が異常であることに気づいていなかったのである。
タンポポの綿毛飛びくるホ-ムかな
蟻歩むホ-ムに待てる時間かな
人間は今や待てないのだ。待つ時間も有益な時間なのである。待つとは何かを期待するという時間でもある。待つことは豊かな時間をもっていることなのだ。現代の旅はあまりにも早すぎるから待つ時間がないから印象がうすくなっている。旅してある場所になじむのにはかなり時間がかかるのである。何かを待てる人は余裕のある人である。待てないという人は余裕がない、余裕がないから今回の事故につながる。他にも待つ余裕のない人は事件や事故を起こすのである。