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(近況報告ー日記) 小林勇一
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富の移動と限界(1)−9月15日
富の移動と限界(2)−9月18日
上野霄里氏(原生人間)理解の困難−9月26日
国境意識−キ−ワ−ドから探るインターネット 9月29日
大きい世代間の落差(ブランド欲しくて通り魔に・・)10月3日
教会の牧師がセクハラで裁判に 10月8日
文明の迷宮での人身御供 10月10日
世界ウルルン滞在記 エーゲ海の家族船 10月15日
グロバリ−ゼ−ションの歴史 10月16日
長いトンネル(原町−浪江(津島)−二本松へ) 10月19日
近くの88才の医者の死 10月22日
民主主義は民が主であること 10月25日
有栖川宮家とは何ぞや(詐欺事件から) 10月27日
福島一区の問題(衆議院選挙) 10月31日
自衛隊のイラク派遣の是非 11月3日
神に呪われた地、バビロン(バグダッド) 11月5日
富の移動と限界 (1)
また黄金みつる東洋の産む
品々を探しにゆかれるとしたら
肉桂、丁子、舌やく香辛料
さては霊験いやちこの薬石を
また光る宝石、みごとなルビ−
ウズ・ルジアダス(ルイス・デ・カモインス
なぜヨ−ロッパが世界の富を我が物とし世界を導くものとなったのか、ヨ−ロッパはもともと貧しい国だった。イスラムの方が文化的にも優れていた。科学もイスラムから発したのである。ギリシャの文献がアラビア語に訳されてイタリアでルネサンスが起こった。十字軍も中東の富を略奪するものであり非常に野蛮な侵入者だった。イスラム商人はアジアの中継としてその富をヨ−ロッパに運んだのだ。陸のシルクロ−ドと海のシルクロ−ドで運んだ。富はアジアにあった。
大きな歴史的エポックとして十字軍の遠征があり次に大航海時代がある。航海の技術の進歩が大航海時代を生んだ。この大航海時代が資本主義も生んだ。船は明らかに投資であり危険でもあるから株主が保険金をかける。この大航海時代はアジアから胡椒やらアフリカからは奴隷に南アメリカからは金をもたらした。大航海時代はヨ−ロッパにアジアには無限の富があるごとく思われたのだ。日本の平泉の金色堂なのかどうかわからないがジパングも黄金の国としてマルコポ−ロによって伝えられた。インカではスペインにより黄金が略奪された。スペインは泥棒国家であった。スペインは黄金とか略奪による富で手工業的な労働に従事することなく他国から輸入するばかりだったという。何も生み出さない海賊国家だった。博打でもうけたような金だった。だからその衰えるのも早かったのだ。博打やクジでもうけたような金は浪費されてしまう。石油のような資源もいつか尽きるから富にはならない、富は生むのは別なところにあった。
これに反してイギリスの富は産業革命によってもたらされたのだ。つまり今までにないものが蒸気機関車や機械が発明された。アジアには綿花であれ貴金属であれ様々な資源と富があってもそれを加工する技術がなかった。資源や材料があってもそれを加工する技術がなければ大きな船も作れないし資源を活かすことはできない、中東には石油という膨大な富があってもそれを精製する技術もないし利用できないのだ。工業が生まれないから一部を途方もない金持ちにするだけで富の不公平が生まれた。国民全部を豊かにはしていない、かえって政治的不安定を生んでいる。資源だけあってもそれを利用する技術がなければ富にはならないのだ。
コ−ヒ−や砂糖などの製品ももともと東洋からヨ−ロッパに入ってきたものだが、逆に流れるようになった。砂糖の場合は精製加工してから東洋に売っていた 。
他にもヨ−ロッパには富を生み出す基盤があった。宗教と科学の分離とか政教分離もそうである。これも大きな富を生み出す原動力となったのだ。宗教が科学や政治に過度に干渉すると経済は停滯する。いろいろ拘束されては発展できなかったのだ。宗教がすべての権威になり教皇にお伺いしなければならなかった。内容は違うがイスラムでもそうである。日本の天皇もそうであり政教分離していなかった。創価もその点危険な団体である。創価の問題は幹部だけではない、普通の会員が生活レベルで政教分離になっていない、経済活動と宗教が結び付いている。何かことあるごとに宗教になる。経済的に成功すれば信心の勝利となり失敗すれば信心がないとなる。政治的にもすべて信心の戦いなのだ。これはイスラムとにているし戦前の天皇崇拝とにているのだ。仏法で勝つ、天皇で神風で勝つという狂信的なものとなる。政治と宗教が一体化するからファナテックになりやすい、イスラム原理主義の狂信とか一党独裁による支配は政治や経済やすべての活動を硬直化させる。
イスラムの停滯はヨ−ロッパの改革が成されていない、旧来のままに硬直化しているのだ。根強く部族とか軍閥とかがあること自体、封建時代なのである。
ルタ−の改革がヨ−ロッパにとっていかに大きな改革であったかを示している。ヨ−ロッパの改革が現代の基準になったのだ。科学的思考が大きな力となった。これは呪いともなったが科学の力なくしてヨ−ロッパに富はもたらされなかった。その背後には多くの天才を生んだヨ−ロッパの歴史があった。科学の発明発見はヨ−ロッパからほとんど起こったのだ。スペインの富は産業革命に基づいたものではない、ただ他国からの富の略奪だったから一過性で終わった。中東も石油という資源があっても富をもたらさない、日本の富も製造業から生まれた。日本の富は堅実なところがありイギリスとにているのだ。だから製造業が技術が衰退する、競争に敗れれば日本の富もない、日本の富は国民の頭脳にあるといえる。資源がないのだから頭脳によって生み出す他ないのだ。
ではその頭脳に期待できるのか、ビルゲイツのような頭脳が生まれるのか、コンピュタ−革命は一人二人の天才から始まった。それが莫大な富をアメリカにもたらしたのだ。全くの頭脳だけからであった。日本からそんな天才が生まれるのかといったらそういう土壌がないから日本では苦しいのだ。日本はこれまでヨ−ロッパの真似で発展してきた。ではこれから独自のものを発明し技術革新できるのか、それが問題である。ただコンピュタ−のソフトの世界でもインドとか中国とか日本でも新しいものを開発するようになるかもしれない、科学技術の主導権がアジアに移ってゆくかもしれない、東から西へ西から東へと文明の繁栄は移る。長い目で見るとそうなる。中東はヨ−ロッパとその延長のアメリカの中間地帯にありそこが問題の焦点となるのも文明の衝突する地域にあるからだ。
中東が豊かになれないのはヨ−ロッパやアメリカに石油が握られ安くとられているだけではない、それを加工する技術がないためでもある。石油を利用した産業も作れないのだ。そこに主な原因がありテロをしても何の解決にもならない、イスラムの狂信的原理主義でも解決しない、彼等は自らの足元を見ていないのだ。貧乏の原因をヨ−ロッパとかアメリカとか西側にするのはおかしい。自らの努力が足りないのだ。一方アメリカにしてもテロにはテロも間違っている。それも解決の方法ではない、つまり両者とも冷静に考えればわかるのだが感情的になりテロの応酬になっている。感情的なものファナテックなものはさらなる混乱をまきおこす、アメリカが今冷静になりつつあるのはいいことである。一時的感情的爆発は危険なのである。いづれにしろ富は一カ所に留まらない、常に移動するものであり富はアジアからヨ−ロッパに移動したものであり今や地球的規模で富は限界にきている。すべての経済が富の追求だとするときそれは日本にしてももはや達成されない、不況は解決されない、景気はよくならない、世界的に景気を拡大すること自体無理になったのだ。大航海時代の無尽蔵の富があるとヨ−ロッパに思われ資本主義的投資が行われる時代は終わった。それは環境破壊につながり南北の極端な経済格差につながりグロ−バル化は決してすべてがいいものではなかった。今や地球的限界経済学のようなものが必要になっているのだ。そのモデルが日本の江戸時代、島国の経済学になる。次の問題はこれになる。
参考にした本
強国論−D.Sランデス
富の移動と限界(2)
シルクロ−ドを伝いマルコポ−ロがヨ−ロッパに黄金の国、ジパングのことを伝えた。
ジパングは東海にある大きな島で、大陸から二千四百キロの距離にある。住民は色が白く、文化的で、物資にめぐまれている。偶像を崇拝し、どこにも属せず、独立している。黄金は無尽蔵にあるが、国王は輸出を禁じている。しかも大陸から非常に遠いので、商人もこの国をあまりおとずれず、そのため黄金が想像できぬほど豊富なのだ。
この島の支配者の豪華な宮殿について述べよう。ヨーロッパの教会堂の屋根が鉛でふかれているように、宮殿の屋根はすべて黄金でふかれており、その価格はとても評価できない。宮殿内の道路や部屋の床は、板石のように、四センチの厚さの純金の板をしきつめている。窓でさえ黄金でできているのだから、この宮殿の豪華さは、まったく想像の範囲をこえているのだ。
(『東方見聞録』マルコ・ポーロ著
これは平泉を言ったものだと言われる。そんな噂が中国まで伝わっていたのかわからない、平泉は宮殿ではない、仏教の御堂である。みちのくには確かに黄金が万葉時代にとれていた。
天皇の御代栄えむと 東なるみちのく山に 金花咲く 大伴家持
は有名でありその頃から黄金伝説が生まれる素地があった。
ただ黄金郷への異常な憧れ、富の象徴である黄金郷は実際になくても作り出される。一攫千金の夢は常に人間から離れることがない、スペインはこのエルドラ−ド(黄金郷)を求めてコロンブスを初めとして大西洋をわたりアメリカを発見した。確かにインカ帝国には黄金があったのだ。どこにも黄金郷の夢が語られる。沖縄にも黄金郷伝説があった。
しかしこの黄金が富を産むのかといったら産んでいないのだ。富を産んだのはむしろ鉄だった。鉄によって国家が作られたというごとく鉄の農具が入ることによって生産が飛躍的に増大して沖縄にも各地に城(グスク)ができたように鉄の方が富を生み出したのだ。鉄を産み出したのはヒッタイトという、何故なら小国のヒッタイトがエジプトと互角に戦えたのは鉄の武器があったからだという、それはまだ証明されていない、日本人がその発掘していることがnhkでやっていた。鉄は人類にとって火を使ったことに匹敵するくらい大きなことであったのだ。
プロメテウスが人間に火を与えた。その結果、ゼウスの怒りをかい、コーカサスの山の岩に鎖でつながれ、永遠に、はげ鷹に腹を引き裂かれ、肝臓をついばまれ続ける、という刑に処された
火を盗んだことによる罰と同じく鉄の発見と使用も人間に多大な便利をもたらした。文明は鉄によって作られたといっても過言ではない、黄金はそもそもダイヤモンドのようなものであり実用に役たたないし富にはならないものだった。だからその影響力も弱い、それほど黄金に憧れ富の象徴とするのは不可解である。黄金は稀少性が高いから貴族階級が富の象徴として望むもので実用としては東洋の胡椒のような香料の方が商品価値が高かった。当時は黄金というものが価値があり富の象徴とされてきた故そうなった。飢えているとき一片のパンの方が黄金より価値があるし価値は変わるのだ。ただ黄金は常に富の象徴とされてきたのはやはりその希少性とその輝きによる。スペインがいくら黄金を持ち帰り積んでも富にはならなかったのだ。黄金郷が理想化されたのはむしろその影響力の弱さであった。一方鉄の影響力は余りに大きすぎた。だから鉄が普及することの不安がその当初からあったのだ。
さてゼウスは第三の青銅の種族の人間を造った。
トネリコの木から生まれ、恐ろしく強力であり
アレス(軍神)の悲痛な仕事を乱暴を事とし
・・・・・・・・・・・・・・
その力は大きく抗すべからず腕が、重い体躯の中から生えていた
その武具は青銅製、家も青銅造り
そして彼等は、お互い同士の手にかかって滅ぶ
冷たいハデス(冥府)陰湿な館へ下った
クロノスの子ゼウスは大地の果てに
人間界から離れて生きる場所を授けた
彼等は深く渦巻くオケアノスのほとりの福者の島に
憂いのない心をもって住んでいる
一年に三度も蜜のように甘い実りをもたらす
さの青銅の時代は鉄の時代の先駆けであり鉄と同じだった。青銅であれ鉄はこれほど不吉なものとしてみられたのはそれほど影響力の強いものであり直感的に危険を察していたのだ。技術というのが人間にどれだけの災いをもたらすかの警告と不安がその当初からあった。
鉄を無害なものしようとする多くの試みがなされた。農業の目的にのみ鉄を使用すべしとボルセナがロ−マ国民に対して認めた協定に含まれた、はっきりした一つの規定だった。(プリニウスの博物誌)
鉄はこのように影響力が余りに大きすぎたので規制することにしたのだ。鉄であれ技術は常に便利さと同時に害をもたらすものと直感していた。それが現実化したのがこの二十世紀であった。技術が一番発達した時代でありその象徴が日本に下った原子爆弾だったのだ。富をもたらしたのは青銅とか鉄であり黄金ではなかったのだ。とにかく自動車にしたってもはやこれ以上は限界であり交通事故は減らないしかえって不便にもなっている。それでトヨタが自動車通勤を規制したのも皮肉である。もう渋滞でどうにもならなくなったのだ。技術を規制しないことは実際に恐ろしいことになるのだ。技術の発展を手放しで喜ぶことはできないのだ。現代の世界の矛盾や問題はすでにギリシャの神話の時代に予言されていた。その予言通りに歴史は進行したのだ。人間はその予言を無視して危険に突入してきたのだ。確かに富がもたらされてもそれは幸福へとはすべてつながらなかったのだ。鉄の使用されたとき、四大文明にソクラテス、キリスト、シャカ、老子、孔子という人類を代表する思想家が生まれたのは偶然ではなくそこで人類に対して共通に欲をつつしむことを教えたのだ。人間にとって欲の制限なき追求の危険性を諭したのだ。
一方で本当の至福の島は熱帯の楽園にあることを感じていた。それはアジアでありヨ−ロッパではなかったのだ。一年に三度も米がとれるのはアジアでありそこに憧れが生まれるのも当然であった。科学とか技術が手放しですべて良いものとなるとは限らない、これはすでにギリシャの神話であれ聖書であれ警告していた。つまり20世紀は度を越した科学技術の世界が現実のものとなった。それが未曽有の富をもたらしたと同時に災いももたらしたのだ。自然に対する畏怖とか技術に対する恐れとかそうしたタブ−が全然なくなった時代といえる。科学が最高のものであるとすれば人間が科学技術を造るのだから人間が神のごとく最高のものとなる。神は必要ないという傲慢におちいる。現実そうなったのだ。科学技術には何らか制御するものが必要だしそれを神の業のごとく全面的に崇めるのは危険なのだ。
「彼等は自然界を神聖なものと見たゆえ、それに即応して生き、その技術的な才能は主として神々に祈り讃えるための設備や装飾の建造に傾注された」(ギリシャ世界の神話観)(藤縄謙三)
技術の不足ではなくあえてその世界観から自然を乱さないように技術を使ったのがギリシャ人だった。だからギリシャが科学の基だったり民主主義の基だったりギリシャに学ぶことは今でもあることに驚くのだ。今日のような環境破壊はギリシャからは起こりえなかったのである。聖書でも同じである。
シオンは公平をもってあがなわれ、そのうちの悔い改める者は、正義をもってあがなわれる。(イザヤ1−27)
技術で国も人類も治められない、だからギリシャでは国家の正義を中心に置き過度の技術の利用に絶えず警告をだしつづけていたし現にそうはしなかった。そこには深い知恵があったのだ。ギリシャ人はまだ自然の息吹を感じる原生の感性をもっていたのだ。現代人に欠如してしまったのはこの原生の感性である。ビルの谷間で暮らしている人々に自然の神聖さがどうのこうのと全く関係ないのだ。かえってそこでは人間は人間ならざるもの、何が尊いのか何が何が中心にあるべきものなのか全くわからない迷宮に棲むことになる。メディアもこれは大衆にこびる大衆によって消費される消閑のメディアであり真実とか正義を追求するものではない、コマ−シャル中心のメディアである。人間がロボットを作ってどうなるというのだ。ロボットにはどんなにしたって何が神聖で価値あるものかなど身につかない、人間が今や人間ならざる奇怪なもの、モンスタ−と化しているのが現代なのだ。人間そのものが奇怪なロボットとと化しているのだ。ロボットは自分で考えることも価値判断もできないから北朝鮮のように全員右ならへで戦争の道具にすることも容易である。宗教団体も一人の神格化された偶像にハイルヒットラ−で突き進み何の疑問ももたないのだ。人間自身がロボット化しているのだ。ロボットがまたロボットを作るのも実に奇妙である。だからオウムのような奇怪な偶像を崇めることになるしファシズムが現代の大衆社會の行き着く結果だというのも驚くこともないのかもしれない、この現代大衆社会はファシズムを内蔵している、一体化しているのだ。誰も導くものはいない、大衆という怪物によって席巻されたのがナチスだった。その社会構造が変わらないとしたらまた同じ結果を生む。現実にそういう団体が政権の中に一体化していること自体如実にそのことを示しているのだ。大衆民主主義はファシズムと一体なのである。本当の民主主義はイギリスで起こり貴族中心にして始まったものであり高貴な使命感の人達が先導して成されたものである。今のような大衆民主主義が民主主義ではなかったのだ。
いづれにしろ何をもってあがなわれるのか、アメリカは確かに3千人殺された、しかしその何倍の人間が復讐のために殺された。アメリカは圧倒的な技術力でねじふせようとしてもそこに反発するものがある。技術力とか力だけでは解決しないのだ。つまり正義だといっても誰もそれを納得てしないからだ。正義が実行されない、そこで死んだ人達はどうなるのか、シオンは正義によってあがなわれるというのは宗教の相違ではない、それが全人類の切なる願いなのだ。一体あがなわれないとしたら死んだ人達も死にきれない、日本にしたって戦死者をあがないとして靖国に祀っている。富にしろ技術にしろそれだけでは人類の問題は解決しないのだ。人間の問題もそうである。
上野霄里氏(原生人間)理解の困難
上野霄里氏がわかりにくいのはなぜか、異常なほど個に徹するからである。文明人は組織人であり組織に入らない人は人間としてすら認めていない、・・・の会社に勤めていますとか、・・・・団体に入っていますとか、・・・・・の一員ですとか、それでその人間の何をかを見る。現代は組織に入らない人間は見えないのだ。組織人とは何らか大きな権力に従属する人間である。奇妙だが組織人には個としての顔もなければそもそも個はないのだ。彼の発言も行動も個としては何も存在しない、組織や団体には人間的なものがない、非情である、だから組織の命令で平気で大量殺人も実行される。ナチスにしてもそこには個人としての感情がなくなってしまっていた。事務員のように人間の命が機械のように人間の命が抹殺された。それはこの文明そのものが一つの巨大な組織であり機械となってしまったからだ。人間そのものが物ののようにベルトコンベア−に流れてくる、それがガス室に流れていった。人間も物か機械の一部になってしまっていたのだ。現代人と過去の人間自体が違ってきている。
「中世でもすべてが、多彩なかたちをとり、たえまない対照をみせて、ひとの心にのしかかる。それゆえに、日常生活は、ちくちくさすような情熱の暗示に満たされ、心の動きは、あるいは野放図な喜び、むごい残忍さ、また静かな心のなごみへと移り変わる。このような不安定な気分のうちに、中世都市の生活はゆれうごいていたのである。 」
(ホイジンガ−)
明治時代の人間はよく泣いたというのも非常に情的に感情的に熱いものをもっていた。それは現代とは環境も何かも違う世界で育ったからである。現代人と中世の人間と違うように原始人となったら全く違っていた。情感的に違うのだ。人間そのものの存在感が違うのである。これは「水平化」で現代人を批判したキケルゴ−ルも言ったことである。
戦争は人間が存在したときからあった。最初は個人と個人の喧嘩だった。それが部族同士の戦争になった。それでも戦争には個人と個人の戦いが基本だという認識があった。戦争の基本は一騎討ちなのだ。だから大将同士が戦いそれで勝敗が決することもあった。一騎討ちには潔さを認めるその当時の美学あった。つまり個人と個人が戦うことは極めて人間的なことだったのだ。だから平家物語であれ戦争は悲惨でそこに人間的なものがあり物語として伝えられたのだ。現代の戦争は個人はない、一騎討ちなどない、巨大な組織と組織の戦いである。個人が巨大化されているのはその個人が巨大なのではない、その背後にある組織が巨大なだけであり個人を抽出すればそれは別にロボットでもコンピュタ−でもいいくらいである。「俺の背後に何百万人の仲間がいるんだぞ、おまえは何人だ、一人か、話にならん」となる。こういうのにはもはや人間的なものはなにもない、人間的に最高に卑劣な奴になるんだが現実はそんな人間が偉大にされている現代の人間観の貧しさである。その最たるものがこの日本の社会きの深部まで手足となっしまった創価である。ただ創価だけを批判しても無駄である。これは文明社会全体の病理の一部として現れたものだからだ。結局、共産主義でもこれもまた現代を象徴したものだった。人間の巨大組織化でありそこで大量虐殺がおきた。現代の組織化の行き着く先はこうなるのだ。組織は恐ろしく非情であり人間味の一片すら抹殺してしまうのだ。
なぜニ−チェが犯罪者は衆になり群がる人間より未来があるとか、勇気があるとか言ったのか犯罪者も組織犯罪者ではない、個人でやればそれは何か人間的になるのだ。組織ではありえないことは犯罪にはある。何かの個人の不満であれ憎しみの爆発なのだ。これは毎日のようにニュ−スになっている。そこにはやはり人間の生々しい、感情の爆発がありそれが露骨にでてくるから人間的なものとして組織人は驚きあんなことやるなんてと顔をしかめるが今や犯罪には人間の抑えられた感情の爆発があるから組織人にはそれがニュ−スとして報道されると劇のカルタシスのように見ているのかもしれない、組織人は人間的感情が極端に抑えられているからだ。個々の犯罪が今や人間的なものの表出になっているという異常な現代人の姿にきづかないのだ。
この個々人の感情の爆発より現代人の組織人の爆発の方がものすごく怖いことである。それが現実化したのがナチスであり20世紀の国家的科学機械戦争であった。ここには昔の一騎討ちの戦いとかそうした人間的なものが欠落しているのだ。だから物語にもなりにくい、ただ戦車とか飛行機とか砲弾とか地雷とかそうした科学の兵器の前に無惨に人間の死体が物ののように投げ出されている。それが一番象徴的だったのが広島の原子爆弾だった。いづれにしろ組織人がいくら平和を唱えても組織人人自身が人間的感情もおさえられた非人間的存在でありそれがいつ戦争という口実で爆発するかもしれないのだ。現実にそうなったのが二十世紀であった。
自分としてはこうした非人間的組織に殺されるより個人の憎しみであれ何であれ個人に一騎討ちのようにして殺された方が納得がいく、「おまえは俺を憎んでいたんだな、おまえがオレを殺すんだな、よしそれもいいだろう、おまえに殺されてやる」と納得する。しかし組織人に殺されることは納得がいかない、その組織人は何者か全くわからないからだ。人間でないものに殺されるということは非常にいやなことである。そして組織人は人を殺したからといって罪に悩んだりして悔いることもないのだ。それは組織の一員としてやったことだからと正当化される。だから誰も戦争した人は悔いることはないし罪だなどども思っていないのだ。これは戦争した両方にいえることなのだ。もし個人が面と向かって戦い殺すなら何がしかの罪の意識が起こり悔いるということもありうる。しかし組織として殺すときはそうした罪悪感もなくなるのだ。これが組織人の怖さなのだ。本来もっていた個としての人間としての感情の喪失である。
いづれにしろ集団化組織化したところに宗教などないし人間すらいない、そこは一つの巨大な機械として機能する所であり人間はものも言えない部品である。宗教の前提となる人間すら存在しないところに宗教もなにもありえない、だからそこではただ権力や利権だけが問題になるのだ。そこには人間的交わりさえない、青年の友情とかそんな宗教で言う罪の悔い改めとかなんとかそんなもの皆無である。組織として権力や利権の追求意外のなにものもないのだ。これを何はばかることなく追求しているのが今の政権と一体となっているのが何よりの証拠である。もし人間的なものを強調すれば現代ではアウトサイダ−になるほかないというのが彼の結論だったし現代を批判した単独者の結論だったのだ。現代を適格に象徴した人間がニ−チェやキケルゴ−ルや上野霄里氏だった。現代とはこれほど自らの病理にもきづかない異常な世界になっているのだ。一方でこうしたアウトサイダ−は文字通りこの世の埒外の異常な人間としか見えないのも人間そのものの喪失によるのだ。今や人間はロボットに親近感を持つのも自分がロボット化しているから上野霄里氏などの人間そのものがありのままの原生人間が見えなくなっているのだ。何が正常なのか異常なのかすらわからなくなってしまった時代である。
国境意識 −キ−ワ−ドから探るインターネット
大陸の国境
万里の長城は延々とつづく
これは何なのだ
砂漠の果てまでつづいている
中国三千の歴史は国境作る
それは大地を区切り囲い込み
国家を作り守ろうとする執念
日本は海が国境でそれがない
大陸の国境は作られ死守されねばならぬ
国境を守るための戦いは繰り返される
国境には多大の犠牲が払われた
日本の歴史にその労苦はない
海が自然の防壁となり国境となる
それ故日本の防衛意識は薄い
国境を死守せねば国は攻められ蹂躙される
その恐怖があの万里の長城を作った
この西の果て「嘉峪関」(かよくかん)までつづいている。砂漠の中にその防塁が残っている。なぜかあそこに魏の国の遺跡があった。中国の歴史はあまりに大きすぎてわからない、あそこからは中国ではなくなるし遊牧民が攻め入った所だった。中国の歴史はモンゴルなどととの攻防の歴史だった。最初の国家自体、始皇帝自体が遊牧民の子孫とか言われるのもそのためである。つまり国家とは他国との攻防のなかに作られたのである。それが国境なのだ。
だから大陸では国境の意味は大きい、つまりその国境をめぐり多大の犠牲が払われたからだ。国境は自然が山や川があって国境になったとしても絶えず他国の侵入があるから人為的に守り作られてきたのである。日本にはこうした国境意識が希薄である。だから北方領土とか尖閣諸島など国境意識がないしそれを守ろうとする意識も薄い、大陸では国境を守ろうとする意識が歴史の中で培われてきた。島が一つの海に守られた国となると島には国境意識は醸成されない、ここがオレのシマだというときそれは動物の縄張りであり大きな国の国境を守る意識とは違う、非常に狭い範囲の縄張り意識なのだ。だから日本が大陸に侵攻するのはあまりにも無謀なことだった。中国のような大きな領土を守り国境を死守してきた歴史さえない国が大陸を支配しようとするのは無理だったのだ。
http://www.panda-style.com/dest/2002b/jiayuguan.html
日本は島国であり一般人には国内にいて漁師を除き国境を意識する人は殆ど無いと思う日本人は国外に出るには船・飛行機でしか手段が無いので「外国に来た」と感じても「国境を越えた」とは感じない。これは他の陸続きの国民と比べたら国意識がかなり違ってくると思う。
冷戦の緊張時には国境中立地帯を挟んで軍隊が睨めっこしている場所もあったのだ。現在でもそういう場所はある。朝鮮半島の板門店38度線、インド・パキスタンが良い例 国境間には地雷原があったりする。
そおいった場所には必ず政府機関の軍隊・警察が見回り警戒している国内で分かりやすい場所は大使館・米軍基地、あそこは敷地の内と外でハッキリと日本・外国と分かれている。侵犯した時点で日本の法律が効かない≪治外法権≫だ。
もし日本が陸続きであれば危機意識はかなり高かったろう、
外国に歩いていけるのだからその逆の外国から国内に侵入してくる事も可能なのだから・・・
まさに戦国時代のようにピリピリした状態が出来るのだからかなり違った
外国で普段感じない「日本人だ」という国民意識が出来たと思う。
国境意識というキ−ワ−ドが浮かんだのは自分自身が万里の長城から国境を考えたから国境意識というキ−ワ−ドが浮かんだ。インターネットは自分自身の思考を基にしているから何かそうした問題意識をもたない人は調べようがない、確かに国境と入れる人はあるかもしれないが国境意識というキ−ワ−ドはその人が関心がないと思い浮かばない、不思議なことにここに漁師意外は国境を意識しないというのは私も思った。現実漁師はだ捕されて北朝鮮やロシアにつかまった。とにかくこのように同じことを思った人がいる。つまりインターネット意識の共有というのがあるのだ。共通の認識の確認があるのだ。いづれにしろ尖閣諸島などどこにあるかわからない島に関心を持つ人は一般的にいないのだ。勿来は来るなかれで蝦夷が大和から来るものを攻めて来るものを来る勿れと意識した国境だった。万里の長城も来る勿れと意識した国境だった。封建時代は関所がいたるところにあり国境があったから国境のなんたるかを今より肌身で知っていた。日本人はそうした国境意識や防衛意識が薄いから簡単に他国に攻め込まれても不思議でなかったのだが島国で海に守られて安全だったのである。
スイスの国境意識について書いていた人がいた。この人は住んでいるから特にくわしい。言語がドイツ語とかフランス語とか三つくらい使うが言語が違ったから国境を意識するわけではないという。昔から住んだ土地が最初に意識される。スイスでは言葉が違ったから別な国という意識はないのだ。言葉の違いが国を分けるのではないというのも日本人からすると理解できないだろう。島国思考の日本と大陸思考のヨ−ロッパ人とは違うのだ。そして何より詳しかったのは産経新聞の国境は守られているかのデ−タ−ベ−スだった。稚内とか根室ではカニ漁でロシア人が大儲けして繁盛しているという。稚内にはロシア語の看板があったからそういうことだったかと思った。ロシアとサハリンに定期航路ができるらしい。与那国島では緊急の時、ヘリを飛ばすのだがいちいち台湾に連絡せねばならぬという。領空圏があるからそうなっているのだが与那国島がこれでも国境の島だということがわかる。台湾の密貿易が一時盛んでその時は一万以上の人が住んでいた。今は2千だから淋しい。島というのは貿易でしか栄える道がないのだ。新聞のこうしたデ−タ−ベ−スは役に立つ、有料の記事検索も役に立つかもしれない、他に尖閣諸島や竹島問題や対馬など国境は海で意識されるのが日本なのだ。陸では意識されないから関心が薄いのである。ただボ−ダレスの社会、IT社会がどういう影響を及ぼすのかわからない、言葉が障害になって外国の情報はまだまだ身近ではない、なんらかやはり何が重要なのか知らせる人が必要なのだ。
国境意識というキ−ワ−ドでABCというそれぞれの人間の見解がある。スイスの国境意識について書いていた人もいる。スイスでは言語でもなく昔から住んだ地域に第一の国境意識がある。「国境意識」というキ−ワ−ドで一つの見解をまとめることがインターネットでできるのだ。ただ著作権の問題があるがこういう調べかたにインターネットは向いている。これはインターネット的利用の仕方である。つまりインターネットは漠然とキ−ワ−ドを入れてもでてこないしうまく利用できないのだ。本の読み方とインターネットの読み方は違うからだ。
こういうふうに読むのも一つの利用の仕方である。確かにカテゴリ−ごとに俳句なら俳句を読むのもいいがこれもいいものがあるわけでないし選別されていない、このキ−ワ−ドから調べて自分なりに選別すればインターネットの利用が有効になる。
中国嘉峪関
http://www.panda-style.com/dest/2002b/jiayuguan.html
産経新聞(国境は守られているか)
http://www.aliceinwonderland.com/library/japanese_files/boundaries.html
スイス報告
http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/miya/bienne.html
大きい世代間の落差
ブラントを欲しくて女性が通り魔に・・・・
名古屋市千種区で今年4月、歩いていた女性(23)が刃物で刺され大けがをした事件で、被害者のバッグを持っていたとされる同市守山区の無職の女(38)=別の窃盗容疑で逮捕
世代の落差が大きい。戦前世代と戦後世代は落差がかなりある。母が糸取りという紡績工場で働いた。昼休み30分しかなくこの30分を休みたくて早くご飯を食って遊んだ仲間が早く死んだというのは信じられなかった。食事は味噌汁とタクワンくらいであった。卵は病気のときしか食えなかった。卵が贅沢品だったのだ!戦前は輸出産業は絹でありその収入が戦争の費用に使われた。だから全国に紡績工場がどこにもあったし山の村からも働く女性が求められた。それで女工哀史が生まれた。工場の環境が悪いので結核になりやすかったのだ。この世代は戦争も経験し戦後は食うや食わずのどん底も経験した。
これは別にその時だけでなく過酷な労働の歴史は存在したのだ。
実際、当時の「弱い子」の現実は、非常に過酷なものであった。子どもたちは、農村の貧困を背景に年季奉公のかたちで盛んに人身売買の具にされていたし、急速に成長した資本主義の要請に応え、都市では年少労働者として劣悪な環境の工場労働にかり出されてもいた。さらに巷間では子さらいや貰い子殺しなどの子どもの虐待事件が連日のように新聞を賑わせていた。
戦前は今のように精神的ストレスから虐待するより貧乏から売られるようなことがあった。今でも貧しいアジアの子供は学校に行けずに働いていたり売春させられたりする。
次にこの世代の子供が高度成長の時代だった。急速に高度成長が地方でも起こった。求人難であり中卒は金の卵ともてはやされた。同級生の半分くらいが東京の工場に集団就職した。この工場はかなり劣悪でもあった。大学時代川崎でアルバイトした先の工場は汚く工員は劣悪な環境で働き住み込みでそこも狭い部屋で労働環境は悪かった。中卒の人がクラスで半分くらいいたというのは今では考えられないのだ。親戚の女性も中卒であり今ではその子供が結婚して孫もある。集団就職した人もいたが自分のように私立の大学まで行けるようになった人も多くなっていた。田舎では大学に行く人は極端に少なかった。マンモス大学とかマスプロ教育とかでそれが一因で大学紛争のゲバ学生が生まれた。講堂に千人もつめこみ教授はマイクで講義していた。集団就職した一部のものと大学まで行ったものと落差も大きかった。
中卒の親戚の人は結婚してその子供はアメリカに留学した。この留学は金ばかり使って失敗したがアメリカに留学するなどこれも田舎ではめったにないことで大きな変化であった。軽く一千万以上はかかったのだ。一方は中卒であり一方はアメリカ留学である。これも「わたしアメリカに行くわ」の一言で軽く決まってしまったのだ。ここ十年の海外旅行ブ−ムと同じであった。高度成長時代の子供がバブルの世代の子供である。これは高度成長時代より金には困らない浮かれた世代を作った。ブランド欲しくて通り魔になったという35才くらいの女性はバブル時代にコンパニオンとしてもてはやされていたという。今でも親から20万くらい仕送りがありプランドを身につけ一人暮らししていた。そのバブル時代の華やかさが忘れられずあんな凶悪な犯罪を起こしたという。これも世代を象徴するできごとである。そもそも戦前時代は遊ぶことすら知らない、遊ぶことに金を使うことなとなかった。親に生活費として月給は支払っていた。
私の母は米10俵くらい月給代わりにもらい親に喜ばれたという。今でも遊ぶことに金は使わない、あっても何かあったときのため使わないのだ。遊ぶことを知らないのである。高度成長時代の子供からさらに次の世代となってゆくわけだが最近の世相をみると耐性がない人間がふえている。それはやはり若いバブル世代に多いと思う。欲望のままに突っ走る人間が多い、フリ−タ−とかヒキコモリの世代でもあるがこういうことは高度成長時代の世代とかさらに戦前の世代でも許されなかった。フリ−タ−は自分がそうだったがものすごい社会のプレッシャ−があり田舎でフリ−タ−であることは目立ちすぎて社会の埒外の異常な落伍者とみられていた。正規の職業につかないものに対する社会の見方は厳しいものだった。今はその数が多いのも仕事しなくても食わせられる親がいるからである。とうもかくこうした世代間の落差、同じ世代間の落差も大きいのだ。バブル時代の子供は相当にぜいたくしていた。それで耐性がない、なんかわからんがすぐに子供を作りまた離婚するような女性も多い。人間に耐性がないことは忍耐力が欠如することは犯罪も多くなるのだ。
こうして不景気になるとバブル世代は忍耐力がないから苦労がないから問題を起こしやすいし社会に対する甘いがあり社会を築く活力にともしいのだ。団塊の世代を常に攻撃しているのはこのバブル時代の次の世代の中間なのかこれらは不景気の就職難の世代である。これらの若い世代に豊かな時代のツケがまわってきて不満が大きいといえる。とにかく世代間、人間の育った環境には大きな落差がある。何不自由なく暮らすものもいれば食うや食わず育ったものもいた。その落差が問題をおこす。これからはどうしても高度成長やバブル時代とは違い忍耐力が要求されるから今までの華やかな時代の感覚ではだめだと思う。若い人にそういう自覚が欠けているように思う。どうしてももう高度成長やバブルの時代はこないしそうした繁栄はもどってこない、つまり忍耐力の必要な堅実な生活の時代に入る。そういう自覚がないまま過去の浮かれた時代の感覚は通用しなくなっているのだがそういう生活をしたものにはなかなか受け入れられないのだろう。
教会の牧師がセクハラで裁判に
熊本市の教会で、セクハラと牧師を提訴。
兵庫県尼崎市に住む二十代の女性が、勤務していた熊本市の教会で上司五 十代の男性牧師からセクハラ(性的嫌がらせ) を受けたとして、牧師に慰
謝料など千百万円の損害賠償を求める訴えを二十三日、神戸地裁尼崎支部に 起こした。
訴状によると、女性は教会に赴任直後の一九九八年三月、会合に出席中牧 師から「抜け出してよい所へ行こう」などと言われ、車でホテル街に連れて
行かれその後も「キスや抱擁はあいさつ」などと体を触られたりした。
女性は今年二月に退職したが、精神的苦痛から一時体調を崩し「キリスト
教信仰を伝える教育主事になる夢が牧師によって砕かれた」としている。
これに対して、訴えられた牧師は「女性を激励する際肩をたたくなどした
ことはあったが、故意に体を触るなどのセクハラ行為は一切ないなどとうそ
ぶいている。
今日朝日テレビの朝のワイドショ−で熊本教会の牧師がセクハラで教会員の女性から訴えら裁判にまでなったことを言っていた。この牧師はかなり権力をもっていてそういうことをした。教会の職務に採用する権限をもっていた。だからやめさせることもできるし自分勝手に採用することもできる。それでこういう強制的セクハラもすることができる。どんな人間でも権力を持つとその権力を悪いことに行使するから権力をもたせてはならないのだが悪い人間が必ず権力を持つようになるのだ。だからこの世はいつまでたってもよくならない、宗教そのものがカトリックの歴史のように権力を持った結果堕落した。第一宗教が権力を持つこと自体ありえないのだ。主キリストは家すらないホ−ムレスであり全く何の権力もなかった。宗教が権力を持った時点でそれはもはや宗教ではない、世俗的権力宗教となったのだ。
不思議なことはこうした権力を持った偽りの宗教者がもっとも宗教に引き入れることが熱心だということなのだ。これは党員とか会員をふやし勢力を拡大しようとするのであり本来の宗教とは違う。こうした人々は常にこの世に害悪を与えるものなのだがこれをとめることはできないのだ。人間が存在してからそれは変わらずこういう人間はいるしおそらくこの世が滅びぬかぎり存在しつづける。それがこの世なのだ。だから一見この世が大きく変わったように見えても人間そのものは以前として変わっていない、その欲も罪も同じように繰り返して輪廻してとまらないのだ。ただ悪が形を変えてこの世にのさばるのだ。
人間というのは善を行おうとして行えない、悪を行う方がずっと多い。むしろ善を行おうとするのではなく悪や罪から離れることの方がずっとむずかしい。この世にかかわること自体すでになんらか知らずに悪にそまる。この世の活動自体、経済活動でも利益中心主義となり悪になりやすいのだ。だから職業は業であるとインドでは考えた。職業にたずさわることを拒否して無一文の修行僧になった。これがやはり宗教の原点なのだ。宗教自体この世の欲の道具になってしまうからだ。
この世の力は圧倒的に強い。この世の欲はこの世が滅びない限りなくならないものである。人間が毎日祈っていることがすべてこの世の欲のためであり宗教団体に入っている人もほとんどこの世の欲のために祈っているのだ。商売となんら変わりないのだ。「拝んだらもうかりまっせ」と毎日すすめているのが宗教である。創価だけではない、他の宗教団体でも同じである。インターネットの創価の体験談でそれを得として語っているから奇妙である。競馬の騎手が拝んで勝つようになったとか一流の会社に拝んで就職できたとか得として書いている。最近は必ず商売している店に「幸福の科学」の本がおいてある。あれも執拗に成功するためにはどうするかの宗教だからやはりご利益宗教なのだ。宗教を求める人も欲のための宗教が多いのだ。でも反面失敗した人もかなりいる。そしたらその人はいくら拝んでも功徳がないとなる。宗教とは今やすべて世俗的成功のためにあるのだ。創価の場合は権力奪取を目的にしているから堂々と露骨にこの世の権力を我がものとしようとしている。それが世間に公認されているのだから自民党が補佐してやらせているのだから不可解なのだ。いづれにしろ欲に汚れた人間が宗教に導き欲のために宗教に入る。変な話だが人間の欲がある限り宗教はありつづける。もし人間の欲がなくなれば宗教もすすめる人もいなくなり自然と宗教が身についているともなるのだ。人間の欲を糧にして宗教が存在しつづけるというのも奇妙である。
「決して人々に害を加えない人、ああ、そういう人が一人でもいるならその人は必然的にどんな大きな善を行うことになるだろう」
ルソ−(エミ−ル)
このことが簡単なようで一番むずかしいのだ。善を行おうとして人は善を正義を行うことはできない、かえって悪を行うようになるのだ。自分の場合もそうだったから今では社会にかかわらず人に害を加えないように隠者になってしまったのだ。だから善を行おうとするものは善を行う必要はない、自らをつつしみ罪を犯さない、他人に害を加えないという心がけの方が大事である。必ず自らの欲によってセクハラであり何であれ害を加えるのが人間なのだ。人間は宗教によっても正義の名のもとにもどれだけ殺戮してきたか、20世紀の大量殺戮戦争がそうだった。むしろ封建時代の戦争は正義とか言わない、地域間の勢力争いであるからわかりやすいのだ。20世紀の国家同士の戦争は正義を唱えるからわかりにくくなるのだ。
正義とは関係なく自分達のの勢力拡大が戦争の目的であることは古代も今も変わらないのだ。勢力拡大とは権力の拡大である。権益の拡大につながるから国は拡大化、大帝国化を目指す、それはアメリカでも中国でも日本でも同じだった。その極端な歴史が黒人の奴隷である。弱いものは戦争によって奴隷にされた。スラブ民族とあるがスラブとはスレ−ブ(slave)であり奴隷のことだったのだ。ただ奴隷が今のスラブ地域から大量に連れてきたのでその人達をスレ−ブと言ったのであり自らつけた民族名ではない。奴隷にした他者がつけた名である。大陸では奴隷が常に存在したし奴隷なしでなりたたない社会だったのだ。征服されれば奴隷にされるのだ。今でも日本人が欧米人が金の力で貧乏な国で女性を性の奴隷にしているのも結局人間はそもそも変わらない、形を変えて同じことをしているのだ。中国でも金持ちはタイに集団で買春に行っているとか北朝鮮から脱北した女性が性の奴隷にされているというのも本当だろう。中国だって日本を批判しているが力あるものが弱いものを食い物にするのはどこでも同じである。つまり人間の欲は変わらないしその罪も繰り返しなのである。
文明の迷宮での人身御供
現代の文明とは迷宮である。こんな複雑な社会だから常に迷宮に生きている感じになる。誰もこの社会を見渡せるものはいない、クレタにあった迷宮は何であったのか、アテネに対して生贄が要求されたこと、迷宮では何か残酷なことが行われていた。それはかなり忌むべきものだった。迷宮から脱出することは至難であった。これが今の時代にあてはめるとこの頃起きる犯罪のおぞましさである。16歳の少女がで少年たちになぶり殺されたような事件は何なのか。なんらか悪の迷宮に入りそこで残酷な犠牲になった。まるでサタンの悪魔がするようなことなのだ。最近なんかこういう少年の残酷な事件が多い。オウムもまさにあれも迷宮だった。迷宮の中に閉ざされそこから脱出できず残酷な犠牲が人身御供が行われた。
例えば人身御供はクレタがかなり勢力があったから高度な文明があったから強国だったからアテネに対して生贄を要求できた。これは今の北朝鮮と同じなのだ。拉致された人はまさにアテネに要求したクレタ人の人身御供であった。前の戦争に因縁つけて人身御供にされたのだ。そして北朝鮮という迷宮で残酷なことが行われた。それらは行方不明であり脱出することもできず犠牲になった。まさに国家であれ文明であれそこは脱出不可能な迷宮である。アテネの英雄が剣と糸玉で迷宮から脱出した。どうしたら北朝鮮から拉致された人々を脱出させ救出できるのか、これが同じように課題となっているのだ。ギリシャの神話や伝説は不思議と現代の問題ともリアルに結び付いているのだ。剣は力であり糸玉は繊細な通信網みたいなものかもしれない、糸電話遊びなどがあるように情報をえることであり出口がその糸からたぐりよせられる、それは現代では情報をつむぐ行為ににているのだ。インターネットがまさに検索であれリンクであれこの糸をたぐりよせ紡ぐことににているのだ。
現代の宗教団体は迷宮である。どこの宗教団体も迷宮になりやすい、そしてそこから脱出するのは非常に困難なのだ。迷宮とは一旦入ったら抜け出ることがとんでもなく大変な所である。宗教を求めて宗教団体に入ること自体とんでもない間違いでありそれは恐ろしいことでもある。それを証明したのがオウムだった。あれこそ現代のクレタの迷宮だった。そこでは恐ろしい人身御供が成されていたのだ。都会そのものが巨大な迷宮である。だからそこでは犯罪を起こしやすい、そしてそれは迷宮入りになりやすい。クレタの迷宮は繁華な都会化していてそれで迷宮伝説が生まれたという。その迷宮の中では残酷な生贄がサタンに供される。サタンがそれを要求しているからそうなるのか、サタンなんか存在するのかというがこんな残酷な事件が次々と起こるのはやはり存在しているのだ。歴史でも残酷な事件はあった。闇に消えたものはいくらでもある。戦争で死んだものもこれまたやはり迷宮の中で犠牲にされた。現代の迷宮はクレタの迷宮よりとてつもなく広く深い迷宮である。こんな迷宮のなかで正しい進路を見いだすのはなみたいていのことではない、みんなこの巨大な迷宮にのみこまれてしまうのだ。
文明とは今や誰も脱出不可能な巨大迷宮である。宗教もそうだし学問そうだし科学も政治も経済も・・・・・・迷宮の中にあり誰もそれを操るものが誰かわからない、その迷宮の中で人身御供が生贄が供されている。医学にしても医療ミスで死ぬのも医学自体が巨大な迷宮になっていてそこでまさに人間の命が人身御供にされている。でもその迷宮を責めたり解明はできないのだ。医学にしても学問にしても科学にしてもそこから解明できない迷宮のなかに閉ざされている。研究すればすれほど謎が深まり迷宮深く入ってゆく皮肉である。つまりここに学問にしろ科学にしろ人間の成すことの限界が示されているのだ。人間が神の助けなしでやることはどんなに努力したって謎は謎を呼び迷宮になってしまうのだ。一つを解明するとまた新たな謎が生まれる。細菌も一つ解明したと思ったらまた別な変種が生まれたとか次々に新種の細菌が生まれ人類を襲うのだ。いづれにしろアトランチスが沈んだように文明も巨大な迷宮の跡ととして海に沈み地にその跡を残す、あとから来た人もただただ謎として解明できないのが人間の文明である。歴史も過去もまた迷宮である。始皇帝の地下の墓が観光用に使われていたがあれもまさに地下の帝国、迷宮だった。地下にまで一大帝国を作り守らせていたのだ。中国巨大帝国も常に迷宮であり闇である。権力を握るものは背後にいる。闇の中にいる。それを如実に示したのが天安門事件だったのだ。この世の闇は余りに深い、その闇は解明されない、地下にまで人間の闇の世界は広がっているのからだ。
エウロペを背にのせて海に入った牡牛は、やがてクレタ島に上陸し、ゴルテュンで自分の姿を現わした。それはゼウスであった。この大神はエウロペに恋慕して、策略を使って略奪したのである。エウロペは三人の息子を生むが、そのうちミノスがクレタ島の王となった。このミノスはポセイドンに供犠して、海底から牡牛が現われるように祈り、それが現われたならば、ポセイドンに捧げることを誓言した。しかし実際に現われてみると、その牡牛が惜しくなり、これを種牛として残して、代りに別の牛を犠牲に捧げた。この違約にポセイドンは立腹し、その牡牛を狂暴にし、しかも王妃パシファエの心に、この牡牛への欲情を抱かせた。パシファエは、名匠ダイダロスに牡牛の木型を作らせ、その中に身を入れて牡牛と交わった。かくて生れたのが牛頭人身の怪物ミノタウロスである。王はダイダロスに迷宮(ラビュリントス)を作らせ、そこへ怪物を閉じ込めておいた。 ところで、この怪物のために毎年アテナイから海を越えて七人の若者と七人の少女が献ぜられて、その餌食にされたが、アテナイの英雄テセウスが自ら志願して、この貢納の若者に加わり、クレタ島へ送られてきた。 ミノス王の娘アリアドネがテセウスを見るなり恋慕して、秘かに剣と糸玉を手渡した。 迷宮へ入れられたテセウスは、この剣でミノタウロスを殺害し、入り口から張っておいた糸(これが毛糸である、つまりクレタ島の主要産品)を頼りに、無事に外へ脱出することができた。 そしてアリアドネを連れて島から逃げ出し、途中ナクソス島に上陸したが、そこに熟睡するアリアドネを置き忘れて、テセウスは帰国してしまう。その後アリアドネはディオニュソスに救われて、その妃となり、不死の身になったという『神統記』
世界ウルルン滞在記 エーゲ海の家族船
このテレビは面白かった。地中海というのが海をテ−マにして書いていたからだ。漁師を悩ませているのが網をひっかけて困るのが遺跡だというのはいかにも地中海らしい。その遺跡はビザンチンの遺跡だった。地震で海に沈んだのだ。アレキサンドリアもそうである。地中海はかなり地震のあるところだった。地中海にひかれるのはそこは文明の十字路になっているからだ。海は常に文明が交わる海だったのだ。ただヨ−ロッパの歴史は複雑でわかりにくい、特にビザンチンというのもわかりにくい、海が荒れて漁に行けないとか地中海はそんなに魚はとれるところではない、黒潮の海などとは違う。だから生活もできないから息子は漁師をやめることになる。それを悲しんでいる親父がいる。これは世界中どこでも同じである。地中海はそもそも漁業するには魚の少ない海だったのだ。もちろん昆布などもとれない、海の幸には恵まれていない、通商で栄えた海であり漁業ではない、ヨ−ロッパ自体富んだ土地ではなかった。文明はそもそもメソポタミア、バビロンが一番古いとするとその道筋から文明が伝播したからヨ−ロッパが最終的に世界を導くようになった。地中海は文化や文明が交わる海として大きな意味を持っていた。ちょうど地中海は人間の庭のような海であったのだ。この海を舞台に文明の国家の興亡がありここで勝ち抜いたものが覇権を得ることができた。主導権を握ることができた。
ではなぜエジプトがあれほどの文明を築いたのに地中海にでなかったのだろうか?ナイル川を行き来する大きな船も造っていたのである。エジプトが地中海にでたのはロ−マが来たときでありそれは最後の王朝のクレオパトラだった。彼女は船団を組みアントニウスと一緒になり地中海で戦った。ロ−マと組んで初めて地中海に乗り出したのだ。しかしこの海戦にあえなく敗れエジプト王朝は終わった。アレキサンドリアはその最後の都であったが地震で海の底に沈み最近その跡が発見されている。エジプト王朝と地中海が結び付かないのは船の技術というよりエジプトが巨大な農業国家で生産が安定していたからというのが大きな理由になる。中国も巨大な農業国家であり安定する。確かに三国志のような覇権争いがあっても遊牧民よりは安定しているのだ。遊牧民は持続した国家はない、その国境も実際ない、一時拡散したと思ったらたちまち消えてしまうのだ。モンゴルがその例である。遊牧民の国家は持続性がないのだ。
なぜ中東が絶えず混乱しているのか、やはりもともと農業国家でないため歴史的に継続された国家がないのだ。砂漠は遊牧民の棲家でありもともと国境がない世界なのだ。つまり安定した持続した国家が保たれない世界なのだ。遊牧民が地中海にでて船乗りに商人になったというのはうなづける。シリアからフェニキア人が地中海にでた。もともとそこは隊商の行く道と通じていたのだ。エジプトではなくシリアだったということはそこはシルクロ−ドやバビロンなど最古のメソポタミア文明と通じていた世界である。そこに最古の文明の道があったのだ。遊牧民と海洋民は月と星が旗印になるごとく方向が大事であるから北斗七星の北極星信仰も共通のものとして生まれた。
とにかく地中海だったら本物の遺跡に出会いるのだからダイビングは面白いだろう。現実それを売りにして観光客を呼んでいる所もあるだろう。島でも海の底でもヨ−ロッパの魅力は遺跡があり昔を偲べることなのだ。歴史をたどることができ歴史を身近に感じるのだ。柱一本でも残っていれば昔を想像で偲ぶことができるのだ。だから地中海とかヨ−ロッパでは歴史の知識が必要である。遺跡から過去が実体あるものとして浮かんでくるからヨ−ロッパでは歴史に興味がわくし歴史が未だに現実のものとして生きていることを実感するのだ。まあ、これについてはもっと詳しい情報を知りたい、あの辺鄙な漁村から浮かんでくるエ−ゲ海の一断片は一つの物語であり詩であった。トルコにロ−ドス島からわたったときそこにも要塞かあったがそれが何の要塞かわからずしまいだった。インターネットの自体はテレビの番組でも一方的ではなく視聴者が参加し語り合いさらに詳しく作り直すとか一回きりで終わらない、インターネットの中で番組のつづきが延々とあるのだ。すべてのことについて興味を持つことはできないにしてもあることに興味を持つ人はいる。もっと詳しく知りたい人はいる。
いづれにしろヨ−ロッパの歴史は日本のように単層の歴史ではない、世界史を要約したような重層の歴史である。そこがやはり興味が尽きないのだ。イスラムは今は対立しているが実際は宗教にしても一神教であるからアブラハムを始祖としているからつながっている。ルネサンスはまさにそうしたイスラムの文化の影響もその中に組み入れられて荘厳なものが再生されたのだ。総合的に連関することにヨ−ロッパの歴史の重みがあり再生(ルネサンス)が起こってくる。それは強力なシステムが構築される。それはやはり石だから歴史の中で消えないで残るから再びその散らばっている一つの石でも見直され歴史が再確認、再生されるのである。石は消えずに過去に対しても未来にも明確な形を提供する。ヨ−ロッパの歴史の強固さはやはり石の文化にあるのだ。
トルコエ−ゲ海の漁師
エ−ゲ海のトルコの沿岸に漁師あり
海にビザンチンの遺跡沈んで網にひっかかると
そのごとく地中海に遺跡は消えず殘りぬ
まさにそのことが歴史の証ししつこく残る
その遺跡の石のかけらから歴史は再び浮上する
ビザンチンの遺跡の石もまた海に沈んで重し
ヨ−ロッパの歴史は地の底からも海の底からも
延々と語りつづけて終わらじ
海の底にも教会の鐘は厳かに鳴りひびく
魚はとれず漁師はやめるとしても
遺跡は海の底にも歴史を残しぬ
アトランチスは最古の文明や海に沈みぬ
エジプト王朝最後の都も海に沈みぬ
アレキサンドリアのその海の底に
ビザンチンの輝きも海に沈みぬ
トルコのエ−ゲ海の辺りに
その遺跡は沈み過去の栄華を夢見ている。
しかしその石の断片、コインの一つ
それはヨ−ロッパの歴史を語りつづける
一つの石の断片にコイン一つに
ヨ−ロッパの歴史は凝縮されて語りだす
その物語は延々とつづき尽きることはない
その長い歴史の延長上にヨ−ロッパは生きる
再構築される聖堂
埋もれたる一片の土台の石
それは捨てられ忘れられ虚しきものや
さにあらずそは埋もれたるにあらじ
新たな再生の日を夢見ている
再び壮大な建築の中の一つの石として
確かに組み入れられて構成されぬ
一つの石とて埋もれるにあらじ
遠く分散し離れしも一つとなる
荘重な大聖堂の中に組み入れられる
遠き過去も現在と強固に結び付き
それらは集められ新たに再構築される
強烈なる一なる神の大聖堂として
石は再構築されて主への讃歌の声を聞く
...........................
時とともに重みが加えられる
時とともに意味が深化してゆく
時とともに大地に深く根づく
..............................
still valued one with time
still profounded value with time
still rooted one with time
..........................
一つとして虚しき石にあらじ
再生の日に石は集められ荘厳に再構築される
戦いの日はやみて平和の栄光の聖堂は
さらに輝きをまして再生する
文明の十字路−地中海(詩)
グロバリ−ゼ−ションの歴史
交渉では、メキシコの主要輸出品である豚肉をはじめ、日本が課している農産物関税の扱いが最大の焦点となった。日本の譲歩案は、現行で4・3%の関税が課せられる比較的値段の高い豚肉をメキシコに対しては2%程度の低率関税にする内容。年間7万−8万トン程度の対日輸出に適用する。
芸術や福祉や教育は宗教もそうだがこれらは経済原則と反するものである。報道や出版もやはり経済原則と反する。利益第一主義だけではやっていけない、資本主義はどうして利益第一主義になる。文化とはそもそも経済原則からだけ生まれたのだろうか?宗教から生まれた大聖堂は経済原則とはまるっきりちがう動機から生まれた。仏教文化もそうであ。経済原則とは全然違う動機から生まれたのだ。グロバリ−ゼ−ションとは何か、それは経済原則が優先することなのだ。そこにある地域の文化を根こそぎ破壊する強力なものである。文化がカルチャ−、耕すものであるとするとその地域地域で地道に耕す行為が文化であるとするとグロバリ−ゼ−ションはそうした地域の生産体系とかを根こそぎ破壊しかねない。現実にコ−ヒ−とか紅茶とか商品作物だけを栽培させられ身近に食い物がなくなり飢饉になった発展途上国がある。世界が分業化させられるてしまうのだ。その中でやはり富める国、強い大きな国はその富を独占する。
しかしこのグロバリ−ゼ−ションは今に始まったことではない、歴史が始まってからグロバリ−ゼ−ションは常にあったしそれが文明だったのだ。この地球が丸く一つだということが大航海時代でわかったがその時香料と同じように砂糖が非常に重要な商品となった。砂糖はそれまで薬くらいにしか使用していなかった。この砂糖の生産のためにサトウキビ畑で働かせるためにアフリカからカリブ海などに黒人奴隷が使われたのだ。その後サトウキビはキプロスとか地中海の島でも作られるようになった。日本でもサトウキビは中国から伝わり沖縄の主要生産品となり薩摩がそのサキウキビに税をかけて財政を豊かにして後の倒幕の財力の源にもなった。砂糖という商品によって世界がグロバリ−ゼ−ション化されたのだ。それで割りを食ったのが黒人であった。今度は紅茶とかコ−ヒ−でグロバリ−ゼ−ションが起こり以前として黒人やその生産にたずさわるものは貧乏な弱者になっている。グロバリ−ゼ−ションの問題はその他いろいろある。最近日本に来たメキシコの外交官が豚肉をもっと買ってくれという、日本の自動車などの関税なしでの輸入に踏み切るには豚の関税もなくしてメキシコの豚肉をもっと買ってくれという。これも当然な要求である。自動車が欲しくても相手にしてみれば売るものがないと買うこともできない、貿易は成り立たないのだ。
例えばnhkで放映した「人は何を食って来たか」で見たのだが、ある島に移住してきた人達が鯨とりをして生計をたてている。一方もとから暮らす人は山に棲んでいた。その二つの集団が一つの島で争わず暮らすには鯨がとれたら山に棲む人にもその分け前をやるのだ。それは一つの決まりの儀式となっている。山の人も鯨がとれるように祈るし海岸で暮らす人も鯨がとれたら山の人に必ず分け前を与える。それが一つの島の中で異質な人達が調和する知恵であった。そこには経済原則は働かない、島の中での助け合い共同が優先されるのだ。日本でもなぜか山の神にオコゼが捧げられる。これも海の人達が山の人と交流して共同して行く過程で生まれたものだろう。つまり現代のような一挙に地球の裏側まで飛行機で行ける時代とは違う。その近辺から無理なく人間の生活は拡大して結びついたのが歴史だった。だからそこには互いに共同するための知恵が徐々に形成された。ところが最近は大きな捕鯨船で鯨をとるようになると鯨がいなくなるということで昔から鯨とりで生活していた人達は抗議している。自らもそれでは鯨がいなくなるからと捕鯨船での鯨とりはしない。しかしこうした生活もこのように破壊されてゆくのが現代である。地域の結びつきがグロバリ−ゼ−ションで破壊されるのだ。
伝染病がなぜ起きるのか、梅毒 歴史とキ−ワ−ド入れて調べたら結構詳しくでていた。一部は本にもでていたがこうしたことは今ではインターネットがくわしい。医者が直接書いているからだ。
カリブの地方病と推定される梅毒はコロンブス隊の船乗りだった。スペイン支配下のナポリにも伝わりフランスの遠征軍がナポリにきてもちかえりフランス兵はこのやっかいな文明病を「ナポリ病」となづけた。ナポリには娼婦があふれていた。これは船乗りのからだとともにアジアへもわたった。日本に渡来するのは種子島にポルトガル人が日本に来るより早い1512年である。
これでわかることは伝染病は飛行機の時代でなくてもすごいスピ−ドで伝播するのだ。そして一番栄えている文明都市にでてくる。香港や北京がそれを象徴していたのかもしれない、これはもう繁栄を追求すれば不可避的に起こるのだ。戦争中も兵隊はかなり梅毒にかかったのだ。そういう人を近くで知っている。なんか頭がおかしくなって死んだ。この梅毒の病原菌のスピロ−ヘ−タ−を南米で発見したのが野口英雄博士というのも興味がでた。
今はエイズであるがこれも相当に地下で蔓延しているかもしれない、潜伏期間があるからわからないらしい、中高年にもかなり広まっていると忠告があった。なぜかアジアの買春で病気ももってくるのだ。売春婦はエイズにかかっている割合が大きい。タイのチェンマイなどでは20パ−セントがエイズもちだとかこれは中国でもエイズの方がずっと蔓延して万単位の人が死んでいるとかエイズの方がずっと怖いのだ。中国では将来一千万人がエイズになるといっている。チェンマイなどは日本人の中高年に人気らしいがこういう所はまた売春地帯になっている。繁栄しているところはルネサンス時代から娼婦のたまり場になる。船乗りで港は娼婦で繁栄するのだ。これは万葉時代からいたらしい。その歌まで残されているから優雅であるが実に古いのだ。これは人間の業なのだ。説明つかないしその原因もワクチンも作れない、新たな病原菌がまたどこからか生まれてくるのだ。グロバリ−ゼ−ションとは欧米化でありそのために黒人やインディアンや南米のインデオなどが塗炭の苦しみを受けることになった。グロバリ−ゼ−ションは今の問題ではなく歴史的に継続された問題なのだ。
いづれにしろ経済原則だけで国内であれ世界であれグロバリ−ゼ−ション化することは問題が噴出する。それがテロとなって現れたのだ。もっともグロバリ−ゼ−ションを感じるのは極端な金の差、為替の差のある国である。そこでは5ドルで未成年者の子供が性の奴隷にされている。グロバリ−ゼ−ションの弊害がそういう所に極端な形で現れたのだ。つまり豚肉を買ってくれとメキシコから来るように売るものがないからそうなってしまうのである。いづれにしろ国内であれ世界であれ経済原則だけのグロバリ−ゼ−ションは大きな問題をはらみ世界を混乱させるのだ。
長いトンネル (原町−浪江(津島)−二本松へ)
自転車で二本松まで行ってきた。山木屋で暗くなり帰りは津島から浪江の道をひたすらくだった。途中原町に行く長いトンネルを出て横手のダムを通り原町に帰ってきた。夜にあの新しくできたトンネルを通ったらずっ−と遠くまでトンネルの中を明かりが照らしだしている。あのトンネルは相当に長い。一日中あういうふうにトンネルの中は明かりをつけっぱなしにしていないといけない、電気代もかかる。あのトンネルの工事には相当な金がかかった。しかしこれは私見だしどういう理由で作られたのかわからないがそんなに経済効果があるのか疑問なのだ。あれだけのトンネルを作る、作らねばならぬ理由があったのかどうかわからない。そもそも今は山の暮らしというのが何か具体的に思いつかない、松茸が山の人は固まってある所を知っていて金になるんだよとかいうけどそれで生活が成り立つことはないし今は山間の狭い畑で稲刈りしていた。米にしてもどれだけとれるのかたいした生活の足しにもならない、あんな狭いところでも減反の田があったりする。何か生産というのか暮らしの匂いが希薄になっているのだ。
例えば長野県の山中を明治時代ころ旅した人が書いた絵つきの本を読んだら炭焼きの人が炭俵を背負ったりして次々に出会ったと書いている。炭焼きで山はにぎわっていたのだ。その他養蚕が大きな産業となっていた。だから家の作りが二階建てで上はカイコの部屋だった。下は馬小屋になっていた。これは町でもそういう家は農家であれば近くにあった。私の家の近くにもあった。生糸は輸出のために日本全国で盛んであった。二本松へ行く所も結構山深い所だった。かなり山を登ったり下りたりする。そこに点々と農家がある。でも山は今どこでも過疎であり生活の匂いが希薄なのだ。木材にしたって輸入材に頼るとなると一体山の暮らしはどこにあるんだろうと外部から見ても何か淋しいものになるのだ。
そんな所にあんな長いトンネルを作っても何か物流が盛んになるとか経済が活性化するとかがあるのか疑問である。公共事業については前も書いたが地元の人すら疑問に思っている人が多いのだ。誰も通らない山の中に歩道を作り街燈をつけているのも無駄である。電気代を節約しろというがそれ自体かなり電気の無駄である。あの長いトンネルにしても通る自動車は少ない、危険を感じないから自転車でも自動車の通る所を走っている。こういうトンネルは全国各地で作られたのだ。トンネルが多くなったから山に行くのには便利でもそこでレジャ−に行くにしても何か経済を活発化することがあるとは思えないのだ。阿武隈の山の中にもライダ−ハウスがあったのには驚いた。これも時代なのかもしれない、ライダ−ハウスのようなものがあると自転車の旅行でも金がかからないから便利である。これも実際は全国で増えているのかもしれてない、安上がりの旅をしたい人が増えているからだ。それから今回一番にぎわっていたのは戸沢という阿武隈高原駅という道の駅だった。観光のバスやらでごったがえしていた。注文が多かったのはリンゴである。安い福島産のリンゴを土産に買っていくためだろう。これでわかることはリンゴとか果物が山の生産物として一番の売りでそこに山の暮らしがあるとなっているのが現代かもしれない、米は安いが果物はそれなりに金になるから生活になるということである。
今回どういうわけか「細田 」に行く道をたずねて細田というのは日本特有の山間にある細い田であることに気付いた。細田といえばどこにでもあり姓にも多い。でもこれは日本を象徴したものだった。いかに細田、つまり細い田が多いかなのだ。つまり山間の山と山の間の細い田で米を作ってきた。何か日本の土地のなさや生活を集約したようなものが細田だったのだ。他に山田とか前田、門田とか田のつく名前には日本を象徴しているものがある。前田といえば家のじきまえの田で一番いい米がとれる所だった。それから今回泊まった二本松の宿の米はまずかった。一般的に宿ではいい米は食えない、日頃うまい米を食っていると特に感じるのかもしれない、旅ではいろいろ感じることが多くなる。
刈り入れや細田のあわれ夕暮れぬ
阿武隈高原の秋(写真集へ)
近くの88歳の医者の死
すぐ近くの医者が88才で死んだ。家のものが毎日この近くの医者に行っていた。そこは老人専用の医者になっていた。老人の病気は治らないから毎日通う人もいるしみんな知っている人でありその治療も看護婦はわかっている。だから医者はカルテを書くだけで注射は看護婦がやっていたのだ。注射もできなくなっていた。それでも医者はつづけることができた。近くに医者がいなくなると困る。大病院だけでは困るのだ。でも医者は誰にでもなれないし跡継ぎもいないから困る。88歳までできたのは実際は看護婦の力だった。それ以上にそこでは老夫婦二人だからその婦人のほうも病気で動けなくなっていた。それで看護婦とお手伝いさんでやっていた。実質は看護婦とお手伝いさんで支えられていたのだ。こういうことは他でもある。社長でも名目だけで実際支えているのは下で働く人や裏方でである。こういう人は目立たないけど実質的に支えてきた人達である。社会そのものがこうした裏方によって支えられている。ただ見えるのは目立つのは表に立つのは上の人だからそれらの人が見えないのである。
それでも医者をやるには看護婦だけではできないのだ。医者という資格を持った人が名目上でも必要なのである。誰にでもなれるものとなれないものがある。医者は誰にでもなれないから跡継ぎいないと困ることになる。町内にはあるが歩いては遠いからめんどうになる。自転車にも老人は乗れないのだ。医者は近くにあると便利である。近くに必要なのである。でもどうしようもない、老人社会を支えるのが医者であることを示している。医者が近くにない地域は老人にとってはかなり住みにくい所になるのだ。ただ町内には医者があるのだから医者のない過疎の地域よりは恵まれている。
自分の家でも子供のときからホ−ムドクタ−となっていた。ただ口が悪くずけずけいうので嫌い去って行った人も多かった。ただ老人は毎日近くだから通う、心臓悪い家のものは毎日通っていた。それでまわりのものががっかりしている。だからみんなまわりのものはここの医者に通っていたものは惜しんでいる。考えてみればこの年まで現役で社会の役にたっていたことは幸せだった。88まで現役で近隣からも必要とされている人は社会ではほとんどない、みんな現役を引退している。
この年までこのように社会に必要とされていること自体幸せであった。ただ本人はそれは意識していなかった。金は相当に残した。それも普通の額ではない。こうした財産を残すと子供による財産争いになったりする。財産こそ目当てになってしまう悲しさがある。しかしここの医者は死ぬまで医者でありつづけた。ありつづけられたことは幸せである。死ぬまで地域で役割があり存在感があったのだ。その役割をもたされている方が人間にとって大事であり幸せなことである。とにかく惜しまれて死ぬ人は少ない、やっとやっかいなのがいやなのが死んでくれたなと思われる方が多いのだ。親族だって早く財産を使いたいから親に死んでくれと思っている人も多いしそう思われるのが長寿社会ではその方がずっと多いのだ。つまり権力を持っているものは権力を惜しまれ争いになる。ヤクザでも跡目相続で争うし江戸時代なら侍は世継ぎをめぐって争うことになるし宗教団体でもそこは巨大な権力をもっているからカトリックでも常に跡目相続で血なまぐさい争いがあったのだ。この権力と関係せず惜しまれる人はその権力故ではなくその人自身がもっているもので惜しまれるのだから幸せである。
天職を持ち天命を全うすることは最高の幸せである。金は二の次にしてそんな生涯を送れる人はほんのわずかである。このことは意外と本人も気付いていないのだ。金がどれくらいとれるかでその職がいいかどうか判定される。ところが医者はそれだけではない、みんなに惜しまれれて死んだのは医者として最高の幸せだった。しかし本人はそれに気づかす死んだ。あまりに死を意識する前に死んだのだ。昨日まで診療していたからだ。本人も死を意識する時間がないうち、あっというまに死んでしまったのである。
とにかくその地域でなくてはならないもの、なくてはならない人間、そんな役目をもたされている人はまれである。そんな存在感をもたされている人はやはり例え金にならなくても幸せである。例えばス−パ−のレジの人なんか誰がやっても同じだしその人でなければできないというものではない。その人でなければできないものをもっている人は幸せである。ある人は歯医者だが入れ歯はそのひとでないとできない技能をもっていた。それは器械がなくても手作業で合わせていたのだ。そんな人はめったにいない、それで入れ歯が合わないと悩んでいるがもはやそんな上手な人がいないから惜しまれている。その人でしかできないものをもっている人は惜しまれる。その人が死ぬとそれを継ぐ人がいないからである。いつでも機械が発達しても絶対に手術でもなんでもその人でしかできないものがあるのだ。機械はあくまでも道具だからである。
いづれにしろ死はありふれたことだが死というのはなぜかくも人を呆気ないものにするのだろうか不思議だろう。昨日存在していた物が呆気なく消えてなくなる。それに唖然としてしまう。こんなに人間の生があっけないものなのか、おそらくこれは王様でも皇帝でもみんな死ぬときは呆気なく死んでしまうのだ。この世に死ほど不可解な奇妙なものはないのだ。生というのが完全に死をもって断絶する。でもそれは本当なのかどうか、この世の生は死をもって完全に断絶するのか?それはわからない、宗教的には継続して神によってその罪が裁かれるとなる。死をもってすべてが断絶するならこの世でしたい放題のことをして罪を犯しても別にかまわないとなるからだ。しかしこの罪も何が罪なのかわからない、この世の善人とか地位あるものもあの世では全く違うかもしれない、それは神のみぞ知るである。
それにしてもインターネットの不思議はこうした近くの一人の死について語れることである。新聞には一行くらい死の報告はでる。しかしその人がどういう生を送ったかなどは一市井の人は書かれない、それがこうして近くの一市井の人の死についても書かれるのがインターネットなのだ。これも時事問題であり一つの自分にとってかかわりある事件だったのだ。事件とは常にそれぞれがその地域地域で個々にもっているのだ。マスコミで報道されるだけが事件ではないのだ。とにかくここの医者一人の死はこの辺では大きな事件だった。
秋雨や惜しまれ死にし医者の家
テレビでやっていたが看護婦から見て嫌な医者とは
1、看護婦を見下す医者、使いパシリする医者
2、金に汚い医者
3、患者に冷たい医者
看護婦はやはり良く医者を見ている。こういう医者が多いからではないか、看護婦と医者の給料の差も同じ職場にしては天と地くらい差があるから不満がでてくる。ただ地域の医者やホ−ムドクタ−はこうならない、親身に診てくれるのだ。そこが地域の医者やホームドクタ−の違いなのだ。homeはドイツ語でheimであり村のことだった。ホ−ムとは自分の住む地域でもあったのだ。この地域というとき医者というだけでかかわらずその地域全体とかかわることがある。地域とは山とか森とか川とかその大地に根付いた生産とかかわる全体にある。地域の重要性はそこにある。その全体によって養われるのが人間なのだ。それがグロ−バル化でその地域がズタズタにされてしまった。地球の裏側から魔法のようにぽんとバナナがでてくるのだからこのグロ−バル化は人間の生活する感覚を越えたものでありだから問題が起きるのだ。
民主主義は民が主であること
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕えるものになりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり・・・・マルコ10:43‐45
今回の近くの医者の死で考えさせられたことは人間には仕事が役目が与えられることがいかに大事かである。父親という役目があるがこれは子供がいるから父親でありうる。子供がないなら父親や母親でありえないのだ。すると実はその役目を与えてくれた子供に感謝すべきなのだが父親とか母親はそんなふうには絶対思わないのだ。医者というのも患者がいるから医者でありうる。お医者様でありうるのだ。医者という役目を与えているのは患者なのだが医者が患者に感謝するとか絶対にないことである。常に上に立つものとして見下ろしている。これはいろんな社会生活でそうなっている。先生だって生徒がいるから先生でありうる。ということは生徒がいることに感謝する必要があるのだ。しかしこんなことを考えることさえしない。実際生徒がいることはありがたいことなのだ。塾の教師をしてみればわかる。生徒が来ないことがあるのだ。学校のようにいつも生徒がいることはありがたいことでもあるのだ。そうなると犯罪人がいるから警官がいる。警官は犯罪人に感謝しろというのかとなるがそれもいえる。なぜなら天国では警察は必要ないからだ。犯罪人はいないから必要なくなるのだ。
政治家にしても本当は庶民の上に立つものではなく庶民に仕えるものである。民主主義では選挙のときだけでも頭を下げるからいい。これが共産主義国家やファシズム国家、北朝鮮のようになると民主主義のような政治家でも民衆に仕えるんだということならない、遂には一人の人間が神のようになり民衆はその奴隷にされてしまうのだ。現実宗教団体ではそうなっている。例えば池田大作が一信者に語りかけ頭を下げることなどありえない、常に一団高い檀上からしか話しかけない、つまり雲の上の存在なのである。個人が悩み事で手紙を出しても答えない、いつも大勢の集まる檀上からしか話しないのである。話するというよりヒットラ−のように号令する。第一何百万人を相手にするにはそれしかない、宗教団体の会長などは権力をもっているとまるで神のように祭り上げられて近づきがたいものとなる。選挙にしても宗教団体は信者の意向は無視して上のものによって決められるのである。信者に選挙の選択権さえなくなる。公明党は自民党がぴったり票を出してくれというのもまさに選挙のために組織ができあがっているためである。
イスラム教も祭政一致だから政教一致だから聖職者は権力と聖なる権威を一体化するからそこには民主主義などありえないのだ。聖なる権威のもとに民衆を奴隷のように見下ろして支配するのである。イスラム社会がなぜオスマントルコのようにスルタンとか王族支配でまるで時代がとまったようになっているのも政教一致であり民主主義がないからである。キリスト教も最初の団体は国家とはかかわらなかったが数がふえると国家とかかわり世俗化する。そもそも世俗の力がずっと強いのだから数をふやすこと組織化することは厳しい戒律などない方が都合がいいのだ。イスラムというのも実は非常に世俗化した宗教だから戒律なども実際は断食があってもそれは一時的な習慣であり祭りになっている。つまり断食したあとその穴埋めにがつがつ食っているのだ。断食はお祭りであり断食開けで食い放題になる方が目的なのである。断食で身を清めるより食欲を増進するために断食しているのだ。これが世俗化した宗教の現実なのだ。禁欲は確かに戒律としてして酒を飲まないとかあるけど厳しいものではないのだ。偶像崇拝は禁止してもその他は自由なのである。それでなければ世俗生活自体成り立たないからだ。
つまり宗教は地の塩たる修道院に入るような一団がいるとき社会を導くものとなるがあとは世俗化の運命にありその味を失う、宗教性は失われただ世俗に国家に仕えるだけになるのだ。聖と俗は永遠の対立関係にある。聖が俗になったら何の意味もない、宗教の意味もない、現実はだからそうなっている。そもそも大衆の低い要求に答えること自体おかしなことである。文化にしても芸術にしても高遠なるものの深遠なるものの追求は孤高にならざるをえないのだ。大衆の要求に答える芸術は芸術でなくなっている。それはコマ−シャリズムの芸術になっているのだ。視聴率だけをあげる報道も真実を伝えない、ただひたすら大衆に迎合する報道になっている。その大衆にしても報道に真実を求めている。だから2ちゃんねるのようなものでもマスコミを批判している。大衆側も矛盾しているのだ。本当に真実を求めるならそういう行動を起こさなくてはならない、報道というのもそれを受ける側が育てるものでもあるのだ。だからこれからはどうしても巨大企業や組織のスポンサ−のない報道を育てる必要がある。それはやはり有料になってしまう、インターネットでは低価格でそれができるからである。大衆側が本当に真実を要求するならそれが切実なものとなるならば報道も変わらざるをえない、現実大衆にそれほどの要求がないから変わらないともいえるのだ。
民主主義とは民が主になることであり上に立つものが主になることではない、アメリカにもいろいろ問題があるが一平民のリンカ−ンが初代大統領になった。このことは出自にこだわらないアメリカの歴史でありアメリカ人がその上に立つものでもあくまでも民が主になる社会を目指していることなのだ。ソビエトとか中国とか北朝鮮など共産国家も実は民が主になる世界を目指したのだが結果的にそうならなかった。上に立つものが特権階級になってしまったのだ。階級を打破するための革命がもっとも厳しい階級制を作ったとういのも皮肉である。これは今でも中国でも共産党の幹部は上にたって特権を享受できるものになっているが下の民衆はみんながそうなっていないのだ。共産国家とかファシズム国家は極端な独裁国家は北朝鮮のような貧しい国に起こりやすい。貧しい国の体制なのだ。自分達が貧乏なのは資本家、金持ちのせいだとなるとわかりやすいのだ。ところがみんながある程度平均して豊かになるとそういう不満はなくなる。だから問題は階級闘争でもなく全体を豊かにすることこそ第一でありその体制はどっちでも良かったのだ。白い猫でも黒い猫でもネズミをとる猫がいい猫だという中国人の発想はとにかくまずみんな豊かになることだというのは当たっていたし中国が経済で成功したのはそのためである。
群衆の情的な統一を得るのはもっと低い水準の場合初めて行われる−ラッセル(権力)
極端な貧乏なときその不満は一体となり爆発する。その最悪な例が暴動にもなりそれが発展して革命ともなる。アメリカの黒人の暴動は低所得層が多いからそれが情的統一を生みやすく暴動が起こるのだ。日本でもこの低い水準の情的な統一、いわば不満は公明と共産がになっている。この二つの政党が組織が犬と猿の関係なのもその支持基盤が同じでありそれの奪い合いになっているからだろう。それが名古屋の住宅地にあった。その一体は公明と共産が二分していた。ビラが張っているのでわかった。貧しい住宅地だからそうなっているのだ。だから民主主義はある程度豊かにならないと機能しないことは確かである。貧乏な国では選挙すら金で買収されたりなかなかうまくいかない、どっちかというと全体主義国家になりやすいのだ。
民主主義という制度はやはり政治のやりかたとして優れたものであり悪用されればファシズムにもなるがこれしか他にいい方法がないともいえるのだ。つまり世界の歴史をみてもそうである。ギリシャの民主制は特殊でありエジプトでもペルシャでも中国でもフランスでも絶対王制の民衆を奴隷のごとく支配する権力支配が専制支配が普通であったのだ。だからかえって民主主義を実行するほうがかえってむずかしいのだ。特に国が大きくなったり人口の多いところでは非常にむずかしくなるのだ。かえって独裁体制のほうが大きな国では合っているし治めやすいことになる。事実だからそうなったのである。
ともかく人間は自分というのが見えない、わからないのだ。自分がわからないままに死んでゆくのがほとんどである。自分の愚かさも自分の立場も自分の役割が何なのか、自分が何に感謝して何を尊敬していいのかわからず死んでゆく。だからサタンを敬っているのだ。何に価値があるか何が尊いものかわからないからである。ソクラテスが「汝自身を知れ」というのはまさに誰も自分をそうだが自分というものが一番わからないからである。なぜこの世がサタンのものかというと個々人がサタンにひかれるものをもっているからである。サタンももともとは天使だった。この世の誘惑と魅力のためにサタンになってしまった。それほどこの世の誘惑と魅力は大きいのである。仕えるより仕えさせたい、支配したいのである。宗教団体もほとんどサタンのものになっているのは宗教でもって上に立つものは仕えるのではなく支配したいのである。カトリックの歴史がそうであった。法王が王様のように君臨したのもそのためである。宗教も地獄に落ちる、罰あたるとか脅かし免罪符で僧侶がもうけたりして人を支配するのにサタンにとっては都合のいいものなのだ。
上野霄里氏すら弟子はいらないと言っていたがやはりやむをえない事情ではあるが奴隷のように仕える弟子が必要だった。「オレの弟子だ」は「オレの子分」だとたいして変わらないのだ。日蓮は我が一門は・・・・とか中世的感覚の域から出れなかった。一門というのは派閥を形成することである。親鸞の方が近代的感覚をもっていた。現代に通じるものをもっていたことの驚きである。弟子を一人ももたないというのは個々の自主性を尊重したのである。その後継者が組織だけを維持するシステムを作ったことでもわかる。これの方が中世では普通であり親鸞は余りにも時代離れした生きかただったのだ。弟子ではなく人間の理想的な関係は友であり対等な関係なのだ。いづれにしろ上に立つもので弟子の足を洗ったり仕えるということなどありえない、子分や家来に足を洗わせてもその逆は絶対にありえないのだ。ただひたすら上に立ち支配したい、崇められたいからこの世はサタンのものになっている。サタンは外部にあるのではなく個々の心にありそれが外部に現れてこの世を作っているだけなのである。サタンが崇められるのは人間が権力でもって支配したい、権力を持ちたいということにつきている。この世の欲、権力を追求するからサタンが崇められるし支配するのである。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕えるものになりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、 (また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。) マルコ10:43‐45
いづれにしろ真の民主主義を実現するのはキリストの仕える精神であることがこれでもわかる。制度でなくそういう精神、心がないと実現できないのだ。ただ(多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです 。)とあるが贖いとして命まで与えるとなるとこれは別問題でありこれは民主主義とは違う、高度な宗教的問題であり万人に要求できるものではない、つまりそれほど宗教の要求するものは俗とはかけ離れている高すぎることがこの聖言を見てもわかるのだ。しかし少なくとも仕える弟子の足を洗うことは実行できる。それをしないものは上に立つ資格がないのである。足を洗うとはその人と同じ立場にたつということである。
有栖川宮家とは何ぞや(詐欺事件から)
有栖川宮家の詐欺事件で話題になっているがこれが何だろうと思って調べたら意外と福島県とかかわり深いものだった。猪苗代湖湖畔の天鏡閣は有名だがこれは有栖川宮家の別荘として建てられたルネッサンス風の建物だった。そして面白いのは福島県の自動車の始まりは有栖川宮殿下が自動車で来たのが自動車の始まりだった。
明治48年「福島民報」に信夫橋がこの自動車が通るに耐えるかどうかで工事したという、その当時の橋は木の橋であり非常にヤハな橋であったのだ。つまり自動車の重量に耐えられないほど危うい橋だったのだ。実際私もわが町の主要な橋が木の橋でありそれを支えている木も何か危ういものを感じたし台風で水が出たときなどは流された。日本にはこういうヤハな木の橋が多かったのだ。だから石橋というのが地名になるのは石橋が日本には少ないからである。
それから有栖川宮様が農馬が狂奔にあい停車されていたのがある所では停車せずぶつかって本県初の交通事故になったとある。馬が自動車とぶつかったのが交通事故の始まりであった。つまりこの頃、農作業用の馬が多かったのである。また荷馬車の時代でもあった。馬車屋というのがこの近くにもあり人力車をしていた人もまだ生きている。野馬追いではこの農耕馬が使われていたから良かった。今では競走馬を一時的に借りたりして馬を集めることが大変なのだ。そういう時代に自動車が来たということは大変なことだったのだ。馬車の鉄道で石材を運んだり乗合馬車は今のタクシ−であり郵便馬車とか馬車は今の自動車と同じ役目をになっていた。横浜に馬車道と地名が残るのはそのためである。広重の絵に横浜には明治時代にすでに鉄の橋ができていたことがわかる。これも珍しいものだったろう。木の橋の時代は戦後十何年かはいたるところ木の橋だったのだ。石や鉄の橋になることはまれだった。
明治38年、有栖川宮殿下は、欧米外遊からの帰国の際、ダラック号自動車を持ち帰った。修理を担当したのが東京自動車製作所であった。その際、有栖川氏より御料車を作らないかとの話しが出、技師であった内山駒之助氏はこれを了承したのである。
しかしこの前に自動車は明治35年にエンジンだけを輸入して組み立てた人がいた。その時の顛末に
自動車を目の敵としている馬車屋が坂の途中に止めてある自動車を押したからたまらない。シャーシーの下に潜っていた内山氏は左腕をやられてしまった。それに怖気づいたのと、使い物にならなぬといって注文主は半金しかくれないというので、10ヶ月目に広島を後に帰郷することになった
とありこの頃から馬車屋が自動車を目の敵にしていた。しかしそんなに自動車は多くないのだからこの辺の事情はわからない、それなりに都会では増えていたのかもしれない。
公武合体の狙いで将軍徳川家茂と政略結婚した皇女・和宮(かずのみや) が当初婚約していた相手である有栖川宮熾仁(たるひと)が挙げられる。この人はその後戊辰戦争で東征軍大総督として関東まで出向いて江戸城明け渡しにも立会い、明治になってからも特に軍関係の要職を歴任し、西南戦争やら日清戦争にも関与して明治28年(1895)に亡くなっている。
盛岡藩(維新時は白石藩と改称)最後の藩主甲斐守利恭は廃藩置県によりこの敷地を手放し、2,3の手を経て明治29年有栖川熾仁親王の邸宅になる。この間、明治4年(廃藩置県)から29年の事はわからないが明治初期麻布は、大名屋敷跡地でお茶、桑の栽培や酪農、放牧が奨励されていたらしい(桑茶令)ので、ここで行われていてもおかしくはない。(後年、これらの事業は失敗し、撤退しているが維新後膨大な数の大名屋敷が主を失い荒れ地となったので、行政側も苦慮したらしい。)
南部藩−後の盛岡藩は官軍に会津と同じく激しく抵抗した。福島県では三春藩は官軍側につき二本松藩は二本松少年隊で有名なように激しく抵抗した。明治維新のとき全国で地域でも敵味方になったのである。有栖川宮は率先して官軍の東征軍の長であり深くかかわった。これでわかることは天皇家はただ祭り上げられた存在ではない、積極的に官軍の長となりそれ以後もつまり日清日露戦争でも先頭に立って戦っていたのである。今の象徴天皇は違い軍隊を命令する権限も持っていたのである。昭和天皇も単なる今の象徴とは違い刀をさし軍馬にまたがる写真があるように戦争の先頭に立つ存在だったのだ。そもそも靖国神社が官軍として戦って死んだものを祀るのが起源だったということはやはり明治維新の連続性があるのだ。西南戦争のとき会津の侍が官軍についたのも不思議だが薩摩に会津が踏みにじられたからその恨みを果たすためか薩摩の侍に会津の侍を用い戦わせた。その家の子孫にその時使ったという錆びた刀が一振り残っているのをテレビで写していた。この動乱のときいろいろな人間模様が錯綜してあったのだ。東京で大名屋敷のあとお茶や桑を栽培したというのも考えられない話である。
歴史とはこのように変遷しているから一事件でも歴史的に長い目でみると何かそこから一つのhistory-story-歴史が浮かんでくる。ある事件でも歴史の中で長い目で見る必要がある。そうでないと今の時代の断片的なものとなりそれは花火のように一瞬の今の時だけの事件として終わる。百年か二百年単位で物事を見る必要があるのだ。事件があるとその事件を起こした本人の生い立ちを言うがそれと同じように長い歴史の中でその事件はある意味を持つ、北朝鮮の問題も長い歴史の中で見る必要があるのだ。なぜならあういうふうに分断されたのはなぜか、結局ソビエトとかアメリカの大国の力により分断されたのだ。犠牲にされたということも反面考える必要がある。日本も朝鮮戦争では特需でどん底から這い上がった。そのとき朝鮮半島では塗炭の苦しみの中にあったのだ。世界の問題になると長い目でみないと今だけを見ていると感情的になったり判断を誤る。自分が生きている時代だけではない、その前の歴史的視野も必ず必要なのである。事件は問題は連綿とつづく歴史の中で起きているのだ。拉致問題のむずかしさはこの国際的歴史問題の中に入ってしまったことなのだ。
インターネットで確かにいろいろ断片的に情報はでているのだがそれを一つのヒストリ−にすることが編集ができていないから断片的なものとして何か意味あるものとして語られないのだ。そこがインターネットの問題である。雑誌では専門の編集者がいるから物語として組み立てるからそれなりに意味あるものが提示できる。ただインターネットには蓄積がないからこれまでの雑誌であれ本であれ新聞のデ−タ−ベ−スさえでていいなから深いものが書けないのである。つまり以前としていかに新聞とか雑誌とかが大きな報道の役目を担っていたかわかる。過去の記事もやはり一つの歴史としての証人の役目を果たしているのだ。つまりこれまでの報道機関は地方の小さな出版社でも報道機関として公共的役目があり住民に代わって監視する役目があったのだ。
第一普通の一般の人には自分の意見を言う場所もないからだ。本屋にだって出版社のものしか置けないとすると報道機関や出版社が実際は言論を握っていたから戦争のときでもそれを奨励したことには大きな責任があったわけである。何が真実か知り得ないとすれば報道がないなら民衆は権力ある上の人に従う他ないからだ。一方的な情報ばかり知らされていたら当然そう思うし疑問に思っても真実を知りうる方法がないから抵抗できないのである。
これまで新聞は毎日人手で一軒一軒に配達される。それだけでも重要な意味をもっていた。毎日情報が伝達されことが重要なのだ。日々世界は変化しているしそれにどう対処するか問題になるからだ。インターネットでみんな日記書いて情報を発信して個々人が報道の意味を感じ始めた。つまりもう報道はマスコミの一部のものではないということである。つまり自動車がでてきて馬車屋がそれに反発したように必ず新しいものと古いものの対立はあるのだ。だから古いものと新しいものは必ずしも調和するわけではない、インターネットと対立するこれまでのマスコミはこれと対抗する手段、敵対してくることもありうるのだ。その手段はやはり極力無視することかもしれない、特権を持っている権力を持っている石原慎太郎がインターネットは架空のものであり存在しないとかいうのもその一つである。マスコミで力を持っているものはインターネットは必要ないからである。
ただ今回の事件は謎が多い。例えば石田という俳優が参加したというがプロダクションではプロなのだから有栖川宮家は絶えていることがすぐわかる。他にも右翼の団体にかかわっていたりなぜこんなにわかりきっていることにだまされたのか不思議である。だまされる方も何か幻想をもっていた、宮家というものへの憧れがあり参加したいということがあったのかもしれない、つまり今では滅多に宮家に招待されることなどないからそれが貴重な機会だとして参加したとも考えられる。
福島一区の問題(衆議院選挙)
福島一区立候補者
佐藤剛男(66)自民前
石原信太郎(36)民主新
山田裕(48)共産新
亀岡偉民(48)無所会新
福島一区自体前は浜通り地区、相馬と磐城だった。それが小選挙区になり福島中心になった。相馬地区からは誰もでていない、前は相馬地区から議員がでていた。福島市と相馬市はなんかつながりが感じられないのだ。汽車で行くと岩沼から福島市に行くから遠回りになる。バスも不便である。直通はなくなっているかもしれない、間に阿武隈高原があるから地理的にもへだてられる。福島市は実際は相馬からするとかなり遠く感じる。例えば仙台には仕事で通っている人もかなりいるが仕事でかかわっている人も福島市とは少ない。福島県は県として広すぎる。だから一体感が希薄である。会津はもともと別の一国であったし伊達郡は伊達政宗の出たところだから仙台藩で宮城県になる。歴史的には三春藩とか二本松藩はなじみのあるところみたいだった。福島市は何か歴史的にもなじみがないのだ
地図で見るごとく福島県は廃藩置県で最初は三つになっていたのだ。今のハマ、ナカ、ヤマである。浜通り、中通り、山は会津である。原町市に磐城太田駅があるのは古代磐城の国だったからだ。鹿島町を北郷というのは最初は相馬が中心ではなかった。原町の太田が中心だった。その北にあるから北郷なのである。相馬が中心だったら南郷になっていたのだ。どうしてそもそも国分け、国境とか県境ができたのかそれは歴史的にそうなった。福島県はこのように大きすぎることなのだ。この福島一区はだから歴史的にも何かなじみがないものである。相馬藩の区域はそれなりに歴史的一体感があるが中通りとなるとない。会津は別な大きな一国だった。廃藩置県はこうしたねじれというか歴史を無視してできた面があった。
この中で誰を選ぶかというと比例は決まっているが小選挙区はわからない、民主にしようとしたら石原氏は36歳でずいぶん若いなと思った。この人は父親が議員だったことがあるから二世になるのか、でも父親も前は落選している。どういう人なのかも全くわからない、小選挙区はやはり人物とかいろいろ考える。でも小選挙区は党中心で決めることが多くなりやすい、今回は特に自民と民主の政権選択となるとそうである。民主は若い人が多い。それで2ちゃんねるの対話で見つけた。
今の自民党は若い人材を育てる場所ではないじゃん。
親が代議士でもない、強力な応援団もない官僚スピンアウト組は
大半が民主党から政治家のキャリアを始めようとしてる。
なぜ民主党がこんなに若いかというとこういう事情がある。自民党は若いエネルギ−を吸収できなくなっている。中曽根首相の比例名簿入りからはずされた問題も象徴的である。自民党は政権政党で50年も存続してきたから老朽化してしまったのだ。だから支持基盤も弱体化して創価などの応援なくして維持できなくなった。時代の変化に自民党はついていけない政党になったのだ。50年はやはり一時代であり一区切りである。だから交代の時なのだ。
政治にしろなんでもそれに精通するには役目を与えないと精通しないし能力も育たないし能力も発見すらできない、それは自分がホームページでこれほど書いてみてわかったのだ。発表する場が与えられれば自らの知らない能力が発見されたりするのだ。役目や役割を与えられると人間はそれなりにその役目を果たそうとするから自ずとその分野に詳しくなったり能力が開発される。それは政治でもそうだしあらゆる場でそうである。医者の手術の能力も手術回数によって決まるというのがその証拠である。場数をふみ経験を多く踏んだものがその技術も身につくのだ。一見みんな自分には能力ないと思っているが能力が発揮する開発する場が与えられない方が多いのである。
補足・・・・・・
1区は社民党が出ないんで、激戦になるな。
社民の票と、公明の票と前回のK氏の票が何処に行くか?
自民は大臣のチャンスだし、無所属新人は最後の挑戦?
なんで、背水の陣だし。
民主は親子二人掛かりだし、若さで浮動票が欲しいし?
どちらにしても、大票田福島市の戦いで体制は決定だろうな 。
公共事業削減の今、現役だろうと新人だろうと
見え見えの地元への利益誘導が出来るだろうか?
公明の票は自民党にゆくし社民の票は民主にゆく、やはりここは自民が有利なのか、情報がたりなすぎる。インターネットもこういうとき役に立つはずだが情報が少なすぎる。亀岡偉民氏は自民党系と思うがここでも自民党系が二人立つと民主に有利になるのか、でも民主はかなり力不足である。民主は小選挙区では前も勝っていない、福島県は保守の地盤である。小選挙区では一人も勝っていないといこうとは辛い。比例区より小選挙区制は小選挙区が勝負なのだ。ただ今回自由党の票が民主にゆくとすると何か変動があるのか、一人くらいは小選挙区で民主が入るかもしれん、相馬郡はなんか福島市からも遠く磐城からも遠く仙台からもそれなりに遠く中心地域から遠い。かといってここが中心地域となるほどの力もない、人口も原町でも相馬でも減っている。地域的には取り残されている。博物館は会津に行き、図書館は福島市にありほとんどそうした設備の恩恵もない、福島県で相馬郡はいろいろな面で損している。議員がたたないことは福島島市中心に行政も行われるのだ。福島市も実際は東京に近い郡山市の方が発展してそっちの方が中心になっている。ところが郡山はさらに相馬郡より遠いのだ。阿武隈高原で浜通りと中通りはへだてられているから地理的にも疎遠になるのだ。
阿武隈高原は思った以上70キロくらい幅があり広いのである。阿武隈高原は一つの大きな山国の領域である。この地域は交通も不便で過疎地域になっている。この阿武隈高原を活かすために首都移転などを考えたのだがこれもだめになったしそれがいいかどうかは問題である。とにかくこの阿武隈高原は広いし自然的には利用価値が多いのだがまだ余り利用されていないし観光的にも知られていない領域である。塩の道をたどるで詩に出したがここは広い領域だから自然の利用がもっとあっていいがその設備は少ない、特別変わった自然はないが広い領域での利用が可能だしその広さに魅力がある。延々と山の中の道をたどってゆくのが面白いのだ。夏はどこまでも緑のトンネルになるし秋は秋で趣があるのだ。高原の空気は澄んでいるし気持ちがいいのだ。日本はヤマトとというごとく山国でもあった。その山が生産の場でなくなったから活気もなくなり過疎となった。いづれにしろ阿武隈高原は自然的にはかなり魅力ある所でありここを活かすことが必要である。常磐高速道ができると確かにここはドライブにはいいかもしれんがそうなるとまた騒々しくなる。常磐道で阿武隈高原の観光の利用はかなり高まる。弱点は温泉がないことである。これはリゾ−ト地としてはかなりの弱点である。スキ−もできないのも弱点である。阿武隈高原の魅力は広さにあり高原の広い空間で自然の大きさを満喫することにあるのだ。
自衛隊のイラク派遣の是非
今回のイラクの自衛隊の派遣でもなんのために行くのかも自衛隊員はわからない、そこで死ぬ意義もわからないから行きたくないというのは本音である。北朝鮮なら行きたいというのはそこなら日本なら意味を見いだせるからだろう。日本という国家さえもその骨格もなくただ利権を追い求める人々に荒らされ崩れていっているのではないか?なんかそういう不安が日本にある。国家は自分達が利益を得るだけのものにすぎないともなっているかもしれん、滅私奉公は完全に否定されているからだ。戦前は確かに間違っていた。では日本的良きものの伝統をすべて否定していいのかとなるとそんなことしても新しいものが簡単に作れるわけもない、だから骨格のないクラゲのような状態になっているのが日本なのである。ともかく国家にも尊厳が必要なのだ。その尊厳が力によって維持されるのが国家の問題なのだが国家に利益だけを求め自ら国家に貢献しないとすればそれは理屈に合わない、戦後はやはり極端に国家を軽視し悪いものとした結果、誤った利己主義が民主主義になってしまった。個人主義ではなく利己主義だったのである。だから自分が利益を得ることが最優先になり国家や全体はないがしろにされたのだ。天皇も国家の尊厳にかかわるから意味がある。
天皇なんかもういらないとか今の天皇はだめだとかいろいろ今は言っている。でも天皇の尊厳は天皇という人が偉大とか優れているとは関係なくなっている。天皇という役割、役目、地位の故に従うのであり尊厳はその人よりその役目、地位に与えられているのだ。天皇は選挙で選ばれたものでもない、民衆の人望とかも必ずしも必要ではない、その尊厳は別なところからきている。それは何かはっきりしないにしろ人々はそれに尊厳を認めて国を治めているのだ。天皇なんかいらないと民衆によって選挙によって決められるのか?となるとこれも大問題である。この国は天皇のものではなく国民のものであり天皇は国民によって選ばれるものだから国民が天皇をいらないと多数決であれ何であれ決めれば天皇はいらなくなる。一方天皇は日本国民の神のごとき存在でありそれは国民によっては決められない、神のごときものを国民の意志ではどうにもならないという意見もある。日本では天皇を否定した権力者はいない、天皇は存続しつづけた。天皇は時代の変化のとき必ずかかわってきた。そのこと自体天皇は日本の長い歴史に天皇だけは変わらない、天皇は国民の上にあり統合するという日本の伝統的体制を維持してきたのだ。それを否定することは歴史上なかった。
そもそも日本には国民という概念さえなかった。だから明治維新で天皇の臣民となったのだ。ここに日本の特徴があるのだ。国民という概念がでてきたのは19世紀頃からでありそれまでは王がいてその下に王の直属の貴族がいて民を支配していた。国民という概念はどこにも存在しないのだ。だから象徴的なのは靖国神社は国民を祀るものではなく天皇に尽くした英霊を祀るものであり日本国家に尽くしたものではない、それは明治維新で官軍について死んだものを祀ることが起源であり官軍でないものは祀られていなことでもわかる。靖国神社は天皇と未だに一体なのである。他の国とはここが違う。ではイラクに自衛隊を派遣して死んだらどこに祀るのか?もし天皇の命令でゆくなら靖国に祀る。しかし今は天皇の命令で行くのではない、国民の命令で行くのである。戦後は天皇は象徴でありそうした役目は形だけとなったのだ。国民の命令で行くということは選挙で選ばれた現政権が決めたらそれは国民の意志となるのだ。なぜなら多数決が民主主義の原理であり国民の多数の意志の代行として現政権が決めたらそれに従う他ないとなる。だからこのイラクの自衛隊派遣も選挙の大きな争点となる。一人一人が自民党を選ぶことは国民の意志としてイラクに行かせることなのだ。それはなぜそうせねばならぬのか、一人一人が考えざるをえないのである。
つまりイラクに行く意味である。それが世界の平和にとってかかせないものだとかテロ撲滅のためにはしかたがないとか、石油の利権を第一にしないと日本の経済がもたないとか、それからアメリカに従わないと日本の安全は守れない、北朝鮮との拉致問題で圧力もかけられないとかいろいろその理由があるのだ。日本人は今このことについて議論していない、なんかわからないがアメリカに従うほかないということで自衛隊を派遣する。理由はともかくアメリカというス−パ−パワ−に従うことが日本の国益になると判断している。
1、経済のため(国益のため)石油などの獲得のため
2、アメリカに中国や北朝鮮の脅威から守ってもらうため
3、世界平和、テロ撲滅のため
4、イラクの復興のため、治安のため
世界平和のためというのはアメリカ一国支配の世界平和のためとなる。アラブの言い分はそこにないしそれは成り立たない、そこで世界平和に貢献するということはありえない、イラクの復興とは何なのか。自衛隊は何しにゆくのか、少なくとも軍隊だとするとそれも成り立たない、結局1、2、のためとなるのか、アメリカに経済も未だに輸出頼りで防衛も日本だけでは守れない、だからアメリカの言い分に従うほかないとなる。ではこれが逆に1、2、が中国に変わったら中国に従うことになる。パワ−バランスでそうなるのだ。日本もやはり戦国時代と同じく強いものにただ従うだけでありそこには3のような世界平和に貢献するとかはないのだ。それをしても世界の安定を計れるかどうかはわからない、テロを撲滅できるかもわからない、アメリカの支配は力の支配でありそれが世界に反発をさせている。それに従う日本も反発される。つまり世界は力の論理で動いているとするとそれに従う他ないというのが現実でありそこに世界平和のためとかは言うことはできないのだ。
結局、日本というものがアメリカや中国に左右されるから自らの国の先が見えないのである。当然ではあるが他国に頼っている限りそうなる他ないのだ。大東亜戦争が中国とアメリカとも戦ったということは中国にもアメリカもおしのけて自ら立つにはそうならざるをえなかったともなる。しかし日本にはそんな力はない、大国のパワ−パランスのなかで生きる他ない。つまり理由はなんであれ国民の意志で派遣されて国民の意志を反映したものだから実はこの問題は国民自身が問われていることを自覚せねばならないのだ。その国民の意志が正しいとかではない、国民の判断がすべて正しいとかそなことにはならない、国民国家というのは民主主義国家はそうした国民の意志の上にあるから様々な意見や情報を出して検討させたり言論の自由も大事なのである。言論の自由のない所には民主主義もないのである。中国が変な理屈だけど経済が良くなっていることは民主主義があるからだと言っている人もいる。でも経済が失敗すると民主主義がないとなる。その論理もおかしなものである。現政権を公に批判できないところに言論の自由などない、多様な言論の中で正邪を見極めてゆくことが民主主義であるが果たしてそこまで国民の意識が高くなるかどうかは疑問である。でもそれ目指す他ないのが民主主義なのである。ともかく義が意味がどこにあるのか、それが前の戦争でも以前として問われている。今は天皇に責任あるなどとは言えない、国民一人一人にある。
一方こういう意見もあった。
人間は自分の職務をこなす義務があると思います
自衛隊に入隊しPKO部隊に参加したのに、
「危険はいや」との理屈は通じないと思います
彼らはその事を解っていると思います
気の弱い機動隊員・血を見ると貧血を起こす
外科医・炎が怖い消防士・対人恐怖症の営業マン
世間で通用すると思いますか?
向いていないなら配置転換を要望すればいいんです
上司も適材適所で移動願いを聞いてくれるはずです
どうしても嫌ならやめればいいんです
http://thebbs.jp/
この意見だと意義を感じなければ民主主義の自由社会だと参加しなくてもいい、やめればいいとなる。納得できないんだからやめればいいとなる。徴兵制でないからそれができるというのだ。これも一つの理屈であり現実である。自衛隊はそういう職業だから選んだほうに責任があるとなる。国民はそのために金を払うのでありある程度の犠牲はしょうがないとしかし保証はしてくれる。現実アメリカの兵士は一カ月80万もらうというからアメリカも大義より戦争稼業で金を手にしたい若者いる。戦争を一つの金儲けと考える人もいるのが人間社会であった。そういう打算的な戦争がこれまでの戦争だった。これは自衛隊員自身の問題であり行きたくなけりゃ行かなきゃいいとなる。行くのはお前らの責任だとなる。これが民主主義であり自由社会、選択の自由がある社会だとなる。大東亜戦争は徴兵制だった。赤紙一枚で戦地に行かねばならなかった。その意志決定したのは国民だったのか、選挙権はみんな持っていなかった。今のように国民だったとはいえないのだ。ともかく自衛隊のイラク派遣はやはり意義は見いだせないしアメリカ様のために同盟関係重視で義理のために派遣するというのが現実である。
20世紀はなぜかやたら「正義」「主義主張」とかが全面にでてきたわかりにくくなったのだ。つまり「自衛隊員よ、意義とか意味など言うなよ、お前らの仕事は危険な戦争が仕事場になるんだよ、その自覚を持たないものはなるなよ、」 ともなる。この理屈のおかしな点は派遣する自衛隊員は自分の選んだ職業でかってに危険を犯してゆくんだからお前達だけ責任を負いとなるがでも軍隊が外国にゆく限りイラクやイスラム国の敵国とされる。事実テロの標的とすると声明があった。外国に出ると一個人でも国が責められることがある。これは一個人でもないからやはりこの理屈は成り立たないだろう。国民の意志で軍隊が送られてきたと敵対国では見るのだ。
ともかく戦争に意義とか意味とか正義を語るときものすごくむずかしくなることがここにあるのだ。「人を殺すな」というのがどの宗教でもモラルである。そしたら戦争などできるはずがないのだ。どんな戦争も悪い、正義の戦争などないことになる。戦争は必ず人を殺すからである。殺すことを正当化するのが戦争だからである。その殺すことの正当化をどこまでできるかが戦争をする理屈になるのだ。
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この図のように日本はイスラムとか十字軍とかの怨念の戦いとは無関係だった。今回の自衛隊の派遣は本当にこの歴史的怨念の争いの中に引き込まれる危険性である。歴史の争いに組み入れられる。日本は平和のためだと言っても相手は敵国とみなす、
それは歴史的怨念の争いの中に入ってゆく、つまりイスラムの歴史的怨念を受けることになる。歴史的文明的対立がある。ヨ−ロッパが一歩ひいたのはそうした歴史的怨念を与えたものだから躊躇した。極東の日本がこうした大きな歴史的文明的争いに引き込まれることの怖さを認識していない、日本は十字軍とも宗教的争いとも関係していない、アメリカによりこの歴史的文明的争いに組み入れられ役割を果たさせられる恐怖である。中国も歴史的怨念があるから何かあるたびにその怨念がでてくる。それと同じくイスラムも歴史的怨念があるから欧米と何かと対立するのだ。中国はやむをえないとしてイスラムまでに歴史的怨念を受ける謂われはないのだ。ここにアメリカだけに追随する日本の危険がある。
バビロン(バグダッド)は神に呪われた地
不思議にバクダットというとメソポタミアであり最初の文明の発祥地であった。そしてバビロンはバベルの塔のように神に呪われた地だったのだ。
、「これほど大きい都が他にあっただろうか」と叫んだ。彼らは頭に塵をかぶり、泣き悲しんで、こう叫んだ。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、海に船を持つものが皆、この都で高価な物を取引し、豊かになったのに、ひとときの間に荒れ果ててしまうとは!大いなる都、バビロンは、このように荒々しく投げ出され、もはや決して見られない。 おまえの商人たちが地上の権力者となったからであり、おまえの魔術によって全ての国の民が惑わされ、預言者たちと聖なる者たちの血、地上で殺された全ての者の血が、この都で流されたからである!」
黙示録(18:1-24)
聖書ではバビロンはバベルの塔とか呪われた地である。バビロンは大いなる都でありバグダッドは学問芸術でも栄えていた。ギリシャの文物がここで訳されてイタリアにもたらされた。そしてルネサンスが起こった。科学的知識もここから起こったのだ。それはヨハネが言う魔術だった。その魔術を引き受けたのがヨ−ロッパだったのだ。文明というのはだから呪われたものなのだ。科学は錬金術など怪しげな魔術だった。それがヨ−ロッパに伝わり科学となった。
奇妙なことはそこで今戦争が行われた。アメリカの最先端の科学技術が兵器が使われた。またイラクは化学兵器が使い戦慄すべき大量殺戮した。まさに科学という魔術によってまたもやバビロンは血にぬられたのだ。科学は必ずしも平和をもたらさないのだ。聖書の呪いの地だからといって現代に通じるかという意見もあるがバベルは混乱であり混乱を産み出す場所だったのだ。バベルの塔が神の怒りによって民は言葉が通じなくなり世界に四散した。つまり混乱の地、バベルはそういう様相を呈してきたのだ。ますますテロは激しくなり混乱が起きている。大量破壊兵器をもったイラクは危険だから破壊せねばならぬというがアメリカだって大量破壊兵器を一番もっている国なのだ。商人達がというのは石油とか武器で商売する人がかかわっているからだ。
今のイラクの状態もその混乱状態とにている。こんな因縁の呪われた地に日本がわざわざ行くのは危険である。イラクの復興とか平和のためとかそんなこと果たしてイラク国民は要求しているのか、世界は常に解決しない、バビロンであり混乱である。文明自体まさ混乱である。その混乱の故に迷宮のゆえに戦争が大量殺戮が行われた。つまり迷宮には怪物が住み人をのみこむ。文明は混乱であり迷宮だからわけのわからない戦争が起こり殺される人も絶えないのである。日本もこの混乱と迷宮の呪われた都に行くことは危険である。必ず今度は死者がでる。おそらくアメリカはそれを要求している怪物なのだ。大国は帝国は中国も怪物だった。国家も怪物と化して人身御供を要求して多くの人間がわけもわからず死んでいった。ロ−マも神に呪われて滅びた。大国、地の権威はみな滅ぶ、いづれにしろ日本はそんな怪物に加担してどうなるのか、日本は独自の平和を目指すべきである。平和の民であるべきだ。それ故に日本憲法は与えられたものでも崇高な意味をもっている。それは宗教的ですらある。この力が支配する世界ではそもそも実現できないもの理想をかかげているからなのだ。だからやはり自民党の政策には賛成できないのである。