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(近況報告ー日記)小林勇一
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「あなたの財産はかくも簡単に消滅する」浅井隆を読んで 11月6日
地名をたどる旅(四国の貞光まで) 11月8日
(インターネットで盛んな郷土誌研究)
今回の私の選挙分析(二大政党化はいいことだ) 11月10日
今回の選挙分析2 11月15日
異質なものを排除する日本(グロバリ−ゼ−ションも均一化)11月22日
阿武隈高原の東和町の放送を見て(NHK)11月24日
ヌビア人との出会い 11月28日
死の値段(外交官の死と特攻隊の死)12月5日
武富士会長の逮捕 12月7日
イラクに自衛隊派遣の危険 12月9日
公共事業の矛盾(グロバリ−ゼ−ションの負の遺産)12月14日
変わらない黒い構図(裏の社会、闇の支配) 12月16日
年の終わりに(考えられない昔の貧乏) 12月 29日
「あなたの財産はかくも簡単に消滅する」浅井隆を読んで
社会主義国 →国家の意向に反した報道はできません
資本主義国 →スポンサーの意向に反した報道はできません
「電磁波と生体影響」についてのあるシンポジウムが開催されたとき、
漏れは講演者の先生方と偶然同じエレベーターに乗りますタ。
スポンサーらしい男性は満員でエレベーターに乗れませんでした。
その中での先生方のひそひそ話です。
A氏: 「研究でお金貰っている以上、スポンサー側の気に入る結果しか発表しにくい
B氏: 「発表したら次から研究費貰えないものね」
C氏: 「んんん....」
(2ちゃんねるより)
この本はかなり読んでいるだろう。みんな金の心配している。
紙幣は信頼できない、日本は日本人同士で長い間生活していたから手形とか紙幣を信用する。しかしそれは紙屑になる可能性がある。財産は貴金属の金銀宝石でもてと言われる。ヨ−ロッパは紙幣が流通したのが遅い、コインの時代が長かったと書いてあるがこれも意外である。早くから紙幣が発達して商業が発達していたと思っていたから。
確かに江戸時代でも金の小判だったら価値あるとわかるからそれ自体財産であった。ヨ−ロッパは陸続きだから栄枯盛衰が激しいし国は頼りにならないという。日本はお上を信用するから官僚天国になり税金を吸い上げられるシステムになっている。官僚社会主義が日本だという。この本を読むと自民党は明らかに次の時代に適応できない老朽化した党に見える。民主党が官僚を打破するとか何か新しいことをやるように見える。やはり時代の変わり目でありその変わり目には古いものでは対応できない、自民党が勝ったとしても時代の流れは変わり民主党主導で政界再編が起こる。
この紙幣が信用できないことは時代が急速に変わるときは実際経験している人がいる。私の母は東京で結婚した夫が工場の事故で死んだ、そのとき一生金に困らないほどの保証金をもらった。それがすぐに戦争になりそれは文字通り紙屑になってしまった。ただその金で買った田二反だけが辛うじて残ったのだ。つまり時代が大きく変動するときは紙幣は文字通り紙屑になる。この怖さはそうなってみないとわからないだろう。
だから外国に金を持ちだしておけ、スイスに積んでおけとか、・・・・となるがこれは大金持ちのすることだろう。庶民は結局箪笥預金するくらいしか安全を計ることはできない、つまりこの作者の問題点はこのように確かに危機的状態にあるのだがそれを種に商売していることなのだ。悪いことが起こりますよ、世界が破滅するから逃れるために私たちの宗教に入りなさいよとかすすめる団体とにている。お前のもっている日本の紙幣は紙屑になるから外国に積んでおけ、その手続きや斡旋は私たちの会社でやってやる。そういう会社を経営していることに問題があるのだ。
理論的にも切迫感があり悪いとはいわない、でもそれを商売の種にするとなるとあんたら自分がもうけたくてそんなに危機をあおっているんじゃないかと思われる。学者が冷静に資料で判断するならいい、別に学者は本は売れたほうがいいにしてもその金を利用する会社を経営しているわけでないからだ。ともかくこうして報道であれ政治であれ背後に金が利害がからんでくるとなにかうさんくさくなる。いづれにしろどんなものでも本でもそれをうのみにせず批判的な目でみる習慣をつけることである。若者は批判的にみれないからおかしな宗教カルトにのめりこむのだ。現代は何かとマスメデアにより付和雷同しやすい、情報がすぐに電子メデアに流れまどわれやすい、煽動されやすいのだ。西安の日本人のエロ寸劇で日本人排斥運動が起きたのもインターネットでデマを流したためそれが広まり暴動になった一因であった。インターネットが影響してそうなったとのかと思い驚いた。自分も2ちゃんねるでそういう経験があった。誰かが有名人が死んだと書いてあったのを本当だと思ったのだ。こういうことがインターネットでは多い、今までのメデアとは違う、嘘やデマ簡単に流されそれを信じてデマにより暴動まで起きる。朝鮮人が井戸に毒入れたとか関東大地震のときもそうしたデマがながれ朝鮮人が迫害されたとにている。そういう混乱状態のときデマが起こりやすいのだ。
とせかく新聞でもテレビでもスポンサ−様には勝てない、金を資金を与えてくれる団体であれ人のいいなりになる。利害とか、権力がからんでくるとその裏がありそのまま素直にみれないのである。たいがいそうなっているからそこに公正がないのである。商品の宣伝でもその商品を正確にいい点ばかり言って悪い点は言わない、使い勝手は使った人しかわからないのだ。だから今まではマスコミに絶大な権力があったのだ。日経のブロ−ドバンドサイトでビ−ルの宣伝していたがこれも視聴率というか相当数の人がみないと宣伝にならないなと思った。宣伝には多くの人が見る必要があるのだ。商品の場合は特にそうである。だからテレビは視聴率第一主義になり大衆に受ける番組作りに苦慮するのだ。ここに今までのマスコミの問題があるのだ。インターネットは金がかからないからデマもあるが真実の報道ができるメデアでもあるのだ。ただテレビのように何百万という人にみられることはありえないのだ。そこが根本的に違うメデアだから今までのメデアの人はとまどうのである。なぜならここでは数千人でも相当な視聴者である。百人でもそうなのだ。その規模の違い大きすぎるから今までのメデアとは当然違ったメッセ−ジの出しかたになる。商品の宣伝などは一切しないが消費者からそれを見る人からその番組代を払ってもらうのが健全な報道の道ではないか、その金が集まるのかというと問題だがそういう方向になって行くのがインターネット時代の報道ではないか、メデアもその変わり目にきている。
地名をたどる旅(四国の貞光まで)
−−インターネットで盛んな郷土誌研究−−
茶屋町⇒瀬戸大橋⇒坂出→塩江温泉→相栗峠→貞光→脇町暮畑→
【 走行距離 】180キロ
瀬戸大橋線の茶屋町駅から輪行して坂出へ30分。
坂出を出発してしばらく行くと酷道193号で、塩江(しおのえ)温泉まで走る
塩江温泉から県道に分岐し、570mの相栗(あいくり)峠越えだ
自転車で旅行する道程としてこれは参考になる。最初の茶屋町駅というのは倉敷市にあった。
山陽道と四国路を結ぶ通り道となって金比羅まいりの客をあてこんだ茶屋が並んだことから、茶屋のある町、つまり茶屋町という地名ができました。
これは倉敷市にありここから瀬戸大橋をわたった。ここは輪行である、他にしまなみ大橋は自転車で渡れるし自転車も貸すし2000円くらいで泊まる処があったとホームページで見つけた。倉敷の川の船着場から海に出て金比羅参りしたのだ。金比羅の碑はどこにでもある。わが町にもあり全国でここにお参りしたのだ。こうした歴史をたどらないと知らないとまず旅はつまらないものになる。倉敷に行ったが茶屋町がありこんな由来があったことなどわからなかった。現代の旅がいかに途中がけてしまうからなのだ。「茶屋町駅」というのを車窓から一瞬みて通りすぎるからわからないのである。
ともかくこの地名から連想されるものも一つの旅であり興味がある。塩は塩と関係あるのか塩分のでる塩なのか、温泉には塩がつくのが多いから塩自体とはかんけいないかもしれない、ただ塩入とか塩田など地名が山中にあるから山には塩の道がかならずあるのだ。曲木は木を曲げて作る木の器を作っていた場所である。相栗(あいくり)とはやはり栗のことか地名は当て字が多いからわからないが栗とあれば栗を連想してしまう。貞光は平家の一門からでて落人部落で有名な処だからその名がついたのか、伊達とか相馬も一族の姓である。これは人の歴史を語っているのだ。次に脇町とは本町があり脇町がある。本町は別にあるのだ。ただ本町が廃れ脇町が栄えることもある。例えば今では昔の商店街より六号線の方に新しい道のほうに電器店、ス−パ−やbookoffなどが移動して買い物の場所になっている。昔からの商店街は廃れてしまった。ただ昔からの商店街には歴史があるからその歴史を活かす街並み作りが必要である。旅をするとス−パ−は遠いから商店街の方に足が向くのだがそこはどこでも廃れている。旅人にとっては歴史ある商店街の方が面白いのだ。そこは古町となっている。古町はどこにでもある。ここに町の変遷がある。貞光町は葉たばこで栄えた、軒並み葉たばこの出荷地でうだつで有名である。阿武隈山地も葉たばこで有名だった。高原の涼しい処が葉たばこに向いている。ただなぜ阿武隈ではそれほど葉たばこで町をなすほどでなかったかというとそもそも四国は大阪に近いからその消費地に近いからそれだけ繁盛したのである。そこが東北と違う、大阪や京都が近いということは消費地が近いのだからもうけもおおきくなる。これは東北地方にはそうした歴史がかけている。東北はもともと辺鄙な場所だったからだ。商業には縁のない場所だったのだ。淡路島の洲本の狸の伝説がそれを語っている。大阪はあそこから船で近いのだ。
芝居好きで、木の葉のお 金で大阪道頓掘まで見物に出かけた話は特に有名。 場所 洲本八幡神社
元大阪中座に祭られ、芝居(芸能)、商売繁盛の神として片岡仁左衛門、藤山寛美等に崇敬
を受けた柴右衛門狸が中座の閉館により、生まれ故郷の洲本に里帰りして、社がたてられ
たのが、蜂須賀家の祈願所であった洲本八幡神社
この話は如実に大阪が近いことから生まれた伝説である。旅することは歴史を知らないではまずその土地のことも何もわからない、地名はその有力な手がかりである。なぜなら地名からだけで行ったことない土地なのにこれだけのことが浮かんでくるからだ。現代の旅はあまりに早すぎるためかえってその土地のこともわからずじまいになるのが多いのだ。自転車で行くと苦しい峠を越えて行き山の奥深い村や町にでるから感慨深いものとなり昔を偲べる。脇町暮畑という地名も情緒がある。つまりこれだけのものを地名からインターネットからその土地のことを読み込める。今ホームページで郷土史とか地域の紹介が無数にある。これもインターネットの新しい文化、地域ルネサンスともいえる文化が起こっているのだ。これは今までのマスメデアではできない、NHKですらできない、その土地の人がじかに発信して説明するのとメデアが仲介して説明するのとは違うからである。インターネットではビジュアルにも説明できるしどんどん地域の紹介は増えているのだ。
宮城県の柴田町でも自分の家族の歴史とか歴史を語っている人がいた。普通は郷土史でも家族の歴史まではあまりでていない、旧家はでるかもしれないがしかし家族の歴史とか個人までつまりミクロからさらにミクロまで小さな地点まで詳しく紹介できるのがインターネットなのである。将来的にはそうした小さな地点にある碑が何なのかなどデ−タ−ベ−ス化が全国で行われる。だから郷土誌はインターネットに向いている。マスメデアはそうした詳細な説明や紹介は苦手でありおおざっぱな大勢にみられるものを作るから地域を紹介するのにも同じようなものつまらないものになるのだ。そこに住んでいる地域の人の思い入れが強い地元の人が紹介するのは外から見るのでは違ってくるからだ。これは明らかにインターネットに向いている使い方である。
晩菊や郷土を語る一人かな
我がポタリング人生
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~kanehori/report/index.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5599/report/sanuki3/index-g.html
今回の私の選挙分析
(二大政党化はいいことだ)
福島県では二名民主党がふえた。自分も小選挙区は二世には入れたくなかったが当選する人ではなかったので入れた。今回の選挙でおかしいのは比例は民主に小選挙区は自民に入れた人がかなりいる。こんなことありえないからやはり比例区は小選挙区ではおかしいのかもしれない、民主の評価として地方の小選挙区で今まで勝てない地域で勝ったということで評価している。比例では勝ててもなかなか自民の地盤では勝てない所があった。それが勝ったという意味は大きいという。自民と創価連合軍との戦いの結果は自民は確かに創価に助けられたが実際は創価のために比例ではへらしている。反創価は比例では自民に入れなかったのだ。それで自民がへったのだ。自民の支持基盤はかつてのように堅固ではない、だから無党派層などが反創価で入れないとそれもひびくのだ。こんなに低投票率なのに創価にも応援してもらったのに伸びないのは不思議である。民主党のほうがやはりのびてゆくトレンドにあることを示した。
2ちゃんねるなどで議論している人はほとんど無党派層であり反創価なことにはかえって驚く。反創価で反在日、右的なことが矛盾している。ただ2ちゃんねるは低劣なものもいるが比較的知的レベルがたかい。無党派層にもいろいろありその相当数は選挙に行かないし2ちゃんねるに顔を出すような人ではないかもしれない、若い人の投票率が低いのは団塊の世代とかその上の老人世代に国勢が左右されることになる。これは国の将来にとっていいことではない、なぜなら国の未来を背負うのは若者だし老人にしたって若者がしっかりやってくれないと老後の年金やら保証も受けられないのだ。そこがまた矛盾している
いづれにしろ二大政党化はいいことである。選ぶほうにとってわかりやすくなるのだ。反創価だったら即反自民となる、もはや自民と創価は一つの党であるから民主党は創価に色目を使わないで公明を政教分離で攻撃すべきである。自民党は新進党のときやったようにそして公明と組むと失敗するからすべきではない、平家と源氏、赤旗、白旗の対立の二大政党の方がわかりやすいのだ。創価公明党は確かに票を伸ばしたが自民の票も流れたからである。創価にとって自民と組んで利権も得られたし得したのだ。では今度は自民党にすると反創価の票が比例で民主に流れたから議席を減らしたことは確かである。一部にしてもその影響はあったから一部は今度は損した。それを考慮しないとこれから創価連合は裏目にでてますます衰退する。
創価については池田大作が死ぬと激変が起こる。カルト団体は崇める大将を失うとマインドコント−ルがうすれまた大組織での権力闘争が起こり分裂する。呪術的なもので支えられているものは卑弥呼のような呪術性が失われると効力を失う。これはだからその崩壊も分裂もカリスマの死とともに一挙に衰退することがありうる。創価をへらすにはマインドコントロ−ルが解けないからむずかしいのである。確かに今の時点ではかなりの勢力と見えるがその実はわからない、つまりいかなる強力な組織でも外部からの圧力ではなく内部からの矛盾や弱体化で崩壊する。宗教は外部からの攻撃でかえって強固になった。でもすべての国の興亡であれ組織の興亡であれ内部矛盾から自壊するのだ。インカ帝国すら外部のスペインの突然の攻撃で崩壊したのではなく内部からすでに矛盾してそのシステムも崩壊しつつあった。ロ−マ帝国もそうである。内部から腐敗してしまったのだ。文明自体も内部の矛盾で崩壊する。エジプト文明はそのシステムが自然と調和しているからあんなに長持ちしたという、現代の文明は地球に過重に負担をかけているからその矛盾から自壊するのだ。その崩壊も意外と早いのだ。石油がなくなると崩壊してしまうからだ。
江戸時代の幕府もすでに300年の鎖国で内部が弱体化して崩壊しつつあった。一見外部からの作用で崩壊したように見えるだけで本当はすべての国でも組織は内部が自壊するのだ。文明自体も内部の矛盾で崩壊する。新撰組とか用心棒を雇い幕府軍は自ら戦う力さえなくなっていたのだ。明治維新の主役が下級武士だったことがそれを示している。
上 中級武士の屋敷地は、間口も広く、面積も300坪以上であった。それに対して居住区も異なる下級武士の屋敷は、町屋と同じように短冊型の地割りで面積も狭かった。(60坪以下)。(杵築城下町)
江戸時代はそれぞれ身分や職業でも住む場所が違っていた。大工は大工町にすみその中で生活して結婚も親が大工同士とかでしていた。だから相手のことも理解しているから意外と摩擦がない世界で住み心地よかったのかもしれてない、代々同じ仲間と同じ地域で暮らしてきたのである。地位のある武士は今の地位を守ろうとするから革命はできない、革命は財産のない、地位もないものがしやすい、だから共産主義革命が起こったのだ。革命を起こしても何も失うものがないものが革命に向いている。不思議なのは下級武士は町屋の外に住まわされた。町人より差別されていたという不思議である。これには相当な不満があった。明治維新は武士の間の階級闘争でもあったのだ。今回の選挙の意味はやはり二大政党化であり兆候としては自民離脱で新しい国の方向を見定める選挙だった。民主にそれが見えたがまだまだであった。ただ兆候はありこれをバネとして伸びることはありうる。やはり脱自民でありそれと平行して脱創価公明、脱カルトを目指すべきである。もはや自民と創価は一つの党であり一体なのだから。創価は歴史的にはカルトとして断罪され消滅する。つまり創価であったことが非難され恥になることがいづれはくるのだ。そんな政党と組むということは自民は目先の利益しか考えない政党であることがわかる。一つの疑問として政党は政権とるためにだけあるのかということは確かにあるのだ。少数党でもあのとき反対していたことは正しかったとなることがあるからだ。ただ民主主義は政権交代がないのは民主主義ではない、先進国では政権交代が必ずある。そもそもそれがないから二大政党化や小選挙区にしたのだから政権交代があるべきなのだ。自民党一党独裁が50年もつづいたこと自体日本に民主主義がないことの証明である。
いづれにしろこうした選挙分析も地域ごとに違う。大阪や京都などは全然違っている。公明が小選挙区で当選する地域だから悪夢の世界である。なぜ大阪などに創価が多いのか、やはり在日がその勢力になっている面があるだろう。在日はみんな選挙にゆくだろう。自分達の少数者の利権や意見を通すためにかえってそれは強固な政治勢力となるからだ。だから無党派層は選挙に行かないからこれらの利権集団の後押しをして得させているのだ。
今回の選挙でインターネットはそれなりに役立った。2ちゃんねるなどでも多少発言すると社会とか政治に参加している気分になるのだ。だから選挙でもそこで票をとるために工作員が入って発言したり現実の場となるから白熱する。インターネットから投票できたらすごいことになる。投票率はぐ−んとあがり組織票をもつ団体の伸長をくいとめることができるのだ。つまりメデアの変化によって社会も実際は変わる。それの方が社会を変える、投票率を上げることだからそれも将来的に政策に入れる努力をしてもらいたいのだ。だってすでに2千万くらいのネット人口があるというではないか、これは見逃せない人数なのだ。そしてこれらの人は知的レベルも政治意識も高いのである。
創価のの女性の運動員逮捕(テキスト化保存)
2ちゃんねるニュ−ス速報1へ
http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1068514896/l50
・・・・今回の選挙分析2・・・・・
与党の67議員は民主党候補に接戦で勝ちました。
学会票が2万票も3万票も投票されてようやく勝ったのです。
3 :無党派さん :03/11/12 23:37 ID:entCs+e4
福岡4区
自民95469
民主79712
6 :無党派さん :03/11/12 23:42 ID:LVH3URbb
福岡10区
自民91974
民主79735
9 :無党派さん :03/11/12 23:45 ID:WFRQD9Ae
長崎3区
自民77528
民主71099
12 :無党派さん :03/11/12 23:48 ID:qrUFKFd4
熊本2区
自民95233
民主75517
15 :無党派さん :03/11/12 23:52 ID:DRrn5feW
埼玉13区
自民81935(品子)
民主81395(百合子)
16 :無党派さん :03/11/12 23:52 ID:kU2FLUT3
鹿児島1区
自民95841
民主79243
17 :無党派さん :03/11/12 23:55 ID:ub54bdVC
徳島2区
自民72116
民主62494
18 :無党派さん :03/11/12 23:57 ID:fPv2Rav+
香川1区
自民79298
民主62939
19 :無党派さん :03/11/13 00:01 ID:5qgPXI4q
高知1区
自民43232
民主36333
20 :無党派さん :03/11/13 00:04 ID:0taNru5s
鳥取2区
自民52466
民主50989
22 :無党派さん :03/11/13 00:12 ID:2IZq6zFO
広島7区
自民90487
民主73252
24 :無党派さん :03/11/13 00:16 ID:UquECKOx
広島6区
自民117659
民主100677
25 :無党派さん :03/11/13 00:18 ID:tl52TIMr
岡山2区
自民78643
民主69190
26 :無党派さん :03/11/13 00:20 ID:Qhld1uML
京都1区
自民83644
民主63487
27 :無党派さん :03/11/13 00:23 ID:rMCefha9
滋賀4区
自民83149
民主78954
29 :無党派さん :03/11/13 00:26 ID:1o3ce12n
和歌山2区
自民77102
民主63145
32 :無党派さん :03/11/13 00:33 ID:urcOh97F
兵庫1区
自民71587
民主70792
35 :無党派さん :03/11/13 00:38 ID:FR5F7YAV
兵庫2区
公明83379
民主80061
39 :無党派さん :03/11/13 10:35 ID:5u7vkUeB
兵庫5区
自民112437
民主108851
41 :無党派さん :03/11/13 10:57 ID:ZueuEVmk
兵庫8区
冬柴犬鉄三94406
民主 79492
「私を落としたらどうなるか....」と自民支持者を恫喝した様子が目に浮かぶ。
42 :無党派さん :03/11/13 10:59 ID:tEdSrxQQ
兵庫10区
自民97196
民主77009
45 :無党派さん :03/11/13 11:02 ID:HEkCyTg3
愛知9区
海部104075
民主 92554
46 :無党派さん :03/11/13 11:06 ID:wGh2fWSj
愛知10区
江崎107369
民主106599
47 :無党派さん :03/11/13 11:08 ID:R3F/Ujvo
愛知12区
自民135622
民主117411
49 :無党派さん :03/11/13 11:55 ID:ogIi1Qlg
愛知13区
自民114092
民主109670
50 :無党派さん :03/11/13 11:58 ID:5qgPXI4q
愛知15区
自民100433
民主 84573
51 :無党派さん :03/11/13 13:00 ID:0FofRxLD
最早、学会票なしでは過半数を維持できないところまで来ましたね。
52 :無党派さん :03/11/13 13:24 ID:O69Nk0L9
今回は本当に僅差の区が多かったな。
そのほとんどが決め手は公明の票。
54 :無党派さん :03/11/13 13:29 ID:s6gQs6DE
大坂3区
自民97552
民主79539
土井党首辞任、社民が民主に合流した場合、
冬柴と土屋品子落選の計算。
55 :無党派さん :03/11/13 13:36 ID:O69Nk0L9
>>37
だからなんですか?
統計的に一番投票率が低くなる秋の総選挙で
当日の天気が雨、衆参ダブル選挙でもないという、
組織選挙側にとってはまたと無いスリーセブンがそろった状況で
(実際に投票率が60%切った)
公明の支援があったにもかかわらず、
それでも民主側に負けた議員は
たとえ一票差であっても完敗でしょうに。
小選挙区自体が二大政党化になる。民主がぎりぎりで自民に迫っている。自民は辛うじて公明の票で勝ったのだ。公明の票がなかったら自民は完全に政権をとれないどころか野党としても存在感もなくなっていた恐るべき結果になっていた。これがやはり小選挙区の恐ろしさである。小選挙区は二つの政党が競り合いどっちかに決まる。だから政党は二大政党化する。自由と自民が合同したのも小選挙区では必然である。
公明と自民はもう一体の政党である。公明創価は自民の半身であるからこれをもう切り離せないのだ。おそらくもはや力関係は対等である。政策を決めるにしてもいちいち創価公明にそして池田大作にお伺いをたてねばならぬ。政教分離もなにもあったもんではない、自民はカルト宗教のお先棒を担ぐ党になりさがったのだ。だから平沢氏まで創価に頭を下げ今や誰も批判できない、異常な事態である。言論の統制ますます厳しくなる。言論の自由もなくなる。今でさえ創価はマスコミをおさえ批判を封じている。これはますます加速され現実的に政治権力への介入を深め権力を牛耳ってゆく。それが創価の狙いだから天下取りがねらいだからそれに近づいたのだ。創価の人間も今意気揚々としている。「俺達の天下だ、お前らはなんだかんだ言ったって俺達の天下になるんだ」と叫んでいる。
つまりどういことかというと日本の社会の枢要なものが創価の手ににぎられそこに創価学会員がその地位につく。それが彼らの最終目的なのだ。だから選挙はその地位を手に入れる、現世利益を手に入れる必死の戦いなのだ。自分を折伏した人が家が破産して創価に入り議員になりその弟が大学に行けたとご利益を盛んに言っていたようにまさにこれこそ創価の戦いである。工場がつぶれた、では創価に入りなんらかそこで仕事をまわしてもらい工場を建て直したとなったり公共事業の仕事を公明党の斡旋でまわしてもらったとかすべてが権力の力を持ちご利益を授ける。それが創価の支配する世界となる。誰も創価について批判することはできない、今ですらマスコミはそうなっている。創価を批判した人間は完全に言論界から排除されるのだ。
ただ創価自体の問題は池田大作が死ぬと狂信的熱狂がさめて今までのようなセンセイの為にとかがなくなりまたは今は表にでていない反池田派がでてきて分裂することである。大組織はえてしてそうなりやすい、今は池田大作というカリスマによってまとめられているがこれがいなくなるとそうなりやすい、それがアキレス腱である。そのとき急速に熱がさめて衰退する。2世は関心がなくさめて目ですでに見ているから池田大作が死にそのあと分裂騒ぎが起こりだんだん組織も縮小すると政治的権力的野心をもっている人もこれでは政治家や権力のご利益がないとなり離れてゆく。こうして内部から大組織も崩壊してゆく。つまり外部から組織は崩壊することはない、内部の矛盾から崩壊してしゆく。自民もこれと同じように内部から崩壊してゆく。
もう時代の変化についていけないのだ。自民は古い時代の党でありそれにくっついている公明も同じように衰退してゆくのだ。今盛んでも未来は少数の所にもあるのだ。未来の芽は別な所からでてくる。やはり未来のあるところに人はついてゆく。若い人もついてゆく。創価も自民もどっちかというと老齢化した人によって支えられているから未来がないのだ。若い人材が民主に流れているというのも自民では能力が発揮できないからだろう。民主がすべていいわけではないがそこをテコとしてし日本の政治も変わってゆくほかないのだろう。いづれにしろ今は日本は過去の無駄使いのツケが回って国民がそれを支払わせられる。どこも膨大な借金だらけなのである。無駄は無駄で終わらない、そのツケが国家でもまわってくる。会社だけではない、自治体から国家まで破産するという恐怖の時代に突入する。あらゆるところにバブルとかのツケがまわってくるのだ。日本は社会主義国家だったというのは本当だろう。旧ソビエトとにていたのだ。国家主導の国家の官僚などが支配した国であり国家によって決められていた。お上の政治であり民が作り上げた政治ではないから景気がいいときは良かったがお上にまかせていれば良かったが景気が悪くなると一気にそのツケが国民にまわってくる。政治家も官僚は失敗の責任をとらない、そのツケは全部国民にまわってくる。旧ソビエトがそうだったように結果的に国が破綻してしまったようにである。
異質なものを排除する日本
(グロバリ−ゼ−ションも均一化に向かう)
日本は単一民族であり狭い国土に住んできた。日本は異質なものを排除する。異質なものとは何なのか、民族が違うとか肌の色が違うとかも要素になるが歴史をさかのぼれば異質性は文化の相違が根底にある。日本でその最初の異質性が日本を二分したのは弥生文化人と縄文文化人である。これらは全く違った生活をしていたので異質なものとなり対立を産んだ。でもそもそも職業が違うと必ずそれだけで相手は異質なものとなる。海彦、山彦の物語もそこから生まれた。海の民と山の民が調和して暮らす知恵が産み出された。ただ一般的に稲作民と山の民の異質性は長く存在した。山の民には産鉄にたずさわる人達がいてこれらは神秘的な一団として常に平地の民からは異質なものとして見られていた。
田畑で働くものと鉄を作るものは余りにも違った異質なものであったからだ。山に住んでいるものが遠野物語のように異様な存在として記憶されるのもそのためである。この山の民が稲作民に追われた縄文人の末裔だというのもそのためである。山に住むものは天狗がいたり山姥伝説とか・・・・何か異質なものとして稲作民からは恐れられていた。稲作民族となることがそもそも日本人としての同質性を歴史的に築いてきたのだ。天皇が大嘗祭をして米の豊作を祈る祭祀だったことがそれを示している。まつろわざるものとは稲作民でないものだった。それは異質なものとして日本人のなかに記憶されてきた。日本人はすでに日本国内でこうした異質性を共有しない民族でもあったのだ。だから異質なものを受け入れるのが共有するのが一番むずかしい民族なことは確かである。鎖国がそれに拍車をかけたのだ。明治維新、大東亜戦争、グロバリ−ゼ−ションと日本も国際化にいやおうなくまきこまれた。それでも日本人には異質なものを排除する遺伝質が色濃く残っている。
まったく異質なホームレスという存在を受け入れようとしないのが、住宅街である。「同質性」を前提として成り立っているのが住宅地という地域社会だからだ。
異質さを排除するという大人の価値観が、少年たちにはより強く刷り込まれ、少年たちはホームレス排除に「使命感」めいたものをを感じていたのではないか。いま子ども仲間は、異質な者の存在を許さない。誰かに異質さを見出し、「クサイ」などといって排除するのが、いじめなのである。
住宅地の中に、町工場などという異物があってはいけない、というのが多くの人々の居住感覚となった。町工場や小商店、住宅でもお屋敷から長屋まで、不揃いに並んでいるという雑居性を評価できなかった。その病的な感覚を、運営の原理としているのが、日本の学校である。戦後日本の学校教育は、「悪」を締め出すことを目指し続けてきた。悪がのさばっている社会とは隔絶して、良い教師と良い生徒、そして良い父兄が協力し、良い学校を作ることが理想とされてきた。文部省も日教組もPTAも、この「善良崇拝」で一致している。悪を締め出す原理を、子どもたちは異質性の排除と読み替え、いじめを実行しているのである。
(田中良太メルマガ)
文明というのは異質性を共有するのが根底にある。そもそも世界の歴史がいかに多様な民族の興亡であったかみればわかる。それは異質なるものの絶え間ない争いだった。民族(race)でありレ−スは競争であった。ヨ−ロッパの歴史も多様な民族が交わり興亡する歴史である。もちろん中国もそうである。大陸は民族の坩堝である。日本だけが海に囲まれてこうした多様な民族間の興亡や文化の接触を直接的にしていないのだ。だからどうしても文明を共有するという歴史を作りえないのだ。日本の大東亜戦争の失敗もそうであった。ロ−マや大陸で大帝国を作った歴史がないからそこに天皇をもってきてみんな大和民族にしようとする無理があった。日本には大帝国を作る歴史的土台がなかったのだ。大帝国とは文明とは異質なものと共有することなのだ。だからそこでは公平な原理としての宗教とか法律が生まれたのだ。
しかし今問題にしている現代文明の中での異質性はまた違ったものである。不思議なことに戦前や戦後の10年くらいの方が異質的な人々が交わる社会だった。乞食もいたし地域社会も職業も多様な人々の集まりだったのだ。乞食がいなくなることは乞食が何なのかということもわからない社会となる。乞食にもそれなりの社会的役割があったのだ。乞食がかわいそうだと直接ものを与えることは同情心をはぐくむことであった。世界ではイスラムでもインドでも中国でも乞食がいる。そして乞食に物をあげることは一つの文化になっている。インドなどでは貧しい人が同情して乞食に物をあげているというのも意外である。日本では戦後こうしたものを社会から見えなくさせてしまった。福祉で生活保護を受けさせたりして乞食は社会から消えた。ただホームレスだけは消されずに残っているから放逐できないから目立つのである。ホームレスは乞食ではない、直接は物乞いしないからだ。乞食だから子供も同情して物を与えるということもない、ただそれが常に異質なもの目障りなものとして映るから排除しようとする。
これは子供の責任というより大人もそう思っているしその大人に代わって子供が実行しているのかもしれない、ホームレスは目障りだから排除したいのが大人の本音だからである。文明が異質なものの共有の上に成り立つものなのに極力こうして異質なものを排除するのも理にあっていない。現代の文明は反面異質性を排除して同質性に向かっていることをこれは示している。グロバリ−ゼ−ションも世界の同質化である。世界は多様であるから同質化には問題が起きるのだ。世界中でコカコ−ラやハンバ−グを常食とするのは多様な自然と文化の中では合わないのにアメリカ化される。アメリカ化されることがグロバリ−ゼ−ションというのは一方的であり当然反発が起きるのだ。まず人間は多様な異質なものが交わる社会が普通だったのだ。自然が多様なように人間社会もその自然とともに多様な生活形態をうむ。
古本屋で買った「芳水詩集」にはいかに当時いろいろな職業の人がいたか異質な人々が混在していたかわかる。
阿波より来る藍買(あいうり)は
村の紺屋を立ちい出る
胸をあらわの駕籠かきが
都より来る絹買いを
白酒売りは木曽路より
水晶ぼりの若人が
吉野川の川上に
笠きて下る筏士が
顔見せの旅の役者は
からからと車をつらね
村のはずれで今日もまた
飴屋の笛が吹き起こる
他に絵草子屋、虚無僧、金魚売り、猿まわし、紙芝居屋、乞食・・・・・・多様な職業の人々が入り交じって暮らしていたのが普通だったのだ。それが今では会社化したからそうした個々の職業の姿が見えないのである。工場に人がいてもそれは社会の中で見えないから子供も異質な人々を見ないのである。昔は人間的な世界だった。旅がなくなったのも旅自体がなくなったのではなくこうした社会そのものが喪失したから過去の旅は今では再現できないのである。自動車社会はこれを加速させた。自動車では旅は道連れとかならない、それぞれ隔離された中で人と交わることがないのだ。団地にしてもそこでは規格かくされた同じような人々が会社員が住む空間なのである。社会自体が異質性を共有するものでなくなってしまったのだ。
昔は精神病者でも社会のなかに一種特殊な地位をしめて混在したとかいろいろな多様な人間が混在するのが社会だった。それが今は子供は学校に精神病者は病院に老人は老人保護施設にすべてが隔離される。同質なもの同士に分類され隔離されるのだ。子供でも同じ年代でクラスが組まれ同質なもの同士に隔離され異質なものが交わらない社会になっているのだ。これは人間的には精神的には一面貧しい社会ともなる。多様な人々がいるから社会は面白いのである。それがないから社会が灰色のス−ツだけのサラ−リ−マンになってしまった。昔は商家の番頭でも大工でも武士でもそれぞれ違ったものを着ていた。服装自体みんな違っていたのだ。着るものから一様化してしまったのだ。学生時代はやったヒッピ−などもこうした団地化社会組織化社会に反発する若者の抵抗運動でもあった。
このように今では異質なものが許されない社会である。だから宗教団体というのも実はそれ自体が異質なものでもその中に入れば異質な人でなくなる。生活保護者などは実際は昔は乞食になったがそれなりに社会に共有されていたが生活保護者は排除されるからこうした団体に入り共有化される。創価には在日が多いというのは在日は異質を保つからこうした団体に入ると都合がいいのだ。今では個々に異質なものは存在しない、団体化するから異質なものが共有する、混在するというより別なものとして社会に壁を作る。巨大な圧力団体化する。この異質的なものの共有化を排除する社会は実は均質化、同質化を強烈に強制する社会になる。それが創価や共産党でも他の宗教団体でも異質化している団体は今度は社会に同質化を強制する。それがナチスなどのファシズムを産んだのである。異質なものとされたものが逆に創価や共産党やその他の異質な団体がその同質性を共有させようとするのだ。これらものがさらに巨大化すればそこに入らないものは異質なものとして排除される。
マスコミもまたこれも同質化を強力に推進した。報道や情報はマスコミによって支配されていた。ナチスが生まれたのはラジオのためだったという。ラジオですらそれだけのプロパガンダの効果があったのだからテレビは絶大な力を持ったのだ。インターネットはそれに反して多様なものを生んでいる。多様性の過剰になっている。マスコミとインターネットは極端なほど別な性質のメデアなのだ。とにかく団体化すること自体、すでに他者を排除する、異質なものを排除するのだ。異質なものを排除するなというけど団体化組織化したならばすでにその中に入らないものは異質なのである。民主主義も異質なものと共有を計るものなのだがこれもアメリカのテロのように非常にむずかしい人類の問題なのである。一番異質なものはいかなる組織にも団体にも属さないアウトサイダ−になるがこれは社会に存在さえ認められない上野霄里氏のように文字通り除外されたものになっている。しかしキリストでも老子でも荘子でも名だたる宗教家や思想家はアウトサイダ−であった。ええ、キリストがというが社会化されたキリストと個人としてのキリストは別物である。今でも個人としてキリストが現れたらアウトサイダ−なのである。誰も社会には受け入れない、自分もそうなのである。
阿武隈高原の東和町の放送を見て(NHK)
日本の百姓(農民)はどんな人を差別するか。自分に近い人・自分の生活・仕事に関係ある人は差別しない
そうです。自分の生活・仕事に関係ないあかの他人には冷たいわけです。
農業とはその家が何代にも渡って過去から育んできたノウハウの蓄積と、農協を中心とした地域の共同作業です。
農業の知識がまったくなく協調性も無いような人間がどうこうやっていけるような甘い
ものではありません。
日本の農業は究極の共産主義だから。
何するのにも平等に負担分配だから、農協は日本版人民公社だ
規制云々以前に農業を行うということは、節目々々ではその地域全体での共同作業になるので地域の共同体のなかに秩序を乱す人間や無知な人間がこられたら困るという
ことです。規制がなくとも何の経験もない人間が農家としてやっていくのは至難の業です。
田を良田として土を作るのに1世代以上かかるのにダメになるのには5年もかかりません。
この対話は農家の人が書いたのだろう。農家というのはそこに生まれ農家として生活しないとわからないことがかなりある。実感としてわからないのだ。まわりは田んぼだけどそれだけでも都会として農家は身近なのだが農家の人間でないからわからないことがある。ただ今純粋な農家はいない、みんな勤め人であり専業農家は少ないのだ。農家はこのように閉鎖的になることは確かである。こうした生活が閉鎖的農民意識を作り出すのはやむをえない、でも農家は昔のように農家だけの人はもういないのだから感覚的には違ってきているのだ。何かしら別な仕事をしているのが現代の農家なのである。ただ農家というのは他の仕事とはかなり違う、土作り自体かなり時間を要する、何代もしてその土地に根付き育ててゆくという仕事だから商業や工業と違う取り組みが必要になってくる。
阿武隈高原の東和町でカツオなどの頭を肥料にして土作りしていい米を無農薬栽培をしようとNHKの地方版でやっていた。阿武隈の東和は二本松まで自転車で行く時通った。山間を流れている阿武隈川が良かった。その農家の人が集まって空き家に都会の人を呼んで昔の話をしたりと写していた。でもこの昔話はぴんとこないだろう。その土地で語りの昔話を聞くことは確かに違った意味がある。つまり辺りに物の怪が生きているからそれが実在するような効果をもたらす、昔話でも歴史でもその土地と切り離せず一体としてあるのだ。だからその土地をじかに踏むことはなによりその土地のことを知ることにつながる。昔話が今なぜぴんとこないかというと現代の生活とかけ離れてしまったのだ。鬼といってもそれが何か現実とかけ離れた架空の存在となってしまった。昔何か鬼といっても実在的な鬼だった。それがなんであったかはわからないが鬼というのは本当に存在したのだろう。山には今空き家が多くなっている。それの有効利用は考える必要がある。
昔の生活が今と違うのはそうした昔話でも絵本や本を買って読むのとは違う生活と密接に結びついていた。その村の必要な伝承だった。その村を引き継ぐために不可欠なものだった。今日のように商業化したものとは違う。村の生活を機能させる一部としてあった。力石など村には残っているがそれは力比べが一人前の大人となるには必要だったからだ。相撲もこれももとは大地を鎮めるというか信仰的なものから始まった。今でいうスポ−ツは存在しない、スポ−ツには気晴らしという意味があるがそういうことはない、一つの神事のように行われた。芸能もお祭りであり神を祀るための神事から発していた。これらは全体から分離されたものではなくその土地と生活と密着して生まれたものである。現代的な商業主義の文化とは違う、全体のなかに機能する一つの文化体系のなかにあったのだ。だから当時は芸能として見るのではなく生活の一部として生き生きとしたものとして機能していたのだ。こうした強固な共同体が喪失すると継承すべき文化そのものも喪失するし現代はそうなったからすべてが商業主義の中に組み入れられた不健全なものとなる。
阿武隈高高原の魅力は高い山もないし特徴がないのだが意外と広いのである。山また山をこえて自転車で行くとその奥深さがわかる。ここも昔は葉たばこや養蚕や炭焼きでにぎわっていたが今は産業がないから過疎になるのだ。川俣では今では奇妙なことだが蒸気機関車来ると煙で養蚕に使う桑の葉がだめになるといって大きな反対運動が起きて駅を作らせなかった。農業は自然環境を保全するものだからこういうことが起こる。山で鉄の生産がなされたとき、水が汚れ田んぼが荒らされそれが地名化するほど大きな問題だったのだ。
田の地名で一番多いのは湿地帯を開墾して田にした地名である。
日本はもともと大和(やまと)と名づけられたように山を根拠として山に生活の基盤があったからヤマトになった。稲作も最初は水のいい天水田で山にそって作られていたのだ。棚田がそうである。県(あがた)はまさに上田でありそこにも古い謂われがある。つまり山から下りて平地は日本は湿地帯が多かったのだ。だから田の地名はその湿地帯の名残の名前が多いのだ。薄田、萩生田、蛇田、沼田、額田、藪田、蟹田、蓬田、菰田、・・・・これらは田になる前の自然の姿だった。薄や萩が茂り沼がありそこに蛇や蟹がうじゃうじゃいるような湿地帯なのだ。だから平地に田を作ることは遅れたのである。下駄の始まりは田下駄だった。湿地帯で仕事するために発明されたのである。
次に多いのが鉄の生産で田に影響を及ぼしたものである。山から鉄の錆びのようなものが流れてきて田に入る水を汚したりしたのだ。渋田とか寒田とか金田とか早田、相田、ソウとうつくのは鉄と関係あるらしい。相馬のソウも鉄と関係していたらしくもともと馬とは関係ないのである。日本には鉄に関する地名が非常に多いのだ。鉄の生産で田が汚されたことこれが最初の公害だったのだ。
蒸気機関車と養蚕
当時は駅を巡って沿線各地で反対運動が繰り広げられており、設置が決まっても町外れに追いやられていた。福岡町も同じだった。蒸気機関車から吹き出る煙毒で作物が枯れる、汽車の振動で地割れし水田の水が漏れる、泥棒や疫病が入り良俗を害する−などと抵抗。(岩手日報)
http://www.iwate-np.co.jp/kikaku/shinkansen/kaigyou/2.html
中央線がなぜ北回りとなり、塩山駅が誰生したのか。その陰には数多くの逸話が今も伝えられています。その中には、当時の山梨県の主要産業であった生糸の生産に欠かせない桑の発育に蒸気機関車の黒煙が影響を及ぼす恐れがあり、白い繭が黒くなってしまう等といった説から・・、
川俣町の養蚕の歴史
町名の由来は、養蚕、機織りの祖といわれる「小手姫」の郷里・大和国(現奈良県)「川俣の里」にちなんで命名されたと伝えられている説と、町を流れる広瀬川と五十沢川と合流する地域の形状(川俣)より名づけられたという説もある。
養蚕で栄えた川俣町は約40年前までは町の4分の1にあたる約1200戸が養蚕農家だった。今は13戸にまで減り、桑園約460ヘクタールのうち、使われているのは約40ヘクタールだけだという。
1884年(明治17)6月、東京〜高崎間開通する。1886年(明治19)3月、宇都宮〜白河間工事開始する。最初は阿武隈川に沿って、宮城県に達する計画であったが、信夫郡・伊達郡の桑園がSLのばい煙で全滅するとの農民の反対で、やもなく路線を変更し、貝田経由で白石川筋になった。
ゆくゆくは阿武隈山地を越えて、太平洋の常磐線浪江駅と結ぶ予定であった。もし農民の桑園の全滅や茅葺屋根の火事への恐れという誤解がなければ、川俣線の早期建設も可能であった
東北本線松川駅を起点として機業地帯の中心伊達郡川俣町を結ぶ小支線で、1926(大正15)年3月開通した。1934年ガソリンカーが運転されたが、戦時下の1943年9月、赤字路線のため営業を休止し諸施設を撤去した。
蒸気機関車の煙は公害になった。今にすればそれは時代から取り残されることでもあった。しかしこのことはいかに養蚕が盛んであり生活の中心にあったかである。いたるところで養蚕があった。戦前も日本の産業の中心は養蚕だったのだ。絹は輸出品でありそれで稼いで戦費にしたのである。今でも機織りで働いてた老人の女性が多く残っている。鉄道は北海道では石炭を運ぶために最初にできた。小樽への線などがそうだし物を運ぶのが目的でできたのだ。川俣線から浪江までつながる線が予定されていたのは養蚕地帯として栄えたから予定された。つまり産業があるところに鉄道も通ったのだ。今は阿武隈高原は産業の空白地帯になってしまった。でも阿武隈高原は広いから気持ちがいいのだ。まだ行ってない道が奥深くどこまでもつづいていて家が点々と隠されるようにある。それが魅力だからまた行きたい、どこまでもまだ見知らぬ道に誘われて行く魅力があるのだ。
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)
ヌビア人との出会い
カイロを出発して、紅海のハルガダで泳いだり、遺跡で有名なルクソールを見て、ようやく、スーダン行きの船が出るエジプトの南の街:アスワンに到着しました。ここは、フルーカと呼ばれる帆船が、のんびりナイル川を行き来していて風情があります。が、人はエジプト人より、やかましく、街を歩けば、片っ端から
「へい! ジャパニーズ!」
と呼んでは、何がおかしいのか大笑いしています。
「フン! エジプシャン!」
と、大人げなく応戦していたのですが、ここでは、
「いや、違う。ヌビア人だ」
と、まじめな顔で切り返されます。私には、違いがよく分かりません
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこの町にロバに乗っている子供がいた。
「おい、写真とってくれ、ワンド−ラ−だ」
子供は見せつけるようにロバにのり写真をとれという、エジプトはどこにいってもド−ラ−ド−ラ−だった。どこからか子供がコ−ラをもってきてはワンド−ラ−となる。
ヌビア人は色がかなり黒い。アラブ人は地中海人との混血で褐色でありヌビア人は色が原色の黒なのだ。人種も不思議なものである。アフリカ原人からアラブ人からペルシャ人といる。そこでヌビア人の案内でファルカ−という帆の船に乗った。これは気持ちよかった。これで日本の学生がヨ−ロッパ人とナイルを下りたいとか言っていた。ここからはアスワンダムに行きス−ダンに行く所だった。ヌビアは金のとれる所で有名だった。エジプトにもヌビアの金はもたらされた。アフリカも黄金の国としてエジプトにヨ−ロッパに注目されたのだ。インカも日本(ジパング)も黄金の国として憧れられていた。黄金は富の象徴でありだから黄金を求めて冒険家がやってくるのだ。
インターネットではある場所に必ず外国でも行っているからそこでの感想が書いてある。その他でもある人が聞いたり経験したりすることと、ああ、自分もあそこにいた、同じことを経験したとか、聞いたとか、情報を重ねることができるのだ。個々の経験を重ね合わせつなぎあわせると一つの物語りができてくる。この体験談は日記、掲示板になどに分散しているからつながらない、リンクできないのだ。それがインターネットの弱点である。しかしこれもインターネットのり利用方法の一つである。ただこの体験談もあまり著作権を言うと利用しづらくなる。2ちゃんねるはその点利用できるからいい。これは忘れていたがこの文を読んで思い出したのだ。忘れるから旅はあとからも記憶をたどり旅を続けねばならぬのだ。
次にでてきたのがアフリカのケニアのストリ−トチュドレンなどを支援している仙台の女性のホームページだった。仙台ということで身近に感じた。育英高校のマラソンランナ−はケニアから来た人だった。ケニアに興味を持ったのは自分もケニアに行く計画を建てていたからだ。それにしてもその悲惨な状況には愕然とした。日本にいるとどうしてもそうしたことをすぐ忘れてしまう。テレビで写してもそれが自分と関係ある現実問題として見れないのである。その報告は生々しいので身近に感じた。
彼女がメイドになるために田舎から連 れてこられたのは、なんと、若干8歳のときでした。そのとき以来、彼女はず
っとキベラで、メイドの仕事を強いられてきたのです。 ケニアでは、このような小さな子どもたちの労働、虐待が、とても大きな問
題になっています。ケニアでの児童虐待は、日本の それとはかなり事情が違います。多くは、貧困から来るものです。 田舎では口減らしのために、どんな形でで
もいいから子どもを連れて行ってくれないかと思う人々もいます。
アフリカの悲惨は奴隷にされた時代からつづいている。植民地にされて紅茶やコ−ヒ−を作らされてもともとあった農業が破壊されたりして一向に貧乏が解決しないのに内戦になったりそれからエイズが蔓延したりと二重苦三重苦になっている。政治もむき出しの権力闘争であり権力とったものが利権を得る。それも貧乏な国だから極端になっている。就職も大学もコネとワイロで決まり権力とったものが独占する。貧乏な国ではそもそも民主主義が機能しないのである。内戦になるのは負けたものが不満を持ち政府を転覆しようとする。これも貧困のせいなのだ。アフリカもイスラムが多いからこうした極端な貧困がテロの温床でありテロがなくならないのそのためである。こうした世界での極端な経済格差がなくならないかぎりテロもなくならない、それからリンクをたどるとアフリカを取材するカメラマンがいた。チャイルドソルジャ−を取材するのだがそれももっとも悲惨な状態に追いやられた子供である。これも命懸けの仕事だった。これで多少アフリカの事情に触れることができた。自分の場合いろいろな人と触れないから視野が狭くなる。都会のいい点は直接いろいな人の生の声が聞けることだろう。
インターネットのいい点はそれぞれの人の活動の詳細な報告ができることだろう。それぞれがどういう行動しているかわからない、何かちょっとしたことでも自分はここで苦労したんだよとか書くとなるほどなと共感する。その人の日々の行動から学ぶことがあるのだ。こういつうことはマスコミにはでなかったから役にたつ情報なのだ。またインターネットは情報だけでなく人と人をリンクさせることでもある。アフリカのケニアの情報では人と人がリンクされていることがなんとなく実感した。日本人と日本人がアフリカで結ばれる関係がわかったのである。
情報のリンクから編集
エジプトとスーダンの国境近くに住む |
エジプト全体、特に北部に住む |
アフリカ的な黒人に近い |
地中海系の民族にアラブ人が混血して成立 |
ヌビア語を話す。(但し、ヌビア語には文字がなく、学校で学ぶことも出来ないため、ヌビア語を話す人口は激減している。) |
死の値段(外交官の死と特攻隊の死)
2ちゃんねるでイラクでの外交官の死に対して9千万円は破格の待遇だとかそのことを議論しつづけている。警察官でも消防士でも殉職することはある。確かに高すぎることはいえる。公務員、特に外務省は金の使いすぎたとか機密費問題で騒いだ。交通事故でも医療事故でも人間は死ぬ。死ぬということはどういうことかその肉親を失ったものの悲しさはどうか、一旦死んだら人は帰ってこない、二度と合うこともできない、これは恐るべきことである。金をいくら積んでも死んだ人を生き返らせることはできない、ここに死の恐ろしさがある。9千万もらおうが10億もらおうが死んだ人は帰って来ないのだ。つまりもはや死は金ではあがなえない、他に金で贖えないものが時間も取り戻すことができない、時間を金で買うことができない、これは万人に平等である。死と時間に関しては平等である。これだけは金ではどうにもならないのだ。肉親にしたって10億もらって満足などしない、もし金にこだわるとしたら死んだ人は愛されない人だったとなる。
例えば最近戦没者学徒などの手記を読んでいる。彼等はあの若さで何を思い死についたのか、これは今では考えられないような煩悶があった。今の茶髪の浮かれた若者に「お前、国のために死んでくれ、期間はあと一カ月だ」と言われたどうなるのか?どんな浮かれた若者でも必死になりその一カ月の間にそれなりに自分を納得させなければならないのだ。そのとき真剣にならざるをえない立場に追い込まれる。だからその手記は普通の手記とは違う、今日に残した尊い宝である。これから人生が始まる時に命をたたれた、それ故にその言葉も重いし後世に託すものも大きいのである。
今の若者はここまで真剣に悩まないだろう。死というのが身近にないからだ。死が日常的に身近にあれば生を真剣に考える。かえって日本のことアジアのこと未来のことを考えその短い命を終えたのだ。これもただいろいろな解釈がありむずかしい。あんなふうに従順に国に従えるのか今では考えられない、父母のためとか、天皇のためとか、国のためとか、郷土のためにとか、そうした思想は戦後はないのだ。個人主義ではない自己本位であり自己の欲望のおもむくままに生きる、欲望を満たす現代とは全然違っていた。若者は自分の世代よりも(団塊)また今の世代よりも純粋だった。個人主義的には考えられない世界だったのだ。
今死者が要求しているのはもはや遺族年金とか金の問題ではない、精神的問題である。名誉とかその意味になっているから靖国が問題になるのだ。歴史的にあの戦争は無意味な馬鹿げた戦争でありその犠牲になったのだとなると死者も浮かばれない、だから日本ではそれができないのだ。何百万人も犬死にだったのか馬鹿げた死だったのかとなる。死者が歴史と化したときその歴史的意味づけ価値づけの方が大事になる。歴史的にそれは価値あることであったとなると死者も報いられる。しかし歴史的に価値づけされないなら死者は報いられず犬死にだったとなる。この相違はあまりに大きいから未だに解決できないのである。この問題は今回の外交官の死でも同じである。9千万円もらったからいいじゃないかとはならない、それが後世に意味ある死だったのか歴史的に大きく世界の歴史のなかで意味ある行為だったのか問われる。それはアメリカの行為は価値あるものでそれに従った日本も意味ある行為をしたのかとなる。
つまり意味とか価値は物とか金で計れないからむずかしいのだ。何百年後に価値あるものとして発見されたりするのもそのためである。だから小泉首相もどういう理由で自衛隊を派遣するのかと問われても明確には答えられない、小泉首相は哲学者でもない、深く考えて物事を決めることはない、もちろんこれはアメリカ大統領にも言える。やられたらやりかえせというので単純な反応でやったのである。メモでも書いたが感情的に反応すると共感を得やすいからである。でもそのあとに何の大義もない、何のためにやっているんだとか責められることになる。ベトナム戦争の「地獄の黙示録」になってしまう。何のために戦争しているのかわからない、ただ戦争の地獄だけがそこに残ってしまったのだ。正義を唱えても戦争となると人と人の殺し合いだから戦争自体が地獄になってしまう。やられたらやりかえせ、そこには凄まじい憎悪の世界となり何が正義かなどわからなくなってしまったのだ。
ものいわぬ骸となりて帰り来ぬ何の犠牲や師走の日本に
参考−メモへ
武富士会長の逮捕
武富士の会長が盗聴で逮捕された。武富士は自分と多少関係あった。身内が借金で借りて交通事故で死んだ。死んだと届けたら借金は御破算にしてくれた、誠実な対応をしてくれた。あとのサラ金は死んでも電話してきて直接催促にきたりと人の死に対してあわれむことさえない非情なものだった。武富士の対応は人間的だった。だから武富士に対しては悪い印象はもっていなかった。会長の人柄もそんなに悪いとは思っていなかった。ただニュ−スを見てあんなにワンマン体制だったのか、まるでどこかの宗教団体の会長であった。写真に毎日礼拝するごとく奴隷のごとく仕えねばならなかったのか、これは行き過ぎだしそういうことが経済の分野に一個人を会長を礼拝させることは宗教的に見て宗教の強制のようなものを感じたのだ。
つまり会社は宗教を強制してはならない、ある個人の礼拝を強制させていいのだろうか?これは政教分離とにた問題である。宗教と政治だけでなく、宗教と経済も分離せねばならない、いづれにしろワンマン体制は独裁体制はあのように会社ですらなる。盗聴といえば創価が共産党にやっていた。裁判にもなった。神崎氏がかかわっていたのだ。独裁体制は秘密警察ができてしまうのだ。こうした団体が政権の中枢にあること自体全くわからないことである。武富士に対する悪い評判を流さないために盗聴させ権力で押さえつけようとする。またマスコミで宣伝をだせばそのテレビ会社は武富士について悪いことはいえない、これは創価と似た体質である。
この事件が新聞とテレビ局の報道に出ない理由は電通の圧力によるものだと考えられている。武富士の事件を多くの記者会見をした宇都宮健児弁護士によると、「(記者会見場の)部屋が立ち見が出るくらい盛況だったのに、翌朝、一社も書いていなかったし、テレビも流さなかった(週刊金曜日9月26日号)」、つまり広告収入が関係しているのだ。
http://www.janjan.jp/media/0311/0311168625/1.php
公明党や共産党は選挙で幹部が選出されることがないしその内部では批判が許されないからそもそも民主主義などないのだ。誰によって決められるのか、創価だったら池田会長になるし共産党だったらやはり誰かが権力を持ち決めてしまう、そこに内部批判がないから武富士と同じなのである。ただ武富士に関してはいろいろかかわった人がいるからそれをインターネットで調査すれば自分のように悪いことだけではない、その対応は悪いものでもないことがわかる。個々人に対する対応が知ることができるのがインターネットである。2ちゃんねるでは武富士の悪いことばかり書いているが悪いなりに人間としての最低限のモラルは持っていた。昔のヤクザのようにヤクザのモラルはあった。どんな組織でも個々人にとっては違う意見を持っている。その内部のものにとってはいいと思って従っている人もいるのだ。
こういうときは一種のリンチ状態になる。2チャンネルは特にそうである。何かことあると匿名だから吊るし揚げして喜んでいるのだ。そこが大衆の怖さである。何故ならこうした闇の世界が成り立つのはその組織があるからではない、それを利用する側も悪いからだ。太平洋戦争だって指導者が悪かったではすまされない、国民が一体となり支持したからである。特に民主主義の世界では強制されるわけではない自主的に選択できる社会だから個々人がそういう組織を利用しているから闇の組織ができあがる。だからこうした闇の組織は人間社会からなくなることはない、だから人間の闇はあまりにも深く社会は永遠に天国にはならない、地獄が作り出されるのだ。
ではなぜこんなに世間の評判が気になっているのか、やはりサラ金という仕事がら何か後ろめたいことがあったからかもしれない、それで情報をもれることや、悪い評判がたつことを恐れていた。それが盗聴という行為になった。独裁体制では言論統制が行われる。悪い情報は出せないようになっている。これは中国でもそうだし北朝鮮でもそうだしイラクもそうだった。独裁体制はそうなるのだ。必ず批判が封じ籠められる。それが恐怖政治となる。権力者はみんな同じようなことをするのもやはり権力を持つとそうなりやすいということが人間なのである。権力は腐敗するとか絶対的に腐敗するという一例である。だから宗教自体巨大な権力を持つこと自体そこはもはや腐敗しているのだ。宗教とは全然違った権力維持組織になっているのだ。こういうことは歴史的に見てもわかりきったことなのだが未だにまかり通っている。日本にも民主主義などないのだ。一見あるように見えても現政権がそうした団体なしでしりえないことがそれを示しているのだ。
イラクに自衛隊派遣の危険
●日本人のアイデインティティ
国のためというのがすべて称賛されるわけではない、また国のために尽くしているのは外交官だけではない、海外ならビジネスで働いている人も国の利益のために働いている。様々な分野で国のために働いている人はいる。掃除婦だって国のために働いているといえる。日本人は国のため、日本国のためというアイデンティティしかもちえないのだ。だから今回の外交官の死というのが身内が死んだようなショックを受けたのだ。その前に外国人が死んでいることには無関心なのである。そういう自分もそうだから他人のことはいえない、日本人は他国のことを我が国のように考えることができない歴史的経過がある。地理的にもそうだった。大陸は陸続きだからイラク辺りでも領土は変わっているしイラクという国そのものがあったわけではない、絶えずその領土はぬりかえられているのだ。ある時はペルシャ帝国の一部だったり、モンゴルの一部だったりオスマントルコの一部だったりその国の支配者は変わっている。意外なのはトルコが二回も支配しているのだ。となるとそこはもともとトルコだったとトルコが領有権を主張してくることもありうる。20世紀にはヨ−ロッパがイギリスがイラクを支配した。当時の一番強い勢力がイラクを支配した事になる。今はアメリカが支配しようとしているのも同じである。
イスラム原理主義は8世紀のイスラム帝国の時をのアイデインティティの基礎にしている。チェチェンなどもおそらくイスラム勢力下のアイデインティティを保つ戦いなのだろう。大陸のアイデインティティはロ−マのように歴史にさかのぼり広い範囲に及ぶのだ。テロと言ってもそもそもテロの定義がない、レジスタンはテロではないとすると暴力も正当化されるものがある。そもそも世界の歴史自体テロ、暴力に軍事力で支配が変わってきた、そしたら世界の歴史はテロの歴史だったとなってしまうからだ。
日本では戦前は朝鮮半島までアイデインティティを広げたが通じなかった。せいぜい韓国の任那は日本だったというくらいなのである。ともかく大陸では他国が自分の国だったり自分の国が他国だったりすることが歴史だったのだ。日本は他国に占領されたこともない、太平洋戦争ではじめて他国が自分の国の一部になった。が自分の国が他国になったことはないのだ。だから日本のアイデンティティは日本という島国より広がらない、だから日本人が殺された、それも国家を代表する日本人が殺されたとなると特別のことになる。これはあのアメリカのテロ以上に日本人を刺激するものだった。アメリカでテロでやられたのはねらったのはアメリカ人である。そこに各国の人がいたのだ。今回は日本人を標的にしてきたことがショックだったのだ。
●日本人だけを祀る靖国神社
靖国に祀るのも日本人だし日本人にはまた死者を特別視する信仰みたいなものがある。英霊になる、御霊になる、死んだら靖国に祀られることは国の御霊になる、それは日本人の特殊な信仰である。その御霊が国を守るという信仰である。それはあくまでも日本に限定された信仰であり外国には及ばない、宗教はキリスト教でもイスラム教でも国を越えた民族を越えたもの同士が結びつく、だから文明は宗教とか法律の下に国や民族を越えて結びつくものである。日本には世界文明となるものはない、日本人という日本の国という世界からその世界観を広げることができないのだ。日本が外交がへたなのはそのためである。自分も国際性がないからそうなのだ。つまり今回の外交官の死に対して憤激して極端になるとテロリストを殲滅しろとなる。日本の国家に敵対したものは許せないとなる。これは日本人的歴史的に刻印された遺伝質だからこれを変えることはできない、ここから過激な行動に出ることもありうる。一億総火の玉のようになるのが日本人なのだ。その点やはりイスラム社会はそれなりに長い伝統があるんだから国を越えて広がった原理でもあるからやはり世界文明なのである。広い範囲のアイデンティティを持っている。日本人はそれがないから世界を伝統的に歴史的に肌で理解できない、つまり日本人の死に関しては共感できても外国人の死に関してはいたって無関心なのだ。それはアメリカ人に対してもそうなのだ。よそごとの世界にしかみえないのである。
●戦争は憎しみを増長させる
いづれにしろ今回の外交官の死は日本人をかなり刺激した。この憎悪が一挙にイスラムに向けられると怖い、憎しみが植えつけられ憎しみの戦いになりかねない、人を殺したり殺すことは憎しみがまず生まれる。正義の前に戦うという前に憎しみが生まれそれが原動力となって復讐となり戦争となる。アメリカが太平洋戦争で動かしたのはリメンバ−パ−ルハ−バ−である。真珠湾でやられたことをわすれるなという憎しみの情であった。今回の事件もあのテロを忘れるなが原動力だったのだ。アメリカ人の憎しみが今度は世界に拡散される。「日本人も殺れたぞ、日本人よ、イスラムのテロリストを憎め、大和魂で殲滅せよ、・・・・」こういうふうに憎しみが植えつけられ憎しみの血みどろの戦いの中にひきずりこまれてゆく怖さである。人が殺し合うことは正義とか民主のためとか言う前にどろどろとした憎しみが生まれる。経験した人は知っているだろう。戦争の現実はアメリカもベトナム知っているのだからそれをまた繰り返すことがわからない、どんな戦争でも人が殺し合うのだから正義の戦争にしてもそれは血が流されるのだから戦争自体肯定できない、戦争の現実はそういうものなのだ。もちろんこれは経験したものが言うのではないから頭だけの解釈かもしれないがやはり戦争は殺し合いだから必ず憎しみが生まれ互いに泥沼の戦いとなってゆく、もしイラクでさらに日本人が殺されまたイラク人を殺したらそこに憎しみが生まれるのだ。憎しみの情からは平和は生まれない、憎しみという感情を持つこと自体全くそこには平和な心がないから不幸なのである。ただ問題なのは誰が何の目的で日本人を標的にしたのかということである。その明確な宣言もない、テロをするのは何が不満で何を目的としているのかはっきりしないことなのだ。敵が何者かわからず攻撃されることの怖さである。イラクの国民はどう思っているのかとかイラク自体の混乱がありその正体をつかめないから対処することもむずかしいのだ。テロがフセイン残党だけだったらイラク国民は反感持つ人が多いのだからやりやすい、しかしそのフセイン残党に同調している人やさらにアメリカ軍に殺された人の関係が憎しみでテロにかかわったりしていると複雑になる。これに外国のテロリストが入ってくる。イラクがフセインを排除し外部から入ってくるテロリストに同調していたら問題は簡単に解決しないのだ。
●同盟国は血を流してこそ同盟国だ
結局日本はアメリカの圧力でイラクにともかく自衛隊を軍隊を派遣することが要請されているのだ。つまり同盟関係とは口だけのものではない、戦国時代と同じである。同盟国とは一緒に戦わざるをえない、血も流さねばならない、それではじめて真の同盟国なのだ。アメリカでは我々は中東の石油で日本のために血を流しているとか、アジアでも日本のために尽くしている。こんなに日本に尽くしているのになぜ日本は協力しないのかと逆に思っている。これもアメリカ側から見れば当然なのだ。日本は資源的にも独立していない、ほとんど中東に石油も頼っている。軍事的にもアメリカに頼っている。これは戦後50年は冷戦体制があり良かった。
しかし国際政治は全く変わってしまった。アメリカの敵は今や目に見えない中東のテロになった。それはまた日本の敵なのかとなる。アメリカの敵は日本の敵となるのか?同盟国であるかぎりそうなるのだ。だからアメリカに頼ること自体に問題があるのだ。でもアメリカなしでやっていけるのかとなるがアメリカに頼っているかぎり自主性はもちえない、アメリカがどうあれその要請には答えざるをえないのだ。そこでアメリカにまた資源を石油を中東だけに頼らないようにとをするかという議論になる。自分の国は自分で守れ、それには憲法改正も必要だとなる。それがどういう方向に行くにしろ日本は今岐路にたたされているのだ。アメリカに頼らなかったら巨大な中国が台頭してそれどどう対峙するのかとなる。でも結局この問題の行き着く所はアメリカと同盟関係にありそれを軸にして日本の安全や独立や繁栄を求めるとそうなるのだ。アメリカを排斥するという事ではないにしろやはりアメリカにたより過ぎるからそうなるのでありそうしないためには多少痛みがともなってもアメリカから離れて独立すれば自主的な判断ができるのである。イラクの問題はアメリカにどう対処するかの問題でありイラクのことや中東のことを考えてもわからないのだ。アメリカから離れれば独自の外交が中東とも結ぶ事ができるのである。いづれにしろ日本は戦後50年で岐路に立たされているのだ。
●太平洋戦争の歴史的価値の再考
日本が太平洋戦争を歴史的に価値あるものとする傾向がある。ならばその歴史的価値は実はアメリカと欧米と戦ったのだから欧米からの独立にあったのだからそういう方向に向かうのが歴史的な筋道なのである。それを右翼でも自民党でも日米同盟が基準である。アメリカなしでは生きてもいけないと言っている奇妙さなのだ。アメリカと死闘した日本がなぜアメリカと戦わないのかアラブ世界から言われるのも一理あるのだ。中国に攻め込まれるとういうけど中国がそんなに怖いのかというのも疑問なのだ。あの戦争のことが歴史的に価値あるものとするならアメリカから独立すること中国も恐れず立ち向かうことができるはずなのだ。それをしたのがあの戦争の意義だったのではないか、そのためには核をもてとか軍事力を持てとかではなくそういう気概があったから戦争に突入した。それがアメリカなしでは何もできない北朝鮮にも対処できない、ただおろおろして身体障害者のようになっている日本というのがわからない、日本は戦争に負けて明治維新のとき持っていた独立の精神や独自の大和魂を無くしたのだ。そして追い求めたのは物質的安寧、石油があればいいという経済的打算でだけ行動する、利だけで行動するものとなった。もちろんそこに武士道なんかない。利だけの国、石油だけが欲しい国と見られるのだ。こんなことをアメリカと戦って死んだ何百万人の人々が見たらど思うのだろうか?だからどうしてもあの戦争を賛美する人は納得いかないのである。歴史的連続性を考えればこうならないはずだからだ。やはり歴史的連続性が一貫性が大事である。個人でも政党でも報道関係も一貫したものがあるべきなのだ。そうしないとたえず変動するからある時赤が優勢になれば赤つき白が優勢になると白につく、ころころ変わるから
信頼できないのである。戦争のときも負けたとたんにアメリカの言う通りになっている人が信用できなかったというのは本当である。そんなに簡単に赤から白に変われるのかそれが心の中で矛盾し悩むのならいいが日本人は戦争に負けてすぐに転換してしまったのだ。三島由紀夫などは問題があるにしてもそうした歴史的経過を生きて来たから自分の中で矛盾を来しあういう行動に走った。もちろんそこには私的な行動であり純粋にどこまで悩んでいたのかわからない、ただそういう人がもっとでてきても不思議ではないのだ。だからどうしてもあの戦争を賛美する人を信じられない、その後の行動でも一貫したものがないからである。こうしたことは個人でも政党でも団体でもある。何を基軸において行動しているのかわからなるのだ。
日本はアメリカの戦争に負けてアメリカの属国になったのである。それも物質的だけでなく精神的にそうなってしまったのだ。アメリカに脅されればなんでも従う骨のない、魂を失った国になったのである。アメリカに言われてイラクに自衛隊を派遣することがなんか勇ましいことのように言うのもわからない、実際はアメリカが怖くてアメリカから離れることが怖くてそうしているだけなのだ。武士道は立派だと言っている人もアメリカには逆らえないしとにかく日本はアメリカなしでは立つこともできない、身体障害者のようになっているのだ。明治時代の武士道は欧米からの独立としての武士道であり太平洋戦争の兵隊だって武士道だったのである。侍だったのである。戦後はただアメリカに追従するものとなった。小泉首相をブッシュのポチだとか言っているが日本人がそうであって小泉首相はその代表にすぎない、日本人自体が小泉のポチだとすると国民もポチであり小泉首相をあざ笑っている本人がポチであることに気づくべきなのだ。いづれにしろなぜ明治人が偉大な人が輩出してその後がだめなのか、その骨格に武士道があったとなる。そのモラルを持った指導者が導いたから日本は欧米から独立して自らの道を歩むことができた。その代表的な人が内村鑑三などであった。だから歴史をふりかえりこの問題を検討せねばならないのだ。日清、日露、太平洋戦争と三回戦争があったからだ。その意味を検討する必要があるのだ。中国やロシアやアメリカとこんな大国を相手にどうして戦う気になったのか、戦わねばならなかったのか、世界を知らないからこうなったということもある。それだけではない、外交的に追い詰められてそうなったという見方もある。どうして戦争がさけられなかったのか、その再考が必要なのだ。
内村鑑三の戦争論
英米人は実際の民である。蒸気と電気の民である。工業と商業の民である。西洋の支那人である。現代のユダヤ人である。彼等は理想の民ではなく信仰の民ではない。
世に未だかつて善き戦争ありしことなし、またかつて悪しき平和ありしことなし
平和はいかなる恥辱の下に結ばるるとも善き者であるの意である。
(ベンジャミン・フランクリン)
戦争によってもしそれが勝利に終るとも、正義の問題は解決せられず(カント)
負ける戦争ばかりではない、勝つ戦争もまた刑罰である。国家は戦争に従事して負けるも勝つも神の刑罰をこうむりつつある。
国家がその全注意を国威発揚、国力発展のためにのみ奪われつつある間は霊的発展は行われない。
党のために計る政党がある。国のために計る政党はない、国は政党の犠牲になたつつある。かくして政党は滅びるであろう、しかしてまた国も遂に滅びざるをえないのである。
公共事業の矛盾(グロバリ−ゼ−ションの負の遺産)
鑑賞と評論に書いた「冬の日にワ−ズワ−スを読む」の森の聖域が破壊されたのか、これは飯館であった。確かにあそこの飯館に行く道は七曲がりの峠道で不便なことは不便だが別に道もあるし余り通らない道である。新しい道ができても通る車は少ない、必要ない道というより自然破壊だった。他にそうした道がある。自分にとってあそこは神秘的な場所だった。公共事業の矛盾は今や必要だからやっているとは限らない、だから自然破壊になっている。ダムもそうである。では公共事業かなぜすすめられるのか、要望されるのだろうか?これは地元の人の要望にもよる。土建業者が仕事を必要としているだ。土建業者だけではない、そこに雇われる人もそれに関連する人も仕事が欲しいからそうなる。仕事と密接に関係している。その公共事業が自然破壊になることなど地元の人すら考慮していない、自然破壊を地元の人が考慮するのは実際の生活に影響を及ぼすときだけである。昔も山で鉄を作ると田が汚されてそれで
公害となりそれが伝説として地名としていたる処で残ったのを見てもわかる。つまり生活にかかわるから問題にしたのでありまず景観が悪くなるからということなど問題にしない、自然保護も生活にかかわるとき問題になるのだ。
そもそも人間は自然を保護するということはない、自然に悩まされつづけたのが苦しめられて来たのが人間であり自然は人間よりずっと大きな神のような存在でありその神を保護するということなどありえないのだ。その巨大な圧倒的力にひれふし祈るだけであった。だから自然保護という思想はありえなかったのだ。飛鳥で沼地が田になったとき、天皇は神のような力を持っていると感嘆した歌が残っているのも自然が圧倒的な力をもっていてそこに田を作ることは神業のように思えたのだ。だから田を作ることは自然破壊につながったがそんなことは考慮されなかった。生活の方が大事だからだ。食うことが優先されたからだ。だから尾瀬でも田代とあるのは田にすべと処とされていたし尾瀬を自然から守るという思想などありえなかった。
芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」の象潟も今は田の中にわずかにその名残があるだけである。そんな考えも地元の人には起こらなかったから尾瀬を保護するということ自体地元の人にも理解されなかった。今でも地元の人は自然保護というのは自然に囲まれているから自然に無関心である。空気を無意識に吸っていると同じである。農民は別に芸術家でも詩人でもない、彼等は一面、収入のみを考える。米をとれなかったら騒ぐが高く売れなかったら騒ぐが自然景観を保護せよと訴えても利益にならないなら騒がない、だから田んぼが高速道路になり金になれば喜ぶ。だから安易に自然は破壊されやすいのだ。一部は別にそこがが住むような環境でも気にしない、食えれば満足だという人が田舎だっている。だからここでも火力発電所やら競輪場やらそうしたものに反対する人は少ない、毎日パチンコに通っている人も現実に結構いる。
農民といっても生活と関係しないかぎり自然景観などには無頓着なのだ。漁師にしたって海が汚れると魚がとれないから騒ぐが海の景観を守れとはならない、ただ農民とか漁師は自然と密接に結びついているから自然の一部として機能しているから都会人とは違っている。かえって自然保護を訴えているのはヒマラヤだったら観光業者である。観光で食っている人が多いからだ。尾瀬にしたって今や観光になっているから自然保護になる、それを主張したのはそこで自然を楽しむ都会の人だった。夏くれば思い出す、はるかな尾瀬・・・これは自分の生活とは関係ないところでの自然保護なのである。地元の人は昔は田にすべき処だと考えていたのとは違うのだ。
地元の人の矛盾は山など過疎化するのは産業がなくなったことが一番の原因である。炭焼きで暮らしていれば木は地元にあるから豊かになる。石油時代になったら石油は地元にないから買う他ない、では何を売ればいいのかとなると炭焼きのように売るものがなくなっている。アフガニスタンで麻薬のケシの栽培でそれが農民の収入になるからやめられないというのも一概に批判できない、例えばかつては葉たばこの生産で山は潤っていた。それで四国の光貞町ではうだつがあがるというほど栄えたのである。タバコも麻薬の一種なのだ。有害なものである。人間の経済にはこうしたものが消えることはない、売春もなくならないし暴力団もなくならない、その他の様々な利益団体やらもなくならない、宗教団体もそうである。世の中にそうした悪の部分が必ずあり駆逐されないのだ。だからこの世はいつまでたっても悪と罪の繰り返しなのである。
ともかく公共事業で道路作りやダム作りの日雇いになる。そんな選択になってしまうのだ。こんな処に道が必要なのかとちょっとおかしいと思うが切実な問題とはならない、なぜなら芸術として詩人のようには自然を見ていない、自然はあくまでも人間を養ってくれもので保護する対象ではない、自然は生活する場所であるとき守るがそうでなければ余り関係ないのだ。自然は鑑賞する場ではなくあくまでも生活する場としての自然なのだ。こうして無駄な公共事業が行われた。
つまり自然に基づいた産業が蚕だったら桑が必要だから桑畑がいたる処にあった。炭焼きも地元の木を活かすことになる。和紙の生産もあった。染め物も地元独自のものが各地にあった。独自の産業がありお土産もその土地々で作られたものでありその味があった。今は大量生産で規格化されどこに行っても同じものを食っているのだ。材料も同じもので作っているからそりやすいのだ。こういうことはどういうことかというと地方の文化の衰退であり地方が大量規格化安価生産や工業化で貧しくなったことなのだ。なぜなら地元のものにあるものを利用しないでよそから買う経済は豊かになれない、本当の豊かさはそこに生まれない、原始人でも自分の回りにあるもので籠を作り着るものを作っていれば豊かといえる。よそに頼らないから地元にあるものだから枯渇することがない、地球の裏側から買うものはやはり入ってこなくなるかもしれないし不安がつきまとうのだ。
なぜイラクまで自衛隊が行く必要があるのか、これもグロバリ−ゼ−ションのなかで起こったことである。石油が一つの原因でもある。石油を確保するためにあんな遠くまで命をかけて行くことになる。そうならざるをえなくなる。グロ−バル化することはなんでもいいことではなかった。例えばなぜ江戸時代が平和であったのか、300年間も中国も朝鮮とも争いもなく友好的であった。それが欧米化したら日本に問題があったにろこれもグロバリ−ゼ−ションで世界戦争にいやおうなく巻き込まれた点もある。江戸時代は世界との経済関係もない、孤立したリサイクル自給自足の経済であり紙一枚も糞も無駄にしない節約経済だった。他国に頼らないから他国との経済的争いも起こらなかったのだ。中国とも朝鮮とも交流は文化交流くらいで平和的だったのである。つまり争う理由がなかったのだ
日本だけが平和を維持したのではなくアジア全体も平和だった。李氏朝鮮も一つの朝鮮だった。それが植民地化されていろいろその欠点を言うが日本だって江戸幕府の欠点はいくらでもあった。ただ平和が維持されたということ、300年間維持されたことは歴史的に見れば凄いことではないか、ここ100年間に3度も大きな戦争を経験した日本や世界を考えるとそうなのだ。グロバリ−ゼ−ションは戦争の時代だったのだ。そして今でも中国が攻めてくるとか北朝鮮がミサイル打ってくるとか戦々恐々としていねばならない、江戸時代300年間はそういうことがなかったということを考えると奇妙なのである。平和的関係がグロバリ−ゼ−ションでどこも維持されなくなったのだ。グロバリ−ゼ−ションは経済の拡張だから資本主義もそうでありそれ故に国と国が対立関係になる。資本主義は欲望の拡大化だからそれで衝突してくる。社会主義もいいものではなかったが資本主義もそれ自体に世界を戦争に巻き込むものを追求している。イラクもブッシュが石油関係の会社と関係して実は戦争も利権を獲得するための投資だと言われるのもそのためである。アメリカは1パ−セントの企業家、大金持ちによって支配されているというのもそのためである。大金持ちの企業家の欲望によって戦争に導かれる。そういう側面がグロバリ−ゼ−ションと資本主義にはある。
グロバリ−ゼ−ションが確かに世界旅行ができて視野が広まっていい点もあったのだか紛争の増大、地元経済の破壊、負の部分も大きかったのである。それを今取り戻さねばならぬのだ。インターネットは一面情報面ではそれを取り戻している。地元の情報が豊富なのである。丸森について「夫婦岩」とか伊達と相馬が代わる代わる城主になった城跡があったのだ。これは意外だった。また非常に詳細な地域の紹介をしている人が各地にいる。インターネットは地域の文化振興にはかなり役立つのだ。地域から逐一報告できるのもそれもビジュアルにもできることが放送局となれることが凄いことなのだ。地域の細かい点の情報についてはマスコミでは報道しなかったからである。視点が点の情報になっている。マスコミは大きな面の情報であるがインターネットは無数の点なのだ。だからその点と点を結びつけると別なものが浮かび上がってくる。新しい情報の創造の世界が開かれるのである。
皇(おほきみ)は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ 4260
大王は神にしませば水鳥の多集(すだ)く水沼(みぬま)を都と成しつ 4261
変わらない黒い構図(裏の社会-闇の支配)
全国のダム建設や長良川河口堰、ゴルフ場、産業廃棄物処分場などに見られるような自然破壊と、日本全土で発生している47都道府県の自治体汚職・政治家腐敗である。いまやゼネコンは、金融と自然と政治家を崩壊させる"三悪産業"の代名詞となっている。
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東京都では、無数の不正支出が発覚したが、その未監査を放置してきたのは、警視庁である。それを統帥する警視総監だった福田勝一は、消費者金融(サラ金)最大手の武富士に就職して、顧問となり、莫大な裏金を手にした。 - - 96年8月30日、株の店頭公開をおこなって、1株1万200円の初値をつけ、時価総額1兆円を超えるという大商いとなった。
(広瀬 隆 著 私 物 国 家 日本の黒幕の系図)
http://members.at.infoseek.co.jp/saitatochi/index.html
ただ、私が疑問に思い、かつ怒りを憶えるのは、サラ金全体からメディア業界に流れている資金というのは、数百億の単位です。それは、少なくとも、末端である出演者やライターには還元されていないんですよ。それはテレビ局の社員の給料や出版社の編集者のサラリーにはなっても、原稿料には一切反映されていないわけです。(大石英治)
これらは何を意味しているのか?図のように黒い構図が黒い闇のネットワ−クが作られる。これが権力なのである。この世はいつでも闇の勢力によって支配されてきた。そこで巨額の金が流れている。顧問になるだけで何千万とかが入ってくる。天下り官僚でもそうだし政治家はみんなこれらの巨額な金の流れと結びつく。だから公共事業が国民利益に多少なっても実際は今や自然破壊にすらなっているという、この黒いネットワ−クが自然まで破壊する結果になったのだ。飯館の聖なる森の領域に道路ができたのもその一つである。あそこは誰も関心も持つ人もいなかったがだからこそ聖なる領域だった。聖なる領域として手つかずに保存されていた。ダムでも無駄なものが多いし原子力も必ずしも必要だからやっているわけではないのだ。一つの巨額な事業、金の流れを作り出すための面がある。その事業の故に政治家とか企業とかに金が還元されてくる。海外の援助も事業として行われそれが政治家にもその金が還元される。どうしてそうなるのかというと巨額の金の流れが必然的にそうさせるのだ。その恩恵にあずかろうとする団体がでてきて当然だからだ。田中真紀子でも信じられない巨額な金を貯えたし小沢一郎もやはりゼネコン関係で暗躍している。自民党だったらなんらかその権力構造が利権の構造だからかかわっている。
一番わかりやすいのはアメリカの政治はロックフエラ−などの一部の財閥の御用聞きにすぎないというのが如実に示している。例えば軍需産業では兵器を売りつけるために兵器を消費するためには戦争が必要だから戦争を企画して起こすとまでなる。まさに死の商人である。太平洋戦争にしてもこうした黒い構図のなかで起こされた。財閥が存在したしそうした圧力が政府を動かしていたことは確かである。満州などはそうだったらしい。植民地解放を支援するだとかあの戦争を賛美する人がいるがその背後には常に権力の黒い構図があるのだ。
それは巨額の金がそこに動くからである。金によって支配される世界がある。権力はそもそも闇から成り立っている。だからその背後にうさん臭い、表沙汰にできないものがうごめく。これは別に日本だけでなくアメリカもそうだし中国でもロシアでもマフィアが動かしているとか同じなのだ。この世の権威と力はサタンに与えられているというときまさにこの黒い構図がどこの国でもできあがっている。権力は闇の力ででできあがる。それがこの世なのだ。だからみんな権力を握りこの闇の黒い構図の中に入り利益を得ようとする。この世の権力は常にそうだったしその下で庶民は苦しめられてきたのだ。政治家はサタンと手を結ばねばサタンに魂を売り渡さねばやっていけないということがそれを示している。政治家はなんらかうさん臭い、手を汚すブロ−カ−的商売なのだ。それは巨額な金の流れを利権を作り出すからそうならざるをえないのだ。
武富士を例にすれば大きな銀行にも政治家にも暴力団にもマスコミにも巨額な金が流れていた。金の力でマスコミも支配されるのだ。宣伝費が巨額なものなのだ。これがやはりマスコミが巨悪を告発できないものにしている。かえって出版では一個人がやっている。テレビ、新聞関係は宣伝が半分くらいの収入になっていることが問題なのだ。いづれにしろ政治家に清廉潔白を要求するのは無理である。権力自体にかかわるものは闇の世界になる。この闇は余りにも深い。ここには創価や他の宗教団体もかかわっている。宗教団体も闇の世界なのだ。曽根綾子とかもなんらかの財団と関係している。作家もこうした黒い権力の構図のなかに組み入れられなければ活動できない仕組みになっている。
これがこの世なのだ。ともかくこの世は空のように水のように濁りのない透明な澄んだ世界ではない、自然から見ると実に汚れた世界なのである。なぜこんな美しい汚れのない自然の中に汚れた人と世界があること自体大きな矛盾である。だからこの世を神が滅ぼすというのは当然である。神の創造した聖なる場を汚しつつけてきたのが人間なのだから。つまり滅ぼされないかぎり新たな神の国は実現しようがないのだ。この世は一見改善されたと思っても改善されない、変化しただけであり人間は相変わらす欲の追求なのだ。別にこの黒い構図のなかに入らない人でもやはり汚れている。ただ入れないから損だと思っている人も多い。
戦争にしても背後で利権に動かされる。太平洋戦争でもその黒い構図の中で若い人が特攻隊などは犠牲にされたともいえる。国のために尽くしたと称揚されてもその戦争を起こした人達は財閥とか背後の黒い構図の人達が決めたことかもしれない、戦争の背後にはそうした黒い闇が存在する。グロバリ−ゼ−ションもアメリカがドルで世界を支配しようとするからだといってあの資本主義の象徴のニュ−ヨ−クのビルを破壊した。それは高いからいいというのではなく確実に標的にしてやったことなのだ。日本の外交官も明らかにアメリカと一体となるからやったのである。テロには目的意識がありなんでも破壊すればいいとはなっていない、グロバリ−ゼ−ションは弱いものをますます弱いものにしどん底に陥れることにもなる。資本にはそういうそうした貪欲さがあるのだ。世界を血も涙もなく食い尽くすようなものがある。そこに巨額の金が流れそれによって闇の構図が出来上がり支配されるのである。
貧しきものは幸いである
財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
この貧しきものは心が貧しい、心が空虚である、何も誇るべきものがない、心の問題として説いているものと下は実際の金持ちに言ったものである。神の国には金持ちは入れない、では金持ちとはどんな人が金持ちなのかとなる。やはりその国の平均的な生活する人を金持ちとは言えない、ただ世界的に見れば日本の平均的生活は金持ちなのだ。とすると世界から見ると金持ちの日本人は神の国に入れないしアメリカ人やヨ−ロッパ人もそうなる。資本主義世界の中で金を求めてきた財産を作ることをしてきたからだ。その金の格差でグロバリ−ゼ−ション化して世界の貧乏な人は苦しんでいるからだ。でもこの解釈はやはり巨大な金にかかわる人達だろう。黒い構図に入る人達、政治家や財界や政府の高官や権力的地位ある人は神の国には入れない、宗教団体の長なども入れない、権力を持っていて実際は権力で支配しているからだ。創価などは明らかにこの黒い権力の構図に入ってしまっている。巨額の金がマスコミにも武富士と同じように宣伝費として流れている。そもそも巨額な金が流れること自体、集まること自体そこは汚れた黒い構図を作り出すのだ。
神の国に入れる人はかえって下のものである。こうした黒い権力の構図に入るものは省かれる。「私は罪を犯していません・・・」と訴えてもそれが天の法廷で明るみに出されるからだ。これは一面怖いことである。「私は罪を犯していません・・・」現実そう思っている人はいくらでもいるのだ。それが生きているときわかればいいのだがオレは罪を犯したとして悔いることができる。懺悔することができる。しかし死んだらできないということは取り返しつかないことになる。その怖さが権力にかかわるものにはある。ただ現世ではそうした人達はサタンから権力を与えられ威張っていられるのだ。そしてまた庶民もこの権力を求めるのである。金を求めるのである。金が悪いというのではなくそうした権力的な黒い構図の中で入ってくる金はいい金ではない、そういう地位にあれば労せずしてそういう金は入ってくるのだ。だからこの世で力あるものはたいがい悪の要素があり裏で金を使い支配している。その裏が闇だから常に見えないし明るみに出されないのだ。警察でも司法でも政府でも企業でも闇になるのはそこに巨額な金の流れができてそれが闇の中になってしまうのだ。
裏を見せ
表を見せて
散るもみぢ
(良寛)
この世の中は裏はわからない、裏は見えない仕組みになっている。そこに巨額の金が流れ裏で動かされているのが闇の世界が支配するのがこの世なのだ。
政治家
あっちもこっちも一騒ぎ起こして
いっぱい飲みたいやつらばかりだ
これも政治家は何か利権を得るために使われたり使ったりとする。戦争さえ歓迎することもある。いっぱい飲みたいとはそこに利権が入り役得があるからだ。
そのまっくらな巨きなものを
おれはどうにも動かせない
結局おれはだめなのかな
(宮沢賢治)
このまっくらな巨きなもの、まさにこれが黒い構図なのだ。黒いコンツェルンである。黒い闇のネットワ−クである。これは実際動かすことはできない、なぜなら神自体がこの世の権威と力はサタンに与えているからだ。つまりこの世に天国はできない、闇の支配はこの世が滅び、最後の審判までつづくのだ。だからこそ我々はこの世に希望を託すことはできない、天なる神の供えし神の国を望むのである。
年の終わりに(考えられない昔の貧乏)
今年も終わりになるがどうしても大正生まれの母などが言う、卵も食えなかったとか、みかんも食ったのは正月だけだとかノリも食っていないとか・・・・そしたらいったい何を食っていたのだとなる。漬け物と味噌汁と鮭の塩引きを食っていた。タンパク質がたりないからウサギなどとって食っていた。これほどの貧乏に驚くのだ。これはアフリカの奥地の土人なみの食生活ではないか?今でもネパ-ルの山地では卵もまともに食っていないらしい、インドから輸入しているから高いとかほんの一部卵も食えない所がある。バナナは戦後十年くらいは高価なもので田舎には売っていなかった。父が病気でバナナを食いたいと言ったがなかったので仙台まで行って買ったとか貴重なものだった。ただお祭りには食いたのである。正月にはみかんも食った。不思議なのはみかんもくいなかったということである。汽車は通っていてもミカンは贅沢品で運ばれなかったのだ。運ぶこと自体交通費でコストがかかり商売にならない、みんな自給自足的な生活に甘んじていた。
江戸期、下津は風波に見舞われ航路は途絶え、みかんを運送できなくなりました。地元では、みかんが大量
に余り、値段が下がっていきました。その頃、江戸においてみかんの値が上がっていることを知り、決死の覚悟で運んだのが紀伊国屋文左衛門です。
みかんはこのように余るくらい地元ではとれていたのだ。交通の便がないから売りさばくことかできなかった。江戸時代にも江戸ではみかんは食っていた。庶民はどうかわからないがこういうことが卑近なことでも歴史である。みかんは貴重なものだったのだ。この歴史をかみしめてみかんを食うことが歴史を学ぶことなのだ。実際みかんは今は安すぎる。一箱千円でス-パ-で売っていた。これは安い、他のものは高すぎる。日本で安いものは米とみかんだ、これは日本で余るくらいとれるからだ。
この食生活は栄養失調寸前の食生活ではないか、物もないから大事にした。自転車は貴重なもので一生使うものだから常に手入れしていた。そういえば中学先生が梅干しを見てご飯を食った話をしていた。梅干しは見て食うもので梅干しすら食べられなかったのだ。!これは良く語られた話だったのだ。こんな状態でまたどうして戦争など起こしたのか、おそらく貧乏だから食い詰めて戦争起こすこともあり得る。農業する土地がないから満州に行って土地を獲得する。移民もあった。豊かであれば戦争はしない、戦争は貧しいから豊かな他国のものが欲しいから仕掛けることがある。モンゴルは冬に食料が不足して食えなくなるから食料のある農業国の中国を定期的に襲ったというのはそのためである。テロが起きるの極端な貧乏人をイスラム世界ではかかえているからだ。それに今では豊かな生活をしている人をどんな奥地でも知っている。テレビを知らない人は世界中でいないだろう。するとテレビも欲しくなるのだ。自動車も欲しくなるのだ。
戦争資金は当事の貧乏な明治政府にあろうはずもなく、ロンドンの金融市場で発行された外債によってちょう達された。しかも、その発行の口上が満州の権益を国際的な(つまり列強の)自由区域にするというものであった。その宣伝にイギリスもアメリカも資金を用立てたのである
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/ykt/970713.htm
これはまさに戦争資金も日本にはなかったのだ。金がなければ戦争すらできないのだ。満州を手に入れたのは外国の資金でありそれが裏切られたので日本は欧米の敵対国になった。満州が太平洋戦争勃発の主要な原因でもあったからだ。満州を契機に戦争が始まったからだ。
昔の貧しい生活を知らないと当時のことはわからない、根底にこのような信じられない貧しさがありそれが戦争に結びついたかもしれない、自らが豊かである国が戦争するだろうか?アメリカは豊かであり他国と戦争する必要もなかった。ただ挑戦されて戦争にひきずりこまれた。戦争したくないと当時言っていたからだ。日本を征服しても得るものは少ない、世界戦略として必要でも日本は経済的に何のメリットもなかったのだ。冷戦がなかったらアメリカは日本をそんなに大事にしなかった。
冷戦が日本にとっては利益であった。いづれにしろ日本の貧乏は今では考えられない、2、26事件の真相は農民の疲弊だった。学生は未来のエリ-トであり兵舎では農民の兵隊にいじめられたとか金持ちの息子たちが多かったのだ。大学は特別なエリ-トの養成期間でありだから優秀な人も多かった。特攻隊の遺書には今の若者ではかけない非常に大人びた聡明な青年の文である。なぜ戦争になったのか、その不可解さはアジアの植民地解放などというものではありえない、日本自体の事情から戦争になった。それは経済的要因が大きいのでは、つまりこれほどの貧乏だったということそれが戦争の原因になる。植民地解放などというのは知識人や指導者が考えたことであり一般人そんなことには無関心だった。日々の生活がいつでも最大の関心事であり日々の生活がそれなりによければ為政者に従うのだ。イラクがフセインの方がいいというとき、今はフセイン時代の方が経済的には良かったからだ。
ともかく正月を迎えるといっても今やそうした喜びは希薄である。食い物でも日々の生活が正月なのだから特別正月に食うこともない、餅はどこでもそんなに食わない、腹に残り食いたくないのだ。二三回食って終わりだ。正月は特別な日ではない、日常なのである。相馬から白石まで行く道はくねくねと細い道がつづいていた。山が迫り山の陰になっていた。白石の城下まで行くことは市の立つ日とかにしか行かなかった。歩いたらかなりの距離だからだ。だから市の立つ日、七日町とか六日町とかがある。一カ月に一回市がたち人々が遠くから集まる。市の立つ日は特別な日だったのだ。今は自動車だから遠さ感じなくなった。自動車がないと山間地はバスの便もないから遠く感じるのだ。仙台が汽車で一時間くらいだとするとかなり近く感じる。でも山間地は自動車がないとやけに遠く感じるのだ。なかなか行けない所になるのだ。この感覚は自動車をもっている人にはわからない、だから昔はなるべく身近なもので間に合わせて暮らしていた。それしか暮らす方法がなかった。電話もないし交通の便がないとしたらそれぞれが島のように孤立した感じになる。だから山間のわずかの細田でも米が取れる貴重なものとなっていた。
そうした昔の生活感覚が今はわからないのだ。通信販売でも今や物は簡単に手に入る。ただ金がかかるから金がないと物が得られないから貧乏に感じるのだ。昔は物は城下に行ったてそれほどのものはない、最低限の生活でありそれで満足する他なかった。情報量も極端に少ない、村の範囲でありちょうど島のように孤立した生活である。ハレの日がないことは生活にリズムがなくなる。贅沢な話だが特別な日がないからお祭りもないのだ。日常性から脱することがお祭りだか今はない、それは各自海外旅行とかがお祭りになっている。みんなで祝うということがないのである。こういうことを最後に書いたのもどうしても今必要なのは過去へさかのぼることである。歴史をさかのぼることなのだ。そうしないと現代が見えてこない、現代が江戸時代の回帰になるとかそれも確かにそうなのだ。現代の騒々しい生活にはないものが江戸時代にあったからそれを回想してそこに安らぎを見いだそうとする。団塊の世代が自分もふくめてそうした過去への郷愁を持ちそれを回復しようとすることは自然である。日本的過去の良きものを見いだし回復しようとする時代になることは確かである。
白石の城下への道遠しかも山陰の家年も暮れなむ