時事問題の深層14
時事問題もありますがその時々の私的関心を記すものです
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相馬私局(小林) a private channel in soma-gun
小林勇一
私の研究メモ

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普遍なるものを目指す人類 2月15日

美しかった江戸の春 2月21日

感心した榎本武揚の漢詩 3月3日

ロ-カル線の危機(青春18切符の旅) 3月13日

文明は人間の情を奪った 3月23日

文春の出版さしとめ問題の深層 3月25日

昔をふりかえる意味(リサイクルショプが面白い) 3月29日

情報環境変化への対処 3月30日

失われた川の文明 4月3日

インタ-ネット日記(なぜ自らそんなに卑しめるのか) 4月7日


普遍なるものを目指す人類

世界がグロ-バル化することはどういうことなのか、世界が一つの価値観で統一されるのか、統一さるものとされないものがある。民主主義というのが政治として独裁制とか社会主義の全体主義よりはいいというのが歴史的実験で公平であることは証明された。イスラム社会もやはり部族社会や王族支配や政教分離などがなくやはり政治体制としては停滞しやすい、民意を汲み上げられないからイスラム社会は停滞した社会から脱皮できないのだ。また法が施行されない国もやはりグロ-バル化に反する。社会主義体制には法律はない、共産党独裁体制だから党が法を作るのであり平等に法は施行されない、農民を虫けらのように高価な輸入車で共産党の幹部がひき殺してもたいして罪にならない社会なのだ。まるで王朝時代なのである。そもそも法律はどうしてできたのか、法律はやはり公平を期するため歴史の中で積み上げて作ってきたものである。それがむずかしいのは議論を重ねてきた結果、どうしたら公平になるかということでむずかしい項目を作らざるをえなかった。法を決めるにはだから自由な討論、議論が必要になったのだ。日本人は議論が苦手であり理屈を言う人を嫌悪する。腹でわかるとか阿吽の呼吸とか暗黙の了解を重んじる。いろいろ契約して成文化して取り決めることをしない、でもあのようなめんどうな取り決めを詳細に決めておくのは問題が起きたときその契約を基に責任を追及されないためである。誰かわからない人だから不測の事態に備える必要があるのだ。日本人はデベ-ト、議論が苦手であるが大陸では異民族同士が争う所では常にグロ-バルなものが共通のものみんなが納得するものが必要となり法律ができたのである。グロ-バル化とは地球規模に拡大するということだがもう一つ地球規模に拡大するということはみんながそれを適用するということは普遍的だからだ。普遍的とはあらゆる人が納得しうることである。そんなめんどうな理屈は必要ない、ここにはここのシキタリがあると言っても世界では納得させられないのだ。だから普遍的な法が必要になってくる。

その最も普遍的なものとして人類に定着したのが科学である。科学は宗教とは違っていてもやはり一つの宗教のように人類に定着した。キリスト教、イスラム教であれ仏教であれ宗教に関係なく科学的合理的なものは人類の普遍的なものとしてくグロ-バル化したのである。これは数学のようなものであり数式のようなものだから理解しやすい、しかしこの科学と宗教も普遍的なもとするのに争いがあった。ガリレオが地球が太陽の回りを回っているというときカトリック教会から迫害された。科学の真理も普遍性を獲得するにはそこに戦いがあった。科学の普遍性は宗教の奇跡とか魔術とは違っていた。西洋の学問は科学的合理的なものの追及である。社会まで科学的に解釈しようとして社会科学という分野ができてマルクス主義などが生まれた。歴史も科学的に合理的に解釈できると考えた。でもこれは失敗した。人類の歴史を見通すことは科学的にも合理的にもできることではなかった。それは神の領域だったのだ。でも科学が人類では一番普遍性を獲得してグロ-バル化したのである。もう一つ商業の発達が人類を普遍性、グロ-バル化を促進した。物の売り買いはこれも科学や数学とにているのだ。商業は閉鎖的な所では起こらない、商業はその村内ではない、外から来るよそ者と行うことになる。それは得たいのしれないものであり警戒されるものであるが物の取引に割り切って行うがそこではその地域の仲間だけではない交流が生まれるから商売は合理的であり普遍的でありグロ-バル化する。ただ世界的商業のグロ-バル化は不公平を生んだ。商品価値があるものを売れる国はいが商品価値を生み出せない国はさらに貧乏化する。日本では米が商品価値として貨幣のようになったが米がとれず売れない所は江戸時代に八戸のように飢饉になった。アフリカの貧困もグロ-バル化のなかで商品価値になるものコ-ヒ-など作ってもバナナなども安いから豊かになれないのである。

普遍化グロ-バル化は宗教に関してもそうである。最初は無数の部族には鷲が神だとか熊が神だとか猿が神だとかト-テムがあった。部族ごとに違っている神同士がどちらが強い神なのかとなり争う、それは戦争になりある部族が負ければ勝ったト-テムの例えば鷲族が支配することになる。それでは一方的になるので一番上に鷲のト-テムを作りその下に熊とか猿を作り連合したト-テムポ-ルができる。部族ごとに地域ごとに無数の神があればそれは普遍的なグロ-バル化した神ではない、宗教も普遍化しないものはグロ-バルな宗教とはならなかった。エジプトの神はエジプト人の神として古代で終わっている。ユダヤ人の神はアブラハムの信じた神は普遍性があったからつまり偶像崇拝しない一神教は普遍性があったからイスラム教の基ともなり世界にグロ-バル化したのだ。ただユダヤ教の段階だとユダヤ人のためだけの宗教となったためグロ-バル化しなかった。キリスト生誕の頃に人類は宗教ではすでに一番高い段階に到達した。仏教もヒンズ-教では世界化しなかった。シャカが仏法を説いてアジアに伝播して普遍化した。宗教の普遍化とはなんであったかというとそれはユダヤ人のためだけではない、ユダヤ人のイスラエルのためだけの神ではない、すべてのものの神となるべきものの出現であった。イエス・キリストが神の子であるというとき人類すべてにとって神の子でありある特定の国や民族の神ではないから普遍化した。

その普遍化の最大の要因は宗教の普遍化の要因は個人に根ざした普遍化だった。国とか地域とか民族とは関係ない、人間という個人の目覚めだったのだ。人間は共通に悩み、苦しみ求めるものがある。死の問題がそうであり愛別離苦があり様々な問題で共通に苦しむ。これは何人であろうがどこに住んでいようが人間である限り同じなのだ。個人的なものが普遍的なのだ。例えば芸術は普遍的なものである。ヨ-ロッパの芸術が東洋人に理解されないということはないし東洋人の芸術も理解されないことはない、共通に美として認識できるものがある。そこに確かに違和感があるがそれぞれの美として認識できるようになる。美という認識において人類は普遍性をもっている。様々な個性ある美があるがそれは国や民族を越えて理解できるものとなる。ベ-トベンの音楽がドイツ人から生まれたとしても人類全体が普遍的なものとして理解できるから感動を与えるから芸術は普遍的なものなのだ。文学もそうである。そこに示される人間的苦悩は人間として共通に普遍的なものとして理解されるのである。芸術というのも最初理解されにくい、ある個人の芸術は創造したものは他者に理解されず普遍化されない、でも時間が経つとかなり難解なものでも理解されて普遍化されてゆく、宮沢賢治の芸術はあれほと難解でもその価値は認められ普遍化している。それはあくまでも一個人として仏法を極めるなかで悩んだものだからであろう。彼は個人的に仏法を追及したのである。

一方では創価とか他の様々な宗教団体は団体として組織として追及している。彼らは彼らだけの壁を作りその団体に入らない者は価値観を共有できない、池田大作氏も詩を書いているし彼らの組織団体内ではスクラム組んでとか仲間意識を高めている。しかしこれもその組織団体内だけで通用するものであり他のものには意味ないものである。池田大作氏の詩は組織外の人には訴えない、その内部だけでしか通用しないものなのだ。ところが宗教を個人的に追及するものはそれは他の人にも組織に入っていない人にも訴えるのである。芸術は全くその個人に根ざして創作されるがそれは万人に訴えるもの感銘を与えるものとなる。つまり普遍化グロ-バル化する。民族を鼓舞するものでもそれは日本民族全部に訴えるものだから日本民族内では普遍的なものである。ただ外国になるとそうはいかない、それはその民族内のものとしてかえって嫌悪され拒否されるのだ。創価の人でも個人に根ざして芸術を追及すればそれなりに訴えるものがあるが集団化した所では個人は抹殺されるからありえない、池田大作だけを讃えるものとなってしまう、北朝鮮の金正日将軍さまを讃えることがすべてになってしまうのだ。非常にそれは美化されたものとなってしまうのだ。百人千人百万人集まったからといっていい芸術は生まれない、せいぜいマスゲ-ムくらいであり芸術は生まれない、マスゲ-ムは自分では何を作り出しているかもわからない、自分も参加したが穴の中ら信号をのぞいているたげだからだ。現実創価や宗教団体はそうしたマスゲ-ムが得意である。そこでは人間はロボットと同じである。命令されたように動かされるだけなのである。その点普通の人でもその人生をありのままに語ったらそれが即懺悔であり訴えるものがある。それはある意味で驚くべきものになる。どんな平凡な人でも正直に自分を語ったら驚くべきものとなる。それがないのはみんな隠している、本当のことを言わないからだ。日本民族が優れているとか太平洋戦争は植民地解放戦争の正義の戦いだったとか言う前に自分自身の個人を語るべきなのだ。

日本民族にしても日本民族の栄光を歌いアジアも日本民族の一部になると言って戦争したら今は批判だけされている。天皇は日本民族としては王としては敬うべきものでも他国に強制できないもの、普遍化できないものだったのだ。ベ-トベンの芸術はゲルマン民族の魂から生まれたものとしてもそれは普遍的なものとしてグロ-バル化したが天皇はキリスト教やイスラム教のようにも普遍化しないグロ-バル化できないものだった。その価値は人間個人に根ざしたものではないから日本民族にとっての神でありそれが人間個々人の苦悩や希望を求める普遍性がないからグロ-バル化できなかったのだ。一組織や団体だけで通用するものはその組織や団体が消えたらその価値もなくなる。政治団体は変わりやすいから普遍性、不変性がないからその時の国際情勢とか経済情勢やら様々なものに影響受けやすいから社会党のように消滅の憂き目にあったりする。池田大作氏の詩ももし個人に根ざしたものから発したものなら他の人にも訴えるものがある。ところがその組織団体内でしか通用しない、だから彼らが池田大作の詩をもちだしてもそれに感銘する人はいないない、あくまでも組織団体内でしか通用しないものである。ただ個人的な人間的苦悩を語れば別に組織内の人でなくても参考になるし聞くのである。

上野霽里氏はまさに個人に根ざしして個人を語り続けたから普遍性があった。そこを指摘したことが最大の功績だったわけである。彼の苦悩はやはり万人の苦悩であり彼が語るもの組織団体に関係なく感銘するものがあるのだ。それは人間の苦悩として共通するからである。だから別に学問がなくても個人の体験談は参考になる。インタ-ネットではそうした個人の体験談がでているからそれは訴えるものがあるのだ。それは人間個人として共感するのであり団体とか組織に入っているとか関係ないのである。ただ日蓮主義はナショナリズム化しやすいからその時は北朝鮮のように日本民族内だけで普遍化するかもしれない、王仏冥合とか政教一致の政治化の思想があった。親鸞とか禅宗には個人的宗教の追及でありあの中世にしては信じられないほど個人的なのだ。だから日蓮は右翼にも国粋主義者に利用されやすいのだ。日本人が他の民族より特別優れているとかゲルマン人ア-リン人特別優れているとかではない人類の普遍的な価値の追及は個人に根ざすべきなのだ。その個人のなかに日本民族とか歴史の栄光は必然的に現される。俳句もやはり日本の伝統と歴史から生まれたから独自なものであるがそれをもって日本民族が特別な優秀なものと言うわけではない、民族にはそれぞれの文化がありこの文化は多様だからいろいろな個性に接するごとく作品を鑑賞するように有益なのである。文化が一色だったらつまらない、景色が多様なように多様だから価値がある。芸術も同じである。多様だから価値があり同じだったら価値がないのだ。

ともかく人類は普遍的なものを追及してきたのだ。グロ-バル化は確かに一面様々な問題を起こしているが普遍化することユニバ-サル化することは避けられない、それは宿命であり江戸時代のような鎖国はできなくなっている。世界はますます狭くなってゆく。人類は普遍なるものを目指すべきである。政治も何が普遍的になりうるかは歴史のなかでやはり民主主義が優れていることが証明されたのだ。どうしても徳治主義とか神のような人に治められればいいのだが実際は人間は欲により権力争いになるから言論を重んじみんなが議論で納得させる、また公平な法律の下に治めるということがいいとなっているのだ。科学とか真理とか美とかは普遍の追及である。宗教も普遍の追及である。宗教もある団体や組織内だけのものではなく個人に根ざしたものとして追及すべきであり徒党をくむ事は排他的となり争いになる。禅宗にも念仏宗にも学ぶべき事はある。これらを排斥した日蓮は間違っていた。勢力争いになるとき宗教も争いとなる。一人でも信者をふやしただ勢力拡大だけを望む、宗教は組織化団体化するとみなそうなっているのだ。個人に根ざして宗教であれ普遍的なものを目指すなら争いはないのである。ある民族の神だ、ある団体組織に入らないものしか恩恵にあづからないとか排他的になるときそれは普遍的なものでなくなる。ある団体の利益の追及になってしまう。人類は個人に根ざして普遍なるものを追及する。確かに個々人はそれぞれ違った歴史の国に生まれるが人間個人としては共通なものであり普遍なものを追及するのである。最終的には国はなくなり天国に個人のみが存在する。その個人には確かに国の栄光を現すのだが神の国は集団とか組織とかで区分けしたり差別したりするものではない、個人個人が神を讃えるのであり集団で組織化して讃えるということはないのだ。
individal unioned oneになる。個々に根ざして違うのだが一つの真、善、美の世界を作りだすのである。力強い個々があってこそ世界は輝くのである。芸術の世界なら俳句なら芭蕉、蕪村、一茶とこの強烈な個性が互いに際立って豊かな世界を作り出しているようにである。彼らは個人の資質によってそこにあるのであり集団や組織の力ではない、個人の資質、徳が備わっていてそこにありうるのだ。ちょうど宝石にもエメラルドとかサファイアとかオパ-ルとかいろいろあるようにその資質によって輝いているのであり集団や組織はそこにないのでありそういうものは天国では消滅しているのだ。天国では個々人が問われるのでありどの団体に属しているかは関係ないのである。





美しかった江戸の春

何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。『徒然草』第二十二段

歴史の研究には資料を読むことがかかせない、私は学者でないからそういうことにこだわらず乱読しただけである。最近になってどうしても江戸時代とかのことをその風景から暮らしから具体的に知りたくなった。旅をしても江戸時代のことはわからなかったのだ。昔のことがわからない旅はつまらなくなる。海外旅行でも今の時代よりイタリアはロ-マだとか大きな教会だとか城だとか歴史的建造物を回ることが観光なのだ。旅は現代の空間を訪ねると同時に過去を訪ねることでありその主なものは過去を歴史をたずねることである。その歴史がわからないとしたら旅もつまらないものになる。みんな皇居にゆく、江戸城跡にゆく、しかしあそこで江戸城が本当にどう生きて機能していたのか、江戸城自体あったことに現実感が全くでてこない、浮かんでこないのである。そこに全国の大名が来て将軍に挨拶にきたことなどが全く浮かんで来ない、他の人はそれりに浮かんでくるのか、私は日本は隈なく旅しても歴史も勉強してもこの過去を歴史をイメ-ジする知識とかに欠けていた。その方法もわからなかった。今もよくわからないが努力するようになった。

対岸に三上山を望む野洲川下流左岸に拓けた辻村は、寛永年間の村
高六百三十石余、膳所藩領に属していた。明治16年の統計では、戸
数120戸、人口505人、牛15頭、馬2頭というが、当時もそれと変わら
ぬ規模の村であったろう。(釜七の由来となった記録)


西日本では牛の文化だという、牛が多く農耕などにも使われた。京都の公家は牛車だった。
関東は武士の社会であり「いざ鎌倉」で馬を利用していた。農耕にも馬を利用していた。曲屋では馬を飼っていた。馬の文化だった。騎馬の利用は東にあった。平家の合戦で義経が崖から馬で駆け降りたという奇襲は馬に通じていたからだ。馬を乗りこなしていたのは関東の武士であり平家は船に通じて農民は牛を使っていた。蝦夷の時代からエミシは馬を使って弓を射るのがうまいとある。東には馬の文化が古くからあったし東でいい馬が飼われ名馬は東で生産された。このへんの伝説に残る名馬をめぐる話もそうである。相馬野馬追いもその伝統の一つである。南船北馬が日本にもあったのだ。つまり牛12頭、馬2頭というのはいかに牛が西日本では多く、馬が少なかったかの証拠である。

京では、鯛1尾を 銀2匁45分で買取り、それを5人で分けている。ちなみに、元禄時代の金と銀の両替相 場はおよそ金1両=銀60匁だから、京の鯛1尾の値段は、江戸の36分の1であり

これは何を意味しているのか、鯛は京都では安く手に入った、瀬戸内海でとれた鯛が大坂ら淀川を通じ運ばれたと思うが安かった。江戸では鯛はあまりとれなかった、千葉に鯛の浦とかあるからとれたとしても高かった。江戸はその当時から物価が高くなっていたのだ。特にカツオとか鯛は高いのである。だから庶民は目黒のサンマというごとくサンマを食っていたのだ。鯛はめったに食いないものだった。今ス-パ-で鯛を食った話をしたがやはり今はいかに贅沢かわかる。食に関しては今ほど贅沢な時代はない、この食に関しても歴史を知るとさらにその食の文化から歴史を見えてくるのだ。歴史は時代劇ばかりみていたらわからない、つまらない資料に歴史は隠されているからだ。歴史はみんな隠されている。というのは時代とともにまるっきり忘れ去れてしまうからだ。

現代でも未来を見るにしても歴史から見ると見えることがあるのだ。未来はかえって過去の歴史にこそ現れている。まさに現代が求めているのは江戸時代のような世界が一つの理想になっている。すべてではないにしてもいかに水路が縦横に走り江戸が美しい和みある世界だったか、江戸城からは海が見え富士が見えた。いたるところに富士が見えた。

わが庵は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を軒端にぞ見る

川は隅田川でも白魚がとれたり川岸は蛇行して岸辺には草が生え船が絶えず行き来している。今の川とは全然違う、全く自然の川なのである。常に船着場が近くにあり舟で出入りしていた。今の東京がなぜこんなに魅力ないのか、鯛であれ世界のものを食っているがそこに一番欠けているのは何か、つまり自然の美だったのだ。江戸は今の東京より非常に狭く回りは広く農地であり自然があったのだ。だから昔は田舎より江戸とか京都、大坂とか都会に住んだ人の方が住みよかったし面白かった。都会にふんだんに自然があったからだ。新宿で蛍狩りしてたなど想像もつかない、そこは歓楽街となり汚れきってしまっている。江戸時代にも歓楽街の吉原があったとしてもそれも風流があった。そこに何かしの人間的なものがあった。今の歓楽街の方がどぎつい欲の丸出しである。すべてが金で買う世界である。吉原の花魁は金で買えなかった。いやな奴は断ることができた貴族だったのである。これは例外としても金だけでない世界があったのである。

日本の都会は京都などほんの一部をのぞいて日本の都会は魅力がない、それは自然が活かされていない、美がない、建築物にも美がない、ただ経済だけが工業だけががつがつと世界中の食い物を集めて食う巨大な貪欲な胃袋という感じになっているのだ。デバ地下がそうである。BSEや鳥インフルエンザの問題にしても人間が動物を物のように扱い肉として商品化するということへの動物の復讐かもしれない、インドの不思議は牛でも神の使いだとか宗教的なものから大事にしている。そして法華経では飢えた虎が子供の虎を食ってしまうからと人間が身代わりに食われたということがその教えの発祥になっている。動物は人間に食われるだけではない、人間さまも俺たちに食わせてくれとなっても不思議ではないのだ。こういう思想があるのはインドだけであり不思議である。資本主義の思想なども根本的には間違った思想である。資本で世界を食い尽くすという思想である。ではキリスト教もそうではないかというとそうではない、それは欧米化したキリスト教でありキリスト自体の教えにはそういうことはないのだ。だからこうした欲望肥大化の都会から文化など生まれないのだ。生まれてもカルト宗教とかナチスの再来とか文明化物質化のなかで精神的に奇形なものが肥大化してゆくのだ。それは必然的にそうなっているのだ。奇形を生み出すのが文明だからだ。文明という土壌から奇形が生まれるのである。その奇形なものがこの世界を支配して滅亡させてゆく不安がある。それが現実化したのがナチスであった。歴史ではその時代時代で美を生み出している。奈良時代でもそうだし平安時代でもそうだし鎌倉でも戦国時代の城でも時代を象徴するものが建築でも何かある。明治時代にも建築に洋風と和風折衷の建築があった。それが現代にはオフィスビルとか工場地帯とか社会に美が欠けている。それはとりもなおさず人間にも節度なく優雅さとかが欠けている。なんか女性がくわえタバコをして道に捨てたり金髪の若者とか何か趣味のないケバケバしたどぎつ異様な風俗である。こんな世界より江戸時代の方が人間的美があったのだ。伊達ものとかいうときでもそれは個性の表現だった。若者にそうした個性の表現はない、一様ではない多様であるべきだがその多様性の表現がかえって同じ一様になっているのだ。これは世界的に共通だから今や世界の問題である。文明はグロ-バル化して均一化したからだ。文学でもたいがい深味のないコマ-シャリズムにのったものが多い、市場に出されるための芸術なのである。年とれば新しいものに追いつけないこともある。

何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。『徒然草』第二十二段

とにもかくにも、虚言(そらごと)多き世なり。たゞ常にある、珍しからぬ事のまゝに心得たらん、万違(よろづたが)ふべからず。『徒然草』第七十三段

ひたすら世を貪(むさぼ)る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。『徒然草』第七段


これがぴったりだ。これはマスコミやジャ-ナリズムの世界に多い。やたら大げさにセンセイショナルに書き読者をひきつける。必ず破滅が来るとかどぎつく書くとそうかと読者をひきつける。何かをあおりたてて読者を増やそうとする。今も常にそういうことをしているのがマスコミである。出版社もコマ-シャリズムのなかにある。兼好のような人は自分もそうだが出版社とかコマ-シャリズムからマスコミの煽動からは離れて書いているべきである。絶えずコマ-シャリズムの世界ではあおりたてるのだ。今これを読めとか見ろとかこれが大問題だとかマスコミによって作られるのだ。それに過剰反応すると道を誤る。絶えず宣伝に追い立てられる。それが過剰になっているのだ。今日は一七度になると天気予報で言ったがそれほどでなかった。でも一七度にもなるのかそれを聞いただけで暑くなっているという不思議である。人間とは情報に左右されるものである。日本が戦争に負けていても勝った勝ったと報道していれば本当に勝っていると思っている人が多くいたのだ。ここに報道の恐ろしさがある。

ひたすら世を貪(むさぼ)る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん・・・まさに今の時代を端的に示している。がつがつ食うことや人押し退けて電車に乗らねばならない、もののあわれを感じる暇もない、毎日時間に追い立てられ心休まる暇もないのだ。もののあわれを知らないとはすでに人間道から堕ちて獣になっているのだ。豊かになっても人間自体はその心は失われがつがつと貪る心のみむき出しになった獣になっているのだ。

芸術はやはり生活や環境や政治にも必要でありそれが一体化していて生きるのである。ヨ-ロッパのartとは社会全部をコントロ-ルするartだったのだ。江戸時代は城にしても環境にしても職人気質の世界にしても美があったのだ。artがあったのだ。ドイツの駅では今もア-チの建築であった。駅がそうした荘厳な建築物でありそこに人間の生活が営まれることは豊かさを与える。欠点として言論の自由とかはなかった。現代に比べれば欠落したものも多い。過去はその人によりかってに作られるからそんなことはない、江戸時代は暗黒の世界だったという人も多い。今のように90まで生きるような世界ではなかったことも栄養が足りないことも確かである。ただ回想するときそこが美しいものとして浮かび上がってくのはやはり自然と調和した世界で人々が生きていたことではないか、それが今になると美しい浮世絵のように映し出されてくるのだ。一人一人が絵になる風景なのだ。一人一人が環境とマッチしして社会で役割をもち生きていたためてはないか、もちろんお前は楽天すぎる美化しすぎるとなるが回想すると悪い点を見ないとそうなってしまうのである。これからの時代は国風文化の創成が課題である。第二の平安文化であり江戸時代の創成が課題であり欧米化の時代は終わったのである




Function: noun
Definition: training
Synonyms:
conduct, control, cultivation, curb, development, domestication, drill, drilling, education, exercise, inculcation, indoctrination, limitation, method, orderliness, practice, preparation, regimen, regulation, restraint, self-command, self-control, self-government, self-mastery, self-restraint, strictness, subordination, will, willpower
Antonyms:
chaos, confusion, disorganization, laziness, permissiveness
Concept:
responsibility


artの概念は西欧文明の骨格だった。社会全般の規範のようなのがartだった。芸術という訳では全く不十分なのだ。個の芸ではない、全体的社会の規範がartである。芸術と訳すときおかしくなる。その反対語が混沌とか無秩序になっている。現代文明はまさにartの逆の世界なのである。

参考(ルネサンスの意味、ヨ-ロッパの建築など)へ

大江戸の春の絵巻




感心した榎本武揚の漢詩

胡馬嘶く時風怒号す
短褐早天暁霧を衝き
孤帆残月秋涛に乱る
扶桑南に望む三千里
頭上驚き見る北斗の高きを

これが榎本武揚の作った漢詩であった。これが十代の作品だったという、函館で作った。この作品の面白いのは胡馬とは中国では異民族の西域の馬のことである。ここにまた船がでてくる。そして北斗七星がでてくる。北斗七星は砂漠や平原や航海での目印しの星であり大陸ではそれが信仰にもなった。これらの要素を見事に詩にしているのだ。馬、船、海、星を一体として表現していることに感心する。馬とか船とか海、星を身近に感じなければこういう詩はできないはずである。想像だけではできない、だから榎本武揚がオランダに留学して海軍のこと船のことを学んだというのはそのためだろう。明治時代に武士はヨ-ロッパに結構留学した。幕府からも留学生が送られた。ある意味で留学生が明治政府を作るのに大きな役割を果たしたのだ。それも今の留学生とは全然違う、学ぶ志が違っていたから日本の最高のエリ-トが学んだからそれらの人が明治の新時代を導くものとなった。今は中国ではそうなっている。外国で学んだ人が中国に帰り起業していたりする。欧米や日本からも積極的に学ぶようになったから発展している。今までは毛沢東の時代は自力でやろうとしたから失敗したのである。

明治維新を成し遂げた武士というのはなぜ優れていたのかということである。漢詩がたいがい書いていたし短歌もいいのを作っている。明治時代に漢詩の全盛時代を迎えたのは江戸時代にその基盤があったからである。漢詩は武士であれば教養としてたいがい作ることができた。藩の塾で教えられたのである。そもそも武士の教育の基は家庭でありまた武士の社会にあった。武士が生きる規範は決められていてそれに従ったのである。武士はまた武も大事だから道場で剣の道を教えられるから文武両道に優れていた。つまりそうした武士社会のなかで育つ人はすでに多くの優れた人が存在していた。武士社会は非常に厳しいモラルに生きていた。臨時雇いの武家奉公で職を得るのはいいが賭博で逮捕されると島流し(町人は江戸払い)、刀を盗んだら死罪(町人は入れ墨、鞭打ち)・・・これほど武士には高いモラルが要求されたのだ。その最たるものが切腹である。切腹は武士のモラルに反したことへの自らへの制裁なのだ。武士としてあるまじきことをしたら自ら恥じて切腹せよということになる。それが武士社会に生きる道だから町人とは全然違う世界に生きていたし子供の頃から生活の中で教えられていたから違うのである。武士の素養はすでに家庭でも身についていた。前に紹介した女流の漢詩人(江馬細香)も祖父から漢詩を学問を習っていた。その頃また学問は限られていたのだ。非常に少ない知識でまにあったのである。

その証拠に大学者でも書く量が今の学者と比べても極端に少ないのだ。知、情、意が教育の基本だとすると情、意の方が重んじられ江戸時代は知の時代ではない、江戸社会が情と意の世界だった。意というのは自分の志を遂げる意志とかの意味である。現代は逆なのである。知が極端に大きくなった世界である。世界が狭くなり知が世界大に拡大した世界である。江戸時代は狭い範囲で生きていたから自分の存在を身の丈で知識がなくても理解できた。別に高度な学問は必要なかった。それぞれ農民は農民で実際に農業をするなかで代々受け継ぐ中で体得できた。職人は職人で職人気質といって技を磨くことに専念していれば良かったのである。だから非常に今と違い職の選択で悩んだりすることは少なく精神的には安定していた。身の丈の世界で物事は理解できたのである。現代の不幸はまず知識だけが極端に拡大化してそれがまず頭にのしかかってくる。学校は情や意は無視されまず知識第一の世界になる。モラルもなにもない、知識優先であり学校が知識を争う受験競争になった。武士社会ではまず情と意が大事であるが学校は知を競うところであり知が第一になる。教育でつまづく人間はまず知でつまづく、科学でも相当高等であり職人が技として身につけるものとは全然違う、まず知識として理解できないと落ちこぼれる。広範囲な高等な知識の前で挫折したり混乱してしまう。だから精神が不安定にされる。すでに思春期でそうされるから知識で挫折するのである。自分もその一人であった。余りにも知識だけが要求される社会なのである。

とにかく武士は意と情に優れていた。モラルが高かった。知は少なくてすみ情と意に従うものだったのだ。漢詩は単に知識だけでは書けない、そもそも詩とは志を述べるものであった。19歳でどんな志を述べられるのか現代の若者を見ればわかる。なぜこんなに人間が違ってきたのか、知というのも拡大化して思春期にその膨大な知識の前で人格がついていけない、おしつぶされてしまうからだ。人間とはかくあるべきだというモラルの前に膨大な知識に圧倒されてしまうのだ。学校では知の競争であり知識についていけないものは落伍者のレッテルがはられる。それこそまさに現代が知を要求する社会でありモラルではない、モラルは道徳は家庭でも学校でも会社でも無視されている。現代はモラルなき社会なのだ。知と利を優先したのが現代社会である。これは福沢諭吉の「学問のすすめ」から始まった。学問とは立身出世の手段とした。それが明治に始まり今日にいたっているのだ。もちろん常に利を追及するのは人間の本性でありこれを一概には否定できない、でも社会はその支配層であれモラルに生きる、モラルを根底に律する人たちがいて社会を導くものとなる。知識だけでは導けないのだ。結局日本は極端に知識と物と利の追及だけの世界になった。宗教も同じでありご利益、利の追及しかない、宗教ももともと徳は得になったごとく日本では利の追及が多かったのだ。現代の宗教はいびつであり普通の社会より凄まじい利の追及になっている。そこにはモラルの一かけらもないのだ。大衆化欲望肯定のご利益追及だけの世界なのだ。もう一つは明らかにナチスのごとく社会病理現象でもある。これは現代のグロ-バル文明で共通な現象である。江戸時代から学ぶべきものかえって現代の混乱の中でいろいろあるのだ。それは何より身の丈の世界の中で人間が生きていたことであり人間が人間らしくありえた時代だったからである。

北海道と武士は関係深かった。何故なら開拓に入ったものが武士であり武士橋とか武士と名前のつく地名が残っていたり伊達町は伊達藩の移住だったりクラ-クに学んだのが内村鑑三だったり北海道は明治時代のフロンティアだった。明治時代の魅力はやはり人間が見える、どうしてそういう行動したのか対立するにもその動機が見える、その背後の動機づけができる。だから戦うにしても新撰組にしても人間のドラマになったし悲劇もあった。一人一人がその動機もはっきりしているし明確にその跡を追うことができる。オ-ムのようなわけのわからないものにはならない、現代は大正時代から昭和、そして太平洋戦争とかえって歴史が見えないのだ。世界的混乱の中に巻きこまれたといえばそれまでだがその動機も一人一人の行動の動機なども見えないし未だになぜそうなったかわからない、ただ信じられない犠牲だけが積み重ねられたのだ。これは日本だけではないナチスでもカンボジアでもベトナムでも中国の文化革命でもそうである。なぜそうなったのか見えないのである。一言で言えばわけのわからない狂気だとなってしまうのだ。犠牲ばかり大きくて一人一人の行動の意味もわからないのだ。わけもわからずこんなに犠牲をだしていいのかとなるが実際そうなのだからどうしようもないのだ。だから歴史的にそれを再現することもできないしまた再現したくない、つまり余りにも犠牲の割りにはその行動の意味もわからなすぎるからである。






ロ-カル線の危機(旅情が消える)-青春18切符の旅(1)

私は鉄道の旅が長いから日本の鉄道はほとんど乗ってしまってのる所がなくなった。それで半端な線とか短い私鉄の支線とかしかのるのがなくなってしまった。今回五能線にのろうとしたら深浦まで一便くらいでているが深浦で五時間またないと次の便が出ないのだ。事実上この線は生活路線でなくなっている。沿線の足ではなくなっている。それでリゾ-ト特急というのが一日一便でていたので500円たして青春18切符でものれた。景色のいい所だから観光としてのりたい人がいるのでJRで便宜をはかっている。でもロ-カル線や鉄道は途中下車できることが魅力なのだ。途中下車できないと旅の魅力は半減する。深浦に行きたいと思ったのはそこが北前船で栄えた所であり船の絵馬などが寺に奉納されていたりそうした歴史の雰囲気を知りたいからだった。途中下車できないことはその土地土地の歴史もしのぶこができなくなる。ロ-カル線は今や便数が少ないから途中下車するのはむずかしい。あとの線が五時間後では途中下車できないし現実一日二三本というのが多くなっている。驚いたのは宮古から盛岡の山田線もそうだった。一日三便くらいしかでていない、私は最終列車にのったが二両であり最初の数駅は通勤の学生などのっていたがそれらの人がおりたら五六人だった。盛岡までは遠いのに途中でのる人いないのには驚いた。これではやっていけないと思った。でもバスは盛岡まで一時間おきにでていたしそれだけ盛岡までのる人が多い、運賃も二千円で同じである。のる人がいないわけではないのだ。一時間おきにでているのだからそれだけの人がまだ利用している。盛岡に行く人はいるのである。なぜ汽車を利用しないのかわからない。高速バスの通り道も岩泉とか違っている。高速バスには需要があるのに汽車は廃れというのは別に乗る人がへったというわけではない、交通手段が違ってきたということなのかわからない。

現在、同区間では輸送シェアのほとんどを急行バスに譲り渡した。また、北上山地を横断して
いるため、途中区間の沿線人口はもともと希薄であり、

以久科鉄道志学館
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Circuit/2061/

これが理由だったらしい、この汽車の線路は貨物輸送に重点をおいていたのか、線路をまっすぐに効率的に通すためか、最短距離で宮古と結ぶためなのか、これは原敬首相が政治力で通したらしい、汽車への要望が沿線の住民には希薄だったのか、宮古に通すということが最優先で遠回りしたくなかったのかこれは今になると無駄な線路になってしまった。しかしたいがい人口の多い地点を結ぶのが汽車や道路のはずなのだがこの線は最初の計画から住民の要望とはずれていたのかもしれない。

私の棲む常磐線は夜9時でも8両くらいの編成で満員であるから仙台に通う人が多い。近くに大きな都市があると通勤に利用するからまだいいのかもしれない、汽車も高速化したのは新幹線なども九州で新しく開業したように東北でも盛岡から田沢湖線などで山形回りの新幹線は便数がでている。新幹線は利用しやすくなっているが普通線の便数は極端に少なくなっている。田沢湖線利用しようとしたらこれも便数が少なく途中下車してまた乗るということはできなくなっている。青春18切符は急行にのれないからなんかつまらなかった。

開業の八四年度、二百六十九万人を数えた乗車人員は昨年度、百二十二万人。乗客の約六割は
定期利用で、高校生はこの五年間で約五百人減り、少子化の影響が深刻だ。昨年度の経常損益は約六千八百万円だった。


http://www.chugoku-np.co.jp/jrkabe/donaru/mosaku2.html

三陸鉄道はこんな状況であった。結構のっているなと見えたが現実は厳しい。あそこは観光用としては必ずしも景色がよくない、それよりモグラ電車であった。トンネルをくぐりぬけてはそこに村がありまたくぐりぬけては村がある。山々に閉ざされた世界だった。開けているのは海であった。海で魚がとれていたときはそれなりよかった。八戸の街では漁師が魚がとれてにぎわい夜の女性たちで繁華を極めた街があったというから漁業で景気が良かったのだ。今は漁獲高が減っているから苦しい。陸中は宮古にしてもかなり辺鄙な所であった。山々に閉ざされた所だった。宮古とは都だから宮古が都への憧れとして名付けられたのかもしれない、都になるべき地がないからだ。盛岡も遠すぎる。岩泉の龍泉洞も観光の目玉として宣伝しているがそれほどのものではなかった。ただ実は今の観光はある特定の場所に特別なもの他では見れないものがあるから行くとなる。旅は別にそうした特別なものがなくても旅は旅なのである。江戸時代の旅は必ず途中により峠を越えては次の村へ川を越えては次の町へとか旅することは即その体で土地を知ることだった。だから西行でも芭蕉でも旅で死ぬということを覚悟しての旅であった。芭蕉が鳴子から山刀峠を越えるのも山賊が出るとか大変な山越えしなければならなかった。旅とはそうした自然の障害をのりこえることだから当然自然というものの大きさとか距離とかを体で知ることだった。そこに生まれる詩とか俳句でも今とは全然違ってくる。汽車で鳴子を越えると雪が深くなった。それでここが自然の境界なのかと認識する。それが歩きだったらその意識する度合いは全然違う、全く未踏の世界に出ることになるのだ。

汽車という言葉自体が電車に変わっているように死語となるのか汽車には蒸気機関車の名残で汽車といっていた。中国では火車である。でも蒸気機関車から電気に移ってからかなりの時間がたっているから電車でよかったが汽車といっていた。汽車になじんできたから汽車にいいがたい思い入れとなつかしさがありこれが歴史的な言葉として生活に使われなくなるのは悲しい、言葉はれっきとした歴史的遺産である。言葉には想像以上の人々の生活の積み重ねが思い入れが残っている。「国鉄」も死語となった。国鉄は地方を支えていた。国鉄一家というのがあったし国鉄の組合をバックに社会党が元気だったし一番の圧力団体であり国鉄が民営化するとき大騒ぎして多額の退職金を要求できた。あのとき同情する人が多かったが国鉄をやめる人は恵まれていた人たちだったのだ。今はリストラされないだけいいという時代になったからだ。汽車と今言わなくなり汽車というと古いとなると自分も年になり過去のものとなっていくのかという哀しさを感じる。時代の移り変わりかくも早いものだという実感である。時代の変わり目にこういう悲哀を味わうのが普通である。でも古いものに哀惜を感じる。これは繰り返してきた人間の歴史ではあるが実感として気づくのは年になってからなのだ。汽車という言葉なくなると同時に汽車の旅の旅情もなくなってゆく、汽車には夜汽車でも何か旅情がある。あの独特の音がいいのだ。途中で駅々にとまるのも旅情でありだから駅の名前が心に残り私は地名に興味を持ち歴史にも興味を持ったのだ。宮古から盛岡へ行くのに途中区堺(くざかい)で12分間とまった。そこは雪がまだ厚く積もっていた。なぜここだけがと思ったがそこは高原でありやはり地を分ける区堺になっていたのか、この高原を越えるとまた気候がちがってくる。昼だとそこから高い山が見えた。つまり汽車には一時的にも停まるだけでそこに旅情が生まれてくる。これは高速バスでもそうだった。福岡から東京まで乗ったが途中アルプスの真近いに見える場所に止まったのだ。旅は途中下車が必要なのだ。通りすぎては何にもわからない、だから新幹線でも急行でも早すぎて旅情がないからつまらないのである。今回の旅で思ったことは東北も広い、3月でも秋田や青森は雪の世界であり寒いし真冬だった。またそれが魅力だった。東北も広いから結構行っていない場所がありまた季節的にも違っているから行く所はあるものだと思った。





文明は人間の情を奪った

なぜ私が船とか旅では歩くとか自転車の旅とかにこだわるのか?それになんの意味があるのか、飛行機は早く遠くとつながるからいいし新幹線も早くていいではないか自動車も縦横にどこでも行けるからいいではないか、これで物流が促進されみんな豊かになっているではないか、経済効果の恩恵をあなたも受けているのではないかとなる。それもそうであり今の経済に高速化は必要でありそれが経済を活性化している。しかしその高速化が人間のリズムを越えている。人間には人間でありうるリズムがある。人間でありえなくなるということはなんらかの思考が欠如してしまう。人間が考えなくなり感じなくなる、不便ではあるが歩けばその道筋にあるものを立ち止まって考える。これは何だろうと注目する。経済、物流とかは過酷なものでありそんな空想的文学者とは違う、交通事故にあっても高速化をせねばならぬのが厳しいこの競争社会なのだということになるが人間の身体はまず歩くということから始まった。何千年の人間の歴史はやはり欧米でも中近東でも歩くことが基本にあった。砂漠でもラクダの隊商は歩いた。確かに馬を利用したから高速化があったとなるが馬でも走るだけでなく馬が歩くリズムで旅している。ず-と走りつづけることはありえない。馬の旅にしても歩くリズムであるから遅いのだ。歩く感覚で人間はまず世界を理解したのだ。伊能忠敬が歩いて測量したということは航空写真で測量したのとは全然違う意味をもっていた。実際は彼は日本を歩いて実測したのだから別に地図を作らなくても体で日本を知った。彼は地図を作っただけではない、歩いて地図を作ったということ歩いた感覚の方が豊かな実りをもたらした。つまりここでも科学と心は分離せず一体化していた。歩かねばならぬ、歩いて知るということが基本にあったのだ。地図上で計測してわかる距離ではない、歩いた感覚でわかる距離である。現代は詳細な航空写真からの地図を見ても実際は近辺すら知っていない人がいる。地図を見てテレビとかなんかメデアを通してわかった気になっている。すでになんでもわかったという錯覚に陥っていないか、実際は近辺のことすらわかっていないことがある。それは歩くことがない、歩いて見た感覚と自動車で通りすぎる感覚は違いすぎるのだ。確かに交通の発達で世界は飛躍的に拡大したが世界を知ったわけではない、世界がまるで人工的に作られたデズニ-ランドように見てしまっている。

例えば芭蕉の旅した奥の細道も今じゃ二三日で終わりである。この体験の希薄化が人生を貧しくしている。その当時奥の細道は歩くとしたら未知の国であり広いのである。だからこそ一歩一歩歩く中で芭蕉は陸奥への思いと詩想をふくらませるることができた。そもそも大地はまず人間に歩くものとして神が備えたものである。自動車にばかりのり歩かない人間はある意味で感覚的に麻痺した人間を作り出す、見るべきものも見ないし感じるものも感じない、現代は文明は全般に感じること感情が退化している。何か情をそそぐことが少ない、自動車のように突っ走れば道草もしないし立ち止まって考えることもないから情をそそぐこともない、情報の意味は情に報いるとある。情報は知ではなく情であった。情、情けがあり相手に教える行為だった。情報の基本にはなさけがある。同情であり相手を考慮する、相手をいい方に導きたいというのがあったのだ。時代をさかのぼればさかのぼるほと人間の関係は情が基本だったのだ。日本では特にそれが強い、異民族の侵入がないし知られた身近な範囲の人で暮らしてきたからである。大陸で理が強くなるのは異民族の間で公正な裁判とかする必要に迫りみんなが納得する理が重んじられた。建築が発達したのも建築は理なのだ。理によって組み立てられたのが建築である。部分から全体へと組み立てたのである。科学自体がそうである。理であり原理でありprincipalである。原理を重んじるのは社会そのものにあってもそうなのだ。情であればそれは狭い家族とか村内とか長屋とかでは通用するが民族同士とかなると通用しなくなるからだ。科学的思考合理的思考には弱いしなじめない、阿吽の呼吸とか言わなくてもわかるものはわかりをえるとか狭い身内の関係の情を基本にした社会である。現代文明は西欧文明だとすると理に重きをおく社会となる。理をもって原理をもって分かり合うとする世界である。法律はまさに理の世界である。いやになるくらい理の世界なのだ。だから日本人は法律が苦手なのだ。契約の世界が苦手である。契約は商業から生まれた。みず知らずの人間が信頼するには契約が必要だったのである。契約して保証が必要になったのだ。

日本人は義理人情というように情の世界に生きてきた。しかしその情が退化しつつあるのだ。情的社会が喪失して人間は不安になってくる。終身雇用の家族会社というのも情としてのつながりがあり安定をもたらしていた。それが極端な競争社会になるとアメリカのように才能あるものだけが優遇される社会となり青色発光ダイオ-ドのように200億円とか発明したものは得ることになる。才能あるものがぬきんでて優遇されるのは狩猟や遊牧社会である。そこではリ-ダ-が生死を決するからである。それが欧米の社会でもあったし中近東でもそうである。人間は今情的に非常に不安定になっている。だからナチスのファシズムになる危険性の方が実際は民主主義の世界になるより大きいのである。自動車社会であれマスコミ社会であれ、基本的経済社会であれ生産社会であれそこに情を育む素地がないのだ。江戸時代の商家とか職人の親方と弟子というのも基本的には人間の情で結ばれた関係であり疑似家族になっていた。だから情的には精神は安定していたのだ。それが雇用も契約関係になるとドライな関係になり日本人にはなじめないものとなる。でも実際はこの情的関係を復活したり維持することはむずかしい。社会そのものが変わってしまったからそれは封建的関係になる。商家が一つの疑似家族というのではなく本当の家族と同じようにそこに勤めたものがその家族の墓と同じように作られた。それは実質的にも一生生活共同体であったのだ。現代では逆であり従業員に保険金をかけて殺すということもある。従業員を家族のようには扱えない、まず情と利が分離しているからだ。利があっての情である、むしろ従業員にとって情より給料の方が大事なのだ。情だといっても実質がともなわなければ何もならない、もし雇用主が保険にかけないとするとその方が問題である。事故があった場合、その保証ができない、情より先にそうした保証を万全にすることが従業員に対するつとめである。中小企業でもそうした保証がないのが多い。情の前に今はそうした保証の方が大きな力をもっているしその保証も巨額だからはらいきれないのだ。契約が大事になるというのはそのためである。中小企業では事故にあっても何ももらえないとさえなる。つまり現代社会を江戸時代のような情の社会にすることはできないのだ。ただこの情の退化した世界は児童虐待とかそうした家族の関係まで情のない世界にしてゆく。それが大きな問題なのだ。

道理は集団の産物である
人情は個人の産物である (誹謗と瞑想)上野霄里


江戸時代の侍は集団の規律を重んじたから道理を模範して示さねばならなかった。だから厳しい制裁があった。法を守る模範とならねばならなかったからだ。新撰組でも信じられないほどの規律の世界だった。殺した人間より規律を破って殺された内部の人間が多かったのだ。それほどの規律が要求されたのだ。でも江戸時代は基本的には庶民でも武士でも情の世界に生きていたのだ。現代のような巨大化した組織ではない、藩だって小さいのである。狭い範囲の人間関係だから情が基本になる。主従の関係にしても情の関係である。いつも主君と接し情で結ばれていたのである。情においてしのびないということがだから常にあったのだ。道理の世界でも情は常にあったのである。

3439 鈴が音(ね)の早馬駅(はゆまうまや)の堤井の水を賜へな妹が直手(ただて)よ

入れものが無い両手で受ける   放哉 


井戸の水をじかに手ですくって与えた。これは水は物であるが手はあたたかい手である。情のこもった手である。物と情はここでは分離していない、物は「ものごごろつく・・・」とか物と心は一体となり成長する。現代は物と心が分離しているからものごごろがつかないのだ。物と心が一体になり成長しないのである。物の世界が肥大化して心が消失した世界である。万葉時代は江戸時代以上に情の世界だった。情的に別人のような世界に住んでいた。これは今でもアマゾンの奥地の部族などの世界である。上野霄里氏のような原生人間の世界である。情が信じられないほど豊かな世界なのだ。だから現代人には理解できないもの歌いなものがある。人間の原生人間の篤い情の世界が消失しているからだ。放哉の句もまさに受け取る入れ物もないから両手で受けることにより実際は情をこめて受け取ったのである。人間はその仲介になるもの、機械やメデアが発達して受けとる能力する退化した。まず直接受けとることがないのだ。物も市場にでてそこで金銭に換算されそしてはるばる運ばれてくる。物であれ情報であれ篤い情でもって受けとることもない、もちろん与えることもない、その中間に介在するものが大きくなりすぎたのだ。実際自動販売機から受けとめれば情というのはまさにゼロだし現実人間は情のないロボットに看護されるようにされつつある。情報も情に報いるという意味なのもまさに情の世界に生きてきた江戸時代の人だから翻訳したのだ。

この情が船となんの関係あるのかとなるが

945 風吹けば波か立たむと伺候(さもらひ)に都太(つた)の細江に浦隠り居り

昔の船は風待ちとかで絶えず浦とかに泊まることが多かった。するとそこに船が泊まることは当然その思いはその泊まる場所にそそがれる。情が途中の湊にそそがれる。そこで単に物を運ぶ機械、トラックとかではない、情がはぐくまれる。昔は物を運ぶ機械でありえない状況に常にあった。自然の中でそうならざるをえなかったのである。どうしても人間というものを単に移動する機械ではない、物体ではない、情のある人間として生きる立場にたたされていたからこうした歌もできたのである。現代の文明人はまず機械があり物があり組織があり団体があり次に付属するように人間がある。情が奪われるのだ。世界のグロ-バル化経済も全く非常の世界である。そこに情など介在する余地はない、そこでは弱いものに対してはますます非情になる。少女も非情のなかで安い値がつけられ売買される。それが当たり前のように行われる。売春なんか昔からあったからたいしたことではないよと言うがこれは世界のグロ-バル化の中で起こったことであり非情に弱者を食い物にするものなのだ。国内だったら余りそうした非情さを感じない、その金も高額だし強制的ではない自主的に行われている。貧乏な国では追い詰められて行われている。それを余り大きな罪と認識していない、やはり形を変えた人間の奴隷化なのだ。

情が奪われる思考が停止することはイラク戦争でもある。アメリカ兵が500人もすでに死んでいる。だから一人一人の死を今問うようになっている。一人一人死んでゆくとその死の意味を人間はいやおうなく考えるようになる。ところが不思議なことに一度に原爆のように何十万人も死ぬと考えることすらできなくなる。唖然としてしまうというか考えることができなくなる。ナチスでも太平洋戦争でも何百万人死んだということを実感でなきいしそれを考えることができなくなる。それは人間が物質化されてゆくからではないか、情的に一人の人間にたいしてそそぐ情が奪われるからだ。物として数としてしか認識できなくなる。人間は今や物とか数のようにしか見られないことが多いのだ。人間の命は地球より重いなどというが実際は今や人間の命は物とか数字化しているのだ。そもそもマスゲ-ムとか今の巨大な軍隊とか巨大組織化した宗教団体そのものなどもそれ自体すでに非人間的なものである。せいぜい一票としてしか見られていないし極めて非人間的な故に巨大化しているのである。だからそれらの組織や団体が宗教などとはなんの関係もなく非人間的なものと化する、ナチスのようになってもおかしくないのだ。そうした巨大組織自体全く平和的な存在でないからだ。文明自体平和的でないというのはその生活そのものが情を奪ってしまったように平和的でないからだ。文明社会そのものが非人間的であるという上野霄里氏の主張はそのことを言っているのだ。

一人一人また死んでゆく
そのかけがえのない友が肉親が
アメリカの墓地に若者は葬られた
アメリカに希望と夢を持った若者が
その若者には移民が多い
家族は無念の涙を流し戦争の無惨さをかみしめる
一人一人の命の重みが戦争を問いかける
・・・・・・・・・・


こんなふうに一人一人だと人間は考えるのだが何十万人も一度に死ぬと思考が停止してしまうのだ。死んだ若者に移民が多いというのもあわれである。というのは移民や下層のものは軍隊でのしあがろうとしていたとあり軍隊がアメリカで豊かになれる手段でもあった。一人一人の事情は違うことは確かである。日本人がアメリカ人を敗戦で恨まなかったというのは原爆と関係している。考えるという情が停止してしまったのだ。人間の情が一瞬奪われてしまったのである。

これは精密巧緻な方法で実現された新地獄に違ひなく、ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとへば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換へられてゐるのであつた。(原民喜)

ここでは人間の尊厳の死も全く奪われてしまった。人間が人間に見えなくなってしまったのだ。しかしこれが原爆の光景だけではない、都会のビルの谷間を歩いても人間が人間に見えているのか?ロボットが歩いているように見えないか何か無機的な光景に見えないか?
これは江戸時代に見た風景とはかなり違う、人間か生きていないのだ。

ともかく人間は歩くことを基本にして自然と世界とかかわってきた時間が長いのだ。その感覚が正常な感覚を培ってきたのだ。




文春の出版さしとめ問題の深層

今回の文春の出版差し止め問題は何を問おうとしているのか、公益性があったのかただゴシップの暴露で読者を引きつけ売るために書いたのかとかなると私は読者の要望に答えて売るために多く売るために書いたというのに賛成である。そもそも週刊誌はそうしたことで売っていたのである。真面目なものから見ると週刊誌は普通読まない、ところがヤホ-BBから大量の個人情報を漏れた、それも創価の幹部だったというのを報じたのは文春と新潮くらいだった。そうした重大なことを報道しているからそれも速報性がありコンビニの目立つところにおいてある。他ではそういうことすら報道していない、週刊誌がそうしたみんなが知るべき重大なことを報道して新聞やテレビやその他全然報道していないのだ。それが大問題なのだ。公益性をになうものが週刊誌でありそししてその週刊誌は売るために読者をひきつけ売るためにゴシップから芸能ネタからエロからスポ-ツからとありとあらゆるものを網羅している。日頃から公益性のあるものだけを追及していればこんなことにはならない、サンデ-毎日とか朝日とかはそうである。でもそこでは肝心な問題、創価の問題などは追及していないのだ。その矛盾が露呈した問題である。もし文春や新潮が芸能ネタとかスポ-ツとかエロとかそんなことで大衆をひきつけ売るためのものだけなら誰も問題にしないのである。そういう日頃の体質から必然的に起こったのである。公益性の問題ではない、日頃からそうした有名人でもなんでもゴシップばかり追及しているとそうなる。そこに浮上してくるのが売るためには仕方がないということになる。これは書店でも出版社でもどこでも常に起きてくる問題である。書店でも常にその本が売れるかどうか問題にする。売れない本をただおいておいたって邪魔だとなる。実際はお前の本など邪魔だから置けないと言われたのが自分である。書店はそういう場所である。一個人の自費出版の本などおかない、これは自分だけではない、インタ-ネットでみたら無数の機関紙がある。月刊誌みたいなのが無数にあるのだ。そんなのがあったのかというくらい多種多様な問題をテ-マにした機関誌があるのだ。そんなもの書店でもコンビニでも置かないのだ。売れないからである。でもそこでも社会にとって必要な大事なことを追及しているのである。

言論そのものが非常に不公正なものだった。書店に並ぶものは大手出版社のものだし少数者の発言する場所などどこにもなかった。だからマスコミのになっているものも大きかった。報道されなかったらまず誰も関心を払わないからその悪もわからないし隠されるし追及もできないのだ。そういう真実を公正に報道するという役目をマスコミはになっていたのだ。報道にもそれなりに崇高な使命があったのだ。ところが報道すること自体にコストがかかりすぎるからスポンサ-のいいなりになるとかスポンサ-は批判できないとか巨悪は報道しないとか真実を伝えるという崇高な使命をもち報道にかかわるものとならなかった。それは一重に売るために収入がないなら報道もしようがないということにあったのだ。新聞とかテレビとかでもそもそもその報道の内容より報道できるということで力を持っていたのである。新聞の内容など実につまらない、今では年に3万払うのも馬鹿らしくなった。半分は広告である。内容はほとんどないのだ。報道はマスコミの独占だったのだ。だからこそいろいろ真実を報道してくれとか要求がでてくる。読者や国民もまた本当に真実を報道に公正さを要求するなら実際はそうした報道するものを育てる必要があった。それには今やコストが安くなったからインタ-ネットでも金を払いそういう記者を育てる必要があるのだ。2ちゃんねるのようなものがそれをになっているがあれも週刊誌であり真実を追及するにはあまりにも低次元なのだ。

少数者の機関誌でも実際は書店などでも置くべきだったが書店は営利目的だから置けない、図書館はそれができる。書店は報道とか文化の担い手にはなりにくい、営利目的であるかぎりできないのである。だから書店やコンビニとか営利目的になるところでは真実を追及するものは置けないのだ。一方赤旗でももちろん聖教新聞でも他の少数者の機関誌でも言論の自由をいうなら本当は置くべきである。そうした機関誌は目的をもって書いている。週刊誌のようなゴシップなんか書かなくてもいいのだ。間違っていても自分たちの党派の有利なことを追及しているだけである。それはそれでいいのである。言論の自由はいろいろなものの主張を許すのだから。だかマスコミはいかなる立場にたつものなのか、それもよくわからない、大衆をひきつけるためにゴシップやエロや様々なものを一緒にして出している。例えばそれは異様なごったにの鍋のようなものである。その中には真実を追及する宝石や真珠もあるが豚の足から犬の骨やら藁屑やら靴のすてられたようなものからペットボトルの殻や女性の裸の写真やら油から醤油からマヨ-ネズから調味料もいろんなものが入って刺激を強くする、それはある意味で異常なものである。それを要求しているのが貪欲なそれを食いたい読者なのだ。こんなことを追及している提供すること自体異常である。それをなんの抵抗もなく買っている読者もまたその異常性に気づいていないのだ。

むしろ赤旗でも聖教新聞すらこの週刊誌よりは正常である。他の少数者の極端に右翼のものですら週刊誌よりは正常な言論なのだ。なぜならあらゆるものをそこにはのせない、一つのテ-マがありそれを追及しているのだ。スポ-ツをのせるにしても芸能でもそれは脇役である。ところが週刊誌は全部平行的に取り上げているのだ。私はスポ-ツとか芸能とかゴシップには全く興味がない、スポ-ツはすることは必要でも見ていてはあまり面白くないのだ。普通高尚になればそんなものに興味は持たないのだ。ところがマスコミに呼ばれて発言する人をみると必ずそうしたスポ-ツとか芸能とか話題になるからそれに対してどうですかと問われるのはおかしいのだ。何かの専門の学者に薬を研究している学者に芸能やスポ-ツのことを問われてもわからない、ところがそういう場ではテレビを見ている人がそれを要求するからそんなことの感想まで要求されるのである。だからマスコミも週刊誌と同じように異常なごったにの報道になる。普通正常な感覚をもっていればそういうことに抵抗を感じるのである。これが現代人の病だという人もいる。ごった煮の中で精神が麻痺している。これがファシズムにつながっていたというのがピカ-トの意見であった。

ともかく人間は冨の神とマモン(財)の神の両方には仕えられない、だが現実は宗教であれなんであれこうした二つの神に仕えどっちも得ようとしているのが普通である。この世のものも得たい来世は極楽に行きたい、神の国に行きたい、天国に行きたい、今世も金持ちになり楽しく暮らしたいとか二つのものを追及してやまないのが現代なのである。報道も全くそうなのだ。そうした矛盾が今回のような事件を起こすのである。マスコミやし週刊誌より様々な機関誌の方が真実の報道をしているのだ。赤旗は絶えず創価を追及しているからそれには詳しいし逆に共産の不正とか裏とか矛盾を創価は追及する、こうして党派性がはっきりした方が読む方にとってもわかやすい、八方美人の報道はわかりにくいのだ。その最大の問題は売れないものは置かない、報道にコストがかかりすぎるということにある。だからインタ-ネットの方が目立たないにしろ真実を追及するしそういう道具になることができる。まただから読者がそうした真実を追及する記者などを金を払って育てるという時代なのである。それも国民の自覚によるからゴシップばかり面白がる人が多いならそういう真実を追及するものは育たないしその結果としてファシズム社会になる。民主主義社会は民のレベルがあがらなければ寡頭制とか君主制とかに移行せざるをえない、その方がかえってうまくいくことになるからだ。いづれにしろ民主主義の基は言論の自由でありそれがないとしたら民主主義はありえないのだ。それが実際はなかったのである。あういう週刊誌はなくなってもいい、問題は真実を報道して真実を追及するものがあればいいのである。


昔をふりかえる意味(リサイクルショプが面白い)



リサイクルショップは現代では意外と人間臭い場所になっている。私がキセルを買ったリサイクルショップは骨董のようなものも置いてあった。このキセルは煙草を入れる先が半分すりへっている。その手前もすりへっている。手でさわっているうちに鉄まですりへったのだ。これはよほど使い込んだものだ。新しく買う金がないからこれほど使ったのかもしれない、誰が使ったのかわからないが当時の人の汗のようなもの体臭がしみついている。煙草のヤニの匂いもした。この匂いは私の父親の匂いでもあったのだ。戦後五六年はキセルを使っていたのだ。
それ今全くキセルがないことに驚いた。キセルが一本六千円もしているのに驚いた。紙巻煙草に代わりキセルの時代が終わった。とにかくどんな仕事をした人かわからないが一服しては煙草をキザミ先(火皿)につめてはぷかぷか吸っていた。何十年とこのキセル一本で使っていた。腰に下げては一服して煙草を吸っていたのだ。これが一万五千したが買った。過去の人は死にその物だけが昔を語っている。人間はまさに今や煙となり灰となってしまったのだ。物語るとは物が語ることであり人は消えてしまうのだ。物から昔をたどるほかないのだ。キセルにまつわる話は山ほどある。電車でキセルするというのも雁首と吸い口は鉄とか真鍮で作られていてその中間が羅宇であり中間をはぶく、ごまかすことでキセルだったのだ。どうしてこれがわざわざキセルからとったのかその当時から電車が走っていてキセルは広く使われていたからキセルに例えた。それにしてもキセルが本当にキセルからきたのか不思議である。ただ煙草というのは阿武隈山地でも葉煙草が作られていたしこれで四国の山の中の町でも財を成した家があるように煙草は大きな産業だった。煙草はいいものではないし煙草は徐々になくなると思うが煙草を問題にしているのではなく煙草から昔の生活感みたいなものを偲ぶからキセルに興味をもったのである。



あの森のたなか-
煙の立ちどころ
たしか あの煙
吾が親の煙草煙

永山絹枝(沖縄郷土誌、青い海、1975、7、8月号)


親のにおいは煙草臭いというか煙草だった。ヤニの匂いがしたのである。今でもこの煙草からヤニの匂いがした。このヤニは簡単に消えないらしい、本居宣長のサイトに「宣長の蔵書や、所蔵した掛軸などにヤニの付着は見られない。果たしてどの程度吸っていたのか疑問である。」

ヤニはなかなか消えない、しかし江戸時代までのが残るとするとこれは化学や考古学的な研究になる。煙草の成分はたしかに煙がかかれば残るから化学的に分析できるかもしれない、
「思ひ草は秋の野の尾花がもとにおふるとかや、または、こ(煙草)のけふりも、其名にたぐふ心地して、室の屋しまもとをからず、とことはにこがれつゝ、人の口のはにのみぞかゝる、さるはいひけたれてもなをふかくおもひいれ(火入)て、もゆるけしきは、いぶき(灰吹き)の山のさしも草にもことならず、かくのみたえずなげきせる(キセル)、はてはいぶせくきたなげになりてすてらるゝよ」
こんな文を書いていることは今もそうだがヘビ-スモカ-が仕事しながらぷかぷか吸って灰皿に
捨てる。煙草は仕事しながら仕事の一服に吸うことが多かった。山仕事でもどこでも仕事の一服にキセルを吸った。キセルは必ずもっていた。だからこのキセルが腰に下げるようにいつも持ち歩いていたのだ。そしてこのキセル入れからキセルをとりだしては煙草入れから煙草をとりだし火皿につめては吸っていた。そして火皿は半分すりへったし雁首もすりへっているからどれほど使ったかわからない、何十年と使ったものかもしれない、これだけ使ったということでこのキセルは価値があるのだ。まさに単なるキセルではない、ここには物語があるからだ。
現代の物はなにか人間臭さがない、人間の汗とか思い入れとかがない、機械的に大量生産されて同一規格のものが多いからだ。作る人もこの一品を独自に仕上げるという思い入れがないのだ。作っている人自体そうだから物に味がないのだ。その材料にしても化学合成の板だとか中がベニヤ板だったり外見はきれいなのだが桐タンスとか漆塗りとかこって丹念に作っていないのだ。ただ大量に同じもの市場に安く出すというだけである。そもそもキセル一つがなんだとなるがこういうことが文化として人間性を剥奪してしまったのだ。そうした日常レベルの生活の中に人間的なものが剥奪され全体の現代の荒廃とつながっていった。キセル一つから昔を偲びそして今を考えることが今を問い昔の生活の価値を知ることになる。

昔はキセル一つとっても人間臭さがあり人間臭がそこからにじみでてくる。なにかそうした人間臭さというものが喪失した。デパ-トとかス-パ-とか今の街には人間臭さがなくなった。学校でも病院でもどこもきれいなのだが整頓されているのだが人間臭いものが排除されている。塵一つ落ちても許さないという潔癖感がある。そこで汚いとか異質なものはバイ菌だとかいじめの排除が起きてくる。あらゆるものをすべて消毒して殺菌してバイ菌を排除せねばならぬのだ。大学でも法政大学の部室が汚いから排除するとか整理するとかに反対するのもまさに社会が異常なほど潔癖症になっているのだ。アメリカで牛の全頭検査はできないというのもわかる。そんなこと無理なのだ。バイ菌は常に存在したしそれを全部排除はできない、バイ菌と共生するか免疫になる力を作る他ないのだ。このバイ菌より人間のバイ菌が社会に寄生していることの方が問題である。そういうものの方が影響が大きいのだ。でもこの人間のバイ菌だって排除できない、これも共生するほかないし排除することは間違っている。昨日のNHKのテレビでもアメリカは貧困者、主に黒人グル-プと金持ち階級に街が分かれて一つの街に住めなくなるほど荒廃した。でもイギリスの街では排除せず仲間にして更生させて街に一体感ができて街は良くなった。つまり排除の論理では社会は改善されないのである。

ともかくこの人間臭さはネットのショップとかでは作れない、ここに店の価値がある。いろいろなものをごたごた並べている骨董品やリサイクルショップがなんか今面白い。私の行った店はそうだった。たまたま安いから買った江戸時代の人形も良くできている。縮緬で作っていたのだ。これも丹念に作っている。そしてリアルなのだ。これはかなり古いものである。こうした人形すら今はなにか心をこめて作っていない、手間暇かけて作っていない、型に押したような大量生産の味のないお土産なのだ。そもそも昔の人と今の人を比べると人間そのものすら違っている。昔の人の姿はその容姿からして質素であり誠実感がにじみでていたりぺちゃくちゃしゃべらない謹言さとかなにか人間すら気品があった。だからアメリカに渡った侍がアメリカ人驚かせた。なにか侍としての誇りが身についていてそれが自然とでたのかもしれない、現代は人間そのものがどうしても商人になるから功利的な顔になるし姿まで絶えず金儲けのことしか考えられない人間になる。つまり原生人間であれ原始人であれ江戸時代人であれ人間そのものが違ってしまったとのではないかと思えるほど文明は人間を変えてしまったのだ。もちろんこれは過去の美化であり現代人と比べていい点悪い点がある。でも現代の人間にはなにか人間の存在感が希薄なことは確かである。現代の人間は何をもっているか車をどんなものをもっているか、どんな家に住んでいるかとか、学歴がどうとか外見で計られることが多い、人間が本来もっていた精神性はほとんど問題にならない、だから日本人かエコノミックアニマルとされてしまったのだ。そうしか見られなくなったのである。ただこれは人間はグロ-バル化のなかで文明人は一様化してしまっているから日本人だけに言えることではないのだ。ただ昔をふりかえる意味はまさにこうしたキセル一つからでもできる。そこから浮かんでくるものは極めて人間臭いものなのである。今その人間臭さがないからかえってこういうものを古いものを求める時代になっているのだ。

長火鉢の詩



写真では古い感じがでていない、これはかなり古いものであるが新しく見える
なにか写真とかは新しいものになる。古くなるということがない。汚れとか汚い感じもでないのだ
テレビでもリアルなものと現実と違ったものを見ているのだ。バ-チャルなものになるとみんなきれいになる。
本当に無惨な姿とか見えないのである。



情報環境の変化への対処
(つむぐ、つなぐ、織る(web)、重ねる、張り合わせる、・・・)


情報環境の変化に対処するのは実際大変な労力がいる。テレビから一方通行になれていたものにはとまどう。インタ-ネット時代になると情報のとり方が違ってくる。まず情報は自分から積極的にとりにいかないととれない、アクセスしないと検索しないとさらに自分なりに分析しな情報は活かせない、でも情報は元来一方的に流れてくるものではない、積極的に情報を得る努力をしなければならなかった。インタ-ネットの情報の特徴は個人を基点にしたベ−スにした情報なのだ。今まで個人を基点にした情報の発信はなかった。マスコミにより一方通行の情報発信であった。その他マスコミを通さないもの出版社を通さない情報は世間に出てこなかったのだ。その理由は商品価値がないからである。情報発信するのにコストがかかるからそれに見合うものがなければ発信できなかった。だから普通の個人が書く日記などなんの商品価値もないから出なかったのである。それがインタ-ネットでは個人を基点した情報発信なのだ。人間は無数の個の点としして存在している。その個が全体の中に組み入れられている。これまではこの個が集まったマスが全面にでてきて情報もそこから発信されたのだ。だからマスコミニケ−ションだった。では具体的にどう変わったかというと情報を(つむぐ、つなぐ、織る(web)、重ねる、張り合わせる、・・・)という作業をすることになる。そのまま受けとるのではなくいろんな所から集めて(つむぐ、つなぐ、織る(web)、重ねる、張り合わせる、・・・)ということが多くなるのだ。

例えば

3月11日大阪へ行った。町中を車で走って感ずるのは東京との違いである。東京では新しい高層ビルがあたかも雨後の筍のように増えている。私が住んでいる港区白金台はこの数年間に風景が一変した。目黒通りは高層ビルラッシュ。品川も同じである。(森田氏のホ-ムペ-ジ)

これは今東京は好景気になっている。東京だけが良くなっている。一方NHKのテレビでは大坂は中小企業の工場が多く失業率も高く都会の中心部でも落ち込んでいる。中国に工場が移動したりと大坂は悪く治安も悪化している。泥棒やひったくりなどがふえている。そしてこれもNHKの取材で五所川原市から名古屋のトヨタの工場の寮に入り季節労働者になる若者がいた。それも大学を出て職につけない若者だった。青森は一番経済的にも衰退している。個人の自己破産が3700件もあった。ごしょかわらからは津軽鉄道がでていた。それが一両根雪のなかにとまっていたことが印象深かった。五能線は一日一回で途中下車できないものとなっている。だから青森は遠い日本の果てだと思った。そして津軽から黒石⇒小国の温川(ぬるかわ)温泉に行ったが雪にうもれていたて本当に隠れ里になっていて旅としては良かった。しかし現実経済問題としては東京と地方の格差は大きくなっている。また一方で日本の中流層が崩壊して金持ちと貧乏人とに分化しつつある。フリ−タ−というのが10年前くらいまでは自由でありたいからフリ−タ−になっていた。今でもそうなのかと思ったが実際は今やフリ−タ−にさせられているのが現実なのだ。正社員になれないのである。会社でもフリ−タ−の方が簡単にやめさせられるからと都合がいいからつかっている。そして牛丼で節約する層と金持ちの層に分化している階級化している。アメリカではこの金持ちと貧困層との差が極端でありある街では金持ちと貧困層の黒人が一緒に街にすめないという所まで悪化した街をNHKで放送していた。それで面白かったのはアメリカのラスベカズのカジノの話である。

ネコマシン(5セント)の前には年輩のご婦人方が大勢居ました。
聞くところによると、ツアーバスがあるとのこと、日頃 5セントを溜めて置き、お弁当を持参で仲間と誘い合わせて来るとのこと。“それを楽しみに 5セントを集めているのよ”と聞いてラスベガスを見直した想いがしました。
日本では10円玉を集めてもパチンコは出来ませんよね

テクノクリエート コラム(ごきぶり日記)

http://www.techno-create.com/topics2/topic262.htm

これにアメリカが象徴されていないか、4パ−センとの金持ちがアメリカの冨のほとんどをしめているとかラスベガスでも大金持ちは億の金をかけて遊んでいるかもしれない、一方でこうした小銭で賭を楽しんでいる層もいた。アメリカは戦争をする、それは何パ−セントかの金持ちのためかもしれない、彼らは戦争も賭なのかもしれない、死ぬのは上に上がりたい移民の若者が多いというからだ。そういう人たちを犠牲にしても成り立つ社会がアメリカなのである。そういう国の成り立ちなのだ。一攫千金を夢見て移民してきた人たちでもあったのだ。日本など他の国にしても国の成り立ちが違うからそういうことが許される社会なのである。日本もアメリカをまねているとそうなるし小泉首相の改革とはさらなるアメリカであり地方とか弱者切り捨てにあるという。だから東京一極集中になり東京だけが栄えるということになる。これも確かにここからまた経済効果が波及することはありうるし公共事業は限界である。ただ社会がこのように二分化することはよくない、社会がアメリカのように治安が悪くなり不安定化して連帯感がなくなるのである。金持ちは金持ちの社会を作り階級化して貧困層はフリ−タ−などは牛丼でがまんしろとか貧乏人は麦を食えとかなる。そういう非情な社会に日本もなりつつあるのだ。それは日本社会の伝統からして合わない、日本の社会の基本は村であり小さな村社会の相互扶助社会だった。一方アメリカや中国は違う、日本のような村などなかったのである。

だから人間でもスケ−ルの大きなものがでてくる。巨万の冨を築く人もでてくる。日本はそういう社会にいい悪いは別にしてなじめない、伝統的にそうだからだ。才能は伸ばす必要があるし国際競争も大事である。異質なものも入れねばならぬ。ただ日本社会は伝統的に相互扶助社会であることは悪いことではないしそういう伝統を失うと社会が乱れ混乱してアメリカのようになってしまう。良い歴史的伝統を壊すのはいいがそれに代わることは簡単にできないし国によって環境が違うから生態系を壊すようなことはしない方がいいということである。

今これだけ書くのに新聞からテレビからインタ-ネットから自分の経験から
(つむぐ、つなぐ、織る(web)、重ねる、張り合わせる、・・・)という作業をした。これからの情報の取り入れ方は絶えずこういうことが多くなる。だから時間がかかるし頭も使うのだ。でも本来情報は一方的に与えられるだけでは偏るのである。正確な情報もえられない、情報自体そういう性格をもっていたのだ。情報は自分なり取捨選択して(つむぐ、つなぐ、織る(web)、重ねる、張り合わせる、・・・)をしないと活きてこないのだ。だから普通の人の体験談なども役に立つ時がある。情報の裾野が無限大に拡大してしまったのだ。つまりだから誰からの視点による情報分析が必要になってくる。編集が必要になってくる。それをマスコミがしていたのだが今は個々人がしなければならないことがしんどいのだ。実際インタ-ネット一日中見てまわらないとなかなか自分にとって有効な情報を見つけることができない、ここが一番の問題なのだ。だから自分もこうして時事問題なんか書くようになりかえって日本経済新聞とか他のメデアも注意して見るようになったし調べるようになった。そうしたマスメデアの記事も参考にしないと書けないのである。情報をとる範囲が前よりはるかに拡大してしまった。だから情報をとり(つむぐ、つなぐ、織る(web)、重ねる、張り合わせる、・・・)だけで時間がとられてしまうのである。その労力も無駄かというとそうではなく社会を見るのにはマスコミよりは広く深く見るようにはなっているのだ。


xは不明なブランクの情報であるがこれを補うのが情報である。必ず文章を書くとわからないものがある。
そのブランクがうめられると情報はつながり活きてくる。




失われた川の文明

川というのは何なのかこれも文明の発達でわからなくなったものである。川というのは物流の川であり魚をとるとかではなかった。川が重要だったのは山と海をつなぐものとして交通のために重要だったのである。船そのものが山と関係していた。山で船が作られたため山が船を作る場として大事であった。船木山とかあるのは船を作る良質の木材がとれる処だから名づけられた。木材はまた筏などで山から切り出され運ばれたのだ。ただ日本の川は外国のように運河のようになっていない、急流が多いから浅瀬があったりするから舟を引っ張る必要があった。それで舟引(ふねひき)という地名が多いのである。舟を陸にあげて山を越したりするから船越しとかの地名が多い。船を大陸のように利用できない、障害が多いのである。山を川を知るには川を分断したものとして見ると川の意義がわからない、つまり川は道のように遠くまで通じている、道を通して遠くまでつながることに意味があったのだ。川は古代から道だったのである。アイヌも川を利用していた。川はもっぱら上流へ上ってゆく道として利用されていた。だから川口は川の尻であり上流が川の口と地名化していた。親の川とか子の川とか川には川にそって無数の名前がつけられていた。川を中心に生活していたからである。大陸では河の文明というごとく河は運河のようになっているから河を制するものが冨を得ることになった。ライン河でありセ-ヌであれテムズ河であれ古くはチグリスユ-フラテス河であれナイル河であれインドのガンジス河であれ中国の揚子江であれ黄河であれすべて河が交通路だったから重要なのである。それが建国の神話にまでなっている。川が文明を作ったのである。

現代では川を一本の長い道として見ることができない、なぜなら川を交通路として利用しないから船で上流から下流へ下流から上流へと船の交通路として使っていないから川はただ水か流れている、水を貯えるダムにいいとかしかならないのである。例えば北上川にしてもこれを一本の道として見ることはできない、ある一部分の川を見ている。だから平泉まで福岡から中国の陶器が運ばれたことが実感としてわからないのだ。北上川をさかのぼりあそこまで運ぶことはかなりの長さであり北上川が一本の道となっていたことが実感できないのである。川も一本の道としてつながっているから意味があるのだ。鉄道でも途中できれていたら用をなさない、自動車社会になったのは道はきれることなくどこにでも通じているからである。血管のように道はどこまでもつながり通じているから自動車社会になったのだ。阿武隈川にしても福島市から太平洋の荒浜まで船が通り米が運ばれていたことも想像がつかないようになっている。川が交通路として認識できないのだ。川にはもちろん交通路だけではない、様々な用途があり川は利用されていた。

・・・・旧家を繋ぐ藍場川
俳人類
http://www.haiku.jp/haijinrui/top_fram.htm

萩の旅で藍場川をちょっと見て知った。藍とは染め物と関係して藍だと思った。ここは人工的に作られた水路で舟まで利用していたとは思わなかった。細い川だったからだ。このサイトにはこの川が家に引き込まれ利用されていた旧家が写真ででていた。この藍場川にそって生活があり自然もありそれが詩になっている。萩は維新の街というより古いものが残っていることで魅力があった。川があのように実際に利用されていたのである。洗い場であり染め物でも利用した。染め物を洗うにはきれいな水が必要だった。だから江戸でも蛍が飛ぶほど新宿辺りでもきれいな水が流れ更紗の染め物に使われていた。川は生活の場であったのだ。金沢の兼六園も川の水を利用してできたし江戸も川の街であり縦横に水路があった。隅田川は信じられないほど美しい大きな河だった。浮世絵で見るとそれを見ているだけで夢のように思える。

強戸、郷戸、神戸、顔戸は川処(カワド、ゴ-ト)とでも書けばよいのだろう。
これは大きな川ではなく水汲み場であり渡し舟とか徒歩(かちわたり)場で交通の要所であった
(柳田国男、地名の研究)


郷戸という地名は会津の只見線にあった。汽車で旅行すると駅名だけが不思議と記憶される。あとは忘れていることが多いのだ。水汲み場であれ川は昔から重要な生活の場だったから地名化した。川の役割は大きかったのである。どこにも昔は村に水くみ場があり生活の中心になっていたのだ。川の用途ととしては川が洗濯の場であった。あのパリのセ-ヌも洗濯の場だった。大勢の女性が洗濯している絵があったのだ。私の町でもすぐ近くに堀があり川から水が流れていて洗濯していたのだ。住宅街になりもはやそれを知る手がかりもなにもない、誰もここに堀があってきれいな水が流れて洗濯していたなど信じられないのだ。日本全国でもこうした場所がいくらでもある。川は生活の中で利用されていたのだ。この川はみじかな川であり交通路としての川は大きな川である。川が活かされている場所、水が活かされている場所は気持ちがいいのだ。京都でもそうだし松江や萩もそうである。盛岡もそうだった。昔は江戸もそうだった。外国でも河が流れていて河が活かされている街はいい街なのである。川が生活のなかで利用されなくなったとき川はただ水が流れ水をためるダムとして有効なだけのものになった。川も死んだのである。海も交通路として北前船のように利用されなくなったとき身近でなくなった。海の効用は魚をとる場だけでなく交通路としてあったのだ。

深川の末、五本松といふ所に船をさして

川上とこの川下や月の友(芭蕉)

日本にも川の文化があった。この句の不思議は川上と川下を一つのつながりあるものとして認識している。川上に棲むものと川下に棲むものがつながっている。そういう生活実感があって作られた。だからこれもかなりの名句である。川というのは人間を結ぶものだった。これが中国辺りだととんでもない遠くと河で結ばれていた。運河もあったからまさに河は動脈であった。現代の感覚ではこれは読めない、そういう生活実感がないから作りえないのだ。五本松があり船着き場がありそこに人の行き来があり人間的な場として川はあったのだ。それは一幅の絵であり詩であった。そこに五本松とあるのだから五本松があったのだ。この詩は外国の方がつうじるかもしれない、外国では川は主要な交通路だったし今でも船が行き来している。ライン川はオランダにも流れているし国が違っても川は国境を越えて流れる。国を越えて川による一体感があるのだ。だから川を通じて同盟関係や商売ができた。川下と川上は結ばれているのだ。外国の河は長いからスケ-ルが違う、川上といっても中国辺りだととんでもない遠くなるからこの感覚は短い狭い日本的感覚のものなのかもしれない、そんなに遠くなく結ばれている関係が日本なのである。友と認識できる範囲であり中国になるとそこは異国や敵の世界になってしまうからだ。

●riverの語源

ラテン語で「川」の事を「rivus=リウス」、その付近に暮らし水を自由に使える人達を「rivalis=リウァリス」と言います。英語の「ライバル」はこの「リウァリス」から来ています。
当時は「ライバル」=「仲間」という意味で使われていました。
「川」(=「水」)は側に暮らす住民にとって、天からの恵みであり、神から与えられた共有の財産です。しかし時として、「川」は争いの元にもなります。
「川の水を巡る争い」=「水争い」と言います


人はまず水のあるところ、泉のあるところ、川の岸辺などから生活をはじめた。水が不可欠だからだ。水をともに使うものが仲間だった。それがライバル敵対関係になったのも水が大事だからである。まさに芭蕉の友という感覚は最初から水とともにあったのだ。


江南春    杜牧

千里鴬啼緑映紅。   千里 鴬啼いて緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風。   水村山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺。   南朝 四百 八十寺
多少楼台煙雨中。   多少の楼台 煙雨の中


水の村とありまさに水がかかせなかった。不思議なことは司馬遼太郎氏が指摘していたが日本には本格的な都市は中世以降にしかできていなかった。平城京でも平安京でも酒場が庶民が飲む酒屋がなかった。酒屋を示す旗がなびいているという庶民が楽しむ都市はなかった。官僚の都市だった。つまり平安京までは農村とか漁村、山村はあっても都市はなかった。京都ですら町衆がでてくるのは中世以降なのである。商人がでてきたとき都市が生まれたからである。堺もそうである。ここに日本の都市がもう一つ魅力に欠けている原因があった。市民とか町衆とかの都市ではなかった。天皇の都だった。お上の都市だったからである。平城京は高級官僚の政治都市だったのである。庶民はその周辺に農民としてしか存在しなかったのだ。商人の都市ではなかった。北京もハノイも政治都市であるから上海やホ-チミン市とは違う、政治都市は整然としているが庶民の活気にともしいといえる。江戸も政治都市だったが庶民の活気はあった。江戸は最大の消費地だったからである。中国では城市(まち)というごとく商が城を示していたり商城というのもあるから都市自体が商人の出入りする所だった。それが根本的に違うし本来の都市ではなかったのだ。とにかく中国では水路が縦横にめぐる水村であり水の城市だった。


(舟に来て蘇州の春や古き銭)


尋胡隠君 高啓(明)

渡水復渡水 水を渡りまた水を渡り
看花環看花 花を看、また花を看(み)る
春風江上路 春風 江上の路
不覚到君家 覚えず 君が家に至る


中国は河の文明であり水の文化なのだ。河により水によって結ばれるている。河は交通路であり河は陸路より上と下を結ぶのである。中国の河は今汚いからこういう感覚は別な小さな川かもしれない、川が密接に生活と結びついていた。蘇州がそうである。川の辺りに船を泊めて寒山寺の鐘の音を聞いた詩もそうである。中国は河の文明であった。川に舟がかかせない、川と舟は男と女とかのように不可欠に一体不二にあるものだった。川があっても舟がなければ川は死んでいるのだ。現在の川が死んでいるのはそのためである。海に船がなければ海もまた人間にとって活きた海ではない、船が絶えず通っているとき海も活きていたのである。

自然が失われたというとき川がきたなくて魚もすめないとかだけでなく人間の生活の場として機能していた川が失われたことも大きいのである。エデンの園には四つの川が流れていたように川は人間の生活にとってかかせぬものだったのだ。文明は情も奪ったし川も奪ったのだ。そして自動車社会という殺伐な光景と騒音のなかで暮らすほかなくなった。自動車社会は環境にやさしくない、電車や路面電車やバスや自転車や歩くことや船の利用をもっと考えることが住みやすくする。神はもともとそのように設計したのであり神の作った設計図にのっとて暮らすのが当然住みやすくなるのである。

盛岡は詩人の街



インタ-ネット日記の感想
(なぜ自らそんなに卑しめるのか?)


なぜインタ-ネット日記では自分を卑下するのだろうか、それも一流の学者さえ自分を卑下している。「ごきぶり日記」とか「奇人の生涯」とかでもよくよく読んでみると常識人であり社会で枢要な地位にあって活躍している。有名な会社につとめ一流大学の教授である。ごきぶりでも奇人でもなんでもない、社会的に認められた人の日記である。奇人といえば自分ほど奇人はいない、それなのになぜインタ-ネット日記では謙遜もあるが自らを卑しめるのだろうか、普通の社会に暮らす底辺の人たちとは違う、ずっと上のクラスの人なのだ。
インタ-ネット日記というのはこれは新しい世界である。ただなかなかいいのがない、いつもキ−ワ−ドと違ったものとして見つけられる。常にたまたまでてくるのである。これがインタ-ネットの不思議なのだ。普通たいがい本だったら目的にあったものしか手にとったり読んだりしない、それが全然関係ないようなところからぽっとでてきてこれなんだろうなと思って読むのがインタ-ネット日記なのである。

「奇人の生涯」はまったく奇人ではないが沖縄の島の生まれなので島に詳しかった。これも沖縄の島の事情がよくわかる。インタ-ネット日記はどちらかというと年配の人の経験豊かな人のが面白いのだ。若い人のはつまらない、浅薄であり味がないのだ。パソコン通信時代から理数系の人が多かったが文学者になっているから多彩な能力のある人たちが通信にかかわった人たちには多いのだ。私は理数はだめだとすると彼らの方が才能に恵まれているのだ。それなのになぜ自らを卑下しているのだろうか?宮沢賢治でもオレはデクノボウと呼ばれたいとか言っているがこうした心境に通じている。社会にたいして高飛車にでない、社会に対して従順であり「オレはつまらん人間ですよ」と言って何かそれがあいさつのようになっているのだ。卑屈になることが何か共通の社会のあいさつなのである。「つまらんものですがみなさまのおかげで生かしてもらっています、ありがとうございます」こうして毎日どこにいってもあいさつしなければならないのである。仕事するにしても何もそれはそれぞれのつとめであり他人にそれほと気づかって生きねばならぬのかそれほど社会に拘束されるものなのか、自由社会なのにこれはおかしいのだ。

こういうふうなことに反撃したのが上野霄里などアウトサイダ-だった。だからこれらの人は社会に受け入れられることはなかったのだ。「日蓮を悪しく敬いば国が滅ぶ」などと公言すれば時の権力者の前で言えば「ええ、王なる自分が一介の乞食坊主を敬わねばならぬのか」となり島流しにされたのである。上野霄里氏のような人こそ本当は人間として普通であり原生人間として存在した。誰だって人間ってそんなに自らを卑しめねばならぬのか、それが社会だとするとこの社会は奴隷がいないにしろ精神的には奴隷になっている。奴隷として生きているのではないかと思ってしまうのだ。なぜこんなにみんな才能も豊かで社会的地位もあり認められた人すら卑屈にならねばならぬのかわからない、インタ-ネット日記にはそういうものが多すぎるのだ。せっかく自分を自由に主張する場ができたんだからもっと堂々と自分を主張したらと思うのである。
上野霄里氏流に言えばそんなら文明人に殺された方が人間として立派だし潔いとなる。どっちが人間的なのかといったら一目瞭然だからである。それが文明という社会に生きる人間だったら根本的におかしいと思うのが普通である。ただ意外とこうしたことにも気付いていない人が多いからむやみに卑下することである意味で得意になっているのだ。卑屈になることと謙遜になることは全然違う。文明人がみなそうだとするとこれは明らかに倒錯現象である。だから上野霄里氏のような人間は常識人には許すことのできない、がまんのできない人間になる。本当の人間らしい人間の存在を許さないこの文明社会は歪んでいることに気付かないのだ。人間たるものそんなにまで卑屈になり社会に生きねばならぬのかという素朴な疑問が上野霄里氏の指摘であったことは確かである。。それが彼の一貫した主張であった。

主キリストにしても謙遜になれと言っても自ら神の子といってはばからなかった。そして実際人間は神の子なのだ。神の子ということは最高のことである。神は万能でありその万能の子だとしたら最高のことである。もちろん死にもしない、神に死などありえないからだ。万能だから死などありえないのだ。その神の子がゴキブリだとか卑屈になることはありえない、人間はゴキブリとして死んでゆくとしたらこれほどつまらないことはない、これは軽い例えにしても人間はそれほどまでに卑屈にならねばならないのかという疑問が多くの人にあっても不思議ではないのだ。愛国心とか民族魂だとかでは自らの命をかえりみず死んだ人が無数にいたのに肝心の人間の矜持が社会生活そのものに失われていること自体奇妙なのである。そういうことに反発する人が多数いるのが普通のはずだからだ。自分よりも優秀な認められた人間が自ら卑しめて喜んでいる不思議である。
「おまえはこの世をゴキブリとして生きる奴なのか、人間ってゴキブリにすぎないのか」と思ってしまう。ただこれはそんな深い意味はなくしゃれでジョ-ク的に言っている。でもそういうものが多すぎることは問題である。

ただインタ-ネット日記は今までにないものであり新しい個人誌の分野を作ったのである。個の点としての情報として貴重なものがある。ある点から発する情報として新鮮なのである。島ではあんなふうにして暮らしあんな思想をもったとかそれは島で暮らした人でないとわからないものがあったのだ。情報が個人からある点に生きる地域から発することが多くなったのだ。マスコミにはこの個の情報の発信はなかった。それは特別にとりあげられたもので必ずしも個に焦点をあてたものではなかったのだ。だからインタ-ネット日記というのは全然宣伝されていないからこんなものがあったのかと意外性が常にあるのだ。つまりこれまでマスコミにのらないものは存在しなかったのである。マスコミに宣伝されないものはなきも同然だった。だからそこに貴重なこと伝えるべきものがあっても伝えられなかったのである。島の原風景とか島育ちは普通に経験できないものがある。



私たちの朝餉(あさげ)の気配をいち早く嗅ぎつけたハシブトガラスどもだった。
  島育ちのこの種のカラスどもは連携プレイが実にうまく、なかなかに抜け目がない。子どもの頃に何度も痛い目に遇っているから騙されはしないが、いっぽうのカラスに気をとられ油断したりすると、あっという間にもういっぽうの奴に食べ物をかっさらわれる。昔はハンカチや風呂敷で包んだ弁当箱ごともっていかれるなんてことも起こったりした。浜辺で魚の干物などをつくる漁師にとっても、ハシブトガラスは気の抜けない存在だ。



これは沖縄の童話「日々の航海」と同じ発見だった。島の鴉は普通の鴉より連帯感が強いのだ。そして食料がすくないせいか絶えず獲物をねらっているのだ。異様なほどつきまとうのである。これは島の人間と習性が同じなのだ。連帯感が強いしよそ者を監視して追いかける。なんらか食い物を島には置いてゆくほかないように鴉は追い詰めるのだ。ここにインタ-ネット日記で同じ経験をしたことを発見したりする。するとやっぱりそうだったのかと新たに経験を共有できる。それが今までにないことだった。

小さな島につくと烏がが−が−異様に鳴いてまとわりつく、その島は閑散とした無人島のような島だった。別な所に移っても同じ烏がついてきてガ−ガ−鳴くのだ。それもこちらを的にして何かを催促するように鳴くのだ
「お−い、ここは俺達のシマだぞ、オマエは何者だ、どこから来た、オレらのシマに来たからには、食い物置いてゆけ、おい、こら、ここはオレタチのシマだぞ、食い物置いていけ」
何かこういうふうに鳴いているように威嚇するように何度もついてきて離れず鳴くのだ。小さな島だから烏も食料不足なのかもしれない、だから外から入って来たものに強制するように鳴く、それは食い物を要求している声である。島はやはり貧乏である。外から入ったきたものに敏感でありすぐわかる。よそ者は目立つから烏さえめざとくわかる。それで異様に威嚇するように鳴いたのだ。
「このシマに入ったらショバ代はらいよ、ただでは入れんぞ、シマは資源もない貧乏なんだからショバ代はらえよ」
こんなふうに威嚇するように鳴いている。船員はこれは烏に襲われるじゃないかと驚怖した。
「わかりました、わかりました、弁当あるからこれ残すから食え」
そしてはやばやとそのシマを逃げるように去ってゆく所だった。それでまたはっと目が覚めた。

これは自分が経験したこととほぼ同じでありその経験がさらに別な人の経験と重なり広がり深い知識となってゆくのがインタ-ネットなのだ。


奇人の日記
http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_contents.htm