時事問題もありますがその時々の私的な日記です
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23
時事問題を整理中です→サイト案内へ
a private channel in soma-gun
小林勇一
感想はこちらへ
グロ-バル化の世界の詩(急速に交わる世界の混乱) 8月13日
相馬の道の駅で出会ったサイクリングの旅人 8月14日
6号線から旧道の秋 8月16日
ドメインをとるURL変わりました8月18日
交通事故の非情 8月21日
この世のからくり(弁護士もうさん臭い職業だ)9月23日
飯館村が合併しないのはなぜ? 9月26日
公明党が国土交通省の大臣に(創価は都会から生まれた宗教)9月28日
学生運動の回顧 9月29日
「泥棒国家の完成」(ベンジャミン、フルフォ-ド)を読む 10月2日
エイズと奴隷(グロ-バル経済と現代奴隷制」ケビン・ヘイルズを読む)10月4日
opera(オペラ)とまっぷっぷを買う 10月6日
グロ-バル化の世界の詩(急速に交わる世界の混乱)
交わる世界
(over crossing world in confusion)
峨々たる峰々から
滝のように霧が流れ落ちる
ヒマラヤの密林
犀が角をふりあげ堂々と闊歩する
小さな鹿はまだ人を知らないように
そのつぶらな瞳を向ける
この密林に虎がやってくる
その跡がしっかりと記されている
川岸に鰐が日をあびて寝そべる
空を見上げると見知らぬ大きな鳥
翼を広げてほしいままに飛ぶ
まるで始祖鳥の翼の影がおおうごと
キングフィッシャ-が鮮やかな羽根を見せる
象の背にのって密林の奥にすすむ
ここは原初の世界が残っている
恐竜がいたのは意外と新しいのかもしれぬ
ヒマラヤの高地に蘭の花が木にからまり咲いている
犀のごとく独り行けと釈迦は教えぬ
その洞窟にこもり釈迦は何を食っていたのか
現代人の想像しえぬ荒行があった
本物の原生人間がそこにいたのだ!
鳥人もそこにまだいるような
インド、ヒマラヤはまだ神秘の世界
世界はまだ広く知られざる所あり
しかし世界の果てジャングルから
出てきて黒人は人だったのか猿だったのか
一ドルくれと要求する
ドルは世界の果てまで使える
それがこのグロ-バル世界の矛盾
学生が軽い気持ちでアフリカに行く
野宿したらとなりに寝ていたのがゴリラだったと
冗談も世界的になったと驚く
カンボジアの少女は五ドルで買われている
アンコ-ルワットで絵ハガキを売る貧しい少女
子供がガイドして金をせびる
王様を語るもその王様の力は今はない
若者の三分の一に父親がいない
そんなに無駄に命が消費されていいのか
王宮の前で足のない人が乞食していた
その無惨なる姿、人間の悲惨、ポルポトの悲劇
ホテルを経営していたのは中国人
その下でバイクを借りて働くのがカンボジア人
カンボジアはベトナムにも攻め込まれ
アンコ-ルワット王朝はタイ人により滅ぼされた
壁画には中国人とタイ人の兵士が彫られている
ここはタイやベトナム、中国まで広がる統べる
大王宮の堂々たる一大モニュメント
泥の大河を延々とさかのぼり
そこにあったのはこの壮麗なる王宮の跡
この王宮をつつむ森に夕日が映えて沈む
この世界は何を語るのか余りに広い
原始と古代と現在が交わる
それで矛盾や衝突がなかったら不思議
オセチア人イング-シ人チェチェン人・・・
それらはいかなるものなのか
閉ざされた山岳の高地に独立の旗をかかげるもの
アフガニスタンにはモンゴルの末裔の民族がいた
イスラムとロシア正教会や民族のせめぎ合う所
狂気のイスラム原理主義者が産出した
そこでテロが爆発したのだろう
地球という空間が狭くなっても
それぞれの世界が簡単には変えられぬ
一様にはなれぬその差は大きいのだ
まだ鳥人の踊りが祭りであり
ジャングルに猿を食っているものもいる
そこからサ-ズが生まれたり
未だ知られざる細菌が人類を襲う
巨大な錦蛇が人間をのみこんだり
日本にも獰猛なアルゼンチン蟻が侵入
世界は未だ多様であり知られざるもの
テレビの四角の窓からだけでは
決して知り得ぬ世界が隠されている
知られざる自然の脅威が襲ってくる
文明の力がすべてではない
浅間山の火山灰が250キロ離れた
我が故郷までふってきた驚き
我々の力のおよばぬものが
大海に地底に宇宙に秘められている
時事問題で書いてきたが現代とは何か、それは急速なグロ-バル化から生じた世界の摩擦であり混乱ではなかったか、世界が急速に交わることが多様な文化を長い時間をかけて作ってきた国や人々を混乱におとしいれた。国と国の差は時間や空間感覚とかすら違っていた。この一世紀が信じられない大量殺戮時代になったのは急速なグロ-バル化が原因だった。日本が適応できたのは江戸時代に識字率とか高くその下地があったためでありその他は中国でもアラブでもアフリカでも近代化西欧化に追いつかなかった。日本の明治維新は奇跡でありそんなにうまく適応できないのが多様な世界の国である。
人間の生活は隣の村と村が交わるのでも長い時間をかけて融合してきた。隣の部族のト-テムが鷲であり隣の部族が猿であり隣が熊でありそれらかト-テムポ-ルとなり一体となっていった。それには長い時間がかかったのだ。今でも部族同志がちょっとしたことでもめて争いになる世界がある。アフリカの悲惨は部族争いの世界でありまた大きな国を作る段階になっていなかったのだ。NHKで放映した「人は何を食ってきたか」で海で鯨をとるものと山で暮らしているものが融合するには祭りが儀礼ができあがっていった。鯨がとれたら山で暮らす人に鯨を分け与える。山の人は鯨がとれるように山の神に祈る。山の神に祈るというのも不思議だがそれも一つの部族同志が融合する智恵だったのだ。日本の神話の山彦、海彦の争いもそうした生活の相違、文化の相違から起きたのが神話となった。その生活の差、文化の差は隣の部族ですら大きかったのだ。ここの民話に残っている話でもそうである。隣から働きに来た青年が巨大な蛇にされていた。隣の村の人間さえ交わっていない異様な存在とされたのもそのためである。江戸時代火山の噴火を起こしたのが鼻の高い外国人になっていた。異なる文化や異民族が交わり折り合いをつけるには時間がかかる。それが融合して大きな国になるのは容易でなかった。長い時間がかかったのだ。それがここ一世紀で技術が発達して世界が交わりこんな恐るべき混乱が衝突が生まれたのだ。エジプト文明を見ればいかに長い時間かけて作られてきたかわかる。三千年とかの時間の堆積の中に作られた文明なのである。
20世紀はそうしたグロ-バル化の混乱による殺戮の時代だった。世界は急速に交わり世界は一つだとか言っているが現実世界は多様であり簡単には一つになりえるものではないしそこには独自な歴史と文化が育まれている。そういうものを急速に交わり壊したのである。それはすでにコロンブスの時代にもあった。その象徴がインカ帝国などやインディアンの絶滅でもあった。異文化同志の急速な出会いの悲劇である。そして現代はなぜ一生が短く感じるのか、前からも時間は短く感じていた。人生50年とか短いものであったがそれでも長かった。というのは江戸時代など生活範囲が極端に限られており単調だから時間は悠長であり長かったのだ。現代は日本すら実際はかなり広い、私の場合、汽車旅行している内に時間がまたたくまにすぎた。一年の内一カ月でも旅行していると一年の時間がかなり短くなるのだ。旅行は時間を短くする。ず-と同じ所に生活して外にでないと一年は長くなる。つまり時間は刺激の度合いによって変わるのだ。その刺激の度合いが現代は大きいから家にいても世界の果ての紛争に関心を持つから時間が早くすぎてゆく、だから90才まで生きても短く感じるに違いない、事実私が海外旅行したのが50才でありそこでものすごい刺激を受けた。すでに遅きに失したがさらに50年生きねば世界のことはわかりえようがない、世界が急速に拡大した結果時間が短く感じる。そうした世界を理解するには時間が必要だからだ。全く別な時間や空間の世界が開けているからだ。事実今や日本という国だけではない、いくつもの国を生きるようになっているのだ。だから退職しても外国で生活する人は日本とは違った別な時間と空間のなかで新しい人生を経験するからこれも時間が短くなるのである。現代が時間に追われるのも世界がグロ-バル化してそれに追われるからである。
いづれにしろ詩は万象を人間全般が対象であり詩も世界的になる。現実そうした詩はいくらでもでている。芸術にとっては様々な文化を経験するからその精神世界も広がって刺激になる時代である。今なら実際大学などつまらない、世界旅行している方が現実の世界を見れるのだからその方が学問の下地になるし国際的人間を育てている。そういう学生がかなりいるから現代は刺激的で面白い時代でもある。知識も膨大に広がった。タコの頭が十個あってもたりない、脳にコンピュタ-をうめこみ記憶装置とする日も近い、知識の吸収にも追いつけない、人類は恐竜を実際に見ていたという話も本当のように思える。つまりこの世にわからないことはいくらでもあるのだ。
相馬の道の駅で出会ったサイクリングの旅人(俳句エッセイ)
●相馬の道の駅にて
我が老いて旅人と別る秋没日(あきいりひ)
虫の音を聞きつつ行きぬ浜街道相馬に残る松並木かな
相馬の方へ自転車で行くとサイクリングで旅している人がいた。その人は最近できた道の駅で寝ていた。そこには畳みの部屋があって無料で休めるのだ。あれは便利だと思った。その人は北海道まで行って名古屋の方に帰る途中だった。遠いなと聞いたら途中で輪行するらしい、結構大きな自転車でも輪行できるのだ。でも分解するからちょっとめんどうになる。今私が持っている折り畳み自転車はのりにくい、やはりのりやすいのになると大きなものになるから分解して輪行できないと自由に自転車では旅行できない、どういうわけか自転車で来た人には話しかけている。装備とか同じ仲間のように聞くのである。参考にしたいということがある。めったに自分は話しかけないが自転車の人にははなしかける。でも六号線行ったって何もいいことがない、自動車の騒音だけが残る。あれはもはや道ではないのだ。人間の行く道ではないのだ。この昔の街道を自転車でゆっくり行けば虫の音を聞きつつ行けば季節感も感じて俳句もできるのである。そもそもいづれにしろ旅そのものが消失したことは何度も言ってきた。出会いも消失した。自動車にのっている人とは出会うことはない、ただ誰かしらない人が知らない内に突っ走って行くだけである。また今は会ったとしても歩いている人がいたとしても旅しているのではない、どこかでまた電車なりにのって一気に家路につくしあとで電話なりその他すぐ連絡できるから昔のような旅はないのだ。昔の人の旅の出会いは深い情を交わす旅であった。なぜなら二度と会いない連絡できないような旅だったのだ。現代は旅のまねごとをしているだけなのだ。ただ一時そこに出会いがあったのかもしれぬ。情が交わされたのかもしれぬ。
若いものと老いたるもの、これも不思議なものである。老いるということは実に不思議なものである。老いるとはこの世にもう長くいない、この世からまもなく去るという意識の中に常にある。若いときはそんな感覚を持っていない、時間は無限にあるという感覚なのだ。老人は常に死ととなりあわせにある。今の時代60で老人とかいえない時代ではある。ただやはりこの世から去ってゆくという感じは常にもつようになるのだ。それが青年と老人の根本的な違いなのだ。「あなたはこれから生きてゆく・・・私はこの世から去ってゆく・・」そういう二人の出会いなのである。秋の日が沈んでゆく・・赤々と映えて沈んでゆく、あかあかと日はつれなくも秋の風・・・芭蕉の句の感じになる。夏目漱石の俳句に「秋の日のつれなく見えし別かな」かとインタ-ネットで偶然に出会った。これはインタ-ネット的作品の出会いであった。そういうことがインタ-ネットに向いているのだ。何か類似のものを常に探しているからだ。それがたまたまあたったのだ。
●異常気象の夏
今年は異常な暑さだった。今日も30度あった。だから太陽もなんか暑く感じた。季節感が狂ってしまう、日本は熱帯化しているというのは本当だろう。九州あたりは35度かにいつもなっている。台風の異常発生の年でもあった。昨日のNHKのクロ-ズアップ現代では潮位は10センチくらい高くなっているから防波堤も役にたたず松山では高潮の被害があった。
伊勢湾台風は、1959年9月26日に紀伊半島に上陸し、東海地方を中心に大きな被害を及ぼした台風である。正式名称は台風5915号。高潮と堤防の決壊で死者4697人、行方不明者401名、負傷者38921人を出す日本の気象観測史上最大の台風災害となった。
高潮の被害でこれだての人が死んだのだ。このときだった。小学生のときわが町で真野川が氾濫して大被害にあった。私の家は下町で一番土地の低い所にあり二階もないトタン屋根だったのでもろに水をかぶり大被害にあった。家は水没してもはやつかいないほどになっていた。その頃店をやっていたので商品は全部流れた。そして薪のはてまで流れてそれがもっていかれた。あの頃みんな貧乏だったのかそんなものまで拾う人がいたのだ。あさましいといえばあさこましいがこれも人間の性である。このときのことは忘れられない災害の記憶だった。しかしその後も店はつづけることができたし繁盛したのだ。そして我が家の願いは水害時逃げられる二階を持つことだったのだ。今は頑丈な二階の家に住んでいる。これはもう一回あった水害のとき役に立った。二階に逃げたからだ。これも一つの家の歴史だった。それぞれの家にも歴史がありそれがインタ-ネットに紹介されて興味持つしそういうことができる、そういう家の歴史を残すことができるのもインタ-ネットである。私の家は角にあったから場所が良かったので店に向いていた。その角に一本の電信柱がありそこに流れてきた木材などがぶつかり家は壊れずにすんだのだ。これも災害の歴史だった。あの頃は被害そんなに大きかったのはやはり海に大きな堤防がなかったからである。今だったらそんなに死なずにすんだのである。災害は人力である程度防げるのだ。技術が発達すれば防げる。こうして時事問題を延々と書いているのも不思議だがこれはやはりインタ-ネットだからできたことなのだ。こういうふうに過去と今のことを書くのにこのホ-ムペ-ジは向いているのだ。今起きていることだけでは実は今のこともわからないのだ。昔そんな災害があったのかと調べてみて自分でも驚いているからだ。時代時代に起きることの意味がなんであったのか人は忘れやすいのだ。自分の記憶とその当時の日本とか世界の状勢からその時代を偲ぶ必要があるのだ。だからインタ-ネットはリアルタイムだから常に現在にむすびつきリアルタイムで発信して過去と結びつくのである。そこに文学的なもの入ってくるのも今までにない一つのインタ-ネット的ジャンルになっている。こういうふうに今まで書くことはなかった分野である。新しい分野をインタ-ネットが作ったのである。それが自分でもわからなかったが確かに書いてみてそうなっているのだ。
6号線から旧道の秋
ブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-
車がひっきりなしだ
どこへ運ぶどこからきた
誰が運ぶちょっとは休め
道の辺にはカボチャの花咲いたべ
柿もなったべ、早稲は刈られた
コンビニで弁当買って
またどっかの遠くへ突っ走る
昔なら御堂や地蔵の辻で
一服して休んだだろう
地蔵さんが旅人見送った
茶屋に休んで娘さんが見送った
一本松や五本松、松並木
城下にようやく着きにけり
今はブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-
人も見えない車の中さ
道端に交通事故で死んだ墓標
これも忘れられたか
スピ-ド戦争の犠牲者だ
毎日ブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-
ちょっとは休め、見てる方も疲れるぜ
案山子も車の音に疲れるぜ
6号線は国道だからひっきりなしにトラックや車が行き来している。この人たちはコンビニにによっても町や村にはよらない、素通りである。一方歩いて行き来していた街道は村や町に必ずよるしその道々にも情をそそぐ、例えば今の時期すでに早稲は刈られたとこがあり道にカボチャの花が咲いていたり柿がなっている。でも6号線ではそういうものは見過ごされてゆく、そうした余裕もないのだ。九州の果てから野菜をその日の市に間に合うように一分の遅れもないように運んでいる運転手もそうである。道草などできないのだ。おそらく途中の景色さえ目に入らない、ただひたすら機械のように目的地を目指すだけである。飯さえゆっくり食っていられない、これは全く人間的ではない、機械のように奴隷化されている。労働に余裕がないのだ。工場内ではゆっくり歩いていると自動的に警報が鳴る会社もあった。人間は能率的にするために機械に管理されているのだ。6号線は原町市へ早く行くのはいいのだが全く自然との触れ合いもないただ早く行くというだけのためにある。だから脇道の旧道をいつも行っている。速さも必要だから六号線とそこから別れた旧道を必ず自転車で行っている。自転車で歩いていれば自然と自然のものも目に入るから昔の街道からは人間の生活の跡を偲ぶことができるのだ。
旧道や心静かに秋の蝉
こうした句もできるのだ。
●ちんぐりまんぐりた-ほ-ほ-(椎葉村の歌)
それから面白かったのが貧乏暮らしのテレビであった。そこに椎葉村出身の人が学生がでてきた。その人は部屋に入ってくる虫を食っていた。そしてラジカセで聞いていたのが椎葉村で歌っていたという次の歌である。
宮崎県椎葉村(鳥追いの歌)
ちんぐりまんぐりた-ほ-ほ- ちんぐりまんぐりた-ほ-ほ-
正月子供が棒で地面をたたき大声で歌いながら一軒一軒回る、豊作を祈るものらしい。これについて気にかかっていたがやはり同じように気になって調べた人がいた。
「ちんぐりまんぐり」とは「ぐずぐずする」という意味らしい。
宮崎と山口では方言が異なるのかもしれないが、モグラ打ちの時に唄う歌なので「ちんぐりまんぐりたーほーほー」は「ぐずぐずしないで出てこい」といった意味の囃し言葉とも考えられる。 その他、阿波弁で「不揃いな、でこぼこな、ちぐはぐな」という記述のあるページもヒット
インタ-ネットの面白さがこういうところにあるのだ。テレビ見ていたとするそのあとにも話がつづいている。これはプログにでていた。プログは早く反映されるのか実にこれもインタ-ネット的利用方法である。同時間に進行しているからそれについて同時間にリアルタイムで反映される面白さがあるのだ。こういう変わったキ-ワ-ドはすぐ関連したものが見つけやすい、一発で見つかったからだ。村では全体を共有している、世界観だけではない、天候の心配でもそうだから祈りも共有する、豊作を願うということでみんな同じ願いだからそうなる。一方都会に来たらみんな職業も違うから別々になって共有された感覚はなくなる。民謡はそもそも労働しながら歌ったものである。それは自然発生的に生まれたのだ。単調な辛い労働をリズミカルにしてやわらげるというためでもあった。
歌はよいもの仕事ができる 話や悪いもの手が留まる
これなども話すこと時間の無駄になるというが歌うことは労働を能率的にすることだったのだ。野に働いていてそこから歌う声が聞こえたらそれが本当の小鳥の鳴く声のような魅惑的なものだった。現代は誰かが商売として歌を作り売り込みそれをみんなが歌うとなる。しかし昔の歌は労働から自然発生的に生まれたことに意味があったのだ。昔の村は宇宙とか自然、生活が一体化したものでありその中に意味があった。会社は一部分しかにないないから全然その意味が違う、会社から離れると無用化されるのもそのためである。村であれば長老として村全体に重みあるものとして自然と存在感をもちえたのだ。今は村であり町であってもそうし全体の共有感をもちにくいのだ。生活、職業が様々に分化しているからだ。
ドングリに栗の落ちたる里の道
旧道の松一本に我がよりて
実る稲穂や野菊咲く小径
山に帰る鴉の四五羽家路につきぬ
ドングリが旧道の道に落ちていた。ドングリコロコロとか童謡の世界も失われた。第一子供すら外で遊んでいない、遊ぶ声が聞こえない、ニュ-スでは子供を殺したり虐待したりすることだけが大きく報じられている。子供と自然とか大人の世界も分離している。子供は学校にしかいないし学校では事件もあり大人を入れない、大人と子供すら交われなくなっている。近隣の子供と交わることこれもできない、つながりがうすれているから大人の交わりがないから危険視される。隣同士の信頼とかが根本的になくなっているから子供とすら交われない異常な世界なのだ。隣に駄菓子屋があり様々な職業のものが一町内に交じり合い暮らしていた時代とは違う。神社の境内で山のように子供が集まり遊んだ時代は喪失した。子供は学校にしかいない、それも大人を入れない子供と先生だけの世界になっているのかもしれない、ドングリコロコロとかそうした歌もなんか昔になってしまった淋しさがある。それでも田舎だから季節感はある。早稲が刈られていれば秋が早足にやってきていることを感じる。就職の青田刈りとか早稲刈りになるのとにている、昨今の就職難でこうした話も過去のものとなっているのか、現代はともかく殺伐としている。
実入りよき岡部の早田赤らみて 史邦
里近くなる馬の足音 玄哉
これは芭蕉が死んでから久しくを経て世に現れた「年忘れの歌仙」と柳田国男全集にある。ここに早田(早稲田)とは里の実りをいち早く示すものであった。「里近くなる馬の足音」とは馬が里を出て遠出して里に帰ってきた喜びのうよなものがある。人間でも遠くに行き家に帰る喜びがある。ここに馬というものと里の暮らしがマッチしている世界があったのだ。馬は農民の生活と密着してあったのだ。馬というものはここで野馬追いなどに使うだけで全く生活から切り離された存在である。このときしかし馬は人間と共に大地と共に生きていたのだ。人間と共に生きていた失われた馬の息使いがここに聞こえてくる。早稲田とは何を意味していたのか、これも過去にさかのぼらないとわからなくなっているのだ。馬と人間はかつては一体でありだからそこに馬と人間の物語が残された。今は自動車と人間の物語になるのだがこれがこうしたなんともなつかしいというかそういう風景ではなく交通事故とかの殺伐としたものとして現代はあるのだ。
読書は書くこともインタ-ネットで変わった。キ-ワ-ド=作者を中心にして過去へ歴史へさかのぼりリアルタイムでつながり未来を提示する、これがネットでつながる書き方なのだ。テレビ見てすぐにその反応を見て過去への歴史へさかのぼり
突然にリンクで別な視点と結びつく、こんな書き方自体なかったから今までの一冊の本を読むという買うというのは現代に合わなくなったのだ。
早稲田と馬のこと・・・・
失われた馬と人との生活(俳句エッセイ)
ドメインをとる
http://www.musubu.jpへURL変わりました
インタ-ネットはわからないと失敗する。ドメインというのがインタ-ネットにはかなり重要だった。これもなんのことかわからなかった。ドメインは変わらない一生固定化した住所なのだ。これさえもっていればレンタルサ-バ-が変わっても変わらずに使用できる。レンタルサ-バ-とかプロバイダ-はなくなることがある。ジャストネットがそうだったし今のacrwebもレンタルサ-バ-を募集していないからやめるのかもしれない、そうなるとまた困る。URL変わると影響が大きいのだ。アクセスはかなり一時期へるしめんどうになる。そしてacrwebは二三年やめることができない、現実に前のサ-バ-はやめていない、URLが変わったと表示しておかないとそこからのアクセスがあるからだ。infooseekからはまだアクセスがある。あそこは大きな会社だからアクセスがあるのだ。アクセスしやすくするには大きな会社に登録した方がいい、今回安いのでsakuraネットでドメインをとり1Gを使えるのに入った。ドメイン名を何にしようかとこれも困った。相馬-somaにしようとしたら雲雀野市に合併でなるのでうまくいかない、市町村合併がこんなところにも影響したのだ。雲雀野市になってもここがどこにあるかなど当分わからないだろう。相馬とついていれば歴史的名だからわかる。だから雲雀野市より南相馬がいいという人も多かったがなんか急いでいるから名前も良く検討しないでつけられた。他でもこの合併の名前ではもめている。全国的に市町村合併はいろいろ問題ある。これはやはり大きな変革なのだ。小泉首相の構造改革という政策が何なのかわからなかったのがこの市町村合併で身近に感じた。浮世離れしている自分でも市町村の名前など変わるからかなり身近な問題になってきた。簡単なのがいいというので結ぶ-musub.jpにした。ネットは結びつけるからである。
今回また失敗したのはニフティのメ-ルのフイルタ-でスパムメ-ルのフィルタ-をかけていたら操作を誤って一切受信できなくなっていたのだ。きていたのは別なメ-ルの住所であった。これも失敗だった。大事なメ-ルが来なくなることがある。ただ言葉のフィルタ-をかけても迷惑メ-ルはくる。だから今度もメ-ルの住所を変えねばならない、でもこのメ-ルは長く使っていたから変えると問題だと思った。メ-ルはほとんど大事なのが来ないから余り考えなかった。いづれにしろこのインタ-ネットを利用することはまだまだわかりにくい、でも本にしても書店でいつまでも大事に本など置いてくれない、出版社では保管しても誰も大事にいつまでも保管などしてくれないのだ。置いてあっても3か月とか短い、その点かえってインタ-ネットの方が永久的に置けるのだ。本だした人すらそういっている。これは個人的なアクセスが極端に少ないのでも記録として残せる、その負担が少ないからだ。でもこれは大きな会社のレンタルサ-バ-でないとまずい、他は消えるかもしれない、ジャストネットすら消えた。でもドメインをとっていれば誰かに委託しておけばいつまでもおけるのだ。デジタルだから負担が少ない、これは図書館さえ古い資料とか本が多くなると廃棄されている保管しきれないからだ。こういう点デジタルはものすごい数のホ-ムペ-ジがあっても検索では困るが記録するには負担がほとんどかからないのである。現実1Gで年間5千円とか安いのである。ほとんど無料の感覚で保管はできるのだ。
いづれにしろ所属が変わることは困る。不安定になる。野球でも何度もオ-ナ-が変わった。変わるたびにいろいろと問題が生じてくる。巨人軍が永遠ですと長島が言ったが長島の権威もオリンピックの敗北で地におちた。野球は本質的にはオ-ナ-によって支えられるものではない、不景気になり会社で支えられなくなったら身売りするようになる。そうすると絶えず不安定になる。野球などはやはりファンが支えるものだろう。サッカ-も地域を拠点にするのもいいだろう。会社の宣伝に使われるものではなかったのだ。なんでも会社の宣伝に何かの宣伝に使われるより野球好きな人をふやすことであり野球そのものの面白さを追及することが先立ったのだ。本なども実はその作家が自由に表現する場など与えてくれない、大手の出版社がその生殺与奪の権をにぎっている。作家と書店と出版社は一体であり結びつきが強いのだ。だから出版社でインタ-ネットには出すなと言っているのだ。自分たちだけが権力を持ちとりしきりたいのである。そして・・・賞とか作り出して新人をあたかも大物のように売り出すのである。それらがたいがいマスコミによって作られたものでありやたらその虚像がマスコミで拡大化されてきた。つまらない人物でもマスコミによって巨大化される。それはマスコミとか出版社によって売り出すために作られた商品なのである。一方インタ-ネットではプロバイダ-とかレンタルサ-バ-などはただつなぐとか倉庫として置くだけの結びつきが弱い関係なのだ。機械的に一時的に置くというだけである。ただ一回レンタルサ-バ-でも置くと二三年は変えられない、変えても移転先のURLを提示しておかないといけないからだ。だからレンタルサ-バ-でも大きな会社、実績のある会社にした方がいい、途中でなくなることがありうるのだ。競争でsakuraねっとに吸収されて弱小のレンタルサ-バ-は消える可能性が大きいのだ。
とにかくインタ-ネットのホ-ムペ-ジはまず独自ドメインをとるのが先決だった。これは一生変わらないし死んでも使える財産になる。こうしてインタ-ネットは試行錯誤の繰り返しである。
交通事故の非情
虫の音のかきけされるや誰か見る国道沿いに死者の碑一つ
6号線の国道沿いに碑が一つ隠されるように建てられている。それは交通事故で死んだ人のものである。記念のためにわざわざ国道沿いに建てられた。しかしこれはほとんど忘れられているし気にもとめない、交通事故で死んだ人はいくらでもいる。交通事故では人を殺しても自賠責とかですませ非常に罪が軽いのだ。交通事故で死んだ人はいくら金をもらっても損である。殺され損なのである。身内で死んだ人いたからこれは痛切に感じた。これも文明による犠牲者であった。いつ交通事故がなくなるのか、もっと技術が発達すると交通事故がなくなるのか?これだけの犠牲を払ってまでも自動車社会であることに真剣に考えないのも不思議である。それ以上に自動車の便利さを優先させている。汽車は毎日死ぬような事故を起こさないから安全な乗り物だし飛行機もたまに事故があっても十分な許容範囲にある。自動車は違う、これは許容範囲を越えている。
6年前、9歳だった私の娘が無謀な暴走族に殺されたが、彼は略式裁判という形式的な裁判で、たった50万円の罰金刑で禊ぎを済ませた。その当時は、いわゆる無気力病にドブンと浸りきっていて、自賠責や任意保険のことは知ってはいたが、娘の命を金に換えるような気持ちがして、自賠責保険を請求することも、賠償金について保険会社と折衝することもしなかった。
実態は、加害者の多くは、被害者のところに形式的に葬儀・通夜に参加する程度です。中にはまったく被害者の所に来ない不埒な加害者もいます。
現在損害保険会社に登録されている弁護士は、夥しい数に上ります。「私は交通事故に詳しい」などと自慢する弁護士は、ほとんど保険会社のお抱え弁護士です。こんなのに頼むとひどい目に遭います。弁護士は正義の味方などという先入観は捨てましょう。
事故を起こしても15%の加害者しか送検されない、つまり刑事処分を受けないということになります。
また書類送検されるとしても、その約80%が略式起訴で50万円以下の罰金刑ということになります。
被害者・遺族の救済
http://www.ops.dti.ne.jp/~ton-ton/mokuji.htm
この人の例もそうだが交通事故は実に残酷なものなのだ。私の場合も全くこれと同じだった。それ以上にひどかった。謝りさえしなかったのだ。なんのためかわからない、誤ると非を認めることになるためなのかわからないが一人の人間を殺しても謝ることさえしないということがあるのだ。被害者のところにこない不埒なものがいるというのも本当である。責められるから来ないのである。これも異常なことだし交通事故はどこでも殺され損なのである。加害者は保険金にまかせでありほとんど罰則はないのだ。これも実に腹ただしいが結局この人もこれを裁判で恨みをはらそうとするがまさにこれも大変な障壁があり途方にくれてしまっている。交通事故の裁判はものすごく大変なものなのだ。被害者の方が信じられないほど不利になっているのだ。証拠をそろえるだって大変な作業が必要なのだ。時々そうしたドキュメントをテレビでやっていたがあれを見たらいやになるだろう。つまり交通事故は殺され損なのである。その痛みがわかるのは自分の身内か自分が交通事故にあって死んだりしないとわからないものである。
インタ-ネットにこんなサイトがあるとは気づかなかった。こういう問題に本当に当たる確率はかなり高いから日頃から知っておく必要がある。どうしていいかわからなくなる。インタ-ネットの利用方法はわかりにくい、でもこうした必死の体験談から学べることは多い。どう対処していいかわからないからこうなるのだ。弁護士もあてにならないことがわかる。保険が400万くらい安くされたのはお抱えの弁護士か担当だったのかもしれない、ただ私の経験した場合は勤めていた小規模の運送会社が保険金をとろうとしていた。そんなことがあって証明書をもらうために保険会社の人が大変な苦労した。だから保険会社は責められない、ただこうした事情のない人はそんなこと知らないのである。このとき借金していた武富士は死んだ時点で借金と御破算にしてくれた。その他は死んだとたんに借金のとりたてにきていたのだ。だから武富士は誠意があるとなったのだ。
いづれにしろ交通事故で死んだ人は殺され損である。虫の音が車の騒音の中にかきけされると同じである。そんなものはこの凄まじい車社会で通じないのだ。これが当たり前、普通になっていることの異常性に気づかないのだ。ただこうした被害者が無念の涙をのんで終わっているのだ。これは被害者になってみてはじめてわかることである。だから交通事故で殺された人はその身内が殺されてその悲惨さにはじめて気づくのである。そして結果的にこの自動車社会の非情さ異常さに気づくのである。命は地球より重いといった人がいるが自動車社会では車より人間の命が軽いことに気づいていないのだ。それは交通事故の被害者になった人が痛切に感じているのだ。それでも人間は車という便利なものにのることをやめない、人間の命より車の便利さを追及するし車なしの生活を考えられなくなっている。
この世のからくり(弁護士もうさん臭い職業だ)
加害著の加入している、保険会社並びに代理店の担当者が、加害者から事故の報せを受けると、第一に加害者に云い渡す言葉が「度々被害者を見舞いに行かないように。 見舞いに行っても謝ったりしないように」更に、「任意保険を掛けている事は云わないように」
と云うものなのです。
平身低頭、事故の時は平謝りだった加害者が、二、三日もすれば豹変し、どちらが加害者か判らないような態度をとるようになるのはそのためなのです。
弁護士は法の番人?
http://www2.inforyoma.or.jp/~ritsuko/quest/q_56.html
私の場合もそうだった、全然謝らないのだ。いくら謝れといっても謝らないのだ。こういうことを支持されていたからだろうか?謝るくらい頭下げればいいのだから簡単だと思うし余りにも無礼なひどいことではないか?人を殺していて謝らない、これが平気で成されているのが交通事故なのだろうか?それは結局「私には過失はありません、謝る必要はありません、あなたが悪いんです」となる。そんなことでいいのだろうか、任意保険はしきりにかけていると言っていたからこれは違っていた。保険金さえ出せばいいという話だった。謝ることは運転手は全然していない、運送会社の社長は謝っていた。そしてわからないことは前にも述べた弁護士はその保険会社の担当だったと言っていた。だから400万過失があったとひかれた。ただ私の場合は借金だとかいろいろな事情があってそれもしかたなかった。雇い主が保険金にからんできたから余計ややこしくなったのだ。弁護士という職業もなぜクリ-ンなものではないのか、これも世の中の不思議であり裏のからくりがある。弁護士という職業は必ず大きな利害にからむことが多いためである。一歩間違うと事件屋とかブロ-カ-とか暴力団と変わりない役柄になってしまうのだ。
手数料稼ぎのために、初めから敗けると決まっている事件でも、とにかく何でもかんでも手当たり次第引き受け「事件」にして提訴するのです。 当然事件件数は莫大なものになります。
裁判になるような事例は、間違いなくミスが指摘でき、そのミスは担当医の心に深く付き刺さっている事は既に述べた。しかし病院側弁護士は医師と一体となり、ミスを隠す、あるいはミスを法律論上のミスでなくすために重箱の隅を突っつく様な逃げ口上を捜す
こういうことが起こるのも弁護士は利権にからんでくるからそうなる。そしてどっちかというと権力をもっている方の弁護に回る方が得になるからその時法律を楯にして正義を追及するというより会社の利権を守る方になってしまう。弁護士の問題は何かしら必ず利権にからむ、人間の利害にからむから人間の欲のどろどろとしたものにまきこまれるし自らもそこで利権をえる職業となるから公正でありえなくなる。人間は欲の動物だから利権にからむとみんな鬼になる、悪魔になってしまうのだ。平常欲にからまない限り親戚でもなんら問題なくないのだが、平和なのだが一端莫大な財産がおりたとなるとそこで凄惨な殺し合いまで行われる。日頃なんでもない人でもそうなるのである。突然豹変するのだ。保険金というのは額が大きいから保険金のために事件が起きやすいのである。
人間はどうしたって利権がからむと公正でありえない、それは報道でも政治でも事業でもなんでもそうである。政治家という職業もこれも一歩間違いばブロ-カ-のようになってしまう。利権を斡旋するブロ-カ-である。現実公共事業とかODAでもそうなったのはそこに巨額な金が動くからである。その額は日常的な額ではない、多少ごまかしても何億とかわからないポケットマネ-として入ってくる世界だからである。巨大な利権にからむところはいてして罪を犯しやすいのだがその罪の自覚がまたない世界でもある。だからこの世で得するような職業にはモラル的には大きな問題をかかえている。モラルを維持するのがむずかしい、知らず罪を犯しやすい、権力を持っている立場の人はそうなりやすい、警察なんかもそうである。職務質問でも人を人とも見ない傲慢さがある。強盗事件で老人が殺されたが娘が犯人扱いされていた。それも完全に犯人とみなされて嘘発見器だとかその娘の娘までお母さんに自主をすすめさせていたというから驚きだ。こういうことが権力持つ警察ではかなりなされてきた。相手が相手だけに何も言えないのである。たいがい泣き寝入りなのだ。
職業は業(ごう)だとなっているごとく人間の職業はかえって特権がある人がうらやむもの実入りがいいもの、そうしたものには大きな悪が入り込みやすい、だから罪を犯さないようにするにはそうした職業をさけた方がいいともなる。平民的な職業、その日の糧をえるために汗水たらして働いていた人達はそうした大きな罪を犯すことがない、そうした誘惑もないのだ。だから倫理的な面からいえば労働的には金銭的にはめぐまれていなくても大きな罪を犯すことがないから最終的には幸せだったかもしれない、なぜなら来世ではそうした特権的権力的地位についていた人間が神からその罪をあばかれて罰せられるかもしれない、知らないといってもその地位の故にそうなるかもしれないのだ。つまりこの世は天国とは逆になっているからだ。この世の力はサタンのものでありサタンの力にあずからないものはこの世で力を権力をえることができない、だからそういう立場にある、地位や権力を持つ立場にある人は実は天国に入ることはむずかしいとなる。天国にいるのは意外とこの世では全くめぐまれなかった弱い人達がいることに驚くかもしれない、地位の高いものは低くされ卑いものは高くされているからだ。「冨を得ようとして苦労してはならない、かしこく思い留まるがよい」聖書 箴言23-4「権力あるものを王座から引き下ろし卑しいものを引き上げる」ルカ1-52・・・人々は冨を権力を得よう苦労して苦労しているのが現実である。
資本主義社会では金がすべてだとかなっているから金をえる為に苦労することが人生のようなものである。その冨は普通の標準のものであればいいが法外なものとなるとそれはサタンの力を借りなければできない、だから地位とか権力につくものは天国に入れないという危険性があるのだ。天国では権力あるものは王座から引き下ろされるからだ。宗教団体でもなんでも権力もっている地位のある人は実は非常な危険な立場にある。確かに現世では人を従い支配できる。でも来世では逆になっているから危険なのである。・・・・・長とかつく人はなんらかそうした危険な立場にあるかもしれない、そういう確率が高いからだ。そして人間の幸せは巨万の冨を得た人でもこの世の権力を得た人でもない、罪なく終わった人である。それは年とると意外とたいしたものでないとわかる。つまらないものだとわかる。年とると健康とか体力の方が大事になってくるからだ。「神の国は畑に隠された宝のようなものである」(マタ13・44)となる。誰も気に留めない巨万の冨や華々しい権力とは違い全く目立たないものである。主キリストがホ-ムレスであったようにこの世では全然見映えしない存在なのである。
いづれにしろなんらか利権にからんだら公正ではありえない、これだけは確かである。報道でも利権にからめば大企業のスポンサ-になっていれば公正はありえない、権力の擁護者になっていれば公正はありえない、事実マスコミの報道に公正がないのはそのためである。インタ-ネットにはかえって公正があるのだ。利権とからまず報道できるからだ。だから交通事故でも医療事故でもそうした権力に対抗する場を連携をインタ-ネットで作り出すこともインタ-ネットの利用方法なのである。
飯館村が合併しないのはなぜ
市町村合併でわかったことは小泉首相の構造改革が身近なものになったことである。構造改革は無駄なもの、弱者切り捨てであり勝ち組と負け組をはっきりさせることでありアメリカ型の弱肉強食の世界にすることである。社会の階層化がすでに進んでいる。教育費が減らされるし金のあるものは高度な教育が受けられるが金のないものは教育費が削減された貧弱な公教育しか受けられなくなる。地域でもいいところと悪いところがはっきりする。なぜこんなに市町村合併を急いでいるのか、政府が飴として金を与えるからだ。それを欲しくて急がさせられている。構造改革は地域のリストラでもあった。会社のリストラから地域のリストラになる。確かに地方には公共事業のような無駄が多かった。我が町でもなんで野球場を作ったりするのかあれもほとんど使わない公共事業だし土建屋に仕事を与えるものだった。高速道路も仕事をくれとゼネコンが要求しているのは事実である。過疎化した山村では道作りとかが唯一の現金収入の場だったりする。それが問題にしても構造改革は地方にとって必ずしもいいことではないことはいえる。議員なんかへるのはいいにしても飯館村には小さな支所くらいしかおけず
ましてや新市になれば、将来旧飯舘村から市会議員がいなくなる可能性だってあります。分権分散なんていってみたところで「ない袖はふれない」のです。国の交付税だって国の懐具合で変わるんです。分権分散を条例化するとか何とかいってみたところで、そんなことは何の保証にもなりません。ましてや先の任意協議会で合意していた旧市町村の「予算制定権」が、今度のひばりの市では「予算枠」に変っています。これはただの文字の変更ではないのです。ここに分権分散の骨抜きの姿がみえるでしょう。
小さくともいい、自分たちで意志決定できることが大切なのです。
(飯館村の掲示板より)
合併は単純に考えると大きな市と一緒になった方が財政的にも楽だと素人的には思う。それだけではない、小さな村として独立国として村を保ちたいという要望もある。財政的問題だけではないのがあった。原町市と小高町、鹿島町は鉄道でつながり経済圏も一体である。合併することに抵抗ないし実質仕事でも原町市中心になっているのだ。私も自転車で毎日のように原町市に行っているし自転車でも簡単に行けるのだ。ところが飯館となると自転車で行くと一日がかりになる。凄い急な坂を越えねばならないのだ。これで飯館にはなかなか行けなくて困っている。今の時代山村で暮らすには自動車ないと暮らせない、医者もいないしバスの便は悪いし使い物にならないからだ。
飯館は地理的にそもそも隔絶された場所で高原で寒いから冷害でも苦しんだ。ただその地理的に隔絶されたことがかえってチェチェンのように独立を維持したい、独自の村作りをしたいという要望になっている。これも地理的なものがそうさせるのだろうか。私は地形的に地理的に風土から世界を考えることに興味があるからそういえばこれは世界的に共通な現象なのかと思った。とにかく飯館は広いし緑は豊かである。家々が点々と森に隠されてある。道に誘われるようにたどってゆくと森の中に隠されて思いがけなく家がある。そういう点阿武隈高原は浜通りでも鉄道沿いの街とは違い別世界なのである。だからそこには別な山の高原の緑豊かな村としての魅力があるのだ。つまり飯館は地形的に地理的に別世界だから経済的には苦しくても自立的村作りをしたいというのもわかる。それはチェチェンが山国で独立国でありたいスイスが独立国として維持するというのとにているのか、一つの山国に独立の自治の旗をかかげたいのか、それはそれなりに理解できる。そういう要望も合併問題にはある例であった。そもそも昔から村の境というのは重要な意味がありもめていたのである。綱引きなどの祭りは違った村のものが争い勝った方が豊作になるというのは隣の村の人々が交流する祭りだったのだ。隣の村とは争うこともあったがやがて協力するようになった名残りである。昔は境界が重要な意味をもっていたのだ。
でも飯館牛とか有名だがそれだけで財政的には苦しいし自立できない、でも貧しくても飯館村の人が望むなら合併しなくてもいいのか、また合併協議会に入ったからこれから村長選挙まで持ち越され決められる。やはり財政的には苦しいから合併するのだろうか、ともかくこの合併問題は全国的に結構深刻な問題となっているのだ。名付けかたでもいろいろもめている。小泉首相の構造改革は合併とかを口実にして地方を切り捨てる面もあったのだ。
そこで都会と地方の対立が深まったり、また階層化で富めるものと貧乏層との対立が深まりそこに外国からの移民が入ってきて治安も悪くなり和を重んじる国が乱れの国になってしまう恐怖がある。現実一部ではそうなっている。ナイジェリア人が強盗で東京で逮捕されたのは驚いた。アルジェリアに石油をとれて日本人が行っているのは知っていたがナイジェリアと関連しているのかと思ったらかなり離れていた。アフリカの地図で見たら小さい所だは錯覚した。実際はアフリカ大陸自体大きいからこの国も大きな国だった。人口も世界9位とか大きな国だったのだ。ともかく日本の和が乱れることは経済的にも文化的にもいいことではないのだ。
郷土史相馬郡目次へ
市町村合併で名前が変わる(野馬追いの日)7月24日(時事問題17)
市町村合併の名前(続)「南相馬」では不満が・8月12日(時事問題18
新市名は雲雀野市と雄琴の由来など 9月7日(時事問題19)
公明党が国土交通省の大臣に(創価は都会から生まれた宗教)
公明党が国土交通省の大臣になった。創価は墓苑事業とか会館の建設とかで建設会社とゼネコンとも結びついた。銀行にも兆の預金があるということで創価大学の就職先の枠があるとかいろいろ取り沙汰されている。今度の大臣は創価大学卒だから池田会長の思し召しがいい人がなったのだろう。創価大学自体も日本が創価を支配するために作られたからだ。かなり利権のある場所でもある。建築家会社は公明党に公共事業や道路作りの仕事をくれと頼みにゆくのか、建設会社が工事をもらって会社ぐるみ公明に入れる運動をしたところがあった。それが共産党からなど追及された。とにかく莫大な金をもっているのだからその金で社会を動かすことができる。宣伝には湯水のように金を使う、どこにでも宣伝を出す、それが結構いい金を出すから雑誌や新聞などを出すものにとってはいい収入源になるから創価の悪口など書かない、もしそうした利権をご利益が創価によってさずけられるとなると便宜的に創価に入ったりする会社もでてくるかもしてれない、イスラムでは商売するために便宜的にイスラム教に入った人がいたように人間は利権のためには平気でそういうことをする。生活保護とるには議員の口利きが必要だからたいがい創価か共産に入っている。
創価は宗教を隠れ蓑として日本の権力をとり支配することを目的としているだから当然だとなる。その一番の先兵が議員である。警察のように創価批判を封じ込めるために公の権力を使っている。ただ大臣になったからといってすべて自由になるわけではない、勝手に創価を応援するから仕事くれといってもある沖縄の町ではその公共事業の仕事をとることで血みどろの町を二分した争いになった。それほど公共事業が地方では大きな収入源になっていることの証拠であった。つまりヤクザもからんだりして利権めぐる争いにまきこまれることも考慮せねばならない、事実前に創価の本館に暴力団が銃を打ち込んだ事件もあった。利権にからむと常にそうしたもめごとにまきこまれる。また日本の大臣はそれほど実権がないらしい、官僚が決めているとも言われる。でも大臣というだけでにらみをきかすことができる。それだけでも効果があるのだ。
私が座談会に集まった所は団地だった。そこのブロック長が大成建設の社員だったのだ。大成建設はあの富士山の立派な正本堂を請け負い建てた。しかしあれも本山ともめて壊されてしまった。なぜ創価があんなにふえて社会に根付いたのか、それはやはりいろいろ社会の背景があった。日本は戦争で負けて精神的支柱を失ったのだ。それで貧乏だったし何か精神的支柱が必要だったこととその頃団地ができたように都会に人が集中した。高度成長期から何か人間的な光景が全国的に喪失した。特に都会の変わりようは余りにも激しかった。団地とか高層ビルとか凄まじい変化だった。そこに適応するのは特に集団就職とかで都会に出てきた人達が適応するのには精神的に苦しい面があった。田舎とは余りにも違った空間だったのだ。そこで精神の安定を計るために創価のような宗教団体に入り都会でのコミニュティに入ることで安定を計った人達も多い。学生運動も大学が大衆化する走りでありその時千人も収容する講堂で講義していたから授業に興味がもてず学生運動で暴れた一因でもあったのだ。その頃すでにエリ-トでもなんでもなくなっていたのだ。旧制高校とは大違いだったのだ。田舎から都会への流入時代に精神の不安が増大したからだ。昔からの人が住んでいるところにニョキニョキと団地が建ち並ぶ、これは異様な風景だった。宗教団体が都会から生まれたのも当然である。事実団地の生活というのは日本人が今まで経験したことのない特殊な環境だったのだ。戦前は団地はなく一軒家が多かったからだ。今問題になっているのは団地に住んだ人々が老齢化したことである。団地という空間はやはり特殊な空間であり精神的な不安定さをもたらした。そうした急速な都会化が創価などの新興宗教が栄えた一因となったことは確かである。仲間だという安心感を作りだしたのである。
宗教は元来は釈迦のように森とか岩窟とか砂漠の荒野とかから生まれたものである。エジプト文明は動物などに聖性を認めた自然と密着した文明であり精神的には安定した文明だった。エジプト文明が現代の文明と比較して遅れた文明ではなく異質なむしろ自然に基づいて作られた文明であり現代の文明より健全な面があった。現代の宗教団体は都会から生まれた現代特有のものである。文明化というなかで異様な環境の中で生まれた特殊に変形したカルト宗教である。文明の急速な歪みの反動として生み落とされた奇形児である。ナチスもそうだった。この異様な文明が必然的にカルトであれ奇形児を生み出すのである。現代の都会から過去の宗教のようなものは生まれえない、宗教も奇形化するのだ。この文明自体実際異様なものである。だから異様な宗教が生まれる。オウムはその極端な象徴的事件だったのだ。科学と宗教の調和とれない異様なものとして自壊したのである。この文明は自然とも調和しないから自壊するのだ。エジプト文明は三千年つづいたのは自然との調和が計られたからでありこの文明はせいぜい二三百年で自壊するのだ。内部矛盾によって支えられなくなりバベルの塔のように呪われたように自壊するのである。
自然から生まれたアミニズム、神道などでもこうした大都会から生まれた宗教よりは正常な宗教だったろう。自然という清浄な環境から生まれたものだからだ。森であれ海であれ柳田国男や折口信夫などが掘り起こした民俗学は貴重な精神的財産である。それは一つの日本の貴重な文化だったのだ。その崇めるものが本当の神ではないにしろ一つの文化であり貴重な精神的遺産、文化財なのである。神道がおかしくなったのは国家神道だからであり権力宗教になったからである。民俗的なものとして例えば各地にある地蔵なんかは民間の信仰であり庶民の拠り所としてあったのであり国家の権力とは関係していない神なのである。
学生運動の回顧
六〇年代後半、学費値上げに反対する学生と大学側との対立が、学園紛争、大学闘争の火種となり、全学共闘会議(全共闘)を名乗る学生が「自主管理の直接民主主義」を掲げて大学解体を主張した。京都大では六九年一月、学生寮の増設や財政公開を求める対立から、寮生が学生部封鎖を宣言して紛争が始まった。
多くの、大学を出ていない団塊の世代の親たちはわが子を大学に入れることで社会の競争に負けない手立てを与えようとヤッキになったのでしょう。この時期にデキのわるい受験生たちを入学させるべくあまたの新設大学が出現しましたが、その結果、地方出身の学生が東京をはじめとした都市圏へなだれ込み、田舎流儀に顔赤らめることもなくそれがインテリの証ででもあるかのようにマルクス主義を唱え、長髪を気取り、肩を組んでデモに参加し都会の空気を撹乱しはじめました。こんにちの無節操な日本の社会を現出せしめた元凶のひとつがここにあると思っています。
かなしき団塊の世代
学生運動は何であったのか、今から考えると不可解なものになっている。これは社会全体の問題ではなく大学自治の問題が発端であり社会問題としての運動ではなかったのだ。大学内の問題であり社会問題として波及すべきものではなかった。現実学生運動に同調する社会人はいなかったのである。私自身も田舎から出てきたからどうしてあんな運動するのかわからなかった。あそこで運動していた人は都会の人で高校からすでに政治に関心があり運動していた人達も多かった。その頃田舎では中卒が金の卵として集団就職で都会に流出した。彼らの方が社会的問題だったのだ。15才くらいで親元を離れ苦労したからだ。私自身もそういう人達のことを考えなかった。その時高卒とかの機動隊の方が学生運動に反感をもっていてつぶしにかかった。機動隊の方が大人であり理論によっている学生とは違い現実的で地に足がついていたから対抗できるものでなかった。学生運動は大学の自治を勝ち取るものだったらあのような社会問題として波及しなかったし大学内の問題として終わったのである。大きな原因はマスプロ教育による大学教育の大衆化にあったのだ。大学はエリ-トではない、大衆化していたのだがまだ大学は選ばれた特別な存在であるような過渡期にもあった。「大学」という言葉は田舎では何かそれだけで特別なものとして見られ面がまだあった。事実クラスで四五人しか田舎では大学に入っていない、その頃大学は学生の増加とともに粗製濫造されていたのである。私の父の遺言は「上の学校に入れてやってくれ」だった。その学校は高校くらいのことを言っていたのだろう。そもそも父は学校にも行っていない、丁稚奉公であり読み書きソロバンはできた明治生まれの人だった。上の学校というとき「高校」でありまた大学自体知らなかったろう。そんな時代だったのだか大学の大衆化は進んでいたからそのギャップが大きかったのである。
その頃マルクスを教える教授も多くマルクス主義が生きていた。世界的にもソビエトとか中国の毛沢東とか北朝鮮まで理想化されていた。その内実は知らされず勝手に理想化して高度成長期で経済がうまくいってたのに社会の支持も得られないのに理想によった行動になった。その後赤軍とかが武闘化して北朝鮮にハイジャックして亡命した。あとは学生運動した人は逆に猛烈な企業戦士になったのも皮肉である。資本主義の先兵となり世界に日本の商品を売り込むことになったのだ。革命の理論であるマルクス主義とは何の関係もなくなっていたのである。だから無定見と批判されてもしかたがない、地に足がつかない理想に酔った青春のエネルギ-の浪費だった。団塊の世代は無定見だという批判されるのはこのためである。そこからアウトロ-になる人間も少なかった。みんな企業戦士となりただ闇雲に働いたのである。ただ数が多いからその後の人生については簡単には言えない、団塊の世代としてすべて一くくりにはできないのだ。
団塊はアメリカのコピー文化なんだよな
いちご白書をもう一度、反ベトナム戦闘争、ウッドストック、ラブ&ピース
勝利を我等に
We Shall Overcome
.We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Oh deep in my heart
2.We'll walk hand in hand
We'll walk hand in hand
We'll walk hand in hand some day
歌と音楽http://bunbun.boo.jp/okera/saso/shouri_warera.htm
この歌をどこかでみんな歌っていた。奇妙なことは創価でも学生運動をまねて池田大作がヘルメットかぶって学生部を動員していたのだ。それに参加したからそのときこれも歌っていたのかもしれなぬ、ただあの時代フォ-ソングが盛りでありどこでも歌っていたのだ。それが反戦の歌となって手に手をとってとみんな文字通りそうして街を行進していたのだ。あの頃の歌だけは今よりずっと情感があり良かった。ただ今思えばこれも日本独自の立場からの反戦運動ではなくアメリカの受け売りでありまねにすぎなかったことは確かだし結局戦後日本人のしたことはアメリカのまねでありアメリカ一辺倒の文化であり独自の文化など作らなかったというのは本当である。今だって全く小泉首相がアメリカのポチだというように政治も、マスコミも、批評家もほとんどアメリカよりでありアメリカに批判的な人はでてこないとあるからそれはつづいているのだ。ベトナム戦争で痛みを受けたのはアメリカ人でありベトナム人であり日本人は甘い反戦運動の歌だけに酔って自らは痛むこともなにもなかったのである。
ともかくなんか過去というのは何であれ甘美になるのだろうか、やけになつかしいしこの歌だけはフォ-クソングはあの時代の青春時代をよみがえらせるものだった。しかし青春ははかない、たちまち時は流れてしまって今やそれは遠い過去になってしまった。学生運動自体だってなつかしがっている人がいるたとは確かである。青春は帰らない、二度と帰らない、そしして過ぎた人生も帰ってこない、それが痛切なものになることを若い人は知らない、あなた方も必ず年取ったら痛切に反省するときがくる、その罪深さにその虚しさにその悔恨に・・・・これは人はくりかえしてきたことだが年になればいやおうなく気づかされるが若いときはそれが現実になるとは誰も思っていない、なんで死なねばならないんだと思って死んでゆくのが普通なのだ。人生はたちまち過ぎ去りこの世から人は去ってゆくといことが現実となることがわからないのである。そして巨万の金を得たとしてもそれは虚しいものとなり地位もまた虚しいものとなり美女はすでに色あせ老女となってゆく、生の移り変わりに愕然とするのだ。だから本当の宗教が必要なのである。
MP3で70年代のフォ-クにむせび泣いた夜」
老人の涙を知らむ若者のいづれは知らむその哀しみを
老人は昔を回想しただけで泣くということがある。過ぎ去った時間かえらず思い出だけとなってしまったことなのだ。そのときの時間は帰ってこない、永遠に帰ってこない、これは厳粛なことでもある。老人は昔を回想することが一面仕事になるのだ。今老人の気持ちがはっきりわかるし老人の書いたものもわかる、この世に残っている古典は若者の書いたものではない、老人の書いたものであり老人にしか書けないものである。老人の観点からこの世は無常だとかはそれは現実として実感としてそう言うのであり若者は観念的にしか理解できない、男女ともその華やかな青春の生の真っ只中にあるからだ。「MP3で70年代のフォ-クにむせび泣いた夜」を書いた人がいるが今デジタル化して過去の曲が全部デジタルとして残されている。なつかしくて聞いている人がいるのだろう。あの頃のフォ-クにはメッセ-ジ性、単なる音楽ではなく政治性や社会に訴える若者のメッセ-ジ性があった。そこが今と違っていた。だからあの頃の歌は聞くと時代が偲ばれるのだ。若者が社会に時代に訴えるものとして音楽があったということは今はないから一つの音楽史としても意味あるものだったのだ。
「泥棒国家の完成」(ベンジャミン、フルフォ-ド)を読む
仙台にひさしぶりに行きこの本を読んだ。それで気づいた。
戦後の生き残り世代、松下幸之助や井深大、本田宗一郎などが必死で築いた資産を、その後の「団塊の世代」が食いつくす・・・・・
これと同じことが2ちゃんねるでしきりに言われていた。言われたというより全くのコピ-だった。2ちゃんねるは若い奴が多いからコピ-文化なのだ。デジタル社会はコピ-が簡単だからコピ-文化になる。意見がなくても誰かの意見をコピ-してそれがあたかも自分の意見のように言っている。それがわからない場合が多いのだ。とにかく団塊の世代は金ばかりとって仕事ができないとその不評は尋常じゃない、あれん読んでいたら恐ろしくさえなる。団塊の世代が退職して年金をもらうようになったらその風当たりはもの凄いもとなる。ネットが極端になるにしろその怨嗟は尋常じゃないから団塊の世代は考えていた方がいい、つまり年金なんか俺たちは払わないし団塊の世代などめんどうみる気がないとなれば実際年金はもらいないのである。それは団塊の世代とか年金がもらいる人々が決めることではない、次の世代の若い世代が決めることだからである。そういうことを年金をもらう世代は感じていない、今も高額な月給をもらっている、若者の二人分の給料をもらっているとか若者には職につきたくても職がないとかその恨みは尋常じゃない、世代間の対立が深まっている。不況だから特にそうでありその風当たりが団塊の世代にくる、標的になる可能性がある。2ちゃんねるでもすべてはコピ-ではない、体験とかその場からの発言はコピ-ではない、しかし本当にコピ-が多いということは確かである。今回買った「泥棒国家の完成」(ベンジャミン、フルフォ-ド)という本を読んだがこれからのコピ-もかなりある。本からのコピ-もかなりある。
ただ社会の見方はいろいろある。ある本ではフリ-タ-とかが多いのは江戸も同じだった。日払いのフリ-タ-の職が江戸には多かったとかその解釈はいろいろでありフリ-タ-とかこんなにいる社会は江戸と同じで変わりないとか、フリ-タ-は豊かだから存在しえる。例えば貧しい国ではフリ-タ-どころでない、児童労働があり奴隷にされている子供たちがかなりいる。子供の頃から親のために売春宿に売られたり奴隷として家事労働にこき使われている児童がかなりの数にのぼっている。一方日本のフリ-タ-は親に養われているのだからそれだけ余裕があるのだ。やたら海外旅行したくてフリ-タ-の職を選んでいる人も昨今は多いし必ず海外にそういう放浪者がかなりの数いるのだ。そういう恵まれた時代なのである。ただ今はいいが将来はわからない、日本は中国や他の国、インドなどが追いついてきて世界のグロ-バル化の競争に負けると悲惨なことになる、一転してどん底に落とされるのがグロ-バル化の非情な経済戦争なのだ。現代の戦争は殺し合うことではなく経済戦争であり経済戦争に負けたものはその子供も売春宿に売られる。中国は意気が上がっているのは経済戦争に勝っているという自覚がでてきたからである。また平気で人がグロ-バルに移動する。韓国でも国を捨てカナダとかオ-スハラリアに移住しているという、日本でも経済が破綻すればいやその前に金持ちや一部の人は外国に移住するかもしれない、そういうことがグロ-バル化の世界なのかもしれない、海外で暮らすことも抵抗なくなってゆく世界である。
この本では日本の不良債権問題も解決していないしすべて先送りで政治家は勇断をもって改革を実行していないとあり小泉首相は結局口だけであり実際抵抗勢力と一体だというのも本当なのだろう。巧妙にパ-フォ-マンスしているだけなのである。そして日本は階級化して勝ち組と負け組にはっきりと分かれる。就職先がなく50代でもパ-トタイマ-的仕事しかなくなる。現実一部はそうなっている。世界が狭くなったということは世界の変動も激しいしその変動をもろに受けやすい、石油危機とか様々な危機が世界的に波及するのも現代である。江戸時代の鎖国時代だったら他国のことなど全然心配していない、だから世界がどうだこうだと悩む必要はなかったのである。現代はそうはいかない経済戦争に勝っているときはいいが負ければたちまちアルゼンチンのようなどん底に落とされる。その落差が激しいのだ。
ただアメリカ人や欧米人の記者が常に中国や韓国にアジアの人に戦争のことで謝れというのは僣越である。アメリカこそ原爆ととしたのだからこれだけは人類的罪であり日本に謝るべきだしそれをしていない、正当だったとしている。「罪なきものは打て」となれば国家自体みんなどこかしらやましいものをもっているし犯罪国家である。アメリカもそうである。それが自分の国はさておき他者の国に謝れと言えるのか、ねこに欧米国家の傲慢さがある。アメリカはインデアンを絶滅寸前まで追いやったしポルトガル、スペインはインカの民を絶滅しようとしたしヨ-ロッパはアフリカで黒人を奴隷化したりとそれはまぎれもなく犯罪である。国家的犯罪でありアジアの植民地化も犯罪にもなる。国家はどこでも犯罪国家である。それを自分の国だけは別だというのだろうか、その傲慢さに腹がたつのだ。他国のことを言う前に自分の国が謝れとなる。この人は日本に20年いても日本がだめになれば別な国にゆくのだから関係ないことである。だから日本のことを批判しても責任もないのだ。ただ外人の方が日本を客観的冷静にみているから急所をついていることは確かであり読むべきものがある。日本人が言えないことをずけずけと言えるのである。
ss
エイズと奴隷
(グロ-バル経済と現代奴隷制」ケビン、ベイルズを読む)
なぜ奴隷が問題なのか、奴隷はロ-マ帝国時代からさらにハムラビ法典にも奴隷に対する法があった。
§15.王宮の奴隷または市民の奴隷を市の門から解放した者は、殺されるべし。
§16.逃亡中の奴隷を匿い、差出命令に従わなかった者は、殺されるべし。
とある通りである。また、逃亡中の奴隷を捕らえ、所有者に返した者は、所有者から銀2シェケルが与えられた。
奴隷所有は国家によって記録管理されていたようで、逃亡奴隷の所有者が判明しなかった場合は、王宮に連れて行かれ、事実関係が調べられた上、元の所有者に返還された。
これが遠い古代の昔のことかというと現在に通じている。今の時代どこに奴隷がいるのか?となるが児童労働とか少女売春に売られているものは明らかに合法的な奴隷なのである。「グロ-バル経済と現代奴隷制」ケビン・ヘイルズという本を読んでわかった。奴隷は過去にもあった、売春宿に売られ少女は逃れられない仕組みになっているからだ。なぜ奴隷が生まれたかというと戦争があり戦争に負けたものは奴隷にされた。戦争自体が奴隷を得るためのものもあった。ギリシャのアテネでも民主主義があったというアテネでも底辺の労働をまかなったのは奴隷だった。奴隷がいない国はなかった。スラブがスレ-ブで奴隷を意味していたのもともかく奴隷のいない世界はなかった。インドのカ-スト制もア-リア人が侵入してきて原住民のドラビダ族が低い存在とされた。人種差別であり階級制、奴隷制度でもあった。人間の歴史は奴隷を生み出す歴史だった。これは人間にとって一番忌まわしいことではないか、それが豊かになった文明者社会に未だ存在するということは文明社会でないということである。なぜなら文明とはcivilzationでありcivilは市民のことであるからだ。世界の市民となることがcivilzationなのであるが現状は市民とはほど遠い形を変えた奴隷が容認されているのである。人間は一見発展しているようで発展していない、ただそのやり方が変わっただけなのである。
旧奴隷制は長期にわたる関係-新奴隷制は短期間の関係とある。ロ-マではある家族に死ぬまで仕えるから一面はそこには互いに人間なのだから情が生まれ家族の一員と同じようになった奴隷もいて当然である。ところが現代の奴隷がそうした家族に雇われて一生仕えるという長期間の奴隷ではない、一時的なものであり使い捨てである。その極端な例が売春に売られる少女である。
これは若ければ若いほど高く売れるがすぐに使い捨てにされる。若いければ若いほど商品価値が高くなる。世界の経済のグロ-バル化は実際は人間の欲望の増大と肥大化をもたらした。世界中に人間の欲望が顕在化する。何か売るものはないのか、ここにそらお前らの一年ぶんの給料の金がある、何か売るものを出せ、果物はいくらでもある、これはあまり商品価値がないな、材木かこれなら日本では価値がある、森を切り倒して売れ、石油ならこれは国家的戦略として確保せねばならん、軍隊を派遣してでも確保せねばならん、あとは何があるんだ、虎の皮か、虎のペニスが精力剤として金持ちの老人に売れるな、ともかくなんでもいい、売れるものを出せ、少女は一番売るのにいい、何もなければこれが一番の商品価値だ、今は性の欲望が増大している、欲望を増大させ肥大化させるのが資本主義のグロ-バル経済だ・・・
これは世界的なものとしての欲望の増大化だけでなく国内の同じ人種でもその欲望は増大して少女が求められているのだ。それも一台のテレビとかバイクが欲しくて親が子供を売春宿に売る、テレビがバイクが欲しい、しかし買う金が売るものがないとない娘を売るとなる。それがグロ-バル経済である。エイズがなぜ蔓延したのか、それもアフリカとか極端な貧乏な国に蔓延したのか、これはエイズという細菌の問題ではない、細菌を殺す方法が薬が開発されても解決しない問題なのだ。エイズは性の欲望が増大しそれが世界的に拡大化した結果世界に蔓延する。グロ-バル経済化の矛盾から必然的に生まれたものだからこの矛盾を解決しない限りエイズはなくならない。そこが今までの病気とは違う、世界的経済の欲望化の増大、肥大化によって生まれた病気なのであり神からの罰とも思われる病気なのだ。資本主義のグロ-バル経済は人間のあらゆる欲望の増大、肥大化なのである。そのしわ寄せが貧乏な国に押しよせさらに悲惨なものにしている。それもグロ-バル経済だから目に見えないのであり巧妙に合法化されている。今食っているもの使っているものには回り回って奴隷の児童の労働の汗と涙の産物かもしれない、しかしそれが目に見えないし具体的にわからないから良心の呵責なく平気で食っている使っているという指摘も本当であろう。バナナとるにも暑い中での重労働があり日本人の若者がやってみたが苦しくてつづかなかったとかそうした現場の労働の苦労などわからないのだ。
いづれにしろロ-マ帝国でキリスト教が広がったのは大量の奴隷がいたためである。奴隷を平等に人間として扱うのがキリストの教えだったのだ。その一つのいい例が弟子の足を洗ったということである。これは奴隷がすることだった。その教えはかなり衝撃的なことだった。グロ-バル化経済は全然違う、金のあるもの強者が足を洗わせるのである。つまり児童労働であれ売春であれ短期的に物のように売り買いされ役に立たなくなれば捨てられるのである。現実にはそうさせてくても経済の仕組みで奴隷化させられている。だからどうしてもアメリカであれヨ-ロッパであれそれがキリスト教国の国かとなる。経済という仕組みの中で合法的に弱者を虐げるのがグロ-バル経済だとなる。イスラム教の方が弱者に優しいとかなる。だから現実アメリカではイスラム教に入っている人が黒人中心にふえているという矛盾がある。アメリカのキリスト教原理主義なども何かこうしたキリストが弟子の足を洗ったような世界観ではない、力でもってキリスト者が支配するという愛ではない、力の信奉者の信仰ではないかと思う。だから世界に受け入れられないしテロも起きてくるのではないか、世界の経済のグロ-バル化は地球が太陽の回りを回っているとか数学の公式のような共通の真理を広めるのではない、持てるものと持てないものの格差を露にする非情な世界なのである。
OPERA(オペラ)とまっぷっぷを買う
ソフト二つ買った。まっぷっぷとオペラである。地図を描くのがうまくいかないのとインタ-ネットの操作に苦労しているためである。このOPERAが今話題のLIVEDOORで発売されているものだった。ライブドアってインタ-ネットをかなりしていたがわからなかった。インタ-ネットの世界は有名でもわからないことがいくらでもある。そもそもインタ-ネットで困ったのはお気に入りの数がやたら増えてくることなのだ。Internet
Explorerはお気に入りの分類がめんどうで困っていたがこれは分類しやすくなっているしそれからInternet
Explorerで困っていたのが字が大きくするのがいちいちめんどうだったがオペラでは倍率指定ができて便利である。字が小さいことは疲れるし中高年にはよくない、オペラの方が中高年には使いやすいかもしれない、インタ-ネットは使いやすくないといやになる。それがちょっとしたことでもボタン一つでも操作が省かれるだけでも使いやすくなる、2ちゃんねるのlive2は使いやすい、使いやすいから書き込みもしやすいからそこにアクセスするということがある。ヤホ-の掲示板はわかりにくいのだ。一覧するには2ちゃんねるが向いている。ソフトの影響であそこに人が集まったということもある。
パソコンはソフトに左右される。インタ-ネット情報学が必要である。いかに自分なりにでも使いやすくしておくがが大事なのだ。お気に入りの分類がなぜ大事かというと絶えずお気に入りがふえてくる。一時的にでも保存してあとで見る必要もある。インタ-ネットの問題はあまりにも細分化していることなのだ。無数の情報の中からキ-ワ-ドで関連したものを拾いだしてゆく、それはまた無数のサイトにアクセスすることになるからお気に入りとう一時的に保存するものもふえてくる。一方本は一貫して一つのテ-マを追及している。今回買った「エイズと奴隷(グロ-バル経済と現代奴隷制」ケビン、ベイルズを読む)10月4日などは奴隷とは何かを追及している。現代は先進国とアフリカやイスラムなど二つの世界に分離していて経済的には遅れた国は奴隷化されているのだ。インタ-ネットにはこうしたものもあるのだが一貫して書いているものは少ない、なんか一ペ-ジとか二ペ-ジとか触りだけが書かれている。だから探すとなると数ばかりふえてくるが中味がないともなる。
ほんの世界は主要なオピニオンリ-ダ-の本を読むのであり情報をキ-ワ-ドで探すというのとは違う、そこには選ばれたものしか置けない世界である。そこから省かれた人間は置けないのだから不公平だし商業主義に合わないものも書店には置きにくいのだ。ハリ-ポッタ-みたいなベストセラ-などを置くには向いている。書店は昔は地方でも古典などをおき文化的場所だったのかもしれない、本のむずかしさは文化というものを担っていることにあった。しかし商業主義からは逃れられない、慈善事業ではないし公共の図書館でもないのだから。ただ本は売れればいい、売れないものしか置けないとなると文化的な場ではなくなってくる。本は高いのだが今回の本などはNGOとかで売りその収入を役立たせるという方式などにするといい本である。高くてもなんらか援助になっているのかと思うからである。つまり今本とかが行き詰まっているのはそういう流通の方式とかにも問題がある。本が高いというとき例えは新聞は新聞紙を買っているのではない、その記事を中味を買っているのだ。
それが新聞紙を定期的に無料で回収してくる商売が生まれた。新聞紙が中国などに売れて貴重なのである。電子新聞にすればまさにコンテンツ、中味だけになる。ロ-マ時代は紙が高くて作家には著作権もなにもなかった。紙に書かせてもらうだけで何の権利もなかった。それが今や紙の方が新聞紙の紙の方が価値ある世界になるかもしれない、これも電子世界になって現れた矛盾である。
いづれにしろハリ-ポッタ-なども今回は売れていないらしい、あきたこともある。本とかがいまなぜ問題がクロ-ズアップされるのかやはり電子情報に変わる端境期にあるからだ。本というメデアと電子のメデアが対称的に見られるからである。書店は商業主義からまねがれないにしてしも例えは幸福の科学の本が山積みされていた。そしていつもベストセラ-になっていた。あれも前は信者でない一般の人も読んでいたのだ。ところが宗教団体になると会員をふやすために売りこむことになる。宣伝の為でもある。会員をふやし勢力を増大させる為に売るのである。実際信者が会員が買わせられているのだ。創価でも他の宗教団体でも半場強制的に本は買わせられるのである。そして書店では何を言っても売れない本はだめなんだよとなる。いづれにしろ出版や書店の世界は不公平な世界である。インタ-ネットの普及で非常に狭い情報の世界になっている。特に大型店でないとほとんど役に立たなくなっていることは確かである。だからアマゾンが繁栄することになる。オペラもアマゾンから買ったのである。今回のソフトは損でなかったかもしれない、オペラが5千円でまっぷっぷは7千円だからソフトは結構高いし使いないものが多い、まあ、まだわからないが今までのように丸損にはならないだろう。
まっぷっぷで制作