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今日の一句一首(サクラのプログへ)
10月28日 | 子規の鶏頭の句(写生)について(デジカメと俳句は相性がいい)(評論と鑑賞の部) |
10 月21日 | 詩情に満ちた春の伊予の道(四国遍路紀行) これは四国遍路の連作に加えてまとめました。4ペ-ジをつづけて読めます |
7月15日 | 四国遍路春の旅-2005(俳句短歌分類-写真集)(やとまとめた、我ながら圧巻だ) |
6月20日 | 夏の故郷風景2005(写真と詩) |
5月26日 | 池の名前三つ(地名談義)(藤の池) |
5月6日 | 仙台編(夏たちぬ仙台)(まとめて一ペ-ジにする) |
4月30日 | 暮春松山散策--遍路の魅力とまとめ四国紀行編をはじめる |
4月6日 | 四国の地名俳句短歌の旅(市町村合併問題) |
2005-3-4 | 大坂-交野-近江(志賀の都)の歴史の解読2005-3-4(4ペ-ジ) |
2005-2-19 | 蕪村の句の不思議(邯鄲の市に鰒(ふく)見る朝の雪の解読) |
2005-2-11 | 凧揚げの歴史(俳句などから) |
2005-1-22 | 青春18切符冬の旅(山形-新潟-会津)(全俳句短歌) |
2005-1-20 | 新発田(しばた)⇒津川⇒会津の冬の旅(時事25) |
2005-1-17 |
鉄道の旅の部(鉄道俳句の旅)(俳句の部の方に移動しました) |
2005-1-12 | 桜前線の俳句短歌(3ペ-ジ)(みちのくの桜と明石の桜)新しく一ペ-ジ加え直す( |
2005-1-2 | 江戸時代の正月俳句 |
2005-1-1 | おちこち(短歌紀行文集)(明治) 大和田建樹を読んで |
2004-12-25 | 青春18切符で雪の青森へ(全俳句短歌と写真) |
存続あやうい栗原電鉄(末枯の野を行く一両の電車) 鉄道の旅の部へ | |
パリの秋(東駅より) | |
トランジットで岩沼→柴田→仙台へ(俳句短歌エッセイ) | |
阿武隈の魅力は道にある2004-11-12 | |
川俣から東和へ秋の俳句と写真 | |
柿の話(俳句エッセイ) | |
飯館の秋(俳句短歌紀行) | |
失われた馬との生活(俳句エッセイ) | |
月山の花の写真と俳句 | |
阿賀野川の津川駅写真と俳句 | |
フラワ-長井線で白鷹町へ(俳句、短歌、写真の部) | |
冬の旅の記録へ(青森へ | |
大江戸春の絵巻の詩 | |
江戸の生活感覚の俳句 (1) |
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蕪村の俳句から江戸時代を偲ぶ(生活感覚の俳句2) | |
江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) | |
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集) | |
三春まで(春の阿武隈を行く)2004-3月(1) | |
三春の春(2) |
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2005年11月28日(月) 冬の蝶
神の手に隠され消えぬ冬の蝶
これは写生ではないが神の手に消される、ひそかに消える蝶は幸いである。一方悪魔の手に消されるこの世のおぞましさがある。今回のマンション問題の一人が自殺したのは本当に自殺かとありなんともこの世の暗黒面を示した。政治、経済、利権の世界は必ず暗黒がある。組織にも暗黒があり暗黒の主、サタンがこの世を支配している。ただ人間生きる限り利権と離れることができない、そこに矛盾がある。
2005年11月27日(日) 六地蔵?
枯芒忘れられたる六地蔵
冬の蝶ここにひそかやこの道を我が行く一人暮れにけるかな
この地蔵がなぜあそこにあったのか?今まで気づかなかった。
昔のものを知るにはなぜその場所にあるのか、いつ置かれたのか、建てられたのか、どうして置かれたのか、祀られたのかが大事になる。これはわかりにくいけど六人の童子だから六つの地蔵、六地蔵とは違うのかもしれない、ただ六つということは六地蔵につながる。六地蔵は村とかの境界に置かれるのが多い、ではその境界なのかというとあそこは山の中であり村というものがない、そもそもいつ置かれたのかもわからない、ただかなり古くなっているのだから古くから置かれた、ただこれは謎である。でも近くでも気づかないものがあることがこれでもわかる。
2005年11月24日(木) 晩菊
晩菊や今日も陽のさし安らぎぬ
いつも通っている道で二回も交通事故の死亡事故があったことにはショックだ。
一回目は車が通るまれな交差点で衝突、二回目はそこからまっすぐ行った車がかなり通る交差点で自転車で17歳の男性が死んだことにショック、私も毎日のように自転車で通っている道だったからだ。事故は車の多い所だけではない、全く車がまれにしか通らない所でも起こるしどこでも起こりうることがわかった。晩菊がしんみり咲いて最近は晴れの日がつづいていたがこの事故にはショックだ。この世の中いろいろと危険が多すぎるのだ。
2005年11月22日(火) ダンボ-ル箱集め
冬の日やダンボ-ル箱集む夫婦かな
ダンボ-ル箱を集めると結構かねになるというのは意外である。月に30万になるとか一部ホ-ムレスのような人が都会でやっている。しかしこれはかなりの重労働なのである。外から見ていると簡単なようでも実際やってみるときつくてやれないことが結構あるのだ。その現場で働いてみないとわからないことが結構ある。そこに誤解が生まれる。他者に対する無理解が起こるのだ。ダンボ-ル箱というとリサイクルだから何か冬の日にあっていた。これも何にも考えず写生しただけだがこの写生の中に深い人生の一こまが自然と出る場合があるのだ。だから想像で書くのはだめでありのままの写生が人生や自然の真実を活写しすることになるから俳句は写生なのである。
2005年11月20日(日) 晩菊
晩菊やはや暮れゆかむ養老院
2005年11月17日(木) 残菊
隣の庭残菊愛しむ退職者
これから退職者増えてくる、団塊の世代が退職すると風景まで変わってくるんだよ、数が多いから目立つんだよ、悪い方にとられるのが団塊だけど社会にとって影響が大きいことがわかる。大量退職によって社会が変化することでわかるのだ。
2005年11月15日(火) 石一つ
冬の日や災いなきや石一つ
残菊や昔の跡誰が語る
平和この世得難い、戦争がないのが平和ではない、最近家でトラブルあってまた感じた。この世は災いの世であり火宅の世である。絶え間なく災いに襲われる。戦争も最大の災いである。戦争は勝っても負けても災いだったのだ。災いの種はそこに作られまた災いが起きてくる。この世に安らぐ場所はない、老人になってもリアのように狂ったようになる人がいる。痴呆になる人もいる。欲がなくなった老人でも平和な人がまれなのだ。性格的な異常性が増してくるのが老人でもあるのだ。この世に全く平和は得難い、自らが平和だとしても回りから突然交通事故のように襲われるから平和が得られないのだ。平和は墓の中にしかないような気がする。
2005年11月13日(日) 冬鴎二羽根 晩菊
冬鴎二羽離れず飛びかいぬ
晩菊の松のたもとに隠るごと一群れ二群れ咲きて鎮まる
冬鴎が二羽ぐるぐると離れず飛んでいた。これも写生である。次の短歌も写生である。写真は加工して作った。どうしても作る必要があるんだ。写真はそのままだと必ず無駄なものとか邪魔なものがでてくるんだよ、だから加工する必要がでてくる。
2005年11月9日(水) 窓の花
さりげなく窓辺に花や晩秋の裏の道かな我がひそか見ゆ
さりげなくというのがいいんだよ、宣伝したら花は映えない、自然とさりげなくあること、それがいいんだよ、作ったりするとだめだ、人間もやたら宣伝するのはだめだ
今はあるゆる人が宣伝しすぎる、宗教家なんかも宣伝していたりしたら特にだめだ、テレビで宣伝するようなのは信用できない、宣伝されるときすでに誇張が入ってしまう。だからさりげなくあることなんだよさりげなく自然に溶け込んでいることが美を作り出している
2005年11月8日(火) 枯れた蔓
枯蔓の足にからまる里の道
東西に星きらめくや初冬かな
just twinkiling out in early winter
one big star in the west
one big one in the east
今日は木枯らしだった、月が明るく輝き、時雨でもあった。初冬に入ったのだがまだそういう感じがしなかった。今日はそういう感じになった。時雨はなんか今の時代俳句になりにくい、その時代にあったものがあるかもしれない、時雨の感覚がわからない、山頭火のテ-マだり何か奥深いものがあった。ともかく日本は急速に季節が変化するときがありそれが俳句に向いているのだ。だから無数に季語があるし季語がテ-マになるのである。枯れた蔓がいつもの河原の草深い道を歩いていたらからまる。こんなことが俳句的なんだよ、田舎の悪いことばかり話し合っている掲示板あるけど田舎では回りが干渉してうるさすぎる、まとわりつきすぎるからいやがられる。蔓のように枯れてもまとわりつくんだよ
最近英語をなんとか勉強しようとしている、遅すぎたのだがやっぱり英語は学び方にかなり影響する、どうしてうまくいかないのか、英語と日本語の相違を明確にしてその相違から学ぶのがいい、それで西村式英語というのは日本語と英語の相違から学べるからいいかもしれない、俳句を英語にするにはあのような簡単に英語を作ることができないとだめだ。俳句を通じて英語を作る訓練することこれでもそれなりに英語に親しむことなんだよ、言葉というのは外国語になると実用的なものもあるけど一つの別なartとか哲学に触れることになってしまうんだよ、言葉もそれだけ奥深いものなんだよ
2005年11月7日(月) 秋薊
荒浪に松風鳴りて秋薊
一歩一歩歩む道の辺秋薊
Thistles by the road
I am walking on
step by step in autumn
今日は海は浪が荒い、秋薊が道の辺に咲いている。秋薊という季語は最近の発見だった。歩むという当たり前のことが新鮮なことになってしまった。歩いていることは昔は当たり前だからわざわざ歩くということ話題にしない、しかし今や歩くことが特別な経験になってしまったのだ。車から下りて意図しないと歩けないの現代なのだ。秋薊では連作ができる。
2005年11月6日(日) 晩秋の花
晩秋の故郷に残る草花を我が取り集め壺にさしけり
晩秋の草花集めて壺にさした。わずかにツリガネニンジンが残っていたのもあわれである。
(写真は一番上へ)
2005年11月3日(木) 口太山(くちぶとやま)
晩秋の口太山や月見草
一二里を歩む山路や秋薊
(みちのくの晩秋の山をはるかにも望みて下りぬ口太山を)
川俣の口太山に上りあとは町まで何里か歩いた。この報告はまた別にしよう。
2005年11月1日(火) 秋薊
昔より家四五軒や秋薊
残菊やまた我がよりぬ八沢浦
数輪の釣鐘草の残るかな足跡ひそか我が去りにけり
薊は咲いているところには咲いている。残菊というと八沢浦になるのか、その場にふさわしいとなるが八沢浦は明治に干拓したから新しい村である。でも家は増えもしないから同じ家が代々つづいているのだろう。町は変化するが町から離れた所は変化しない、ただ町に近い田畑も住宅地になったところがあり変わることもある。