時事問題の深層10
2003105月1日〜9月15日
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相馬私局(小林) a private channel in soma-gun
(近況報告ー日記)
小林勇一 感想はこちらへ



自転車の支柱折れ転倒、後遺症5月1日
SARS関連の情報分析5月5日
歴史とは何なのか(時事問題を見る目)5月8日
医療ミスの恐怖5月13日
創価のシンパの文化人6月2日
グロ−バル経済化とは何か(2)6月6日
消えた駅名(楢原)のショック6月14日
カルト宗教からの脱出のむずかしさ 6月18日
インタ−ネットの匿名問題6
月25日
インタ−ネット情報学(インタ−ネットは本ではない)6月30日
島の水不足(沖縄の問題)7月7日
最果ての島での恐怖体験(与那国島にて)  8月13日
離島でのキャンプ全面禁止の疑問 8月16日
与那国島(比川のインタ−ネット情報) 8月17日
よそ者を排除する島国日本 8月25日
山原の共同売店 8月27日






元県職員が製造会社を提訴
 自転車のハンドルの支柱が折れて転倒し、四肢マヒなどの後遺症が残ったのは自転車に欠陥があったためだとして、白根市の元県職員の男性(56)が
二十八日までに、製造物責任(PL)法に基づき、ナショナル自転車工業
(本社・大阪府柏原市)を相手取り、治療費や休業損害、慰謝料など
総額約二億千四百万円の支払いを求める損害賠償訴訟を新潟地裁に起こした。
 訴えによると、男性は一九九九年七月、約一年前にオーダーメードで
購入した同社のロードレース用自転車で仲間と県内を走っているうち、
路上で突然ハンドルの支柱が折れ、前輪が外れて転倒。顔や首などを強く打ち四肢マヒなど、常に介護が必要な後遺症が残ったため、二〇〇二年三月に
退職した。男性は、定期的に自転車を点検し、事故の五日前にも自転車店で
点検整備を受けていたといい、「製造者に賠償責任がある」と主張している。訴えにし会社側は「訴状を見てから検討したい」としている。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news006.htm

昔20年ほど前は、日本の自転車メーカーが、中国も含めて低開発国向けに自転車の部品を輸出していたものだ。10年ぐらい前までは、中古車(放置自転車など)までをも大量に輸出していたぐらいである。いまではおそらく中国も外貨節約のために自国で生産するようになり、その安価な人件費を背景に、格安自転車の部品を製造して(日本のメーカーも現地に子会社をつくっただろう)日本に向けて輸出していると思われる。

昔の話:自転車は、町の自転車屋が注文すると、部品が鉄道の貨物として送られてきて、それを自転車屋の親父が組み立てて、末端の消費者に販売するのが基本だ。部品代はもちろん自転車の「定価」に比べれば安く、どのぐらいの割合だったかは(昔聞いたときは知っていたが忘れた)多分2〜3割ぐらいか? 町の自転車屋は、小型トラックが普及する以前は、駅の傍にあることが多かった。昭和30年代、40年代の半ば頃。昭和40年頃の自転車は、高かった。大人用が3〜5万ぐらいしただろうか。別に高級品というわけではなくて、鉄製で、(良い製品は亜鉛めっきされたもので、)重たかった。
値段の高いものは、ステンレス製品が多くつかわれていた。
ステンレス製品でないものは、ちょっとほっておくとすぐに赤錆が出て
しまうので、ときどき自転車を洗ったあとで、良く乾燥させて油を薄く含ませた布で、汚れを拭い去ったり、さびが出だしたところに
透明ラッカーを塗ったりして、日常的に手入れが必要だった。手入れしだいで
寿命がかなり変わるのだった。ステンレスの自転車は、重要部分がさび難く、手入れが楽で、うらやましがられた。昔はめっきの質が悪く、めっき割れと
いってめっきのひびからさびがでた。(後にめっきにはクロムめっきが登場したりしたと思うが、質が悪いものが多く、めっき層が膨れてぽろぽろ
はげるというようなことが普通だった)


これは自転車に興味あるから面白かった。松下の自転車の支柱が折れて大けがをした人の話から2ちゃんねるに出たものである。これに興味を持ったのは昔はどこの町でも引き込み線があって貨物車をそこに引き入れて荷物を下ろしたりのせたりしていたのだ。そのころ国鉄であり国鉄の官舎が駅前にあり国鉄一家という時代で田舎でも国鉄に勤める人が多数いた。それが自動車時代になり国鉄は民営化された。その時組合が大騒ぎした。国鉄は社会党のバックであり社会党全盛時代だったのだ。高度成長で賃上げの時代であり国鉄に勤めていた人は相当な退職金をもらったのだ。労働者も恵まれた時代だったのである。引き込み線からは繩などをここから出していた人がいた。繩屋と言われていたからだ。日本でも鉄道の歴史は古いのだ。百年以上になっているから鉄道が交通に果たした役割は大きいのだ。イギリスの鉄道は一番古い。イギリスの鉄道にのったが本当に古い感じだった。

中国の自転車は日本だったら使い物にもならないものをレンタルで貸していた。がたがたの自転車だった。西安だからまだ経済発展していない。砂ぼこりの城壁を見てがたがたの自転車に乗った。日本に捨ててある自転車よりひどい代物だった。日本でも戦前は自転車は貴重であり私の母のおじいちゃんは毎日自転車を磨くのが日課だった。一生一台で間に合わせる貴重なものだったのだ。子供の頃の自転車も貴重なものだった。水害で流されたとき泣いたのである。今なら自転車は捨てている。あの頃から自転車が好きだったのだ。自転車が意外と改造できるものなのだ。オタタタミ自転車の車輪を大きくして荷台もつけた。これで袋に入れるとがさばるようになったが元が小さいので汽車にのせてもなんとか目立たない、汽車の中は大きいと邪魔になるし乗客が多かったりすると注意されたりする。日本では自転車の持ち込みはめんどうなのである。最近は無料で持ち込めるから樂になった。でもおりたためないものは長くなるので汽車の中では邪魔になる。自転車も本来は多少部品を交換できるくらいになる必要がある。自分はめんどうなので全然していないが安全のため点検する必要があるからそうした技術を身につけていた方がいいのだ。

自転車はいろいろ話題になっている。自動車から見ると自転車はかなり目障りなものだということがわかった。つまり突然飛び出してくるので自動車から見ると怖いから自転車をやっかいもの扱いにしている。自転車専用道路が必要なのだが日本では狭くてできないのだ。道の端は確かに自動車から見て自転車は危険なものに見えることは察しがつく。自転車は余り自動車を意識していないが自動車は意識しているのだ。これは自動車の人のしつこくいう自転車批判でわかったのだ。ともかくこれから自転車の活用はふえてくる。健康にもいいから中高年でも自転車にのるべきである。多少知識と技術が必要かもしれないが自分はパンクの修理もできないしチュ−ブの交換もできないが一カ月も北海道を自転車旅行した。自転車でも何かあっても町に行けば自転車屋があるからそんなに心配はない、日本は町が近いからだ。山登りは上ること自体が大変な重労働でありやめた。というより自分の体力ではできないことがわかったのだ。自転車は風に吹かれて自然のなかを走ることが快適なのである。だから中高年でもつづけられる楽しいスポ−ツなのだ。




蛇、亀、鶏、鳥、犬、猫、猿、狸、穴熊、ムササビ、蛙そして各種昆虫まで売っている。一瞬ドキッとしたのは、ゴキブリを並べて売っている老人を見つけたと思ったときだ。よくよく見ると、それはゲンゴロウとタガメだった。こんなもの、どのようにして、食べるのだろうか?

http://plaza21.mbn.or.jp/~somo/index1.html

インタ−ネットで有効なのは情報の関連を見つけることである。これが大変である。掲示板にもそれに関連したものがあってもそれに行き当たることは大変である。テロとかSARS関連でオ−ストラリアに行くには検査が厳しくなっているし香港経由ではめんどうになるとか、香港で10日間留められたとかそうした経験者の情報がある。今の情報があるのだがこれは検索でも探すのに大変な労力がかかるから有効にならないのだ。もう一つの問題として著作権があり勝手に利用し組み立てることができないのだ。

私が発見したこの中国での広州の見聞録を見れば中国には今まであのような病原菌が発生しないこと自体不思議なことだった。いや実際は発生していても隠されていたのである。今回も政府の役人が隠したことでわかる。中国は表沙汰にならないことがいくらでもあるのだ。10億人もの人間を管理などできない、奥地では何が起きているのかもわからないのだ。中国では飢饉のときは土まで食ったという過酷な世界だから何があっても不思議ではない。

北朝鮮の説、中国の南部では猫を食う習慣がありそこから発生した(5月3日)
コロナウイルス FIP(猫伝染性腹膜炎)

野生動物の売買取り締まり逃れ後絶たず…中国・広東省


http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20030503id25.htm

何美郷さんによると、大部分の新しい感染症の原因は、全く新しい病原体が出現したということではなく、微生物が宿主に入るルートが新しく生れたか、あるいは検査技術が進んだために、新たなウイルスや細菌が発見されるようになったというものだ。

(人類と細菌の戦い)
http://www.sinorama.com.tw/jp/1998/199810/index.html


このことは原因不明で死んだ人はかなりの数がいるが発見されずまた今のように報道もされなかった。中国などでは特にそうである。国際化していやいやながら中国も公表し細菌の戦いを強いられるようになったのだ。こうして人の行き来が活発になると
未知の細菌もまた発見され人類を脅かすことになる。国際化ではいいものも入ってくるのだが悪いものを必ず入ってくるのだ。日本の国際化とかは歴史的にも日本人が選んでいいものだけを取り入れ日本流に根付かせたのだ。それが現代ではできないのである。

2ちゃんねるより


中国のインターネットで、
感染者5000人と書いたらつかまった人が居たらしいけど、
感染者が5000人以上居るような予感。
なんか、言論弾圧の国だね。
中国って。


中国政府はGoogleへのアクセスを遮断してる。
http://www.zdnet.co.jp/enterprise/0209/09/op_02.html

【北京4日時事】新型肺炎の感染が拡大する中国では、多くの医療関係者が新型肺炎の予防・治療に奮闘する一方で、地方政府幹部などが職務怠慢で処分されるケースが出ている。

時事通信 http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=030504204141X161&genre=int
中国は報道規制にでた。インタ−ネットを規制されるのだ。中国でも4千万人がインタ−ネットしているというから数としては日本より多いのだ。
★SARSの疑い患者が15人に増加

先月28日以降発生していなかった新型肺炎「重症急性呼吸器症候群(SARS)」の
疑いのある患者が今月4日発生し、韓国内のSARSの疑いのある患者は合わせて15人に増えた。
 国立保健院は中国・吉林省に長期滞在し、先月27日、仁川(インチョン)空港から
入国した10代の男性1人が高熱および咳などの症状を見せ、精密診断した結果、
SARSの疑いのある患者に分類されたと4日に明らかにした。
 保健院がこの男性の胸部のレントゲン撮影をした結果、肺炎の症状は現れて
いなかったが、万一の場合に備えて隔離病棟で検査をしている。
 保健院はこの男性が今月2日から症状を見せたため、共に入国した家族を自宅
隔離させ、同じ飛行機の搭乗客に対しても追跡調査を行うことにした。
 現在、国内のSARSの疑いのある患者15人中6人は自宅隔離中で、6人は7日間の自宅隔離が解除されており、3人はまだ入院している。
 保健院は国内で初めてSARSの可能性のある患者に分類されたK(41)さんに対し、5日、再び胸部のレントゲン検査を行い、肺炎の症状があるかとうかを確認する予定だ。 保健院はSARS関連の特別予算として66億ウォンを確保し、執行計画を立てている。

インド南部のセカンダラバードで起こったオーストラリア人のARS疑惑事件と
関連の97人の隔離事件は、患者がSARSではないと診察され、隔離が解除された

こういう緊急のときインタ−ネットは役に立つ、次から次と各地の情報をリアルタイムで流れてくる。新聞社だけでなく民間から流れてくるから役にたつのだ。こういうときでも現代は海外に行かざるをえない人がいるから情報が大事になる。


 歴史とは何なのか(時事問題を見る目の必要性)

歴史というとき政権争いの歴史ばかり歴史ではない、歴史学の範囲は非常に広い。歴史とはほとんど全学問である。歴史を知るには相当な知識といや知識だけではない、かなり広範囲な教養が必要でありだから歴史を解きあかすことは困難を極めるのだ。歴史というとき家族の歴史も歴史なのだ。これが最初の歴史である。聖書も家族の歴史でありその延長としての部族の歴史になった。歴史はいたるところに存在し埋もれているのだ。無数の郷土史もそうである。歴史の厚みは人間一人で知るのはほんの一部にすぎない、膨大な歴史は埋もれている。過去の一人一人の生も歴史なのだ。例えば多くの人が交通事故で死んだ。それも未来に交通事故というものがなくなったらなんでこんなに死なねばならなかったか、ずいぶん理不尽な馬鹿げたことをしていたものだとなる。そして路傍に埋もれた交通事故者の供養碑を調べる人がでてくるかもしれない、歴史を作っているんだと自負する国があり団体がある、しかしその歴史の評価は後世の人が下すものであって現在活動している人ではないのだ。

歴史的価値を帯びるものが何かは現在はわからない、太平洋戦争でもめるのはそのためである。この価値は意味はあと50年もしないとわからないかもしれない、いまこの戦争のように今価値あることと思ってやっている人もそれが歴史的には価値のないものとされることはいくらでもある。太平洋戦争もその例だし創価なども歴史を刻んでいると自負しているがおそらく歴史的にはカルトとしてオ−ムのように無価値化される。太平洋戦争の価値にしても狂気に巻き込まれた戦争だったともいえるからだ。政治運動は社会を席巻し誰もが巻き込まれる。いやおうなしに巻き込まれ命を落としていった。フセインもあんなにあっけなく終わるとは思わなかった。もっと民衆がアメリカに抵抗すると思っていたのだ。それが全然なかったことの不思議である。強制されていただけでありフセインなど民衆は支持していなかったのだ。フセインは権力維持のみが目的であり周りの人もそうだったのだ。だから宮殿は空っぽになり雨霧消散したのである。権力を持つとその権力のために集まる人間はいつでもいる。それが普通であり多数なのだ。権力は常にそうして世を支配してきたのだ。

宗教もまた一つの権力維持機能として使われてきた。なにがしの権威が必要なので宗教が利用されたわけである。カトリックが巨大な権力化したのもそのためである。どんな集団でも組織でも権力を目指すのである。会社だってやはり利益をあげることが目的だから権力志向なのだ。大企業は一つの巨大なもう一つの政府のようになるのも当然である。アメリカはまさに自分の国の大企業の利益を計るから権力志向なのである。この世の権威はサタンに与えられているのであり国であれ組織であれ団体であれ権力志向なのである。この世の栄光はサタンにあり神にはないのだ。キリストが無力に十字架についたことが良くそのことを示している。確かに無数の立派な大聖堂が建てられた、しかし宗教の奇妙さはその肝心の主人公がそこに迎えられるかというと「キリスト様よ、あなただけはここには来てくれるな」というから全く宗教に関しては矛盾している。ではなぜそうなっているのかというと一向に人間は確かに科学は進歩しても変わらないことをしめしているのだ。以前として人間の欲は消えないしこの世の欲に生きるからこの世はサタンのものなのである。サタンは外部にあるのではなく個々人の内部にあり欲があるからサタンにふりまわされるのだ。

とにかく歴史とは何かなど答えられる人間はいない、だから聖書の歴史観とかに対抗してマルクス主義などでてきたがそれはあやまった歴史観であり社会を混乱させたのである。聖書の上に出る歴史観はないのだ。それは人間の未来や行き着く先を示しているからだ。そんなこと予言できるのは神しかいないということである。とにかく権力を中心に考えると権力を持っているものはその時ものすごい力を誇示する。フセインでも北朝鮮でもそうである。しかし一旦終わるとあとは猛火が消えたように何にも残らない、それが一面権力の興亡だった。ただその中で文化的なもの、軍事力ではない文化的なものは残されたのだ。ロ−マでも建築の技術とか文字の伝播とか法の精神とかは残された。もちろん芸術も残された。軍事力は本当の実りをもたらさない、平和の実りは軍事力ではないからだ。だからいくら強くても軍事力では世界は支配できないのだ。
蛮族だという時文化がないから文化の支配をするといことでありそれは一つの正当性を持った時代があった。不思議なことは十字軍のことをイスラム圏ではファナテックな異常な狂気な集団だと見ていた。あの頃ヨ−ロッパは文化的にイスラムより遅れていたのだ。ギリシャの文化はイスラムが翻訳し伝えイタリアにルネサンスが生まれた。イスラムとは商人でも有りアジアとも通じ学問と富を築いた歴史が有りその誇りのために欧米におとしめられることにがまんできないのだ。今と逆の現象になっているから奇妙である。今欧米ではアルカイダであれイスラム原理主義者、テロ集団を狂気のファナテックな十字軍と見ているから奇妙である。事情が逆転したといえる。いづれにしろ時事問題といってもその範囲は広い、その時事問題を見る目が必要なのだ。世界がこれほど身近になっている時代、一般人すら世界のことを考えねばならない時代なのだ。昔は一部の人だけで良かったのである。インタ−ネット時代になったらますますそうである。世界のことを知らないですまない時代になっているのだ。今回のイラク戦争にしろ、SARS問題にしろこれは単なる細菌という問題だけではない、世界の政治問題であり経済問題であり情報公開などを世界的に強いられる問題となったのだ。細菌問題もグロ−バル化で起きた問題である。細菌も世界規模で必ず拡大する時代だからだ。現代は無知は許されない知らないではすまされない時代である。それは知識人だけでない一般人のレベルでもそうなっているのだ。インタ−ネットなんか必要ないという時代にはならない、知識的遅れてしまうからだ。マスコミだけではもはやたりないのだ。つまり時事問題を見る目がみんな必要とされる時代なのだ。それも表面的なものでなく深い所から見る目が必要とされているのだ。




今回のぐるぐる天井が回り吐き気がして寝込んだのはてっきりメニエル病だと思ったがそうでなかった。厚生病院で診てもらったら耳を冷たい水で洗った時三半規管に作用し起こる、かえって三半規管が正常だから起こると医者は言っていた。隣の市の医者で耳垢を掃除した時三半規管に冷水が入りこんで起こったらしい、メニエル病とは違う、治療のミスだった。温水で洗う必要があったのだ。前も洗ってもらってなんでもなかったから洗ったことが原因とは思わなかった。でも洗ったあとにめまいしたのだからなんらか関係はあるのではないかと思っていた。それでインタ−ネットでし調べたら学生の耳を選考している日記があった。

9時から耳下腺摘出手術を見学した。なんかちまちましていて性に合わないと思った。脳外、形成をまわった時にも同じ事を感じるのだろうか。午後2時からの平衡の講義まで暇でした〜。でも、そのお陰で久々に教室の前でみんなと話すことができました。みんなそれぞれの科を回っているんだけど、先生がまったく構ってくれなかったり、課題が多かったり、いろいろあるようです。2時からの講義では耳に冷水を入れて平衡感覚を失わせる実験(カロリックテスト)の被験者になってしまいました。耳に冷水を入れると三半規管に作用し眼振が起こり目の前がくるくる回るのです。脳死の判定にも使われているらしいんだけど、ちゃんと生体の反応が出て良かったです。実験が終わってから、耳垢の溜まった友達が先生に耳掃除をしてもらっていました。まさにプロの掃除(笑)。ごっそり取れて、気持ち良さそうでした。俺もやってもらえばよかったかな

ここに書いてあるように若い医者はこの実験をしてをり冷水が三半規管に作用したと診断したのだ。かえってそうなったのは正常だというのは脳死の判定で冷水を三半規管に入れても反応しないからそれは死んだとなるのかもしれない、ともかく治療ミスは頻繁に起こるのは医学はむずかしいからわからないまま治療している医者もかなりいるのかもしれない、おそらく隣の市の医者は結構年だからこの実験をしているかどうかわからない、とにかく医療ミスの怖さは常に存在している。私の家族でも一人は手術のとき糸を置き忘れ化膿したとか自分自身も子供の時の注射の傷が拡大して大きく目立つものとして残ってしまった。すでにこれで二回目の医療ミスとなる。ひどいのは手術のときガ−ゼを体内に置いたままにされた親戚の人だった。そのガ−ゼが1年くらいたってか膀胱から白いものがでてきてわかったのだ。それで小便がでるようになった。このようにとんでもない医療ミスは頻繁に起きているがほとんどは表沙汰にならないし医療ミスで死んでいる人もかなりの数である。親戚の人も医者は何の謝罪すらなく終わっている。

シリコーン製ドレーン(管)を置き忘れ、少なくとも27年間、気付かなかったことが27日、分かった。同病院は今月上旬に摘出手術を行い、患者と家族に謝罪した。

これも同じ例である。もし自分の場合は結構大変な被害をこうむったことになる。死にいたることはないものだが死にいたる医療ミスも多いのだ。

〈日本ではどのくらい医療事故が起きているのでしょうか。米国の研究による推定死亡数をもとに計算すると、日本では年間26,000〜46,000人(1998年度)が医療過誤で命を失っている可能性があり、不慮の事故、胃・大腸・乳ガンによる死者数より多いことがわかりました。私の病院の事故発生率を全国の一般病床数に掛けても、年間260万件の事故報告書が出ていることになります

医療崩壊 保坂正康著/講談社より

現代医学教がいかに猛威を振るつているかは、医者の団体がストライキに入ったときにはっきりと現れる。医者が仕事をやめると世の中が平穏になるのだ。 

1976年、南米コロンビアの首都ボゴタ(現サンタフエデボゴタ)で、医者が52日間のストに突入し、救急医療以外はいっさいの治療を行わなかった。現地の新聞は、ストがおよぼした奇妙な「副作用」を報じた。ストの期間中、死亡率がなんと35%も低下したのである。国営葬儀協会は「この現象は偶然なのかもしれないが、事実は事実である」とコメントした。 

同じ年、ロサンゼルスでも医者がストライキを決行した。このときの死亡率の低下は18%だった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で医療行政を研究するミルトン・レーマ−教授が、17の主要病院を調査したところ、ストの期間中、手術の件数が60%も減少していたことが明らかになつた。そして、ストが終わって医療機器が再び稼働を始めると、死亡率はスト前と同じ水準に戻ったのである。 


http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/ishagadamasu/185sutoraiki.htm

これは何を意味しているのか?過剰医療の結果、死にいたる人が多くいるというショッキングな事件なのだ。それほと医者の医療ミスは日常的に起こっているが日本では特に表沙汰にならないのだ。つまり今や医療過剰でありあらゆるものが過剰になっている。物も宣伝でいらないものまで買わされているし教育も過剰だし余計な宗教も押しつけられ過剰である。議員も過剰である。余計なものを減らすこと贅肉をとることが文明人を健康にすることなのだ。

いちがいには言えないが医者は若い医者の方が今はいいのかもしれない、技術が進んでいて年寄りでは対応できなくなっているかもしれんからだ。インタ−ネットではこんな学生の日記が役に立つこともあるのだ。前にも言ったが誰か数人でも役に立つ情報となるものがインタ−ネットにはある。今回たまたま見つけたがこれは自分にとって貴重な情報だった。インタ−ネットは耳というキ−ワ−ドでそれに関するものが耳の医者になろうとする人から耳の病気の人と耳にまつわるものが集まるのである。その情報を丹念に探せば大変な量になる。ともかく医者が特別扱いされるのは命にかかわることがあるからだ。だから特別尊敬されることにもなる。反面その責任も重いから医療についてうるさく言われてもしかたないといえる。SARS事件でもベトナムでは外国人の医者がいち早く異変に気付いて感染しないように隔離したことが功を奏した。医者の役割は命にかかわることだから責任が重くなる。黄熱病で死んだ野口英世ややはりベトナムの外国人医者も感染して死んだ。一方で台湾の医者は感染を恐れて病院から逃げたとかいろいろなことが起こっている。





 福島民報に創価の宣伝がよくでる。池田大作の文までだしていた。なんらか裏で深い関係がある。宣伝費がもらえるためでもある。今回の第三文明の広告で驚いたことは曽根綾子が文をのせていたことである。曽根綾子というと相当な有名人だし原稿料をかせぐほど困るわけがない、なんかの財団の会長にもなっている。ではなぜ創価の潮ではなく第三文明という創価の機関紙そのものに文をのせたのかわからない。創価のシンパが書く雑誌だからだ。他に堀田力が文をのせている。これはどこにでもしゃしゃりでてくる。なんか慈善の運動をしているらしい。NHKにもでてくる。創価から応援してもらえるからあんな創価のシンパの雑誌にまで書き原稿料をもらう。いかに創価に言論界が支配されているかの見本である。曽根綾子はカトリックでもあるがキリスト教関係も創価と一体になっているのが多いのだ。創価は巨大な組織力どんなとこにも入ってくる。不思議なことはアフガンの医者で有名な中村哲氏も創価の応援を受けているとか創価の文化人支配は徹底している。へたに慈善団体も党派化するとなると信用できないことになる。言論界は創価にほぼ支配している。創価に異議を唱えるものは排除されるのだ。

第一新聞もそうだしNHKも中枢に創価が食い込んで支配していると言うからNHKも公正な報道機関でないし真実を伝えないのだ。つくづくマスコミはもはや信用できる機関ではない、完全に巨大な権力に操作された真実の報道をしない所である。NHKすらそうなのだからどうにもならない、出版社であれ書店であれそこも真実の報道はされない、創価に異議を唱えるものは排除されるのだ。創価の批判して本までだしている人が民主党の議員が創価にどう対抗していいか聞きに言ったらありとあらゆる抵抗があると教えたらあきらめて帰ったという。議員すらこれなのだ。これほど執拗な抵抗が成されるのだ。特に自民党が味方になっている今は余計にそうなる。いづれにしろ堀田とか曽根綾子がこれらが全くの偽善者だということがわかった。創価のような闇の勢力の援助を受けて発言するべきではない、マスコミ自体がいかに巨大な権力に操作されたものかわかる。そこから真実は報道されない、皮肉なことは創価に対抗できるのは共産党しかないのだ。それで僧侶が共産党の集会で創価を批判する演説をしていたのだ。ここまで異常な状態を生んでいるのは創価の圧力の強さである。NHKを支配し、五大新聞を支配し、主な雑誌を支配し書店を支配しているのが創価なのだ。秋田書店などというと地方出版では有名で大きいがこれも一時期創価の協力で成り立っていた。これほどあらゆる報道機関は創価に援助されたりしているから批判はできないのだ。

ただ最近インタ−ネットで創価を批判がかなりでている。それも実際に創価の批判の本を出している実名の人が発言しているのだ。だからこれは迫力がある。匿名ではいくら批判しても迫力がない、無責任になるからだ。実名で批判すれば責任がともなうから迫力がでてくる。古川利明氏もインタ−ネットで発言していた。迫害されるから自分は独身で戦っているというのにも驚いた。それほど創価の圧力は怖いものなのだ。このファシズム団体と自民党が一体となっていることが全くわからない、あれほど創価と対立した党が政権をとるためになんでもするのかということである。自民党そのものがある時社会党とも組んだことに驚いた。これも政権だけは維持するためにそうした。自民党は政権維持のためにとんなこともするのだ。よくよく考えてみると田中真紀子も一見自分が小泉を首相にしたといっていたが実は自民党に踊らされていたピエロだった。田中真紀子をだしにして政権維持をねらったのだ。これで自民党の人気も回復したからである。国民はテレビばっかりみているからのせられるのである。自民党は全く政権維持のためには惡魔でも手を結ぶ、もちろん政治の世界はそもそも権力興亡の世界は悪魔と手を結ばないと得られないから当たり前のことであるかもしれない、それにしても自民党は余りにも摂生がなさすぎる。マスコミも全くあてにならない、インタ−ネットでマスコミを批判するのは当たり前である。マスコミで出せないからインタ−ネットに反動としてでてきているのだ。創価を批判するものは書店などに普通は置けないのだ。そもそもマスコミや権力を握る政治家を信じる、権力者を信じることこそ間違いである。彼らはあくまでも監視すべき対象であり信じるものではないのだ。その監視するジャ−ナリズムがマスコミも全く信用できないからこれからはインタ−ネットとかで市民が監視してゆくシステムを作るべきである。

とにかく創価にかかわった人は無数にいる。それらの人の反応がでてきても当然なのである。それが全くマスコミではおさえられているからインタ−ネットにでてくるのだ。インタ−ネットは個々人の体験が語られることが多い、そこではまた当然創価のことも語られる。なぜなら職場であれ近所であれ親戚であれ学校であれ日常的にかかわっているからである。それが抑えられるのはおかしいのだ。自分のスタンスとしては創価を批判しても反創価としての政治団体には加わらない、宗教は政治運動でないのだ。反創価であっても反創価の政治団体に入れば政治化してしまうのだ。ともかくこれからはマスコミだけでは真実はわからない、インタ−ネットは読むのが調べるのが大変だがマスコミに対抗するものとして真の民主主義の実現のための武器になるのだ。マスコミに対抗するには新聞をとらないことややはり創価に批判する人も多いのだからそういう無組織の人も声をあげないと変わらない、それとNHKなどは受信料をとっているのだからそうした批判の声も取り上げるべきなのだ。遂にそれに対抗するには受信料を払わないとか新聞をとらないとかなんらかの抵抗が必要になる。現実創価や他の団体はそうしているからだ。結局民主主義社会も個々人ではなんの力も発揮できない、党派化、団体化しないと圧力をかけられない、それで無党派層は弱いのである。創価批判で議員に立候補した議員が落選したことでもわかる。個々人は不満があってもそれがばらばらだから力にならないのだ。だから僧侶が共産党とスクラムを組むような考えられない状態になっているのだ。
いちばんいいのは、共産党系の組合に相談すること。学会が絡んでたら燃えるよ、共産党は。あとで赤旗取れとか言われても、やんわり断ればいいこと。身内に警察官がいるから、とかね。

これは2ちゃんねるで職場が創価で固められた、上司が創価で職場をやめさせられたとかのスレに書いてあった。共産党だけが頼りだという異常な状態である。でも誰も共産党にだけは頼りたくないという人も多いのだ。こうなるとまさに社会生活すらままならなくなる。現実そうなっている人もいることの証明である。最終的には創価が天下をとったら創価に逆らう奴は粛清か牢獄行きである。北朝鮮と同じである。報道機関がそうなっていることはそこまで行かなくてもにたものになっているのだ。




参考

フォ−ラム21
古川利明のホームページ
国民新聞
久本福子のホームページ

週刊文春」 2002/09/19号


 『創価学会にアタマの上がらない新聞社はここだ!』
 「聖教新聞」「公明新聞」印刷会社全リスト入手

http://www6.plala.or.jp/X-MATRIX/data_b/bunsyun20020919-s.html



グロ−バル経済化とは何か(2)

グロ−バル経済化とは何かというと身近なところから考えてもそうなのだ。最近NHKの新日本紀行を見直して「三春」のことを写していた。そしたら鍛冶屋とか農家から篭を担いで野菜など売りにくるばあちゃんがいた。一軒一軒回っていた。鍛冶屋は「三春への旅」で写真にだした。まだ「農具屋」という看板をかかげて残っている。今の時代のグロ−バル化とは例えば最近買い物が仕事になっているからス−パ−に毎日行っている。そこでみているものは安くて新鮮でいいものである。毎日それを探している。他のス−パ−とも比べてそうしている。これは自分だけではないみんなもそうしている。それを作っている人とか売っている人もみていない、みているのは物の善し悪しだけである。人間をぬきにして物だけをみているのだ。昔は自分でも店をやっていたからわかるけど店は近所と密接な関係にあった。地域と密接に結びついていた。人間の結びつきと経済はほぼ一致していたのだ。ところが今は品物だけをみている。それもとんでもない誰が作ったかもわからない品物もかなりある。スオ−ティバナナはいいものでいつも買っている。腐らない新鮮なものをいつも探している。ただそれがどこで作ったのか誰が作ったのかなど注意しない、地球の裏側のようなとんでもない遠い所からきているのもあるのだ。たまたま瀬戸田産の夏みかんとあるからああ瀬戸田に行ったことがありあそこでとれたのかと思ったりするが品物さえ良ければ誰が作りどこで作ったかなど関係ないのだ。つまりこれは世界中でこうなっているのだ。品物、製品の善し悪しだけが問題でありそれを作る人とか地域の人の関係は欠落している。

陸奥の 会津の里に 君はありと 思ふばかりそ 頼みなりけり
                          林葉和歌集

昔は旅するにしても人が頼りなのだ。芭蕉にしても俳句を縁にして人を頼り泊めてもらい旅した。現代は人を頼る必要がない、金さえあればホテルも食事も交通も買うことができる。人を頼るより金を頼っているのだ。万事金の世の中である。外国でも人は助けてくれない、日本人でも金がないと言ったて金を貸してくれない、金がなければ万事休すになる。だからホテルに泊まるにしても泊めてくれる人など関係ないのだ。絶えず金で片づく世界だからだ。だから自分のように旅していると夢のなかでいつも旅で金をなくなる夢、盗まれる夢を見るのだ。肌身離さず金を持っていなければならないのだ。人は全く頼りにならないのだ。誰か助けてくれというより金、金、金......とうわ言のように叫んでいなければならぬのだ。

これがグロ−バル経済化なのだ。人間経済より物が優位になった経済である。ポランニ−の人間の経済学とは正反対の世界である。人間より物の方が明らかに価値があるのだ。物の価値の方が値段が高い、人間の価値は物より低くなったのだ。これは社会主義だろうが資本主義だろうが同じである。そこでドルが世界の貨幣となりドルは人間より価値が高い、だから人間の性も商品化され売買されるのだ。グロ−バル経済化のなかですべてが商品になり製品、物の方が人間より大事であり価値があるのだ。ではこれが普通だったかというと世界的な貿易の時代とは違うが違う部族とか民族とかが閉鎖的に暮らしていた時代は容易に人は交わらないからよそ者を警戒していたから交わる時は物を交換する、貿易する時は物が主役ではなく物は贈り物であり儀礼的な贈答としての交換にすぎなかった。人と人との交わりの方が物より大事だったのだ。平和的友好を築くための儀式が物の交換であった。

確かに日本人は物をモノというごとくモノはもともとモノがつくとか霊的なものモノは単にモノではなく心でもあった。中国からもらった鏡をあれほど重宝したのは神器までしたのはそのためである。外国から入ってくるモノは宝物だったのである。日本のもの作りの伝統はそこからきている。ロボット作りにエネルギ−そそぐのもモノに心を宿そうとする古代からの日本人の伝統からきている。日本ではモノと心は分離したものとしてとらえていないのだ。とにかくグロ−バル経済化というのはすぐ身近にあるのであって世界の果てにあるものではない、世界がすべてグロ−バル経済化しているからそれに反発するデモも起こるわけでてある。これはイスラムの伝統社会ともなじまないものだからアメリカのグロ−バル経済が標的になりあんなテロが起きた大きな原因であることは間違いない、ただこれをどう解決したらいいのかというとわからない、世界的いいものを作ること競争することは悪いともいえないし元の鎖国的地域経済に戻るわけにもいかない、ただ果たしてモノを人間より優位におく世界がいいのかとなると非常に疑問なのだ。



消えた駅名(楢原)のショック


楢原に泊まる一夜の古き宿汽笛ひびきて夏の日暮れぬ

楢原の駅名変わる歳月や我が旅せしは昔なるかな


今楢原という駅はなくなっていた。これはショックだった。会津鉄道は会津下郷駅になっていた。この会津鉄道さえ赤字路線でなくなってしまうところだった。それで自分は切符まで記念に買っていた。これは栃木県と結び東京ともつながり第3セクタ−として辛うじて残った。なぜこれがショックだったかというと自分は楢原という駅名のときにそこに下りて古い旅館に一人泊まったことがあったのだ。それで楢原とは楢の木が多く生えていたから楢原だとか記憶していた。それはよくわからない、もともとは奈良原と漢字をあてていた。ナラは平という韓国語系統の言葉らしくクンナラとは大いなる国でナラは国のことだった。クンナラとは百済のことだったとか言う人もいる。。ならすというごとく山の中でも日本は山の国だから平な所が生活の場となり貴重なのだ。ここにとまったのは20年以上前か本当に昔になったのだ。ただそこに泊まったことは記憶していた。汽笛のひびきがまじかに聞こえる所だった。あそこから二股山を見たのである。深い谷があり急峻な山を登る路線である。長めはいい。湯の上温泉は有名である。

最近県名とかでも(さいたま)とか他に合併した都市が(ひらなみ)とかひらがなにしたりと合併やその他昔の地名が変わるのが多いみたいだ。そもそも駅名とか地名はめったに変わらないものという前提がある。人間の名前が一代で変わらないのと同じである。それが20年くらいで変わってしまうことは余りに変わりやすいとなる。前は汽車で旅をしていた。もう汽車は乗る線がなくなった。汽車の旅で常に心に残るのは駅名なのだ。駅名だけが心に残りその町や村を過ぎてゆくのだ。日本の地名は特に世界でも多様であり明らかに文化財なのだ。楢原と漢字で書くとどうしても楢の木をイメ−ジする、楢の木をイメ−ジしてもあそこなら合っているのだ。漢字そのもの絵であり図形として認識し記憶することになる。だから日本語はかなと漢字のハイブリット語で読むスピ−ドが早くなる。絵として図形として本の一ペ−ジを読んでいるからだ。これが漢字だけとなると中国のようにかえって読みずらくなる。かなによって漢字を強調する役目をになっているのだ。漢字とかなの配合によって読みやすくしているのだ。だからかなだけになるとイメ−ジする力が弱くなるのだ。しかし名は体を表すというごとく名前は大事なのだ。名前には何かをイメ−ジさせる力を持っているからだ。芭蕉の旅も歌枕を訪ねるという旅だったというのも旅する前からイメ−ジしていた旅があったのだ。とにかく地名や駅名が変わることは実際は大変なことであり簡単には変えるべきものではないのだ。そこがかつてなんてあったかを示すのが地名しかないというのが多いのである。地名は土地に記された化石のようなものになっている場合がある。それほど古いのである。

「楢原」「楢原」・・・楢原の駅がなくなった!!!!!!
オレが泊まった町がなくなったのか、どうしたんだ、聞きのがしたのか、そんなはずはない、「楢原」「楢原」・・・・オレが一度訪ねた町は消えたのか、ああ・・・昔となってしまったのだ、こうなってしまうこともあるのか、町の名も変わる、ついに自分の住んでいた家さえなくなり誰も記憶するものすらなくなる、これが人生なんだ、この世から消えてしまうというショックである。これは本当にショックだった。楢原に泊まったのは実に遠い昔になってしまったことを自覚したのだ。自分は旅しているうちにそれだけの歳月が流れてしまったのだ。この世の変化のスピ−ドは早い。実に早い。「この世は変わるな、あらゆるものが変わるな、20年前に行った駅名がなくなっていたよ、」「毎日変わっているよ」家のものが言ったがこの世それは毎日変わっているのだ。どんなものも変わらないものはない。今盛んでもたちまちそこは往時を偲ぶものさえない寂れた場所になることはめずらしくもないのだ。

楢原の駅

谷間の深く渓流は激ち流れぬ
その崖に山百合の咲くかな
楢原の町は高きにありにし
二股山の聳えて引き締まる
会津の山々ひしめき迫りて
汽車は急勾配の山を上るや
汽笛は古き宿にひびけり
夏の日よ、我は旅して古き宿
そはなおありや歳月は流れ
楢原の駅名は会津下郷となり
我も老いるやはや歳月は流れぬ
しかり汽車はひびき汽笛を鳴らし
なお坂を上り進まんや
我が胸になお熱くひびき進まん



ここにSLが走っている時代の風景がでている。

SL会津線

http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/index.htm



カルト宗教からの脱出のむずかしさ

(ある女性からのメ−ル)

>私の両親・祖父母と創価学会です。
>日本では宗教の自由が認められているのに
>私は創価学会になぜか入っています。
>昨年、結婚したこともあり
>やめられないものかと思っています。
>小林さんはどうやってやめられたのですか

自分に直接メ−ルなど来たことがなかったのでメ−ルは10日に一回くらいしかメ−ルをチェックしていなかった。女性も変なメ−ルがまぎれる場合があり見ない場合があった。
情報不足で答えられない面がありますが私は家族は創価学会員でもなかったからそういう点ではやめるのは自分がやめたいと思った時やめたしなんの問題もなかったですがどうしてもそのあと精神的には苦しくなります
罰当たるとか地獄に落ちるとかそういう恐怖におちいる人もいるでしょう
自分の場合は全然なかったです、なぜかというと創価学会は宗教とは何の関係もありません、宗教を脅しにつかって政治権力をつまり池田大作が北朝鮮の金正日のような将軍様になり日本を支配することです、自分は宗教を救いを求めて入ったのでありこれは宗教とはなんの関係もないとわかったからやめました。
親が信仰していると確かにやめるのはむずかしいでしょう。でも結婚したら親から自立することだしあなたがやめたいという強い意志があればやめられるんじゃないですか、親の人生と子の人生は別でしょう、実際創価学会の二世の人は自分で選んで信仰しているのではない、創価に入っているのではない、あなた自身が選びあなたの人生を作っていくことですよね、それを親がしているからと親のせいにしたりいろいろ他人のせいにするのはおかしくありませんか?最後にはつくづくすべて自分の責任ですよ、創価がおかしいやめたい、私の人生は私が選び築くのだという意志が大事ですよね、創価という団体は何十年後かは知らないけど消えていますよ、自立することが大事です。

50才にもなったらもう責任は全部自分にあるからあの時やめればよかったとかなんとか言えないですよ、宗教の問題はむずかしいから答えにくいです。創価の問題もそこにあるんです。単純に政治団体だったら消費税に反対したり経済を良くする政策を実行しろとかそれならわかりやすいんですが常に背後には宗教がからんでくる。自民党と一時は仏罰だと言って池田大作が戦っていましたでしょう?これも普通に常識があればおかしいなと思うわけです。今は自民党とべったりで仏罰はどうしたんでしょうか?つまり普通の常識をもっていればわかることおかしいと思うことはまかり通っていることの不思議なんですよ、創価の人って自分では今では理解できないです。宗教とはなんの関係もないからです。そういうことに疑問を持つのが普通であり疑問をもたない多数の人がわからないんです。おそらくあなたがどういうわけでやめたいと思ったかわかりませんが普通の常識をもっていたらそうなるのが普通です。

「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。
(新約聖書)

この奴隷の霊とは常に先祖霊がついている、先祖がたたるとか、罰が当たるとか地獄に落ちるとかの脅しで利用されるのです。奴隷にされるのです。創価学会員をみてみなさい、交通事故になる人、リストラになる人、病気で無惨に突然死ぬ人、数限りない不幸を目にしているでしょう、あれだけ数がいれば社会に起こる不幸は同じように創価学会員にも例外なく起こるんです。商店街が衰退してこれは福運がなかった、題目あげれば回復すると思うことも変です、ス−パ−ができたから自動車社会になったからであり宗教とは関係ないがなんか宗教となんでもむすびつけることがおかしいんです。

確かに偽りの宗教から脱することはすごくむずかしいです。自分にしても実際助けることができないです。つまり他人に頼るとまた奴隷の霊を受けることになるからめんどうなんです。実際宗教団体をつぎつきに変わり移り入っている人がいる。これでは同じ結果になるからです。とにかく宗教がからむとなにが真実だかわからなくなる。福永法源が逮捕されたがあの人の本を読んだら金を投げ出す人がいても不思議でないほど説得力があるのだ。つまりサタンはこの世の正義さえ簡単に装うことができるのだ。戦争さえ宗教によって正当化されるのだ。現実に宗教団体に入っている人は自分達だけが正義であり正しい救われるとか信じている人が多い。カルトからの脱出のむずかしさは「出エジプト」と同じようにむずかしい。紅海を割るほどの奇跡も必要なほどむずかしいのだ。一度奴隷の霊を与えられたものは簡単にぬけだせない、創価学会員の幹部さえ何か仏罰とか恐れている。つまりやはり自らも奴隷の霊の恐怖におびえているのだ。

私はいかなる団体にも属していないしどの団体の味方でもない、キリスト教に入れとかそういうことも要求しない、それはそれぞれ自分で選ぶことである。また誰に対しても何かを金を布施しろとか本を買ってくれとか一切要求しない、インタ−ネットは金がかからないからそれができるメデアなのだ。これが自らメディアを持つ強さなのだ。金がかからず独立できるメデアなのだ。権力が必要でない個のメデアなのだ。これが今までになかったことである。ここに今までにない世界が開かれる可能性がある。何らか社会化して社会を変える武器ともなるのだ。マスコミ世界とは違った世界が開かれる可能性である。宗教には金とか権力はかかわるべきではない、社会的に成功すること、事業に成功したり失敗したりはするがそれもこの浮世のまさに浮き沈みであり宗教とは関係ないのだ。この宗教はもうからないからやめたというのは宗教ではないのだ。いづれにしろ権力と関係しない時純粋に宗教的になるのだ。権力とはいろいろある。金もそうだし団体化することも権力である。一人より二人になったらそれも権力である。二人でも団体化すれば権力なのだ。だからキケルゴ−ルの単独者が無権力だとなる。友を持つということも派閥を作ることになるのだ。無権力であり単独者であることは最高にむずかしいのだ。上野霄里氏だって実行できなかった。友すらもてない厳しさがあるのだ。ただ無権力の人、単独の誰にも頼らない人が公正になれることは確かである。何かの団体に属していればその団体の利益が優先されるからだ。そして人間は団体に属していな人などいない、だから単独者は不可能に近いほどむずかしい存在である。
                         


インタ−ネットの匿名問題

ネットではニフティのときからこのことはさんざん論議されてきた。インタ−ネットの最大の問題でもあるのだ。相手が特定できないという特殊な環境にあるのがネットなのだ。例えば実名を書いていたとしてもそれは本当の実名でないかもしれないのだ。だから掲示板で「神がありますか」とかむずかしい問題に簡単に聞く人が多数いるがそれに真剣に答える人はいない、まずその聞いている人がどれだけ真剣なのか真剣に悩んでいるのかわからない、からかい半分の人もいるのだ。創価をやめるにはどうしたらいいのでしょうかとかもずいぶん掲示板にでている、これだって相手が誰なのかわからなければ答えようがない、今回の「創価をやめたい」という人に答えたのは一応実名であったから答えたのである。最初あれだけの文面ではわからない所があったから躊躇した。すぐにこうした問題は答えられない、相手がどういう人なのかわからないからだ。匿名でもそれなりに機能することはある。内部事情の暴露とか有効なことはある。だが宗教問題とか他に真剣な悩みに答えるとなると無理である。また相手が誰かわからないものに答えてもらうのも躊躇するかもしれない、つまり匿名ということはいろいろ必ず問題が生まれるのだ。

インタ−ネットは匿名の天国なのだ。「大石英二」という作家が2ちゃんねるで実名で議論しているのは驚いた。匿名の人から批判し放題になり相手にできないといっていた。自分も2ちゃんねるに晒すことは怖くてできない、名前のない有象無象のものが勝手に批判されるのは怖いし公平でない、ただその相手がホームページを持ち自分の経歴や何かそれなりの見解を持っていて発言するならやりやすい、その人もまた批判の対象になるし責めることができるのだから。ところが2ちゃんねるではまったく誰か見当さえつかない、反論しようにも「逝ってよし」と言ったら本当に逝ってしまってその人のことはわからない、まったく不明になってしまうのだ。ニフティではこういうことはなかった。不明にならないその次の日も必ずその人の発言はあるのだ。会員制であり少ないからだ。2ちゃんねるはまったく誰か発言しているのか完全な匿名なのだ。匿名でも内容ある議論はある内部情報の暴露など有効なものがあるが宗教について語る所ではない、名前というのが意外と大事なのだ。

人間の名前というのはかなり重要な生命をもっている。名は体を表すとか名前はその人を示す重要な何かである。なぜかというと呪うにも相手の名前を書いて呪えばかなり有効になる。逆に相手の名前を書いて病気治癒などを祈ればそれも有効になる。名前がわからないとしたら相手について祈ることも何もできないのである。モンゴルでは

例えばこんなもの。「ネルグイ(名無し)」「ヘンチビシ(誰でもない)」「エネビシ(これじゃない)」「テレビシ(あれじゃない)」など。ネルグイに関してはその子供が生まれた時に親が不在だとしばしばつけられるのだが、この他にも日本語に直すと「人間ではない」「おまえは何者?」「あいつは何者?」「誰でもかまわない」なんていう、ちょっと考えると「適当なのか?」と思われる名前がいくつかある。しかも、これがたくさんいるのである。
これはモンゴル民の昔からの思想で、幼児が死亡するのは魔物が取り付いたためとされていた。魔物に名前を知られないように、もしやってきても「誰でもないよ」ならば、退散してもらうことができるから。実はこれがモンゴル流の「子供の健康祈願」なのである。その他にも魔物がすぐ退散するような「うんこまみれ」とか「悪魔」「黒い犬」なんてのもある


http://www.union-net.or.jp/cu-cap/mongoru.htm

これは秀吉の子供の名が秀吉も捨てる真似の代わりに「捨(すて)」という奇抜な名前をつけたのです。この子は間もなく鶴松と呼ばれるようになります。「鶴」も「松」も長寿を祈った文字ですが、そんな親心も届かず鶴松はすぐに病死してしまいます。悲しみにくれた秀吉は、その後恵まれた次男に今度は「お拾(ひろい)」と名付けるのでした。この子がのちの秀頼です。

こうした名付けかたは風習は騎馬民族から伝わったものかもしれない、古代人は名前を容易に明かさなかった。名前を明かすことに慎重だった。名前に対して特別な意識をもっていたのだ。

籠もよ み籠持ち ・・・ 大和の國は おしなべて
われこそ 居れ しきなべて われこそ座せ 
われにこそは 告らめ 家も名も


万葉集の最初にあるこの歌も名前を名のることは重要な意味をもっていた。家が先にあるから家というものがすでに個人の前にあったことは現代までつづいている習慣である。自分が名のったのだから相手も名のれとなるが名を名のることはすでに自分を明かすことであり信頼あるものにしかしないことなのだ。だから簡単には古代の人は名前を名のらなかったのだ。今でも本当は名前は簡単に名前を名のるべきではない、名前がいろいろ利用されるからだ。

そもそもなぜ神には本当は名がないのかエホバとは「ありてあるもの」というものであって神の名ではない、神には名はないのだ。なぜか名があれば必ずその名がけがされるのだ。エホバの馬鹿とか現実にそうなるのである。どんな人もケガされる。つまり人間は神であれなんであれケガすものなのだ。だから名前がないのである。まだみだりに神の名を唱えていけないという戒めも神の聖なる名の乱用を戒めたのだ。聖なる名が常に世俗の欲望のために唱えられている。南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏これが世俗の欲望のためにケガされすぎてしまったのだ。そこにあらゆる世俗の欲望のために祈られてきたのだ。これは簡単にいくらでも一つ10円くらいで印刷される紙にすぎなくなっている。これはこのように安価に信者に配られ幹部の金儲け権力を得るために印刷されるだけである。これはそもそも元がかからないから坊主丸もうけのように丸けなのだ。いづれにしろ宗教はどこもケガされてしまった。世俗化されそこに神聖さはなくなった。だから自然の方が太古の時代と同じように清浄さを維持しているから自然によって今でも清められるのだ。宗教は今や誤謬だらけでありそれはナチスのごとくカルトとなり文明の混乱のなかで異様なものとして増殖している病理的現象なのだ。文明的病気の一つが宗教なのだ。創価はその顕著な例でありこれが社会を席巻していることに疑問をいだかないのも文明そのものの異常からきているのだ。ナチスも文明の病理的現象であったのでありそうとしか考えられない、なぜそうなったのかという答えがでないからだ。

インタ−ネットではそういうことが多い、相手について知り得ようがないことが多いのだ。それが利点でもあるが大きな欠点にもなっている。イエス・キリストというときもその聖名を唱えることそれにより大きな力を得るのだ。イエス・キリストとは架空の人ではなく実在の人である。その名を唱える、呼ぶことは大きな力になるのだ。
一方ネットは架空化しやすいのだ。だからそこに実際の力は働かない、ネットでもそれなりに相手の存在が実名で実体化すれば何かテレパシ−として伝わるものがある。現実ネットで裁判になったように憎悪や恨みや感情的なものが伝わり問題になった。ネットでもそれが実名であり存在が実体化すればテレバシ−として何か心が伝わり作用することがある。それがこのインタ−ネットの不思議というか精神の不思議なのだ。

とにかく匿名掲示板のものを本にして裁判ざたになったように匿名でも著作権があったのである。やはり勝手に本にだしてまでもうけることはできないのだ。いづれにしろ匿名問題はやっかいである。しかし明らかに相手が全くの匿名だと真剣には語りえない、ただ匿名でも語れることはありそれを否定することはできないのだ。だから実名でメ−ルをくれれば自分としても真面目に答えるがあとは相手のことがわからないから答えるのがむずかしい。だから結局自分の場合メ−ルはこないのだ。掲示板にしてもなぜこんなにアラシが多いのかというと匿名だからである。誰かわからないものにより荒らされるのだ。

インタ−ネットの大きな問題は匿名であり相手の実体がわからないことである。批判する相手が何者かわからないことは不安であり怖いことでありそれが野放しになっているのは公平ではない、批判する人間も責められるべきだからだ。ニフティでは一応責められても責め返すということができた。しかしインタ−ネットではそれができにくいのだ。インタ−ネットが匿名なのは相手の正体がわからないことが多いからだ。だから実名でメ−ルでよこすとしたらその人を相当信頼することになるがそういうことを見分けるのはむずかしいのだ。ただインタ−ネットだけでなくこの世の実社会でも簡単にだまされる人がいるのだから同じではあるがインタ−ネット特有の問題はつきまとうのである。だから発言する人は本当はホームページで自分の経歴なり名前なり見解なりを明確にしてそれから発言すると匿名でなくなる。そういうことがリンクして簡単にできるようになったからだ。インタ−ネットをどう利用するかはまだわかっていない、それぞれ模索中なのである。


インタ−ネット情報学(インタ−ネットは本ではない)

インタ−ネットというのが本の要素があっても本と違うものだといことがわかっていなのでは、どうしても規制の概念で対処するほかないのが人間である。

「哲学」 にしろ 「科学」 にしろ 「芸術」 にしろ、いずれも西洋文化を翻訳するために明治時代に造語された言葉である。 「社会」 はおろか、「恋愛」 とか 「彼女」 までもその当時の造語であると聞いたら、意外に思われるであろうか。

翻訳論研究家の柳父章によると、society は開国当初さまざまに訳されたという(侶伴・仲間・交リ・一致・組・連中・社中など)が、このことばの翻訳にはいろんな人がずいぶん苦労したらしい。福沢諭吉も「交際・人間交際・世人・交(まじわり)・国」などと訳し分けていた。


そもそも社会とか会社は社(やしろ)に会すという意味である。会社のビルの屋上に社を祀ってあるのも日本的風景である。会社が一つの村になっているのだ。本当に社会とは社(やしろ)に会す場所だったのだ。社は村の人が現実に集い話し合う場所だった。社という建物自体、そのように設計されていたのだ。あの建物は実際は人が中に入り利用する場所だった。公会堂だったのである。社は氏子が集まる集会場だった。しかし societyは別な概念である。

明治時代に英語の「ライト」「デューティー」を「権利」「義務」と訳したのは、福沢諭吉らしい
明治時代の訳語として英語のrightsには「権理」という言葉が当てられ、福沢諭吉も『学問のすすめ』の中で多く用いています。

この「権理」の精神として、

「理」(ことわり)を権った(はかった)上で、自分に許されていると判断される行為がある。その行為の可能性として「権理」があると考えられていた、というものだと思われます。
それに対し「権利」は正当な「理」などはそっちのけで、共同体からどれだけの利益を自分が得ることができるかを、私心のうえ(私心のみ)で権ったものといえます。

権利はrightでありrightには正義とあるから正しい者には権利はあるということなのだが権利と訳してはその原義が不明になる。

religion にあたる言葉は「宗門」でした

これも宗教というのも明治に作られた訳語なのだ。意外なものまで明治に作られたのである。一割くらい明治時代に作られた訳語を使っているのだ。

インタ−ネットもこれも理解するのがむずかしい、本に親しんできた者にはインタ−ネットを読むとは実際は別な知識の取り入れかたなのだ。本に代わるものではなく本とは別な情報世界なのだ。もちろん今までのマスコミの新聞とかテレビとも違うのだ。このこと自体理解することがむずかしいのだ。本というのは一冊の完成されたものである。だから長編がある。長い物語として完結しているのだ。インタ−ネットはそうした古典的なものとは違う。インタ−ネットは即時の反応が大事なのだ。
文章を読むにしてもじっくり本を読むのではない、即時の反応が通信を生きたものにする。だからパソコン通信時代からレスがないものは意味のないものとされたのだ。今でもとんないい発言をしてもレスをつかないものは2ちゃんねるなどでも意味なくされることが多いのだ。多くのレスがつく反応があるものは生きたものとなる。ホームページはこれはまた違ったものであるが基本的に即時のレスが通信の生命だった。それもリアルタイムで同時につながるから早いレスが望まれる。2ちゃんねるのスレッドが生きているのは次々にリアルタイムで実況中継のようにレスがつくときである。一分ごとではない、秒感覚でレスが連続してつくときスレッドが生きる。

これはニフティのパソコン通信とは違う、ニフティでは二日後とか三日後とかでも有効であった。会員数が少ないから同じ人が発言していたのだ。2ちゃんねるは膨大な数の人が次々に発言するから誰が発言しているかすらわからない世界である。これも一年くらい経験していてみないとわからないニフティ時代の通信とは違った世界であった。私の経験としてはかなり不満なものであった。つまりもっと詳しい内容のある議論とかレスはできないのだ。実はもっと専門の人がより深く議論を深める第二第三のスレッドをたてる。ヘッドライニュ−スとして読よ、次にそのニュ−スの真実をより深める、つまり私の時事問題の深層のようなものにすることが必要なのである。ただそこまでは関心がないし、上っ面の議論で終わりまた次々に話題が変わることが不満なのである。私のようなホームページのコンセプトとは違う世界である。

2ちゃんねるというのは確かにマスコミにはない新しい視点を生み出した。しかしそこにも限界がありまた新たなものの創造が望まれている。
なんらかの不満がみんな残る。やはり大衆的なものには限度がある。マスコミ批判はわかるがやはり一段高い所かの意見、視点が必要なのだ。それには関心がないとするとそこは低俗化になり腐敗して優れた人は離れてゆく。それはそれでいいというのもインタ−ネットである。

とにかくインタ−ネットはじっくり本のように何度も読むというより電気信号に反応するようにフラッシュのように脳細胞が反応せねばならない、だからこの世界は疲れるし中高年には向いていない、ただホームページは自分の思いのままに作れるからまた違ったものである。しかし基本的にインタ−ネットはメ−ルの世界でも早い反応が望まれる。即興的反応が望まれる。だから機敏さ要求されるからなかなかこの世界になじめない人がでてくる。将棋にしても15分以内とか相当な速さでじっくり考えていられないのだ。早指しが基本なのである。そしてホームページで報告するにしてもライブが基本なのだ。実況中継としての報告なのだ。だから俳句なんか向いている。これは即興的に作れるからだ。旅行してその現場からリアル感覚で報告する、それを見たり読んだりするのが基本である。それと自分はしていなかったが本当は個々の即興的に反応する世界だからたえずレスがないと生きてこない世界でもある。自分のホームページは一方的だったからそういう点でインタ−ネットを活かしたものではなかった。

なんであれインタ−ネットは瞬間的反応するものであり脳細胞のニュ−ロンのように反応し結びつき増殖する世界なのだ。このコンセプトを理解していないものはインタ−ネットを活かせないのだ。いづれにしろ新しい技術が生まれた時、人間はそれに追いつけなくなる。技術がどんどん先に進みそれに順応できなくなる。そのいい例が以前としてインタ−ネットを本のように新聞のようにテレビのように考えていることにある。前からあったもので考えざるをえないからだ。でもそもそも本を電子本にしたり電子の新聞にしたりとすることをしているがインタ−ネットの情報環境はそれとも違うのだ。そういう今までの概念で対処しているとうまくいかない、だから電子本というのも余り売れていないというのもそのためかもしれない、インタ−ネットは本ではないからだ。

ギリシャ神話の「アリアドネの糸玉」に擬えれば,歴史の大転換期に「生」を受けた者は,糸玉を解きながら,歴史の大転換期という「迷宮」を進み,糸玉を手繰り寄せながら,無事に未来への出口ヘと脱出しなければならない。それが歴史の大転換期に「生」を受けた者の使命なのである。

ギリシャ神話の「アリアドネの糸玉」に擬えれば,歴史の大転換期に「生」を受けた者は,糸玉を解きながら,歴史の大転換期という「迷宮」を進み,糸玉を手繰り寄せながら,無事に未来への出口ヘと脱出しなければならない。それが歴史の大転換期に「生」を受けた者の使命なのである。

http://www.yuhikaku.co.jp/

トピックス→財政学江戸時代、

まさにインタ−ネットはこれなのだ。糸玉を手操り寄せながら組み立てているのだ。知識はものすごい広大な者でありこれを一人で操ることなどできないのだ。だからインタ−ネットは一人でやっていてもこのようにたえず検索し引用しリンクしあるいはコピ−することが頻繁になる。そこが一冊のまるで石碑のようにできあがった完成した変わらない本とは根本的に違うのであるがその意識を変えることがむずかしいのだ。


       島の水不足

沖縄県では、梅雨や台風があるため、降雨量は全国平均より多いのですが、山が低く土地が狭いため、水をためておくダムや貯水池が少なく、水不足になりがちです(でした)

島は川も短いし水を溜める山や森が小さい。これは日本本島では考えない、水が森で山で貯えられていることが大きな恵みとなっているのだ。
ず−と雨の降らない夏の暑い時期山に行ったら清らかな水が涼しく流れていた。こんなに日照りでも山には水が流れていることに改めて感心した。山には水は絶えることなく流れているのだ。日本では砂漠のように水のありがたさに気付かない。砂漠では水は非常に貴重である。島はどこでも水に苦しむ歴史があった。

首里森にまします
真玉森にまします
按司添い貴人(国王)の
美しい田が立派な田が
雨欲しさに水欲しさに
みな割れているから

菩薩の穂のために
石の実が入るために
金の実の入るために


菩薩の実というのは仏教が入ってきたためであり石の実とか金の実は穂が石のように確実に金のように大事なことの比喩であろう。つまり島では米は貴重なものなのだ。耕地も少ないから米は貴重なものでありそんなに自由には食べられなかった。こうして島というのが水不足であり水が貴重なものであることを知る必要があるのだ。日本本島では水がふんだんにあるから水の恵みに感謝しないのである。田というのも実は水が欠かせないものなのだ。だから県(あがた)とは上の田で山の上にありそこには水が流れてくるから米作るにはいい土地だったのである。
つまり県(あがた)は最初の国を形成したようにそこが米を作ることができたからである。山田とかも米を作るにはいい土地である。米と水は密接な関係があった。ヤマトというのもやはり米作りに適した土地として日本の国の基となった。米ができるところはだから水の豊富なモンス−ン地帯にありここは水に恵まれた所であり世界的にみると恵まれた所なのだ。他は乾燥地帯であり麦を作りパンを食っているのである。

神人来れり、富蔵(ふつか)の水、清し
神人、遊び、白沙、米に化す

日秀上人が来て農業の指導をしたらしい、つまり米をもたらしたものへの感謝が深かったのである。とにかく島では水が不足するし水を運ぶことなどが日常的な辛い労働にもなった。自分の家でも水がなくて近くの江戸水を借りていたのだ。だから「水もらいます」といちいち断りもらっていた。これは昔は地域社会では相互扶助社会であり水も今のように水道のように金で買うものではなかったのだ。金で何でも手に入るという世界は人間を金あるものを価値あるものとしてしまう。だから東南アジアとかに行ってなんでも女性でも金で買うという傲慢さをもたらしたのだ。他国に入る人間としての礼儀すらなくなったのだ。「おい、泊めてもらうぜ、これが金だ、文句あるか」くらいになってしまう。地域の相互扶助社会もまたグロ−バリズム、金至上主義で壊されたともいえる。とにかく風呂の水もバケツで運んでいたのだ。つまり水で苦労した人、苦労している人が世界では今も多いのである。

ミンミンゼミが鳴いていた暑い夏の日に呑んだ井戸水のあの冷たい感覚
井戸水で冷やしたあのスイカの冷たい味はまだどこか頭の隅に残っています
いつの頃からか井戸水はなぜか不衛生のレッサテルが貼られ、水道水が普及してしまった
「水道水はきれいですか」と質問したら、子供達は全員「きれい」と答えるであろう
しかし上流から何回も何回も塩素で下水処理されて殺菌された川の水をくみ上げてはまた殺菌して鉄官,塩ビ,鉛官で送られてくる水は本当に体によい水なのだろうか

水道水というのは確かに水なのだが本当の水とは違う、人工化した水である。だから水に対する感覚も今では違っている。水に対する水に欲する喜びがなくなった。水に対する恵みの感覚がなくなったのである。自然から人工化するとどうしても自然に対して感覚が鈍るのだ。水を人工化するのはロ−マのレンガの水道などのように文明化、都市化には不可欠である。ただ水に対する原始的感覚は喪失しているのだ。

ここのホームページの水の豊富な所や食料の豊富な所から文明は生まれない、砂漠化した所から文明が生まれたのはなぜかという問いは面白い。砂漠は実際は交通に便利なこと人の行き来が移動が楽なこと、それから水のあるところから
大河の辺りに四大文明(エジプト、メソポタミヤ、インダス、黄河)が生まれたというのは水の利用による。水の利用により多くの人が集まり大社会が生まれ文明が発生した。砂漠は交通に便利なことは確かである。砂漠地帯が最初の商業の発生地帯だった。契約というものが生まれたのも砂漠地帯だった。商業の歴史は意外と古いのである。神との契約というのも砂漠の商業地帯から生まれた。

エデンの園にも四つの川が流れていたというからおそらくこの四大文明を示唆していたのかもしれない、聖書は実際はかなり人間が文明化されてからできたものである。ロ−マの大帝国もロ−マの道き水を流す水道橋の二大建設によってできたということとも一致している。人が移動することと水を利用することで文明ができたのである。文明の発生のもう一つの原因は人の手を加えやすい所、何もない平面的な砂漠はかえって人間の想像力が働き一つの白いキャンバスとしてピラミッドのようなものを作りだした。そこには何もないから人間の手を加えねばならないという必然性があった。

モンス−ン地帯ではこの二つが欠けている。移動することが不便なこと森とか湿地帯とか山は道が作りにくいのだ。それにこのような豊かな自然は人間の手を加えにくいから文明ができにくかったともいえる。日本の神話のように言葉自体も「あれる、うまれる」のであり物は自然は作られるのでなくほっておいても生まれるのである。砂漠では最初に主語がある。その主語は神になるのだ。GOD make I make となる。砂漠は何かを作り出す世界なのだ。だから文明の発生したというのはうなづけるのだ。




沖縄の詩や散文へ

湧き水探訪
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/i5031chi/homepage/essay.htm


水と砂漠と文明
http://home.e08.itscom.net/21water/water.htm



  最果ての島での恐怖体験
     (与那国島にて)

県が日射病注意報3号

   与那国で男性2人死亡

 【那覇】県健康増進課は6日、日射病(熱中症)の注意報(第3号)を出した。
 第5週(7月1日−8月2日)までに報告された患者は73人、過去10年で最多だった98年の年間69人をすでに上回った。
 与那国町で男性2人が死亡するなど統計外を含め4人の死者が出ており、厳しい暑さが予想される今後も注意が必要だ。


今回の旅での与那国の件についてはどうしても納得がいかない、たいがいあわて者で旅では自分に非があるのがほとんどであった。特に海外でもそうだったし国内でも失敗の連続だったから自分に非があったのだ。今回だけは違う、どうしても納得がいかないのだ。自転車で比川という淋しい部落に来たとき木陰で長く休んでいた。そこに珍しいでんでん虫がいた。それを観察してデジカメにとっていた。それでかなり長くいたのだ。そして久部良にでてそこの海で遊んでいたら警察がきて

今比川の部落の人から木陰で長く休んでいる人がいて怪しいと連絡がありかけつけたんです。普通はみんな素通りで長く木陰で休む人はいません、だから怪しいと連絡があり来たわけです。

これには自分もびっくりした。島の人がそんなことで警察に連絡するのかと木陰に長く休んだだけで怪しいとなるのかこれには自分も全く納得がいかなかった。警察の若い人は何分狭い島のことですから島の人の言い分は聞かなきゃならんのです。波照間の事件もあったしまだ観光慣れしていない面がありとか言ったがそもそもこんな理由を真面目で言ってくる警察もまともでなくてっている。狭い島で暮らすために島の人と調和して暮らすためにそうなった。法とか公平とかより島の人の意向が最優先される。江戸時代のような世界がそこにあったのだ。比川では7年前にキャンプした人がいてそこはキャンプする所ではないと移動させられたとインタ−ネットのあるホームページにでていた。キャンプは今離島ではほとんど禁止になっている。波照間では自転車にキャンプ道具を積んで木陰に長く休んでいたがじろじろと島の人には見られたがこれだと警察に通報されてもいいはずだがされなかった。比川は確かに淋しい所だから観光なれしていないともいえるが与那国島には空港もあり一日何便かあり結構外から人の出入りがあるのだ。波照間とか与那国島は最果ての島ということで観光客はかなり増えているしこれからも増える。だから宿は予約制になっている。与那国島と台湾にも船が通う予定だったが伸びたらしい。

こういう状況で観光なれしていないというのも納得がいかない、自分自身が何か怪しまれたというのもわかる。日焼けして色が異常に黒くなってしまったことや何か怪しいとみられることはある。しかしその理由が納得いかないしその理由でいちいち警察に通報されたら木陰で長く休むことすらできない、そのことはどうなるかというと日射病になり死ぬことにすらなりかねない、冗談じゃなくて与那国でその次の日に日射病で二人死んでいるのにも驚いた。これはまさに冗談じゃなくて恐怖である。暑いところではいかに木陰が大事かを知った。その木陰に長く休んでいるからと怪しいといちいち警察に通報されることは何であれ生死にかかわる。

警察に職務質問されることはある。それはそれでいい、ところが村の人が監視しているとなると別だしこんな経験は旅も長いがないのである。
これは正に江戸時代だと思った。村人の監視システムがありよそ者は村人に監視されている。これは怖いことである。警察に監視されるのではない島の人が監視しているとしたらおちおち木陰でも休んでいられないのだ。思い過ぎかもしれんがそういう恐怖を感じたのだ。これは正直どういうことか本当のことはわからない面もあるがどう考えても納得がいかないのだ。誰かが暑さで気分悪くして倒れそうになっていて地元の人が警察に連絡したとかはある。自分はただ休んでいてめずらしいでんでん虫をデジカメでとっていて長く休むことになったのだ。怪しいと思ったなら「ここで何をしているのですか」と聞いてからすべきだったのだ。

ただそもそも島というのはどういうところか一年くらい棲んでみないとわからないだろう。波照間にしても与那国にしても実際は狭い島なのだ。波照間は周囲10キロとか与那国でも周囲27キロとかその狭い中にわずかな人間が(2000人くらい)毎日暮らすことは内地とは全然違う人間関係が築かれる。これは昔の村社会とか自分の住んでいるような小さな町でもよそ者には排他的になりやすいものを持っている。島の認識で新たにしたことは島は外から訪れ去るにはいいが住むには人間関係でも生活でもかなりの制約を受けた異常な世界ともいえるのだ。監獄にいる状態ともにているのだ。海からの風は絶えず吹いてきても島の人は小さな世界に閉ざされているのだ。これが島の現実なのだ。


「人によって歩くクセが違うからよ、
 下駄の音を聞いて誰なのか、
 すぐに分かったさぁ。
 東の宿舎から聞こえてくれば先輩だとか、
 あの辺りで聞こえればアイツだとかすぐに分かったさぁ」
 (石垣在住鳩間出身者・70代男性)

「臼の挽き方も、
 人によって歯切れのよい音とか悪い音があるさぁ。
 だから遠くからでも誰が仕事をやっているのかが分かる」
 (石垣在住鳩間出身者・70代男性)

「鍬を打つ音がどの畑から聞こえてくるかで、
 誰が作業しているのかもすぐに分かったさぁ。
 鍬についた泥を落とすときによ、大きな音がするから、
 それが目印さぁ。

http://nekomatsu.net/works/shima/(ねこ松瓦版) 



このように島では誰が何をしているかすぐにわかってしまう世界なのだ。このホームページは島を音の観点から調査した人で面白かった。こういう世界が島の世界だから観光客も監視している。素通りしてゆく人間は普通だが木陰に長く留まるのは普通でないとなったのかもしれぬがこれは常識からみても江戸時代の世界なのだ

観光にかかわらない人達は観光には無関心だという。観光から直接利益を得ていないので無関心だしむしろよそ者がくるのが迷惑になっているのかもしれない。というのは宮古島でのダイビンクで地元の漁協が漁場が荒らされていると迷惑料を要求していやがらせまでしているから必ずしも観光が歓迎されない、対立している側面もあるのだ。

http://www.makinouen.co.jp/diving/miyako/(宮古島ダイビング迷惑料問題)

そのあと比川では40才の人が溺れて死んだ。親子だと言って宿で噂していたが子供の方ではなく親の方だったのかもしれぬ。そこは子供が泳いでも溺れることのない浅い波もたたないプールのような所だったからおかしいと思っていた。新聞見たら与那国で次の日に日射病で二人死んだとありなんか変だ。別に私がこう言ったからといって与那国自体悪いところではないし私のような目にあう人はまれだろう。ただ地元の人が隠したいのわかるが島にそうした閉鎖性が自ずと備わるしそれを否定することはできないのだ。現実は現実として示すのが記者なのである。いいことばかり書くのは真実の記者ではない、地元のことはいいことばかり書けと言うのもおかしい。私としてはやはり木陰でもゆっくり休んでいられないのかと恐怖を感じて帰って来た。

波照間でも与那国でも最果ての離島として魅力があり自分がこんなことを書いてもめずらしい変わった体験をしましたねというくらいで何の影響もないことは確かである。最果ての島でかわったいい経験して良かったじゃないですかそんなことを文句言う必要も表沙汰にすることせありませんよというのが大方の意見ではあったがどうしてもし自分としては納得がいかないので書いたのである。インタ−ネットでは個々の体験がありのままに語られる時代である。そこにインタ−ネットの意味があるのだ。マスコミではこんなことを言う人はいないし一笑にふされるか与那国島や沖縄の人から抗議がくるので言うなとなる。つまりこれまでのマスコミでは何か言うとあらゆる団体から抗議がくるから実際は日常の挨拶のようなことしか言っていないのだ。仔細な差別語の規定もそこから生まれたのだ。マスコミからはもはや真実は暴露されることはむずかしくなっている。規制が多すぎるし個々の不満など取り上げないからである。インタ−ネット時代の言論はマスコミと違うことに意味があるから書いたのである。

(あとがき1)

波照間の殺人事件で警戒が強まる、ほとんどの島でキャンプ禁止になる
外から人を入れる限りこうした問題はでてくる、いい人ばかりはこない、グロ−バル化することは島でもそうなのだ。悪い人を入れないとするなら観光客でも島に入れないことにするほかない、こういう問題はアメリカのテロでも起こっている。島でも同じである。台湾との航路を開いたら明らかに外国人が入ってくるのだからその中にはいかがわしいものも入ってくるかもしれない、島もグロ−バル化、国際化の矛盾をかかえているのだ。とにかくあまりに警戒感を強めるとこれも大きな問題である。全然テロと関係ないアラブ人が調べられて監禁されたとか極端なことになる。いづれにしろ一人の犯罪者が大きな波紋を作ってしまった。

波照間での殺人事件→島で特に離島で警戒強める→キャンプ禁止→怪しい人は即警察に連絡→犠牲者(今回の自分)

これが納得いく理由かもしれない、波照間での殺人事件が自分にも旅行者にも影響を与えたのだ。

あとがき(2)

波照間では予約もせずキャンプ道具を積みうろうろしていた。「ヤドカリ」という素泊まりの宿をやっと捜し当てた。その次の日もキャンプ道具を積み波照間をうろうろしていた。木陰で長く休んでいた。これだとかなり怪しまれてもしょうがない、何故ならキャンプ道具を自転車に積んでいたからだ。これで警察に通報されても文句は言わなかっただろう。なぜキャンプ禁止になったかというと波照間で殺人事件を起こした人が野宿していたためである。それでキャンプする人に警戒が強まった。
今回は後ろにキャンプ道具は積んでいなかった。ただ脇にバッグを一つ
下げていた。これでキャンプするものと見られたのか、どうしてもわからない面がある。キャンプしているものじゃないかという理由だと納得がいくが「普通はここで素通りするのに木陰で長く休んでいるから怪しい」というのはどうしても納得がいかない、波照間で事件があったのだから波照間では怪しまれ通報されても仕方ない状態だった。与那国で通報されたことはどうしても納得がいかない、かなりの行き過ぎではなかったか、納得がいかないのだ。



キャンプ道具を積んで波照間を見て歩っていたのだから
これはかなりジロジロ島の人に見られて警察に通報されなかった
これに比べると与那国島で木陰に長く休んでいただけで
警察に通報されるのは納得いかないのである



(証拠の写真)


比川の木陰で観察していたでんでん虫

大きなでんでん虫でありめずらしいと思った
沖縄には内地では見られないめずらしい動植物がいて
これを観察することも旅の目的になる

ある種類の蝶でも貝でもある一カ所に固まっていることが多い
このでんでん虫もそこに多くまとまっていた
まだ他にいないかと見て回っていたのだ

沖縄の詩や散文



離島でのキャンプ全面禁止の疑問

波照間の殺人事件以後、石垣とか西表をのぞいてキャンプ禁止になった。これも考えてみるとおかしなことである。殺人事件を犯した人はキャンプ道具を持っていなかった。キャンプしにきたのではない、どうして
波照間まで来たのかわからないがキャンプしに来たのではないことは確かである。ただ偶然に何か理由はわからないが波照間まできた。ここで
大事なことはキャンプしに来た人ではなかったことである。キャンプ道具をもっている人はキャンプしにきたのでありそれなりにそこで暮らす用意をしているのだ。キャンプ道具をもっている人はむしろ目的があるのだから野宿する人より安全とも言えるのだ。最低限の金も持ってきているのである。なくなったら帰る人である。実際この事件前はキャンプは地元の人がいやでも黙認されていた。キャンプする人はどっちかというとより長く旅していたい人とかキャンプを楽しみたい人が多い。沖縄のような暑い所ではキャンプは向いているのだ。それを離島で禁止するのは一方的でもある。波照間での殺人事件など滅多に起こらない、その一回の殺人事件で異常なほどよそ者に警戒するのはおかしいのだ。アメリカのテロとは事情が違うのだ。

ではなぜキャンプの旅やバイクの旅を自転車の旅をする人がいるかというと一つは長く旅するには日本では宿泊費が高いからできないのである。一日4千とか五千円払っていたら絶対に長い旅はできないのだ。だからキャンプになる。長い旅する人はやむをえずそうなっている面とやはり旅の醍醐味は自由なことと長いことが醍醐味なのだ。キャンプ道具ををもっていればどこでも一夜は過ごせる。それは自由の旅にとってかかせないのだ。一週間くらいで終わる旅は旅ではない、団体旅行も旅ではない、せいぜい見学にしかならないのだ。本当に旅をしようとするとキャンプ道具を積んだスタイルになるのだ。そういう人達も旅をしている人にはいるのでありそれを離島で全面禁止することもおかしいのだ。キャンプ場をもうけてそれらの人を受け入れることもやはり自由社会の選択として必要な面もあるのだ。島にとってはそんなもの金にならないとういのもわかるがではなぜ波照間の殺人事件前はそれなりに黙認されていたのかそういう人達も入ってきても嫌だがしかたがないという暗黙の了解があった。それが波照間の殺人事件を契機にこれはいいとキャンプを全面禁止にした。

つまりあの波照間の殺人事件は島の人の都合いいように利用された面もあったのだ。あの偶発的な一回の殺人事件でここまで過剰防衛になるのはやはり外部から見るとおかしいのだ。確かに

基本的に沖縄の人は大荷物を積んでバイクで旅している人間を良くは思っていない。これは前回4カ月沖縄に滞在して体感したことだった。宮古にはいないけど,石垣や沖縄本島で浮浪者のように長期滞在するキャンパーが多くいる。これが印象を悪くしているのだろ

この長期滞在者は観光業者にとってはメリットは少ないのだろう。それでも石垣と西表ではキャンプ場を設置している。ということはそれなりに金になるからやっているのだろう。そうでなければキャンプ場を作らない、冷蔵庫とかシャワ−とかキッチンを用意して一日600円は安いと思った。こんなんで商売になるのかと思った。自分は小屋みたいなのに1600円で泊まったからかえって高かったから商売にはなっていた。石垣と西表にはキャンプできるからいいのではないかというがやはり離島でのキャンプはより醍醐味があり面白い。自分はキャンプと言っても自炊はしないし寝るだけだがやはり離島でキャンプしたい人はいる。長期滞在者でなくても短期のキャンプそのものを楽しみたい人もいるのだ。それを波照間の殺人事件以来全面禁止するのは納得がいかない、あの事件はむしろ地元の人に都合いいように利用された面もあるのだ。あういう事件が起きるからキャンプが禁止なんですよというがあの事件とキャンプの因果関係は必ずしもないのだ。キャンプ道具を持ってくる人は安全だとも言えるのだ。なぜならテントでもキャンプ道具は結構高いものなのである。キャンプ場で見た限りかなり高価ないいテントを持っている人が多かった。自分の一番粗末で雨がもるので使いなかった。キャンプには実際それなりに金がかかるのだ。殺人事件を起こした人はキャンプ道具を買う金などなかったのだ。こう考えると離島でのキャンプ全面禁止は島の人の都合いいように利用された面もあり納得いかないし今回の与那国島での木陰に長く休んでいただけで島の人が警察に通報することも過剰防衛であり納得いかないことだったのだ。



与那国島(比川浜のインタ−ネット情報)
−比川は非公認のキャンプ場)



どうしても与那国のことが納得いかないのでインタ−ネットでいろいろキャンプのことやら調べている。2003、3月の更新の日記にキャンプした人がいた。


石垣でキャンプしている方から”比川浜”ならOKだよという情報を得ていた。ちなみにこの島は前面キャンプ禁止で、その浜もゲリラキャンプすることになる。やや不安はあったが、そこしか当てがなく、牛が車道をあるく牧場を抜けて、その比川浜へと目指した。

http://travel.tipst.com/bicycle/03_02month/02month_22.htm

だからあそこで女性もふくめて若い者がこっそりキャンプしているのだ。どういことかとういと与那国の比川という地点での情報収集をインタ−ネットでしていることになる。自分のように木陰に長く休んで警察に通報された人もいるがキャンプしても見つからず通報されない人もいた。与那国に行った人は何らか狭いから比川という地域に行きかかわっている。それにしてもこのキャンプは大胆ではなかったか、これで咎められなかったのも不思議だ。余程自分の場合怪しまれたことは確かである。与那国島には今でもこっそりキャンプする人がいても別に見逃しているのだ。それだけまだ警戒感がないともいえる島なのだ。

比川ではその日約2名、キャンプしている人達がいた。(帰りのフェリーで一緒になった人から聞いた話 だが、その比川でキャンプをしていた人が、すぐ近くの小学校の校長先生から 「山羊汁があるから食べにおいで」と呼んでもらってご馳走になったそうだ。)
ここには小学校があった。

http://forum.nifty.com/fcycle/lib/t_lib_5/234.htm

比川浜は前もそうだがキャンプする場だったのだ。非公認のキャンプ場だったのだ。多くの人がここでキャンプしている。今でもキャンプしている人がいるのだ。ただこんなふうにもてなされた人もいれば次のように不満を言う人もいた。それにしても奇妙なのは比川の小学校の校長先生はキャンパ−に親切な人であるということまでわかるのだ。普通はキャンパ−は嫌われているのにここまでしてくれるのはキャンパ−にも親切にしてくれるいい人だとなる。

古くからのキャンパーに聞けば、この浜以外の場所はキャンプ禁止だという。水は夜に公民館までくみに行けばいいとの事だが、よその状況も知りたかったので、自転車で回ってみた。森林公園、最西端の岬、ダンヌ浜、どこも水があり快適そうだ。だが交番でたずねたところ、やはりキャンプを黙認するのは比川のみだという
役場へも行った。水を停めているのは漏水のためで、早ければ今日中にも復旧するという。
     10月23日 雨
 夜になって公民館へ水くみに行った。二度往復した。続いて、打ち上げられていた海綿を持って体を洗いに行き、最後に洗濯をした。いつまでこんな不便が続くだろう。水は復旧しない。聞けば半月前からこの状態だという。不便な状況にキャンパーを追い込み、長居させないつもりだろうか。波照間でも、与那国でも、ダイバー様、観光客様とあがめるが、貧乏キャンパーは邪魔物扱いだ。見苦しいというのなら、展望台で弁当ガラを散らかし昼寝をしている町職員の方が、よっぽど見苦しい。(1999)

http://shin.twincle.net/tent/shirube1.html

これでダイバ−は金を使うので歓迎される。キャンプする人は嫌われている。キャンプして山羊汁を御馳走になったというのはまれではないか、一般的にはやはりキャンパ−は嫌われている。自分もその一人に見られたのかもしれない。こういう差別も問題である。

しかし一方波照間ではキャンプ道具をテントを引き裂かれたされた話も書いてあったがこの真意はわからない、その人が聞いたことでありその情報の確実性はなく噂話にすぎない、実際はそんなことはなかった。その人の経験したことは確かであるが人から聞いたものは信じることはできない。その人が直接経験したことは信憑性があるのだ。体験した人しか書けないことがありそれはわかるのだ。結局自分も長居するとみられたのか長居してもらいたくない一人だったのかもしれない、

与那国島に旅行者は相当の数入っている。そこで経験することもみな違う。待遇される人も割りを食う自分のようなものもいる。だから一概に与那国島が・・・・だとは言えない。ただわかったことは比川では絶えず今でもキャンプされてきた地域だった。

今や小説より個々人が体験した話の方がインタ−ネットで読めるからためになるのだ。比川浜では波照間の殺人事件以後もキャンプした人がいた。与那国島は波照間より広いからこっそりキャンプする人がいるとうことである。キャンプには今いろいろ問題がある。キャンプの問題点もいろいろある。キャンプ禁止の場も増えている。自分の場合キャンプしても自炊しないから火は使わないし痕跡を残すことも少ない、ゴミも持って他で捨てている。実際自分は本当のキャンプはしていない、自炊していないからだ。

インタ−ネットでは与那国の比川という一地域にかかわった人達の情報が結構あったことである。狭い島だからそうなるともいえる。インタ−ネットではそうした点の情報が集まる場合があるのだ。与那国の比川という地域がどうしても自分にとって忘れられない地域となった。とにかくインタ−ネット情報の不思議は今までにない情報を提供していることに注意するべきである。個々人が何をしたかまで記録される。読む人がマスコミにすれば極端に少ないにしても与那国島でこういうことがあったということをみんな観光して書いている。そこにはいいことばかり書くとは限らない、そこに不満があればありのままをインタ−ネットでは書くからそれは今までにない世界を作り出すのである。あそこではどうだったあの人はどうだったとか個々人とか狭い地域のことが公にされることがあるのだ。こんなことは今までありえなかった。私を監視していた人がいたと同時にまた逆にインタ−ネットでその監視している人や地域のことも書かれるから注意すべきである。



 
よそ者を排除する島国日本

柳田国男が島に同情をよせた、島に日本の典型を見ようとした。それはなぜか、日本そのものが島国だったからである。古事記にも「淡路島、壱岐の島、対馬、佐渡島、吉備兒島、小豆島、知訶島、兩兒島(ふたご)・・・・)などを生んだとあるがこれは小さな島なのだ。これは何を意味しているのかこういう小さな島に何の意味があるのかというと島伝いで船で来たものの跡なのである。小さな島でも船で寄る島は重要なものとなるのだ。これは陸路中心の世界になった世界では理解できないのだ。海が交通路だった世界では中継となる島が重要なのだ。島と島は船で結ばれるのだがまた島は一つの独立した世界であり島と島は海で隔てられ閉ざされた独自の空間を作る。だから島ごと言葉が違い通じないということにもなる。島とはまた他を排除する空間でもある。もちろんニイラカナと遠くから幸をもたらすものがありマレビトの信仰も生まれるがその一方で島とは閉鎖空間でありよそ者を異質なものを排除するのだ。キャンプするものはバイクや自転車のものは入ってくるな、ダイバ−や普通の観光客は入れとかつまり島の感覚は入れてやるという感覚なのだ。だからそこに入れたくないものと入れたいものとの差別が起こる。

それを如実に示したのが「出島」だったのだ。外部から入るものをここでチェックして入れていたのだ。沖縄には人をもてなす心がないという人がいた。沖縄だけでなく島国は外部のもの異質なものをもてなす文化がないのだ。家族にしても外部のものを入れるには敷居が高い、村でもそうだし日本そのものも異質な外部のものをもてなす文化がないのである。日本の家自体がいったん靴を脱いで家に上がるのと靴のまま家に入れるヨ−ロッパの家の作りとは違う。日本は外と内を区別する。ウチが家であり外はよそものであくから容易に家にも入れないのだ。外国人労働者が問題でもそもそも観光客でももてなす心に欠けているのだ。まず異質なものを排除する心が働くのである。大陸は異質なもの許容せざるをえないし寛容にならざるをえない、陸続きだから拒否や排除ができないのだ。島国は海で隔てられるから排除が容易なのである。このメリットとしては中国の文化でもいいものだけを取捨選択していれるということになった。宦官制度とかその他入れないものがあった。外部から取捨選択していいものを入れるという文化が日本でもあった。一方大陸では陸続きだから宗教でも文化でも一元化しやすい、一つの原理が法を施行しやすいのだ。日本のもう一つの地理的特徴として山が70パ−セントという山国でありヤマトとなったのも山が多いからである。山が多いということは山に分断されて一元化がむずかしいという面があり八百万の神が存在することになる。一つ山を越えた向こうはまた別世界になってしまうのだ。山のあなたに幸いありということになる。ニイラカナの世界は海のかなたに幸いありとなる。日本人は島国だから島国的発想になる。これは地理的条件でそうなったのだ。大陸的発想とは根本的に違っているのだ。

その大きな相違はよそ者を異質な他者を排除することである。良きものを選別していれるという文化も作ったが排除の力も大きく働く、例えば沖縄自体が内地(ナイチャ−)と沖縄人(ウチナーンチュ―)を区別していることである。沖縄人がいて内地人がいる。これは一体ではない、明確に区別されている。部屋を借りるにも沖縄人の縁故をもたないと部屋を借りることもできないというのもそれを示している。沖縄と日本本土とは別々のものと認識しているのだ。アメリカ人とのハ−フなども差別されている。自分もハ−フというのが回りにいないので変だと思ったのもそうである。日本にはそうした混血も少ない、外国では多いからだ。母は文化は共通だが父が違うのが沖縄だという、父は中国であり次に日本であり次にアメリカになっている。そこに沖縄の持っている複雑な心境がある。戦争でも日本のために犠牲になったという外国人的感覚がある。なぜ自分達が犠牲にならねばならなかったのか、日本を父に持たねばよかったともなる。日本本土から離れて独立的になっているからそう思うのだ。日本本土であれば陸続きだからその運命は一体になる。ところが日本本土から沖縄はかなり遠い、むしろ台湾や中国が近いのだ。となるとその感覚がかなり違ったものとなるのだ。沖縄も海に隔てられ一つの世界を作る島であり、日本本土もまた別な島なのである。沖縄を経て日本に来たものにサツマイモ(薩摩芋)がある。紅イモは中国から入り薩摩に入り薩摩芋になったが沖縄経由で入ってきたのだ。沖縄は独立国とし中国にも朝鮮にも認められていた歴史がある。

日本人は島国だから外部のものを異質なものを排除する。それはかなり根強いものがある。また地理的にも国土が狭いから外国人などを受け入れるのに向いていないのだ。山国でも排除する力が地理的に働く。島国だからどうだとか一概には言えないが島国では排除されることは海があるから行き場がない、それはかなり厳しいことである。小さな島国で暮らすにはあまり争いはしたくないのだ。なんとか和をもって尊ぶべしになる。和が一番大事になる。今回の自分が島からちょとだけ排除されたようなことでも誰も自分が悪いんだ、島の人は悪くないと言う人が沖縄に多いということは島では島の人を悪く言いたくないのである。身内はかばうのだ。それが法律にてらして納得がいかないとかそういう理屈は成り立たない、島の人の意向の方が大事になるのだ。島の人はその狭い島で生きてゆくほかないのだから連帯感が強いのである。つまり日本自体もこうした小さな離島の感覚が歴史的に培われてきたのだ。その典型的なものが300年もつづいた鎖国だった。これが日本が島国であることの歴史的証明でありその300年の歴史はやはりプラス面もあるにしろマイナス面として日本人を形成したのである。



    
山原の共同売店

沖縄で山原まで自転車で回ったが都市部はコンビニがあったが名護市からは共同売店であった。これは農協の店かと思ったが違っていた。地域の人が共同で作った売店だった。山原の東側の海岸の山と森をぬけた所が高江だった。そこの共同売店の前で許可をもらいテントを張った。その店で買い物して食事した。食堂というのはなかった。その共同売店で世話になった。携帯の空気入れが壊れたのと空気を入れるチュ−ブがとんだのだ。これで困っていたがそこの共同売店の人が自動車整備所があるからそこの人を呼ぶから待ってくれとそこに電話してくれたのだ。そしてそれを直してもらい帰りにその自動車整備所により空気入れも直してもらった。これは助かった。沖縄では自転車屋は極端に少ない、都市部を離れたらない、沖縄でなぜ自転車が盗まれるのか、自転車は安いから買いばいいのにと思うが自転車はあまり利用していない、自動車社会である。その自動車も中古が多いというから経済的に内地よりは贅沢できないのかもしれない、与那国では子供が自転車に乗っていたら自転車欲しいと言っていたから自転車をもっている人は少ない、でも子供に自転車くらいもたせられると思ったのだが島でもあまり自転車は使っていないみたいだ。ともかくこの共同売店には必ずよりジュ−スを飲み水の補給だった。氷も安く売っていてそれで頭を冷やしたりしていた。

この共同売店が作られたいきさつがインタ−ネットにでていたが意外なもので興味深いものだった。

中南部からの、日用雑貨購入を含む物流の多くを山原船(中央権力)に頼っていた山原の各村落の経済は、事実上その商人(中央権力者)たちに依存していました。そんな中、各村落では、外来の商人に対して生活を防衛するため、村落単位で生産物を協同販売し、日用雑貨を共同購入(調達)することにしました。
http://www.l-j-o.com/concept.htm

ここでわかることは大きな船を作ることは容易でないし船を持ったものが力を権力を持つことになる。沖縄のような所では海の方が行き来しやすかった。ここでいかに船が重要なものかわかる。船を造るのにはかなり技術が必要でありそれを操作したり運行するにもむずかしいものがあるのだ。だから小さな村単位ではできないものだった。ヤマト政権は船によって各地を支配したという説もやはり船が大きな力も持ったことは確かである。特に沖縄では海は比較的穏やかだし航行しやすい。船とともに生きる文化が長く残ったのだ。恩納村仲泊は那覇と名護に行く途中ここで一泊する、仲泊まりだったらしい、という地名は船の中継ぎの港からついたらしい。名護市の世富慶(よふけ)は船がヨフケにつくからとか船の寄港地から名づけられたとも、夜も航行してそこに着かねばならぬ。船はいづれにしろ途中による港が必要だし船と関連していることありえるのだ。

今回旅行してみて沖縄では船と海がまだ生きている。島と島を結ぶのも船である。飛行機の方もふえたがやはり船はまだ欠かせない足である。月も星も沖縄では澄んでいて海とマッチしていた。潮の満干も月と関係して海の匂いに満ちていた。海洋文化というのを肌で感じた。海人(ウミンチュ)の世界なのだ。カヌ−というのは遊びでもやはり沖縄で海人となる気分を味わえるから盛んになっている。ダイビングでもそうだが海を知るには沖縄が最適である。

沖縄では山原でも常に海を通じて外国のとの交流がありこんな奥にも中国とかかわった人の碑が歴史として残されている。沖縄は中国と一時日本より身近な存在だったのだ。
http://www.yanbaru.ne.jp/~NRBC/hijiwoyuku1.htm

ともかく船を持ったものが支配的立場になるのは世界的にみてもそうだったし地域的にみてもそうだったことがこれでわかる。コロンブスの成功は船の技術を持ったからであった。インドネシアでは農民が90バ−セントいるが実際は港をもっている都市地域が支配している。港は外国と通じて船の出入りがあり力を持つことになる。これは日本で最初に中国から贈られた「漢委奴国王」の金印も福岡県の海岸であったがことでもわかる。外国の窓口となる港を持つ国が力を持ったのだ。

山原というと未だに広大な原始の森を有していることに驚いた。これは自転車で40キロくらいあってここをぬけるのに時間がかかったからだ。自動車で行くとこの森の広大さは実感しにくいだろう。す−と簡単にぬけてしまうからだ。ここには盛んに海の風がビュ−ビュ−吹きつけていた。途中寄った共同売店でない普通の小さな店屋に寄った。粗末な店でネパ−ルの奥地にある店と変わりなかった。もうつづけられるような店には思えなかった。そこのバス停の写真をとった。イノ−とは湖礁と言われる珊瑚礁の浅いところらしい、ガマは洞であるがそこに魚がきて魚をとっていたからこの名がついたのだろう。この辺は水は都市部よりいいといっていた。近くの家を見たら屋上にタンクがありそれは水を溜めるものだった。断水があるから水を溜めておくのだ。昔は天水を溜めていたのだろう。


魚泊(イノガマ)に旅人一人寄りにけり炎昼に守る一軒の店かな

山原船と共同売店という意外な関係とこのバス停は何か山原の奥深い辺鄙さをまだ語っていた。

沖縄の詩や散文