大悲山磨崖仏
大悲山磨崖仏
磨崖仏胸広く三体黙しぬ
その千年の時の重みに
影深く大杉の根元涼しも
黒揚羽二三羽は舞いぬ
ただ沈黙の余韻を残して
平安の大き仏は黙しぬ
その大いなる仏の忍苦の姿
その広き厚き胸は威圧しぬ
怒らず争わず三体の仏
ただ沈黙の岩屋に漂いぬ
力強く山雀の声のひびき
三体の仏は瞑目し座しぬ
大悲山磨崖仏を久しぶりで見てきた。きれいに整備されていた。あれは平安仏だから実に古いのだ。誰の作かも明確ではない、平安時代の仏は貴族仏教だったからおおらかさがある。胸が広くゆったりとしてどっしりとしていた。そして何よりもそこに深い沈黙があった。辺りを圧する沈黙があった。昔のものは今と違い沈黙が必ずある。沈黙の芸術なのだ。何故なら生活そのものもが深い沈黙の生活だったからだ。今の騒音社会とは考えられないほど静寂が満ちていた。江戸時代でもそうである。第一車ない社会がどれほど静かな世界になるかちょっと想像しただけでわかる。全く音一つしない静寂が支配していた。
this big Buda statues have a silenced power and strength
そういう時代から生まれたものには自ずから沈黙が備わっている。その沈黙もずっしりと重い、今の時代にない迫力はそこから生まれているのだ。今の芸術の浅薄さは沈黙やそうした時代背景がないゆえだめなのだ。明らかに昔と比べて芸術は衰退しているのだ。仏を信じる心などすでにない、江戸時代から僧侶は戸籍係になっていた。僧侶は役所の一部になっていたのだ。そんなところから力強い芸術は生まれない、平安時代は貴族仏教だったがそれでも時代的に仏教を取り入れて時間がたっていないのでその新鮮さが保たれたのだ。キリスト教でも同じである。なぜあんな大聖堂を作りえたのか今では驚きである。権力故に作られただけではない、やはりあれだけのものを作るのには民衆の支持があって作られたのである。
仏教は鎌倉時代の宗教革命でその命脈は尽きた。江戸時代で完全に死んだ。明治以降の宗教団体、現代の宗教団体はすべて宗教ではない、政治、経済、その他宗教とは全く別な世俗化した権益の追求である。観光仏教とか葬式仏教、政治仏教とか全く宗教とは何の関係もないのだ。日立木の百尺観音は大きいだけで文化財の価値は少ない、子供の遊び場である。頭に上ることができるからだ。しかし芸術性はほとんどない、一朝一夕に真の芸術は生まれないのだ。これは個人でも同じである。俳句だっていいのは年にならないとできないのだ。また年とったから自然といいものができるわけでもないのだ。そこに芸術のむずかしさがあるのだ。
写真は大きくすると見映えがする、それでも実際に見ないかぎりその迫力は伝わらないのだ。そうして芸術は旅行でちょっと見たくらいでははわからない、やはり身近で何回も見ていると納得するものがあるのだ。ここには10年くらい行ってなかった。おそらくどこでも近くのものを良く見ていない人が多い。何でも見る眼がなければ発見できないのだ。京都に住んでいてもそれは同じである。あれだけの文化財があっても見えない人には見えないのである。
大杉の根元涼しき磨崖仏