時事問題の深層28

    5   8  10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29

時事問題29へ

相馬私局(小林) a private channel in soma-gun
小林勇一



感想はこちらへ



ペ-ジを分けて出しました、ここには全部のせませんので
へ 新しくアップしたものはリンクしています
または




民主自由社会の代償の覚悟を(戦争プロの斉藤さんのイラクで 戦闘で重傷)

イラクで重傷の斉藤さんが提起した問題の複雑さ
5月14日


鯨の話(捕鯨の是非)5月20日

自己責任と国の責任の違い5月23日

小野田少尉と横井庄一さんの違いの不思議
(フィリピンの日本兵生き残りの騒ぎから)5月29日

戦争の敗北の原因は日本軍の内部の士気にもあった
(アメリカ軍の士気の方が高かった)5月30日


川(瀬)への意識が日本人の文化を作った6月4日

未来(will)時世がない日本の言葉6月5日
(寺嶋氏の意見の英語論の検討)


アジア圏は翻訳で不利だ6月8日

祭りの意義(砂糖は貴重だった)6月11日

人権擁護法案にメ-ルで抗議6月19日

四国は溜め池の国(深刻になる水不足)6月28日

一極集中型管理の弊害(日本の風土にはダムは合わない)6月29日

中国の水不足は深刻(中国問題の難しさ)7月1日

生態系の狂い(グロ−バリゼ-ションは生態系を破壊)7月8日

私のホ-ムペ-ジに来たキ−ワ−ド(キ−ワ−ドから探る世相)(2)7月14日

信長の巨大鉄船、戦国の海を制す」NHKを見て7月21日
「海を制するものは世界を制する」

野馬追いは馬の日として盛り上げる 7月24日

GOOGLEにヒットした検索文字アガリスク(私のホ-ムペ-ジが改変されたのか?7月25日

言葉の混乱(都会、都市、市民は新しい言葉)7月26日



民主自由社会の代償の覚悟を(戦争プロの斉藤さんのイラクで戦闘で重傷)

●グロ−バル化する中での国籍問題


今回のイラクで重傷にあったという戦争プロの斉藤さんの是非を語ることはむずかしい。2ちゃんねるではすでに英雄化されている。戦争のプロとしては本物であり自衛隊の教官になってもらいたいとかその高い今の日本人にはない、自衛隊にすらない、実践者としての戦闘能力を高くかわれて憧れる人が続出した。平和ボケの時代だからそういう人がかえって脚光をあびるということがある。右翼の強硬派にとってはまさにお手本であり憧れの人となってしまった。政府ですら今回は自己責任で責めていない、ボランティアに対しては過酷に責めたが今回はかえって称賛されている。法律では日本国籍があるかぎり政府では日本人を保護するのがつとめである。それはどんな人でもその義務がある。法律的には人を選ばないのである。今回の問題国際化するなかでグロ−バル化する社会の中で起こったことでありそれがまた問題を複雑にした。フランスの外人部隊とは何なのか?とから始まりイギリスの警備会社と契約したのだからその責任だとかややこしい。つまりもはや日本の国という枠から考えられない問題が世界中に生まれているのだ。だから重国籍は認められるべきだとなる。それは世界で生活する人々の実感としてそうなっている。

極端に言えば、1985年までは日本人は海外で一国の大統領になることさえできたのに、1985年以降は、外国の地方公務員になることさえできず、地方選挙権さえ与えられず、政治活動や経済活動を大きく制限されています。母国が2重国籍を認めている場合や、経済格差のある発展途上国出身の人たちは、たいてい先を争って滞在国の国籍を取得し、その国の国民として活躍しますから、日本人は非常に不利です。二重国籍を認めない日本の経済力は、海外に永住する日本人にとってはアダとなります。物価の高い日本の国籍を喪失しては、将来日本に帰りたくても帰れなくなってしまいます。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4037/opinion/ciperle-fujimori.htm

実質的に世界が狭くなれば日本国だけでなく世界が軍事であれ経済であれ文化であれ技術であれ国の枠をこえてしまう。なぜ斉藤さんがフランスの外人部隊で何を目的に何を意図して20年も働いたのかこれもよくわからないのだ。すでにそれで仏国籍を取得する権利をえていたが日本国籍のままだった。ただヨ-ロッパではEUができて重国籍も是認の方向にあるから国籍だけにこだわる時代ではないから重国籍に否定的な日本はグロ−バル化に適合していないというのも確かである。そして日本の法律には日本国籍を離脱する法律もあるから今や実際はどこの国でも住めるが重国籍の方が国際的に活躍する人には必要なものとなっている。

●民主自由の社会では政府の権力は極力制限される

民主自由の社会では様々な自由が保証される。その自由の保証のゆえにまたさまざまな問題がででくる。例えばイラクの人質問題のように勝手にいって国民に迷惑かけるなとか自己責任論が言われた。しかし今回はそれがほとんどない、斉藤さんは国に迷惑にならない国に尽くす人として称賛されている。でも自己責任の迷惑論もある。しかし自由社会というのは常に自由を求める社会だからその権利を抑えることができないのである。では海外で勝手なことを国民に迷惑をかけるものを取り締まるにはどうするのかというと「渡航禁止法」を作れと政府でも立法に取り組もうとしたがこれはほとんど実行不可能な法律らしい。つまり今度は渡航禁止地域に指定しなかった所で問題が起きたら政府がなぜ渡航禁止地域に指定しなかったかとなる。ともかく自由社会では自由を制限することは非常にむずかしいのだ。自己責任と政府が言っても日本国籍があるかぎり保護する義務がでてくる。では国籍剥奪をするかとなるとこうした重大な権利を剥奪することなど自由社会ではできないのだ。その自由なる代償としてアメリカへのテロがあった。アメリカの自由社会だからこそテロがありえたのだ。

結局このテロの犠牲も自由なる故の代償だったのだ。自由の代償は人々があらゆる自由を求める故に必然的に起こってくることである。報道の自由だからあらゆる報道を規制するなとなる。そこには信じられないエロ、グロがインタ-ネットで流されたりするがこれを権力で取り締まることは一面むずかしいのが自由社会なのだ。犯罪にあっても自己責任とされるのだ。自動車社会になれば犯罪も広域化するから警察でも取り締まりがむずかしくなりやたら関係のない市民まで最初から犯罪者のような職務質問が横行する。これも自由社会は犯罪そのものがとりしまることがむずかしくなっている、検挙率が低くなるのも自由社会のためなのだ。自転車がなぜ標的にされるのかというと自転車には登録番号がありこれを調べるのはコンピュタ-化されているから警察で調べやすいからである。これはたいした犯罪でなくても調べやすいからそうなっている。そして肝心の凶悪犯罪は調べにくいから検挙率も低くなるのである。民主自由社会は自由だからその責任は民衆にある。上からの権力者から規制したりすることがむずかしい社会なのだ。何かあれば自由だとなるのが民主自由社会である。政教分離だから規制すべきだというと宗教は自由だとなる。そこに実際はかなり問題があってもともかく自由だとなる。結局あらゆる自由を求め自由を実現しようとしたらその代償もあることを覚悟せねばならない、政教分離の法律が無視されたら戦前のような宗教ファシズムが起こるかもしれない、またアメリカのようなテロにあう危険性も増大する。グロ−バル化だからといって外国人を自由に入国させたら今のように中国人など犯罪天国になってしまうかもしれない、自由には代償がありそれをみんな覚悟してゆえの自由を認めるほかないのだ。

●民主自由社会の代償の覚悟を

民主主義は民が主になる世界だから上からの権力者の権力は極力制限される社会である。そもそもヨ-ロッパの議会制民主主義が王の横暴を許さない、王の権力を制限することから民主主義が生まれたのである。権力者の権利の制限が民主主義の基なのだ。だから逆に民の権利を制限することはむずかしくなり民の民衆、大衆の自由な横暴が席巻することになる。それが一団体である創価の政教分離の無視だったり大阪市の暴力団なみ組合の専従役員問題だったりする。上から今度はそうした団体化、利権化したものへの横暴が制限できないのだ。結果的に損しているのは逆に国民全体であるという皮肉である。税金がそうした暴力団的団体に一方的に収奪されていることになる。現代の権力は今の政権にあるわけではない、政権の権力はかなり制限されているのだ。つまり権力は自由民主主義社会では民の方にその民でも団体にあり政府にはない、だからある時は農協がある時は国鉄がある時は宗教団体が権力団体になり国を動かすのだ。政府はそうした団体に動かされるだけで権力を持っているわけないのだ。

でもこの民主自由の代償はある。国の権限が弱くなることは民間に責任がまかせられることであり民間自身の裁量で経営しろとなる。国の責任はさらに軽減される。国鉄の民営化でもそうである。国ではなく民間で自由に責任をもってやれとなる。それで国土交通省の監督も手薄なものとなる。その結果は悲惨な事故が起きた。民間であれば効率化の利益優先になるのはしかたないことでありまたそれは民衆自体、国民自体も求めていたことなのだ。無駄するなというのが合言葉だからだ。しかし安全という面ではどうしても国の権限で管理を強化する必要があった。そこは民間に自由にまかせるのではなく上からの権限の行使が必要だったのである。しかし自由社会は上からの権限の行使が自由を制限することはむずかしいのだからこれも自由の代償の側面はあったのだ。なんでも自由だ、自由を求めるのは自由社会だから当然でもその代償を覚悟する必要があり国民もその代償があることを覚悟で民主自由社会を生きねばならぬというのが今回のイラクの日本人の戦争プロの犠牲でも考えねばならない、つまり自由社会は一面、ファシズムにもなりうる自由なのである。誰も政教分離など制限することができなくなればそうした勢力が自由に伸長して社会を席巻することもありうる。そういう危険な代償があるのが自由社会なのである。民主自由とは自由であるがその自由の責任は政府ではない民が負うものであることも自覚せねばならないのだ。政府の責任はあまり問いないのが民主自由社会なのである。



イラクで重傷の斉藤さんが提起した問題の複雑さ

●斉藤さんは新撰組の傭兵ににている?

今回の問題の複雑さは最初に「フラン外人部隊」というところからきているのだ。これ自体が日本ではわかりにくいのだ。外人部隊といってもフランス人が半分は入っているしフランス軍の正規の軍隊でありだから斉藤さんはフランス国家から感謝され称賛された。なぜ今回斉藤さんがあれほど称賛され話題になりヒ-ロ-にまでされているかというと江戸時代で考えると新撰組とにている。新撰組は江戸幕府の会津藩管轄の傭兵だったのだ。新撰組の場合は傭兵でも幕府とかの正規軍より士気が高い実践部隊だった。また金のためとかだけでなく「侍」になりたいということがあった。「侍」になるということは身分だけではなく一つの精神的に誇りをもたされる存在だったのだ。新撰組がなぜ「誠」という旗印にしていたかというとやはり金のためではない何かしら「誠」を国のために尽くすという志が薩長と同じようにあったのだ。正規軍の幕府軍は表に出ず傭兵の新撰組が実質的に薩長と戦った。これが自衛隊という国家の正規軍が水道の設備隊のようになっていて実質実践部隊でなく民間に雇われた傭兵の斉藤さんが過酷な実戦に従事したから何かヒ-ロ-扱いになったのである。前のような自己責任も問われない、格好いいとかすごい人だとかそういう称賛が多いのである。幕府の正規軍が働かず傭兵の新撰組が血を流し働いたのとにているのだ。

現代はグロ−バル化して複雑であり江戸時代のことなどあてはまらないし比較するのは無理だとなるが歴史はそういうものではない、必ずにた状況が過去にもあったのだ。人質のことがしきり言われるが江戸時代の参勤交代そのものが幕府による人質作戦だった。大名の妻子を江戸に置いた人質だったのだ。それほど人質とは戦国時代には必須な作戦だったのである。だからテロリストが人質作戦にでているのはそのためであり一部フィリピンなどは軍隊を人質を助けるために撤退したのだ。フィリピンの場合も民間に雇われてイラクに行った。つまり民間の傭兵でも国がかかわり国家がその責任を問われることにもなる。だから斉藤さんが人質になれば国ではいろいろ救出のために動かねばならないし政治的にかなり影響されることにもなる。

●イギリスのハ-ト社は戦争請け負い会社


日本では珍しい職業に就いているため偏見をもたれがちだが、斉藤氏の立場はあくまで

復 興 事 業 に 参 加 す る 民 間 業 者

取引先は
アメリカ軍(日本が軍事行動を支持)
イラク暫定政府(日本がイラクの政権として承認、支援を表明)
斉藤氏が勤めているのは外国の会社ですが、明らかに

日 本 政 府 と 立 場 を 同 じ く し
忠 実 に 職 務 を 遂 行 し て い た

人物であることは最低限押さえておくべきでしょう。


おまえの論理は飛躍し杉
ハート・セキュリティ=日本政府なの? w
チミの考える復興支援が何を指すかはわかりませんがww
あの「民間業者」は言うなれば、復興支援を隠れ蓑にウマい汁を吸おうとするヤクザ的企業だよ。
正規の軍がしないような汚い仕事もするし。
つーか経営理念として「平和なんて糞くらえ」って思ってるだろな w
んで、イラク国民には最も憎まれてる存在だと思うぞ。
実際、普通の民衆に「火あぶり+袋叩き+車で引きずりまわし+橋に宙吊り」 されたのも傭兵だったし・・・・


これも江戸時代で考えると凄く腕のたつ浪人がいてそれが金で悪徳商人に雇われる、そういう浪人達は悪役であり切られ役である。この悪徳商人がハ-ト社になるのかこれも多少にた面がある。この凄く腕のたつ浪人に斉藤さんはにているのだ。つまり外人部隊にいたときはフランス国家の正規の軍隊に所属だから国家からの名誉が与えられた。しかしイギリスのハ-ト社から戦地に行った場合はそうした名誉は与えられない、そこがフランスの外人部隊に属していたのとはかなり違った立場になったからこの場合はヒ-ロ-化するのは問題がある。つまりいくら戦争プロとしての技量があってもそれだけで人をほめることはできない、人殺しがうまいというだけでは人間は称賛されない、フランス外人部隊ではともかく国家の目的のために従事したからこそ称賛されたのである。才能でもそうではないか、アイシュタインですら核開発に従事してその核が戦争に使われた。科学者の技術もその目的によってゆがめられる。つまり戦争プロとしてどんなに優秀でもそれが目的にかなえば称賛されるがただ人殺しの道具として使われるだけだったら悪徳商人に使われる浪人と同じである。そしてこの悪徳商人の背後には幕府の偉い方がついている。それが政府ともにているのだ。

●自己責任の嵐は何だったんだろう?

斉藤さんについて今回はほとんど自己責任とかのバッシングが起きていない、むしろ称賛されヒ-ロ-化されている不思議である。平和とかボランティアとかは偽善だとか危険地帯に自ら入ったのは自己責任だとなり凄まじいバッシングになった。その原因は政府を批判して「自衛隊撤退」を叫んだり後ろにプロ市民がついていたりと批判するべきことが多かった。日本国籍をもっているかぎり日本人は保護される義務があるから誰であれ政府は救出に働くから政府を批判する必要はない、ただ政府批判はせず大人しくそのあとの人のように救出を涙ながら懇願するだけにしろというのがそのあとの決まりとなったのだ。ある意味であの自己責任のバッシングが恐怖となり発言は極力慎重になり国民の意向にそうようになったのだ。その後の人が言葉を慎重に選んでいるからだ。でもこれは戦時中に帰ったような感覚にもなった。

春子さんから貰った大事な毛糸のお守り袋は、中部97部隊に入隊して3日目の初年兵私物検査のとき、上官にどこのお守りだと聴かれ黙っていると開けられて、中から無事帰ってきてくださいと書いた紙が出てきたので、「きさま、これからお国のために戦争に行くのに生きて帰ってくる気か。」と、怒鳴られなぐられた揚げ句ポイと捨てられてしまいました。

http://www.city.yamato.kanagawa.jp/koucho/virtual/kioku/kioku6.htm

つまりこういうことが戦時中は日常的に行われていた。「お国のために」となり政府には何も言えない状態にさせられたのだ。だからあの自己責任論は確かに非は大きかったが一面異常なバッシングだったのだ。なぜそうなったかというとやはりこれも日本人的特質で「人に迷惑をかけない」ということが日本人としてのタブ-として根づいているからだと分析する人もある。ともかく今回の斉藤さんの問題に興味をもったのはグロ−バル化の中で起きた様々な問題を提起したからである。ともかくインタ-ネットは即座にこういうときそれなりの情報を収集できるので便利だった。2ちゃんねるも役立ったし他にキ-ワ-ドで外人部隊なりとかで探すと輪廓だけでも事情がわかるから便利なのである。ただこうして常に編集作業が必要なのがインタ-ネットなのである。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/02/20041102000039.html

もの言えば唇寒し自己責任



鯨の話(捕鯨の是非)

●寄り鯨は神の恵みだった

鯨神社の由来

その頃、日本には大きな船もなく漁村は貧しかった。そこは離れ島でありある年、魚もとれぬ、畑のものも不作の飢饉になった。木の実、草の葉を食い飢えをしのいでいた。
島民は海を望み、天を仰いで嘆いていた。
「どうか、食物を恵み、村を助けてください」
これを海の神は聞いた。
「う・・・これはほうっておけぬな」
「ほうっておけぬ」
「よし、鯨を一匹ここに寄せよう」
海の神は鯨に言った。
「鯨よ、あの村を救うために犠牲になってくれ、苦しいではあろうがあの島に行きそなたの肉をあの飢えている島のために献げてくれ、わかってくれるな」その時鯨はなんと言ったかわからないが何かうなづくような声を発して大きな体をくねらせ海の神が言われた島に向かって行った。
このように海の神は計らいになりある日とてつもない大きな鯨がその飢饉に見舞われた島に打ち寄せられた。
「お-い、でかい鯨だぞ、こんなでかい鯨見たことない、みんな集まれ」
「これは、すげ-や、これを食ったら当分は腹は満たされるぞ」
「そうだ、そうだ、これは海の恵みだ」
こうしてこの島の村々はこの鯨の肉を分け合い食って飢えをしのぐことができたのです。そして海の神に感謝して鯨神社を島に作り奉納しました。
寄り鯨というのは今でもありそれは昔は貴重な村の食料となっていた。海の神のからの恵みだったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これは鯨が神の摂理のなかにある時代の話であった。遠洋漁業の鯨取りは捕鯨砲でモリを船から容赦なく打ち込んで大量にとるものだからこんな時代とはあまりにも違いすぎる。鯨取りが盛んだったというが鯨は寄り鯨のように常食としているものではなく恵みとしてたまに打ち寄せられたものを入江に迷い入ったようなものをとっていたのだろう。太地辺りでは二三日一頭鯨が来たというのもある。これだといかに日本の近海を鯨が回遊していたかわかる。鯨はそれだけ豊富だったともいえる。鯨一頭百両とか関西辺りでは商品化もしていた。ただ昔の漁業は沿海漁業であり資源を取りつくすなどありえない小規模再生産の世界だから資源が守られていたのである。まさしくその頃の農業、漁業は神の恵みであり人間によって自然が破壊されるようなことはなかったのだ。

そもそも鯨自体今やいくら鯨は余っているとか小魚を大量に食っているとか次はマグロやカツオもとれなくなると言うが何か説得力がないのはなぜだろうか。鯨そのものが身近なものでなくなった。戦後の食料難の時は鯨を食ったがその時はまだ鯨の料理法がなくそれほどうまいものではなかった。タンパク質になる食料の不足で食っていたのだ。大洋ホエ-ルズというのが鯨の会社だったことを思い出した。これもずいぶん昔になってしまったと気づいた。それほど鯨はなじみのない忘れられたものとなってしまっていたのだ。ただ最近東京湾に鯨が入ってきたりと鯨が増えていることは確かなのだ。鯨は食うものではなくロマンとして見る鯨とかになってしまった。捕鯨に積極的でないのも関心がないのもそのためである。欧米では鯨は知能があるとか特別視されているのも問題だが捕鯨推進派の言い分もわかるのだが何かそれもピンとこない、時代離れしているように感じるのは鯨そのものかなじみがなくなった、関心がなくなったためである。グロ-バル化の一番の悪い点、食文化を破壊したことである。食が人間の基本であるとき、この文化を破壊することはその文化の根本に影響したからである。鯨食えより牛を食えというのが欧米の捕鯨禁止の主張の裏にあるというときまさにグロ-バル化は各地の食文化の破壊であったことが最大の問題だった。そもそもハンバ-グとかコ-ラはアメリカによる食文化の破壊だったのだ。これが一番グロ-バル化の悪い点だったのだ。なんでもグロ-バル化することは自然の摂理に神の摂理にあわないのだ。日本は米と魚の民族だったからそこを基本に食文化あるべきなのである。


●関西と東北の鯨の見方は違っていた

鯨はまた捕鯨が盛んだった関西方面と東北ではそのとらえ方がかなり違っていたのである。鯨は寄り鯨としてまさに海の神の恵みのようにたまに与えられたものが東北での鯨の見方だったのだ。

八戸地方の漁民たちが守り神とあがめていた「八戸太郎」とよばれる大きな鯨がいた。それとおぼしき鯨を紀州の熊野浦のモリ打ち漁師が突き漁で深手を負わせる。漁師はそのたたりか同じモリで事故死する。その鯨が八戸の鮫海岸の漂着して死ぬ。死体は朽ちることなく大きな岩になり、今日まで地元漁師にまつられているという。

ここで注目すべきは熊野から来たモリ打ちが鯨取りを伝えたのである。紀州の熊野から各地に移住した人がいる。東北にも熊野神社が実に多いのだ。明治になっても鮎川に来た。

日本の捕鯨は過去数世紀の間多くの変遷を経てきているが、その中には一貫した特徴が認められる。なかでも顕著な特徴のひとつは、操業地域と操業形態の柔軟性である。江戸時代の初期から捕鯨操業者たちは状況に応じてひとつの地域から他の地域へと絶えず活動の地を移動してきた」という部分である(18ページ)『くじらの文化人類学』。鮎川は、捕鯨産業が最後に移動してきた場所であった。捕鯨産業の多くは、鮎川に用があったのではなく、クジラに用があったのだ。そして彼らは、鮎川に魅力を感じなくなり、それまでの伝統に則って、すみやかに鮎川から立ち去っていったのである。

http://fenv.jp/archive/ayukawa-report/

東北ではまたなぜ鯨取りがそれほど盛んにならなかったかというと地形にあったということは意外だった。鯨は入江に入ってきた鯨や入江に追い込まないととれないものだった。巨大なるがゆえに鯨は村総掛かりの鯨との格闘だった。鯨が来たら山で見張っていたものがほら貝を鳴らし村人を集める。50艘くらいの舟をだしてとりかこみ鯨との格闘をするのだ。それは沖ではできない、入江があってこそできるのだ。この入江は東北には少ないのだ。関西方面には深い入江があるのだ。今回の四国の旅でも宇和島から海の方に自転車で回ったら陸地に深く入り組んだ入江には驚いた。そうした入江が瀬戸内海でも多い。鯨漁に適した入江が多いのである。この地形が東北にはないから鯨は寄り鯨くらいで鯨漁を本格的にしていたようではない。東北では鯨の見方も違っていた。熊野から鯨取りは残酷だなと鯨をモリで打つ漁師を見ていたのである。鯨には何か他の動物とは違うものを感じていた。欧米人が知性があるからとか言うのは最近であり日本人は古くから鯨には特別な感情をもっていたのだ。なぜそういう感情がでてきたのかそれは鯨を食う鯨をとるというなかで交わりが深いから生まれた感情なのである。これは海の民には世界的にあったみたいだ。


●アメリカにはイルカや鯨を神聖視する歴史はない


海の守護神であり、別の世 界への案内人と考えられていた。当時イルカを殺すことは人を殺すことに値し、いずれも 死をもって罰せられたのである(ギリシャ)

http://www.osk.3web.ne.jp/~asterope/cetacean.html

ギリシャではイルカ特別に人間に親しいものだった。この辺からイルカを殺すことに欧米人は抵抗しているのか、アジア人であるトルコ人は大量に無造作に残酷にイルカを殺しているのもそもそもギリシャとは文化の違った人達だった。ギリシャが海の文明というときそうしたイルカを神格するものが生まれた。アメリカの鯨やイルカへの保護運動は最近のものだし鯨油をとるために鯨を物ののように扱った世界とは違うしアメリカにはそうした歴史も思想もないのだ。アメリカに入った人間は実は野蛮な侵略者だった。一攫千金を求めて入ってきたならず者達でもあった。西部開拓というと聞こえがいいが実はリョコウバト(旅行鳩)を食料として絶滅させたしバッファロ-も絶滅寸前に追いやりインデアンを皆殺しにするほどであったしアメリカの開拓者は野蛮人でありそれは後の世界戦争でもそうである。ロ-マと比べるとアメリカ人は文明人ではなくその始まりから野蛮的性格を備えていたのだ。つまり若い民族であるからこそ一直線に他国を力でもって踏みにじることができるのだ。西部開拓の延長がアメリカの戦争でもあるのだ。ロ-マの場合はまだ文明がない世界の支配であるがアメリカは古い歴史のある文明国の暴力的破壊だった。ヨ-ロッパに原子爆弾を落とさなかったのは自分の祖父の国だからであり落とさなかったのであり他の古いアジアの文明国は文明国とも見ていなかったのである。だから捕鯨問題でもアメリカなとの一方的押しつけには問題があるのだ。



鹿島町にも鯨大明神があった。となりに亀明神もあった。なぜこれがここにあるのか、鯨は豊漁の神でもありここで鯨取りしたことはないからこの由来はわからないがこれは明治に建てられたものである。東北では江戸時代の碑は非常に少ないのだ。



自己責任と国の責任の違い

●「自衛隊撤退」を要求しないと責められない

イラクの三人の人質の時、自己責任が盛んに言われた。その自己責任の始まりは家族が政府に「自衛隊撤退」を露骨に要求したからであった。その背後には共産党とかプロ市民とか団体かかわりそれらを牽制するためだった。明らかに政府の意図があった。でも最初に自作自演説とか自己責任を言ったのは2ちゃんねるだった。2チャンネルが世論となり広まったのだ。マスコミはその後追いになったのだ。ここにインタ-ネットの影響が世論となった変わるメデアの影響があった。インタ-ネットは即時性に強いから大衆レベルでもニュ-スについての情報に関してテレビよりも早く熱く議論されるのだ。あれほど自己責任が言われたのは家族の対応のまずさだった。「自衛隊の撤退」は政府で決めたことでありそれは家族が言うべきことではない、政府は日本国籍をもっているかぎり責任があり救出する義務を負っている。救出には家族に言われるまでもなく外務省が対応していたのである。だから別に救出しろとかも要求する必要はなかった。政府はテロリストに人質のために自衛隊を撤退はできない、政策は変えることはできない、アメリカとの同盟を破ることにもなるからだ。その自衛隊撤退を要求したことがあれほど凄まじい自己責任のバッシングになったのだ。今回の斉藤さんの場合は家族が「自衛隊撤退」とか政府に要求していないから自己責任はほとんど問われず称賛されている不思議がある。危険を覚悟で入ったのだから三人の場合とは全然違うとなっている。それで外務大臣までアルジャジ-ラに救出の願いの出演をした。前にはありえないことだった。自己責任だから外務省では陰で働いてもそんなことまではしなかった。その違いがどこからきているのか家族が「自衛隊撤退」など国策にかかわることを要求しないこと、危険を承知で行ったことなどがある。

●イラクは国の責任がかかる危険な場所

しかし自己責任というと海外旅行して行方不明になった人が100人くらいはいる。スイスのユ-スホステルで一カ月前にノ-トに書き置きして消えた女性もそうである。その後家族が必死に探し歩いていたが結局自己責任だから海外旅行の場合、政府はかかわらない、自己責任だから政府は何もしないのだ。海外で登山して遭難してもその救助の費用などは自己責任だから自己負担になる。そもそも今回の問題はそうした危険な地帯に行くのは政府でも責任を負いないというのが本音である。だから実際は渡航禁止にしたいのだが法律上できない。政府では人質にされて「自衛隊撤退」などの政策の変更を迫られることが一番怖いのである。登山で遭難してもその人が国策の変更を要求されることではない、そこにイラクの問題のむずかしさがある。イラクとは個人で自己責任でも勝手に行くこと自体、国策にかかわる場所であり問題なのである。すでに自己責任とかいう以前の問題として国策を左右する最も危険な地帯だから立入禁止の場所だったのである。

一方で政府の矛盾は自衛隊を戦闘地域ではない、人道支援だという平和のために行くんだという詭弁があった。そこは明らかに戦闘地域であり立入禁止となるべき地域だった。だから国の責任で派遣された自衛隊は戦闘地域でも二重三重の安全を図っているのだ。人質なとなれないような場所に閉じこもっているのだ。本来はもしそんな危険地帯に入る民間の人があればそれは政府の許可が必要であり自衛隊に安全を警備されてこそ入りうる所だったのだ。斉藤さんは本来自衛隊のやるべきことを命懸けでやったから称賛されたともなる。だから政府でもあまり自己責任を問わないのかもしれない、ただ人質になり金銭の要求とか自衛隊撤退など迫られるとやはり政府では困るのである。ともかく日本国民であるかぎりそうした最も危険な地帯に勝手に入られることは困ることなのだ。それでも世界で民間の人がイラクに入って人質になったのだからこれは日本だけの不備でもなく戦争が国の戦争ではなく民間が請け負うような戦争になっていたことにも原因があったのだ。民間でもアメリカを敵とみなしているテロリストは同じ敵だから人質にして従わないものは処刑したのである。イラクでは民間でも安全は保証されなかったのである。

●国の責任となれば「渡航禁止法」が必要

このことはさておきそもそもでは大局的に考えるとこの戦争は何のために誰の責任ではじめられたものなのか、アメリカが大量破壊兵器の廃棄とかの大義名分がありはじめた。アメリカの政策決定によりはじまり次に日本などがそれに加担して政策決定したのである。アメリカの責任ではじまり日本も責任を負担してはじまったことである。もちろんアメリカにも日本にもイラク派兵に反対する人はいても民主主義社会で選挙で選んだ政権にその政策の決定をゆだねられている。公明党もその一翼をになったのだからその政策決定には重い責任があった。しかし最終的には今の政権を選んだ国民にあったとなるのが民主主義社会である。公明党なんかが政権に加担するからだめなんだといっても浮動票はあてにならないとか自民党にしてみれば政権とるためにしかたないいとかなる。国民が本当に望めば投票率が上がり公明の票の威力は落ちるのだが選挙に行かない人が多いから結果的に公明票が力を発揮することになる。これも国民の責任であり民主主義社会では不満があってもイラク派兵は国策であるからそれに従わねばならないのだ。

そしてアメリカが委託したイギリスの警備会社もアメリカに委託されたのだからアメリカが責任がないとは言えない、だからこそアメリカの一派としてテロリストは敵とみなして攻撃してきたのである。それはアメリカ兵と実質的に変わりないのである。責任の所在を考えるとこれはすでに自己責任とかではなくそれぞれの国民の責任だとなる。その中で個々人が危険を犯してイラクに入ることなど自己責任でも許されない危険地帯だったのだ。自衛隊に警護されなければ入れない場所がイラクだったのである。結局法律的には渡航禁止にできないという矛盾がそこにあったことは確かである。自己責任を盛んに言ったがそもそも自己責任と国の国民の責任とは別物である。自己責任は例えばここで泳ぐと危険ですとかありそこに入って泳いで死んでも個々の自己責任であり国が責任を持つ必要はないのだ。ところが今回の場合が国が国策としてイラクに自衛隊を派遣した時点でそこは立ち入り禁止、渡航禁止、政府の許可なしでは入れない場所にするほかなかったのである。そこで渡航禁止法という法律が必要だということが当然の結果として出てきたことが理解できるのだ。前の戦争でも責任は国にあるとか天皇にあるとか軍部にあるとかマスコミにあるとか責任をおしつけるがでは国民がないかとなると一番の責任は国民にあったとしかいいようがない、結果的にそうなってしまうのだ。結果的には戦争選んだのは国民だとなる。戦争の前はいろいろ自己責任で言う人がいた。でも一旦戦争になれば国の責任であり国民全体の責任になってしまうのだ。あの戦争の是非はともかく後世の人も日本人であるかぎりその責任を負わされている。否定的でも肯定的でもそうなのである。先人の行動のツケがその後世に回ってくるということである。



小野田少尉と横井庄一さんの違いの不思議
(フィリピンの日本兵生き残りの騒ぎから)


久々に小野田少尉の映像みたけど
横井さんとくらべると
やっぱ将校はこえええ


上官と下士官じゃ、えらいちがいだ
上官の命令は絶対だぞ、それでジャングルに逃げて食い物ない
下士官が上官を襲って食い物奪ったそうだ


いや、そういう階級云々より
小野田少尉は動きも目つきも違ってた
横井さんは救出された時ボロボロになった銃をさしだしたそうだけど
小野田少尉は戦後20年以上たっても完全に整備された銃で現地警察と交戦戦死者まで出すものすごさ


横井さんは脱走兵だよ。戦争が
終わる以前に軍隊から逃げた。
帰国後の人生も離婚再婚を繰り返し
ボロボロだった。


小野田さんと横井庄一さんは今考えると確かに対称的に違っていた。小野田さんの顔は今思うとあれが軍人の鏡かというような人だった。精悍であり今では信じられない精神力の持ち主だった。人にもよるがその後もブラジルで牧場経営して成功したとかこの人は普通の人とは違っていた。そういうタフな人は今でもいる。イスタンブ-ルであった50歳の人も本当にタフな人だった。海外を一人で若者なみにパックパッカ-しているのも驚きだった。自分は四苦八苦でやっと海外旅行していたのだから。戦争のことわからなくなっているが小野田さんのような日本軍人にあったらやはり怖いというのが第一印象だろう。人も相当殺しているとなると現代では経験しないことをしているのだから怖いとなる。イラクの斉藤さんとかにも惰弱な時代の若者が憧れるのもわかる。ただこの二人が対称的なのは横井庄一さん自体がユ-モアがあり戦争を余り感じさせない人だった。小野田さんは生粋の軍人中の軍人をジャングルをさまようなかでも維持していたのだ。20年間もそんな精神状態を保てるのかという疑問である。しかしその顔は如実にそれを示していたのだ。この二人をどうみるかはまた人によって違うのだ。横井庄一さんに人間味を感じていと思う人もいるし小野田さんはちょっと怖いとか思う人もでてくる。どっちかというと私の場合は横井庄一さんの方が人間味があっていいとなる。軍人の鏡のような人がまた日本を指導するようになると自分には耐えられないとなる。

30人に満たない小さな部隊の兵たちがこれほどまでに困窮しても、
士官以上の3人には、白い米の飯が一日3食当たった。
さらに、島を流れる小さな川にいるウナギやエビは士官専用で、
兵士たちの口には入らない。
上下関係が厳しく、上官の命令は絶対で、部下が逆らうなど論外だ。

しかし、状況はますます悪化。
最初は穴を掘って葬っていた戦友の遺体を、
穴堀りの体力もなく幕舎横の谷に落とした。
明日はわが身と、だれもが感じていた。
「でもせめて、最期に腹いっぱい、米の飯が食いたい」。
極限のなか、兵士たちの思いが一つになった。

士官たちから米を奪ったその夜、兵士たちに久しぶりの笑顔が戻った。あと何度かは、食べられる。


http://plaza.rakuten.co.jp/375375/13003

上官と下士官には明確な差があった。それがいよいよ追い詰められると上官も下士官もなくなった。生きるためには上官もない、食わねば死んでしまうのだからそんなとき階級差なんか関係なくなる、人間の極限状態を生きてみなければわからない凄まじさである。戦争は経験してみなければわからない異様な世界である。信じられない残酷なことが日常的に行われる世界だから人間的感覚も麻痺してくる。ともかく上官の命令は全体であり従わねば厳罰に処せられる。軍隊とはそうした厳しい世界なのだ。当然絶えず命の危険にさらされているのだから通常の感覚では生きていけないからだ。まさに地獄を生きねばならぬ世界なのだ。戦争のことを余り語りたくないのは人を無惨に殺したりしているからそれを思い出したくないし語りたくないというのがある。植民地解放戦争だったとか賛美していれば楽なのである。しかし現実は人を殺したことが忘れられない悪夢なって罪悪感となって蘇ってくるから語りたくないし思い出したくないのである。しかしそこを語らないと戦争の真実はわからないのだ。

小野田少尉はそうした戦争と軍人の厳しさをジャングルで20年間維持してきたから驚いたのである。宮本武蔵のような存在だったのだ。それに比べ逆に横井庄一さんは全然違っていた。戦争を余り感じられない何か飄々とした人間味ある人だった。彼の場合は戦争に日本国のために戦うとかそもそもなかった。ただ命令で徴集されたのでしかたなく従っただけである。一般的にそういう人が多かった。小野田少尉は最初からゲリラの訓練を受けていたとか何か心構えも違っていたのだ。上官と下士官ではそれだけ意識が違っていたともいえる。
いづれにしろ今回のフィリンピンの日本軍が生きているという騒ぎはまだ戦争が終わっていないということなのかもしれない、靖国問題でもそうでありあの戦争の始末はついていないのだ。まだ日本兵士の亡霊はジャングルを彷徨っているのだ。そしてまだジャングルで戦っていた人もいたということなのか、これはなんかうさんくさいものになってきたがやはり戦争というものが未だ終わらないことを示したニュ-スだったのだ。

小野田さんはまだ福島県の塙で「少年自然塾」を開き80歳になるが生きている。



戦争の敗北の原因は日本軍の内部の士気にもあった
(アメリカ軍の士気の方が高かった)



幕末にアメリカの船に乗った仙台の一藩士がその船の中で死んだ、そこで艦長以下すべてがその水兵を上官が下士官の弔いに自らでてきて悲しんでいる。このことにひどく感動した。それに比べると日本では足軽が死んだって、犬馬をと同じ扱いだった。
「故に上下の情日に薄く、却って彼に恥じること多し。」やたらややこしい礼儀作法などやっていてけどいたに上と下が信頼関係で結ばれているか、だからこそ、「緊急の節は、各力を尽くして身を忘る、。その国盛んなるもまた故あるなり」(樋口陽一-個人と国家)より


日本の軍隊は上官と下士官の差が厳然としていて封建時代の武士と足軽のような関係にあった。学徒出陣した学生も「お前らより弾丸の玉の方が大事だと・・」か言われたり日本軍には上下の信頼関係が希薄だった。何か上からの一方的押しつけが強制が大きかったのだ。日本軍が負けた原因はいろいろ言う人がいるし立派な上官もいた。ただ江戸時代からの日本人の伝統がなお生きていたのかアメリカ人のような平民的感覚はなかった。侍の世界は一面、格式とか礼儀作法がうるさい自由のない社会だった。これは江戸時代の否定的側面である。必ず社会にはいい面と悪い面がでてくるのだ。結局日本軍の士気は実際は強制されたものであり上官と下士官の乖離は信頼関係がなかったことはその当時の体験者が語っているから間違いない、アメリカ軍の方が実際は士気が高いことが敗北の原因の一つだった。戦争とかには技術力だけではない士気がかなり影響している。それを示したのがベトナム戦争だったからだ。真珠湾攻撃からアメリカ軍の士気が高いし日本軍は実際は自主的に戦争に参加した人は一部の軍部出身者でありそれらは国民を強制的に徴集して奴隷のごとく戦争させたのである。

日清日露戦争までは軍人でも乃木大将のような侍感覚の人が伝統的に残っていてロシア人もその人物に感心して和議が結ばれた。ここまではそれなりに戦争にも人間的なものがあったのだ。ただ第二次世界戦争以後は科学物量戦争であり人間的なものが喪失していった。戦争の是非はともかくなぜ日本は戦争に負けたとかなると単に物量で負けたというのではなく士気も大きく作用していた。アメリカ軍自主的個々人が日本に戦いを挑んできたのだ。日本の戦争は自主的なものではなく大方は強制されたものであり上官と下士官は信頼がなかった。もし信頼関係があれば敗走するジャングルでも助け合うということがありえた。それが下士官が死にかかっても自分たちだけは米を食って助かろうとしていたというからこれはやはり日本軍そのものに問題があったのだ。こういう世界では士気は生まれない、戦う気力もなくなる。日本人の体質として伝統として先輩とか後輩関係の体育系の厳しさがあり初年兵は徹底的にしごかれるとか尼崎の電車事故のように日勤教育じしごけばいいとかそうした上下関係でありそれが戦争にも影響していたのだ。ただ軍隊多かれ少なかれ上下関係が厳しい、それでもアメリカ人は上下関係は厳しくても日本人の上下関係とは違っていたのである。

ともかく戦争にもいろいろな見方があり一概には言えない、しかしあの戦争の一面として日本軍隊の上下関係の信頼のなさ、同胞に対する非情さがあったことは確かである。戦友と言うとき下士官同士では篤い情があっても上官を今でも恨んでいる人がかなりいる。そこに日本軍の大きな欠陥があったのである。これは中国に通じている。中国があのような大国なのに戦争に弱いのか?軍隊がそもそも国のためにとか戦う気がうすい、そこでいくら数を集めても士気が高くならない。そして国内ではいつも上下の身分関係が極端であり王朝政府であり民は奴隷にすぎなかったのである。今でも貧富の差が極端だから国のために戦うとかの士気はうすい、日本人は一応天皇のためにとか軍隊自体に欠陥があっても中国よりはましだから日清戦争とかでも勝ったのである。戦争を国と国の総力戦だから国のいい面と悪い面が前面にでてくるのだ。技術とか物量とかだけでは必ずしも戦争には勝てない、士気が大きく作用してくる。これは別に平和時でも同じである。日本人の士気が弱まれば経済もあらゆるものも衰退してゆくのだ。日本は経済的には繁栄しても明らかに士気が弱くなっている。明治時代は貧乏でも西欧列強に対抗するということで一番士気が高っかったからあれだけのことを成し遂げたのである。



日本人の川への意識が文化を作った

●文明は河から作られた

世界最古の文明がナイル川、メソ・ポタミア(河の間)、インダス河、黄河から生まれたということは河が文明を作ったのである。最初の都市は河岸にあった。エジプト文明のピラミッドもナイル河に通じている神殿だった。神殿も河と切り離されず河と一体となってあったのだ。ナイルとかインダスとかインドのガンジス河の名前はすべて国の言葉でカワの意味だった。エジプト文明を作ったのはナイルの恵みというごとくインド文明のヒンズ-教もガンジスの神話からなるから河の文明なのだ。エデンの園には四つの河が流れていたというのもそれを暗示するものであった。この大陸の河は日本の川とはまるで違ったものであるから日本では河の文明を理解できない、日本にないものがこの雄大な河であり砂漠などである。これは日本にないから理解できないのだ。日本の川は川でなく側だという。日本人には河という意識はない、川とは向こう側とか山側とか海側とか意識するのであり一本の長い川を意識していないのだ。

●河はガワ(側)だった(瀬が川であった)

川がガワとするとき川の一部分を意識したのである。だから川がどういう状態にあるのかかが問題だったし意識された。早く流れていると早瀬であり荒い瀬は荒瀬であり淀んでいると淀川となり岩にそって流れていると岩瀬であり広瀬であり瀬高は高いところを早く流れる瀬であり多くの瀬があるから百瀬であり飛瀬(ひせ)は飛び飛びにある瀬であり深瀬は深い瀬であり「隠国の泊瀬の国に・・・」というのも瀬であり激しく瀬になって流れている上流の川である。清い瀬であれば清瀬であり渡良瀬とあれば渡る瀬であり無数の瀬とつく地名や名字が日本にはある。
 
“昔、富士山の古期溶岩が潤井川の流れをふさいで、(仮称)天間湖ができました。たまった大量の水は瀬をつくって下流へ流れたので、この付近を入山瀬と呼んだという説があります

日本では川が滝だと外国人に言われたように山からでも滝のように水が流れだしてくるからだ。だから日本では一本の長い川として交通の川として川を意識していない、川は一部分の特徴をとって側(がわ)が川(カワ)になったのだ。これは海でも同じなのだ。瀬戸内海も海として川の瀬と同じように意識された。というのは瀬戸内海は潮流が早い、川のように潮が流れているから瀬でありその瀬の近くにある家々が瀬戸となったのである。

「瀬」とつく地名は日本でもよく見かける。例えば、瀬戸内、五ケ瀬、天ケ瀬、名瀬……。地名から考えると、陸と陸の間の狭くなった海峡、河川では水深の浅いところ、というわけだろうか。

日本人の川の意識は四大文明が育んだとてつもなく長い川ではない、一区画としての川の意識なのである。「ゆく川の流れは絶えずしてもとの水にあらず・・・」というときもとの水ではなくもとの(瀬)にあらずなのだ。瀬は絶えず変わっているからだ。川とは変わる-カワ・ルなのだ。

●日本人の文化は変わる瀬から作られた

明日香川七瀬の淀に棲む鳥も心あれこそ波立てざらめ

飛ぶ鳥 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ

飛ぶ鳥 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡す 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 

飛鳥川淵は瀬になる世なりとも思ひそめてむ人はわすれじ

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵は今日の瀬となる


飛鳥川は小さな小川でありそこで意識されるのは絶えず変化している瀬なのである。七瀬の淀があっても波よたってくれるなと言っても常に瀬は波だって流れる、それが日本の川である。大陸の大河では岸辺がこんなに変化することはない、瀬とは浅瀬のことでありこれは川を渡るために意識されたから牛(オックスフォ-ド)が渡るのにいいとか猫がわたるのにいいとか名づけられた。岸辺の瀬についてではないのだ。日本人が何かにせかされる、絶えず変化を求め変化の中にあるのはこうした川とかの影響が大きいのだ。自然が心に影響してそうなっているのだ。セカスとかいうのも瀬からきている。何かに絶えずせかされるのもこのためである。JRの一分一秒をせかされるのも瀬のように絶えず早い流れのなかにあるのが日本人にあっているからなのか、大陸の雄大な河が文明を作ったというときまた日本人の川も日本人の心を作ったのである。

君により言の繁きを故郷の明日香の川に禊ぎしにゆく

禊ぎするのはこうした早く流れる瀬でありこれは常にもとの水にあらずで清い水が流れる川の瀬なのである。それで禊ぎすれば罪は流せるというのが日本人の文化になったのだから川が文化を作るというのも日本人にもあてはまるのだ。なぜ日本はこれほど変わりやすいのかというと変化を求めるのかというとこの自然環境と不可分に結びついている。何か恒久的文明を作るのに向いていないのだ。例えばエジプト文明三千年とか中国文明何千年とかヨ-ロッパでもロ-マ帝国は東西に分裂して東ロ-マ消滅したのが五〇〇年前であり神聖ロ-マ帝国は二〇〇年前でありその子孫はオ-ストリアに生きているとかこうした時間感覚がもてないのだ。江戸幕府三〇〇年は世界史のスケ-ルでは非常に短い時間なのである。それでも日本にとっては一番長い歴史が作られた時間なのである。

●日本人は今が大事(反省、歴史認識を重視しない)

日本人にとっての時間は今が大事なのだ。過去は水に流せばよい、瀬に禊ぎして流せば罪は消えるとなる。戦争についても過去は過去、今が大事だという意見が多い、今韓国、中国に過去のことで歴史のことでとやかく責められる必要はない、その策略にのってはいけないとかあれだけの過去の大事件でも水に流してしまうという感覚がある。中国が靖国になぜこだわるのか、やはり中国は歴史の国だから歴史認識にこだわる。日本は中国に言われるからでなくそもそも過去の歴史を反省とかぬきでも戦争の起きた経過など正確に把握している人はまれである。東条秀樹首相が真珠湾攻撃を知らなかったというのは信じられないことである。一国の首相が宣戦布告を知らずにいたというのだからこれは戦争そのものが勝手に軍部の暴走ではじまったということ自体大変な国民をないがしろにした戦争だったとなる。軍部の責任は重いとなるはずだがほとんど軍部の責任とか軍部が何をしたのかなどうやむやにされている。ただA級戦犯とか分祀しろというがなぜA級がありB級があるのかもわからないのだ。誰がA級なのか?東条秀樹首相がそうなのかと問いばそうでもないことがわかる。そんな小手先のことでやはり歴史を見直すことはできない、やはり日本人自身で戦争の歴史を正しく知るということからはじめないかぎりいつまでたっても英霊として祀り美化するだけで戦争の真実はわからないし日本人自身で戦争に決着つけることはできず感傷的なものとしてしか戦争を見ない、死んだらみんな仏だ神だであとは禊ぎして祈るだけで終わってしまう。

●日本語には過去完了とか過去進行形などがない
(歴史的時間形成の時間区分、連続性の不足)

それも今だけを重視する日本人の文化だとなる。刺し身のように生ものをキのものを重視する文化もそうである。日本人にとって季節的に旬なもの今とれたものが一番いいのである。過去は水に流すものとして意識化されず忘れることがいいのである。ヨ-ロッパとか中国では過去は歴史は大きな意味をもって今も刻印されている。石の文化ということもある。過去から歴史から構築するものをもっている。日本人にはそれがない、木の家はたちまち焼けた消失してまたすぐに家を建てる、石のように恒久的なものが残らない、歴史が消失してしまうから一面危険である。未来は常に過去から来るのてあり今と未来の時間からはこない、英語が時世にこだわるのも時間の区分が過去にしても過去完了とかいろいろあるのもやはり時間に対する認識の相違が文化的にある。過去完了がありすぐ前の過去がある。過去完了は過去として変わらない石の建築のようなものである。それは永遠不動のように存在する歴史の過去なのだ。それは今に生きつづけ未来を作るのである。その一つの試みがEU共同体だったのだ。それは悠久の歴史の過去である。日本人の文化には今という時間しかない、過去に重きをおかない瀬のように絶えず変わり流れる文化であることは一面危険である。


過去完了⇒過去⇒過去進行形とか時間は過去⇒現在⇒未来というだけではなく時間にも区分があり連続がある。この時世は時間によって形成されてゆく物事を言葉が示している。ここに時間によって形成されてゆく歴史的時間が示されているのだ。日本語のように単に過去⇒現在⇒未来という単純なものではなく歴史はこうして区分された段階化された積み重ねられた時間の中で構築され連続なものとして意識されるのである。時間のとらえ方が重層的であるから歴史も連続した重層的なものとして構築できるのである。


英語の第二公用語化について考える

(ここによると日本語には現在の状況を報告することであり過去から未来を構築することができない、未来はかくあるべきだということが構築できない、未来の時世も大事なのは未来も順を追って明確にかくあるべきものとして目的化されるものだからである。これは明らかに憲法とか法律に深く関係している。法の原理は過去から現在、そして未来を構築する中で作られる。EUの共同体の憲法も挫折したとしても未来を提示しているものなのだ。

失われた川の文明へ



参考(川を知る事典)-鈴木理生
川は側であったという主張が新鮮な視点



未来(will)時世がない日本の言葉
(寺嶋氏の意見の英語論の検討)

●日本語には意志的に計画的に達成する未来形がない

寺島氏によると英語では未来時世が大事だという。willが意志のごとく未来は意志でもって達成されるものである。日本にはこの未来時世が欠けている。未来にも未来進行形とか未来完了形とかあるように未来は段階的に達成されるべきものである。その未来は日本だとムスとかアレルとかナルになる。それは植物的志向である。人の意志が加わらないで自然とナル(成る)のだから人々の未来への意志(will)は必要でなくなる。日本人にはそうした明確に未来を形作るwill(意志)がない、戦争すら人々の意志で成されたものではない、自然と戦争が起こり成ったのだ。また戦争という全く人為的なものですら自然に成ると考えた。だから神風で勝つとか神まかせ他人まかせにになる。自然にナルに(成る)ものには誰も責任はない、責任は自然にあるとなる。だから誰も戦争の責任は問わない、戦争とは自然に成ったものだからだ。そして負けても多大な犠牲がでてもその人たちは死んでみんな自然に神になり仏と成ったとなり終わってしまう。日本語には現在の状況を報告することであり過去から未来を構築することができない、未来は人の意志によりかくあるべきだということが構築すべきものである。未来の時世も大事なのは未来も順を追って明確にかくあるべきものとして目的化されるものだからである。

これは明らかに憲法とか法律に深く関係している。法の原理は過去から現在、そして未来を構築する中で作られる。EUの共同体の憲法も挫折したとしても未来を提示しているものなのだ。法律は過去の人間の経験を土台として現在からさらに未来へのビジョンを提示して明確に設計してその達成のための意志(will)を作ることなのである。それが理想であってもかくあるべきだということを提示できただけでもその達成されるものが現に存在するのだから具体的に励むことできるしそのために努力することは意義あることになる。日本のように戦争という大事でさえただ自然に成るものとしたらこの多大な犠牲は誰のせいなのか?自然なのか日本の神なのかとなり日本人そのものには責任がないとなる。人間が犯したものでありその人間に過ちがありその人間を正さねばこの莫大な人命の犠牲の歴史は後世の教訓や戒めにならない、これは他国に言われるからではなく日本人自身が正すべきものでありまた中国でも韓国でもアメリカでも日本から見れば正すべきものがあるのだ。

●英語では時間は過去から現在さらに未来へ継続している

I
had built my house.(過去完了)

I had been builting my house.(過去完了進行形)

I had my house.(過去)

I built my house.(現在)

I have built my house,(現在完了)

I will built my house.(未来)

I will have been builting my house.(未来完了進行形)

I will have built my house.(未来完了)


日本語に未来形がないというのは確かにそうである。「家を建てる」というとき今家を建てるのでありそれはまた未来形にもなっている。「家を建てた」「家を建てる」この二つの時世しか日本語にはない、「家を建てるだろう」という未来形は日本語には本来なかった。この中で誰が家を建てるのかという主語が常に欠けている。主語ないことは誰かが建てる、私という意志なくして自然に家が建つという感覚になる。英語では時間とは過去からさらにその過去まで継続した時間や現在も現在完了としてさらに未来も常に進行形があって時間が継続したものとしてとらえる。過去は終わった過去ではない常に現在へと継続した時間として存在していることは過去は今に生きてその過去から明確な意志(will)として未来は人間が主体となって形成されるものである。言葉の相違は明らかに根本的な文化文明の相違なのである。日本人は戦争というのが誰が主体ではじめたのかもわからない、戦争すら自然に成ったという感覚なのである。つまり言葉自体に主体となる主語が必ず欠けているからだ。神道というのもこうした日本の主語のない宗教である。どこに神がいるのかもわからない神なのである。一神教では明確に唯一の神が主語でありこの世は神によって作られたものだから神の意志が明確に働き神の意志は達成されるべきものとしてある。自然に成る(なる)とかいう感覚ではないのだ。

寺嶋氏の英語論



アジア圏は翻訳で不利だ

●将棋24のチャット

minelva > soy japones dnde vive ciudad de mexico
minelva > eres muy buen jugador de shogi
Sr.Carlos > soy tambien japones
Sr.Carlos > pero voy a trabajar en argentina
minelva > porque habra espa;or
Sr.Carlos > hablo un poquito.
Sr.Carlos > Ceo que es facil de pronunciar para japoneces
minelva > que lastima porque vine mexico un dia para jugar shogi conmigo
Sr.Carlos > Creo
Sr.Carlos > Ah shi!!
Sr.Carlos > Como es la vida de mexico?
minelva > trabajas algun empresa japones
Sr.Carlos > Si
minelva > muy interesante muchacha binita y muchos bloncas todos los dias
minelva > que empresa es si podria saver
Sr.Carlos > Bueno
minelva > tengo que irme
Sr.Carlos > Oi que la seguridad de mexico es peligro.
Sr.Carlos > Gracias
minelva > muchas gracias su atencion y buena suerte
Sr.Carlos > Igualmente

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
minelva > I am japones dnde lives city of mexico
minelva> you are very good player of shogi
Sr.Carlos >I am also japones
Sr.Carlos> but I am going to work in Argentinean
minelva> because habra espa;or
Sr.Carlos> I speak just a little bit.
Sr.Carlos >Ceo that is facil to pronounce for japoneces
minelva> that hurts because I came mexico a day to play shogi with me Sr.Carlos> Creo Sr.Carlos Ah shi!
Sr.Carlos As it is the mexico life?
minelva> you work algun company japones
Sr.Carlos >If minelva very interesting binita girl and many bloncas all the days
minelva >that company is if podria to saver Good Sr.Carlos
minelva >I must go
Sr.Carlos >to me Oi that the mexico security is danger.
Sr.Carlos >Thanks
minelva> thank you very much its attention and good
Sr.Carlos >luck Also

インタ-ネット社会になるとボ-ダレスに人と交わることにもなる。その最大の障害が言葉なのだ。将棋24では時々外人が参加している。この人は日本人なのだけどスペイン語を話す人である。もう一人はメキシコ人なのだろう。これを機械翻訳したら英語だとかなり正確な訳になる。7、8割は正確である。そもそもアルファベット系は東欧でもロシア語でも語順もにているしアルファベットだから翻訳は正確になるし精密度がましてゆけばますます正確になる。アジア圏は言葉の障害が大きいからEUのような共同体作りがむずかしい。でもインドのスリランカの人がこの町に来て働いていたがシンハリ語というのは字は独特だが語順や文法は英語とにている。主語+動詞であり動詞は主格によって変化するのだ。同じインド・ヨ-ロッパ語族だからそうなる。アイヌ語のほんの一部も主格によって動詞が変化していた。ということはインド・ヨ-ロッパ語族ということも考えられる。日本語は全然違う、あまりにも英語とは違いすぎるから英語が習得できないのだ。世界の大勢はインド・ヨ-ロッパ語族でありアルファベットである。南アメリカ、メキシコやブラジルでもスペイン系とポルトガル系だし今やアメリカはスペイン語を半分しゃべっているとかスペイン系がかなり入っている。でもスペイン語でも機械翻訳では語順はにているし翻訳しやすいのだ。東欧語でもそうである。言葉の点で国際化しやすいから共同しやすいとなる。

種子島にポルトガル人が鉄砲を伝えた時、通訳はポルトガル語→中国語→日本語になった。中国人が通訳になっていたのだ。漢字はベトナムでも使っていたし一時アジアの共通語になった。ただこの漢字はかなりむずかしいから困る。それで韓国ではハングルにした。アジアの言葉はインド・ヨ-ロッパ語族系統のアルファベットの言葉に翻訳するのが語順的にもむずかしいのだ。英語系統は数学のように共通化しやすいのだ。英語公用化論というのもわかるがそもそも英語と日本語を両方を日本にいて習得できるのかどうかむずかしい問題である。英語から日本語に翻訳すること自体がかえって英語を理解できなくさせているというのは語順が違ったりそもそもの成り立ちが違っているからである。英語系統の言葉は限りなく機械翻訳化できるのだ。ただインタ-ネット時代にはこの共通語の問題が切実となる。外国を知るにしてもインタ-ネットでは言葉の障害で交流できないのである。一部哲学者がアメリカのネットに参加して哲学論議しているとか読んで驚いた。哲学となるとさらにむずかしいからそんなことできるのかと思った。しかしインタ-ネット時代は言葉の障害さえなければそういうことも簡単にできるのだ。実際に中国語とか言葉をできる人はやっているのだ。そこから新しい見方が生まれることがありうる。直接外国人と話すことは限られた人達だから外国の情報はメデア通して入ってきたからその受け売りになり自分なりに解釈できないのが弱点だったからである。



祭りの意義(砂糖は貴重だった)

田舎では、何かというと砂糖が配られる。
これは遙か昔、砂糖が貴重品だった時代の名残だ。
結婚式、法事、快気祝い、誕生祝いの返し、祭りの参加賞・・・。
そのおかげで、田舎では砂糖を買わなくてもいいが、古くなってカチカチになった砂糖だらけだ。
ある地方では法事の際の会食のみそ汁にまで砂糖を入れる。
今では砂糖なんかスーパーの目玉で、一袋100円もしないというのに。
それだけ田舎では変化への認識が遅いと言うことだ。


2ちゃんねるの田舎暮らしはパラダイスか(社会批評)というスレでの発言だった。この話が何を物語っているかというと砂糖というのは最初は薬であり貴重なものであった。会津と新潟の境の津川にも砂糖屋というのがあってその砂糖は大坂の堺から船で運ばれてきたものでありさらに堺では中国から砂糖を仕入れていた。そんな遠くから来た砂糖は塩より貴重なものだった。だからこその貴重な砂糖を祭りの日にだけ配り味わったのだ。そういう砂糖の歴史があり砂糖が貴重だった時代が祭りとして残されている。だからこそ祭りの日に砂糖を配る意義がある。今の時代砂糖なんか安くていくらでも手に入るじゃないかとなるがそれは今の時代だからであり砂糖が特別貴重だった時代を偲ぶために砂糖を貴重なものとして配る。それを変えてしまったら祭りの意義はなくなる。祭りにはそうした歴史を伝える伝承する意義があるのだ。そして祭りの起源は非常に古いのだ。祭りにそっくり歴史が保存されていることがあるのだ。ただこれもヨサコイ祭りなどは全く地方の歴史に根づいたものではないから歴史的伝承とか祭りの意義はないのだ。

(あの小判で何が買えたの?)
http://www.hirax.net/dekirukana5/value/

ここの研究によると砂糖は夜鷹より数倍高いものになっている。日本なら最低でも一万以上払わないと女は買いない、外国人は安くなるにしても日本では高い、カンボジアでは5ドルだが日本では高くなるのだ。それにしても夜鷹の安さは異常だ。夜泣きソバと同じくらいの値段だったとは考えられない。カンボジアなみだった。そんなにまでして身を売るということは貧乏な人がカンボジアのようにいたのである。ともかく砂糖はそれほど高価なものだったのだ。だからその貴重な砂糖をみそ汁まで入れて祭りの日だけは特別味わったのである。塩も貴重でありアフリカでは金と交換されているほど貴重だった。物の価値は時代によって変わる。ともかく祭りの意義は後世に歴史を伝えることである。砂糖がそれだけ貴重だったということを再確認して物を粗末にしていけないとか当時の暮らしを偲ぶのである。伝統的なものにはそうした意味はわからなくなっても貴重なものが伝えられているのだ。だから古くからあるものを簡単に捨て去ることには問題がある。もちろん古いものだけに固執するのもよくない、新しいものを取り入れることは必要である。しかし古いものがあって新しいものがある事を常に知らねばならない、それがなくなると人間の生活は今だけが問題になり浅薄なものとなってしまう。物事は歴史の時間軸で考えることが常に必要なのだ。

卵が食えなかった時代とかここでも書いたが先人がいかに食うことに苦労したかを知るべきである。仏様とかにあげる供え物は実は昔の人が食えなかったからこそお供えする。お供え物とかにも長い人間の歴史の中で継続された深い意味がある。だからこのお供え物を誰も食わないし腐れるだけだから盗んでもいいという遍路のホ-ムレスとかの言い分には問題がある。私の経験としては仏様に供えるものは仏様に死者に先祖に捧げた物だから勝手に他人が食っていいものかどうか問題なのである。私の経験として父が病気になっていたとき、カステラとかいろいろうまいものがありそれを勝手に食っていた。それで父がいつのまにかなくなっているとか言っていたし刺し身を満足に食えるようになったとき病気で食えなくなったとかあった。だから先祖に供え物するときそれはやたら食ってはならない、それは先祖に死者にささげた物であり死者は食わないにしても死者のものなのである。この食うことに関しては戦争中でも戦前でも相当貧乏な暮らしが普通であり今のように食えないことが普通だった。だから餓鬼のようにして死んでいった人はいくらでもいる。食いたい食いたいと死んでいった人がいくらでもいるのだ。戦争中なら20くらいで死んでゆくのだから生きたい生きたいという切ない叫びが今でも聞こえる。今なら砂糖などいくらでも食えるし他のものも食える、そして生きたい生きたいと若くして死んでいった人達がいるのに簡単に若くして死んでゆくというのは何なのだろうと思う。過去をふりかえればそういうことができないはずだからだ。

歴史は別にむずかしいものだけでなく日頃の卑近な生活の場にあるのだ。その生活の場に歴史が継承されていることが大事である。もちろん大きな歴史としての継承も大事である。ただまずこうした卑近な身近なところから歴史を学ぶということが大事である。それはより身近なものとなるからだ。社会というのはやはり老人、壮年、青年、子供と構成されておりそれぞれに役目がある。2ちゃんねるは青年だけの場になっていて若い者だけ盛り上がっていて壮年とか老人が入る余地がないからかたよった場でありこうした馬鹿げた発言を諭す人間もいないから社会とはいえないのである。老人も気軽発言できるような場でないと社会とは言えないから問題なのだ。



人権擁護法案にメ-ルで抗議



この日本に、厳然として存在する社会矛盾・不公正な現実、それらを固守して恥じる事のないいくつもの集団や思想。
不思議な事に、いわゆるコンピュータネットワーク、インターネットによる個人同士の声なき声が重なり合うまで、これらの現実は全く現実として捉えられず、人々の目から隠されてきたように思います。


人権擁護法案反対は何なのか良くわからなかったがインタ-ネットとと関係あった。2ちゃんねるなどの行き過ぎた言論の規制だった。確かに行き過ぎがあってもこれはインタ-ネットの言論そのものへの規制へとつながるその動機も創価とか他の組織団体のためのものである。今の民主主義は余りにも組織団体のためになりすぎている。組織団体に属しない人も相当数いるのだがこれらの声は反映しにくい、政治家もこれらの声を取り上げない、というのは具体的な票とかに結びつかないからだ。政治家の生命は選挙にあり選挙が生殺与奪権を持つとなるとどうしても組織団体の意向に従わざるをえない、そこをついてくるのが創価である。選挙で応援されないと当選できないとなると従わざるをえず自民は公明の言いなりになる。民主主義は組織団体の意向ばかり尊重するとゆがめられる。組織団体に属さないものは正しい主張しても無視されるのだ。組織団体は何をしてもいいとなり警察と手を組んで犯罪までできるようになってしまう恐怖がある。

ともかく人権擁護法案反対のために政治家三人に抗議のメ-ルを送った。これも今回効果があるかどうかわからないがインタ-ネットでも政治活動できるしできやすくすることが必要だ。そうすると組織に属さない個々人の声も政治に反映されることになる。組織に属さない人の声も無視されなくなるのだ。インタ-ネットはその武器になるのだ。リアルタイムで宣伝できる、放送し連絡できる。盛んにインタ-ネットで人権擁護法案反対を呼びかけ集会もそれなりに盛況みたいだったからインタ-ネットの呼びかけも力を発揮したかもしれない、ただ自分としては政治活動は表だってしたくない、どうしても党派に組み入れられるから政治活動を嫌がる人はインタ-ネットで発言する人にもかなりいる。インタ-ネットでは党派化されることが嫌いな人がもともと多かったのだ。政治活動も組織で活動する人だけでなく個々人にも軽く参加させるようなシステムが必要である。団体とか組織に入らないと政治活動ができないければ今までのように政治には無関心にならざるをえないし組織団体の意向にそったものとなる。メ-ルを送ったりその時々インタ-ネットの掲示板で発言したりするのは楽だしそれでも政治参加で多少効果あるとなるとそれなりに政治に興味を持ち参加型の民主主義になる。インタ-ネットの言論は民主主義を促進するのだ。

国会で審議されている法案などにもほとんどの人は関心がない、でもインタ-ネットで論議したりしていると関心を持つのである。今回の法案はインタ-ネットでの自由な言論が制限される、2ちゃんねるがつぶされるとかで多少危機感をいだき具体的なメ-ルの抗議とか一部集会にも参加をうながした。地方では集会に参加できなかったがメ-ルで抗議した人もかなりでてきた。ここに参加型の民主主義がインタ-ネットに実行された。インタ-ネットはリアルタイムで呼びかけるのに向いているから功を奏することがある。どこで集会あるのかもどこに訴えていいのかわからないのも今までの世界だった。インタ-ネット上から呼びかければそれなりの数が集まることがある。今や3千万人がブロ-ドバンドに接続しているとなると呼びかければかなりの効果がある時代になっている。インタ-ネットがマスコミ一辺倒の組織団体一辺倒の時代を変えるかもしれない、そういう一歩でもありうる。だからメ-ルで抗議したのである。

桜ちゃんねるで人権擁護法案の議論

桜ちゃんねるで人権擁護法案のこと詳しく説明していた。なぜこのような理不尽なものが法案として成立しようとしていたのか?在日や外国人や創価公明の意図が見え見えである。あいつは人権を侵害していると密告されるとたちまち強権的にとりしまり何も言えなくなる。三権分立意外の別な権力が憲兵のように生まれてくるという恐怖である。こういう法案がメデアで報道されずに実行されようとしたこと自体、今のマスコミ報道がすでに国民にとって一番大事なことすら報道されない自由な報道の機能を失っているのだ。創価に反対できるメデアがすでにないことが如実に証明している。ささいなことで因縁つけられ社会から抹殺される危険な法案だった。共産党すら反対している法案だった。こういう民主主義の根幹をゆるがす問題が議論すら告知すらされないというのがそれをすでに如実に物語っているのだ。私は右の団体とかにも左の団体にも属していない、でも今回だけは言論問題だったので自分に直接関係あると感じたのでメ-ルで抗議したのであり集会にも参加さえしたくなった。インタ-ネットの発言すら検閲されとりしまり警察権力だけではない第4の権力、憲兵のようなもので取り締まれるという外国ではありえない中国や北朝鮮と同じ社会になるという危険な法案だった。それが国民に良く知らされずに議論もなく通されるようとしたことは民主主義社会とは思えないことだった。マスコミはネットを良く思わないからネットをつぶして自分たちだけが報道する権利を持つというのも許されないことである。そんなことのために報道すらしないのは余りにも自分たちの利益ばかり考えて社会全体のことを考えないことにマスコミへの不信がつのった。マスコミでは国民にとって重大なことが報道されないことがある。これこそ言論の自由を根幹とする民主主義の危機だ



四国は溜め池の国(深刻になる水不足)

●日本の始まりは県(アガタ)(英賀、上田・・・)

播磨風土器に「英賀里(土 中の上)右 英賀と称えるは、伊和大神の子、阿賀比古・阿賀比売二柱、此処に在しき、故れ神の 名によりて里の名と為す」とあり、その創建は実に遠く神代にあります。彦姫二神は 御祖神大国主神(伊和大神)の播磨御経営に当り、英賀の地を根拠として、播磨灘沿 岸地域を開拓創始し、英賀国を修り固め成して庶民安堵の楽土を建設せられたのであ ります

この英賀(あが)は県(上田)のことである。先祖が県(上田)に住んで米を作っていたのだ。県(あがた)が最初の国になったのはそこは水を利用する稲作に適した場所だったからである。稲作には水が一番大事なものなのだ。山からの水は一番いい水であり水がいいからいい米がとれる。東北の米がいいのは水がいいからである。水がいいところは山田とか小山田とか山際にあるところなのだ。そして日本では水が大事だから古来から水争いがあった。

揖保郡・出水の里(いづみ)・美奈志川(みなし)(龍野市揖西町)
伊和大神のみ子石龍比古命と妻の妹石龍比売命と二人の神が、水争いをしている。祝田神社「石龍比古命、石龍比売命」

これは出水(いずみ)は水の豊富なところであり美奈志川(みなし)は水無しの里だからここで水争いがいつも起きていた。水争いは宿命的に稲作社会では起こる。水争いのためには命をかけるとか水が日本でも命だった。砂漠は水がまさに命であり水は日本より貴重である。水一滴が血の一滴ともなる。シリアとイスラエルの争いはヨルダン川の水争いでもあった。イスラエルは砂漠が半分であり水を利用して開拓して豊かにした土地なのだ。水はどこでも大事である。水は外国では買って飲んでいるし中国でも水不足が深刻な問題になる。砂漠化も深刻である。中国の半分が砂漠化するという予想もある。

●溜め池も自然の摂理に基づいて作られた

四国は水不足に苦しめられてきたからため池が多い、溜池の国である。河川が短く海に水が流れだしてしまうとか地形的な要因とか平地が少ないから水をためられないことがある。ここで私が注目したのが減反が溜め池を放置させ砂に埋もれたりして使いなくなった。溜め池が人工の池田から常に管理が必要なのだ。田には常に水の管理が必要であり森も山もそうであった。稲作が古来日本の自然を守ってきたというのは一理あるのだ。過度な工業化はどうしたって自然の摂理と合わないからそれが今回の水不足の原因となる。工業化には大量の水も必要だからである。溜め池を壊すことは水害になったりとか何かいろいろな不都合が生じてくる。溜め池も自然の摂理に基づいて作られていたのである。そしてダムがいいじゃないかとなるとこれも実際は水不足の万能薬ではない、様々な問題あるものなのだ。


だから辛うじて田舎には自然が残っている
共同体の存在が自然を保全してるんだから
自然だけ享受して共同体に敬意を払わないのは大きな間違い


これも一理あるな、香川県の渇水の一因にため池が減反で放置したとかも原因とか米作りはもともと水の利用が大事だったから米作りをないがしろにすると自然が保全されなるなることも確か
ダムだけに頼るのもいろいろ問題あるからな


http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/090/ (四国新聞)

いづれにしろ日本人が千年以上の歴史の中で営々と米作りしたことが日本の自然を守ってきた。米というのは世界的には水に恵まれたところしか作れない贅沢なものなのだ。他は麦だからだ。米作りは自ずと山の神が平地におりてきて稲作が山の神を重んじるのはやはり山が水を供給する大事な場所だったからだ。水はさらに川を通じて枯れ葉などを運び海に流れ海を滋養豊かな魚育み海も豊かにするのだ。水は地球を循環するからそうなる。工業化は水とか土とかをないがしろにしやすい、化学肥料で土は疲弊しているし水も過度に使いすぎ水の管理が自然の摂理からはずれそれが人間にもはねかえってくる。四国が溜め池の国だったというとき大きな古墳が大きな池の中にあるのは灌漑の池であり溜め池が古来から大事なものだった。溜め池の中に首長が先祖が祀られていたのだ。

●文明には火を盗んだプロメテウスの恐ろしい罰が

災害も自然の摂理から離れることからもたらされる。地震災害が都会で大きくなるのは正に大都会自体被害が大きくなるように作られているからだ。こう考えると減反は自然の摂理に反したものであり自然を荒廃させた。それは農民だけではなく日本で暮らすもの全体に影響がでる。現代のあらゆる問題は過度の工業化文明化の結果である。自然災害すら過度の文明化の結果である。中国が工業化し文明化すると石油であれ水であれなんであれ不足して資源が枯渇して地球自体滅びるとまでなっているのはそのためである。自然の智恵と文明の智恵は対立する。自然の智恵は人間を育むが文明の智恵は自然を滅ぼす、文明は常にそうした危険性がありこれは制御すべきものだった。だから火を盗んだプロメテウスの罰は最大の刑罰が課せられたのである。

自然環境問題でも政治問題でも科学問題でも今やいかに人間の文明の暴走を制御するかということこそ問題なのである。ファシズム問題もそうであり科学の暴走、核開発などもそうである。そうした恐るべきものが制御できない世界が現代の文明なのである。結局核開発は原子爆弾となって日本が実験場となり現実化したのだから科学がすべて人間に対していいとはならない、それは人類絶滅の恐るべき兵器ともなっているのだ。アダムが智恵のリンゴを食ってから人間に災いが与えられた。自らの智恵に頼るようになって災いが生まれたのだ。それは確かに人間に力を与えた。しかしその力は科学でもみな祝福されたものではなく呪いがふくまれていた。「神が・・・・するな」とタブ-化したこと制止したことを破ってきた結果、今日の文明を作った人間がある。そこに神の智恵から離れた人間の災いが作り出されたのである。


四国の川と生きる

http://www.soratoumi.com/river/essay1.htm

これはよくできている、詩的に語っているからだ。科学的なものも芸術的に表現すると受け入れやすくなる。科学だけでは無味乾燥になるのだ。科学と芸術を別々なものとすると世界が現代の文明である。過去の文明は科学と宗教でも芸術でも一体化していたからだ。



一極集中型管理の弊害(日本の風土には合わないダム)



●一極集中型管理の弊害

一極集中型管理、中央集権的政治とか管理は支配する側にたつといいのかもしれない、一方的におしつけることができるからだ。だからファシズムとか戦時体制ではそうなる。報道から経済からすべてが一極集中管理になり戦争を遂行することになる。共産党支配とかも一極集中でありすべての権力が共産党の一党支配になる。そこで鉄の団結とか誇ることになる。極端なのがこれは最終的にヒットラ-とか金日成とかフセインとか池田大作とか一人の人物が神ともなり支配することになる。それは一面権力としてまとまっているから一つの力として圧力を欠けることには有効である。これを水の管理と比べたときダムというのは川を一極管理する、川というのは無数の支流があり複雑なものがある。しかし川というものを一旦ダムでせき止め一つのダムで水を管理しようとするのがダムの役割である。つまり政治的経済的には一極集中型管理である。しかしこのダムにもいろいろ問題がある。ダムは百年で寿命がきれて劣化して建て直さねばならぬとかそのコストが今度は誰が負担するのかとか大量の土砂を運び自然を破壊するとかプラスだけではないマイナス面がかなりあるのだ。技術力で巨大なダムを作ることは自然を歪めるのだ。ナイル川のダムでも中国の長江ダムでも余りにもスケ-ルが大きいから必ず自然破壊が起きるしそれが予想もつかないものとなる。自然改造でありその影響は計り知れないのだ。巨大な河を一つのダムで水管理するという思想自体が技術的に可能でもそこにかなりのリスクがある。

●溜め池は民主主義的なもの

一方無数の溜め池で水を管理するのはいわば民主主義的でもある。溜め池はその土地土地の需要に応じて作られるのでありその小さな地域の要望から下からの要望で作られる。それは小さいものだがその土地に見合ったものとして作られる。だから社が建てられその土地の守り神として水を供給する。ところがダムというのはそうした小さな地域の要望とか関係なく巨大な一極集中型の水の管理なのだ。だからその水の管理は地域の要望を越えた大きなものとして管理されるから人々はダムに対して無力になるのだ。自分たちの手の届かないものとしてダムは水の管理者として支配することになるのだ。だからダムというのは溜め池を管理する水田を管理する農民より土木業者とか政治家とかが管理することになり水はそうしたものたちのものになってしまう。水は土木業者とか政治家によって農民から奪われたものになるのだ。現実に老朽化したらまた莫大な金を払いダムを作り直す必要がでて来る。溜め池は小さいからその土地で稲作している農民で修復して管理できるのである。

ダムというのは川をせき止める、川は本来は流れていることが自然である。川をせき止めることは自然の流を留めることでもあり弊害がでてくる。一見有効に見えてもそこからいろいろ弊害が生じてくる。自然は余り大きなものには手をつけない、そこは神の世界であり人間の及ばない世界である。ただ川下では人間の手を加えて土地を川を利用するのである。そうすれば自ずと自然の摂理にあった世界となり災害からもまねがれる。水不足もダムを作ったからといって改善できるものでもない、ダムにはそのあとでもいろいろな問題が起きてくる。ダムというのはやはり過度の工業化文明化による水の使いすぎがありこれ自体改善されなければ簡単には解決できない問題なのだ。明らかに日本の狭い稠密な風土では溜め池的なミクロ的な分散型の管理が向いている。だから八百万の神がある風土なのだ。これは分散型の管理なのである。大陸ではとてつもない平面が広がっているからそこでは大きな設計思想、建築が生まれた。日本の風土にはそうしたものは向いていないのだ。どうしても文化はその土地に風土に限定され作られるのである。

●自然の摂理は分散型管理


技術力の発達は一極集中型になりやすい、魚にしても技術力があるから一網打尽に魚を大量にとることができる、すると沿岸には魚はいなくなり遠洋漁業になり世界の魚までとり尽くしてしまうようになる。これが江戸時代だったら鯨ですら沿岸漁業で十分であり入江に追い込んでとっていたしそれでも二三日に一度とか鯨が来たというから鯨の資源が枯渇することなどありえなかったのである。資源は地域的に分散されてそこでとり尽くされるようなことはなかったのだ。一極集中型管理は自然の摂理にも反している。東京一極集中型の政治や経済も歪んでいるのもそのためである。インタ-ネットは一極集中型管理だと頂点のシステムを破壊すれば情報は遮断される。ところがインタ-ネットは軍事産業用に作られたから一カ所が破壊されてもアメ-バ-のようにつながり通信できるようになっているのだ。マスコミも実際は一極集中と変わりない情報システムであった。六局にしか電波の許可はないから常に百万以上の視聴者が見ていた。この数がどれほど凄いものかインタ-ネットで発信してみればわかる。百万倍の視聴率の差があるからいかに一極集中の情報システムだったかわかる。だからマスコミさえおさえれば情報はおさえられる、批判も抑えられたのだ。そこで重要な情報や案件さえ報道されないことがかなりあったのだ。支配者にとっては都合のいいものだったのである。

●グロ-バル化は国連の役割は増大させる

水の管理もダムという大きな技術力による一極集中型管理より溜め池というその土地の需要から民主主義的に小さなものが無数に作られる方が自然の摂理にも合っているのだ。つまり自然の摂理とまた人間の管理というか政治でも経済でも科学でも分散型管理の方が民主主義的であり自然の理にあっているのだ。だから東京とか大都会の一極集中型管理ではなく地方分散型へ経済も政治も文化もシフトする時代なのである。コ-ヒ-とか商品作物の単品生産が貧しい国を飢饉にしたことがある。ジャガイモだけを作ってジャガイモ飢饉となる。その土地で最低限の栄養を補給できる自給生産が必要なのだ。その上に商品作物を作ることができるのであり最初からコ-ヒ-だけとか売れるものを作ると飢饉になるからそれは自然の摂理に反したことなのである。ただセフティネットとして国連などがその代わりになっているから最悪の飢饉くらいは対処できるようにはなっている。ともかく自然の摂理は分散型自給生産消費が基本にあり一極集中型規格大量生産消費は自然の摂理に合わないからゆがめられたものになり災害ももたらすのだ。いづれにしろ世界がこう狭くなると食料管理機関とか環境保全局とか国連の役割も大きくなってくる。グロ-バル化はあらゆる面でそうした機構を要求している。どこかでばい菌が発生すればたちまち世界に広がったりするしすべての問題が世界的問題となり解決を迫られるのが現代なのである。

足羽川にダムはいらない
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3287/asuwa5.html



中国の水不足は深刻(中国問題の難しさ)

●体験に裏付けられた知識の説得力


四国などで水不足の問題書いてきたが日本はつくづく恵まれている。すぐにどしゃぶりの雨になり今度は洪水の心配になった。台風とかも来てなんとか水不足は解消する。これが中国とか世界だと深刻である。そこで注目したのが中国の大同で砂漠化を防ぐために緑化のために木を植えている仕事をしているNPOの人だった。この人のメルマガが訴えるものがあったのは体験の裏付けがある知識だったからだ。そのために普通の学者の人より説得力があったのだ。私自身も大同の石窟の石仏を見た。それより大同は石炭で有名だった。中国の主要な石炭の産地だったのだ。それで子供が顔が煤けていたのは石炭の産地のためだったのか昔の炭鉱住宅地がある街だった。とにかく中国の水事情は相当に悪い。

村の中心にほど近いところに、
 ヤナギの古木があり、
 その下が、小さな池になっていました。
 池というより、直径10mほどの、くぼみですね。
 汚れた水が、底に少々。
 ヒツジやヤギの糞だらけです。
 じつは、この水が、家畜の飲み水なんです。
 洗濯だって、この水でするというんですけど、
 逆効果じゃない?

 そういうようすをみて、秋田県出身の
 干場さんは、
 「日本には“水呑み百姓”という言い方があったけど、
 ここでは水も飲めないんだな」といいました。


「山は近くにあるけれど、煮炊きにつかう柴はなし。
 十の年を重ねれば、九年は旱(ひでり)で一年は大水」


水だけでも飲める百姓が水呑み百姓であるが中国は水さえ飲めないのだ。たいがいの川は泥川でありきれいな水が流れているのを見たことがない、羊は飼っている農家が多い、万里の長城を見ての帰りの村だった。万里の長城もその煉瓦が農民によって煉瓦が持ち去れているというのも今じゃ観光くらいで何の役にもたたないからだろう。黄土高原もそうである。昔は豊かな森があったらしいが今はない、ただ千里梅香るとか延々と梅は咲いていた。

羊山橋

荒地にわずかの草
羊追い今日も暮れぬ
川は涸れ羊山橋と山深く
夏の日ざし強く
貧しき一村
一老爺の労苦の皺
近くに万里長城あれど
そもまた労苦の象徴
その暮らしの変わらざり


●中国問題の難しさ


中国を理解することはむずかしい。とんでもない広さと人口の国だからだ。ただはじめて50才で一人で海外旅行した縁で書いている。「天に極楽あれば、 地に蘇州、杭州あり」というのは本当だろう。蘇州は中国では一番住みよい土地なのである。何故なら元の満州は寒いしモンゴルも寒いし豊かではない、中国が豊かだったのは海に面した温暖な地域である。

 
傾国の美女・唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた楊貴妃の好物といえばライチ。彼女のために玄宗皇帝が毎日、はるか南方から長安まで取り寄せていたという果物です。実は、そのライチの種子エキスには、美肌効果があることが明らかになってきました【提供 ヘルスライフビジネス】

南には豊富な果物がとれたし商業も盛んであり宋の国が栄えた。しかし宋は軍事的には軟弱だった。

この和平条件は、南宋が金に対して臣下の礼を取るという、今までと正反対の関係になり、しかも毎年宋が金に対し、金と絹を贈ることになりました。

この宋が日本でなじみなのは宋銭である。これについては貴族より平家が上にたった、源氏や東国より上にたった原因にもなっていた。宋銭を平家が握った故に経済を支配して権力を牛耳ることができた。宋の国の影響が日本に及ぼした一端である。

http://blog.goo.ne.jp/takahashikun_goo/e/abaf9803c97c2cbc87b42a22b2ebbab5

ともかく中国と日本との関係は深いのだが明治維新の欧米化以後中国は看過されてしまい歴史的にもわかりにくい国になってしまった。反日運動もあったがこれは中国各地で起きている農民暴動をみればわかる。反日は底辺農民のガスぬきであり深刻な問題は中国の水不足やらその貧困層の問題なのである。中国にはいろいろな問題が山積みである。エイズが増大しているのも恐怖である。百万人がすでにエイズとか信じられない数になる。その原因がアフリカとの交流にあったというのも意外であった。

特にアフリカで圧倒的な支持を得ている。中国もアフリカを自分の勢力下におこうとした。中国は1970年代からアフリカ諸国との積極的な人的交流を行った。中国は一説には数十万人のアフリカ人を研修生として受け入れた。また中国人の多くも共産党の命令でアフリカに強制移住させられた。つまりエイズの種はすでに30年以上前にまかれていた。中国に来た研修生の性欲処理からエイズが売春婦に移り一般の中国人に移っていった(ニュ-ヨ-クタイム)

アフリカ人のタレントも中国に研修生として留学してから日本に来ていたからなるほどと思った。グロ-バル化によるグロ-バル性交がエイズを蔓延させたのだからグロ-バル化の負の面も大きいのだ。エイズは地下に浸透して何十年後かに浮かび上がってくるから怖いし防ぎようがないのも怖い、それは神の罰のように人類に課せられたものである。中国には環境問題からエイズ問題、伝染病問題、水不足、砂漠化問題、政治的反日問題、石油資源争奪問題・・・・・あらゆる問題が中国にあるのだ。ただ外国を理解するのには肌で理解する必要がある。自分もまがりなりにも二回一人で旅行したから苦しかったけどもそれなりに理解するところがあったということである。

緑の地球ネットワ-ク
http://homepage3.nifty.com/gentree/index.html

ライチ(茘枝)



生態系の狂い(グロ−バリゼ-ションは生態系を破壊)

●外来種のアライグマは悪者



ヌキは田舎でなくても都市部の住宅地などにもいる。
初めて見かけたとき観察するには、ライトの先に赤いセロファンなどを被せ、赤い光を当てれば逃げない。 そして、ある程度人に馴れたらふつうの光を当てても大丈夫だ。それから徐々に馴らしていけば、まだ明るいうちに出てくるようになる。タヌキは雑食性で人間の食べるものなら、生の野菜を除いて何でも食べる。タヌキは農作物を荒らしたりして人に害を与えないから馴らしても大丈夫だ。くれぐれもアライグマを間違えて馴らさないように。アライグマはいろいろ悪さをする。


アライグマに関心をもったのは今日の福島民報に隣の原町市にアライグマが屋根裏に住んで水槽の熱帯魚をとったり作物を荒らしているということと石垣島にしか生息しないという「サキシマヒラタクワガタ」が中通りで発見されたというニュ-スである。この外からきたクワガタが土地のクワガタと交じると雑種ができて在来種がいなくなるかもしれないと危惧されている。前はハクビシンのことを言っていたしこれは交通事故なでで死んだのを見たことじえる。野生の狸は見たことがない、狸は悪さをしないいいやつだとなるが猿の被害も各地であり結構深刻になっている。


うちの近所で、農地を都市部の人に開放して家庭菜園などをさせている所があるが、せっかく作物が実っても、ほとんどを猿などに食べられてしまう。
地元民は他人の畑の 猿など追い払ったりしない。むしろ面白がって見ている。たとえそれが人間で、そこから野菜などを失敬しようとしている奴がいても注意もない。自分の畑以外には関心がないのだ。地元民にタダで日常の管理まで期待するのはムダだ。


都会の人たちにとって家庭菜園というのは一種のあこがれらしいが、山間部ではほとんど無理だ。収穫直前になると猿に食われてしまってほぼ壊滅状態になるからだ。うちの地域でも野菜を自家用に作っている人は畑全体をすっぽりと鉄の檻で覆って、その中で作業している。
買った方が安くつくが、本物の味を知っているだけに自家栽培にこだわらざるを得ないのだ。

●野生動物の被害は農耕とともに始まる

猿の被害はかなりある。群れをなして山の道を歩いているのを良くみかけるのだ。こうした野生動物の被害がいろいろある。熊が人家に出没して害を与えるとか鹿がふえすぎて奥多摩の山の森の木の皮が食われて森が死んでゆくとか問題になり間引きが必要だとか騒いでいるのをテレビで見た。北海道でもエゾシカがふえている。天敵がないからふえているし山に食い物がないと熊も人家におりてくるし猿もそうである。ただこれは現代だからあったことでなく農耕が始まったときすでに野生動物との共存はできなくなっていたのだ。

小豆島には、万里の長城のミニ版がある。延長120キロに及ぶ、という土塁と石垣の鹿猪垣(ししがき)だ。明治時代初期まで、サツマイモや野菜などを狙って山からやってくる猪の侵入を防いだそうだ。」

http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohanasi/sisigaki.html

猪は縄文時代は狩猟の対象であり神の恵みだった。農耕が始まり畑が作られると畑の作物を荒らすものとして害獣になったのである。万葉集時代からそうなっていたのだ。

霊(たま)あはば 相ねむものを小山田の 猪田禁(も)るごと母守らすも

小山田とは山の田だから田を荒らすものとして猪があった。古くは農耕は文明であり農耕は自然との共存をはばむものとなっていた。農耕と遊牧民も本質的に共存できないのは生活形態が根本的に違うからである。それは狩猟採集時代と農耕文化が相いれないものであることと同じである。自然と共存できたのは狩猟採集の縄文時代しかないのである。つまり農耕すら自然を壊すものであり自然と共存した関係にはないのだ。それがいかに工業文明が自然を破壊するかは承知のごとくである。これは非常に自然を急速に破壊するものであり公害とか深刻な問題になることは書いてきた。文明とはそもそも自然を破壊するようなっている。鉄の生産は大量の木炭を必要として山を中国の山をはげ山にしてしまった。

生態系の破壊というのは農耕文明が起こったときすでに大規模に起きていたのだ。焼き畑でも森を破壊したし生態系を破壊するのだ。だから人間の生態系の破壊はすでに非常に古い今に起こったものではないのだ。

●文明による大規模な生態系の破壊

しかし現代の文明ほど生態系をこれほど大規模に破壊した時代はないのだ。それが地球温暖化とか世界規模になっていることでもわかる。地球の天候の異変や生態系の破壊は実はかなり深刻であり人類存亡にかかわるものとさえなっているのだ。なぜならエイズという病気があるがこれも生態系の破壊とも通じている。この細菌がどこからきたのかわからないが動物が基とすると何らかグロ-バリズムで生態系の異変が生じて細菌が生まれた。それがグロ-バル性交で世界に広がったのだ。つまりグロ-バリズムは文明の衝突だけではない、生態系にも深刻な影響及ぼすものなのである。グロ-バリズムのプラスの面も大きいがその反動としての影の部分も大きなものとして現れていてこれが深刻なのである。エジプト文明も黄土高原もかつては大きな森があった。エジプトの石の柱は森の木を示してをり黄土高原の木塔も豊富な木があったことを示している。レバノン杉も大きな森があったのだ。それが船の材料となって消えたというのも船もそれほどの木材を消費するというから文明そのものが自然を破壊してきたというのが文明史である。生態系破壊の怖さはそれが必ず人間の生活に影響を及ぼす、最近のアスベストで癌になったとかそうであり食物も魚も化学薬品が蓄積されている。だから農家では怖さを知っているから農薬を使った野菜は食わないとか自己防衛しているのだ。

●縄文と江戸時代は生態系保存の世界の模範

日本の歴史の特徴は非常に長い自然との共存した縄文時代があることと、これが神道の基となり自然を敬う自然との一体感を尊ぶ世界観を作った。もう一つは閉鎖されたリサイクル社会、自給自足社会を江戸時代に作ったことである。この江戸時代の遺産は平和が300年もつづいたこと、そして自給自足社会で自然と調和して生きたということである。様々な問題、貧困問題があったとしても今になるとそれは自然と調和した美しい世界がアルカデアのようにあったのだ。だから蕪村とかがその平和の中でその美を俳句にできたのである。この二つは世界の他にはない日本歴史の遺産なのである。それが今世界の生態系破壊とか公害問題とかに一つの解決策として提示できるモデルなのだ。このまま生態系を巨大な文明で破壊してゆくときそのゆくつく先は自然の大規模な破壊から人類の滅亡につながることがでてくる。そういう人類的課題として生態系の破壊が各地で起きているのだ。地球温暖化はだから世界的課題なのだがその深刻さが富の優先で認識されていない、生産を減らすとか労働を減らすとかいう思想はなじみないものであり停滞思想であり嫌われる。でも老子であれ仏教であれキリスト教であれ宗教にはそういう生態系、自然破壊をとめる、抑制するものがあるのだ。宗教には自然との共存思想が古今東西必ずある。だからこそヨ-ロッパのゴシック聖堂はゲルマンの森を模したものだとか言われるし仏教文化でも大地に根付いたような力強い文化の想像があるのだ。文化がcultureは耕すだから大地を耕し根付かせるというものが自然と生まれたのである。そして現代文明の空疎化は空虚なのは重みがないのはまさに大地からの遊離した文明にあることなのだ。大地との一体感がなくグロ-バリズムは生態系を破壊してしまったのである。

●宗教は自然と調和するモラルである

自然と文明が遊離するのはモラル、宗教の欠如ということもある。神道は常に自然教とするときそこにもモラルがあり自然と調和する世界を追及してきたことになる。モラルがないというとき自然と調和するモラルが欠如しているということにもなる。だから宮沢賢治の思想が極めて自然と宇宙との一体感を詩として童話として謳いあげたのはそのためである。仏教は色濃くそうした自然との一体感を説くものがあるからだ。ただ創価とか他の宗教団体でもそれは文明の一要素としてあり政治と経済との一体感、御利益思想はあっても全く自然との一体感、調和の欠如したカルト団体である。カルトとは自然とのつながりから分離されたとき生まれた文明特有の病理的な現象である。国家神道も権力と結びついた本来の宗教ではない、歪められたものだったのだ。人間も自然の産物というとき大地から自然から遊離したときそれは今日の巨大都市のように異様なものとしてしか存在せずそこから異様なカルト宗教やファシズムが生まれてきたのである。グロ-バリズムというとき経済とか科学だけの視点からではうまくいかない、中国の大同思想というのも異民族が異人種が異なるものが大地を共有するものとして生まれた。大同はそういう接点にあったからだ。

我等は地球人

地に境なし
地に境なし
地球を闊歩する
地球を闊歩する
地球を飛翔する
地球を飛翔する
地に喜びの花々
境を越えて咲きみちぬ
地に境なし
地に境なし
地球は一つ
地球は一つ
人類は一つ
人類は一つ
我等は地球人
我等は地球人
地に境なし
地に境なし
太陽と月と星
地に遍く輝く
地球を謳おう
大いなる地球を謳おう
地球は熱く燃えている
地球は冷たく輝いている
地は人のものならず
天と地は神のものなり
まず聖なる地に拝せよ
愛すべき地球よ
愛すべき地球よ
憎しみの剣を捨てよ
聖なる地を汚すべからじ
敬虔なる聖なる地を汚すな
神の一人子、主キリストの
尊き犠牲の血を流せし地なり
ああ 地こそ地獄の炎のやまぬ場
神の聖なる地をかえせ
神の聖なる地をかえせ
それぞれの国は
地をもってつながり
海をもってつながり
地に境なし
海に境なし
地球に刻まれる歴史
それは地球人の歴史
共通なる人類の歴史
我等は地球人
我等は地球人
地球を結ぶ地球人
大空への翼よ
地球を結ぶ一つに

中国清朝中期の知識人の間では仏教に心を寄せる人が多かった。清朝末期の革命思想家、康有為(1858−1927)もその一人であった。彼の『大同書』に見る仏教政治論において世界は、現在の状態から、およそ十段階を経て理想の状態に到達するという。

@現在の世は、さまざまな区別や差別があるために、一言でいえば苦の世界である。
A国の境界が撤廃され、世界は一つの政府に支配される。
B賤民や奴隷がなくなり、階級制が消滅する。
C移住、国際結婚により、人種の差別がなくなる。
D男女の差別がなくなる。
E家族制度がなくなり、教育や養老などの事業は、すべて公営の施設がこれにあたる。
F産業の個人経営がなくなり、すべて政府の公営となる。
G大同の世界政府による諸政策が実現する。
H人類の平等が実現した後は、仏教の衆生平等の精神に基づき、鳥獣草木に愛を及ぼし、一切の殺生が禁止される。
Iすべての差別による苦がなくなった後、極楽世界が実現する。ここでは不生不滅を説く仏学が盛んになり、大同の世界をも超出することになる。そして人類は地球を出て宇宙の遊ぶという「天遊」の段階に入る。

中国はこうした大同の世界を求め得ざるをえなかった。しかし過度の経済成長は中国に大同を破壊する、自然を破壊して砂漠化とか公害をもたらす生態系を破壊する壮大な矛盾につきあたる。それは世界に影響してやまないのである。



私のホ-ムペ-ジに来たキ−ワ−ド(キ−ワ−ドから探る世相)(2)


言葉を失う

なぜこのようなキ−ワ−ドに4万とかヒットするのか、普通はしない、これも時代を象徴しているのだろうか?言葉を失うという事件が多すぎるのだ。少年の親の信じられない惨殺事件もそうだった。まさに言葉を失うという他ない、青少年は現代社会には適合しにくいのだ。非常に複雑でありニ-トとかフリ-タ-の問題も現代特有の問題である。ニ-トはかなり深刻だろう。海外に遊んでいるような若者は一応外にはでている。ニ-トは全然家からでない、若者が家から出ないなどと考えられないからだ。これは将来的に非常に大きな問題である。つまり経済的問題より精神的な問題として深刻化する。そうした閉じこもった精神の内向した人間が突然その不満とかを暴発させる。それがニ-トとかフリ-タ-が親の惨殺事件となることが多くなる恐怖である。

看護婦を見下す

これは実感として看護婦がそう日頃仕事思っている。給料も相当な差がありその不満がある。医者に使われる看護婦が実感として思っているからこういう言葉がでてくる

雄琴 エイズ

エイズは今や世界的問題である。

中国のエイズに関してはNYタイムズが早くから報道してきた。興味のある人は 彼らのサイトから記事を買って読むと詳細が判る。  www.nytimes.com
だが本当のエイズ蔓延の真相はこれまで誰も触れなかった。それは何かというと
アフリカ諸国との人的交流である。中国は貧困国、特にアフリカで圧倒的な支持 を得ている。中国もアフリカを自分の勢力下におこうとした。中国は1970年代からアフリカ諸国との積極的な人的交流を行った。中国は一説には数十万人のアフリカ人を研修生として受け入れた。また中国人の多くも共産党の命令でアフリカに強制移住させられた。つまりエイズの種はすでに30年以上前にまかれていた。中国に来た研修生の性欲処理からエイズが売春婦に移り一般の中国人に移っていった。疑われる人は中国がからむ国連決議案で中国に同調した国をチェックすると良い。30年以上、ばらまかれた病気を抑えることは不可能。


中国のエイズ問題はかなり深刻である。どれくらいの数がいるからわからない、このエイズは地下に浸透して何十年後かに現れるから怖いのだ。一気にサ-ズのように広がらない、地下に浸透して汚染してゆく、だからいつのまにかエイズになっている人が膨大な数になっているかもしれない、これもなぜアフリカという最貧国に起きたのかグロ-バル化のしわ寄せがアフリカになった。

雄琴は風俗で有名な所である。日本中にさえ知られているのかもしれない、ここに遊びに行くのにエイズの恐怖を感じたのだから今やエイズは世界中の恐怖となっているしそれもグロ-バル性交の戒めなのだ。このエイズは簡単に解決できない、人間の欲望のグロ-バルな拡大に対する神の罰のようなものだから防ぐことがむずかしいのだ。

団塊 抹殺

団塊に対する今の若い者を尋常じゃない、上役にちょうど団塊がいるしその人達がうざくなるのはわかる。しきりに無能だ、無能だと責めている。ではそんなに今の若い者が有能かといえばパソコンくらい今じゃ誰でも操作できるからそんなに有能とも思えないが、英語などはかなた実用的に使いこなす人がふえたことは確かだろう、なぜなら留学というのが普通になっているから当然英語も実用レベルで使いこなす人も多くなっているのだ。団塊は退職したらまた大問題である。数が多いから常に話題になり社会に影響するのである。

四国中央 死体

市町村合併でここも南相馬市になったが今になるとこの名前になじめない、他でもそういうことが起こっている。名前はいい悪いのまえに長くなじんでしまっているから新しい名前がいいとしてもなじむまでにはかなりの時間がかかるのだ。南相馬は単なる方角地名であり事務的機械的に名づけたから今になると何か無味乾燥な味わいのないものであり嫌悪さえ覚えてしまったのだ。しかし一旦名前を変えたら50年くらいは変えられないから地名は簡単に変えるものでないことがわかる。

愚民政治 創価


創価に関係するものは多い、なぜそうなっているのか、創価についての圧迫を日々の生活で感じている人が多いからだ。隣には必ずいるしそれで創価の話題が多い、そして創価についてはほとんど話すことも批判することはできない、タブ-化しているからその不満がメタンガスのようにインタ-ネットに噴きだしている。インタ-ネットでしか創価の真実はわからない、内部の人も書いていたりやめた人も書いているからその実情がわかるのだ。マスコミからは全くわからない、創価に関する非常に重大なニュ-スも報道されないしわからないのだ。創価の自衛隊の幹部に入会すすめられて困ったとかありこうしたことも国権にかかわることだからこんなことしていいのかと疑問なのである。国家の機密が創価にもれて創価の方に忠誠を誓うとしたら国はもはや創価のものになってうまという恐怖なのである。現実総体革命でそれを積極的にすすめているとしたら自衛隊とか警察に一割とか外務省に50人とかいるのは異常な事態だけどマスコミでは批判しないし政府も創価に頼っているのだから問題にしないのだ。だから人権擁護法案も法務省の力で通そうとする。創価に対する不満は実際は国民的に相当大きいがその不満のはけ口がないからインタ-ネットにでてくのである。

在日韓国朝鮮人日本中枢独占支配

九曜 在日


なぜこんなにインタ-ネットで在日のことがとりざたされるのか、大坂とか南では在日が多いからだ。東北では少ないから在日そのものが意識されていない、だからかえって在日のことがわからないのだ。東北人自体も蝦夷とか近畿の方からすると差別の対象であった。遅れた国のイメ-ジがつきまとっていた。ズ-ズ-弁なんかもそうである。それにしてもこれほど在日がとりざたされるのは在日は医者とか教授とか様々な分野で地位の高い人が結構多い、ただ名前を変えているからわからない場合がある。それで日本国を韓半島寄りにすることができるので反発も多いのだ。大坂自体一部は間違いなく韓国自治国みたいなところがある。古代に百済郡があったような地域である。また在日は生活保護の特権が得られるということで反発も多い、それから部落というのもありこれもかなりめんどうな問題である。四国遍路の旅でホ-ムレス遍路も部落のことは怖いから全体かかわらないといっていた。そこに相当な圧力がある。島崎藤村の破戒という小説も部落を扱った小説だった。そこに歴史的に深刻な問題がある。創価には在日がかなりかかわっているとか、それも問題にしている。在日のかなりの一団が入っていてそれが宗教だけならいいが政治的にかかわって日本国を変えてしまうから問題なのだ。九曜というのは相馬藩も九曜の紋でありこれは北斗七星を図案化したもので韓国から伝わってきた。元は中国である。その九曜のキ−ワ−ドがひっかかってアクセスされた。九曜クラブとかあり在日関係のクラブに関係した人かそれを探る人である。


キ−ワ−ド見ているとそれなりのものが来ているようだが2割くらいせヒットしないし私のホ-ムペ-ジはリピ-タ-は少ないように思える。何かのキ−ワ−ドにひっかかりやすいからそれなりにアクセスがある。平均して130くらいになる。ただアクセス数はあてにならない、無駄なものがかなりヒットするからだ。でもキ−ワ−ド見ているとだいたいこれが読まれているなとかわかるのだ。キ−ワ−ドは多様であり世相を現していることも確かである。

hitgraphは50ペ-ジだったが今度別なので100ぺ-ジのアクセス解析を入れた。200ペ-ジあるとして150ペ-ジを解析できる。今度のはキ−ワ−ドが簡単にでてくるからいい、hitgraphはキ−ワ−ドが完全にはでてこないのだ。



信長の巨大鉄船、戦国の海を制す」NHKを見て
「海を制するものは世界を制する」

●雌雄を決する海の戦い


ロシア皇帝ニコライ二世の命令ではるばる北海からヨーロッパ、アフリカ、そしてインド洋からフランス領、インドシナ沖に出たロシア・バルチック艦隊の司令官ロジェストミンスキーは、最終目的地のウラジオストックにたどり着くコースに頭を痛めていた。

バルチック艦隊は地球を半周以上する航海で日本にたどりつくときは疲れ切っていた。バルッチックとはバルト海から出航したからその名がついた。マダガスカルで一カ月休んだり戦意も消失していた。ロシアは陸地の戦いでは強かった。それもナポレオン軍もナチスドイツ軍も雪の行軍で疲弊して敗れたのだ。陸の戦いでは地の利、天の利、天候の利があったのだ。モンゴル軍も責めてきたとき宋の船団が一カ月遅れたことが台風にあい日本は海の戦いで勝った。ロシアはウラジオストックにピュ-トル大帝湾とありピュ-トル大帝は船造りにこだわり自らも船大工のまねまでした西欧の技術を取り入れるのに熱心な大帝だった。ウラジオストックは東を制する意味だから海軍で東を制するためにその名がついたのだ。

戦いには地の利がいかに影響しているかわかる。小野田少尉が最初の三年間は苦しかったと言っていた。なぜかというと地理に詳しくなれないから逃げるのにも自由になれない、一旦地理を覚えると逃げるのにも楽になる。食料の確保より地理に通じることが戦いでは大事なのである。歴史はだから地理なのである。歴史をふりかえると「海を制するものは世界を制する」というのがあてはまる。

確かに古代は陸の帝国の全盛時代である。エジプトでもペルシャでも中国でも陸の帝国である。そしてギリシャがペルシャとの戦いで海戦で船で陸の帝国のペルシャ軍を敗ったことが画期的な歴史的事件であった。ギリシャのポリスは守られ民主主義の基となった政体は守られたのだ。海戦は戦いの歴史の分かれ目を作る。エジプトのクレオパトラとアントニオも地中海の海戦で敗れて終わった。オスマン・トルコも陸の帝国であったが地中海の海戦で海を制して帝国を作りえた。秀吉も李将軍の亀甲船に敗れた。海の興亡が歴史を作っていった。おそらく海の戦いは陸の戦いより白黒がつきやすい、いつまでも城にこもって持久戦などない、純粋の戦いがそこにあり戦いに敗れたものは敗走して終わる。守るべき城は海にはなくただ一時の戦いで雌雄が決する場が海戦なのである。だからそこで勝敗が明確になりやすく歴史の分かれ目になる。

●信長も海を制して天下取りに

今回のNHKの信長の考案した鉄の船(鉄甲船)が村上水軍を敗ったことが大坂の本願寺を敗る結果となった。日本は海に囲まれているから水軍が大事なのだ。伊勢を責めるにしても熊野の伊勢の水軍を牽制して敗らないと北畠家を制圧できなかったのだ。熊野というのは万葉集時代から船作りをしていた。船作りで有名な所だったのだ。

944 島隠れ我が漕ぎ来れば羨しかも大和へ上る真熊野の船

武田軍が北畠を援助するために水軍を送ろうとしていた。それも信長の九鬼氏が北畠氏の水軍を敗ったので送らずじまいに終わった。武田信玄は山国の武将であり地理的には尾張からすると不利だった、ロシアのように不利だった。これは一早くポルトガル鉄砲を取り入れたり大砲まで取り入れ鉄甲船に配置して村上水軍を敗ったのだ。情報と物の入り口は大坂湾の方にあった。明治維新でも南が中国とか貿易がつづけられていて実際の情報も物を入っていたのである。尾張は伊勢湾もあり地の利を得ていたのだ。水の利もあったのである。戦争でも信長は卓越した人物ではあるがしかし一人の英雄がいくら頑張っても歴史を作ることはできない、信長には明らかに地の利が味方した、京都や大坂に近いことは地の利で有利だった。越後の上杉謙信にしてもまた伊達政宗でも信長に劣らず英傑であったのだが地の利が悪く天下をとれなかったのである。近畿は日本の中心になるべき地の利があった。

●地の利は神の計らい

歴史は人間が作ったように一面見えるが大観すると実際は神の定めた地の利が決めていたのである。だから地理がわかれば歴史がわかるのである。地の利が川や海や山や陸や砂漠がどのように歴史に作用したかを見る必要があるのだ。イスラエルが神の定めた世界の中心だというのもそのことを物語っている。神があらかじめ世界の中心として定めた地域として神がアブラハムに与えた地だから神聖なのである。つまり人間は一見人間の力で動いているよう見えるが実は神の駒なのである。あらかじめ神の計らいがあり基本的にはその線によって神の駒のように動かされている。その地の利から神の定めた線から逸脱すると敗北する。日本は神の定めた線から逸脱してしまった。台湾とか韓半島、サハリンくらいまでを拡大範囲とすれば被害は少なかったのである。アメリカも神の定めた範囲から逸脱しているからやはりいづれ復讐を受ける。中国もまた領域があまりに拡大してしまったため内部分裂とか神の計らいそこに働いてくる。歴史にも神の働き、計らいがあるのだ。その計らいを逸脱するとやはり後退させられるのだ。人間が歴史を作るとかいうより神の計らいにより歴史は作られる。人間は神の駒でありそれ以上のものにはなりえないのだ。だから一国が世界を征服するようなことはありえない、それに対して反抗するものを神が向かわせるからである。アメリカにはソ連だったが今度は中国がそうなるように一国で世界を征服しえることはないのだ。

49."11"箴言
 22, 28「おまえの父祖たちが据えた永遠の境界石を移すな

ホセア書5章10節
ユダの君たちは境を移す者のようになった。わたしはわが怒りを水のように彼らの上に注ぐ。


ともかく海の戦いがその雌雄を決めてきた。中国は大国であるけど陸の帝国だから海に出なかったから世界の歴史から遅れをとった。欧米は地中海から海に出たから世界を制した。アメリカにしても海軍力プラス空軍力で世界を制している。日本との戦争でも海を封鎖されて物資が船で輸送できなくなったとき日本はすでに海戦で負けていたから勝ち目がなくなっていたのだ。今でも海を封鎖されて石油を運べなくなったら日本は干乾しになり終わってしまうのである。第一そうした海の輸送路をアメリカに断たれることから戦争になったというのもそうである。海は生命線なのである。「海を制するものは世界を制する」である。



野馬追いは馬の日として盛り上げる

法螺貝に怒号に花火や馬の糞

野馬追い始まったけど河原で旗取りあったのも見なかった。野馬追いは観光客でも一回見たら終わりである。全員参加型でないから全体的に盛り上がらない、でもこのときだけ元気になるのが先祖伝来の甲冑を身につけて参加する人だろう。何か叫び馬が先陣を切り走ってゆく。まあ、車社会ではない、人間的なものがここに生まれる。奇妙だが馬の糞とか犬の糞とかはやっかいなものである。アサファルトにしたものは消えないのだ。いつまでも藁になっても残っている。片づけないときえないのである。土だったら分解するが消えないのである。アサファルトとは自然でないからリサイクルしないのである。こういうところにも文明の問題があると思った。モンゴルとかインドとか糞は燃料として使っているからリサイクルしているが文明国ではそうならないから動物を飼うことはかえってめんどうなのだ。文明国で野生の動物を飼うことは合わないのである。

心地よく蹄の音や馬帰る

ぱかぱかと背後に馬蹄の音が聞えた。ゆるい足並(あしなみ)で、その馬蹄の音が、いつまでも自分と同じ間隔を保つたままで、それ以上ちかく迫るでもなし、また遠のきもせず、変らずぱかぱか附いて来る(太宰治-清貧譚)

パカパカと旗をとりご褒美をもらい馬が帰る、パカパカと馬と人とがこの時だけ一体となる。馬というものを知ることは今やむずかしい。昔は馬と人は一体だったのだ。その馬と人が一体になっている姿がなんともなつかしいというか人間的なものを感じた。馬は日常の生活から消えたから馬を感じることはむずかしいのだ。毎日が車の洪水では疲れる。馬と人間、動物と人間が日常の生活で一体になることはなにかほっとする。それほど人間は今や機械とか人工物に囲まれ疲弊してしまったのだ。馬と人間が一体なって暮らしていた時、それはかけがえなのい生活がそこにあったのだ。曲がり屋で馬と同居したのもそうである。でもそこに馬がいないから実感として馬と人間の親密だった生活を知ることができないのである。牛と一体となった生活なら確かにインドにある。そこでもやはり牛から得られる何かがあった。牛というものがそこで生きていたのだ。そこから牛がもっている精神的パワ-を受けとっていた。牛の忍耐強さとかをエネルギ-として受けとっていたのだ。それがない都会の人工的世界はかえって異様なのである。人間も生物だから自然と生物と離れては生きていけなものだったのだ。

神旗争奪戦でかなり落馬していた人がいた。乗りなれていないからだ。実際モンゴルで馬に乗った時は走った時は振り落とされるのではないかと怖かった。モンゴルの馬は小型であるから怖さは少ない。日本の馬は高さが高いから怖いのである。落馬して死んだ人も過去にはいただろう。人間と馬のかかわり非常に古い。それが自動車社会になったとき全く失われたのだ。いたるところに馬頭観世音の碑があるのがそれを物語っているが馬を知ることはむずかしい。馬と日常的に接ししていないかぎり馬を知ることはできない、戦争中は馬の世話した学徒兵などがいたから馬はまだ戦争でも生きていたのだ。現代は余りにも人工的世界となりすぎたのだ。馬とともに生活したとき馬にそそぐ愛情とかそれは人間と同じだった。馬と結婚したという女性まで遠野で伝説になるのはそのためである。馬は生き物だから人間的愛情も通じるのである。確かに野馬追いは一回見て終わりだとかキ−ワ−ドで「野馬追い 面白くない」とか来たように地元では何度も見ているからつまらないのである。侍出身の人ばかり出て一般の人が出れないのも盛り上がらない理由である。では野馬追いの日は何かとなるとやはり馬が人間とともに生きていた時代を思い出すことである。野馬追いの日は馬の日でもあるのだ。農耕に生きていた馬もあった。荷馬車もあった。戦闘の馬もあった。様々なことで馬が生きていた。「馬が合う」という言葉も馬とともに暮らしてきた生活の記録である。野馬追いは侍の祭りだけでなく馬の日として意味あるものとすることが必要なのである。

失われた馬との生活



GOOGLEにヒットした検索文字(私のホ-ムペ-ジが改変されたのか?)

アクセス解析 アガリクス SEO対策 メシマコブ カウンター

小林勇一作 時事問題のペ-ジ数多いですがここで検索するとたいがい探しているものがでます 探すのにはやはり根気が必要です ... 世界ウルルン滞在記 エーゲ海の家族船 10月15日 グロバリ-ゼ-ションの歴史 10月16日 ... 2 11月15日 異質なものを排除する日本(グロバリ-ゼ-ションも同質化)11月22日 ...

がん患者の体験記を紹介した書籍で、キノコの一種アガリクスを加工した特定商品の広告をしたなどとして、出版元の「史輝出版」(東京都港区、瀬川博美社長)に薬事法(承認前医薬品の広告禁止など)違反の疑いがでている事件で、警視庁は18日にも、同社の関連会社の「ライブ出版」(世田谷区)と「青山書籍」(港区)など数カ所を同法違反容疑で家宅捜索する。

ンタ-ネットのアクセス解析のHTTGRAPHが使いやすいと思って使っていたがなんかわからないけどグ-グルでアグリスクという文字がでてきて宣伝になっている。HTTGRAPHの設定のタグにはアグリスクなどの言葉は入っていなかった。もう一つのアクセス解析にはヨガインストラクタ-とまたこれも宣伝がでてくるのだ。普通はアクセス解析そのものを宣伝するのしかでてこないのだ。これは今のところ無料借りているからやむをえないが考えねばならない。タグを見てもその字が入っていないのである。どうしてそうなるのかわからない、。単にアクセス解析とか出れば問題ないがこんな問題があるとなると簡単に無料のものは使えないのか?調べた結果そうでもない、私のホ-ムペ-ジのタグには他にリボ酸とか化学薬品の名前がいくつか入っていた。こんなのは宣伝にならないし偶然にタグの中に入り込んだのか理由がわからない、アクセス解析自体私には良くわからない謎だからだ。ネット常時つながりアクセスを解析していくからそこから技術をもっている人が故意にこの文字をタグの中に入れたのかそれとも偶然に入ってしまったのかわからない、アグリスクは違法でありこれが私のホ-ムペ-ジのグ-グルの案内に入ってくるのは誤解をまねきやすい。

インタ-ネットはこうしたことがわかりにくい、みんなプログでもホ-ムペ-ジでも無料になっているのだ。ただアクセス解析は必要であるし忍者だと安くできるからそっちの方を試している。まずこんなことがどうしてできるのか?インタ-ネットとはこういうことが操作しやすいのだ。インタ-ネットでホ-ムペ-ジでも公開するとネット化されるから技術もっている人は悪意でできたりする。セキュリティの問題はまだ脆弱なのだ。ただアクセス解析からこうした操作はしやすいかもしれんがわからない、無料だとなると信頼性に欠けてくるのか、この辺の責任問題はなかなか問いないし困る。

●メシマコブというのもキノコで癌にきくとかホ-ムペ-ジに出ていた

私どもは、たくさんのメシマコブ製品の中から原料を厳選し、より良い製品を適正な価格で、あなた様にお届けいたします。
そのため、次のように考え、実行しています。

著名人の方や先生など有名な方が宣伝すると、安心な気持ちになるかもしれません。また、たくさんの雑誌に広告が出たりテレビCMが流れていると、有名になるかもしれません。しかし、有名な方に宣伝していただいたり、雑誌に広告を出したりすると、莫大なお金がかかります。
そのお金は商品価格に上乗せするしかありません。
そこで、メシマコブに興味のある人はきっとインターネットで調べると思い、ホームページを見ていただくことにしました。


なんらかこの関係のものが故意に私のホ-ムペ-ジにキ−ワ−ドを混入したのだ。いかがわしい薬の宣伝を私のホ-ムペ-ジに混入するな!

朝日新聞であれ新聞社でもマスコミでも宣伝で協力している
健康食品でもうけた資金が流れている

これを読め
http://www.geocities.com/kawaiclinic/asa4.htm



言葉の混乱(都会、都市、市民は新しい言葉)

●都会、都市、市民は明治に作られた

言葉の混乱は奈良時代に漢字が入ってきたときはじまった。この混乱は実際まだつづいている。漢字の意味はなかなか理解しにくい。それは日本にはない概念がふくまれているからだ。仏教や儒教が入ってきて怒濤のごとく日本にはない概念が入ってきたから混乱したのだ。次に明治もこれも凄まじい言葉の混乱を生んだ。それはまだ生々しく現代に通じている。言葉は単なる言葉ではなく社会そのものなのだ。言葉を通じて人々は理解し合うのだから言葉が大事なのである。特にこれほど国際化すると言葉はさらに大事になってくる。言葉を漢字とか訳した時点ですでに混乱が生じている。

例えば都会と田舎と簡単に言うけど実際は都会と都市は違っているのだ。都会とか都市とか社会とか会社とかいう言葉さえ明治に作られたものであり膨大なものが明治に新しく作られたものである。社会というのは社(やしろ)に会するとなっていることでもわかる。これはヨ-ロッパで言う社会とは全然違ったものなのである。だから江戸時代まで日本には都会も都市もないのだ。そこが誤解の元なのである。都会の都(みやこ)はあったのである。では都(みやこ)に会するが都会なのか?都市は都(みやこ)の中の市なのかと言ったらそうではない、


urban cityのurbanが都会の意味である。これは何を意味するかというと urbs は普通,「都市」という意味ですが,「都,つまりローマ」という意味でもよく用います.英語で,townといえば,時にロンドンを指すのと同じ発想でしょう.

ab urbe condita ローマ建国以来.

urbs がローマを指すよく知られた句をもう一つ紹介しましょう.condita が,condo,condere 「建設する」の完了分詞女性単数奪格形で urbe を修飾していることはよいでしょうか.


http://64.233.167.104/search?q=cache:wa_C1UZTjQoJ:www.asahi-net.or.jp/~ar6k-tkhs/
sententia.htm+urbs+%E6%84%8F%E5%91%B3&hl=ja



このむずかしい説明はわからないにししてもurbsがロ-マであることは間違いない、つまり都会というとき日本で言えば都(みやこ)のことなのである。都と言えば一番わかりやすいのは千年の都の京都なのである。都市というとここに市(いち)が入ってことである。市は二日市四日市六日市とか市がたつ日は市だった。日本では市がたつ日が町の名になっているように市(いち)と村(むら)でありあとは都(みやこ)という大きな政治経済文化の中心地の京都でありこれはロ-マと同じである。

●ヨ-ロッパでは市(city)と市場(market)は別である

ところがヨ-ロッパでは市(city)と市場(market)は別なのである。教会とかが取り仕切る壁で囲まれた市内にmarketがあった。中国だと城壁の門をくぐった中に市場が開かれ商売があったのと似ている。だから城市であり商城という言葉が良く使われる。商売そのものが壁の中に守られていないと行われにくいものだったのだ。安全が保証されなかったのである。だから最初にあったのが城であり街を囲む城壁であり市壁なのである。敵を防ぎ守る壁(ウオ-ル)なくして存在しえないのがcity(都市)であり

citzenship(市民)とかブルジョアの語源は城砦(burgus)であるように市場(market)は市(都市)とは違うものだったのだ。市を守るために都市が存在するのではない、敵を防ぐために存在している共同体なのだ。ここにかなりの欧米人と日本人の意識の差があるのだ。外国ではcitzenshipを記さないと入国できない、なぜ市なのかわからないのだ。日本では会津で戦争があってもそれは農民や町人は関係なかったのである。ただ武士だけの戦争であり傍観していただけなのだ。これがヨ-ロッパだったら壁に囲まれて中にいるものは戦う共同の戦士となっていたのである。日本には市民は存在しなかったということである。市民自体-(いち)民(たみ)となるからこの日本語自体奇妙なものなのである。日本には京都のような都会(みやこ)はあった。しかしヨ-ロッパの都市は存在しなかったのだ。ヨ-ロッパの地方の都市が充実しているというとき日本にはそういう都市がなかった。城下町はあってもヨ-ロッパの市民が守る都市とは違っていた。都(みやこ)があり
鄙(ひな)があったがその中間になるヨ-ロッパの地方都市にあたる言葉がないのだ。町は村の中にマチがあったというくらいだから全然違っていた。
日本に存在しえなかったものを漢字にしたから今でも漢字にしてもその意味を知っているとはならないのである。

●日本を知るには万葉集などの古語を知る

日本知るには古語を知ることであり万葉集を知ることから始まる。なぜなら
みやこ、ひな、いち、いなか、まち、むら、たみ、・・・・という言葉は存在したしそれにあてはまるものも存在したからである。漢字にしない大和言葉が純粋の日本語でありそこに日本人の心と文化の基があったというのはわかりやすいし本当である。だから万葉集とか日本の古典を知らないと日本人のアイデンティティと文化も心もわからないということになる。現代は膨大な外来語の洪水でかえって日本古来の言葉の意味や文化の喪失がある。そして新しく入ってきたものは漢字に訳したところでその意味もわかっているわけではないしまだ根付いていないのだ。そこに言葉の混乱がなおつづいているしこれからもつづく。言葉は新しく入ってきた概念を的確に表現していなし社会でその言葉の意味通りのことが通用しているわけでもないからだ。権利というのも最初は権理(right)だったのであり次に権利となった。言葉からすれば権力を利することなのかとなってしまう。正しいという意味はそこに示されていないのだ。この言葉の混乱から社会の混乱も生まれてきているのだ。だから言葉を正し言葉の正しい使用方法を絶えず指摘して言葉の点検が必要になってくるのだ。