時事問題の深層8

2002/11〜
2003/1
    5   8  10 11 12
相馬私局(小林) a private channel in soma-gun
(近況報告ー日記)
小林勇一 感想はこちらへ



旅から見えてくるもの
 11月11日
拉致被害者の力強い声  11月24日
創価学会禍         11月26日
過疎の深刻な島       12月2日
塀の街−萩の不思議 12月18日
豊郷小学校存続の是非(滋賀県) 12月20日
今年も終わる奇々怪々な世界 12月25日


    旅から見えてくるもの

airHで通信できるlooxをもって九州まで旅した。これも初めての経験だった。高速バスで仙台から金沢まで行った。9000円で行けるし日本海側に行くには汽車で行くより便利だし安いのだ。相馬郡は福島市は交通の便が悪く不便である。立派な図書館があっても利用できないのだ。岩沼まで行きまた乗り換えねばならぬからだ。仙台は交通に便利だから仙台の方が宮城県に入った方がいいくらいなのだ。身近に便利になるとは交通の便と比例している。外国の方が飛行機で近いからと身近に感じている人がいるのも昨今である。遠さと近さは交通の便で決まるのであり実際の距離と関係なくなっているのだ。金沢からは博多まで通しで普通運賃の切符を買った。1万千円くらいで安くなる。急行にはのらなかった。急行にのると早くて景色をゆっくりみてられないからだ。

駅一つまた過ぎ行くや秋の薔薇

敦賀でおりて松原を見た。そこでコミニュテイバスというのが巡回している。あれはいいと思った。自動車のないものにとってバスがないと困るのだ。観光地でも小さな巡回バスが通っていた。乗っていたのはほとんど老人であり下りた場所は病院だった。自分の家でもそうだがバスで行く場所は病院なのである。今バスは出ていないから旅行するには困る。へたすると帰りのバスがなくなる。何時間も待つか本当にバスが来ないことさえある。壱岐でも対馬でもバスに乗っていたのは最後一人になっていた。対馬では厳原から比田勝港まで行くのに4000円もかかった。やはり一人だけの時があった。自分の町を通るバスも誰も乗っていないで走っているのだ。みんな船を下りたらレンタ−カ−を利用している。バスでは観光はできないのだ。バスは料金が高くなっている。ただバスはバスの個性がありメディアなのだ。汽車もバスも自転車もメディアでありメディアはメッセ−ジなのだ。汽車から見る風景、バスが地域に果たす役割、バスから見える風景などそれ自体がメッセ−ジになっているのだ。

松静かバスを待てるや虫の声

バス停に地蔵一つや秋の暮

島のバスなじみの顔や秋の暮


敦賀から天の橋立から鳥取の砂丘、萩とよった。萩では一番印象に残ったのは萩の城跡だった。石垣だけが淋しく残っていた。萩というと明治維新の発祥の地だがそういう激動の地であることを感じなかった。粛条として淋しい城跡の石垣だけがその跡を留めている淋しい場所に感じたのだ。萩駅というのも中心街からはずれた大正時代のレトロなちっぽけな駅だった。あれはわざわざ中心街からはずして駅を作ってしまったのだ。鉄道を有用なものと考えなかったのである。そういう駅を作った所が他にもある。これは何を意味しているのか、つまり時代の激しい変化を物語るものでありあの城はまさにその象徴である。城は激しい時代の流れから取り残され石垣だけが秋風に吹かれて残っていたのだ。そういう時代の流れに取り残されるものは今でもある。時代がある時急速に変化するのだ。憔悴したように取り残された人もいるのだ。IT革命というの表面的にはたいした変化をもたらしていないようにみえるがこれは大変な変化をもたらすものかもしれない。今回のairHの通信の実験でそれを感じたからだ。インターネットはインフラもそうだがどう利用していいのかそれぞれ模索中のものなのである。だからここですぐに効果を期待することは無理である。アクセスがないとかいいものが探せないとかいろいろ不便や不満がある。しかしこれは全く今までにない未知の世界であるからそうなっているのだ。未知ということは定められた道がないからである。本の世界はITの発展で城の石垣のようになってしまうかもしれない。実際はそうなりつつあるのかもしれない、どこでも老人までバソコンのことを話題にしていたからだ。老人までバソコンが必要になってきたのだ。airHで現場から生の感動をアップしたことだろう。常にそうなのだが一番興奮して送っていたのは自分だった。読む人は実際いなかったりそんなに感動もしていないし関心がないのである。つまりこの世界は常に発信することは便利なのだか受信されること読まれることはとんでもなく大変なのである。実際は旅であんなに苦労してアップしたのにインホ−シ−クでは全然読まれていなかった。これは徒労だった。やはり読まれなければそんなに苦労してアップする必要はなかったのだ。インホ−シ−クで50万のホームページが二三カ月で90万になっていた。発信する人は日々増加して受信されることはますますむずかしくなるのだ。誰でも旅すれば話したいし書きたいそうしたとりとめもないことが本になどのらないことが膨大に噴出しているのもインターネットなのだ。

今回の旅でホテルは一二割り安くなっていた。都会の中心部でも5千円代でとまれた。米子では朝夕食付きで5000円とでかでかと宣伝していたがあれは嘘だといっていた。3000円のホテルにとまった。ホテルにはバソコンがおいてある所や大きな風呂のあるものやいろいろサ−ビスが要求される時代なのかもしれない。部屋だけを提供するのでは競争に勝てない時代かもしれない。新宿では3000円でカプセルホテルにとまったがここは手作りの部屋で少し天井も高く広くなっている。本当にカプセルだけを並べたものは狭くて閉塞感がありいやになった。ちょっと工夫するだけで狭くても満足できるものはある。茶室が狭くても効用があったごとく狭てもそれなりに住み安くはできるわけである。旅にとって宿は大事である。宿が悪いと損することになる。まあ自分の場合静かで安ければいいとなる。一番ぜいたくな宿は虹の松原の国民宿舎だった。海の側で松原に囲まれた所だったからだ。国民宿舎でもホテル形式にして素泊まりできたのだ。6300円だった。日本のホテルは高すぎたし交通費も高すぎる。九州旅行の苦しさは6、7万が交通費になったことだ。船からバスも高かったからだ。帰りも博多から新宿までバスできた。15000円だから安い。新幹線は高いから利用しないし旅には必要ないものである。博多の薬院のホテルでカンビ−ルがコンビニでも売っていないのはおかしいと思った。他では駅のコンビニでも売っていたからだ。売っていたのは酒屋の自動販売機だった。これは酒屋の前にしかおけない、酒と塩とタバコは専売制であり国で許可しないと売れないというのはおかしい。これはそれによって消費者より官僚が特権をもつようになるからだ。専売の特権をとるために金が動いたりしたのである。

東京ではブックオフで一万とか古本屋街で一万とか安い本を漁り買った。いい本でも今は安くなっているのだ。それにしても神田の古本屋街ではいつでも同じような高い古本があるがあれで商売が成り立つのか今は老人だけがやっているから跡を継ぐものもいないのかもしれない。ある古本屋で4千円くらい買ったのだがこれをおくりたいのだがと相談したら「はあ、わかりませんな」と実によそごとの返事である。そこで宅急便を探したら水道橋の古本屋街のすぐ裏には宅急便の本社の店があった。箱まで容易してある店である。これも自分で探したから見つかったのである。まるでこうした送ることに無関心なのはおかしい。一万とか多く買わなくても送りたい人はいるのである。本は重いからだ。おそらく古本屋街というのは将来的にはなくなるのだろう。ただすべてがインターネットの世界になると味もそっけもない無機物的空間になる。古本屋街という何か苔が生えたような雰囲気というものは作れないからだ。ここに菊の花の一幅の絵がかかっていたがそれもここの雰囲気に合うものだった。インターネットでつくれないものはこうした場の雰囲気である。これは実際の場に行かないと味わいないのだ。そこにまた古本屋街というものが存在する意義があるのかもしれない。とにかく人間は自分の家とか店とか自分のことだけを考えるが古本屋街全体を維持することや町全体を美化するとかそういう全体の良さを保つことに欠けている。でも街全体を良くすることきれいにすることはその町のイメ−ジを良くして町に人を呼び込むことにもなる。街全体が繁栄して個々人の繁栄もあるということに目が注がれないのだ。今回の旅で感じたことはいろいろあったがこれはその一部である。




   拉致被害者の力強い声

拉致被害者の訴えは無視されてきた。そもそも拉致のことは訴えていても国民はそれがほんとうなのかどうかもわからなかったし報道でもわからなかった。本当かどうかわからないことに共鳴することもできなかったのだ。それに社民党とかが拉致はないはっきり言っていたのだから国民は拉致などないと思う人がいたのも当然であるし関心もない人が多かったのだ。社民党は在日との関係が深い。援助もされているらしい。なぜ土井委員長がパチンコは面白いとテレビにでていたのか不思議だった。国会議員たるものがパチンコの宣伝をするとは思えなかったからだ。在日の人にパチンコの経営者が多いし援助もされているのでそうなっていたらしい。政治は利害と深く結びつくから自民党でもどこでも偏ることになる。これは政治の宿命である。利害関係を持つと公正に中立的に判断できなくなる。マスコミが公正なようで公正でないのは宣伝が経営を成り立たせているからである。テレビをただで見ているけどコマ−シャルの収入がなかったらテレビは無料では見れないのだ。だから宣伝を出してくれる会社や団体の悪口などのせないのである。だからマスコミは大きな権力には弱いし大きな権力に対して批判をしない、これは新聞でも雑誌でも全部ではないにしてもそうなりやすい。創価学会をバロメ−タ−にするとわかりやすい。その宣伝をどこにでもでてくるしそうした雑誌や新聞やテレビは創価学会の批判などしない。もうけさせてくれるものの批判などできないわけである。ここにマスコミの問題があるのだ。今まで一個人とか一消費者の不満など出せるところなどなかった。今は逆にインターネットがその捌け口となっている。

ではなぜ拉致被害者の声が今全国民に訴える時、それが力強いものとなって日本全国隅々までひびきわたっているのか、それはやはり黙殺されていたことと北朝鮮の非道に対する怒りが日本全国に満ち満ちているからだ。つまり非道に対する怒りがこれほど強いということである。それはまるでその非道に対して山も大地も共感して支持しているという感じさえある。ひ弱な拉致された母親の声さえ何か力強くたくましく聞こえる。それは正義を唱える神がのりうつったようでもある。神が支持している。それ故にその声は力強いのである。これは今までの無視された声とは全然違うことに驚くのだ。これほど非道に対する怒りというものは強いものであることが立証された。日本人もこの非道に対して結束している。党派は違ってもこのことでは結束している、全員の心が一致しているのだ。その原因は北朝鮮の人を人とも思わない非道に対する怒りなのだ。それは国が違うとかいう以前の人としての怒りに共感するからである。その一方でなぜ前の戦争で死んだものに対してはそうした力強い同情の声にならないのか、やはり非道をしたものは日本側にもありそれで欧米の植民地から解放するためだったとか弁護しても何か訴えるものとならない。今回のような明確な非道に対してなら国民は一致してその非道を訴えることができたがいくらあの戦争を肯定しようとしても訴えるものとはならないのは正義の戦争だといっても無理があるからである。もし本当に正義の戦争だったら死者さえ起き上がって叫ぶに違いないからだ。それほど非道に対する怒りは神ももっているし神も許さないといえるのだ。

こうして見るものの眼は開かれ
聞くものの耳はよく聞き
気短なものの心は悟る知識を得、
どもりの舌はたやすく
あざやかに語ることができる


              イザヤ32−3

横田めぐみさんの父親はなんかどもっている感じだけどそれでも今や英雄のように全国民に訴える者となっているのだ。国民は真実を知り目が開かれたのだ。その声が聞くものにとっても明確に聞こえてくる。小さな声でもそれははっきりと非道に対する怒りとなって全国民に共感するものとなっているのだ。だから今度は逆に在日の一部に対する怒りともなっている。明らかに北朝鮮の支持通りに動いていたからである。絶えず過去の戦争に対して責める立場にあったからだ。北朝鮮自体が日本を絶えず断罪してきたのである。なんか変ではあるが拉致事件で日本人はそうした絶えず断罪されてきた鬱屈した気分が晴れたという感じさえありそれで国民が熱狂しているともいえる。つまりそれほど在日であれ韓国、北朝鮮であれ断罪されてきた裏返しの感情がここにでてきたとも言える。在日の人も反省が必要なことは間違いないのだ。逆差別とか在日の訴えは訴えとして尋常ではなくなっていたのだ。ただ戦争で死んだ人は拉致で生死の不明な人は訴えることもできない、それは一面戦争で死んだ人たちとにている側面はあるが堂々と訴えられないものがありその人たちの不幸がある。あまりのギャップに驚くのである。

異郷の地に見捨てられ・・・・

彼らは異郷の地に見捨てられ
標となる墓とてない
その屍は異郷の地に埋もれぬ
讃えられることもなく
非難のみがその上にある
死者は何故と問うて訝る
我々の死はただ非難のみやと
我々は虚しく異郷の地に捨てられる
ただその上に非難のみある
死者は報いられず捨てられる
虚しく慙愧の髑髏が埋まっている
南国の地に風そよぎ花咲けど
彼らは受け入れられず安らぐことない
かく強いたのものは何なのか
心して深く省りみよ
50年の歳月ははや流れたり
彼らは我が同胞達は虚しく
讃えられることもなく捨てられ
異郷の土となり消えたり


      創価学会禍

創価学会のことについてはマスコミではでてこない、ところが現実生活で創価学会とかかわらない人間はいない、家族であれ親戚であれ会社であれ役所であれどこにでも何割かいるのだ。当然そこで創価学会員とは何だと話題にならざるをえないのだ。それがマスコミにはでないが個々の関係ではいろいろ悩んでいる人も多数いるのである。自分も昔にしても深くかかわってしまったから問題にせざるをないのだ。これらの個々の声を否定する、黙殺することはできない話である。それほど創価学会は社会に深くかかわる社会の手足のようになっている。創価学会なしの社会はありえないほどになっているのだ。それを問題にすることをさけることはできないのだ。タブ−にすることもできないのだ。インターネットになぜこんなに創価学会を批判することがでているのだろうと創価学会員自体が訝っているのはマスコミに出せないからその捌け口としてインターネットにでているのである。創価学会で個々にかかわっている人が無数にいるからだ。反感を持つ人も無数にいる。それが権力で抑えられているからインターネットにでてきているのだ。拉致家族の人が創価学会員で祈っていたというのも象徴的に示している。何かあると創価学会とかかわりがあるのだ。創価学会禍に巻き込まれない人はいないのだ。それほど問題なのにマスコミでは一言も報道しないのである。自民党と一体化していることも異常なことなのだがそれを本格的に問題する政治家も少ないのである。

わしの娘は創価学会員と結婚したら相手の親に
強制的に学会に入れられ苦労しとった。
よくわしにも愚痴をこぼしておった。
娘は若くして病気で死んでしまったが、葬式も学会にしきられた。
そして墓も創価学会の墓にいれられた。
わしはあれほど学会を嫌っていた娘が学会の墓にいれられて
不憫でならんのじゃ。
孫までも未来部とかいうものにいれられて学会に参加させられておる。
孫もわしになきついてくるから、わしも相手の親に文句をいうのじゃが
孫の幸せのためだといってとりあわん。
娘も創価学会の墓にいたくないと何度も夢にでてきた。
わしは学会を絶対にゆるさん。
だからコピーしに遠征してくるぞい。
誰か協力を頼んだぞ。

2ちゃんねるにでていたものだがこの発言も生々しいのだ。墓に入れられたことを恨んでいる人間もいたのだ。こんなことは新聞にもテレビにも雑誌にもでてこない、つまりこうした個々人の不満やら恨みやら叫びやらがインターネットにでているのだ。日記の中にもそうした声で満ち満ちている。医療やらパソコンの不満やらが噴出しているのがインターネットなのだ。こういう個々の声に耳を傾けることが無駄かというとそうでもないのだ。なかなかそれぞれに具体的にかかわった人の生の声は聞けない、だがインターネットではそうした生の声が聞ける。それが匿名で信憑性に欠けていることも確かだしすべては信用できない、でもその人が経験しなければ書けないことが多くあるのだ。ただ人を有名人を批評するとなると匿名だとまずい。批判することは責任がともなうのだ。人物批評にしてもむずかしいのは奇妙な話だかその人以上にその人について知らないと批評などできないのだ。

その本人が知っている以上にその本人について知らなければならないほどその人に熟知しなければならないのだ。そんなこと簡単にできるはずがないのだ。ここに人物批評のむずかしさがあるのだ。あの人は・・・・だ、とか一言ですまされるような人などいない、その背景やら生い立ちやら発言やら作品やらすべてを熟知してなんとかおぼろげな批評が成り立つのである。ところがインターネットにはあいつは・・・だとかあれは何様だ・・・・こうした有名人に対する一方的な浅薄な批判が多すぎることなのだ。やっかみとか反感だけのである。批判は自由にしても匿名だと説得力もないし批判が批判になっていないのだ。

正直な話池田大作がいかなる人物なのか本当の所はわからない、ベ−ルにつつまれているし聞いた話から判断することになる。池田大作の本当の姿は誰もわからない、それは作られた人物像なのである。支持者には神様のように作り上げられる存在であり反対者には悪魔にもみえるのだ。小泉首相の人物についてもわからない、現代はメディア通してしか知ることができないからそれはメディアによって作り上げられた像なのである。メディアがこれほど力を持つのもそのためなのだ。人物像より政策から判断した方が判断を誤らないかもしれない。政策についてははっきりするからである。メディアの力でヒットラ−は大衆を支配したのである。メディアにでないものはその存在はないと同じだというのは本当である。マスメディアにとりあげられたものはそれは大きな存在となるのだ。でも取り上げられないものは存在さえしないことになるのだ。インターネットは読まれるのがとんでもなく大変だがこうした存在させられないものが微々たるものでも存在する場を得たことも確かである。それは地方の小さな問題でも知られる存在させられるということもあるし忘れられた地方の歴史も注目されることもありうるいことである。



  過疎の深刻な島

過疎が深刻なのは山村だけではない、島の方が深刻らしい。というのは無人島になってしまった島があるからだ。将来無人島になると恐れている島の人たちも多い。後継者がいないからだ。ある所はゴミ捨て場の島として有名になった。島は高度成長期でなくても不便を強いられたのである。島はいろいろな日常的生活の基礎の部分が欠けているのだ。深刻なのは水不足になることである。済州島でも水を汲む女性の木彫りの像がお土産である。近年の過疎を深刻化させたのは島からの若者の流出である。壱岐島では一万人も減ったとか福岡が近く都市部に流れたのである。東北では島というのがどういう所か実感しにくい。九州には島が多い。

長崎県は九州の西端にあり、大小約600の島々をもつ全国一の離島県です

こんなに島があるのかと驚く。考えられない数である。島の生活の基本は米ではなく漁業である。この漁業が衰退したことが深刻な結果になったのだ。山村では炭焼きがなくなったとことや木材の供給地としての衰退である。壱岐に行く船で「魚は安い、安い、跡継ぎもいないから生活にならない、残るのは老人だけだ」と言っていた老人の漁師がいた。これは本当だった。自分の町も小さな漁港がある。そこで石鰈という魚がとれる。これはここでも凄く高いがうまいのだ。なぜ高いかとういと東京で高く売れるから地元でも高いのである。魚は高いと思っていたが他の魚は安い。対馬のような所でも山と森だけで田畑がほとんどないことに驚いた。なんとも淋しい所だった。あんな隔絶されたところだから西表島でもジャングルが殘りイリオモテヤマネコとかツシマヤマネコが生き残っていたのだ。



市櫂すとは貿易することである。島というのはそもそも貿易がないと生活が成り立たない窮乏地帯だったのだ。実感としてあれでは海に出る他生きる道がない、山は耕作できず海に出るほか生きる道がないのだ。
冒険心の問題ではなく切実な生活の問題として海に出るほかない、出口は海しかないのだ。砂漠の民も切実な生活の問題として貿易を生業とするほかない立場に置かれた。時には略奪が奨励されたしそれはさほど悪いという感覚がない、厳しい砂漠に生きるものにとっては当然の分け前という感覚だったのだ、アラ−の恵みとしてラクダの商人は襲われたのだ。倭寇というのもまさに正規の通商が斷たれたのが一因とされそれが海賊化したのだ。イギリスが海賊に応援を頼んで無敵のスペインを負かしたごとく島に暮らすものは海に出る他生活の道がない故海賊にも変身したのである。米を作るものは平野で平穏な生活を営み従順になる。人間は窮乏すればみな同じなのだ。なぜ北朝鮮が拉致したりアヘンを売りつけたりするか切羽詰まっているからである。そういう国は一面命知らずになり怖いとなる。いちかばちか荒い海でも生きるためなら何をするかわからなくなるのだ。北朝鮮は正に現代の倭寇となり海賊化するのだ。海というのは砂漠の民とにているのだ。砂漠とか平原は交通路として利用されたように海もまた国境のない自由な交通路の役を果たしたのだ。

「壱岐の高校を卒業する500 人
の生徒のうち、島に残るのは10人。


これは深刻である。島では済州島でも海女として出稼ぎで日本まで来ていたり島だけで暮らしを立てることはむずかしい。いろいろな基本的な生活の不便が強いられるのだ。

「かつて300人の人が住んでいた128エーカーの赤島には現在、わずか5人が住むに過ぎない。その赤島でどんなことが行われているか。住人5人の赤島に先日約3億の港拡張工事が始まった。隣の黄島(人口70人)と赤島に、1日2回フェリーを就航させるために、年に約6000万円の補助金を拠出している。さらに赤島に電力を供給するために、政府は多額の金を出して、海底ケーブルを2本もひいた。海底電話ケーブル、郵便配達、週1回の公立病院の医師巡回などもある。黄島では3人の生徒に対して9人の先生がいる。」

これも日本を象徴した出来事が過疎の村や島で起きていた。これは一見手厚い援助のように見えるが過疎の島の解消にはなんにもなっていなかった。土建屋を潤しただけだった。これが公共事業の弊害だった。日本がまさに土建屋によって食いつぶされるということまざまざと示している。こんな無駄はもはやできなくなっている。島というのには独特の旅情が生まれるがやはり島の過疎化は深刻なことがインターネットなどでわかった。過疎の島の悲鳴のようなものが聞こえてきたからである。山もそうだが島も老人だけか取り残されることになる。八戸まで新幹線が開通したがそれで取り残されるロ−カル線のことを報道していたが便利になればどこかかがまた不便になる。私は新幹線には乗らない、高すぎるのだ。高速バスの方が安くていいのだ。新幹線によりロ−カル線の本数は減らされ金だけ高く払わされるのである。瀬戸内海大橋とか東京湾高速とか高くて利用しないというのもわかる。フェリ−がつぶれるといったが安いから利用している。これも余りにも採算を考えるずにした公共事業のつけがいたるところに露呈した結果であった。日本は今はそうした過去の無駄なつけの清算を迫られているのだ。無駄は無駄として終わるのでなく消えるのではなくそのつけが個人でも社会でも必ず回ってきて清算を迫られるのだ。

   虫の音や島の湊を船の去る



  塀の街−萩の不思議

萩の町の不思議は思っていたより小さな市だったことである。ビルがもっと立っている大きな市を想像していたからだ。あういう小さな町から明治維新が起こったことは不思議であった。松下村塾自体まさに村の寺子屋より貧弱なものだった。毛利藩は関が原の戦いで縮小されたということもあるがそれにしても小さな町だった。仙台藩というと今でも仙台の街は大きいし青葉城も高い所にあり大きく感じるが萩の町自体小さく感じたのだ。そして城の跡にしろ枯芒の堀に石垣だけが殘りそれがぽかんと穴があいたような淋しさを感じた。それは急速な時代の移り変わりで取り残された憔悴したような姿を象徴していた。それと同時に萩の駅も街の中心からはずれて取り残されたように残っていた。汽車は無用だとして街の中心からはずして駅を作った所があったのだ。今では東萩駅の方が中心となっている。

120万石から防長36万石に減封されたとき山口の町に藩の中心を置くことを幕府に願い出たが許されす、この地に城を築いたものです。本来これほどの減封となると、家臣団も人数を減らすものですが、藩主毛利輝元の人柄によるためかほとんどの家臣がそのまま萩とその周辺に住み着きました。その結果、萩の町は他の都市に例を見ないほど細かく区画され、一軒一軒の武士の屋敷は当時の格式に対する考え方よりもずっと小さなものになりました 」

120万石から36万石というのは凄い縮小であった。本当はもっと大きな城下町になっていたのである。だからここがどうして革命の原動力になった土地なのかわからない、吉田松陰がいくら偉大でも一人で革命を起こせる訳がないしそんなエネルギ−がどこから起こったのかわからない、武士でもない伊藤博文なども松下村塾の近くに住み感化されて町人から首相になった。町人をも巻き込んだ革命でもあった。奇兵隊というのもそうだった。武士は下級武士であり旗本的な古い武士よりそうした下からのエネルギ−が革命の先導役になった。城を守るような昔からの武士ではない、何か新しい時代の息吹を感じそれを実行できたのは若い30代前の人たちだった。そもそもあのような死ぬか生きるかの激しい戦いは古参の侍はできなかった。それを象徴していたのがあの石垣だけの城跡だったのだ。城は必要なくなり萩という小さな町から維新の志士は京へ江戸へ出て行ったのである。脱藩というのが志士達が新しい世界へ旅立つことだったように昔からの殿様のいる城下から離れることが革命だったのだ。あのような小さな町から離れて京へ江戸へと志士が駆け回り日本が動いたのだ。萩という小さな藩を守る時代ではなくなっていたのである。高杉晋作は上海に行っているし下関では外国軍と戦い負けたり鎖国は維持できなくなっていたのだ。もう一つ経済的要因として江戸時代の新田開発は飽和点に達し人口も増やすことができなくなった。そうした停滞を破る時にきていた。つまり増加する人口を養うために外からの革命が必要になっていた。大東亜戦争も満州に農民を移住させたりアメリカに経済封鎖されて戦争を起こしたとか経済的要因があった。モンゴルなどの遊牧民が農耕民の中国に侵入したのも食料が枯渇したからである。

明治維新について理解することはむずかしいが萩の町がそうした新しいことが起こった世界というより古いものが残っていることに魅了されたのだ。江戸時代の城下町の佇まいが残っていて江戸時代に戻ったような気がした。というのはあの塀から武家屋敷から商家からでて来るのは昔のままの人、侍とか着物を着た女性とか和服の人とかそれがあの風景に似合うのだ。現代の騒々しい喧騒の世界ではない、昔の静かな質素な日本の風景なのだ。江戸時代は侍でも質素倹約の世界だった。ゴミ一つ無駄にしないような世界だった。そういう雰囲気が今も感じられた。大きな商家の娘や武士の娘も肌を見せない着物につつみ深窓の奥にかくまわれ滅多に出てこなかったのかもしれない、職人は職人で大工町とか細工町とかに住みこつこつと手仕事に励んでいた。とにかく今から比べると本当に静かだった。塀の道は今も余り自動車は通っていないから静かである。静寂に満ちていたのだ。手仕事の世界であり質素倹約の世界であり侍は侍で城に仕えていた。城と侍は一体であった。萩といっても規模の小さいことに驚く。今の都市の感覚から想像するからそうなるのである。もっとこじんまりした質素な城下町だったのである。

 秋の風竹にそよぐや塀の内

塀の内の竹に風がそよぐそうしたさやさやと竹のそよぐ音に耳を傾けるそうした静けさがそこにあった。その佇まいは一軒だけではない、塀は街の一区画を囲んでいた。一軒だけなら余り意味がないし昔を懐古はできない。街全体に昔が残っていることが貴重なのだ。維新の志士にしてもそうした静けさの中で活躍したのだ。




清水清太郎 元治元年12・25 賜死 享年22 

長州藩家老

家老として急進派志士たちと国事に奔走。

幽閉中の詩

世のことは絶えてをぐらき山里にこころつくしの夜半のともし火

この人のことはわからないがこの歌は気に入った。こころつくしの夜半のともし火というのはいかにも火を大事にした質素な生活が感じられたからである。今の時代はあまりに浪費の時代なのだ。これはやはり自然の法則に反することである。こころつくしとは物に対して人間の心が通っていることなのだ。今や物からこころつくしと感じるものはない、物と心は豊かな時代分離してしまったのである。

ろうそくの油にはいわしやさんまの油を使っていましたが、けむりが多くてたいへんでした。 ろうそく1本で6時間ともせました。でも、ろうそく1本2,800円もしたので、庶民は簡単に買えませんでした。ろうそくのしずくを買い集める。江戸時代、ろうそくはたいへん貴重な物だったから、燃えた後に残るしずくも貴重な物だった。

和ろうそくにはろうそくに女性の姿などを描いたものやいろいあり
当時のろうそく文化が偲ばれる。江戸時代は情緒的に日本文化の完成時代だった。和ろうそくのホームページがあるから確かめるとよい。心つくしあるがそこに若い女性の姿が描かれたものがあった。それを見るとなんかこの歌とぴったりだった。
兵庫の伝統工芸品(和ろうそく)へ



静かなる山里に
心つくしの灯のともる
そのともしき灯も
貴重なるもの
はや若くして志士の
生の終えんとする時
真心もてその灯は
静かなる山里に灯されぬ


清水清太郎という人は家老で22才で死にこの辞世の歌を残した。22才でこんな歌を残せるのはかなり才能があった。他の辞世の歌は大和魂とか大げさのものになっているがこれはしんみりとさせる歌なのである。辞世の歌のように思えない、これは山里に普通に暮らす人の歌としても不思議ではない、そもそも武士というのはかなり教養があったしあの頃人は今の人より大人であり10才くらい違った感覚かもしれない、20でも30才くらいの感覚かもしれない。みんな歌とか漢詩を作っているし漢詩の全盛期が明治にあったというのもそのことを示している。武士の時代に培ったものが明治になり華開いたのだ。明治維新も江戸時代に培ったものがありで来たとも言える。何もない所からあれだけのことができるはずがないからだ。




あの塀を考えると江戸も武家屋敷の街だったから塀が延々とつづく街だった。東京には昔を偲ぶものがほとんどないのだ。昔を偲ぶものがないということは歴史が断絶することでもあるのだ。日本は明治で歴史が断絶し戦後でまた極端に歴史が断絶してしまったのだ。それは風景だけでなく精神にも甚大な影響を及ぼしたのだ。今なぜ昔の懐古趣味になっているのかとうと戦後の高度成長経済というのもまた異常な熱病ごとく日本人を駆り立てたのだ。それが一段落して不況にあえでいるがむしろあの高度成長は普通ではなかったのだ。物凄い急速な物質文明化でありアメリカ化でありそれは日本的風景も精神も破壊してしまったのである。一面文明の荒野のような状況が各地で作られたのだ。アメリカではあのようなとてつものない領土を持つ国だかSF映画のロケのような突然巨大都市が生まれても違和感がないのかもしれないが日本のような質素倹約の茶室的世界にはそぐわないものがにょきにょきと巨大なビルが覆い自動車の洪水に見舞われてしまったのだ。それは世界的なものでもあった。文明はまた世界的画一化であったからだ。

ともかくその風土に培われた歴史との断絶は精神を混乱させる。それは文化も混乱させる。現代詩なども今やその本人しか理解できない、言葉で意思疎通さえできなくなっている。言葉で意思疎通ができなくなっていることはまさにそうした風土と歴史に培われた伝統が喪失したことにあるのだ。その行くつく先は集団的狂気のファシズムになるのは文明の運命でなかろうか。ファシズムは文明自体の混乱が作り出すものなのだ。つまり伝統的文化の一体感の喪失がそうさせるのである。人が大勢集まりシュプレヒコ−ルを示威行為をするだけで何か連帯しているような錯覚を作りだす、それはまた人間の連帯感の喪失がそうさせているのだ。それは疑似連帯感であり決して本当の連帯感ではない、文明の混乱が個々を分裂させた故にそうなるのである。

また歴史の現実は映画とは違う。しかし映画が現実と錯覚する人も多いのだ。明治維新を題材にした鞍馬天狗など見たがそれは現実の歴史とは違う。他の歴史ドラマにしても現実の歴史とは違う脚色されたのなのだ。脚色されたものが現実と思いこむのもメディアの世界、マスコミの世界なのだ。明治維新の時、黒船が来た時、それをテレビで報道することもないから吉田松陰は下田から密航した。実際自分の目で確かめたかったからそうしたともいえる。本物を実際に見るという願望のためだったかもしれない、人と人の関係も実際に合うということが第一だったからだ。現代はバ−チャルな世界とリアルな現実が混同する世界なのだ。小泉首相にしても作られた人物像が本物だと容易に思い込ませるのがメディアでありマスコミなのだ。直接会いないのだからそれで判断を強いられているというのも現実である。この点明治前と文明化後の世界は理解しがたいほど違ったものなのだ。例えば和服や着物を着てあの萩の塀の街にそって歩んでみると気持ちまで昔に変わる、つまり文化とはそうした全体であり俳句や短歌を作るということではない、文化は不可分に全体と結びついているものなのだ。その伝統的な文化の破壊が深刻な影響をそれぞれの国にもたらしたのも現代であったのだ。

いづれにしろ現代の文明は曲がり角にきている。昔の良きものを見直すのもそのためである。日本は木の文化だから昔のものが残らないことが多い。それは一面あまりにも変わりすぎる、流行を追いすぎることにもなる。ヨ−ロッバは石の文化だから古いものが規範のように殘り古いものを大事にする。それは精神の安定ももたらすのである。歴史的連続性が維持されて社会が安定するのである。日本は間違いなく急速に変わりすぎたのだ。日本の建築は木であり木は殘りにくいが塀は残るという。塀は土だから残るのか万里の長城なども残っている。日本でも土蔵などは残っている。ヨ−ロッパでは石だから残っている。大陸では強固な建築が発達したのは当然である。橋でも庭でも壁でもヨ−ロッパではすべて建築の一部であり都市自体が強固な建築物として作られたのである。建築なくしてヨ−ロッパの歴史はないごとく建築とともに歴史が作られてきたのだ。日本は木の文化だからそうした建築の文化は残らなかったのである。萩は塀が残っていることで当時の面影を残している。塀に囲まれていることで静かで落ち着いた雰囲気を保っている。この塀ぞい歩いているとなんとも心落ち着く、心が癒されるものを感じた。やはり昔が残っている所はいいと思った。近代的なビルの谷間で人は日々心を消耗されている現代、この塀の空間は昔にタイムスリップした感じて良かった。

塀はビルのように高からず
身の丈の高さ
身の丈で計りうる世界
それ故に心落ち着く


塀の高さはhumansized worldなのだ。現代は身の丈で計れるものなどない。身の丈を越えたものですべてが動いている。経済も政治も宗教も教育も報道もすべてそうである。そこで個人が何かしようとしてもただ巨大なものの前に何もできないのである。上野霄里氏の原生人間とういのも本来の原人間の確認であった。身の丈から見た本来の人間の確認だったのだ。松下村塾のようなあんなちっぽけな世界から明治維新が起きたこともやはり江戸時代が身の丈の中にある世界だったのだ。現代文明は身の丈では計れない異常な世界でありこれと一体となることは不可能である。

塀の街−萩のスライドショ−では電信柱を消して写真を加工した。電信柱も古い町との景観を無視してやたらと計画もなく作りすぎたのが高度成長経済の弊害だったのだ。不況ではあるがそうした反省が必要なことは確かである。





豊郷小学校存続の是非(滋賀県)


米国出身の建築家ヴォーリズ(1880〜1964)が設計し、昭和初期に建てられた滋賀県豊郷町の町立豊郷小学校の校舎をめぐり、住民28人が町長の進める
解体工事の差し止めを求めた仮処分申請について、大津地裁(神吉正則裁判長)は 19日、工事の差し止めを認める決定を出した。文化庁によると、近代建築物の文化的価値を認めた解体工事の差し止めは極めて珍しいという。


長野県の八坂村という山の中の廃校となった小学校の校舎が宿泊施設になっていた。自転車旅行で偶然泊まった。教室が泊まる部屋になってをりきしむ廊下を歩むとなんか確かにここに昔学んだ児童のもののけがでて来る感じだった。部屋の窓は教室だったからそこから外の校庭や川が流れているから川もみていた。自分は旅行が仕事みたいだからいろんな所に泊まっている。農家の納屋を改造したライダ−ハウスから無人駅にも何回も泊まった。その中でもやはり奥深い山の中の校舎に泊まることは得難い経験であった。八つの坂があるということで八坂村となったと思えるが急な坂の多い所である。山に閉ざされた所である。木の校舎だからなつかしいものを感じた。ここの校舎はコンクリ−トだからそれほどいいものなのかわからない、ただなかに螺旋階段などがあり変わっているから残したいとなったのだろう。建て替えするより別な施設として使うことも一つの方法だろう。

2ちゃんねるとか今この話題について地域だけでなくインターネットで発言し呼びかけている人たちがいる。こういう時インターネットは役にたつ。マスコミではちょっとだけ写して事の真相というのがわからないのだ。団体の圧力がありどうしてそうなっているのかわかちない場合が多い。利権がらみの暴力団や差別団体やら何やら怖い問題にもなっている。ただインターネットで訴えることはそれなりに有効なのかもしれない、つまりインターネットはリアルタイムでライブで全国、全世界と結ばれているからライブで反応できるということが強みなのだ。抗議行動に参加しようという広告を出したりしているから即時全国に伝わるのだ。韓国の大統領選挙が前日に覆されたのは若者がインターネットで連絡をとりあい選挙に行ったからだという、つまり前日でも同時に結ばれているからできるのである。マスコミは一方的で真相は語らないからわからないのだ。マスコミは一方的メデアであり下から住民からの声ではないのだ。インターネットが市民運動を起こす時役に立つことはありえる。ただ圧力団体や党派も関係してくるのでむずかしい面はある。あとはどうしても発言しても傍観的立場で終わる場合が多いことも確かである。ただインターネットの強みは同時に結ばれていることこれが何かしら事があった時役にたつ。新しいメデアだから実際に役に立てることはまだまだわからないのである。


  
八坂村の宿

犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り 
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は分かれを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり




この記録した詩からふりかえると犀川にそって大町にでたことになる。この道筋は記憶していないがかなり山また山の奥だった。おそらく何年か前のことだからその宿泊場となった小学校は残っているし今も利用できる。

http://isweb1.infoseek.co.jp/~alps/tabi/2000/spring/0503/0503.html

おそらくこのHPにある旧日下野小学校の校舎が泊まった所である。



 今年も終わる奇々怪々なる世界

アメリカとういう巨象が地響きをたてて動く
世界も動く、動かされる、こりゃ大変だ
象について盛んに吠える犬はイギリス
漁夫の利を得んとするは熊のロシアの今はキツネか
フランスも分け前をほしがる禿鷹か
ドイツは過去の過ち故に賢明になり手をひいた猫
中国は巨大なるどぐろ巻く大蛇
ついにはすべてをのみこむ豚の貪欲さ
安物を世界中にばらまき市場を独占
インドは太古のままの牛かそれでも核兵器をもった
瞑想と忍耐、無抵抗主義では生きられぬ
ああ 日本、お前は巨象の後ろをのこのこついてゆく猿
お前は戦争に負けてうちのめされただアメリカに従う猿
唯一頼みの経済も衰退、独立の矜持はなく
アメリカに早くついてこい猿、そうしないと踏みつぶすぞ
猿は脅されてのこのこついてゆくが世界は無視
アメリカという巨象が動く、踏みつぶされる蟻にネズミ
それでも巨象に向かい足をかじった
アメリカなる巨象は怒り暴れ世界を動かす
巨象に逆らえるものはもはや誰もいない
巨象の行く道が世界の意志だ、正義だ、正義は力だ
アラブは何だ、アラブのボス猿たらんとするイラク
次のボスを虎視眈々とねらうイラン
サウジアラビアは無力なる大人しいラクダか
イスラエルは狂犬、バレスチナは手負いの狼
北朝鮮はハリネズミ、近寄ることもできない
この奇々怪々なる世界、誰も紛争を止めることはできない
ただ己の欲故に動き、動かされる世界
みんな人の皮をかぶった獣たち
それらが容赦なく相食む獣たち
それが変わらぬこの世の姿
獣の理屈は所詮獣の理屈
どちらにも正義はない、欲のあるのみ
誰も紛争は止められぬ、世界が終わるまで


世界というのは奇々怪々なるものであり誰もわからない、見えないものなのだ。連合赤軍のヨド号事件というのもそうだった。日本人を拉致する北朝鮮に使われるコマでしかなかった。それも日本革命どころか日本を売ることをしていたのだから世界という奇々怪々な世界の迷路にはまり込んだのだ。革命という言葉だけに酔いしれている若者も多い。自分もそうだった。世界とはそんな単純なものではない、実に奇々怪々なるものである。社会主義のたどった運命も実に悲惨なものであり不可解なものだった。人間とは不可解なものである。一面賢いのだがとんでもなく愚かなものなのだ。カンボジアでは骸骨の山が積まれた記念館があった。そこの不思議は虐殺された所で大量の人骨が埋められた所であった。その上を牛がのんびりと歩いていた。そして人間は牛より愚かだということを思った。なぜこんな馬鹿げたことをしたのか牛ならそんなことはしない、牛はのんびりと人間の愚かさを知らず知らないのかその人骨の埋まっている上を歩いていた。行動することは実にむずかしいことなのだ。老子の成さずば成るとかやむをえずして行動する時がそれなりに正当性がある。自分もそうだったから人のことは言えないが望まれもしないのに行動して墓穴を掘るのが多いのだ。ただ独りよがりに行動していたのである。

アメリカも正義を唱えるがベトナムではやはり迷路に落ち込んでジャングルの泥沼から抜け出れなくなったのだ。これは何も世界だけではない、日本の国内にしても奇々怪々なるものなのだ。政治家というのも様々な利権や欲の代表者だからこれまた奇々怪々な様子を呈してくる。自民党であれ民主党であれ創価でれ共産党であれ在日であれ様々な利権がからんで奇々怪々になってくる。世界であれ国内であれ政治家はにているのだ。それぞれの利権がからんで奇々怪々になってくる。人間は一皮むけばみな獣であり欲の世界に生きているからである。欲の上に理屈をこねるからさらにわかりにくくなる。いづれにしろ人間というものはエデンの園を追放されて以来変わっていない、罪なる人間なのだ。それはどこの国も同じであり宗教に関係なくそのように思える。互いの欲を抑えれば紛争の解決の糸口は見えてくるはずだがそうではない、己の欲を主張してやまないから紛争は解決しないのだ。これは国際関係でなくても人間の関係でもそうである。財産争いで八つ墓村のような奇々怪々なものになってしまうことは同じである。

人はみなその隣り人に偽りを語り、へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る(詩篇12−2)

心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。エレミヤ17−9

国家同士のやりとりはみなこれなのだ。すべて偽りであってそこに信義が欠けている。人間個人同士では信頼があるが国家同士となるとみんな疑心暗鬼であり他国を信用していない、同盟を結んでも偽りの同盟になる。国家間同士ではそういうことが繰り返されてきたのだ。ふたごこをもって語るである。動物もなんらか心の表象であるときまさに蛇とキツネとタヌキとハエエナとネズミとライオンとトラと象とかが同居している奇々怪々なものなのだ。これは全く人間の歴史が始まって以来変わらない姿なのである。この世の欲が滅びない限り世界は変わることがないのだ。その欲を滅ぼすのは神しかできないのである。だから人間の力で紛争を解決することは不可能なのだ。

世と世の欲とは過ぎ去る、しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる(ヨハネ2−17)