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相馬私局(小林)
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小林勇一
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耐震強度偽造のマンションの原因12月1日

耐震強度偽造マンションの問題(創価のかかわりはあったのか?)12月12日

みんな責任回避は戦争の責任回避とにている(耐震強度偽造)12月14日

今年も終る(江戸時代との比較-人間は変わらない)12月21日


江戸時代への回帰(次なる時代への模索)12月30日



耐震強度偽造のマンションの原因

●創価の正本堂破壊の原因

創価は会員からの寄付で立派な正本堂を建てた。これは池田大作氏も絶賛していたのだ。歴史に残る建物であり会員の信心による寄付によってできたと誇っていた。これを建てたたのは大成建設だった。その時団地にいたブロック長が大成建設に勤めていたから大成建設とは深く利権で結びついていたのだ。会館を各地に建てることでも大手の建設会社と結びつきを持つようになり会社ぐるみ公明の選挙応援までさせた。それで共産党がそのことを政教分離に違反するとか批判した。創価は政教分離など関係なく常に選挙主体の団体として権力、利権に食い入ってくる団体である。今回も自民党の議員だけでなく公明の議員も国土省に働きかけていたことでもわかる。国土省の大臣が公明なのだから当然となるのかもしれない、利権によって動くことは自民党と同じだし創価自体が利権団体であり利権を供する団体だからそこから利権を得ようと建設会社でももろもろのものが入ってくる。そして何故正本堂が壊されることになったのか?それは本山との熾烈な争いの結果分裂して本山が正本堂を壊してしまったのである。歴史に残るとされた正本堂はあえなく壊されてしまった。そして互いに罰当たるとか呪いをかけて祈っているのだからまさにダンテの地獄を作り出している団体である。本山派もホ-ムペ-ジで創価の会員が不慮の死を遂げているのは本山を裏切ったせいで罰当たったとか呪いをかけているのだ。これは双方とも仏罰が下ると呪いをかけている。正本堂自体はそれなりに立派なものだったし建物に罪はない、結局今回の事件と同じく人間の醜い争いの結果、破壊された。創価は巨大な集団だから墓を作るにしても一山が創価の会員で占拠されて自然破壊とか村まで破壊してしまうのだ。つまり創価にはそういう因縁がつきまとい今回の国土省大臣の北側大臣に同じような問題がふりかかってきたのかもしれない、創価にはこういう経過があったことを知っておく必要がある。

●コストがかかる安全管理は省かれる

今回起きた事件の原因の一つに地震というのは日本ではいつでも起こることだから地震対策していたと思っていた。それが成されていなかったのショックだった。その理由は長い不況で建設関係も深刻な不況に見舞われ公共事業も減った。道路でも建設でも日本の人口の一割くらいその仕事に従事している。田舎でも公共事業などに頼ることが多い。結果的に過当競争になってしまったのだ。それでコスト削減のために鉄筋のコンクリを減らすことになった。手抜き工事は一般の家でも必ず行われていた。どこかでコスト削減しなければこの建設業界は持たないシステムになっていた。ただ地震が将来必ずあるといっても震度5強となると何十年に一回とかなかなかないから被害がすぐに現れることはない、だから安全管理がなおざりにされる。コストを考えると安全と環境保全とかは省かれやすいのだ。建築が土木技術は英語では civil engineering(公共技術)とされるように本来は私的なもの、民間だけでやれるものではない性質をもっていたのである。安全というとき隣にそうした危険なマンションがあればそこに住んでいる人全体に影響するのが建築なのである。建築は私的企業や一個人だけではなく全体で計画しないと景観とか安全が保たれない性質をもっている。日本ではそうした都市計画が本来なくcivil engineeringという市民が都市を作るという歴史がない、だから計画性のない、景観を重視しない街作りになる。パリのような古い街並みも保存できないのである。地形的にも平坦な広い土地がないことも都市計画がうまくいかない理由である。北京などのように広い道路や碁盤の目のような都市が作りにくいのである。大陸では都市でも地平線が見えるように平坦だから都市計画がしやすいのだ。結局この都市計画とか公共事業は目先の利益をあげるだけにとらわれてやれない。長い眼でやらないとできないから民間では無理な面があった。民間では常にコストを追及せねばならないからだ。小泉首相の構造改革というのは逆に小さな政府にして民間にまかせることが構造改革でありそして皮肉なことに肝心の建築の構造が弱体化されたのだ。スマトラ沖の津波であれこうした防災に備えるのは民間ではしにくいからcivil engineering(公共技術)として長い眼でやるべきものだったのである。

●建築とITの関係

今回の事件を考えるのにIT技術との関係が興味深いものがあった。バソコンのソフトで構造計算していた。


だから、数値の確認は特定の会社や人間にやらせない、
という仕組みにするしか無いんだよ。
構造計算ソフトをフリー化して、その気があれば誰でも
算定を検算できるようにネットに情報晒しちまうとか、
そんなようにする以外に解決しないね。


>要するに塩加減を決める立場の人間が
>必ず賄賂漬けにされて腐るって仕組みなの。

人間は不公平なことあるけど
例えばグ-グルだとキ-ワ-ドからだけで調べるから
公平な場合がある
人間が介在するとこの団体が気にくわないとか
自分の会社の悪口書いたから出したくないとか
国関係だと検閲となり悪いことを隠したりするが
グ-グルロボットだと機械だから公平なことあるとにている


ちょっと待て
googleは検索順位を上下さすことができるし
yahooとかだって国の要望にしたがってフィルターをかけたりするぞ。
googleもどこだかの圧力をうけて中華からの検索で
フィルターかけてたと思うが



グ-グルのロボット検索はかえって公平だと思っていたがこれも操作できるのである。グ-グルは技術をもっているから操作できる。そしてインタ-ネットは実際はアメリカによって監視されるシステムになっているから中国などが反発して別なシステムを作ろうとするのもわかる。ニフティのパソコン通信でも著作権までニフティにあるとかプログでも著作権があるとされたのもそのためである。技術をもっているものはその高度な技術の故に支配を計るから公平さがなくなる。結局人間はロボットによってコンピュタ-によって治められるようなことはありえないのだ。技術も人間の悪意によって運用されればどうにもならないのである。技術の問題も人間の心が作用して良く悪しくも使われるのだ。技術とかに全面的に信頼することはできないのである。技術自体は善でも悪でもないが人間の操作によっていいものにも悪いものにものにもなるのが技術なのである。


自衛策としてデジカメの応用をすすめていた一級建築士のサイトがあった。

デジカメは、コンクリートの中に隠されてしまう鉄筋も、外壁や内壁に隠されてしまう構造体も、全てを記録しておくことが出来ます。

住まいがおかしい、という依頼の調査で出かけた人が取っておいた数多くののデジカメ写真には、いろいろな欠陥部分を写した写真が保存されていました。その写真が決めてとなり、建築会社に対しても有利な交渉を進めることが出来ますし、万が一の時は、建物の一部を剥がすことなく、裁判の証拠資料として利用することが出来ます


庶民も全部を専門家にまかせることをしないで何らかの自衛策を講じないといけない時代でもある。このサイトにはそのヒントがあった。


マンション手抜きの手法
http://www.ads-network.co.jp/cabin/ca-36.htm



耐震強度偽造マンションの問題(創価のかかわりはあったのか?)

●専門化、細分化の問題

今回の耐震偽造マンションの問題も現代を象徴した問題だった。マンションとなると一つの組織が請け負うというのではなく様々な分野の専門家が細分化して工事を行う。設計にしても担当分野が違うとか細分化して複雑化してくるから検査にしてもチェックできないとかなる。そこにコンピュタ-のソフトもかかわっていてそれもごまかされていた。実際に工事を行う人だって細分化して仕事していてその一分野しか責任もたないし見ていない、それでも鉄筋たりないからこれはおかしい危ないと長年の経験からわかていた。でも上の命令とおりにやるのが下請けである。こうした様々に専門家、細分化されるのが現代であり全体を知りうる人はいないのである。耐震構造といっても耐震の専門家は一級建築士が20万いても耐震構造の専門家は2千人とか極めて少ないのだ。だからそこにごまかしがしやすいようになる。これも医療事故とにている。素人に医学のことが医療のことがわかるのかとなると追及できなくなる。法律にしたってこれまた専門家の領域であり法律を楯にして素人に責められないようにできる。

現代ではこういう問題は常に起きているのだ。それでビデオをとって手抜き工事を監視したりデジタルカメラで工事の内容をとっておけとか実際に百枚写真をとって工事を記録していたとか自己防衛策が必要になってくる。これに関しては行政もほとんど検査機能も飾りにすぎなかった。一体何をしていたのか?ただ飯を食わせておくだけの会社だったのか?それも高給とりなのだから行政の無駄だった。つま専門化、細分化されると検査すらむずかしくなるし容易にごまかされることにもなるのだ。総研にホテル経営者が外国の資材工場に案内されてこうして安くできるんですと説得されたなるほどと納得する。あとから考えればその安さが危険を生むことになっていたのだ。その資材は安物だから安全性に問題があったのである。要するに仕事が専門家すると簡単にだまされるということになる。それでも素人でもそれなりに調べることができるしやれることはあった。専門家に対してはこちらも専門家、弁護士を雇うという方法がある。それしか方法がないのかもしれない、自己責任社会は自衛策が必要になっているのだ。

●SG会の謎(創価のかかわりはあったのか?)

1)姉歯:創価建築士
姉歯秀次は創価学会員であることが確定! 「週刊新潮」にて事実関係確定!
2)ヒューザー:創価企業、公明党に献金。
3)木村建設:木村盛好社長=「李盛好」朝鮮人
早々と自己破産を宣言したK社長。 自己破産後は韓国でのんびり暮らすらしい。
4)イーホームズ:創価企業、藤田社長=創価。所在地の信濃町は、創価の町。
5)シノケン:社員の半分在日
福岡のシノケンも社員の半数くらいは在日のかたがたですよ 
6)公明党山口議員:ヒューザー社長を国交省担当者に紹介
公明党の山口議員、偽装公表前に国交省担当者にヒューザー仲介
7)創価大学:卒業生の進路からヒューザーをこそこそ削除。

総合経営研究所の関連企業
「株式会社 エスジーホテルネッ
ト」や「エスジー通商株式会社」

福岡市の「総研白金ビル」には、全国の皆さんの期待を裏切ることなく、「木村建設(株)福岡支店」も「平成設計(株)福岡事務所」もモレナク入ってる上に、「(株)ヒカリシステム・エスジー」なんて会社まで入ってて、まるで東京の総研ビルとソックリな「身内会社だけの癒着ビル」になってる。他にも、これらの「エスジーグループ」を統括する「株式会社 トータルサービス・エスジー」なんてのまである


SG会-something great http://www.jiscom.co.jp/about.html

3.各種イベント開催
 SG会勉強会・経営塾(月2回)、
 他イベント(ゴルフ、カラオケ、囲碁etc)

4.SGマーク商品案内
 特別価格で提供(インターネット・カタログ)

5.SGコンサルティング支援
 ・経営、財務相談
 ・経営情報、経営コンサルティング
 ・企業間コラボレーション(商品、情報)
 ・広告、販売促進規格

SG会とは

・ 総研が国内、国外を問わず開拓した建材メーカーから資材を購入する権利を有する。

・ 海外資材購入のための、現地見学会に参加することが出来る。

・ 台湾、カナダ、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、ベルギー、オランダ、英国、トルコ、中国、フィリピン等 今後地域が拡大されても、購入の権利は地域に関係なく有する。

・ 新しい情報が入れば会員全員にSG会特別情報を適時流すことにより、会員は常に新しい情報を得ることが出来る。

・ 必要量が多くない商品については、総研コンサルタントの調整により、SG会特別情報で流したりして、共同購入が出来るように取り扱う。

・ 会員企業は、海外建築資材購入使節団等の募集案内を受ける。

・ 使節団のメンバーは、会員を優先する。

・ 会員は椛麹経営研究所に対し、資材購入に対するアドバイスを受ける権利がある。

・ 将来とも椛麹経営研究所は、資材購入に対する商売には関係しない。


>総研は確か『G.M.C』(ゼネラル・マネジメント・コンサルタント)という略号を以前のホム>ペではでかでかと使っていた。彼らの使用するパンフにもだ。

http://www.gmc-sg.co.jp/index.html



指導先企業を対象に、海外から建設資材や新技術・新工法を共同購入して企業発展に結びつけることを目的としたグループが『SG会』です

池坊 保子(衆議院議員 華道池坊家)(公明)
近江巳記夫(衆議院議員)(公明)
北側 一雄(衆議院議員)(公明)
田端 正広(衆議院議員)(公明)

森  喜朗 (元総理大臣 元自民党総務会長)

最初SGはSGI(創価国際部)のSGだと思っていた。SGはこのSGだった。でもここになぜこれほど公明党の議員が参加してそこに森喜朗が入っているのか主流は公明党でありそこに森が呼ばれたという感じなのである。そしてこのSG会は建築事業にも参加していた。総研が中国やタイなどに資材を買いに行ったことなとこの会の事業が主導してしたことかもしれない、他にもSGホテルというのがありホテル事業にも参加していた。総研(gmc)-sgはURLになっているように密接な関係にあり共同事業体なのだ。SGがSGI(創価国際部)のSGでないにしても公明の議員が主流にあり動かしている。総研の背後には『SG会』がありここを追及しないとわからないしここがマスコミでも追及されていないから肝心なことが追及されないのである。

●ホテル事業と創価の関係

言われるまで気が付かなかったが、ホテル関係の就職でかつては立教のホテル学科が
強かったのだが、最近それが大きく様変わりして創価系が俄然強くなった
話が横に逸れるが、ホテルにとって一番大きな収入源はパ−ティだ
結婚式もそれに入るが、学会の場合推薦するホテルというのがあって
それは、学会員の多く働いているホテルと言う事になるのだが、それが大きく影響すると言う しかも、学会は学会員同士の結婚を薦めており親は早く結婚させたがる
数字があるわけではなくて申し訳ないのだが、学会員の子息子女は割と結婚する率が高いとか ホテルにとって、創価学会は今や無くてはならない存在なのだ
ビジネスホテルの場合、掃除やメンテなどの作業員はたいてい学会だという
これも、学会員の宿泊客を取るためには推薦を得なくてはならず、これはビジネスコンサルの中に入って来るという・・・これから想像が付くね
世の中のサ−ビス産業に創価学会はネットワ−クを色々な意味で張り巡らしている
学会員であれば、就職も決まりやすいと言う事もあり、信者は増えている


創価は数が多いからそれ自体利権団体なのだ。墓を作るにしたってその数が膨大だから墓苑事業が巨大な事業化して収入となる。一山が創価の墓になり村が自然破壊だと騒乱になっている。数が多いことはあらゆる利権の温床になるしその利権を得るために入る人もでてくる。ホテルにしてもペンションにしても旅館でも創価関係いて創価の人達が利用してくれれば助かるとなる。創価は日本の中で別な利権団体としてネットワ-ク化されているのだ。それはすでに結婚とかもその団体だけでしているからますます代々の利権構造ができあがってしまう。創価はあまりにも巨大になりすぎた。だから分裂するなり自壊するのが運命なのである。



みんな責任回避は戦争の責任回避とにている(耐震強度偽造マンション問題)

●みんな責任回避は戦争責任回避とにている

今回の事件もみんな責任回避している。姉歯も検査機関も施工主もその下の現場の鉄筋工もマンショウ買った住民も責任はないと言っている。不思議に国だけが一部検査の不備があったことを認めている。これはなにか戦争の責任回避とにているのだ。今でも誰が責任があったかわからない、一時天皇に責任があるとかもめたことがあった。今は国民全部が責任あったとかにもなる。それはマンションを買った住民に責任があったともなる。JRの脱線事故のときも責任はJRにあったが一分の遅れで騒いでいる乗客にも問題があるとなった。それは確かに言えたのである。今回も一体誰に責任があるのか、背後にいる本当の黒幕は誰か明確ではない、背後には議員がかかわっていたかもしれない、献金を受けたり背後で結びついていたことは確かなのだがこれも明確にはでてこない、例えば姉歯氏が殺されるかもしれないからホテルを転々としているというが一体その背後の黒いものの正体は誰なのかというとこれも明確にはならない、結局これも闇の中にあり闇に葬り去れる。警察も政権中枢に立ち入ることはできないから余計にそうなる。政権中枢までかかわると警察力、司法にも限界がでてくる。だからこうした悪を改めるのには政権交代が必須であり政権交代がない民主主義はこうした巨悪を正すことができないのである。だから政権に権力にあるものはむしろ選挙がなくても政権交代するのが民主主義的である。アメリカではそうなっている。そうすれは前任の悪が追及できるからだ。

●闇に葬られる巨大組織の犯罪

巨大な組織犯罪は闇に葬られる。現代は専門家、細分化された社会であり責任が無数に分担している。鉄筋工は現場は上の命令に従うだけで何かできるのか?これは国民が戦争にかり出されたことと同じではないか、上のものが戦争を設計して国から命令が来たらなんであれ従わなければ家族の命もないからしかたがないとなる。姉歯も家族を守るために仕方がなかったとなる。戦争の責任も結局これと同じようそれぞれの言い分があり仕方なかったとなり誰も責任はないとなる。誰が責任あるのかと言ったら結局誰も責任はないとなる。最後には責任なんかとる必要はない、あの戦争は正当な植民地解放戦争であり誉め称えられるべきものであり日本には何の責任もない、死者は英霊として讃えられ国民は反省する必要もないし日本国民は偉大だと事故自賛で終っている。今回はそうした正当化されてはいないことは違っている。なんとかその悪を追及していることは違っている。とにかく悪だと認識しているから追及できる。戦争はまず悪だという認識すらないから悪として追及することもできないし誰も責任を負うこともないのである。罪を犯しても罪だと認識しなければ悔い改めもない、巨悪にはそうした深刻な罪の認識が欠如する。だから彼らの顔を見ても悪人面していたのは小島だけでありあとは紳士的なことでもわかる。ほとんど罪の意識がない、善人なのである。戦争をナチスでもその前線に喜々として立って進んでいたのはこうした善人達だったのだ。

●技術者のモラルの問題

アイシュタインが原子爆弾の研究して原子爆弾を作ったことを反省した。その設計をしたものはアメリカ政府である。しかしその設計するものは技術者であった科学者である。これは大量殺人につながる危険なものだという認識はあったのである。でも上からの命令であり科学者はその命令に従う、そこで責任者は当時の政府であり設計する科学者がかなり負うことになる。それで姉歯氏のように耐震強度で問題があっても設計を引き受ける。オウムの事件でもそこには理工系大学の技術者がいた。サリンをまくという殺人のためのサリンを作っていたのだがそれを何のために使うのか全く意図もわからず技術を駆使することに快感を覚えていた。結果的に殺人兵器として技術は利用されることになった。それも仏法という宗教の名のもとに殺人が正当化されたのだ。これは宗教の名のもとに殺人が戦争が正当化されることがよくあるからオウムだけの問題ではない、戦争は人殺しだからどんな戦争も正当化される利用はありえない、何であれ「殺すな」というのが宗教の戒めであり大量に人を殺すことが正当化されることはないのだ。現代は科学技術至上主義の時代であり科学技術者が神のごとく崇められる時代なのだ。でもその人たちも何の意図もなく殺人兵器を作ることに精出していることがある。そして科学というのも専門家して一般人からはますますわからないものとなっているし科学者技術者自体が細分化専門家された中で全体の見通しをもっている人はいないのだ。それは現代文明全体に言えることであり誰も全体の見通し把握できる人は一人もいないのである。

その行動は
1.家族に胸を張って話せますか?
2.見つからなければ大丈夫と思っていませんか?
3.第三者としてニュースで見たらどう思いますか?

http://www.nuclear.jp/~madarame/rinri_note.html

技術者にも良心はあるからモラルに反するかどうかは判断がつく、姉歯氏もこれは悪いと認識してやっていたのだから設計者段階、技術者の段階で停めることはできたのである。事実こんな設計では引き受けられないと言う設計者がいて事件が発覚したことでもわかる。



今年も終る(江戸時代との比較-人間は変わらない)

http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/tsuchiya/tsuchi7.htm(江戸時代事件資料)


4 極難之者へ歳取米下附(天保7) 15 博奕流行ニ付夜廻り(天保8) 16 夫喰無之者共へ郷圍大麦拝借籾割賦(天保8) 17 行倒レ死人取片付(天保8) 18 越後米小諸御城中へ附届(天保8) 19 放チ馬有之ニ付佐久郡中へ御触(天保8) 20 千曲川筏越ニ付書留(天保8) 21 御無尽申付(天保14) 22 入会山論ニ付会合(天保15) 23 密通ニ付叱り申付(天保15) 24 郷夫奉公人余荷金取定メ 郷夫奉公人夫銭取立(弘化2) 25 追分へ売女買ニ参り置去りニ致シ候ニ付取縺(弘化2) 26 傅馬人足割付(弘化2) 27 御頼金御證文献立 28 虚空蔵菩薩開帳(弘化3) 29 豊作ニ付御初穂米献上(弘化3) 30 関東御取締出役様ヨリ囚預り(弘化3) 31 御影役所御手先無宿者召捕(弘化3) 32 村芝居差留(弘化4) 33 馬士仲間馬頭観世音ノ建立(嘉永元) 34 無準一行物御尋(嘉永元) 35 御用金之御證文献立(嘉永2) 36 入会山売木ニ付七ケ村会合 37 御代官様御廻村難渋者奇特者御改メ(嘉永5) 38 祭礼ニ付旅芝居興業(嘉永5) 39 圍穀積立ノ御触(安政元) 40 大圓寺和尚入院式執行(安政2) 41 江戸大地震ニテ殿様御屋敷潰レニ付献金(安政2) 42 殿様御任官ニ付献金ノ者へ御酒被下(安政5) 43 旅芝居興業ニ付積穀被仰付(文久2) 44 和の宮様御通輿(文久元) 45 姫宮御下向之御物入ニ付御用金被仰付(文久2) 46 穀直段之事(慶応元)


極難之者へ歳取米下附(天保7)
行倒レ死人取片付
博奕流行ニ付夜廻り
密通ニ付叱り申付
追分へ売女買ニ参り置去りニ致シ候ニ付取縺
御影役所御手先無宿者召
村芝居差留
姫宮御下向之御物入ニ付御用金被仰付(文久2)


これらの事件は二三百年の間に起こったことだから時間的幅があるがこの間ににたようなことが起こっていたのだ。極難之者へ歳取米下附---極貧のものがいて困り米を与えた。行き倒れて死んだ人がいた。常に起こっているのは博打の取り締まりである。密通も罰せられた。追分へ売られる女性の取り締まりがあった。無宿者がつかまえられた。村芝居が差止めになった。贅沢を禁止するためなのか村芝居は村人の娯楽だった。姫宮御下向とは天皇家が江戸へ来るために通る。これらが主な事件だがこうしたことは今でもある。博打はパチンコとかパチスロとか競馬とかになっただけであり博打は常にありこれをとめることはできなかったのだ。売春は外国に行くまでになったがこれも以前としてあり取り締まっても取り締まってあるから法令ができて取り締まりがあるのだ。


裏道通路縺合一件(文化元) 2 馬士浅次郎武士へ無礼(落馬ナラン)詫書(文政6) 3 宇山村五右衛門塩名宿之者ト喧嘩打擲疵付候一件書留内済迄始末書(文政12) 4 諸入用帳(文政12) 5 須ケ間原にて博奕ニ付九ケ村取締相談議定(天保3) 6 百姓常吉耕作出精書上(文政11) 7 甚助変死一件 8 音吉配分割合帳(嘉永4) 9 金子争(嘉永6) 10 借用金拂方帳(安政元) 11 由右衛門忰市平耳取村へ盗賊ニ這入候ニ付右村ニテ召捕夫ヨリ御役所へ申立ニ相成入牢被仰付一件諸事書留(万延元) 


裏道通路縺合一件
博奕ニ付九ケ村取締
盗賊ニ這入候ニ付右村ニテ召捕

関所を通らず裏道を行った人や盗賊もいたのは今と変わりないのだ。


3 山林盗伐詫書(万延2) 4 不身持詫書 5 帳外願(文久2) 6 養子聟離縁出入(文久3) 7 身持不埒売女買詫書(元治元) 8 博奕過料扱 2通(元治元)

山林盗伐詫書

無断で木を盗むものがいた。


3 田用水取縺 八幡村広太郎久二郎取縺(弘化4) 4 御影牢抜(嘉永元) 5 不身持詫書(嘉永2) 6 手妻見物中喧嘩有之正縁寺ニテ甚助疵負変死一件(嘉永2) 7 阿部伊勢守より異国船渡来ニ付御達(嘉永2) 8 名主上席願書(嘉永3) 村役人席次議定書(安政5) 9 脇差抱役元へ駆込一札 写(嘉永5) 10 綿出入内済(嘉永6) 11 田境切取訴(嘉永頃) 12 兄弟財産分争内済(嘉永7) 13 持逃一件諸事書留(安政3) 14 博奕詫書(安政3) 15 相続争済口證文(安政4) 16 貸金縺合願書(安政4) 1


田用水取縺
田境切取訴
相続争済口證文
兄弟財産分争内
御影牢抜


田の用水とか田の境とか土地争いも常にあり相続争いもあり兄弟での財産争いも今のようにあった。牢をぬける罪人もいたからこれも今と同じである。

今年も終るに当たってなぜこんなことを書いたかというと江戸時代は別な世界のように感じられるがやっていることは同じなのだ。まるで江戸時代に生まれた人間がまた現代の科学の最先端の時代に生まれてきてもやはり同じことをやっている。だから生まれ変わってもまたシャバにでてきて同じ悪いことを罪を繰り返していると感じてしまう。輪廻してその業の輪廻はとまらないとなる。

隣で怒鳴り込んで死ねとか暴れてガラスを割り物を投げつけた若いやつを追いかけたのパトカ-できた警官だった。その警官刺股(さしまた)をもって師走の夜の町を追いかけた。
つかまったかどうかわからないが江戸時代の道具がまた活躍している。時事問題の深層を書いてきたが今年も終る。上から下まで人間の欲は変わらないし悪行が尽きないのがこの世である。だからまるっきり同じことが延々と繰り返されているのだ。詐欺でもその手段がコンピュタ-に変わってだけで同じことがつづいている。一見科学文明がこれほど発達したからなにか江戸時代などとはまるっきり違った世界に見えるが人間やっていることは同じであり本質的に変わりない、その欲が変わらないからである。変わらない人間の欲がこうした様々な問題を江戸時代だったら上の役人も犯しているし今は議員でも犯している。人間の性善説は誤りであり性悪説をとる欧米のモラル感が正しいのである。人間の欲がつづくかぎり未来も同じ罪業は繰り返され同じ事件が起きてくるのである。欲にとりつかれた人間が生まれ変わり生まれ変わりこの世にシャバにでてきて罪を犯罪を繰り返しているのではないか?それがこの世の変わらぬ現実である。いくら科学が発達しても物質的に豊かになっても人間の欲に限りなく同じ問題、事件、犯罪が起きてくる。だから一見社会は変わったようでもその本質はほとんど変わっていないのだ。だからこの世には期待できない、この世が天国に化することなど絶対ありえないということなのだ。



江戸時代への回帰(次なる時代への模索)


江戸時代 現代
質素、倹約 大衆消費社会
オ-ダ-メイド社会(手作り)
大量画一生産社会
リサイクル社会(自然調和 自然破壊社会
静寂社会 騒音社会
隠居美徳社会 若者社会
人情社会 物、金の非情社会
スロ-ライフ社会 スピ-ド社会
国風文化時代 唐風洋風文化時代


●本来の日本文化への回帰

次なる時代はどうなるのかというと前にも書いて来たけどこの表にも書いたけど明治からここ百年はあらゆるものの激動時代でありこれはあまりにも社会に凄まじい変化をもたらした。その間に世界戦争も三回ほどほり日本も多大の損害をこうむった。戦後にしてもめまぐるしい高度成長の時代であり日本社会はビルや自動車の洪水となりその風景はまるっきり変わってしまった。日本列島改造で日本の自然すら改造され破壊された。あまりにも急激な変化の故に精神の拠り所を喪失した。これは急速な機械都市文明化などによって世界的規模で起こったことであり日本だけの問題ではない、グロ-バル化の結果なのである。では何故今江戸時代を見直すのかというと江戸時代に日本の文化が成熟して完成したからである。江戸時代は日本という島国で完成した文化の手本だったのである。一つの閉鎖された宇宙として自給自足の社会を三百年の平和な社会を作ったのである。日本というのはその時自然と調和した一つの世界から孤立した宇宙に生きていたのである。そもそも日本は狭い国土だから日本の文化は茶室のように狭い空間をいかに活かすかとか細部にこだわる。米の生産にしても狭い土地でいかに良質な米を作るとか生産性をあげるとかを追及するようになる。文化にしても俳句に要約されるようにこんな短い中に世界を現そうとすること自体日本の文化なのである。季語でもいかに多くの季語があるのか季語自体が季節を細分化した極めて日本的な文化なのだ。だから英訳してもつまらないものになる。つまり日本的な風土のなかで季語が生きてくるがアメリカとか中国とかのような大陸的風土では生きてこないし理解されないものなのだ。ただこの短い俳句の中にも奥深いものがあることがわかった。季語自体深い意味がありその季語によって生きる世界が俳句なのである。

●オ-ダ-メイドの時代

冬の時代というときどういうことかというと少子化とか生産縮小とかリストラとか負のイメ-ジが強くなるのだが冬の意味はまた別なところにあった。冬の静かな日もいいものだし冬は老人に象徴される。そのようにこれから団塊の世代も大量退職して隠居化するから隠居時代になる。高度成長のなかでひたすら会社人間として企業戦士として働いてきた人々が隠居化するからこれからは冬の時代の落ち着いた社会になる。江戸時代は隠居が重んじられた時代であり隠居文化が作られた。これもその一つだがいろんな面で江戸時代への回帰が起きてくる。大量画一生産からオ-ダ-メイドの経済、技術の開発というのもそうである。同じものではないもの独自なオリジナルものを求めている。これは江戸時代が地方の独自の産物が経済を支えていたように独自のものオ-ダ-メイドの独特のものが求められている。江戸時代の江戸は生産地ではなく大消費地であり地方が生産地で米まで供給していた。仙台米が江戸では欠かせないものであり仙台、南部藩では米は商品作物であり江戸に売るために供給されていた。米自体が寒い地域だから適した作物ではなかったのだ。それで大規模な飢饉が起きたのである。江戸時代というと国際化グロ-バル化と関係ないみたいだが日本という島国小宇宙で今と同じようなことが経済でも起こっていたのだ。例えば大阪の堺では貝屋があり最初は瀬戸内海辺りの貝を売っていた。それも食うための貝であったがあとは装飾品として工芸品としての貝として買われた。大阪とか京都は工芸品、職人の世界であり紅花をみちのくで作っても工芸品にするのには加工の技術が必要でありそれが大阪とか京都で行われたのである。だから豊かになったのは大阪、京都の方であった。今でも石油はとれてもその加工の技術がないと豊かになれないから経済は資源だけあっても豊かになれないことは今と同じなのである。現代の特徴は大規模画一生産からオ-ダ-メイドの工芸品化、食うだけのものから装飾品としての価値が高まってくる。デザインとかにこるようになるのである。

●冬は質素ににあう

次の時代をみるときこれをすべて江戸時代に回帰するといっても同じになるわけではない、傾向として同じになるのであり中味は違ってくる。江戸時代が寺子屋や塾が盛んで生涯学習社会だったというとき、現代ではインタ-ネットなどで生涯学習社会がはじまっているのだ。寺子屋がインタ-ネットになったのである。リサイクル社会というときブックオフとかリサイクル店がふえたのもその一つである。何気なく比較的若い夫婦が冬の日のさす静かな日にダンボ-ル箱を集めている。それが冬の日の静かな日にあっていた。冬はまた質素な季節を示している。冬は枯木とか枯野とか質素な季節でありそれで何かダンボ-ル箱を集めている夫婦がこの季節にあっていたのである。現代は大量消費社会でありダンボ-ル箱を集めるのはその対極にある仕事なのである。それが冬の日にあっていたのである。対称的にそうした仕事が意味あるものとして浮かびあがった。江戸時代は糞尿まで紙一枚まで無駄にしない利用していたからリサイクル社会だった。こうしていろいろと現代は江戸時代への回帰がみられる。巨大な宗教団体ができたのも高度成長の結果でありこれもだんだん小規模なサ-クルに変わってゆくだろう。小規模な塾とか寺子屋への回帰も江戸時代とにている。スモ-ルイズビュ-ティフルとかそうした日本本来の社会に戻る傾向があるのだ。ただ江戸時代といってもその中味は同じではない、不確定要素として国際化グロ-バル化はとめられないからこれがどう影響するかは未経験のものだから不確定要素となる。少子化でも外国人労働者が入ってきて穴埋めされることがあるからだ。ただ日本の許容範囲は狭いから限度がありどうしても江戸時代志向になってしまうのである。満州へ進出したときは一時誇大化したがそれもできないからやはり本来の日本的文化への江戸時代への回帰が日本的だとなるのである。



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