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2005年5月3日(火) |
苧環(おだまき) |
二輪草咲きにしあとにかそかにも苧環咲きて暮るる庭かも
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2005年5月1日(日) |
桜田山 |
我が窓ゆ桜田山の桜散る家にいつつも時は移ろいぬ
ここから桜田山の桜が見えたがいつのまにかもう散っていた。時の移りは早いものである。前は家にさえぎられて桜田山は見えなかった。ただ前よりここは環境が悪くなった。近くに見るわけではない桜でも遠くに見る桜でも咲いたと思ったら散るように時は移ろいゆくものである。
桜田山と言っても桜とはもともと何の関係もない、桜とつく地名は桜とはもとも関係ない、地形的なものだろう。
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2005年4月30日(土) |
城跡に散る桜 |
城跡に花散りあわれ夕日影
相馬は確かに城があったしわずかに石垣が残っている、それでもどうしてもあそこに城があったと思いないのだ。相馬六万石は野馬追いで有名でも城そのものに存在感がないのだ。やはり城が再現されると存在感がでてくるかもしれん、ただ相馬に行くと何か沈んだような気分になるのはやはりあそこが歴史の場所なのか、原町市とか他の場所とは違うのだ。城下町には必ずそうした雰囲気は残っている。暗くて細い路地のようなのが残っているからかもしれん、でも商店街は廃れ郊外に家も店も広がっている。というのは商店街は暗いから陰気な感じになるのだ。家でも商店でも明るい方に建てるのは人間の心理である。
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2005年4月29日(金) |
水仙 |
水仙の隣の庭にひそか咲き窓より我の今日も見てをり
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2005年4月26日(火) |
夕蛙 |
我が帰るいつもの道や夕蛙
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2005年4月24日(日) |
桜 |
鶯にコジュケイ鳴きぬ山の里
ヒヨドリの羽ばたき荒く花散らす
六号線タンポポの明るさに夕陽さす
森の径行く人なしにかそかかな木漏れ日さしてスミレ咲きあり
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2005年4月22日(金) |
春の月 |
家ふえてその間にのぞく春の月
この辺は住宅地になり家がふえて前より見通しが悪くなった。それでもその家の間からまんまるい春の月が見えた。それが一つの俳句になるのも俳句的なことなのか、俳句の不思議がある。つまりこの辺は家が少ないからまだ家がふえてもいいということなのだ。家があまりに密集する都会だったら月さえ見えないのだ。
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2005年4月19日(火) |
春の山 |
蛙鳴きここに古き碑並ぶかな
満開の桜と金雀枝映えて咲く
鶯や今日も四阿屋空いてをり
春の山我を呼ぶらし飯館に
飯館にずいぶん長く行っていない、今年は寒かったし旅行にも行ったからだ。飯館の春の山が自分に来いと呼んでいる。ここもようやく満開の桜となった。田舎の四阿屋というのはいつも空いている。最近いたるところに川べりとかにこうした四阿屋やベンチを置いてある。ヨ-ロッパでもこうしたベンチが多いがそれが何か年期があるというか貫祿があるというか歴史があるというか日本とは違うみたいだ。ヨ-ロッパでは公園とかベンチまで歴史があるから絵に描いたりする。日本も様々なものが整備されたがやはりヨ-ロッパのような歴史に欠けている。ヨ-ロッパでは何かどこでも歴史を感じさせる。日常生活のささいなものまで歴史を感じさせるのが違うのかもしれない、歴史があるところは何か違う、四国の遍路も歴史がありそこを遍路が歩いたので何か普通の道とは違うし小さな港も何か古いもの、生活の垢までしみこんだようなものを感じた。
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2005年4月18日(月) |
千輪の椿 |
千輪の椿の囲う一軒家
みるみるにツクシタンポポ満ちにけり
百輪とか千輪の椿とかは類句である。俳句は類句が多くなる。その類句を分類すると面白いのだ。分類しやすいのも俳句なのである。キ−ワ−ドの分類に向いている。そもそもが椿という季語でいいものを並べるとそれだけで一つの世界ができるのだ。それを自分の俳句とか先人の俳句などを集めてみると椿の俳句ワ-ルドができるのだ。
今日の一句一首2年間くらいやっているがこの頃アクセスがかなりおちた。というよりアクセスに関係なくホ-ムペ-ジは記録という面がある。そしてホ-ムペ-ジに出しておけばあとで誰かが参考にしたり認めるということはありうる。ただ他の人の俳句も対話もコミニケ-ションもないから結局アクセスされなくなったのだろう。なぜそadるのかというと他人のつまらない俳句より先人のいい俳句を鑑賞するだけでも大変なことなのだ。つまらないものを読んでいると必ずあとで後悔する。時間の無駄をしたことを後悔する、いくらでもいい俳句はありそれを読むだけで大変であり新しい俳句を読み価値を見いだすことは実際大変な作業である。だから今までの先人の俳句は読んでも今の人の俳句を読む暇がないのだ。そして他に例えば四国旅行した俳句なども整理しないと行けないとか書くことが多いから他の人の俳句を読めないのである。
ただこうして一人一方的に書いていただけではホ-ムペ-ジはアクセスはなくなる。時事問題の方が常時アクセスがある。ただ俳句でも椿だったら椿の俳句を整理してのせておくと百科事典のようにアクセスする人がいる。いづれにしろ自分のことをかくだけで精一杯なので他人の俳句などなかなか読んでいられないのだ。
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2005年4月17日(日) |
燕来る |
船見えぬ太平洋や燕来る
no ship on the Pacific Ocean
in my sight
and a swallow comes
太平洋ようやく船見え燕来る
瀬戸の島海の光りて燕来る
太平洋には船が見えるのは一艘くらいである。四国とか瀬戸内海に行ってわかったことは太平洋には特に東北とかには海の文化そのものがないのだ。これは文化として大きな相違手ある。これもあのトランジットのようなものでも四国の海岸とか瀬戸内海の島とかを走ってわかったのである。歴史とか地理そのものがこうして自転車だとかで行かないと実感としてわからない、汽車で旅してもわからないことが多かった。自転車で行くと距離感とかそいうものもある程度実感としてわかるからいいのだ。東北は瀬戸内海とか大坂、京都から見るとかなりの辺境でありそれで平泉の栄えていたことに驚いたのだ。これも東北にいてはわからない、瀬戸内海とか大坂、京都からみるとわかるのだ。自分の土地のことも自分の土地だけにいてはわからないということである。
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2005年4月16日(土) |
畑打つ |
故郷に畑打つ女(ひと)の力かな
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2005年4月14日(木) |
忘れられた碑の発見 |
故郷の忘れられた碑春日さす
こんなところに碑があった。今まで何回もここを通ったけどきずかなかった。
人間って意外と身近なことに気づかない、灯台もと暗しである。近くに小川が流れそのせせらぎの音がひびいている。ただここはそうなのだが橋の向こう側は自然の流ではない、水路になってしまっている。どうしてここにこの碑があるのか?全部馬頭観世音でありこれが碑に一番多い、馬と人間が一緒だったと時代が長かったからだ。しかし今は全く忘れられひっきりなしに自動車が通るだけの道となっていた。
こういうことって時代である。急速な時代の変化で忘れられてしまうのだ。ただ今日はそこに春日がさしてなんとも気持ちよい日だった。こうしてなんでもいいから昔を語るものも残す必要がある。また発見して見直す必要があるのだ。
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2005年4月12日(火) |
夕鶯と平家の落人 |
身をひそめ奥の谷間や夕鶯
三輪の椿の赤さ室に満つ
俳句でも短歌でもその背景を、歴史を知らないと深く鑑賞できない、四国では源氏と平家が争いそれが具体的なものとして地名として残っていた。点々と地名として残っているのだ。点と線だが点が地名だった。その点を結ぶと線となりその跡を明確にたとることができる。ともかく山深いことには驚いた。貞光町からちょっと自転車で山に入ったら剣岳が奥にそびえ見上げるような所に家が点々とあった。まるでヒマラヤの家とにていた。あそこは自転車で行くのは無理だと思った。そいうところで鶯が鳴いていて平家の落人が身を潜めるにはいい所だと思いこの句を作ったのだ。
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2005年4月10日(日) |
百輪の椿 |
6号線にそいて走るやツクシかな
春の日に小枝の影のあやなしぬ
百輪の三輪手折る椿かな
やっぱり6号線は自動車でうるさいが生きている道である。だからツクシがにあう、つまりこれも写生なのである。
俳句はやはりいい俳句を読んでおく必要がある。するとそれをまねたものだが別なものができるのだ。
何事芸術でも宗教でも本物にに接していないとゆがめられる。あとで後悔することになる。
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2005年4月9日(土) |
坂上り隣の市へ |
畑打つや我が坂上り市(まち)に行く
これも当たり前の光景だが自転車でいつもの坂を上る、その坂で畑を打つ人がいる。市というと昔の市も思い出すように市にした。ここに春の気分が生活感がでてくる。つまりここでも歩いたり自転車で坂を上ることがポイントになっているのだ。もし自動車だと句にならないのだ。今回の四国の遍路見聞の旅でも大地を道を歩いていることが絵になっていたことでもわかる。これも国道とか自動車で混雑したところは詩にも俳句にも絵にもならないのだ。自動車は人間的な様々なものを破壊してしまったのである。
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2005年4月7日(木) |
砥部焼 |
移動して場所をたがいて香る梅
砥部焼の壺三つ飾る春の室
同じ梅の香りでも場所が違うとまた変わってくる。これが旅になるとまるっきり変わってくる。砥部焼は窯元ととか並んでいるわけでもなく古いわりにしては行ってはつまらないところだった。ただ壺を買うくらいである。場所の魅力がなかったのだ。買い物も楽しみである、やすいものでもその場で買うと何か特別な感じがする。旅ではその場の魅力が大きいのだ。歴史もその場にともかく立ってみないと実感できない、遍路のことも四国を一周してわかった。犬や幽霊までぐるぐる今も遍路して回っているのだ。それは実感として誰もが感じる世界なのである。場がもっている歴史的な場がもっているものがそこからにじみだしているからだ。だから想像だけでは俳句でも詩でも書けないのである。写生が基本とする時ともかく一回その場に行ってみないことには実感できないから俳句も作れないのである。
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2005年4月6日(水) |
上野の春 |
さえづりや公園の池に鯉はねる
春の日や隅田川を行く大江戸線
春の日や鴎百羽に隅田川
海からの春の風吹く隅田川
のどかさやホ-ムレス釣りする隅田川
春の朝鳩に餌やる旅の人
人繁く大江戸通り花の朝
銭も落つ繰り出す上野の桜かな
春の日に東京の江戸を尋ねけり
東京の上野から隅田川までトランジットで走った。自転車だと行動範囲が広がる。ホ-ムレスが釣りをしていた。魚など汚い川だからいないと思ったがいる、テレビでもやっていたが海から魚の大群が上ってきたことがあった。海が近いから海の魚がくるのだ。川は前は匂いがしたが今しないと言っていた。そのホ-ムレスの人に教えられ近くの公園に行った。ここも大江戸線が通りいいところであった。さえづりも都会にしては聞こえた。鯉もはねて鷺がいた。鳩にえさをやった。東京でもこの隅田川べりは前から景色がいいと思っていたので来てみたのだ。それなりにここにも春があった。今回の旅でも大量の俳句や短歌を作った。四国は俳句になりやすい場所でもあったのだ。遍路の歩いている姿が絵であり詩になりやすいのだ。これをこれから書いてゆくことになる。
都会のホ-ムレスとホ-ムレス遍路は余りに違っていた(時事27)
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