時事問題もありますがその時々の私的な日記です
同じ日に追加解説することあります
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小林勇一
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帰りなむいざ田園に・・・・(山村への回帰) 10月27日
再び日本人人質(その無謀さはなぜ) 10月28日
対話なき世界の野蛮 10月29日
戦争の現実、そのむごたらしさ(香田証生君の死の衝撃) 10月31日
ニュ-スを聞き流すから積極的に読む時代(大成建設問題) 11月1日
インタ-ネットの草の根民主主義(拉致被害者の歌) 11月2日
文化と文明の相違の対立(何を共通のものとするのか)11日3日
アメリカの大統領選挙の一側面(キリスト教原理主義者の介入)11月4日
イラク国民軍はテロ集団に勝てるのか 11月9日
明治維新の主役は下級武士 11月11日
テムズ河のベンチ(海国兵談の驚き) 11月14日
林子平の墓が仙台に(出版のことなど) 11月17日
帰りなむいざ田園に・・・・(山村への回帰)
日本人の最初の生活の根拠地は山にあった。縄文人も山で主に暮らした。この辺でも飯館に一番古い縄文の遺跡が発見されたとあり山が生活の根拠になっていたのである。そもそも日本の平地は湿地帯が多くそこには虫とかがいて住みにくくかったのだ。高地の方が住みやすいのである。縄文時代から生活の根拠が山にあるということはまず山を目指して人々は生活のために入っていった。生活は海からではなく山から始まったのだ。だから山間処(やまと)なのである。山の入り口とか山の間が重要視された。また最初の国が「県」(あがた-上田)でありここは天皇と深い関係があった。天皇は県(あがた)から出てきたのである。県(あがた)の前は焼畑があり焼畑から火田から水田になった。火の畑が水の田になった。稲作も最初は山で発見された陸稲らしい。陸稲をかっていたのである。山村は今過疎化しているが山は昔から生活の根拠になっている場でありむしろ人々は山へ上って行った。山は下る場所ではない、人々が生活の糧を求めて上る場所であった。上るというとき京に上るとか江戸に上るとか中心地に行くことなのだが山は上る場所だった。アイヌでも川が道であり川上は頭である。まさに川上が頭なのだ。アイヌも生活の糧を求めて川上に上っていったのだ。第一カミという言葉自体、上でありそれは川を上ったカミ、川上のことでありそこに生活の根拠地があったからだ。実際に山にはいろいろな資源があったのだ。鉄や鉱物資源を求めて漆を求めて船の木材を求めて人々は山に上っていったのである。山の中に船木山とあるごとく山は船の材料を提供する場であり海の人々にとっても大事な場所だったのだ。炭焼き長者伝説とか椀貸し伝説とか木地師も木を求めて山に入った。山を今の過疎化した山から見ると判断を誤る。山は活気のある場所だったのだ。
日本の最初の都が飛鳥に置かれたことも不思議である。なんであんな不便な山の奥に都が置かれたのか、あれもやはり川上への志向、山の奥への志向があった。大和平野があっても最初はそこは湿地帯だったのだ。だから飛鳥でも
大王は神にしませば水鳥の多集(すだ)く水沼(みぬま)を都と成しつ
この歌があるように大神が狼だとすると狼のいる、沼のある湿地帯を田にしたところから国造りが始まったのである。狼を大神とあてるのはやはり狼を神のごとくしていたためである。また吉野の激流の処に都を置かれたのも川上志向があったためである。そして山の神が里におりてくるというのは山の神は里の神になる、豊作をもたらすのは山は水田に水を供給するからそうなる。つまり実に合理的な生活から生まれた信仰であった。
現代の山村はこの逆になってしまった。公共事業で道を作りトンネルを作り便利になったのだがそれは過去のように山へ上る道ではない、都会へ下る道となってしまったのだ。今山へ上る人は山に糧を求めて上るのではない、観光はまた別である。そこが昔と根本的に違うのだ。自然には原自然-雑木林(中間地域)-人工林地帯(里)がある。原自然は熊や猿や鹿がすむ世界であり雑木林は熊や鹿など動物が入り込むことがあるが人間も入りこむ。人工林地帯は人間だけの世界である。この雑木林は動物と人とも交わる世界であった。いろんなものが動物も植物も人も混交する世界だったのだ。その動物との交わりも伝説にあるように非常に深い、今の感覚ではとらえられないものがあった。動物との婚姻することが多いのもそのためである。宮沢賢治が動物をあれほど書けたのも何か原始的動物との交流する感情が残っていた時代だったからだ。ああした童話は今は誰も書けない、あの頃の時代でも文学は近代化が問題であったが原始的な感覚が残っていた人がいたという不思議がある。才能だけでも書けない、みちのくに残っていた原始的な感覚があれだけの動物に対する深い感情をもったのである。これはト-テミズムの世界でもあったのだ。そこには非常に自然の多様な世界は反映されていたのだ。
怠け者や失敗者や弱いものたちの生きる場をそっと残しておくという村人たちの意識のなかに日本人の伝統的な社会観や人間観があった(山里紀行-内山節)
日本人は勤勉だというのは確かだろう。でも一方で三年寝太郎とか怠け者が成功する伝説に固執するのはなぜか、やはりそうした人間も大目に見る社会があったのかもしれない、前にも述べたがいろんなものが職業でも混交する社会が本当は人間的なのである。余りにも一様化した世界はかえって異常なのである。グロ-バル化は世界的にそれをすすめた。、どこでもハンバ-グを食っていることは自然的に見ても異常なのだ。その土地土地には神の与えたもうた糧があるのだ。その糧は砂漠にすらある。
日本の国の特徴、風土は「小国」というのに象徴されている。この小国は山また山を越えた山深い処にあるのが特徴なのだ。そこはまさに小さな国であり一つの独立した小さな国だった。例えば飯館でもかなり広くこんな山に田畑が広がっているとああ、ここも小国であり小さな国があると感嘆するし不思議な気持ちになる。それは隠れ里であり桃源郷を発見した気持ちとにている。この小国という世界が日本の原風景としてある。今山村は過疎化したがまた日本人はその原風景たる山への志向が強くなっている。山に帰る、かえりなんいざ田園に・・・そうした志向が単に観光という視点だけではなく生活的にも山で暮らしたいとか山への回帰がでているのも先祖帰りになるのも自然な感覚なのである。
再び日本人人質(その無謀さはなぜ)
所持金はわずかに20ドル(約2100円)、2つのホテルで宿泊拒否−。イラクで拉致された香田証生さん(24)は、バグダッド市内をさまよい、イラクを脱出するチケットを買うのもままならない状況で連れ去られた可能性が高いことが、目撃者の証言で27日浮かび上がってきた。(サンケイ中日新聞)
バックパッカーって、秘境とか危険地に行くことが格好いいと勘違いしてる
ことが多い気がする。自分探しをしに行って、自分の墓場を見つけてしまった
と言うことか。。。知恵が足りない人だなあ。大事な人命だから助かって
欲しいと建前では思うが、
今世界放浪者はめずらしくない、ニュ-ジランド→イスラエル→イラクという径路も
わからん、イスラエル通るとアラブ圏では危険になる、やっぱり「オレ、イラクに行ってきたんだぞ」これ自慢したかったのかな
パックパッカ-は貧乏なやつ多いよ、その日暮らしだよ
それでも不法就労とかじゃない海外旅行なんて夢のまた夢って
人たちの方が世界ではずっと多いわけで。
バックパッカーも働かずに遊んでられる=世界で一握りの裕福層
なんだよね。
俺はオサーンだから思うんだけど、昔だったらこんなに規模の
大きい迷惑?はかけれなかったと思うよ。
若いうちに海外に自由に行けて、しかもとんでもない地域に
簡単に足を踏み入れてしまう。大丈夫っすよ・・・だもんなー。
これも極めて現代的な事件である。世界放浪者が今の流行でありトレンドなのだ。どこにでも安宿に沈没してぶらぶら何しているのかわからない若者がゴロゴロいるのだ。フリ-タ-や無職者のたまり場でもある。それでもそういう生活は日本から離れて刺激的なのだ。昔は学生運動とかヒッピ-とかがいたが今はパックパッカ-なのだ。ではこれが無益なことかというとそうでもない、やはり最低限世界はこんなこところかと肌で感じるから自分たちの世代よりは国際的になっているのだ。日本人がこんなに気楽に世界にでる時代はなかったのだからそれなりに意味あることなのだ。若者の特権は冒険でありチャレンジである。それが一面無謀になることはやむをえないし必ずしも責められないのだ。それを責めていたらやはり将来的に大きな人間は育たないだろう。こうして世界をぶらぶらしているなかにいろいろ国際的な人も育ってくる。もちろんただ女に溺れ浪費しているいかれた若者もいた。女と遊んでいる日々でありそれも一年くらいそうなのだ。そこで見たのはもはや使い物にならない、青年の浪費の恐ろしさだった。若者には非常に誘惑が大きいし危険なものに誘いこまれる。オ-ムのカルトに入って殺されたのには驚いた。あれも危険な罠だったし創価もそうである。こうした危険な罠が世の中に正義のごとく公然としてある。それも政府公認であるというのだから信じられない、国によって危険な罠が用意されているのだからこの世の中がいかに平和な日本ですら危険な場所なのだ。
それにしてもなぜニュ-ジランドからイスラエル→ヨルダン→イラクに行ったのかそれも金もないというのだから驚くべき無謀さである。イスラエルでフランス人からイラクでの銃撃戦の話を聞いて興味をもったというからそれがきっかけとなったらしい。イスラエルでは皿洗いとかしていた。イスラエルには外国人労働者で出稼ぎ者が多い。安宿に中国人がいたり船ではミャンマ-の人がいたのには驚いた。イスラエルは日本なみに物価が高いのだ。
どうしても今やアフリカであれどこであれ世界放浪しても自慢にならない、しかし「オレ、イラクに行って来たよ」となると一目おくことは確かである。それでふらふら入って行ったのか、目的が観光旅行だというのも世界の人にはイラクの人にも信じられないことだろう。戦場の観光、観戦かとなる。そんな平和ボケが日本人なのだ。この感覚は日本にいればそうなってしまうからどうしようもないのだ。イスラエルでは自分も入国と出国でしつこく聞かれた。入るときは所持品全部調べられた。怪しく見られたのである。相当に厳しいから良くイスラエルに入ったしまたそのイスラエルからイラクに入ったのかスパイに見られるとか非常に危険な径路をたどってきている。余りに無謀なのに驚く、前の人質はそれななりに偽善であれ目的があったのだ。「戦争の観光旅行に来ました」となると笑い物になるのかあきれるのかこれは前の人より同情すらされない、でもその結果は余りにも残酷なものになるとすると笑ってもいられないのである。ともかくこの事件も極めて現代的を象徴する事件だった。
結局もし殺されたら「バカな平和ボケの日本人の若者が死んだ」くらいにしかならないから損である。同情もされないしその死の意味もその残酷さに比べるとないに等しいのも悲しい。ただ政府がどう対応するかこれも苦慮する。やはり一応は助ける方向で動かざるをえない、日本から一旦世界にでるとどんな人でも日本を代表するざうになるから軽挙はつつしまねばならないのだが実際は中高年でも買春とかいろいろ問題を起こしている。つまり昔はほんの一部しか外国に行っていないしたいがいエリ-トだったから問題を起こさない、今は普通の平凡なそれも子供すら平気で外国にそれも戦場にまで行けるという時代なのだ。そこが気軽に行ってとんでもない事件を起こす要因なのだ。ただ外国で行方不明になっている人はかなりいる。スイスのツェルマットのユ-スのノ-トに書き置きして一カ月くらいで行方不明になった若い女性がいたのには驚いた。その後母親が探しまわっていたがおそらく見つからないだろう。外国で行方不明になったら見つかる確率は少ない、外国はそれなりに危険がある。でも今回は余りにも無謀であり同情もされないものだから責任は自分でとらねばならないという厳しさがあったのだ。
インタ-ネットはこうしてリアルタイムで即座に書けて報告すたり感想かいたりするのができることが強みなのだがでは無数の人々の意見を聞くとなるとめんどうになる。どこにあるかわからないのだ。だから2ちゃんねるの掲示板などが即興的に反応を知るのに便利なのである。でもあそこでは深いところはわからない、深いところを知るにはその筋の人、プロ的な人になるから困るのである。
対話なき世界の野蛮
現代はこれほど情報があふれていても対話が欠けてる。対話のツ-ルはあるのだが対話が欠けている。民主主義がソクラテスの対話から始まったように対話が基本である。ギリシャの世界は対話と話術の世界だった。語ることが多い世界だった。江戸時代でも伝説とかいろいろなものが地方に残されていた。語りの世界があったのだ。そうした語りがなぜ奪われたのかそれはやはりメデアのせいなのだ。いつも茶の間にでんとあるのはテレビでありいつも語っているのはテレビの司会者である。だから現代で力あるのはテレビの司会者になった。司会者は仲介するものであり語る本人ではないのだ。何百万人に向けてまるで俺だけが語る資格があるように語っているのは報道しているのはテレビの司会者なのだ。語りの世界や報道の世界はマスコミというメデアによって歪められたものだった。マスコミだけが悪いとか責められないがこれは語りとか情報環境からすると余りにもかたよっていたのである。なぜ新聞であれテレビであれそれは本当は報道機関を代表するものではない、一民間の報道機関なのである。それを証明したのが個々の無数のホ-ムペ-ジである。ホ-ムペ-ジも実際報道機関なのである。新聞やテレビで報道できるものだけが力を持つこと自体おかしかったのだ。これは出版にもあてはまる。出版社は作者より力が上でありすべて出版社によって決めらる世界なのだ。出版社と書店は一体であり出版社から出さないものは書店には置けない、金にならないものも置けないのだ。では江戸時代以前は庶民は何も伝えなかったかというと豊富な伝説とか民話で語り伝えていたのだ。それは別に売るためでもなく人間の本性として語らざるをえないものがあったからだ。人間とはいろいろあるが本質的に語るということがある。これは誰にでもある。ただうまく語る人が作家とかになったのである。
ではなぜ今対話が不足しているのか、個々の語り地域の語りがなくなったのか、これはいろいろあるがやはり語りが成立するためにはそれを聞く人、伝える人、共鳴する人が必要である。そういう共同体の基盤がなくなった。小さな地域共同体なら話が通じる。米が今年はとれるかとか、この天候ではどうなるとか、水が不足しているとか・・・・農家の共同体であれば話が通じる。しかし今や例えば職業が違うと話が通じなくなる。科学者でも一体何を研究しているのかわからない、証券の仕事や経済も多岐にわたりわからない、対話が不足しているというより対話できない、通じ合うものがなくなっている。発光ダイオ-ドを発明した人が突然何百億円の特許の金を要求したりして驚かされる。ノ-ベル賞にしてもはじめてその業績が紹介されたりするがそれもむずかしくて一般の人にはわからなくなっている。科学であれ政治であれ経済であれ地域のことであれ対話が非常に少ないのだ。それは互いに通じあう基盤がなくなっているからだろう。ギリシャの世界は小さい都市国家であり人々は常に対話していた。だからあんなに様々な演劇や対話編が生まれた。第一野外で演劇を行うこと自体、人々がそのテ-マを野外で共有していた。精神的共有空間だった。人々はコ-ラス、ひびきあう世界に生きていた。それはテレビのようなメデアとも違う、深い一体感があった世界に共鳴していた。それが古代でも中世でも江戸時代でもあった。その世界が狭いことコンパクトだったからできた。現代の問題は世界が大きくなりすぎた、マス化した。大衆というのは対話できる存在ではない、ヒットラ-のように煽動されるものなのだ。だから巨大な宗教団体とか組織化したマスの世界では対話はない、一方的な号令しかなくなるのだ。
今回の日本人の若者がアルカイダにつかまりその二日後に首を切るという蛮行にしてもこれだけのことを行うのだからなんらか真剣な対話があってもいいものである。せめて切腹のときのように辞世の歌でも文でも残させろとなる。そんな時間的余裕も対話もなく無惨に殺されることは人間的でない、これも言葉が通じないこともあるが対話がないという何か性急に事を処理してしまうという現代のスピ-ド時代を反映しているのか、長引く裁判も問題だか余りにも対話もなく簡単にこんな残酷なことが行われるのは残念である。殺す人も殺される人も人間であればそこにはそれぞれの言い分があり対話があってしかるべきなのだ。それが全くない、「自衛隊撤退しない」「じゃ、即刻首はねろ」となるのは余りにも性急すぎる。つまり野蛮なこととは人間的でないということは人間が対話をもたないということである。例え敵であれ言い分を聞く残すということもない、そこに断絶がある。もちろん戦争は対話が切れたから対話できないから起こる。それ以後はただ殺し合いとなる。民主主義が対話から起こったとるすとその肝心の対話なき世界になったのが現代なのだ。
海の浪に押し流されて、あんな奴
サルミュデッソスの蛮地にでも行って
あそこで奴隷奉公のパンでも食って
数々不幸をなめつくすだろう
寒さに凍えたその身は、波の轟くなかから
歯をガチガチならし、犬のようにうつ伏せになって
波打ち際に、水を吐いているとしたら
ああ、そんなところを見たいな
ひとの約束を足下にふみにじって
おのれをひどいめにあわせたやつ
それまで仲間だったというのに
一人のギリシャの詩人がこのように語ること自体、確かに相当な恨みがあったのだが何か人間的なのだ。演劇がカルタシスだというのもそのただろう。演劇により何か不満を慰める効果があった。これだけの憎しみであれ相手を語る対象にしていることも今回の事件とは違う、相手の事情など関係なく語ることもなく即刻残酷な処刑したない、そこには人間的なものがないのだ。平家物語とかそれが物語にになるのは戦争でもそこに人間的なものが生まれ語られるものが生まれた。それが現代にはない、それは科学兵器が技術の発達がそうしたのか、一挙に大量の人間を殺戮する大量殺戮を可能とした科学兵器が人間的なものを奪ってしまったのだ。おそらく首切りも残酷だが科学の一瞬にして大量殺戮するものの方が実際は残酷なのかもしれない、その科学兵器の残酷さ対比して首切りという原始的な残酷さが対抗手段として現れた。いづれにしろ野蛮とは何か、文明こそ野蛮だいうことがある。人間が野蛮だということその野蛮が何なのかわからないのである。
戦争の現実、そのむごたらしさ(香田証生君の死)
今回の香田証生君の死はまざまざと戦争の現実を知らしめた。戦争というものを日本人は太平洋戦争で経験したものしかわからない、でもその人たちは実際は戦争の現実を語っていない、植民地解放戦争とかきれいごとしか言っていない、そこには語りたくないものがある。戦争の真実は語りたくないものなのだ。戦争の真実はまた隠される。アメリカ兵の柩を民間の人がとって新聞にのせた。そしたらその人が職を首になったりいろいろ問題が起きる。戦争するものにとって戦争の真実は隠したいものであり戦争の真実はまた遠くにあるものにとってはわからないから情報操作されやすい、太平洋戦争でも負けていたのに勝った勝ったとしか大本営報道しかなされなかった。完全に報道は統制されていたのだ。今回の死は戦争のむごたらしさを示した。そんな危険なところに行くこと自体責任は本人にあり政府を責めることはできない、でも戦争とは戦争する双方のものにとってむごたらしいものでありその是非はともかくむごたらしい、悲惨なものである。それをその本人の無謀さであり非があるにしても示したのである。今回はそうしたむごたらしい戦争に日本も当事者になってしまったのだ。すでに報道関係者や政府の人も死んで民間人も死んだ。これは戦争では少数かもしれないが戦争では人は容易に死ぬし戦争は常に死と直面して死が日常化してむごたらしいものである。それを示したのが最初に誰の死体かわからないものが送りつけられてきたことである。その辺にゴロゴロ死体が転がっている。それは誰の死体かわからないのだ。死体が放置されて誰も引き取りに来ないという現実である。そんな一つが日本の政府に送りつけられたというずさんというか死者に無関心というかこれも戦争の現実である。
今回の戦争は日本は朝鮮戦争でもベトナム戦争でも湾岸戦争でも戦争に直接関与しなかった。だから戦争の現実に直面して真剣に考えることもない、遠い世界のできごとのように対処していた。ベトナム反戦デモでも日本人は記者が一人くらい死んでも無惨に今回のように殺されていない、あれはム-ド的な反戦でありアメリカ人の反戦運動のまねでしかなかった。日本人は傍観的立場で反戦ム-ドに酔っていたにすぎない、アメリカ人とベトナム人は現実に死んでいるのだから深酷だった。今でもベトナムでも戦争で傷ついた人がかなりの数残っているのだ。戦争はまだ現実なのである。戦争は正義を主張するにしろどっちにしろむごたらしいものでありその残酷さが戦争の真実なのだ。不思議なのは今回日本人の一人の青年の死については日本人も関心を持ったがイラク人がすでに10万人死んでいることには関心を持っていない、アメリカ人は千人とするとこの10万人の死の方が重い戦争の現実なのだがそれが詳しく報道されていない、戦争は大量の死者を出しても無関心になる、無関心にさせられるということがある。戦争では死が日常化することである。死の重みがなくなってしまう。「また一人死んだか、次はオレの番か」くらいになってしまう。一方今回の日本人の青年のむごたらしい死は日本の国民が関心をもった。一青年の無謀さがかえって戦争のむごたらしさ、現実を知らしめたのだ。あの若者の軽挙な行動はその本人に責任はあるがそもそも日本人の感覚もあの若者程度なのではないか、ちょっと戦争ってどういうものか見てみたいなという感覚であり現実に戦争のむごたらしさを知らない、自衛隊すら戦地に行っても閉じこもってでないのだから戦争がわからない、そこは戦場でないとか人道支援とか言っているのだから。
前の記者の死や政府関係者の死よりなんか私の場合、イスラエルとかパックパッカ-のまねごとをしたので身近に感じた。イスラエルを通過してアラブに入るとパスポ-トにイスラエル入国のスタンプがあるとそれでにスパイとかに見られるという現実がある。あういうにバックパッカ-がふらふらと戦地に入り込むことそれはありえたことである。別に香田君が無謀ではない、誰かがありえた、現にイラク入りして帰ってきている日本人のバックパッカ-もかなりいるからだ。つまり日本人は戦争しているんだという戦争にまきこまれているんだという認識がないのだ。以前として遠い国で起こっていることで戦争に無関心だし戦争のむごたらしさを知らないのである。今回の事件はそのむごたらしさをまざまざと示したので戦争とは人を見境いなく残酷に殺したり死体は放置されたり様々な非人間的なことが日常化する世界であるということ、それを間違っていてもその生贄になったということで今までの死より関心を持ったのである。
ニュ-スを聞き流すから積極的に読む時代(大成建設問題)
1日午前8時20分ごろ、東京都新宿区西新宿の「新宿センタービル」 17階で男が突然、拳銃1発を発射し、そのまま同階にある大成建設
本社の会議室に立てこもったが、間もなく身柄を確保された。
訪朝団は大成のほか清水建設、大林組など。関係者によると、訪朝目的は、現地の土木・建設関係者との意見交換のほか、戦前の日本統治時代から利用されてきたダムや港湾などのインフラ施設の視察。二十八日まで滞在し二十九日に帰国予定だった。訪朝団は、十九日に北朝鮮に向けて出発したことが確認されているが、翌二十日になって突然、「時期尚早」を理由に計画の中止を決定した。
幹事社の大成建設は産経新聞の取材に「国交正常化に向け日朝実務者協議が進む中、当社としても北朝鮮のインフラ整備状況および建設事情を視察するため、社員の派遣を検討したのは事実」と計画を認めた上で、「北朝鮮に対する世論動向など国内状況をかんがみ、時期尚早と判断し中止している」と説明した。
訪朝計画は昨年浮上し、小泉純一郎首相が今年五月に再訪朝したのを受け、今回、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が招待した。
ゼネコン各社がこの時期に極秘の訪朝計画を立てたのは、核、ミサイル、拉致問題などの包括的解決後、国交正常化を想定し、日本から北朝鮮への経済協力を見越した動きとの見方もある。北朝鮮にとっても、国交正常化後のインフラ整備事業を日本企業に発注する可能性を示唆することで、「圧力」を強めつつある日本側に揺さぶりをかける思惑があるようだ。
北朝鮮のインフラをめぐっては、終戦の一九四五年当時、鴨緑江の水豊ダムや港湾、鉄道など、日本が北朝鮮地域に残した資産総額は連合国軍総司令部(GHQ)や旧大蔵・外務両省の調査で、現在の価格で約八兆七千八百億円に上ることが分かっている。
http://diarynote.jp/d/43053/_0_760.html
今やインタ-ネット時代ニュ-スを読むことはマスコミだけの放送で終わっていない、今まではニュ-スが流されてああ、そんなことあったかであとは何も考えなかった。もちろん自分も何も言うことできないからほとんど無関心だったしそれについて詳しく調べることも全然しなかった。インタ-ネットでホ-ムペ-ジを持ち時事問題などで発言するようになったら今までとは違いやはり自分なり読む人が極わずかでもいいかげんなことは書けない、だから情報収集が必要になってくる。それがインタ-ネットである程度できるので時事問題を書いている。情報収集できなければ書けない、今回関心を持ったのは大成建設である。大成建設に興味を持ったのは創価の会合のブロック長が大成建設の社員でありその団地には他にも大成建設の社員がいた。そして富士山の今は壊されたが正本堂を建てたのが大成建設だった。そのつながりの中で創価との関係を深めた。銀行でも三菱銀行に一兆円の資産を預けるとしたら完全に創価の支配下に組み入れられてしまう。金をおろされたらづぶれるほかないからだ。だから創価大学の入社の枠があるというのもそのためである。では大成建設とは何なのかとなるとわからないから大成建設を書いたサイトを調べたら一応歴史が書いてあった。戦後どこの会社でもそうだろうが困窮していた、仕事は最初アメリカの駐留軍の仕事であり沖縄の基地建設とかになり最も大きな仕事は朝鮮動乱でありこの戦争特需で立ち直ったのだ。しかしそのとき朝鮮人は塗炭の苦しみにあっていた。
こうした大きな企業は国家的な仕事が必要である。だからもし戦争でもそこに大きな仕事ができれば助かるとなる。アメリカの軍需産業はそうである。人間生活がかかっていると戦争さえ肯定するようになる。実際イラクでもあんな危険な場所に出稼ぎに行きかなりの人が残酷に殺されていることでもわかる。大成建設社員だったら大成建設の後押しをしなければならないからだ。だからその仕事の助けになることは推進することになる。企業城下町とかかなりあるから今企業は城のような存在でありそこに勤めれば運命共同体となる。地域社会よりずっと大事だから忠誠を誓うのである。何かの組織に属していればその組織に忠誠を誓うことが要求される。特に利権が一体となれば余計そうである。ただここでは企業の利益と国家の意向と拉致された人の要求がぶつかりあい一時的に中止したのである。ただゼネコンは今仕事ないからどうしても仕事が欲しいというのは切実なのである。次に出ていたのが拉致された人々の声である。
★市川龍子さん(市川修一さんの義姉)
万景峰を見ると、悲しさを通り越して怒りがこみあげる。何もできない日本の愚かさをみているようだ。何人の外務大臣、総理大臣にお願いしたら解決するのだろうか。トップの人たちは交代できるが被害者も家族も交代できない。泉田知事のメッセージに「子を思う親の心」を聞いた。大変な極寒の地で冬を過ごす弟に向けて私はこんな歌を作った。
巡り来る 凍てつく冬の到来に 断じて生き抜け 春を信じて
これもまた国家に対する要求となっている。拉致された人々の声は最初少数であった。だから余り大きな声とはならず在日の人からそんなものないとか社会党なども拉致はないと言い切っていたのだ。在日朝鮮人の力は創価とか様々な分野で実際に力を持ち政治力をもっているからその要求に政治家も答えざるをえないのだ。ともかくインタ-ネット時代のニュ-スを読むということは手間がかかるし大変である。これはなかなか暇人でしかできない、これだけ読むのに一苦労であった。一日かかりにもなる。でもこれはマスコミでしかわからないことがニュ-スを読み即座にある程度輪郭がわかるから理解は深くなる。今や一億総ジャ-ナリストになってしまった。それも読者がわずかでも発信できることが今までとは違う、何か社会と直接かかわることを経験する。まず大成建設がどうだなだととそこに勤める人や身近な人は考えるが普通の人は考えない、たまたま多少かかわったことがあるので関心をもったのであるがこの問題も様々な背景があるので簡単には語れないのである。
新潮社の論文(阿修羅)
創価は宗教などというものではない、そこには最初から政治的色彩が強いし様々な利権の巣にもなる。結局見境もなく会員獲得のためにやるのだから当然である。あらゆる俗世の問題がそこにもちこまれる。最終的には俗世的な権力争いに発展したり女性問題とかそれ自体が内部分裂して終わる。これほど巨大化したらもはや誰もこれを維持できない、自壊する運命にあるのだ。外部でとやかく言わなくても内部から自壊せざるをえない、なんとか選挙のためにつながっているが内部の連帯力は前よりは格段にうすれてしまったのだ。自民党とくっついてなんとか生き延びようとしているがその自民党も自壊して行く創価とくっついて生き延びようとしている。いづれにしろどっちも共倒れである。おそらく自民党も小泉で最後の政権になり創価もその後かなり衰退してゆく。
政治的に力がなくなるともともと宗教とは何の関係もないのだから消滅するのも早いはずである。
今回の情報探査の径路である。インタ-ネットにもし雑誌とか書物の情報が蓄積されていればもっと詳しく深いものが書けることがわかる。過去の論文もインタ-ネットで生きてくるのである。インタ-ネットは情報の蓄積や伝播や発信に向いている。だからもっと著作権があるにしても本や雑誌や研究書でもインタ-ネットにあると便利なのだ。それは活かされるからだ。
今回の市川さんの歌にした訴えもコピ-して広がるしその訴えが社会的に広がる。歌はそもそも訴えるからきたとなるとこの歌はまさしく訴えるものとしてコピ-されて広がる。コピ-が容易だということは個々のサイトに訴えが広がるということでもあるのだ。
インタ-ネット草の根民主主義(拉致被害者の歌)
インタ-ネットの情報の伝わりかたは今までとはかなり違うからとまどうのだ。今まではマスコミが王のごとく君臨してその下に大衆という万民がいた。情報は一方的でありそれ故マスコミが絶大な力を持っていたのだ。インタ-ネットをやってホ-ムペ-ジで発信してみればわかる。それを読む人は百人だったらかなり多い方なのだ。ところがマスコミは常に何百万人を相手にしている世界である。この相違は大きい。そもそもインタ-ネットの世界は最近始まったばかりであり各自がどう利用していいかわからない世界である。一方的に情報を受け身的に受けとるのとは違う世界なのだ。無数のホ-ムペ-ジを各自が利用する、アクセスするということからはじまる。とするとその個々のホ-ムペ-ジにアクセスするだけでめんどうになるし労力もいることになる。実際は検索するのだから最低でも百くらいのペ-ジに当たらないと実際に自分の必要としたものを見つけられない、百でもたりないのだ。最初のペ-ジだけでは絶対的にたりないのだ。この探すということでかなりめんどうだし嫌になる。でもこれがインタ-ネットは宣伝力がないからいいものでもそれは自分で時間を費やして発見する他ないのだ。マスコミで宣伝されるのは・・・賞とか出版社で売るために企画されていたのである。売るものが常に出版社であれ書店では必要である。だからベストセラ-とか大々的に宣伝する、すると無知な大衆はそれにのせられて本を買うという構図が成り立っていた。それは商業主義的な情報の世界だった。しかしインタ-ネットは商業主義のマスコミの世界とは違う、たいがいそれは無償でやっているし無償でできる世界なのだ。だから草の根民主主義が成り立つ世界である。
草の根民主主義というとき今までもあったではないかというと今までの民主主義はマスコミ民主主義であり組織団体民主主義である。草の根というと個々が根を持つということである。その根とはインタ-ネットではホ-ムペ-ジをもって発信することである。ただインタ-ネットは今までのマスコミ主導型と違う、個々が発信するとなるのだがそのつながりとかネットワ-クはかなり違ったものとなる。図のようにAというホ-ムペ-ジを読みつながるのはそれは十数名である。他にBCE・・・・とかあってもそこで読まれるのは極めて少ないし、数人にしか読まれないものもある。ここが一番のホ-ムペ-ジの問題である。その読まれかたもリンクをたどったりすると図のように非常に複雑な径路になる。それはマスコミのように何百万人を相手にしていない、個々がリンクをたどったりしてしつながるからわかりにくいのだ。個々人が草の根となっているのがインタ-ネットはなのだ。個々人が根であるといことはその根がどこに根付いているのかとなる。一番わかりやすいのは地域を根にすること、地域から発信することができる。地域が根となる。今まではニュ-スは中央中心であり全国ニュ-スが中心である。インタ-ネット地域地域、大きな面ではなく点の情報が発信される。点と点、個と個が結びつく、だから草の根民主主義になる。今までは会社とか組織とか団体民主主義でありそこから除外されたものは力を持つことはできない、今でもそうではあるがインタ-ネットは個々が結びついて力を発揮することもありうる。ただそのネットワ-クはまだ複雑でわかりにくい、マスコミだと一気に何百万人に伝えることができる。しかしインタ-ネットは個々から個々へしか伝わらないからその伝わりかたは一挙に広がることはない、伝わりかたが違うからである。
その一例として18才の学生がインタ-ネットで脅迫して警察につかまったがそれがコピ-だったのだ。脅迫までコピ-だったというインタ-ネットの世界を如実に示したものである。2ちゃんねるの発言でもあそこはコピペが非常に多い、どこからか仕入れたのをコピ-ししているのだ。ではこのコピ-が全部悪いかと言ったらそうも言えない、なぜならインタ-ネットでは伝えるためには個々人を通してしかできない、一挙に何百万人に伝えることはできない、とするとコピ-で個々人を通じて伝える他ないのだ。
★市川龍子さん(市川修一さんの義姉)
万景峰を見ると、悲しさを通り越して怒りがこみあげる。何もできない日本の愚かさをみているようだ。何人の外務大臣、総理大臣にお願いしたら解決するのだろうか。トップの人たちは交代できるが被害者も家族も交代できない。泉田知事のメッセージに「子を思う親の心」を聞いた。大変な極寒の地で冬を過ごす弟に向けて私はこんな歌を作った。
巡り来る 凍てつく冬の到来に 断じて生き抜け 春を信じて
この歌に感動したがこれをそれぞれのホ-ムペ-ジにコピ-すればこの歌が広がり訴えることができるのだ。歌とは訴えるからきているということを実感としてこの歌からわかった。歌とか詩は感傷的な情緒的なものだけではないこうした強いメッセ-ジ性のある、政治的なものもありこれの方がまさにうったえる-歌であったことをこれからわかった。拉致被害者はやはり在日の勢力のためにその事実され隠蔽されたことは確かである。それは政治力でそうなったのだ。政治力、組織力をもたないから真剣に政府でもとりあげなかった。政治とはそういうものにしても拉致被害者からすると余りにも理不尽なことだったのだ。ともかくこの歌が訴えるものは力強い、ここに万葉集の言霊的なものを感じた。言霊により離されたものを引き寄せる、魂を引き寄せるという日本的な言霊の世界である。万葉集には魂(たま)合うということがででくる。魂がどうしてあうのかというが魂は言霊により合う、言霊にはそうした力があると感じていた。それを感じたのがこの歌だった。つまりこの歌はそうした切実な願いあるからこそ生まれたのでありその立場にあったからこそ生まれた歌だった。ということは歌とか詩でもそういう切実な立場にならないといいものはできないとなる。それは技巧ではない、まさに魂の叫びでもあるからだ。
「天地に思ひ足らはし玉相者(たまあはば)君来ますやと」3276
筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ母い守れども魂ぞ会ひにける 3394
天地に思い足らはし・・・ということは今政治家に頼んでもうまくいかない、そこに利権がからんだりいろいろ国と国の関係でややこしい。天地に頼む他ないということなのか、いづれにしろ北朝鮮で政治家何か変だった。金丸も北朝鮮に厚遇されて利権が舞い込み多額の金を残してあとで警察につかまった。政治家はブロ-カ-みたくなる。国と国の関係で利益を得ようとする。そこが外交や様々なものをゆがめてしまう。利権がかかわると利権に目を奪われてすべてがゆがめられるのだ。
文化と文明の相違の対立(何を共通のものとするのか)
文化とか文明とかの相違は何なのか、文明というとやはり鉄道とか飛行機とか船とか大きなビルデングとか高速道路とか便利さを追及したものが文明である。civilzastionのcivilは都市であり市民となったがその意味と文明は今は違う、中国では農村と都市の格差が激しいから都市籍を持つことは文明人になることでもあるこれはいえるが世界に共通なものはやはりこうしたインフラとか通信設備とか電気製品とかそれが文明である。野蛮と言ったときバルバイとはギリシャ語を話さない、何をしゃべっているかわからない人達を野蛮としたが何をしゃべっているかわからないというだけでちゃんと言葉を話しているのだから言葉をもっているのだからやはり人間であり野蛮ではない、文化や文明というとき文にこだわる。文字をもっているものが文化であり文明だとなる。確かに今のイラクのメソポタミアが文明の発祥地であり最古の法典のハムラビ法ができたり楔形文字ができた。楔形文字からフェニキア人がアルファベットを作って普及させた。それが英語になっているから現代に通じている。楔形文字が現代の英語の基だったということに驚く、それほど古いものが起源になっていることなのだ。エジプトの象形文字、神聖文字はむしろ漢字ににている。それが発展せず表音文字のアルファベット英語になったのはやはりフェニキア人が商業の航海の民であったことである。中東とか砂漠では商業はメソポタミア時代からすでに広範囲に発展していた。地中海の航海時代でなくても遊牧民の間で盛んであったのだ。その商業があったからこそハムラビ法とか民族を越えた法というものが普及させる原因となった。だいたい法というものはその自国内だけで通用するのでは法ではない、民族を越えて通用する共有するから法になる。
リュクルゴスが祖国スパルタに法を与えたとき、まず王位を捨てた。法の制定を外国人に依頼するのは、大部分のギリシャの習慣だった。近代イタリアの共和国は、しばしこの習慣を模倣して、ジュ-ネ-ブ共和国もおなじようにやり順調であった。
(ルソ-社会契約論)
自国より他国から与えられた法律が公正な場合もある。より客観的になるからだ。だからアメリカから与えられた日本の法律が悪いとはいえないし法律は公正になるためにはかえって外国人によって制定された方が公正だとなる。だから非戦を日本の憲法としたのは悪いことではない誇るべきものでもある。
ここにに王位を捨てたあるのは王の権力で法を牛耳っていたら公正にならないからである。この法律もやはり文明国になる要件である。中国とうまくいかないのは公正な法が適用されないからである。アメリカでは一応共通の法が適用されるている。中国では国内でも法はあるのかどうかわからない、その点文明国とはいえない、文明と文化の相違はやはり何か共通なものを法でも持つことが文明国としての要件である。イスラムと欧米が対立するのは政教分離とか民主主義の考え方に根本的に相違するからである。イスラムにはイスラムの法があるというときそれはまた文化でありそれに適応してきた歴史がある。だから一概に否定できない、キリスト教国では政治と宗教は歴史的長い闘争を経て分離した。しかしイスラムではしていない、だからどうしてもサルタンとか王政とか独裁制になりやすいのだ。文化の相違だから遅れているとか進んでいるとかでない、俺たちは俺たちの文化シキタリで治めるのだとなればそれまでだか欧米の先進国とは歩調を合わせられなくなるから問題なのだ。文明、文化の相違が争いの基となるのだ。
文化というとき建築でも国によって違い個性があるようにみな違うものである。違うことに個性があることに意味がある。それが独自の文化なのである。世界には多様な文化がある。キリスト教を基にしても様々な文化がある。教会の建築も様々なものがある。文化は多様だから文化になる。しかし現代の建築は文明であっても文化ではない、そこに個性が見られないのだ。聖堂のような建築ではない、ただ四角の箱、入れ物という機能的美しかない、精神的なものがないのだ。教会であれ寺院であれモスクであれ祈りの場として作られたから精神的な要素が大きく建築にも反映された。でも現代の建築にはそうした精神的要素がないから文化とはいえない、文明である。文化と文明は混同しやすいし明確に分けることもむずかしい。ではなぜ文明と文化が衝突して戦争までになるのか、それはイスラム教を強制的に強いたらキリスト教は反抗するしその逆もそうである。宗教はそういう点非常にやっかいなものである。だから宗教を共通のものとするのではなく世俗的法律や民主主義、選挙を通じて代表者を選ぶということを普遍的なものとした。そういう政教分離の法則などがイスラムには通用しないのである。
これは日本でもそういう団体が政権と一体であり動かしいるのだから簡単に責められない、やはり文明というとき法の支配、政教分離とか世俗的に治める方法をとらないと互いに文明国として共通の世界を築けないとはいえる。ルソ-の社会契約論とかフランス革命の精神はそうした、ルタ-の宗教革命もそうした長年の宗教の軛から脱するためだったということを歴史から学ばねならない、イスラム原理主義とかキリスト教原理主義を前面に出すと政治的対立になり戦争にもなるのだ。アメリカ側にしても民主主義を標榜するアメリカにしてもキリスト教原理主義になると結局イスラム原理主義とも変わりないとなる。それは近代国家成立の要件と違っている。ちょっとでも批判すると仏敵を倒せとか何百万人が祈りイスラムの敵だから神の名において即刻殺せとかキリストの名において逆らうものは容赦しないとかなりそこには妥協も何もない、神とか仏がかかわると政治的交渉は不可能になってしまう。政治はそれぞれの要求があっても納得して妥協することなのだから。今アメリカで盛んなキリスト教原理主義者が当然のようにイラクとの戦争を肯定しているのも不思議である。イラク人が10万人殺されても当然だという風潮なのである。それがキリスト教によって正当化されるということ、これは昔からあったことだが納得いかないことなのだ。敵を愛せといって十字架の教えとは余りにも違うからだ。
文明とは青いまた黄色のフィルタ-であり一様化、共通化するものである、一方文化様々な色の点なのである。ただイスラムがあったとしてもイスラムとは一つの大きな文明でありそれに様々な点がある。
キリスト教文明もそうである。ではこの二つの文明を統合するものは何かとなるとむずかしくなり争いになる。それぞれに実際は文明としての基盤がありその上での個々の文化の構築ならわかりやすいが違うからむずかしいのだ。それが民主主義の原理となるのかというこれも同じ文明の基盤の上での民主主義だと安定する、民主主義自体民族の一体感とかまとまりがないと成りたたないのだ。その例がロシアや中国などでも成り立たない、独裁になりやすいのだ。
島での経験の回想
法律がかえって外国人に制定されるといいというのは例えば沖縄の島で「木陰に長く休んでいるからあやしい」とか理由にならない理由が通って警察に通報されるのはやはり常識的に見ても異常だが島では島のシキタリでは通ってしまう。それが確かにおかしいのだけれど沖縄人は島の人の味方になっている。「結局あなたが悪いとか、そんなこと問題にするのはあなたに問題があるからだ」となって自分だけ責められる結果になった。これにこだわるわけじゃないけとやはり島はそうした普通の常識が通じないようなものがまだある。江戸時代は一人旅が怪しいとみられ宿に泊まったら役所に通報された。つまり江戸時代は村人が監視役になっていた。
私はかなり怪しい格好で変な所にキャンプしたり寝たりしたがそこに住んでいる人が警察に通報されたことはない、だから警察に通報するのはよほどのことがないかぎり今の日本社会ではないのだ。そうした理不尽なことは昔はかなりあった。郷に行ったら郷に従いとなるのだが今はそういう時代ではない、世界的に共通するもの常識でもそれがないものは野蛮なものとなる。文明人ではないとなる。グロ-バル化の一面はそういうことでありこれは悪いグロ-バル化ではない、もしそうした極端なシキタリの世界に旅したら盗んだだけで首をはねられたり信じられないことが起こる。子供をあやしただけでその土地の人から日本人が子供が誘拐されるとか殺された人がいたのもその一つである。そうした未開の村とか島に入るのはやはり今でも相当危険である。そこでは文明の法律とか常識が通じなくなるからだ。外国では今でも非常によそ者は不利になり思わぬ罰を受けることがある。グロ-バル化することはやはり共通な法とかが重要になってくるのだ。そうしないと経済活動も様々な交流ができない、なぜかというと突然飛行機で地球の裏側まで一飛びに行くのだから相手の国のことなどわからない人が多いし歴史的交流のないところにも行くからそうした誤解が多くなる。だから世界的に法律で一応旅行者の安全が保証される必要がでてくるのだ。
やすいのだ。
アメリカの大統領選挙の一側面(キリスト教原理主義者の介入)
アメリカには、約600万のイスラム教徒がいるそうだが、
同性愛と中絶に関しては、連中はキリスト教右派と同意見。
某日本人イスラム教徒のブログによれば、4年前には、
そこら辺の理由でブッシュに入れたイスラム教徒も少なくなかったらしい。 (2ちゃんねる)
アメリカの今回の選挙の一側面としてしきりにキリスト教原理主義のメガ教会が話題になったことである。アメリカの建国は聖書に基づき約束の地をアメリカにした。宗教的色彩の強い国家である。アメリカはキリストに選ばれた神の国にすることである。日本が選ばれた神の国だとすることににている。信仰的理念的国家である。歴史的国家ではないのだ。ヨ-ロッパとか中国とか韓国でも日本でも歴史的に成立した国家である。歴史的国家とは何かというと日本が国家となる前は「名も知らぬ遠き島より」いろんな人種が流れ着いた。日本人は多民族国家だった。それが長い歴史の中で一民族国家に統一されたのである。だから極一部をのぞいて人種差別はない、アメリカには人種差別が根強く残るのは歴史が浅いからでありだからこそこの多民族国家を求める理念が強く要求される。これはソビエト連邦でもそうであった。イスラム国家をまきこみ巨大化したソビエト連邦をまとめにには強力な理念、イデオロギ-を必要とした。それがマルクス主義だった。中国もやはりマルキシズムをとり入れ毛沢東主義で巨大な国をまとめたのだ。その弊害としてイデオロギ-闘争で何千万人が粛清された。イスラムの広域国家もやはり前面にイスラム教を出して大きな世界国家を作る。民族や地域のエゴを越えてまとまるには強力な宗教や理想や理念が必要なのだ。日本の最初の国家造りにも国家鎮護の盧舎那(るしゃな)大仏が奈良に作られた。東北の蝦夷の反抗が激しいときでありどうしてもその時国家をまとめるためのイデオロギ-として巨大な大仏を必要としたのである。ただ結局ソビエトは昔の歴史的国家としてのロシアにもどった。中国も歴史的国家として存在するから三国志のように分裂するにしてもその核は残る。歴史的国家の部分は永続するのだ。一方アメリカは歴史的国家ではないから分裂したら本当にばらばらになってしまうかもしれない、それで常に一体感をアメリカの一体感を強調せねばならないしまた敵をサタンを作り攻撃して一体感をもたせないと国が保てないのだ。
今回の保守党のブッシュが勝利したのはキリスト教原理主義というメガ教会の後押しとか宗教がかなり力を発揮した。その一つがイスラム教の人も宗教的モラルでブッシュに投票したという事実である。キリスト教とイスラム教とか仏教は必ずしも対立しない、モラルでは同じものを追及しているのだ。だから性的な非道徳なものには反感を持ち共同することができる。イスラムでもキリスト教でも実際は性には厳しい態度をとっている。それは宗教原理主義になれば特にそうなる。一方創価などは中絶がどうだとか何か本来そうした宗教的モラルにうるさいはずなのだがそうはならない、創価が求めるのはそもそもご利益だから政治的権力的経済的ご利益だから余りそうしたモラルや慈善には熱心でない、現実前の戸田会長はメカケをもっていたし性については余りうるさくないのだ。ただあれだけの数の人が交わるのだから男女問題が起こりそれが乱れの原因になることは恐れている。そこはいろいろな世俗の問題がもちこまれるからそれが命取りになるということは恐れている。池田大作会長もレイプ裁判ざたになったように婦人部が活動の主役だからそうなりやすいのだ。ともかくモラルについても自由である。そういうことにうるさく言うと修道士くらいか出家者くらいになってしまう。世俗的にはそういう規制はゆるくしなければならない、だから中絶がどうのこうのとか言わない、かえってあらゆる現世の欲望の追及は増進されることがエネルギ-生きる力があるやつだとなる。だから世俗的に成功した人間は一番仏の池田大作会長のお眼鏡にかなう人になる。全然そこには宗教的モラルは関係しないという不思議である。一方中絶が悪いとか主張してそれが票になるというのも政治を左右するのもこれはある意味でイスラムと同じである。だからイスラム原理主義とキリスト教原理主義は実際はモラルの面で一致するからブッシュに投票したのである。
アメリカは南部に宗教的保守主義者が多い、そこには逆に素朴なキリスト教者が残っている。黒人もそうであり黒人は普通は民主なのだが黒人は宗教的な面でブッシュに入れた。つまりこの選挙は宗教がいいにろ悪いにしろ影響した、結果を決めたものともなる。政教分離が民主主義なんだけど宗教的保守的な信条が選挙の結果を左右したということになるのか、アメリカとヨ-ロッパの違いは歴史の違いなのである。ヨ-ロッパではカトリックによる支配が千年以上つづいているからその軛から脱したいというので宗教革命やらフランス革命の自由、人権尊重や政教分離が前面に出てきた、自由というとき神からのカトリック、法王から自由だったのである。だから歴史的に何度も世俗の勢力、王と法王の争いがくりかえされた。だからヨ-ロッパではキリスト教原理主義はない、一方アメリカではそうした宗教と世俗の長い争いの歴史がないから純粋にキリスト教原理主義が入ってゆく素地がある。またヨ-ロッパでは長いイスラムとの対立を歴史的に経験しているからなんとか平和的に折り合いをつける方向に政策を転換するようになった。やはり歴史の違いが根底にあり国を動かしているのだ。中絶にはこれも命を奪う殺人としてあれほど熱心なのにイラク人の10万人の死は神に許される信仰的なものとして是認されるのも納得いかない、これも同じ殺人ではないか、中絶が悪いというなら戦争で人を殺すのも悪いはずなのだ。そこがイスラムの原理主義者とキリスト教原理主義者は変わらないという不思議である。この二つはまるで水と油のようであるが実際は共通性が多いという不思議である。これもアメリカの大統領選挙の一側面である。その他多角的にみれば様々な問題がででくる。
アメリカの宗教の現状
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Essay/Es030822.htm
イラク国民軍はテロ集団に勝てるのか
今イラクでイラク人の編成した軍隊が先陣で背後からアメリカ軍が援護する総攻撃をしようとしている。イラク人による国軍が力をつけて外国や政府に反乱する分子を制圧しようとしている。国はやはり国民軍が存在しなければまとまらない、アヤガニスタンでも軍閥が各地に蟠踞して通行税をとり地域を支配していた。これでは国は一つにならない、それでは戦国時代である。日本も江戸時代から明治維新のときこうした混乱状態になった。それでもなぜあれほどの混乱をのりこえたのかこれは世界史的にも瞠目すべきこととされている。今でも遅れた国では明治維新をまねろとすすめられている。その原因の一つは日本は一つにまとまる力を持っていた。江戸時代でも徳川幕府のもとで一つになっていた。それが崩れても次に天皇という日本古来の日本をまとめる伝統的な王が存在した。そうした日本の歴史的伝統がありそれがあれだけのことを成しえたのだ。アフガニスタンの王は存在感がなくだめだったしイラクでも国をまとめる王は不在である。今戦っているのは明治維新なら西郷隆盛などフセイン一派や守旧派になるのかもしれない、西郷隆盛は武士社会を維持しようとした。西南戦争はこの武士社会を維持しようとするものと新しく編成された国民軍との壮烈な戦いだった。武士は国民軍に勝てると思っていたのだ。しかし国民軍はすでに近代的軍隊として成長していたのだ。国民軍に加わったものに会津の藩士もいたのである。その時戦った錆びた刀が子孫の農家に残っていた。西郷隆盛軍に抜刀隊という勇猛な戦いをする一団がいた。それはイスラムでは自爆テロをするような人達である。それに対抗するために会津の藩士が採用された。これは薩摩に怨念もあるから参加したともいわれる。明治維新のような時、混乱状態になる。
今生きるか死ぬかの戦争をしているのを冷静にドラマのように見ているのも気がひけるがイラクもそうした混乱状態を治めるには強い国民軍が必要なのだ。それは一部の軍閥とかの軍隊ではない、文字通り国民に支持される軍隊である。日本の場合は外国は関与していなかった。外国が参戦したらややこしくなり日本人自身による革命は成功しなかった。結局西郷隆盛は武士社会そのものもを否定する革命を成すつもりはなかった。武士社会を継続して武士が軍隊などをとりしきることを武士を残そうとしていたのだ。武士そのものもがなくなってしまう革命だということまではすすめる気がなかった。そして西南戦争で死んだ薩摩の藩士はみじめだった。靖国神社は明治維新の時官軍に味方して功績あるものを祀ったのが始めである。賊軍は祀られていない、会津は賊軍であり祀られていない、天皇の軍のみ祀られたのである。明治になったとき庶民は姓を持つことが自由になった。しかし庶民は姓をもちたくなかったというのも不思議である。なぜかというと姓を持つことは侍になり戦いをさせられるからだと直感的に思ったからだ。事実庶民は国民軍に編成されお国のために大量に戦死したからその予測はあたっていたのである。国民軍になることは庶民が戦争の犠牲になるということだったのだ。
そもそもこの国民というのが江戸時代にはなかった概念なのだ。藩民は存在した。各地の藩に属していたから藩意識はあった。しかし国民というのはないから結局どうなったかというと天皇の臣民となった。国民軍といっても実際は皇軍だったのだ。それは太平洋戦争まで皇軍であり靖国神社に祀られるのは皇軍だったからである。だから本当に国民という概念を持つようになったのは太平洋戦争以後である。天皇の臣民ではない、日本国民になったのが戦後なのである。つまり国民という言葉にはリアリティをもちえないのだ。国民とは藩民とか天皇の臣民とかとは全然違った概念なのだ。国民は全く新しい概念であり天皇の臣民として義務を果たすとか主君のために身命をささげるとかとは違う、国民という概念が何であるのか、日本国民として義務を果たせとか自覚をもてと言ってもそれが何なのかわかっている人がいるのだろうか?極端な右翼なら天皇の赤子としてその義務と忠誠に励めとなるがこれの方がわかりやすいのだ。
ルタ-の宗教改革以後、信仰は個々人の内面の問題になった。誰が何を信じようと問題にならない、市民の相互関係は法律によって決まる
自由と平等の民主主義国家を作るために国民として義務を果たして励めと言ってもち抽象的でわからない、国民というのにはモラルはない、天皇の臣民の方がいい悪いにしろモラルはあったのだ。つまり国民としてのモラルはない、社会契約による契約社会が民主主義社会の基本だという、だから会社に入るにしろプロバイダ-に入るにしろ保険に入るにしろやたら契約がことこまかく規定されている。これを守れば責任は持つがあとは持たないとなる。その取り決めごとを守らないものは民主主義国家にふさわしくないのだ。だから自由があってもそうした取り決めごとを守る範囲で自由が許されているのだ。宗教も個々人の内面の問題として自由であるがこれが集団を形成して権力を要求するとなると政教分離に違反するから禁止される。信仰の自由は個々人の内面の問題として自由なのである。宗教が権力をとることを目的にするとなるとこれは明らかに民主主義国家では禁止なのだ。だからアメリカでは教会が選挙運動すると税金が課せられる。では近代国家は何を頼りにしているのか、理性であり法律であるとなるがこれも結局ナチスのカルトやその他天皇カルトや踏みにじられた。理性は知識のレベルが高くなければ通用しない、カルトや単純な方がわかりやすいからナチスは大衆を怒号で支配したのである。大衆は高等な理性では支配できないということが民主主義の最大のアキレス腱なのである。
とにかく人間なんでも自由なのかと問いばアメリカでも中絶はモラルに反するから禁止すべきだとか同性愛結婚は禁止すべきだとか選挙の争点になった。自由を追及した結果そんな様々な自由が主張するようになったのである。ある意味でその自由は異常なものであった。人間にあらゆる自由求めることを許したらそれもまた狂気の世界である。人間が内からモラル的律することが前提でありそれができないから自由が放胆となり信じられない異常な自由世界が許され社会そのものが崩壊するということもありうる。
もう一つは経済的国益を守るためにというのが国民としての義務だというのが一番わかりやすい、経済的共同体としての義務なのである。だから日本を大きな企業として考えた方が今はわかりやすい、だからこそ大成建設とかその他北朝鮮で仕事をもうらため拉致被害者のことなど国民である人達の犠牲を考えずに企業の経済的利益が優先されたのである。戦争を見るときもう一つ軍需産業、武器がかかわっている。アメリカの20%が軍需産業にかかわっているということは驚きである。アメリカの大きな仕事が戦争であるという事実である。これも結局経済的利益共同体としてのアメリカ国民として団結していることになる。正義のために団結するというより経済的利益を共有する団体として国がありその利益を守るために戦争する。戦争の原因の一番の要因はそこにあるのではないか、宗教のための戦争とは思えない、中絶を反対して投票する人はそんなに多くなかったとか報告がありアメリカ国民の利益を国益を守るための戦争だったとなる。武器を消費するための戦争ともなると怖い話である。日本はその武器の核の実験場になったのだ。アメリカが戦争を産業とする国家だというのも見落としてはならない、それ故に軍事力の国として世界を支配しているのである。
明治維新の主役は下級武士
●厳格な身分制
相馬から川俣に行く「塩の道」の栃窪の山中深く殿様道というのがある。殿様と庶民が出会うと失礼になるから上に殿様道を作り下に庶民の道を作り出会わないようにした。これもなかなか今ではどうしてしそんなことまでしていたのか考えられないことである。武士には作法がありたしなみがあり一つの文化があったのだ。例えば武家に町人の娘が奉公したのはその作法を身につけるためである。主や客などにお茶を運ぶとき両手で障子をあけ敷居を踏まずまたいで通るとか、作法、たしなみがあり武士の文化というものがあった。窮屈なものであるが客の立場にたつとそうした女性のふるまいは気持ちいいものなのである。今なら障子でも片手でがらっとあけたり歩き方まで何かあわただしい、当時の女性は何か歩き方まで違う、しずしずと歩き茶を持ってきたのである。それは一つの武士の文化でありそれが町人にも伝わったのである。文化というとき建物とか芸術作品とかに眼を向きやすいが文化というのはこうした生活全体にあるものであり一つ一つの個々のものが文化ではなかったのだ。女性というものもそうした武家の文化のなかにあったから今の女性とは全然違った大和撫子となっていたのである。日本の文化というときそうした武家の生活そのものが文化だったのである。障子というものと女性のそうした作法、ふるまいは密接に結びついていた。土足で家の中まで入ってくる西欧の家とは日本の家は全然違うからだ。
春の夜や局をさがる衣の音 漱石
白菊や書院へ通る腰のもの
こうした微妙な感覚は障子とか日本の家と一体となって生まれたのである。
武士というもの。
身分制度が、厳しく定められている。
道の途中でもしも上司に会うような事あらば、必ずこちらは先に道を譲らなくてはならぬ。
上司の方はといえば。 こちらは道を、左へと譲る必要はない
そのまま、真直ぐに通り抜けるだけで良い。
お江戸の作法教室
http://www6.speednet.ne.jp/~hawayu-hp/huutaro/huutaro_07.html
こういうことがあり殿様道というのもその当時からすれば当然だったとなる。明治維新はこうした武士の文化や権力構造の徹底的な破壊だったのである。それはいい面もあり悪い面ももたらしたのだ。江戸時代以前からするとこうしたつつしみとか奥ゆかしいという文化はなくなり、西欧的ななんでもさらけだす行動的文化となった。イスラムが肌を見せないというつつしみの文化はやはり江戸時代の武家文化とにていたのである。
●下級武士が多かった
土塀を巡らせ長屋門を配した上級武士の武家屋敷と碁盤の目状の路地、茶垣に囲まれた156軒の下級武士の侍屋敷を造った。今もその名残が碁盤目状の細い路地の姿で残っている
一万石の藩である小松には、此の程度の下級武士はざらにあったのである。易之進も人の子であった。屋敷内の畑になすを植え夏の盛りに毎日水を引くのが彼の日課であった。『水はやるが実はなるなよ、なってはいかんぞ』という易之進の言葉には、なすを沢山入れたオジヤ(少しの米に水と野菜を沢山混ぜた雑炊)に食べあきた子供心の可燐さがしのばれる
時代劇では広い立派な庭の武家が舞台となるがあれはわずかの上級武士の家でありほとんどの下級武士は長屋のような狭い路地みたいところにおしこめられていた。下級武士が武士の実体でありそれは貧しかったのだ。小さな庭はあったからこんな暮らしがあった。雑炊ばかり食っていたのが実情である。当時は社会が安定していたから下級武士は上の役につくことは非常にむずかしかった。世襲制でありよほどのひきたてるものがないと上の役につくことができず貧乏暮らしだったのである。上級武士だけが特権階級でありそれは固定化してその他は相当貧しかったのだ。この下級武士が明治維新の志士となっていった。松下村塾は藩校に入れない下級武士が集まった。上級武士だけが藩校で学ぶことができたのだ。とにかく階級制の厳しい社会であり窮屈な世界であった。
普通の百姓が名主の屋敷の玄関に立つなど、とても許されないことだった。当時は、身分制が厳格である。名主の屋敷の玄関は式台付きであり、格式があった。平百姓は、勝手口にまわらなければならない。
農民も名主とはかなりの貧富の差や身分が違っていた。名主は幕府の役人の代わりと同じであり苗字帯刀が許されていたのだ。下級武士より名主の方がずっと格式の高いいい暮らしをしてしいたのである。こうした下級武士が公家と結びつき明治維新が始まったのである。公家も江戸幕府時代、短冊などを売ってやっと食っていたほど貧乏だったのである。
●「侍」身分・・・袴OK、私服勤務、無条件の家督相続OK
●「徒士」(かち)身分・・・袴着用OK、制服強要、家督相続には読み書きソロバン能力が必要
●「足軽以下の奉公人」身分・・・裸足、制服強要、昇進は徒士止まり
身内内身分間の差別ははげしかった。「侍」身分の層が無条件の家督相続をしていると藩主は象徴になり、家老会議も形式化する。「何もしない空っぽの頂上会議」に向かって、膨大な無駄書類があがり、おぼっちゃん家老たちがひたすら花押やら黒印を押していた。有能な「徒士」身分の非エリート武士が毎日毎日、規則・慣例にしたがって、この書類を書いていた。
新聞に報道されない裏話
江戸時代は幕府自体硬直化していた。非能率な官僚化していた。すでに外から変革を迫られたとき対応できなかったのだ。特に上級武士は何もできない硬直化した存在でありここを倒す必要があったのである。常にこういう特権化した存在が社会にありこれが改革をはばむのである。現代でもそうした特権化した存在がある、それが何であるか時代により違ってくる。団塊の世代を若い世代が嫌うのは会社などで特権化している階級に属している面がある。旧来の手法が国際化などに対応できなくなるのだ。ただ文化の面からいうと武家の作法とかたしなみとか窮屈だとかそんなもの価値がないとかなるが文化そのものはそれなりに意味があるものなのだ。日本人が古来から持っていたつつしみとか奥ゆかしさとかそうした価値観は現代でもかえって必要なものである。余りにもすべてが露骨にけばけばしく飾りたてる西欧文化が必ずしも文化としていいとかならないのである。江戸時代は思想の自由がない窮屈な暗黒な世界だったともなる。これも現代から見ての話なのだ。なぜ毎年交通事故で一万人も死なねばならないのか、これが交通事故もなくなった後世から見たら暗黒時代だったとなる。交通事故はルソ-の時代にもあったのだ。パリなどでは馬車の往来が激しく馬車にひかれる交通事故が多かった。ルソ-もそれで死んだというのも象徴的である。歴史は様々な側面があるから多角的に見る必要があるのだ。歴史は部分的には把握できるが全体的に把握するのはむずかしい。常に別々な見方が生まれるからである。
斜線が明治維新の推進者
相馬から川俣へ(阿武隈歴史の道)
テムズ河のベンチ(『海国兵談』の驚き)
ロンドンはテムズ河の街でパリとはまた雰囲気が違う、霧の街、雨の街でなんとなく陰気である。テムズ河ではその岸辺に古い木の椅子が並んでいた。ここで人々がテムズ河を見て休んでいたのかとか印象に残った。テムズ河からは七つの海を支配したイギリス海軍が出た河であり河は港でもあった。ここは世界に通じた河だったのだ。
林子平は『海国兵談』を記して、江戸湾がロンドンのテムズ河と水路でつながっていると述べて、海防の必要を説いた。
これは外国に行かないのになぜ想像できたのか驚きである。テムズ河は江戸湾とつながっているとうのは文字通りそうだったのである。テムズ河からイギリスは船で世界に進出して七つの海を支配したのだから。これは黒船が来る前だから凄いことである。日本人は一つの海に囲まれた島に独立した孤立した宇宙の中の島に住んでいる。外国とは海でさえぎられたように深い断絶がある。大陸と連結していないから防衛でも危機感がうすいのだ。海に囲まれているから国境という意識ももてないのだ。イギリスが当然日本にもやってきても不思議ではないし最初に日英同盟を築いたのもそのためである。人間は外国に行かなくてもこれだけ想像できるというのも驚きである。長崎に行って遊学したことにより世界地図などを見て知識が開けたのである。長崎に出島があり必ずしも日本は完全な鎖国ではなかったのだ。
世界百カ国回っている若者もかなりいる。世界がこんなに身近になった時代はない、それでも外国に詳しくなるのはむずかしい。特に歴史はわかりにくい、歴史がわからないから外国旅行の報告がたいがいみな同じになっていてその人独自の報告が少ない、たいがいその場の写真はどこにでもインタ-ネットでているが説明はほとんど同じである。デ-プな旅はしていないのだ。これは言葉もわからないしかなりむずかしいことである。
外国旅行で意外と大事なのは記録だった。特に写真は大事である。人間の記録はあいまいである。外国に行くと見慣れない風景がかなりある。写真を見るとその風景が鮮明によみがえってくる。写真は人間の脳の記録より優れている。細部まで記録している。日本だと城といえばだいたい想像つくし言葉だけでもわかる。外国は言葉だけからはわからないから写真とか映像が大事になる。つくづくあのテムズ河の河口は世界に開けた窓だった。そしてイギリスは寒いから南への憧れが強くなる。春でも寒々としている。ヨ-ロッパの歴史は重層的なことである。メソポタミアから歴史の継続性があることなのだ。聖書そのものがメソポタミアをバビロンを起源としている。バベルの塔やノアの方舟もバビロンという実際にあった都市を基にしてできたものである。ヨ-ロッパの歴史はだから年代的にも層がもの凄く厚いのである。その最下層部は文明発祥地のメソポタミアに通じて地理的にもイギリスがロ-マの辺境としてあったがさらにイギリスはドイツのゲルマンとかバイキングとかノルマン人の影響が大きかった。こうした人類史の歴史の中にヨ-ロッパが組み入れられていることが島国の単一的世界観しかもてない日本とは違うし歴史を研究する面白さが無限にある世界なのだ。
いづれにしろ黒船が来る前にテムズ河からイギリスが攻めてくるとか想像しただけで驚くことである。日本は海に囲まれているから海が天然の要塞となっているから防衛意識は弱い、大陸の異民族に踏みにじられたこともない、イギリスは島国でもバイキングなどの異民族に支配されている。イギリスは島国といっても大陸と歴史的には陸続きなのだ。そこが日本とイギリスは島国といっても全然歴史的には違う世界なのである。英語自体だから明確に様々な国から入ってきて構成されたことが明確にわかる。日本語は漢字は別にしてその他はどこが起源なのかわからないのである。
もしある民族がすでに活発さを失っているなら、その民族は遅かれはやかれ他の一層生活力強い民族の襲撃を受けその結果、歴史の示すように大規模な異系支配がまったく自然に行われる。
異人種の血がまじるということがちょうと酵素のような作用をなしはじめてある人種の独特の才能を正しくひきだされる。
比較的な純粋な人種は長い時代にわたる同系支配の結果、その素質上にある程度の狭隘さをまねきやすい。(天才の心理学-E.クレチュマ-著)
ヨ-ロッパとか大陸の国の強みはここにある。日本は孤立した島でありそこで世界的競争の進化に取り残される危険が常にあったのだ。そもそもraceはレ-スであり競争であり民族同士が戦い競争した熾烈な歴史だったのである。だから日本の明治維新は奇跡だというときこうした鎖国から改革を成し遂げたということにある。ただ日本一国でそれなりの歴史的発展がありそれが基になって成されたともいえる。それにしてしも明治維新という改革は内部から成されたものでありだからこそ世界でも評価される驚くべきことだったのだ。ただその萌芽は江戸時代にすでにみられたのである。その一つが海国兵談だったのである。
テムズ河は海国兵談にでていなかった!
「細カに思へば江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也」(岩波文庫『海国兵談』、p18)と記述している。記述は史料の捏造である。子平が『海国兵談』を執筆した天明6年の頃、ロンドンのテムズ河は知識として一般的ではなく、江戸時代の対外関係(鎖国)からすると、唐、阿蘭陀が出てくるのが自然なことである。
やはりテムズ河と日本の海がつながっているというのは不自然である。唐とオランダは知っていたがイギリスはテムズ河さえ知るのが容易ではない時代、ではなぜテムズ河がでてきたのか誇張されたのかもしれない、そういう捏造や誇張や間違って伝えられている歴史が多くある。
林子平の墓が仙台に(出版のことなど)
林子平の墓が仙台にある。これは50年後に許されて親戚が建てたものだという。
親も無し妻なし子なし板木なし 金もなければ死にたくもなし”
蟄居を命じられ不遇のうちに死んだ。板木なしとあるのは板木は活字のもと、本の元になるものだから大事なのだ。これを作るには大変な労力があり専門職の人に頼まねばならない、当時の出版今日より大変な労力を必要とした。そもそも活字一つ一つ拾って本にする時代も大変な労力を必要として専門の職人がいたのだ。そもそも出版とはもともと大変なものだった。本の起源はその記すものからはじまる。エジプトのパピルスがpaperの基である。
ギリシア語で「本」を表す“biblion”は、パピルスを意味する“biblos”から来ています。現在欧米諸語で使われている「聖書“bible”」
、「図書館“bibliotheka”」などは皆これに由来しています)
ラテン語の“liber”(本)は、もともとは「樹木の内皮」を表す言葉だったといいます。樹木の皮の内側も、粘土板や石、木板などと並んで文字を書きやすい素材だったのでしょう。
書く前に記すものの方が貴重であったのだ。だから作家より紙を提供する人の方が力があり作者にはなんら報酬はなかった。紙を提供してくれる人にかかせてもらったのが作家である。これは今の出版界とか書店に通じている。出版社とかそれを流通させるものが力があり作者はそれらに頼まない限り出版できないしくみになっている。だから出版社や新聞社とかマスコミは情報を独占して著作権を握り利益を得ていたのである。この構造自体当たり前として受け入れていたが実際これは出版社とかそれにかかわるものの独占的利益を維持する仕組みだったのだ。だから今インタ-ネットが盛んになり音楽著作権を一手に管理する団体の方がヤクザのショバ代をとるのと同じだという批判も起こっているのだ。作家に著作権があり作家に直接印税なりを払うとなればこれが一番理想的なのだ。いづれにしろ電子本でもコンテンツが不足しているから売れていない、本の世界は膨大な積み重ねがありその中にもうなかなか読めないような奇書の類も数限りなくある。それは古書となってどこにあるのかもわからない、こっちの方がインタ-ネットのゴミの山より貴重なのだがwweb化されていないのだ。意外と役立つのが「青空文庫」とか過去の作家のデジタル化したものなのだ。ええ、こんなことこの作家が書いていたのかという意外なものがかなりある。それがどうしてわかったのかというと全集の一部を個人か出していたりして検索にひっかかるからである。知識は本で手に入れようとするかぎりかなり限られたものになるのだ。それはどんなに本を買ってもそうだし図書館に行ってもそうである。手間がかかり調べきれないからだ。本というものを一冊一冊買いそそろいるたことなどできないのだ。今私がどうしてこうして書いているかというと一冊の本ならさ-と目を通してその一部をひき出して自分の文章にあてはめて編集して構成している。一冊を読むというのではなく何冊もの本のペ-ジをひき出してつなぎあわせて編集している。これはインタ-ネット的検索の利用の仕方である。こんなこと本ではしにくかったのだ。本は一冊として完成しているからだ。でもペ-ジだけを読むということもありえたのだ。ペ-ジきペ-ジをリンクしてつなぐのである。するとまたそこに別な知識の連結が生まれそれは新たな意味を帯びてくるのだ。知識はこのよう増殖して書き手によりまた新たな意味を帯びて提供されるのだ。
いづれにしろ出版の世界からマスコミの世界から排除された人々はかなりいた。インタ-ネットでもう一つ新たな世界を作ったのが個々の語りの世界、実話の世界である。これは今までもあったがこれは活字やマスコミにでにくいものだからわからないし知ることができなかったのである。例えば墓というものはその人の最後の証の記しでもある。しかし墓を見ても墓には名前があっても戒名があってもその人となり全然わからないのだ。それをインタ-ネットで紹介するとなるほどと納得する。
● 戦争犠牲者の一つの墓
亡き妻と並びて墓石に古びたる
空襲に逝きたる子の名は釋勝願
篤
http://jns.ixla.jp/users/kondouh812/
父の弟の名前とあり勝つことを願うために名付けられた、空襲で死んだのもなんともやりきれないとありこの一行にこの人の人生のすべてがあった。人間残るのは一字くらいの人が普通なのだ。こうした一字の歴史でもインタ-ネットに書いてあるとそんな庶民の歴史があったのかと発見することがある。こういうことは今まで経験しないことなのだ。なぜなら商業出版化されるのは限られた商売になるものが多い、2ちゃんねるの電車男が売れたりするのもおそらく出版社でこれなら売れかもしれないと探していてインタ-ネット時代にあってヒットしたのだ。これはあくまでもインタ-ネット空間で読まれて意味ある、面白いもので本にしたらつまらなくなるものと思うが売れたのである。ただインタ-ネットに関係して売れたということが違うのである。そしてそもそも歴史の証拠とか個人の語りとかは別に売れなくても参照されるべきものでありどこかにあるべきものなのだがこれは書店にも置かれない、商業主義の世界には合わないものだがこうしたものがインタ-ネットで生きてくることがあるのだ。まず墓を読むというのは非常にむずかしいしわからないからだ。庶民の墓は歴史なのである。ただ江戸時代の墓となるとめったにない、石碑でもたいがい明治時代までのがほとんどであり江戸時代のものは極端に少ないから江戸時代のものがあったらそれ自体研究に値する貴重なものと見る必要がある。
いづれにしろトラジットの折り畳み自転車で岩沼から柴田町まで回ってまた別な旅の視点を得て帰ってきた。これは一駅くらいとまり回るのに役に立つことがわかった。
誰が墓や冬田の道に風唸る
木枯らしや林子平の墓残る
林子平の墓は子平町も残り小さいながら残っていた。木枯らしの仙台であったが墓を探すのはめんどうだから行っていない、こうした墓というのはなかなか探しにくいのである。だからインタ-ネットで墓の由来探しというのはまた一つの利用方法なのだ。
トランジットで岩沼→柴田→仙台(俳句エッセイ)