時事問題の深層
  200012月-2001−3月
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相馬私局(小林) a private channel in soma-gun
(近況報告ー日記)
小林勇一 感想はこちらへ


ルネッサンスの意味
ヨ−ロッパの都市(建築の意味)
ヨ−ロッパの歴史の厚み
変革できない日本の権力構造
fortune(富と運命)
近代合理主義科学文明のもろさ(20世紀の総決算)
自由を求める人間 
公共事業の計画性の無さはなぜ
村から離れられない日本人
自然保護の矛盾
歪められた歴史
アルジェリアの放送を見て
地域の紛争勃発の原因は(2001−3−2
戦争悲話の断章(2001−3−2



ルネッサンスの意味
 
artとは技術を意味していたのだから技術そのものが芸術だったのだ。技術が芸術を生みだしたのであり芸術より先に技術が存在した、紙を作り墨を作らねば絵も描けないのだから当然である。ギリシャ人は壷を作り輸出していたのだかそれは最初実用的なものとして作られていた。あとから華麗な装飾をほどこすようになったのだ。当時の人はその華麗な装飾には価値を見出していなかった。後世の人が価値を見出したのである。

コンピュタ−が才能を引き出す能力があるようにまたeducationがeducateであるように教育とは能力を引き出すことであった。西欧的概念では能力とは常に引き出されるべきものととらえていた。一方東洋では教育は育てるだから作物を育てるだから農耕的思考があり能力ということに重点が置かれていない。西欧では絶えず能力は開発し引き出されるべきものなのだ。能力は引き出す努力をしないかぎりどんな才能あるものでも発揮できないのだ。このインタ−ネットはそうした才能を引き出し開花させるものがあるかもしれない、というのは今まで個人にはそうした場が与えられていなかったからだ。

狩猟や商業や工業は絶えず能力を開発してゆくことに迫られている。絶えず創意工夫の必要な世界である。ギリシャのオリンピックにしろ絶えず能力の優れたものが英雄となる。能力は競い合い優劣が決められる。

これは今のアメリカの能力主義社会まで引き継がれている。人種や出自にかからわず能力あるものが尊重されるのだ。これ故に西欧には天才が多いのである。アメリカがなぜ常に指導的国なのかといえば常に能力あるものを育て発揮させる環境にあるからだ。日本は平等主義であり均質社会でありそうした環境がないのだ。村社会的で向こう三軒両隣が世間であり非常に狭い世界の世界観しかもてないのである。だから嫉妬社会でもある。自分自身もそうだか非常に妬み深いのである。「隣に蔵が建つと腹が立つ」なのだ。

女性が見栄の争いで子供を殺してしまったというのもみな他人事でない世界なのだ。女性の場合、隣とか子供しか見えなくなっているのだ。90歳にもなる老母が未だにその孫の代まで見栄やら収入やらで競い合っているのだからその怨念やら見栄は凄まじい業である。女性が鬼なる姿が演じられるが女性の業も深いのだ。とにかく日本では能力を引き出すというよりは能力は必要とされないのだ。ただ戦国時代とか改革の時は能力はやむをえず必要とされ能力あるものが上に立ったのである。

農耕民族は創意工夫より和が重んじられる、創意工夫があまり必要のない、毎年同じ行為の繰り返しでありそこでは能力よりみんなと歩調を合わせ調和することが大事なのだ。しかしこの農耕的社会は西欧文明によって当然支配され蹂躙されることになった。商業や工業やまた情報社会では絶えず能力の開発が迫られている。絶えざる技術革新が迫られているから農耕的和の世界では世界から取り残されるのである。

ルネサンスはまずギリシャロ−マの古典文明を基にし次にアラブの化学や数学やその他アラブイスラム的なものが入り総合的なものとして花開いたのだ。西洋文明の強みとはエジプト文明やアラブイスラム文化などをとり入れたからである。そこに文化の厚みがあり国際性が生まれ相互研鑚が成されて古典の再生(ルネサンス)が花開いたのだ。過去の歴史と断絶して創造はなく国際性、優れたものを外からとり入れることなしで創造は生まれないことを示している。西洋文明の強みは多種多様なものからル−ルを作り文化を創造したことである。それぞれの独自性を強調しつつ言語において共通性があることで一体感がありキリスト教を基盤にした一体性がある故反目しつつも理解しあえる。ではなぜはナチスのようなものが生まれたのかおそらくそれはヨ−ロッハだけのドイツだけの問題ではなく現代の文明そのものに基因している。

大衆というのは現代に発生した概念だし国民というのもそうでしる。マス文明大衆文明の暴走だったのである。今でもそうした団体がありこの文明はそうした危険性をはらんでいる。ファシズムというのは江戸時代やヨ−ロッハの中世には絶対に起り得ないことだからだ。現代の文明が生み出したものなのだ。現代文明は構造的にファシズムに席巻されやすいのだ。誰ももはやこの文明の全体など見渡せるものはいない、そこにヒットラ−が生まれたのだ。

とにかくヨ−ロッハ文明は多種多様なものの複合的統一文明でありマヤやインカの文明は孤立文明の故にもろくも崩れ去ったのである。高度な技術は存在したのだが宗教やその他では原始的なままだったのだ。文明はいくら技術があってもそれを支える精神が貧弱だともろくはかないものになる。西洋文明の強みは技術のバックグランドにキリスト教があったからである。文明は技術とか宗教とか法律とか様々なものが一体化したもので技術だけとりいれることなどできないものなのだ。

日本は極端に技術尊重主義になっている。それは耶麻台国の時代からそうなのだ。鏡を神器として尊重したのもまさに如実にそのことを示している。中国では鏡は神器でもなんでもない、今と同じように顔を見るために普通に使われていたのだ。それが日本では特別なもの神器までになった。そしてその鏡を模範として作ることに精出すことになる。つまり日本人の物作りの伝統はここからすでに始まっているのだ。外国から入ってくるものは常に精神より物だった。今でも依然として外国から入って来た物こそ大事であり精巧な物作りに励んでいる。それは世界一にもなったのだ。しかしその背後にある精神とか宗教にはあまり関心を示さないのだ。

日本の場合は耶麻台国の時、万葉集の時代、安土桃山時代、明治時代がルネッサンスだったといえる。その間の平安時代、江戸時代は国風文化の時代で日本独自のものを育成した時代である。こう考えると明治は外国のものをとり入れることで必死だった。今ではそれを消化して日本独自のものを創造する時期で国風文化の育成時代となるからルネッサンスとはまた違ったものになるのだが伝統の復帰などの点ではルネッサンス的要素があり国際化も以前として続いている点でルネサンス的要素はある。 柔道の国際化や俳句の国際化はその一つである。

●権力の分散化が必要

インタ−ネットやパソコンがどういう役目をになうのかはまだわからない。ただ情報を処理する能力は百倍にも増大する可能性があり素人でも学者と肩を並べるものを発表する能力の人は出てくるかもしれないしマスコミから個人へと情報や発信がシフトされることで中央集権的マスコミ体制は崩壊してゆくことは確かだろう。権力は分散された方がいいのだ。創価学会の問題は権力が巨大化集中しすぎたことにあるのだ。この責任は政治家にもある。政教分離などといいながら絶えず政治で持ちつ持たれつで容認されてきたのである。新聞社とか大手出版社とか巨大な権力が一手に言論を左右するのが問題なのである。今小さな出版社は経済的に成りたたず小部数の出版はできなくなっているという。本の場合はコストがかかりすぎるからそうなる。出版は本作りは編集とかも重要な要素であり一人で行うことはむずかしい作業なのだ。

しかし言論に関しても多様な言論があってしかかるべきなのだがそれが今までのマスコミ世界では不可能なのである。地方分権も言われるようにやはり権力はあらゆる分野で分散されるべきなのだ。権力が分散すれば言論界にも風穴があく、創価学会が恐怖なのは全体主義になるからである、権力が一極化する弊害は歴史的にみても明らかである。共産主義もこの点で同じだった。アメリカとかヨ−ロッハでは地方の文化や地方主体の政治体制というものがあるというしアメリカも州ごとに権力が分散し地方の文化、新聞も地方紙がメインになっているというのも民主主義の健全な姿なのだろう。日本は中央集権的になりやすい体質でありそれが有利に働いたのだがこれからは地方分権の時代なのだろう。それは経済だけの話ではなく全般に及ぶものである。UNITED KINGDOM UNITED STATESが国であり一極中央集権国家は民主主義を育まない。

インタ−ネットの問題はあまりにも分散されて見えないという問題がある。このまま野放図にホ−ムペ−ジが増殖するともはやサ−チエンジであれなんであれ目的のものにたどりつくことができなくなる。互いにアクセスされる方法が必要である。それぞれのコミニュテイの必要性も出てきている。読まれないということアクセスされないことはどこでも致命的だからだ。しかしホ−ムペ−ジの独立性は崩すことはできないからこの問題もやっかいである。しかしこのままではどうにもならない状態になっている。今までのようなハソコン通信ではないなにかしらのそれぞれのコミニュティか必要なのかもしれない、ニフティの問題はニフティがやはりメディアを握っていて一極集中だったのである。あそこには言論の自由はあるようでなかった。見えないにしろニフティがなんらかで関与していた。何故なら一分いくらと金をとっていたのだから大勢にアクセスしてもらわないと稼げない仕組みになっていた。どうしてもここも大勢を対象とする商売になる面はあったのだ。一極集中になるとみなそうなるのである。アメリカの世界支配も一極集中のためでありそこに不公平も生まれるのである。アメリカが全部正義ではないのに力が正義で通ってしまうのだ



 ヨ−ロッパの都市(建築の意味)




今回のドイツとスイスの旅行で巡った地方の中小都市は日本にはないものだった。歴史がそっくりタイムカプセルのように保存されていて落ちついて街は現代の新しい街の中に生きていた。必ず独特の塔があり門があり教会があり城があり庭園がありその特有の個性があり歴史は街全体に息づいていた。それは川や山や湖などと自然とも調和して美しかった。

 ヨ−ロッパの街は計画的に作られたものである。ハイデルベルグの高台にある大庭園も計画的に設計して作られたものであり日本の庭とはその考え方からして違っていた。庭すら設計し作るものであり建築の一部だったことである。ハイデクベルグの大庭園はそれを如実に物語っている。そもそもgardenはガ−ドする、守るという意味だった。それが言葉の上では理解できなかったが現実のガ−デンを目の当たりにして納得した。庭は日本のように自然のままに自然をとり入れる、自然のミニチュアとしてとり入れる日本の庭とは違う。ヨ−ロッパの庭は極めて人造的なもので自然の庭ではないのだ。だから感覚的に同じ庭でも違ったものなのだ。

 俳句的感覚でヨ−ロッパの大庭園に接することはできない。日本の庭は自然の一部なのである。「北風や庭に動かぬ石二つ」こういう句を詠む時、それはあくまで自然の石であり自然をとり入れた石であるがヨ−ロッパの庭園はそうした禅寺の庭のように自然の石を自然のままに配置することはなく、幾何学的に整然と配置する。つまり人間の手で作り直し人間が計画し設計し作ったものが美しいのである。実際それはヨ−ロッパの基本的な思想である。それはヨ−ロッパの文明なのだ。人間の作ったものこそ建築にしろ美術にしろ都市もまた人間の作ったものとして美しいのである。

 また事実その美は荘厳さはロ−マの建築であれ宮殿であれ大聖堂であれ塔であれ都市の街並みであれその中に入る時、人間の作ったものの偉大さ荘厳さを感じるしそれにより人間が尊厳を与えられていることを自覚させられるのである。ノ−トルダムにしろその他の大聖堂は何か不滅の美すら宿している荘厳なものを感じる。おそらくこのことが根本的に東洋的人間観自然観と異なるものなのだ。人間の作ったものこそこの世界を作るものであり東洋的なもの日本人の自然になるというものではない、常にメイクするものがヨ−ロッパ文明である。ヨ−ロッパの文明は人造的なものであり科学をこれほど信じるのも人間の作ったものが優位に立つ文明だからなのだ。ヨ−ロッパ文明を遡るとすでにバビロンとかエジプトとかも関係していた。というのは支配者をRULER(定規)と同一していることは支配することは定規を使って区画しその中心に民を支配する建物を建てることであった。だから常に建築が文明のシンボル的存在となった。神殿であれ教会であれ宮殿であれ建築はRULER(定規)にとって肝要な仕事だったのである。民を威圧するような荘厳な建築が必要だったのだ。

 自然のままにとか自然をそのままが良いのではなく自然を改造し人間の手で作り直すのがヨ−ロッパの文明である。それは必ずしも自然を破壊するというのではなく自然を人間的に計画し設計し作り直すということである。今日の文明がこれほど人工的なもの人間の作られたものによって覆われるというのもヨ−ロッパ文明の結果かもしれない。ヨ−ロッパ文明には人間至上主義があり人間が最善のものとしてこの世界を作るという文明なのだ。だから科学はこの世界の秘密を解き明かし人間を幸福にするという信念がある。現代の文明がこれほど科学至上主義になるのも必然なのである。

 しかしその結果としてヨ−ロッパ文明は極めて物質的世界観に陥り行き詰まったともいえる。というのは人間が最善のもので人間が神のようなものでこの世界を支配し作るというのはそれは絶対的神であるものをさしおいてバベルの塔を作ることになる。事実は現代文明はバベルの塔を築きそれが重荷となりいたるところで解決つかない問題をかかえ瓦解しようとしているからだ。ただそれがヨ−ロッパ文明のせいだとかいうのではなくその延長上に現代の文明があることを認識すべきだということである。

ヨ−ロッパの言葉にしてもまず主語があり動詞があり目的語がある。I make a house.主語は最善の人間であり人間が主人で目的語なるものは生物、無生物に限らず人間が作り操作するものとして存在する。強烈な人間の意志の実現を示すことが言葉自体に如実に示されている。常に人間を主体として意識するのがその言葉の特質なのである。何故ヨ−ロッパの芸術に人間を彫塑化することや肖像画が多いのはやはり人間を主体化し人間を主人化するためである。つまり人間こそ世界の中心をしめるという思想である。一方東洋では極力人間は自然の中に消し去ろうとする。東洋では人間を彫塑化することが少ない特に一般的人間を彫塑化することは非常に少ない、彫塑化されるのは仏とか軍人とか特別な人間である。彫刻というのは特に個としての人間を意識させるものでありヨ−ロッパ的な文化の特徴なのである。絵よりも立体的であり個そのものとして肉体と精神を形にしたものなのだ。

 ヨ−ロッパ文明はやはり偉大なのであり人間を尊厳あらしめるものを作り出したのである。ヨ−ロッパでは駅すら荘重なア−チの殿堂のような駅で自らがその駅に降り立った時、人間が尊厳ある存在であることを自覚させられた。これは日本などでは経験しない人工的なものの美の中に人間の尊厳が目覚めさせられる体験である。ただ現代の建築にはそうしたものはなく人間を卑小にしてしまう、人間を部品のように扱う、機械のように扱うもので現代の文明は科学文明は決して人間を高め尊厳あるものにしていないのだ。

現代文明はすべて人間を尊厳あるものとせず人間の作られたものに疎外されるというのはマルクスでなくても感じることなのだ。せいぜい経済的一単位か統計的単位か労働の一部品としか扱われていないのである。宗教団体ですら人間は数の一単位であれ人間扱いなどされていないのだ。すべてが人間を卑しめるものとなっている文明の悲劇がここにある。都会のビルの谷間を歩いてもただただその前に人間の卑小さを感じさせられるだけだが古代のア−チの殿堂に立つ時、自らが彫塑的になり一人の人間としてそこに置かれ尊厳を与えられたことを感じたのである。建物が主人ではなくあくまでも建物は人間を飾るもので主人は人間なのである。

 ルネッサンスとはこの人間の尊厳の回復なのである。労働であれ科学であれ建築であれ美術であれ本来人間を尊厳あらしめることが目的で人間を卑小にするのでは本末転倒なのだ。かつて老人は共同体の中で尊ばれていた。しかし今ただ寿命が長くされ植物人間までされても生かされることが幸福といえるか。そこに人間の存在はなくただ寿命を延ばすだけの生物的存在があるだけになる。人間にとって大事なのは物質的なものでなく精神的なものである。老人は家族の中で役割を果たし尊敬されるということが大事であり肉体だけ長生きされても人間としての存在は失っているのだ。こうして文明は人間を無力化し卑小化される。

現代の文明はア−チの殿堂に立った人間としての充実感はそこになくただただ卑小な人間に貶められる。それはマスコミでもすべてが人間をただ数の一単位として大衆的虚無主義に落とし入れるものなのだ。経済であれ科学であれそれを人間が操作しているというとき充実感が生まれるがただ経済や科学は怪物的に巨大化し人間は卑小なものとしてふりまわされていることに無力感が生まれているのだ。そこにニ−チェが生まれキケルゴ−ルが生まれ上野霽里氏が単独者が生まれる必然性があった。つまり単独者にかろうじて人間が人間の尊厳が保存されているのだ。もちろんこれは世の中の文明側にあるものは誰も相手にしないという悲劇はかかえているがそこに神は人間をかろうじて保存しているのだ。人間は今やピカソの絵のように人間としての存在すら破壊されているのだ。 

なぜナチスのような人間絶滅、破壊のような無謀な戦争が生まれたか、それは文明自体の人間を卑小化し物質化するものへの無意識の絶望感から来る破壊衝動によるのではないか。破壊衝動を感じるということはこの文明が人間を幸福にしていないし疎外されたものとして敵対的なものとして包囲していることなのだ。では何故ドイツのような歴史的中小都市が残っている所でナチスが起ったのか今は良く解明できない問題である。日本の方が地方の俊文化の貧弱さや中央集権体制の歴史や島国的環境からファシズムに最もなりやすい国なのだ。

おそらく現代の悲劇は混乱は政治でも経済でも科学でも教育でも解決しないものなのだ。それは文明そのものにあり文明そのものの矛盾が自壊してゆく危機だからでそれ故深刻なのである。どうしても人間がもはや操作できないフランケンシュタインと化した恐竜と化したものが人間に敵対して崩壊してゆく、そうとしか思いないのだ。例えば自分の家を自分で作り家族を住まわせ自分の畑を作り食べ物を料理し自ら生産し消費する。それは自分の力の届く範囲にあり自分で成しえたという満足と自信がともなう。中世の市はそうした人間的な範囲内に作られてをりそれ故そこに人間的に落ちつくもの人間を容れる器としてサイズとして人間に合うものを感じるために今そこを訪れ人間を発見しようとする人が多いともいえる。すべてがそれがいいものではないにしろやはりそこには精神の作用がある。塔にしてもすべて個性があり建物にも街自体にも画一的ではない個性がある。強烈な画一的文明とは違うそれぞれの土地の個性が反映した街がある。それが魅力なのである。アメリカの都市に感じたのは強烈な物質性であり精神的な象徴となるものがなく索漠としたものだった。それは世界に共通した現象となっている。




  気高いア−チ

ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その荘重な堅実なる殿堂よ
そは人を高貴ならしめる
自信に満ちたる人の姿よ
その足よ、その胸よ、その頭よ
それは意味あるものを語りつづける
イデ−を探求しつづける眼よ
南の明るい光の中に
馥郁と香る花々のように
真理探求の友はよりそい耳をこらす
その友は対等にして奴隷の弟子にあらじ
その学問の殿堂をともに自立し歩む
人間はその神々しい殿堂と一体となる
ア−チよ、ア−チよ、気高いア−チよ
その石の殿堂の歴史は古りぬ
威厳に満ちた人間は彫刻と化して
その殿堂の中に揺るがぬ座をしめる
建築は人間を飾るものにして主体は人間
光輝ある人間がその主人
尊厳は人間にあり光は人間から発せられる
ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その礎は堅く、不朽のごとくア−チは
尊厳なる人間を永久の記念とする

 晩秋ア−チの駅

旅人はフランクフルトに着きぬ
そのア−チの荘重な駅に
人々の出会いと別れの交差し
秋はまた深まりぬ
その荘重なバンホ−フは
その人々をつつみ古りぬ
駅にすらその建築は威厳を付与し
人々を尊厳あるものにする
駅は単なる雑踏にあらじ
旅人はその駅に着きて
一つの歴史を刻む
まことに我はここに来たりしと
その存在を建築の中に見出し
人間の存在を尊厳ならしめる





ヨ−ロッパの歴史の厚み

日本は未だに文明というものが何なのか理解していない。日本の宗教は自然宗教の段階にある。初日の出を拝むとかはまさに太陽を神格化した祈りであり宗教なのである。これは原始的宗教といえる。祖先崇拝というのもどんな原始的部族でも行われていたから自然宗教が日本の根深い処にる宗教である。俳句というのが何故これほどまでに好まれるのか。自然に対する一種の宗教じゃないかと思う時がある。自然を感覚的に享受する、細分化して享受する、自然を感覚的にとらえる、そのセンスにはたけている。日本人は物事を感覚的にとらえるのであり構築的、理論的、法的、体系的、歴史的にとらえることはしていない。

 ヨ−ロッパ文明は言葉の構造からして理論的、明確な数学的ロジックがあり建築はロ−マの建築のように構築的であり一個の強固な文明の構造を持っているしその中で人々は生活してきた。ヨ−ロッパには明確に文明が存在している。ヨ−ロッパにおいて自然とは一つのカオスでありこれを嫌い人間が再構築したのてある。ド−ムは天を模したものででありゴシック建築は森を模したものということもいえる。ヨ−ロッパ文明にとって大事なことは明確なフォルムを形を与えることが大事なのだ。あいましいにしないで明確な目に見える形を与えその中で生活を構築してゆく。だから自然そのものが庭園でも囲まれる、人間の構築した強固な枠の中に納める、生の自然はまさに人間の構築した枠の中に納められるべきものなのだ。

 日本はその文明という枠がなく生の自然とそのまま向き合っている原始的宗教なのである。俳句はまさにそうした文明の強固な大きな枠のない生のままの自然と向き合ってできるものなのである。「夏草や兵ものどもが夢の跡」というけどヨ−ロッパでは兵どもの跡は明確に道路なり建築なり城なり城壁なりに残って未だにその存在感を歴史に示しているのだ。日本の歴史はまさに夏草に生なる自然に埋もれるものなのだ。ということは歴史は自然に埋もれ伝承するものも消えて残るのはまた元の自然ということになる。日本の文化とはまさにそうした人工的なものを残さない自然の中に消えることの方が良しとする文化といえる。

 しかし歴史とは自然が意志を持たない記憶を持たないものとする時,歴史は人間の意志で作られたものであり人間の記憶を後世に人為的に伝えるものである。動物は遺伝子として伝えるが人間は歴史を言葉なり建築なりで伝えて残そうとする。このことから歴史のない人間はいないことになる。歴史を持たないものは人間ではなく自然のもの動物や植物的存在となるかもしれない、歴史が記憶だとすると個人の人生もそれが平凡な人であっても何がしの経験の積み重ねがあるから歴史を持っていることになる。その経験もみな違うからみな違った歴史を持つことになるから個人の人生の歴史も自伝なども歴史の参考になるものである。個人を知る場合でも過去のいきさつやら生きてきた積み重ねを歴史を知らないと個人ですら理解できないのだからましてや民族や国を理解することは容易でないのだ。

 日本人は歴史的継承存在として極めて希薄なものしか持っていない、日本の歴史が皇室の歴史のようになってしまうのも一元化されるのもその歴史の層がヨ−ロッパのように多様で重層的でないからである。天皇に皇国史観に単純化されるのも日本の極めて島国的体質なのだ。ヨ−ロッパでは王様すら国を違って結婚し協力関係を結ぶ、外交的にそうせざるええない歴史があり利害関係が密接だったため一国だけでは国が保てなかった。とにかく親がない子供がないように歴史のない人間はいない、その歴史の先祖が作った歴史の中でその過去の記憶の中から新しい未来を探してゆくのだ。人間を理解する場合、この歴史的構築物の部分としての考察は欠かせない、横の広がり地理的広がりだけでなく縦への時間を遡る、時間の層を下に掘り下げる作業も大事なのである。その下の層にこそ現代には固い地盤がありそこを礎として築かれる現代があるのだ。日本の場合ヨ−ロッパの技術的な部分だけを取り入れ日本文明に接木したのだが精神的なもの文明全体はとり入れていない、接木していないのだ。

 とにかく時事問題などを考える場合も歴史を理解しなくては問題の意味もわからないし解決もできない、藤森大統領がなぜ一時もてはやされ今度は追われるようになったかペル−人はペル−の大地に元からいた原住民であり次にスペイン人が入ってきた、歴史の層としてペル−人がいて次にスペイン人がいて次に少数者の日系人がいた。私も藤森氏が大統領なので日本人が多いと錯覚していた。藤森氏が大統領になれたのは極めて異例のことであった。おそらく在日韓国人のような立場だったのだ。日本人移民は歴史的に厚いを層をなしていないし1パ−セントくらいでありそれで反発の対象となってしまった。どこの国にも歴史の地層がありそれを理解しないと上っ面の事件だけを追いその理解も浅薄となり偏ったものになり外交的にも失敗してしまう。日本の場合歴史的孤立状態の鎖国があったので余計にそうなのである。それ故に時事問題の深層として難解な面はあるかもしれないが追求しているのである。

マスコミの問題は余りにもセンセ−ショナルにとりあげることである。日本人人質救出の時も藤森大統領を一方的に英雄扱いした。テレビも新聞もマスコミも賛美した。マスコミは扇情的になりやすい、一方的になりやすいのだ。感情的になりあおりたてるのである。アメリカの新聞王のハ−ストのことをテレビでやっていたがまさにありもしないことをデッチあげ大衆をあおりたて戦争まで引き起こさせたのだからマスコミ・新聞が大衆を操作していた時代があったのだ。とにかく売るために過激なことを書きついにありもしないことまで刺激的に書きそれまでして売るためには手段を選ばなかったことである。これは今でもテレビでは行われている。マスコミは大衆の下劣なものと結びついて堕落することである。そこには冷静な判断が失われる。感情的な面だけが刺激され遂には反対者の意見など聞かず突っ走るのである。事実が真実が問題なのではなく作り上げられた虚構の世界が真実となる。真実などどうでもいいのだ。ある人を陥れるには何かでデッチあげることができるのだ。それは権力を持った側が常にそういうことをする。だからマスコミは危険な面があるのだ。マスコミとは今や巨大な権力以外の何物でもないからだ。


  
変革できない日本の権力構造

ヨ−ロッパの権力構造と日本の権力構造は根本的に違っている。ヨ−ロッパの王は実際に治める力のあるもの、能力のあるもの、権力を有するものである。イギリスの王室は現実に莫大な財産を今でも持っている。日本の天皇は古代以後は聖なる象徴的存在となり実権はなくなっていた。実権は幕府が持っていた。しかし天皇は聖なる存在だから犯すべからずのものだった。幕府は変わっても天皇は聖なる存在として変わらなかったのだ。日本では先祖は天皇であり天皇に集約される単一国家なのだ。これほどまでに先祖崇拝なのは単一民族、単一国家の歴史が長いからである。ヨ−ロッパなどでは先祖をたどれば様々な民族や国に枝分かれして一人の王になどならないのである。日本の権力構造は支配者は変わっても実質的に権力構造は変わらないのだ。日本では戦後自民党に変わって政権を担当したことは二回くらいだった。一貫して自民党だった。日本では何故変わらないのかというとアメリカやヨ−ロッパのように権力が交代する時、根こそぎ変わるようなことはしない。アメリカの大統領が変われば政府機関の人材はすべて入れ代わるようなことはないのだ。だから抜本的改革は難しいのだ。

日本の権力構造は何か落ち度があれば一番上の君主、殿様を犠牲にする、切腹させてお家の安泰を図る。下のものそのままだし町民はそもそも戦いに参加したりしないし戦いする場合も侍だけでするから大きな市民ぐるみの戦争にはならなかった。ヨ−ロッパでは市民自体が戦士だったのだ。市民はburgerであり市壁をめぐらして戦う戦士だったのだ。日本の町民は城とは別個の侍に雇われる職人や商人であり戦争とは関係なかったのである。ヨ−ロッパでは何故常に激しい戦いになったのかというと日本のような島国の安定した権力構造はなく実力のある王と王は実質的覇権をめぐり争っていた。その中に市民同士も覇権をめぐり争いに加わっていたのだ。市民とは権利を受けるものではなく命がけで勝ち取るものだったのだ。お上から与えられるものではない、自ら戦い勝ち取るものでありその態度が根本的に違っていたのだ。そしてその同盟関係も全ヨ−ロッパに波及し複雑になっている。

宗教をめぐっても何故あんなに熾烈な血で血を洗う争いになるのかというと宗教も権力と密接に結びついているので宗教だけの心だけの問題となるのではなく権力の争奪戦になってしまうのである。カテドラルが司教座教会というのもそれを如実に示している。まさに司教はそこを治める王座に座っていたのだ。ヨ−ロッパの歴史が常に覇権をめぐる争いがやまないのは日本のような天皇という絶対的なものがなく実力あるもの力あるものだけが勝って力を利権を獲得してゆくからである。地域、国、民族、宗教、組合(ギルド)、市、・・・これらのものが複雑にからみあい権利を主張し競い合っていたのがヨ−ロッパであった。Race(民族)というのが競争というのもうなづける。和をもって尊ぶべしなどというのんきな世界ではない。まさに熾烈な競争でありその激しいスポ−ツの中でル−ルも確立していったのがヨ−ロッパであった。和をもって尊ぶしというあいまいなことで対立するもの同士を納得させることはできない、明確なル−ルが必要でありそのル−ルは厳格に施行されなければ治められないのである。

日本が変わるのは外圧だけだとういのはまさにそのことを如実に示している。明治維新でも天皇は変わらずその下に西欧の制度を取り入れたのである。それは土台無理だった。ヨ−ロッパ的市民は存在せず天皇の臣民となったのである。とにかく日本は権力構造的に改革することがむずかしいようになっている。せいぜい上だけが取り換えられるだけで実質的には何も変わらない、改革がむずかしい構造になっている。これがうまくいっている時はいいのだが改革が迫られる時は窮地に陥り混乱しやすい。根本的な変革が難しいシステムになっている。アメメリカのように度々大統領が代わり政府機関のものも全部交代し改革に取り組むということができない、日本で好まれる交代とは禅譲であり徳川幕府のような世継ぎ的政権継承であり平穏であること争わないことが第一なのである。非常に根本的変革を難しくしている歴史的権力構造があるからだ。本当に変革したのが鎌倉時代と信長の出た戦国時代と明治維新くらいだった。それは政治家が変えたというよりは底辺の大きな時代の変化があってそうなったのであり指導者や政治家だけでは大きな変革はできないのである。変革を迫られない時代なら徳川幕府のような政権継承でもいいのだが今日のような激しい国際化の中の流動的な世界では日本のような権力構造システムでは世界から取り残され従属的国家となってしまうのである。

歴史的にふりかえればヨ−ロッパの文明の挑戦に応戦した明治維新がありヨ−ロッパの植民地に対抗して戦ったのが大東亜戦争だということも一面言える。コロンブスの大陸発見から西欧の世界支配が世界史であった。その中でイスラム圏は衰退し中国も停滞し日本だけが息巻いて西欧化し戦ったとはいえる。その結末は無惨な敗北であったしそもそも無理な戦いであった。日本は西洋と東洋の接点に立ちその文明の融合を担わされているというのが明治の大思想家たちの一致した見解だった。西欧化とともにアジアは一つとかアジアへの志向が起ったのも当然な成り行きである。ヨ−ロッパの文明の延長はアメリカではあるがアメリカ文明は極めて物質的であり文化も存在しない力だけの物質力、財力だけの肥大化した国ともいえる。精神的、哲学的、宗教的な深みのあるものが出てこない国なのだ。芸術もだから浅薄てものしか大衆に好まれるような軽薄なものしか出てこないのである。伝統的文化が存在しないためでもある。軍備力や経済力よりこれからは文化的な面が尊ばれる面が出てくる。

インタ−ネットなども情報社会もその価値は精神的なものであり経済力や数量で計れない、権力志向でないものなのである。ともかく21世紀にしても東西文明の融合というのが日本の課せられた使命であることは変わりない、国民総生産とか数量だけを追求する時代は終わりになり精神的価値が重要視される時代である。テレビでもコンピュタ−でもハ−ドはもはや売れない、むしろソフトの面、番組の方が売れるのであり大事なのだ。そしてインタ−ネットでこんなにも自己表現したい人がいるということは精神的なものを押し出そうとする方にエネルギ−が向かっているのだ。それがゴミにしろ読まれないにしろそういうエネルギ−を放出する場がインタ−ネットなのだ。マスコミは数を優先する番組作りは時代に合わないものとなってきている。そもそもなんでも屋でなんでも網羅するということ自体時代に合わないのである。対象をしぼるやり方俳句なら俳句の紙面作りアウトドア−ならアウトドア−政治なら政治の裏までつっこむ、考古学なら考古学を極めるやり方でないとみんな同じ紙面になり面白くない、致命的なのは新聞社には独自の意見を持たない明確でないことである。ただ数の多い所にはこびて大衆向きの当たり障りのない顔の見えないものにすることなのだ。果たしてこれからそういう作り方で21世紀まで生き残るのか疑問である。雑誌や週刊誌の方が読んで面白いし真実もある、マスコミのきれいごとだけを報道するのとは違う、コンセプトもあり批判するものは批判している。右よりであれ左よりであれ創価学会には反対するとか環境破壊には反対するとか一貫した姿勢が必要であり読む方もわかりやすくなり自分の判断ができるのである。

  

FORTUNE( 富と運命)

fortuneには二つの意味がある。富と運命である。金とはためようとしてたまるものではない、たまるのが金だという。確かに節約して金をため事業して成功して大金持ちになる人はいる。しかしその事業を成功させるにはいくら個人が才能があっても何十億となると決してできるものではない。多くの人の協力が必要だからである。売れたとしたら買ってくれる人がいるから売れるのである。そしてどうしてかいくら働いても働いても金がたまらない人がいる。働いたから節約したからたまるとは限らない。金がたまるのは運が関係していることは確かなのだ。いくら毎日こまめに働いても金はたまらないが運がよいと金はたまる、入ってくる。この回りを見てもわかる。とても家など建てられない人たちが新しい家を建てられたのだ。それもちょっと道路になるだけで移転させられて新しい家が建てられた。これも運であり毎日真面目に働いてもこの辺では家建てることは容易でない。

商売にも運がつきまとっている。場所がよくて繁盛するとか時代の波にのるとかその人の才覚より回りの状況とか時代が関係している。10年前20年前貯金していた人は利子が6パ−セントかだったのだ。これも時代により金が入ったのでありその人の才覚ではない、運が良かったとしかいいようがないのだ。金は天下の回りものだという時、金も一個人ではどうしようもない、めぐりめぐってゆくものだということを言っている。つまりこの運もいつまでもつづかない、一個人に留まらないものなのだ。バブルの時、土地成金が出たがあれも運が良くで金が入ったのだ。しかし結局バブルははじけてある意味で日本の富の運も尽きたように思える。

富や運も一国に留まっていないのだ。歴史を見ればベネチアが栄えスペインが栄え、オランダが栄え、次にはスペインがポルトガルがイギリスが・・・・と富は移動している。ヨ−ロッパの富は主に南米やアジアから収奪した面があるから彼らにもはや富は外部から入ってこないだろう。この富、運を左右しているのは一個人の力でもなく一国の民族の力でもない、神がそうしている。神がその運をもっていて順次配分しているようにしか思えないのだ。金というのはとても一個人や家族や一国だけでもっている訳にいかないものがある。だからおごれるもの久しからずと言っているのだ。金をもっているからといっておごっているとたちまちに金はどこかに流れて衰退するのである。日本のバブルははじけて日本の富の運は尽きたとしか思えない、おそらく次に運が尽きるのはアメリカでありアメリカより一歩先に日本の運は尽きたのである。資本主義社会はバブルになるとたいがい衰退の時代になる。オランダはチュ−リップバブルだった。しかしこのチュ−リップバブルは無駄ではなかったのだ。チュ−リップはオランダの産業になったし観光の目玉となっていまもオランダを支えうるおしている。が日本の土地バブルは何も未来に残すものがなかったのだ。

富とはまた妬みをひきおこす、なんであれだけがもうけているのとかなんであの国だけが栄えるのとか妬みをもたれる。隣に蔵が建てば腹がたつ、だから富めるものは気前良くないと妬まれて危険になる。日本はアジアでそういう立場にあった。その妬みは実際怖いのだ。何故ならその富の羨望からカルタゴはロ−マに滅ぼされたという、その説は明確でないにしろそれも一理ある。ユダヤ人が憎まれてきたのは富と関係していたことは否めないし、マルクスの理論も泥棒の理論でもあった。つまり金持ちからは奪う権利があるのだという泥棒にも三分の理であったとも言える。インドのカ−スト制ではこの富を運命として固定させた。富めるものは生まれつきの運命であり貧乏人は生まれつき貧乏なのだ。それは神が決めたことだと固定化した。しかしインドにしたって富める階級がいつまでも同じではいない、必ずこれからは富める人も貧しくなるし貧しい人も富める人になる。日本でもそういうめまぐるしい富の変化を受けているし世界中でそうなのだ。中国では日本の富を奪う権利があるというかもしれない、クエ−トがイラクにそう思われ実際に侵略されたようにありえぬことではないのだ。つまり人間は富だけでは安全は図れないし富は永久のものではないということなのだ。

自分の富を頼るものは衰える 箴言11

富はたちまち自ら翼を生じてわしのように天に飛びさるからだ

富は,いつまでもつづくものではない


まさに日本の富の運は尽きたのだ。いくらまた富を戻しふやそうとしても富は別なところへ流れてゆく、その運を留めることはできない、富を運を握っているのも神なのだ、だからいかんともしがたい、一見人や国と思っているが実は神がその富を運を配分していたのである。




 もろい近代合理主義(20世紀の総決算


[現代の共通項]

合理的、科学的、民主的、自由と平等、経済第一主義、大量生産、大量消費、大都市の拡大、大衆の要望に答えよ、マスコミニ−ケション、・・・・・
・・・・・・・・・

自由は自我利己の拡大、規制のない社会、環境破壊、無個性社会、、神の否定、道徳の破壊、大衆の横暴、大勢の論理(多数の支配)
・・・・・・・・・

ナチズム(不合理の宗教)、様々な宗教団体の勃興、文明の混沌、迷路化・・・


この20世紀を終わるにあたり、一体この20世紀とは何であったのだろうか。あまりにもいろいろなことがあり20世紀が何であったか一概には言えない、20世紀はやはり科学とか工業とかが飛躍的に発展しそれが世界全体をおおうようになった時代といえる。その基本思想は合理主義にあったといえる。この合理主義が何であったか、人間の知とか人間が聡明で人間がある意味で万能でこの世を光明の世界に導くという人間主体の思想である。

 要するに人間万能主義なのだ。おそらくこの合理主義はフランスが中心になって世界に広めたものかもしれない、自由、平等、博愛とかのフランス革命の理念も世界をおおった思想である。マルクスの思想も同じ枝別れした思想であり神を否定した合理主義だったのだ。それが歴史科学合理主義となった。マルクスの思想は極めてヨ−ロッパの伝統から生まれたものであった。その体系的な論理的な思考はヨ−ロッパの産物である。とういのはヨ−ロッパの街を歩いているだけでその建築物に取り囲まれているだけで体系的な論理的な思考が身についてくるのである。だから伝統というのはその国の大地と歴史と密接に結びついてをりそこに住んでみないと理解できない面があるのだ。俳句なんかも日本のめまぐるしい季節の変化の中に身を置けば直感的に理解できるのである。

 しかし一方でこの20世紀の近代はまさに世界的規模の大量殺戮の時代だったともいえる。工業化は科学の発展は殺戮の規模の拡大化でもありその行きついた先が原子爆弾だった。人間は博愛だ、自由だ、平等だと理想をかかげてもそのきれいごととは裏腹にナポレンの力によるヨ−ロッパの支配、独裁とか力と力の対決に向かい、まさに力こそ正義の時代であり世界史とはまさに変わらず罪の繰り返し、人間の業の尽きないことを証明しただけであった。アメリカも正義、正義といってもベトナムでは無辜の民を殺戮して反省もしない殺人鬼にすぎなかったことを証明したのである。そのアメリカが日本に原子爆弾を落として謝罪もしない、そして正義を唱え、日本の戦争の罪を言うのは余りにも傲慢な神を畏れぬ言い分なのだ。世界に正義の国などどこにもない、みんな罪の国であり例外はない、ロシアも中国も大国はみな力を頼り力を正義としているのだ。アメリカも例外ではない、そのアメリカの言い分に追従するのは実に馬鹿げている。日本は日本で戦争の意味を正し反省するばいいのである。

この近代の、現代の文明の合理主義とかその他自由、博愛、民主主義とかマス化した世界はもはや人間を制御できないものにしてしまった。人間は文明はもはやその重荷のために自壊してゆく不安に襲われているのだ。つまり何故かというとヨ−ロッパの思想の世界的波及の結果そうなっている面があることなのだ。欧米の文化は文明はキリスト教と不可分に存在した文明ではあるが本来のキリスト教とは違ったものなのである。フランス革命であれ、近代合理主義であれ、科学至上主義であれそれは別にキリスト教とは関係ないしむしろキリスト教を捨てて人間こそが神として万能の力を発揮するのだという人間中心主義なのだ。火を盗んだフロメテウスであり、墜落したイカロスであり、悪魔に魂を売ってまで力を得ようとしたファ−スト博士なのだ。西洋文明はファ−スト博士でありキリストの後継者とはいいがたい面があるのだ。追求してきたことは科学の力でありそれはとりもなおさず人間の力こそが万能なのだということを神に向かって不敵にも挑戦してきたことになるのだ。

  そしてその近代合理主義がいかにもらかったかの証明がナチスの恐るべき犯罪であった。これもまた20世紀に起った不可解な出来事だった。つまり未だに説明もできない出来事なのだ。ドイツを旅したが地方都市は古い街並みが残り落ちついているしキリスト教の国でもあるしいくら工業化した世界といえドイツには歴史の伝統ある落ちついた生活があった。それがユダヤ人に対するみな殺しという思想であれ人種差別がその原因とも言うがそれだけでも説明つかない出来事なのだ。確かにドイツにはフランスとは違い伝統的に理性ではない感情に訴えるゲルマンの大地の血が息づいていた。それがベ−トベンとかニ−チエとか大芸術家を生んできた。ニ−チエがソクラテスを批判した、※アポロ的なもの、ディオニス神に酔うデモ−ニュシュなものにひかれものはあった。

現代とは宗教の時代ではない、合理主義とか、自由、博愛とか、人間万能主義即科学至上主義が世界中をおおった時代だったのだ。民主主義や平等主義や能率主義や大量生産や大衆マスプロ文化がおおった時代であった。宗教もこの中にとりこまれた現象にすぎなかった。宗教は元来は合理主義とか人間万能主義とは相反するものである。しかし合理主義とか科学至上主義、経済第一主義とかそうした一種の信仰が今日の文明を作ったわけだがこれも実にもろいのだ。これが信仰とは関係ないというが明らかに偶像崇拝である。なぜなら無神論さえ信じれば偶像崇拝になる。これらは一種のまぎれもない信仰でありそれらがもろくもバベルの塔のように崩れかかっているのが現代の巨大文明なのだ。そして遺伝子操作だ、何かにとあくことなく科学はまるで神の手のごとく人間を支配しようとしている。そこに歯止めはない、何故ならそれは一種の科学が絶対だという信仰だからだ。しかしその結果実はますます迷路にはまりこみぬけでれなくなっているのがも現代なのである。ナチスがなぜ起きたという原因はまさにこうした合理主義とか民主主義とか科学至上主義に対するアンチテ−ゼだった。
 
 つまりこうしたものは実は一面もろいということを証明した。一気に民主主義であれ合理主義であれ原始的ともいえるデモ−ニュシュなものにより破壊される、理性をもてといってもこれらのもっている力はそれらより理屈なしで強かったのである。現代でもそうなのだ。合理主義とか科学至上主義は実はもろい基盤の上にあるのだ。だからナチスのようなものが起ればたちまちまた文明は破壊される。無神論なども実に何の力も持てないものである。無神論よりなんでもいいから悪魔でも信じた方が力があるしそれに踏み倒され席巻されてしまうのだ。
 
 だからオウムであれ創価学会であれああした非合理的なものだと宗教を甘くみているととんでもないことになる。間違ったものでも信じているものは強いのだ。天皇を神と信じて死んでいった無数の人がいる。あの戦争も信仰を力としてバネとていた。それでなければ生死をかけた戦いはできない。つまり合理主義とか科学主義とか多数主義の民主主義などはそうしたデ−モ−ニュシュなものに簡単に一気に飲み込まれることをナチスは証明しているのだ。それが20世紀を象徴的に示した出来事だったのだ。大衆は決して理性を示したりしないし無党派層なども不和雷同するものでむしろ常にナチス的なものが台頭する下地が文明にあるということを常に念頭に置く必要があるのだ。それをふせぐ術は今文明にないことが怖いのである。インタ−ネットにしてもこれまた新しいバベルの塔、混乱の始まりかもしれないし人間万能主義の崩壊は防ぎようがない、最後の日に人間は自らが神になろうとしたサタンであり神の反逆者だったことには変わりがないのだ。


ニ−チエの悲劇の誕生でアボロ的なものとディオニス的なものの対象を説く、アボロ的なものとは合理的なものでありディオニソスは非合理的なものに音楽的なものに酔うことである。ドイツが何故音楽の国でありゲルマンの原始性を残したのかわかる。その悪い一面がナチスとなったのかばしれない、理性のフランスとは違った風土にあるのがドイツであった。



  自由を求める人間   

人間は自由を求めてきた。これは確かだろう。自由というと不自由があるから自由を求めるのだ。不自由とは何なのか。原始人の部落の暮しで一番不自由に感じたことは何かそれはおそらく食料の確保が保証されないことだろう。そのために神に祈りもした。そもそも人は何故神に祈るのか不自由だからである。食料は生存に不可欠なものでありそれ故に食糧問題は最優先の問題であった。森の神に大地の神に祈るのは食料を不自由なく恵んでくれということであった。ともかく人間が常に神に祈るのは不自由だからである。動物は神に祈らない、動物は神から与えられたままの状態で満足なのだ。人間は与えられたままの状態で不満足だからいろいろなものを自ら作りだしたのだ。裸のままでは寒いから衣服を作りだし冬は寒いから火を作りだし雨風を防ぐために家を作りだした。

人間はまた自らの欲望が満たされない時不自由を感じるのだ。性欲もその一つである。性欲も生物の根源的欲望だからこれを満たされないと不自由なのだ。これは動物も感じている。というのはメスを獲得するのに命懸けで戦うことがあるからだ。しかし動物の場合は良い種を保存するために神がそうさせたともいえる。人間の場合欲望が充足されないとその不自由感は非常に大きいのだ。それは性欲というための戦いだけではない、相手がきれいな装飾品を持っていて自分が持っていないとするとそこに不自由が生まれる。それはすでに原始時代でも起こっている。子供すらきれいな貝を拾ったりしているものがあったらその貝をくれとなる。持ってないものは持ってるものに羨望をいだく、つまり妬み相手が持っていて自分が持っていないためであり不自由を感じるためである。

とにかく人間とはその始めから不自由を感じ自由を求めてきたのである。石器を作ったのも道具を作ったのもその生活が不自由だからである。石器を作り獲物をしとめれば食料はふえ自由もふえるためである。人間の道具は人間の制約された不自由を克服するものであった。人間は動物より弱かった。しかし石器や鉄の武器を発明することで動物より強くなった。人間は鳥のように飛ぶことができず狭い所から出ることができなかった。その生きる範囲は限定されていた。「鳥のように飛べたらな、鳥のように自由だったらな・・・」ここにもっとも人間が自由になりたい、距離的制限を突破して自由になりたい、この願望が飛行機となりまた汽車とか自動車となって現実化したのだ。

人間の歴史それは自由を求める戦いであったのだ。進歩とはまさに人間が常にどれくらい自由になったかを示しているのだ。それは何も技術的なものだけではない、人間には必ず人間を支配するものがあった。その支配するものは力のあるものであった。その力あるものは武力を持ったものとは限らない、聖職者、神の媒介役(メディア)も大きな力を持ち支配するものであった。人間はこの上に立つものから支配するものからも自由でありたかった。人間は平等であり平等でないことは不自由であった。誰かか上にたつことは不自由なことなのである。マルクスは資本家が資本を独占し上に立って支配するからこれから奪い殺してもいいというまでになった。カトリックの聖職者は人間の信仰の自由を許さないということでカトリックの聖職者に反対してプロテスタントが起こった。

こうした物質的な面ではなく精神的な面でも常に人間は自由を求めてきたしそれが歴史だった。王という一人だけがすべての人の上に立って支配するのはよくないとみんなで王を決める民主主義がうまれたのも自由を求めてきた結果である。何かが障害となる時不自由を感じ、それと戦うのが人間なのだ。インタ−ネットにしても今までのマスコミや出版やコミニ−ケ−ションが不自由だから自由を求めて作られてきたのだ。人間の自由への願望はこれほど強いしそれが人間の歴史でもあったのだ。制約されるものからの自由を求めてきた。商業にしても常に制約されず商売することが求められてきた。それは今も続いている。物の流通は国境に制限されることなく流通することが求められる。

しかしこの自由とういのも今や飽和状態というか過度になってしまった面がる。自由ということはあらゆることにあてはまるのだ。例えばどんな商品を買うか買わないか、どの店で買うか買わないか、どの本を買うか買わないか、読むか読まないか、どのホ−ムペ−ジを読むか読まないか、あらゆることが自由な選択を許されている。神を信じるか信じないかも自由である。しかし人間は今やこの自由のなかで不自由になっているのもまた事実なのだ。何故ならなんでも自由だといっても人間が万能でないかぎり自由でありえないのだ。政治であれ経済であれ科学であれ宗教であれそれらに自ら判断を下すことはこんな複雑な世界で不可能なのだ。そして今や我々は自ら判断も選択もできない不自由な世界に住むことになる。

例えば今や膨大になったホ−ムペ−ジの価値を判断できる人がいるだろうか。いちいち見て回ることは不可能だしその価値判断することも不可能である。でもこれも自由を実現した世界なのだ。ここでの問題は指標となるべきものの喪失である。何が価値あるべきものか自ら判断しなければならない、一流の人も五流六流の人も若者も年配の人も発表することにおいて平等化しているからだ。これもますますまだ未熟な若者にとっては混乱の中に入ることになる。つまらないものでも読まされることになりその時間のロスは大きいのだ。それよりも古典であれ価値あるものを何度でも読んだ方があとあとのためにもいいからだ。とにかくそれでも自分が書きたいことは書くし読みたい人が読むのは自由である。誰もそれを制限することはできない、それにしても詩百編のせた、今やあっちこっちに何百とあるホ−ムペ−ジを誰が読むのだろうか。それも日々増殖している。アメ−バ−のように増殖している。もう詩百編のせてあると書いてあるだけで読む気力もなくなってしまった。もはや自分にしてもそうだがホ−ムペ−ジは読まれることがいかに大変か絶望的にさえなっているのが現状である。読まれることに努力することも何か絶望的になるほど数が増えすぎたのである。

しかし自由と言ってもその反面どうしていいかわからない判断も選択もできない人達は例えば問題が起きても自分で解決できない、自由がない人達は弁護士にすべてをゆだねるし病気になった人は医者を頼ることになる。神のようにその人達にゆだね祈ることになる。ある人達は宗教団体にすべてをゆだね精神の安定をはかる。しかしそこには全く自由はなくなる。自らを奴隷化する。自由な世界でありながらそういう人達は自ら不自由な世界に閉じこもる。その人達は今の時代は中世と違うから不自由な世界へ自らを奴隷化したのだ。まず確かなことは人間は完全に自由ではありえない、もちろん神を信じないも信じるも自由である、では神から自由であるかといったら自由にはならない、何故なら神はあなたを見ている、その行動も心も見ている、神なんかないということは言える、しかし神は人間の上に立つものであり神を否定しても神は裁く権利もあるのだ。だから人間は神から自由でありえないのだ。

人間からは自由でありえるかもしれない、病気にかかっても俺は医者は信じないから医者に行かないという自由はあるし、もう日本なんかいやだから日本人はやめてアメリカ人になる、今やこうした人も現実にいるから日本人でありたくないという自由もあるのだ。これからも地域とか国とか物理的、国の制限などは自由になってゆく、21世紀もそうした自由は拡大してゆくし現実化してゆく。現に無国籍でありたい若者が増加している。日本という国に縛られたくないという人が外国暮らしの経験者も多いので自分の国にこだわらない人達が増加している。このへん相当意識的変化をもたらしているのだ。でもこの自由には必ず責任がともなう、病気になっても医者に行かない自由はある、ではそれで病気が悪化シテモ直らなくても自分で責任を負う他ない。日本人にならない選択もありうる。現実日本人になりたくないのでアメリカ国籍をとる人も結構いる。しかしその時点で日本人を捨てるという重大な決断をしたから大変な責任をともなうことになる。

自由であることにはその裏返しに責任がともなう、ホ−ムペ−ジで発言が自由となる。こうして個々の発言の自由がある時またその発言には責任がともなう。もちろん今はインタ−ネットには無責任な発言が多いし信用されていない、でもこれから広く普及すると多少なりとも影響を及ぼすものとなる。インタ−ネットはすでにかなりの部分社会化しているから匿名での発言は一部の範囲でしか許されないようになるかもしれない、ハソコン通信には発言の自由は極めて制限されていたので責任を問うことは無理だった。会話であってもその人のほんのわずかな発言でその人か判断されることがあり責任を問えるものでなかったのだ。だから匿名でなければ発言するところではなかった。みんなが匿名で非難することをおとしめることだけを考えている所で実名で発言することは危険きわまりないことだった。その結果裁判沙汰までなったのだ。インタ−ネットでは自分の意見が十分に発表できるので実名でないと信用できないかもしれないて、いずれにしろインタ−ネットも社会の常識が適用されるから匿名の世界ではなくなってくる。

しかしどんなに自由を求めても最後人間は神から自由になれないしどんなに自由であろうとしても万能でないから何かに頼らざるをえない、それが宗教団体か弁護士か医者か科学者かわからないがそうした偶像に頼り自らの不自由にしてゆく、つまり必ず人間は神を頼らなければ偶像を頼ることになっているのだ。科学とか自由、平等の理想をかがげても結局皮肉なことに今度は自らを牢獄に閉じ込めてゆくのが人間の偽らざる姿である。おそらく人間は無制限の自由には耐えられない、それなりに制限されたなかに精神は安定する、制約も必要なのである。現代人の最大の特徴はいかなる権威にも従わない、いかなる優れた人にも尊敬しない、そういうものを認めない、では結局誰が権威となり尊敬に値するものかというとそれは自分自身しかないのである。でもその自分自身に本当に価値を認め尊敬することができる人が自分の意見を自分の価値基準を持っている人がどれだけいるのかこれは非常に疑問である。ただただとにかく権威をというものを否定するのが大衆人である。つまりキケルゴ−ルの言う水平化である。それが時代としても逆に宗教団体に入り拘束されることを望む人も多い、しかし一般的に現代人はあらゆるものから自由であろうとする。その結果として自らが神のような存在にせざるをえなくなる。結果的にはそうなりえず新たな権威、偶像崇拝に陥る。人間はとても本当はよほど優れた人でないとそんな無制限の自由を背負いきれないのだ。制限がないことは人を不安にする。東京のような大都会では無制限の秩序のない拡大がありそれが精神を不安にする、一方中世のドイツの都市は人間的秩序があり精神的に安定する。いづれにしろ皮肉なことだか大衆の無制限の自由は結局ナチスのようなものを生み専門家であれなんであれ新たな偶像を作りだし人を不自由にして最も制約の強い牢獄に閉じ込める。こうした反動はあっても人間の自由を求める心は変わらないしそれが反動をくりかえし新たな権威を作りまた否定して運動が続くのが歴史なのかもしれない、自由をめぐって人間の歴史が動いてきたことも確かなのだ。

変わった例かもしれないが猿の惑星で人間が最後に残したものが自由の女神だった。それは半分砂にうもれつも高々と自由の火を天に向かってかかげていた。人間は最後の日まで自由を強烈に求める存在だったたとを象徴している。いづれにしろ人間の自由を求める戦いは人類滅亡の日まで終わらない、何故なら人間が完全に自由になることは考えられないからだ。例えばコンピュタ−にしろまだまだ実に不自由なものでありもっともっと楽に自由に使える努力がつづくように結局その不自由なことがありそれ故にまた生きる戦いがあり生きる目標があるということにもなる。



公共事業の計画の無さはなぜ



●日本の歴史的生活単位は村


今日本の公共事業が問題になっている。この公共事業一つとってもやはりそこにはその国の歴史その他文化の問題がその裏にはある。この公共事業の問題の裏には深層には日本人にそもそも公共事業を行う思想の欠如がある。日本の生活単位が小さな地域の村であった。その生活規模は小さいが利点としては濃密な人間関係を結び助け合い、互助的関係があった。日本の村には特にそうした面が強かった。そのマイナス面として村八分などの制裁があった。ただいかなる社会であれ常にプラスとマイナス面がある。日本が島国であることによりプラスとマイナスもそうである。だからものを見る視点としては偏らないことが大事である。悪い面にもいい面はあるし良い所にも悪い所はある。何事両方をかねそなえているのだ。

日本の生活の基礎が村によって作られてきたことは日本をみる場合欠かせない視点である。まず会社を反対にすれば社会でありこの社会とは社(やしろ)に会すとなりまさにこの近代的会社も日本の村的結合を基本にしている故年功序列とか終身雇用とかを実行しようとしたのである。それは村とは所詮違ったものだから無理だった。公共事業を考える場合もこうした日本人の歴史に深く根ざした所から発想される。図で説明すると日本の場合は政府は幕府であり会社は藩になる。その下に村がつながる。日本には町はあったがこの町の存在感はうすい。マチとは村の中の一区画のことでありそこで市がたったり渡り歩く職人が籠や日用品などを売っていたらしい。日本にはヨ−ロッパのような市というものが存在しなかった。これは社会の大きな相違なのだ。町があったとしてもそれは宿場町とか城下町とかヨ−ロッパのような市ではなく何か付属したもの独立した自治体ではない。自治体は日本では村にあり庄屋とか名主が市長だったのである。日本の文明は天皇を頂点としてその下に実権者の支配者がいてその下に自治的都市はなく自治体としての無数の村がある。その村の中心は社であり天皇も鳥居をたてて神をまつる。日本の文明の型でありこれを崩すと日本文明は崩壊の危機にたたされる。エジプト文明がありイスラム文明がありキリスト教文明があり日本文明がある。文明とは統一体であり部分の集合ではない、西洋文明はキリスト教文明であり日本が天皇なくして存続しえないようにキリスト教なくしては存続しえない。明治維新になぜ天皇をもってきたかは日本文明が天皇なしで存続しえない文明だからである。

●ヨ−ロッパの歴史的生活単位は都市

では公共事業の構図がどういうふうにできてくるかというとヨ−ロッパであれば市民の自治体とかパブリック的なもの市民や公衆の要望から計画立案される。都市というものがまず国の基本単位であった。ギリシャのポリスがそうであり国とは都市国家であった。ということは都市にこそ文明の始まりがあったのだ。おそらく都市の前には建築が公共的建築がまず計画された。日本でも公とは大宅であるから大きな家のことで人々は大宅に集まり協議した。まずこの建築そのものが極めて文明的なもの設計し計画するという都市計画には欠かせないものであった。建築が都市の基礎であった。ヨ−ロッパの都市はまさに全体が建築として設計され人為的に作られたものであり人間の手によって作られたもの中に安定を求めたのである。中世の大聖堂にしても何百年もかけて石を積み上げ作っている。それも公共の祈りの場としての共同の建築の思想があった故である。そこには強い共同体の志向があった。何百年もかけて作りつづけてゆくという耐久的忍耐的志向でありそれはヨ−ロッパの歴史を形成するものなのだ。また建築は数学と一番関係が深く建築は理性を示しヨ−ロッパ文明の根幹を成すものである。

そしてヨ−ロッパの都市はロ−マ帝國にみられるごとく公共的なもの共同的なものとして作られた。一部の王の権力を誇示するものではない、この辺が中国などと違う、始皇帝などはまさに眼中に民などない、そもそも民とは人の目をつぶすという字だそうだから中国の王がいかに権力的な王だったかわかる。民衆は王にとってなきに等しく奴隷のようなものであった。しかしヨ−ロッパでは民主主義が発達したように権力は王によって独占されるものではなく公共的、共同的なものとして使用するという思想があった。都市そのものが公共的、共同的空間であった。道路を作り水道橋を作り商売する市場、広場を作るということもみんなが共同で生活する場を必要としたからである。コロッセウムさえ野蛮だというえばそうだがそれは民衆のロ−マ市民の娯楽のためにあったのだ。そもそもああした大勢の人々が娯楽を共通して楽しむということはヨ−ロッパ特有のものでありペルシャにしろ中国にはない、市民の活力を示していた。都市で共同生活する市民が存在していたということである。その言葉でも日本語のように敬語がなくIとYOUの平行的並列的関係があった。ちょうどそれは平行に並ぶ列柱のように縦の権力関係ではない横のつながりがあった社会なのだ
placeはラテン語でplateaであり元来道のことだった。単なる場所ではなくて共同で使う道のことであった。場所は孤立したものではなくロ−マの道のごとく共同体として通じ合う道だったのである。ドイツ語のPLATZは市場であり座席の意味もある。このplaceは常に共同の広場とか市場に通じていた。ヨ−ロッパの場所は互いに通じ合う道であり市場であったのだ。その市場は教会の前であり教会が商取引の契約などの証人となり監視もしていたのである。城にも通じてて一つの都市の共同体が形成されていたのだ。

ここが日本とヨ−ロッパの根本的な相違である。建築の計画、設計の思想は都市の根本的基礎である。それがない日本ではまた公共事業という思想もありえないのではないかと思うのだ。つまり社会の構造が公共事業を設計、計画するものがない故公共事業がただバラマキの無駄使いとなる。田中首相が日本列島改造論をぶちあげた。考えてみるとあれは自分の村に道を作りトンネルを作り自分の村の土建業者に仕事を与えその下の農民などに現金収入の場を与えてやった。つまり田中首相の日本列島改造論にはヨ−ロッパのような都市計画の公共事業の発想が思想がないのてある。そこにあったのは自分の育った村だったのだ。

土建業者に流れ地方の雇用を確保した、しかしそもそもそれは都市計画の発想などないから無駄なものが多くなった。むしろ建設会社や地方の土建業者や建設労働者に金を払うことの方が優先された感さえあるのだ。それが自民党の集票マシ−ンとなって政権を支えてきたのだ。だからこの問題は日本的社会の構造的問題に根ざしている根深い問題なのだ。政府が自民党が金を流す代わりに票をもらうという利権関係になり肝心の公共事業の都市の計画、設計、建築の面はなくなっていたのである。だから公共事業費の使い方が無計画でありかえって日本の国土は公共事業によって荒廃したのである。日本の都市がなぜみにくいのか都市を作るための設計、計画の思想が根本的に欠けている、ただアメ−バ−のように無秩序に拡大化して雑然としてみにくいものとなったのだ。これは何も都市計画だけでない、戦争の時も全然戦略、計画もなくただ無闇に兵を投入して無計画に戦線を拡大化して最後にめちゃくちゃの泥沼状態になってしまった。全く計画゛戦略なしの戦争になってしまったのも日本人にはそうした公共的大建築物を設計するような思想がないことなのだ。せいぜい村の社がその中心的存在でありロ−マのような大帝国を設計する思想に欠けていたのである。

最近の説で面白いのはピラミッドが実は王のためにではなく民衆の公共事業のために作られたという説である。あのヒラミッドが公共事業だったということである。それは宗教的情熱に裏打ちされたもので王の絶対的権力を誇示するためではなかったということである。ピラミッドは実は極めて宗教的建築物でありピラミッドだけでなくエジフトは全体が宗教国家でありその思想と不可分に存在した一つの宇宙であったのだ。すべてが今日のような混沌ではなく一つの色に統一された独特の宇宙でったしその一つとしてピラミッドがありその全体と切り離しては存在しえないものだった。現代はそうした強固な統一性のない分裂した社会であり言ってみれば精神性のない経済一辺倒の社会なのだ。ある意味で現代の社会の方が異常な変形した世界でありエジフト社会の方が正当な社会かもしれないのだ。つまり文明が違っているだけで果たして今の文明が社会が進歩した社会を示しているかどうかもわからないのである。

いづれにしろ二年間も続いたこの辺りの町の改造も全然都市計画のないあたりばったりのものだった。ここに道ができるからと家をどかせ必要もないどでかい豪華な橋を作りあっちを埋めたてては家を移し私の家の回りは高くなりとにかくゆきあたりばったりでありここを請け負った建設会社のなすがままだとか役場は何をしているのだとか一部の人が裏で騒いだが無駄だった。新しく家を建ててもらった人が多かったからだ。日本の街でも町でも雑然としてヨ−ロッパのように落ちついて整然としていないのはそもそも日本には市民はいないし都市というのが歴史的になく都市を作る思想に欠けていただめである。だから公共事業も政府によるバラマキになるだけで無駄が多かったのである。城下町の町民にしても雑然と集められて城の下に住まわされたのであり自主的に街を作るという歴史を持っていないのだ。日本の城は美しいのだがそこは侍だけの場であり町民は除外された場であった。ヨ−ロッパの城は市民も出入りする生活の場であったらしいからその成り立ちも違うようである。このようにあらゆる問題の背後にはその国が負っている根深い歴史や文化の問題がある。



村から離れられない日本人


 
田舎と都市の問題は根が深い、日本には歴史的に都市の世界を経験していない、都市的人間ではなく村という小さな地域でその世界観が作られてきた。会社でも都会に住んでもやはり村を作り村的なものが生活の基本的単位となる。しかしヨ−ロッパでは中近東ではすでに都市生活の歴史が聖書に記されているごとく古いのだ。日本人の感覚はこれほど文明化したなかでも村的人間として存在は変わらない、法律より談合とかを重んじ調和を計るのも村的な思考方法からぬけられないからだ。法律がどうしてもなじめないのは都市的生活が歴史的に存在しなかったからだ。村では誰か長となるものに調整してもらうのがいいのであり法律などはやっかいなものなのだ。政治でもやはり村的調整方法で行われる。自民党の体質は全然変わらない、村的な世界の中でのやりとりであり調整なのである。

おそらく日本の様々な問題を考える時常にその深層には村がある。教育問題のいじめにしてもそうであり日本では才能が伸ばせないという問題も村という地域では突出したものは目立つものは嫌われる、何よりも歩調を合わせ村の調和を図ることが大事なのである。日本では学校でも村でありそこで個性とか才能を伸ばすことはおさえられる。ビルゲイツのような人間が生まれる土壌がないのである。だから有能な人間はアメリカに行くほかないとなる。政治もそうならば宗教すら村が関係している。宗教団体も村的団体を都会に作ることになる。日本の組織や団体は村なのだ。近代的合理的なものは都市にあるが日本人は以前として村を作るのである。外交すら村の寄り合いの延長としての外交であり国際的になりえない、アメリカとの戦争にも全く戦略とか合理的計算とかそうした都市的な思考方法の欠如があり村的なものがアジアに拡大化した結果の悲劇であった。

一方ヨ−ロッパの植民地化やアメリカにはしたたかな計算があり戦略があり村的なものの拡大化とは違うものがあった。港の点の確保で目的は貿易にあり国の全面的征服ではなかった。日本の場合満州に農民を移民させたように土地の確保であり土地の収奪であり土地に執着したから反感が大きかった。姓を変えさせるなどの文化的征服もあり反感をかった。これも村の延長であったのだ。村の神とは小さな社でありその無数の村の社の頂点に天皇の社があったのだ。天皇は都市とは結びつかず村と結びつくものだった。天皇は大嘗祭のごとく米作りの神でもあったのだから農民と村と密接に結びついていたのだ。

日本人がなぜ日本を離れて外国に住みつき外国人となる人が少ないのか、日本という土地から離れることがむずかしいのか。それは江戸時代であれ日本人は村で生まれ育ち村で死んだ人がほとんとだったのである。だから日本人は土地と密接に結びついている。地は血であり土地バブルのように土地は命より大事なものでもあった。日本人はふるさとはその生まれた土地、村であった。ところが英語でホ−ムとなるとそれは生まれた土地でもない、家族のいる場所がホ−ムなのだ。おそらくこれはもともと遊牧民から発したもので土地にこだわらない人たちはホ−ムは村ではない、家族なのである。家族がいれば遊牧するどこでもホ−ムなのだ。土地より人の方が大事なのだ。

とにかくこうした日本人の村を基盤とした心性、思考方法は容易に変わらない、いかに近代的な社会になろうとも村は各自に根強く存在しているのだ。自分自身も全く村的人間でありとても外国で一生を終えることなどできない、ただこれからの人や極少数であるが日本の土地から離れて一生を終える人もでてくる。しかしその人はどうして日本人としてのアイディンティティを保つのかわからない、普通の日本人にとってはそれは恐しいことなのだ。ヨ−ロッパでは歴史的に外国が身近かでありそうした外国人になる経験を積んできてをり割と抵抗なくその国のものになることができる心性が歴史的に培われてきた。日本は日本という国だけで生活してきた歴史があまりに長いのである。

ではなぜ明治維新のようなことができたのかというと島国であってもそれなりの一つの大きな文明国として発展してきた歴史があったということである。もう一つは明治維新の中核は村人ではなく武士であり彼らは農民を土台にしていたが都会化した人であったかもしれないということである。市民はいなかったが武士は武士の共同体のなかで培ったものがありそれが強固なものとして存続し時代の変化に対応できたのかもしれない、その武士が国民となりエリ−ト、支配者層がなくなった時、また日本は全部村人となり無謀な戦争に村的視野で談合で突入してしまったともいえる。

ただ村がすべてが悪いとかいうのではない。むしろこれからの時代は都会より村の方が尊重される時代かもしれないのだ。村は生活の基盤でありどんな文明ももとは素朴な農民や牧人から始まった。ロ−マでもモンゴル帝國でもそうである。ロ−マの質朴な文化は農民から出発したのだ。ロ−マの貴族の姓が豆とかタマネギといった野菜だったことは面白い。根っからの農民だったのである。それが都会化して大衆娯楽の享楽文化となり退廃してゆく。これは今やまさに世界の都市化や日本の都市化で起こっている現象である。村は伝統を重んじ質朴を養い、修養の場でもある。文明が衰退する要因として帝國の拡大化(ロ−マ化)とか大都会化とか大量消費の問題がある時まさに現代の文明はもう一度田舎から建てなおす必要に迫られている。もちろん今や田舎も都会化している、現実は隣が何をしている人かもわからない職業の分化や凶悪な犯罪も田舎に起きているから田舎も都会化している。いや今や世界全部が都会化しているのだ。また遅れた南の国でも都会を目指して人が集まる都会化してゆく、しかしもはや大量消費は限界に達しているし田舎の昔の農民のリサイクルの生活が見直される。極端な都会化から田舎への回帰が起こる。


大地に生死を託す民族に代わって、新しい流浪民主主義、寄生物である大都市住民が生じ、農民生活(またはその最高形式である田舎貴族)を心から嫌う無宗教的,理知的、全然伝統のない、純然たる実際的人間が無形式のままふらついている、大群をなしている、すなわち無機的なものに向かい終末に向かう巨歩なのである。

世界都市とは故郷ではなく世界主義であり、伝統と成熟に対する崇敬ではなく、冷たい事実感であり、古い心の宗教てはなくその化石としての科学的無宗教であり多産的な土地の意味する関係、始原的な生活から遊離した無機的な抽象的な多いさとしての貨幣、優れた世界観は貨幣問題である。
シュペングラ−(西洋の没落)


シュペングラ−の中には強烈な文明批判があった、ニ−チェにしてもそうだが都会がものすごい醜悪なものとして嫌悪したのである。この都会は中世の都市ではない、現代のメガロポリスである。もはや現代の大都会はグロテスなもの奇怪なもの、形容しがたい醜悪なものになりさがった。その荒廃はあまりにひどいのだ。それ故終末を向かい自壊するのである。それは大地震なのかそれを契機としての大瓦解であるのか、大分裂なのかわからないが21世紀に大都会は瓦解するのである。一方田舎はやはりCULTUREの場、耕す場であり文化の基となるところなのだ。村はもともと平和の場であった。

都市は絶えず貿易や富の獲得競争で戦争が起こった。戦争の始まりは都市と都市との争いだった。土地から離れ商業と貿易に重点を置く都市は他の都市と競争する運命にあり富を独占するために戦争になりやすかったのである。一方農民が争うのは土地のためであり日本人は土地のために戦争したのである。それが今や国際的貿易の商業、工業の争いとなった時戦争は世界的になり大量殺戮の時代になったのだ。戦争は殺人工場だったのである。大量生産と大量消費と大量殺戮は同列だったのだ。戦争のために人間も大量消費されたのだ。いづれにしろ都会は呪われた場だった。カインが逃れた地はノドでありこれは動揺するという意味でありそこから都会が起こった。つまり殺人者の後裔が都会だったのだ。だからそこは常に動揺する地であり落ち付く事はないのだ。大地から遊離し神から逃れて作られた地が安住の地になることはできないのである。



 自然保護の矛盾

  
 自然保護という問題は最近の極度に文明化したなかで起こって来た問題であり百年前にすら自然保護しようなどという発想そのものがなかったのだ。ただすでにアダムはエデンの園では管理者だったから自然を管理するという任務は与えられていた。そもそも自然などというものは保護するなどという対象化するものではない。自然とは森であれどこであれ人間にとって恐ろしい場所であった。人間はその自然と戦わねばならなかった。獣の方が人間より強く人間はそれ故道具を発明し自然と戦ったのである。
まことしやかに言う学者や専門家が多いことである。一神教とキリスト教は森の破壊と何の関係もない。例えば「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。・・・・」これは全く自然のままに生きる人間であり非文明的人間の極致の言葉だからだ。人間が努力することは自然を破壊することになるのだ。キリストがどうして自然を破壊するのかそんな思想は全くないのである。日本の森は八百万の神が守ったとかなんとか日本人は宗教の最低の知識すら欠けていることである。それは高名な科学者でもそうだし学者でもそうである。日本はむしろ天皇という神を中心とした一神教なのだ。だから国が乱れず安定してきたのである。

 文明とういものが最初からそもそも自然を破壊するようになっていたのである。それは歴史をふりかえればすぐわかることである。一般の家であれ都市のシンボルの神殿であれ大量のレンガが必要となりそのための燃料を大量に必要とするために木が必要となり森は破壊される。今でもアフリカや発展途上国では薪や炭を使うためにジャングルや森が破壊されてゆく。人間が暮らす所では必ずなにがしの自然破壊があるのだ。火を必要とするから木が切られ建物に使うために大量の木が必要とし森は破壊される。皮肉なことは文明が発達すればするほど必然的に森は破壊される。ネパ−ルではマラリヤを煙で追い出す技術ができた時ジャングルにも人が住めるようになりジャングルは破壊されてゆき自然保護が問題になる。何故かというとそのジャングルは観光地となっているからである。

 自然は宗教と関係なく破壊されてきたのだ。羊や牛を放牧するために森は破壊された。畑や田にするために森は破壊された。それは宗教と何の関係もない、森の神など人間は恐れていない。人間の欲望はそれよりもっと強いのである。アマゾンの奥地まで未だに金をとりにゆき金をえり分けるために水銀を使いアマゾン川を汚しまたジャングルを破壊し原住民の生活を脅かしている。実に人間の欲望はあくことがないのだ。

 もし人間が自然より弱い存在だったらマラリヤやら獣がこわいなら森は森のままに残ったのである。ロ−マ帝国の拡大により今のチュニジア、カルタゴのあった所はロ−マ人が入りそこには象とかライオンのいる森があったのだが破壊されて消え砂漠化したのだ。エジプトにしろそこには大きな椰子の森があったのだが今はなく太い石の柱の神殿がかつて森があったことを示している。それはゲルマンの広大な森がゴシック建築となってかつての森を思わせるのと同じである。自然保護を語る矛盾は十分に文明化し文明の快適さの恩恵に欲している人達だということである。

 今文明国では自動車の騒音やら排気ガスで悩んでいるが東南アジアや遅れた国ではバイクがいかに役にたつものか信じられないほど価値あるものとなっている。そこにはバスとか汽車の交通機関も良く整備されていないからだ。これと同じように文明の利器が力を発するのは過疎地である。ここでは買い物するにしろ何するにしろ自動車が不可欠だし通信機器なども最も必要なものとなっている。医者に行く連絡するんだって欠かせない、一方医者が近くにあり買い物も近くでできるものは汽車やバスを利用できるなら自動車は必要ないのである。

 自然保護が可能なのは例えば石油があることにより森の木を切らずに燃料がまかなえること原子力で電気が供給できることなどかえって文明的なものに頼る生活ができるとき森を保存できるのである。(原子力には反対であるが・・)発展途上国では石油も買う金がないから木をきり薪にして炭にして森を破壊することになるのだ。人間には世界であれ日本であれ自然は美しいから保護しようとかいう考えなどなかった。便利な生活を求めれば求めるほど自然は必然的に破壊されたのである。

 鯨をとるなというアメリカの主張も鯨を今必要としていないからそう言っているだけなのである。かつては鯨は油として必要でありアメリカも鯨をとっていたのである。イスラム教も豚を食うなと言うが豚は砂漠の世界では必要なくともしい草で養える羊が不可欠だったのである。宗教的に考えるなら菜食主義者が一番理にあっているのだ。肉はいかなる肉でも不浄だから食わないことにすれば一番いいのだ。自然保護という問題はここ百年くらいの猛烈な文明化により起こったものでありそれを止めることは世界全体を非文明化というか脱文明化というかそういうことなくして自然は守れない。

 自然保護の観点から言えばGNPだと経済発展一辺倒の世界と相いれないのである。でも以前として人間はそれを求める時自然破壊は起こる。結局森の保護には石油が必要なように今の快適な文明状態を維持するには新しい技術が科学が必要となる、さらなる文明化が必要になるという結論になる。自然保護という美名が何か宗教的道義的な一つの現代の合言葉となっているがそれは自らの人間の歴史を省みない言葉だけの実質をともなわないものになるのは当然なのだ。

 歴史とは一面自然破壊の歴史だったからだ。それが今呪いとなり人間にふりかかっているのであり宗教は関係ないのである。その文明の反省無くして自然保護というものも成り立たないのだ。アメリカもバッファロ−を絶滅させるような凄まじい自然破壊を西部開拓でしてきたしそれと同時にインディアン絶滅も同時平行にしてきた国である。今鯨を必要なくなったから鯨を守れというのは理に合わないことでもある。誰も今や自然を大事にし自然とともに暮らしたいと思う。自然を破壊したのは宗教のせいでもない、日本の神々が森を守ったというのも理に合わない、鎮守の森は森を破壊した申し訳のために森に対する畏れから残したものかもしれないが米を作るため畑を作るために森は破壊されたしそのために森の神であれ何であれ無力だったのだ。

 日本人は確かに自然を敬う民であることは言えるし神道が自然宗教であることもいえる。そこには自然を管理し保護するなどという思想はなく、むしろ自然によっておおわれる、自然によってそのきれいな川によって禊ぎする、清められる、つつまれるという環境にあったのだ。つつむとは罪の意であり罪はつつまれるもの自然によって隠され包まれるものと認識していたように日本人の感性としては文明化されていない意識が続いていた。しかしそれで日本が自然保護できるかどうか別問題である。むしろ今のような時代積極的に自然というのは管理しなければ守れない、川をきれいにするためには下水道が必要になる。もはや自然を守るはさらなる自然を破壊しない技術が必要とされる。エコシステムの技術が必要とされる時代なのである。それが一つの未来の問題となっているのだ。

 いづれにしろまことしやかに一神教がキリスト教が自然を森を破壊したなど言うべきでないしこれは神に対する冒涜であり許されないことなのだ。まるで一神教がキリスト教が自然の敵のように臆面もなく何度も何度も言っていることである。日本人は宗教に無知なる故に平気で神を冒涜しているのである。確かに思想も信仰も自由だとすると神を否定して生きることも自由だしどんな宗教も信じることも自由になる。それを誰も咎めることができなくなる。しかしその責任は自分が持つことになる。では本当に一神教がキリスト教が森を破壊したといえるのかよくよく検討してみるべきである。

 学者であれ科学者であれ自らの知識に奢り神をないがしろにして安易に自説を言うことは危険である。神の知識が優先されねばならないのだ。西洋文明というのは科学であるが余りにも科学技術至上主義になり神をないがしろにして偶像崇拝化しているのだ。科学者が常に現代の救世主のように崇められ科学に過度に期待することの疑問なのである。つまり人間の科学が知識がいかに進歩しようと神の目から見ればたかが知れてものでありそれによって奢ることは神の怒りをかうことになるのだ。奇妙なことは宗教者や宗教団体の権威も政治とか科学の方が実は力ありそれを知っていて医者とか科学者とか並べると権威ガ出てきて人は宗教よりそっちの方に引かれて入るのでる。科学の力のない時は祈るほかないから宗教者が力をもっていたが今は宗教者はこうしたものがないと世間には無用のものとされるのである。異常なほどに奇跡をご利益を求めることが科学や技術に求めることになったのだ。祈祷師とか呪術師が科学者になったのだ。



   歪められた歴史

 歴史は事実が必ずしも重要なのではなのではない、事実は時がたつにつれてますますあいまいなものとなり確実に証明できないものとなる。そうなると事実よりその時々でその為政者の思惑やらその時代の価値判断で歴史は評価されたり無視されたりする。戦争中は鬼畜米英だったが戦後は一転して親米になると今まで何でも嫌っていたアメリカのものが尊重される。しかし日本から昔からあったものもその社会では価値あるもので尊重されるべきものだったのだ。

最近真珠湾攻撃のことも一方的な卑怯な行為としてアメリカ人は日本参戦に利用したとアメリカに仕組まれたものだったと言うことを具体的な資料から説明する人もいてなるほどなと思った。アメリカにしても戦争するにさいし事実より日本が悪いのだと国民に宣伝する方が大事なのである。イスラム教が仏像を破壊したことでイスラム教はそういうものか寛容でない宗教とイメージ的にそう思いこまされている。つまり思いこまされることがそっちの方が事実より大事なのである。モンゴルも実際はそんなに残虐な民族とはいえなかったのだが非常に誇大化して攻められた人たちが語ったのである。
 
 私のことになるが口約束して土地の境界を親同士で決めていたのだがその口約束は一方的に無視され土地は取られてしまった。わずかの土地ではあるから大して問題にならないかもしれないがそのあとがよくない、子供にその土地は自分のものだと言い聞かせているからそれが親同士約束したものだといってもわからない、かえってこっちが悪者にされ子供たちはなんだとんでもないことを言うやつだとおっこて責める。責められべき者がかえって責められるべきでないもの責める理不尽がある。犯人でないものが犯人にされる。もはやこうなると真実とか事実が問題ではない、自分の都合のいいこと利益になることが問題でありそのように力あるものしむけるのだ。

 このことは韓国にも当てはまるのだ。確かに民族のプライドを傷つけられたことは言えるしその言い分は否定できない。しかしあれほど過剰なまでに反発されるものだったのかというといろいろ調べて総合してみれば明らかに過剰なものがある。何か感情的になり本来反日的でないものすら反日的にする傾向があるのだ。戦時中でも韓国の将校の下で命令されていた日本兵もいた。それは韓国に行く船で韓国人とビジネスの話をしていた人がそんな話をしていたのを聞いたから事実で日本は韓国人差別をしていなかったのだ。みんながみんな戦争当時不満だったわけでもなかったのだ。それが今なぜ目の仇のように日本人を見るかというと過剰にそれを語る子供の世代が聞き語りで反応しているためである。自分の土地の争いで親の話の方を子は信じるように過剰に反応して事実があったとして日本人が極悪人のように感じてしまうのだ。従軍慰安婦のことなどもあういうことは特に面白いので映画にまでなり日本人の印象を悪くするのにうってつけなのである。自分の土地にしても親の決めたことでこちらに非はないのだが相手は子供に自分の方が土地を取ったようなこと言い聞かせているからこっちが悪者にされせめらるのと同じだある。だいたい家族は自分の家族を良しとし利益を守ろうとするから公平欠く、同じように国や民族も自分に都合いいように事実を解釈するのだ。

ここで感じたことは事実が歪曲されることである。真実が真実とされないことなのだ。子供は親の話を信じる、悪いことでもかばいあったりする、だから親子などは証人になれない、歴史においても真実や事実が過度に歪められることは危険である。そもそも親の言い分をそのまま子供が受け入れた、事実が真実が歪められ子孫に伝えられた、悪は正当化され子孫に伝えられたのであり悪は一代で終わらず継承されてゆく、それ故に日本人も戦争の問題は慎重にならざるをえない、確かに一方で親の言うこと過剰に反応する子孫がおりまた日本人の方にすると事実とか真実に目をつぶり都合のいいように解釈することにもなる。戦争に参加した人たちの肉声は生々しい肉声は聞こえてこないことにも問題がある、植民地解放の戦いというのはきれいごとにすぎるからだ。

ただ個人間の問題と国家間の問題は違うが本質的に同じ問題でもある。歴史の中で悪が真実がゆがめられ継承されることは恐ろしいことだしそれは神が許さない、真実はいつの日か白日のもとにさらされる。いずれにしろ悪いことをした人が良しとされ罪もないものが悪いとされて伝えられたらどうなるのだろうか、歴史は確かに善悪で動いていない、強いものが勝ち弱いものが踏みにじられる、善悪から歴史を考えればいかなる国も悪になる。アメリカのインデアンの絶滅戦争も恐るべき悪である、ベトナム戦争も、日本への原子爆弾も恐るべき悪であり悪の帝國になる。善悪すればアメリカは正義をもって他国を裁く資格などないのだ。アメリカはメリカで自国に都合言いように歴史を解釈し正当化しているのである。実は中国でも韓国でもそうなのである。親の言うことを鵜呑みにして一方的になることが多いのだ。それが過剰な恨みとなる、中国や韓国では旅行しても日本人を良く思わない人が結構多いのである.とにかく歴史解釈自国に有利なように一方的になりやすいことは確かなのである。なぜ自分の家族に非がないのにかえってその子孫に責められるのか悪が正当化されることの恐ろしさがここにある。アメリカの悪は責められず日本の悪のみ責めらるのかこれまたゆされることではないのだ。

歴史は事実なしで存在しないものである。事実を基にしない歴史は歴史ではない、事実から神話や伝説が生まれたもであり架空の話から神話や伝説は生まれない、何かしらの事実はあったのだ、この事実が誇張化することはあるがやはり事実を語っていることも確かなのだ。この事実を否定することは恐るべきことである。現実にナチスによる大量殺戮はなっかと書いた雑誌があり大問題になった、ドイツではナチスの犯罪を否定することは犯罪になり罰せられる。時間がたてば事実すら定かでなくなり否定されることがありうるのだ。自分の場合も親の口約束であったとしても証文もなにもないからそんな事実はなっかたとされれば何も自分の権利は主張されずかえって攻撃されるだけで悪者にされる、現実そうされているのだ。まさに殺人をしているのにその事実を否定してそれを訴えているものが殺人もしていないのにどうして俺を訴えるのだとかえってみんなの前で責められることになるのだ。このことは実に恐ろしいことである。殺人という恐るべき事実は闇に葬られてそれを訴えることもできないことになるのだ。事実が明確でないと勝手に都合で歴史は捏造される。50万年前の石器だとか捏造される、つまりそんな時代の事実を知りうるものはいないから容易に捏造されるのである。一方聖書はすべて事実を基にしたものでありそれ故に歴史の書であり神の事跡を語るものなのである。そこに事実の重みがあるのだ.聖書が事実でないとしたら信仰も否定されるしすべて否定される恐るべきことになるのだ。



 
  アルジェリアの放送を見て

アルジェリアについてNHKで放送した.韓国の旅行でアルジェリアで石油関係で働いていた人に出会い旅をした.その時始めての海外一人旅だった。まずあの読めない字に戸惑いパニック状態になった。自分の場合いつもあわてやすい性格で失敗している。偶然船から下りたら一緒に行きませんかということで全然わからないのでついて行ったのである。
最初の宿は一度前に泊まったことがあるというかなりわかりにくい所にあった宿だった。それからずーと韓国旅行は一緒だった。というよりは自分はなんとかついて行く他ないと思っていたから離れなかったのである。いろいろ言われたが一人で旅行できなっかのである。外国については全然わからなかったのである。その後中国を一人旅行した。これも全然知らずに行ったのである。4,5年前だがあのころ汽車は殺人的に混んでいたし自分のような初心者の行くべきところではなっかたのだ。

 その人はその後もアルジェリアに行き石油関連の仕事をしていた。アルジェリアに入るにはスペインから船で入り石油工場から一歩も出れないカンズメ状態だった。今日放送を見ると確かに外国人は鉄柵のなかで一歩も外に出れないような状態で暮らしている。みな同じだったのだ。自分にとってアルジェリアのようなところまで日本人が石油をとるために行っていたことに驚きだった。その人はシベリア鉄道でフランスに入りフランスで生活していた。あの頃30年ほど前にそんなふにして外国に行った人は非常に少ない、海外旅行など本当にまれな時代だったのだ。アルジェリアはフランスの植民地でフランス語ができるからそういう仕事にたずさわっている。

 おそらくローマの遺跡と言うのはコンスタンチンのことでそこの公衆便所の便座の石に座ったとか聞いたのである。あそこにはなかなか行けない所であろう。コンスタンチンとはローマの皇帝の名である。思いばあの頃学生運動盛りのころ政治の季節であり(カスバの女)とかの映画が有名になり左翼の運動家が感心して見ていたのである。カスバは迷路でありテロリストが隠れるのには格好の場所だったのだ。フランスからの植民地解放運動は日本の革命家にも賞賛されたものだったのだ。独立を達成して何故政治的に混乱しあのような悲惨な状態になったのか、おそらく学生運動でもあった、内ゲバ状態、この主導権争いは共産主義国家樹立の過程でも起こったしイスラムでも起こったのだ。何故イスラム教徒があのような残忍なテロに走るのか、宗教とは言えキリスト教でも異端裁判とか残忍を極めたように人間の歴史でそういうことは起こっている.主義主張とか宗教のために人間は最も残忍になれるのだ。人を殺すことが容易に容認されるのだ。

 植民地解放後の国が混乱するのは国としてのアイデンテテイが弱いためである。それにしてもなぜイスラムとユダヤとかが対立するのか、アルジェリアにはユダヤ人が二割もいて共存していたがイスラム原理主義のテロ集団により分断されたしイスラエルでもユダヤ人とイスラムは分断された。アルジェリアの場合は同じアラブ人同士だから余計わかりにくい。イスラムは他宗教に対して寛容であり共存を許していたのである.とにかく革命より革命後の方がむずかしい。破壊から建設に移るからである。やはり国家建設にイスラムという宗教をもってきたことが混乱の一因かもしれない、宗教やマルクス主義でも極端な理想主義を目指すので過激となる。しかしそんな理想社会などできるわけがない、土台無理である。政治はあくまでも妥協であり利害調整でありそんな高邁な理想を達成するものではないのだ。それでカンボジアであれ他の社会主義の国家も無惨な結果になったのだ。



地域紛争の勃発の原因はどこに

トルコの一角にギリシャ正教を信仰するギリシャ人が住んでいた。その人たちはこれまで別に問題なく住んでいたのである。容認されていたのである。それがトルコという国民国家ができた結果、ギリシャとトルコは争いその人たちはキプロスに移住させられた。そこでギリシャ正教に戻り2000年前の故郷に戻ったと涙流している。これはトルコという近代国民国家が生まれた結果ギリシャ人が排除された結果であり近代国民国家が民族差別を生んだのである。ユダヤ人でもイスラム教の中で共存していたものがイスラエルや近代国家の誕生の中で排斥されるものになった。日本では大陸のように国家の枠組みが変動しない、世界史をみれば国家の枠組みはめまぐるしく変動している。日本にとってヨーロッパのわかりにくさは単一国家でないっことにある。言葉の違う国が一つの国だったこともあり現代の国民国家がすべてではなっかたのだ。

しかしヨーロッパにはヨーロッパのアイデンテティが形成された。その基となったのがローマであった。ローマから発展したキリスト教がヨーロッパのアイデンテティを形成した。アジアでは一時仏教がアジアのアイデンテティを形成したがそれは過去のものとなってしまった。現代で大きなアイデンテティを形成しているものはイスラム教とキリスト教であるがこれは宗教的には兄弟関係にあり根は同一なのだ。つまりヨーロッパが世界史となったのはこのアイデンテティがあったからである。アジアにはそれがない、アフリカにもそれがない、アフリカなどは部族社会であり国としてのアイデンテティさえ形成されていないから部族同士の野蛮な殺戮となった。首狩りの戦いが行われたのだ。日本も6世紀ころまでは様々な部族のようなものが跋扈して争いがあった。耶麻台国の前には百余国があり争っていた。

 ソ連が崩壊し元の民族国家に回帰したのはいいがまたそこで民族同士の争いが起こるようになったのも現代である。民族の歴史的怨念が地下から噴出してきたのだ。丁度韓国が在日の人々が日本の国家に歴史的に怨念を抱くように民族的なしこりが再燃してくる。不思議なことはソ連の社会主義革命でも理念的には悪いものではなかった。世界の労働者、プロレタリアートよ団結せよとか、フランス革命も自由とか人権とか平等とか博愛とかその理想は悪いものではなっかた。つまりそこには人種や宗教や身分からの解放が目的であり今のような民族のような狭い枠組みからの解放、脱出が目的だったのだ。アメリカの民主主義も世界的に人権の擁護など普遍的な価値としてアピールしてきた。民族国家ではなく理念を優先したのである。それはイスラムであれ仏教であれキリスト教であれ同じだった.愛とか平等とかそうした価値観は民族とか人種とかを越えた普遍的人間共通の価値観に根ざしてをり悪いものではなっかた。民族国家に戻ることはアフリカのような部族社会の争いに逆戻りすることになるからだ。

 しかし人類がいかにこの理想から遠いのか愕然とする。その一番の障壁は南北問題であり貧富の差である。飢餓状態のものに人権も何もないのである。そこには動物状態があるだけである。貧乏な国では命の値段も極端に低いのだ。5ドルで売春させられているカンボジアの少女をみればわかる。ヨーロッパからも日本からもアメリカからも少女漁りにきている。奇妙なことだがベトナムは20ドル30ドルと売春の相場が高くなっているから人権も高くなる。まさに貧富の差により奴隷化されているのだ。そこに人権など考慮されないのだ。もしアメリカが人権を言うならこの富の不平等を改善しなければならないのだがアメリカにしろヨーロッパにしろ日本も富を握っ手放さないのである。貧乏な国の人権は低く金持ちの国の人権は高くなる。イギリス人の女性が殺されてあんな大騒ぎになるのも国の力関係でそうなる。東南アジアの女性ならそうならないのだ。

結局何故そうした博愛とか平等とかが社会的に実現から程遠いかというとまずそのことは個人レベルでもむずかしいからだ。仏教の慈悲を釈迦のような慈悲を個人レベルで実践できた人がどれだけいるかというと何千年たっているけど数えるほどしかいない、キリストの愛を実践した人も数えるほどしかいない、それほどむずかしいものを社会的レベルで実現することは不可能である。そこにヨーロッパの宗教の悲惨な歴史があり高邁な理念の挫折があるのだ。宗教の理想は絶対に社会的レベルで実現されることはない。個人にしてもシャカやキリストからいかに遠いか日々思い知らされるのが現実であり個人のなしうる事が社会の理想的改革ではなく個人の罪の告白だけだということ知るのである。その罪深い個人を自分をさておき理想を言うからおかしくなるのだ。創価学会も実は宗教より共産主義的社会改革を目指すものなのだ。宗教とはほど遠いもので宗教を語ることさえできないものである。宗教は個人的懺悔から始まるのであり社会改革の理想を語ることではないからだ。ともかくアメリカの人権にしろなんであれ理想を語るものには矛盾がある。そのきれごととはうらはらに貧富の差やら軍事力の維持や人権蹂躙が行われているのだ。




戦争悲話の断章

マレーシアのジョホールバルというところ、シンガポールの向い側に従軍看護婦として傷病兵の看護していた人は多くの悲惨な兵隊の死をみとった。その兵隊から日本に帰るとき託されたものがあってその家族に合いに行ったとかよく戦争の映画に出てくるような話をする。戦友に託されたもの形見の品を持って家族を訪ねるシーンである。映画というときこんな小さな町にも映画館がありテレビが出る前は映画が娯楽だった。映画というのは今のテレビとは違いお茶の間のものではなく別世界のものだった。映画の俳優は特別な存在であった。第一映画館というところ自体別世界の空間であり非日常的空間だった。銀幕の俳優もまたお茶の間に親しまれる存在ではなくその素顔は知られない存在で今のように俳優の日常生活まで立ち入ることはなかったのだ。嵐勘十郎がめかけを何人もっていたとか誰も知らなかったし批判されることもワイドショーで話題になることもなっかたのだ。それがテレビの時代になり俳優の私生活が注目されることになったのだ。つまりメデアにより伝えることも変わるのである。雑誌や新聞や本という活字の伝えるものとテレビが伝えるものは根本的に違うものになる。テレビになってから赤銅鈴之助とかに夢中になったのだ。月光仮面もそうだった。しかし今考えてみると英雄視していたものは架空の存在でありメデアが作り出したものなのだが子供のときはその区別がつかず夢中になっていたのだ。ここにメデアの影響力の大きさが生まれたのだ。ヒットラーにしてもそうしてメデアによって作られた虚像だったのだ。しかしこの虚像と実像の区別ができなくなっていたのだ。現代でもそうした問題が起こっている。

さて従軍看護婦が語るには死んだ人は焼かれたのだがその死体は粗末な墓を作り葬ったそうだがそれが目印となりその墓は暴かれその死人が身につけていたものがはがされ盗まれるので墓は目立たぬように平らにしたそうである。これは生々しい現実である。現地の人は日本兵に対してそういう態度をとったのである。死者に対する同情は微塵もなかった。現地の人と共同に戦うものがあったらそいうことをするだろうか。そういう意識がなっかた故平気でそういうことができたのではないか。戦後その日本兵たちはその報告の冊子をだしていた。それがわが家にもありそこに現地人を土人と書いていた。今なら差別発言として問題になるところであった。そうした見下したものはやはりあったのだ。日本兵は終戦になりジャングルに逃れたものもいた。そこを戦後訪れてみた戦友が言うには埋めた墓も何もなっかた。原っぱになっていたという。現地の人はそんな日本兵に関心も何もなかったのである。もちろんマハテール首相は日本を評価し戦争にも肯定的発言をしているがそれは現実政治のパフォーマンスの傾向が強いのだ。だからどうしても植民地解放のために共同で戦ったという戦争の美化には疑問である。第一戦争は殺し合いなのだからもっと生々しい凄惨なことがありそれは語られていないのだ。だからといって自分は日本人だからそうして異国に無惨に死んでいった人たちを責めるつもりはないし同情する方である。ただ戦争は美化すべきでないことは確かではないか。戦争の現実を知らないものが美化するのである。それはテレビの架空の存在を英雄化することとも通じているのだ。ただアメリカやヨーロッパに対しては正当なものがあり欧米の言う日本謝罪論は一方的で傲慢な押し付けなのである。

帰らざる異国に眠る兵こそあわれ
戦友の訪ねてみればその墓すらなしも
一片の骨すらなしも
ああ 青春は報われず異国の灰となりしも
若き血潮の大和撫子は白髪の老人となり
異国に別れし戦友を語りぬ
冷たきなおも春の雪おおうみちのくに・・・
そは報われず異国の土となりしも


      
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