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2004年4月29日(木) |
二輪草 |
二輪草の一輪散りし日影かな
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2004年4月28日(水) |
壺に挿した牡丹一輪 |
壺に挿す牡丹一輪重きかな
牡丹が一輪壺に挿してあった。デジカメで写真とろうとしたが見映えが悪くなっていた。写真もいいと思ったときとらないとだめになる。新鮮なうちに花の写真はとらないとだめである。花も生き物だからだ。デジカメとかインタ-ネットではそうした刻々生きている瞬間をとるのに伝えるのに記録するのに向いているのだ。発信するものにとってはインタ-ネットは最高に便利なものなのだ。ただこれが読むとなると自分自身俳句にしてもほとんど読んでいない、たまに自分の句と関連したものを探すが他はほとんど読んでいない、また読みきれないのだ。でもいい句やいい詩は確かに少ないのだがあることの不思議である。20の詩を書いていたら一つくらいいい詩を書いていることの不思議である。俳句でもその人の住む場所や個性で必ずいい句はいくつか作っているのだ。それらを選べば詩とか俳句でもよめるようになるのである。編集が必要なのだ。ただこれは著作権の関係でできないのである。
またこの牡丹一輪は天才である。天才の恵みも大きいのだ。学問でも芸術でも天才なくして実りはなかった。学問とか芸術の分野では天才に学ぶことが多い。これだけは数の問題ではない、一人の天才が抜群の力を発揮する世界である。芭蕉という天才がでて未だに光を放っているからだ。
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2004年4月27日(火) |
キジ |
ときおりに雉飛びかいて鳴きにけりその荒々しさや山路行くかも
雉は町のなかでもみかける。山だとかえってふさわしいから山にした。
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2004年4月26日(月) |
虫一匹 |
穏やかに日のさし庭に白椿虫一匹きてささやか去りぬ
今日も虫一匹きて終わりだ。それが平和だ。様々なものに悩まされるのこの世だとするとこれが平和なのだ。心地よい平和である。
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2004年4月25日(日) |
新しき辻 |
新しき辻にチュ-リップの赤きかな
社会は常に変わる。街も変わる。確かに毎日変わっているのが社会なのだ。
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2004年4月23日(金) |
夕鶯 |
夕鶯ここに落ち着く山の村
飯館から帰るところに一軒家がある。いつも淋しい。飯館は山の淋しさを感じる。それは不思議でもある。一段と町とは違い静けさと淋しさがある。だから花でも鳥の声でも町で聞くのとは違うのだ。しんとしてしまうのだ。
これは
飯館へ我がまた去るや淋しかも夕鶯ひそかここに鳴くかな
俳句にするとこうなる。文学はいくら写生だとしてもそこに現したい技巧があり作者の意図があるのだ。
この夕鶯という季語自体が詩的なので作ってみたのだ。晩年は夕鶯になってしまう。静かな山の中で淋しい夕暮れ鶯の声を聞いているのである。
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2004年4月22日(木) |
闇のない世界 |
しみもなく明るき花の輝きや春の光に今日も咲くかも
香ばしく百合の花かな壺に挿す花変えられて今日新たなり
花に春の光がまともにさしして一段と今日も明るい。そこに一点のしみ、汚点がない、罪がないからだ。人間の世界は闇の世界である。今回の事件も三人は明らかに操り人形だった。この背後で仕組んだものこそ悪いやつであるがそれは闇のなかにありわからないのだ。この世が闇に支配されるというのはまさにこの世だからである。サタンの支配する世界がこの社会であり闇は永遠に消えない、宗教団体であれ政治団体であれ権力にかかわるものは闇をもっているのだ。闇に支配されているのだ。本当に光になるのは個人である。闇のないのは個人でしかありえないのだ。それは強烈な光となる。でも決して団体は闇の世界だから光にはならない、呪われた闇の世界なのだ。そこに闇のものが暗躍する、そしてそれは明るみに出されない、これはくりかえしてきたことである。団体化組織化してゆくことは闇化してゆくことである。そこがそもそも利権化してくるから闇化してくる。そういう世界に集まるのも集められるのもこの世が闇であり闇がサタンが支配するからである。
彼らは天の法廷でしか裁かれない、この世では闇に隠れてわからなくなるからだ。隠れる闇がこの世にはあるが天国にはないのだ。天国には闇なるものは住むことができないのだ。光が強烈だからだ。
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2004年4月21日(水) |
原町へ |
街へ出るツツジの赤し坂越えて
飯館へ我がまた去るや淋しかも夕鶯ひそかここに鳴くかな
原町は近いからしょっちゅう行っている、今日ブックオフで買った本は百円では安い、全巻の歴史ものであり厚くて新しいのだ。なぜあんなものがあったのかそれも百円でである。全然読まれずに誰かひきとってくれということでおいたのか、あそこに出しても捨てるよりはいいというだけになる。何週間ぶりにゆくと一冊か二冊新しく買うものがあるのは不思議だ。買い物は遠いと損する。高いものを買ったり自分が思うものをかいない、良く見ることができないからだ。買い物では原町くらいの距離がいい。人間には山もいいが街も必要だ。飯館は山だからなんか淋しいのだ。その淋しさがまたいいのである。
いつもの淋しい場所にやはり今年も鶯が鳴き夕暮れて坂を越えて帰ってきた。
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2004年4月20日(火) |
突然の輝き |
タンポポの輝き突如前面に
突然に意外なところにタンポポが明るく咲き満ちていた。タンポポは咲く場所が変わる
。突然に意外な場所にタンポホがまばゆく輝き咲いた。天国も突然にくる。あっというまに世界は一変する。それが神の世界だ。
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2004年4月18日(日) |
登山と旅の季節へ |
登頂の成りぬ高山の黄金なす花の輝き身に帯にけり
登山は苦労して上るかから登頂すればその喜びも大きい。そこに花の天国がある。その輝きを身に帯びて山を下る。苦労して上らないものにはその花の美にふれることはできない、人生もそうなのだ。苦労して冒険して登山しないもの登頂しないものにはその喜びもわからない、ヘリコプタ-で山頂に行っても登山の喜びとか山の偉大さはわからないのだ。歩き上ってみて山の大きさを体で知るのだ。それは旅でもそうだった。昔は命懸けの旅だからこそ旅の意味は大きかったし喜びも大きかった。便利になるとかえってそうした喜びが失われる。現代が冒険なき社会となりかえって青年がイラクのような危険な場所に行きたがるのもそのためかもしれない、それも自己責任ならいいが冒険に対する甘いがあった。
いづれにしろ自ら苦労して登山しないものに高山の花の輝きを身に帯びることはないだろう。なんらか苦労した経験はあとで生きてくる。自分の場合登山は今や辛い、中高年が登山でかなり死んでいることでもわかる。自転車は中高年でもなんとかできるのだ。休み休みゆっくり行けばなんとかなるのだ。その代わり時間はかかる。山を越えまた山を越えて二本松まで到達することに意味があるのだ。自動車で行ったら二本松までの距離感とか自然の障害となっている山々のことはわからない、それにしても馬洗川そいの道は隠れ里のように不思議だった。あれが昔の村らしい村だった。阿武隈にはあういう隠れ里のような所が多い、板橋わたるとその山陰に田があった。これは別に税金逃れの隠し田ではなくそもそも隠れている田なのだ。
板橋をわたり隠さる春田かな
いづれにしろ芭蕉の奥の細道はもはや東北道のような所にはない、奥の細道は阿武隈の山間にあるのだ。
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2004年4月14日(水) |
遠くへ行こう |
さえづりや遠くへ行かむ坂越えて
飯館まで行ったが今年は何か疲れてさらに遠くに行けなかった。自転車やはり疲れる。
明日あたりなんとか阿武隈の奥へ行きたい
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2004年4月12日(月) |
平和の庭 |
たっぷりと春の日あびし庭の石
二輪草にかぜのそよぎて虫かそかささやきてありつつがなきかも
庭の石はたっぷりと春の日をあびた。今日は暑い。騒乱があり戦争があり病気があり事故がある、そういう災難がないことも平和である。そういう災難にあったものはそれがないときいかに平和を感じるか、いやされるか、消極的ではあるがそれだけでも平和のありがたみを感じるのだ。アフガニスタンの少女が言っていた。「何が一番ほしいか」「平和」まさにこの平和は災難のない平和であり平和な生活の中でのさらなる平和を求めているのではない、つまり当たり前の平和さえないという地獄なのだ。それが今のイラクである。
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2004年4月11日(日) |
つばめ来る |
交差して町の家の間つばめ来る
つばめは山に来たのもみかけたが町にくるのがふさわしい。最近いろいろ書くこと多くて疲れた。このメデアいかに表現力があるから驚く。個人でいくらでも表現できるのだ。新聞や雑誌など投稿したってそれは発言しているのではない、ただ読者がいるから新聞社では買ってもらっているから申し訳に読者の感想をのせているだけなのだ。読者の発言など実際は禁止であり無視なのだ。インタ-ネットは長文だろうが短文だろうが無限に発言できるのだ。ただ読む人もなくかきつづけているという奇妙な結果になることもある。最近春になりメモなどふやしたりしたがこのようにいろいろな表現ができるメデアなのだ。普通大作家でないかぎりこうしたメモなど読む人いないし残ることもなかったのだ。ただこれに注目して読む人がいないということが問題であり奇妙なことになるのだ。
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2004年4月10日(土) |
飯館まで自転車で |
朝風に木蓮そよぎ走るかな
峠越え境を越えて芽吹きかな
春草や古碑の畑に婦かな
古碑一つ尋ねてあわれ春の風
大岩の逞し一つ芽吹きかな
岩に咲くスミレの清し目立たずに
枝移り鶯鳴くや友まじか
朝桜まじかに映えて鳥鳴きぬ
栃窪や今年も淋し夕桜
水仙のつなぐこの道淋しかも我がまたここを通り帰りぬ
春の風山々わたり飯館に我は来たりぬ芽吹く木々かな
飢饉なる供養の地蔵頭かけ春日のさすもあわれ残りぬ
昨日は風で飯館までしか行けなかった。自転車は風に弱い。今日はつづきだ。なんとか阿武隈の細田まで行こう。飯館までのことなど「鹿島町の土地の新旧」で書いた。インタ-ネットとはこれは放送である。個人でも放送は毎日になるのだ。これが今までとは違う、リアルタイムの報告なのだ。朝6時に目を覚めてこれを書いた。常時インタ-ネットは報告なのだ。誰に向かってはわからないがそういうメデアなのだ。その時々の個々人の報告なのである。だから極端になると今何時で今何があったよとかその時リアルタイムでつながれてチャットするとかそういう即時性が生命なのである。だから旅でも報告したようにその時々に報告することが大事なのだ。今回はノ-トパソコンはもっていかないので宿からは報告できないが毎日スタンバイして発信するこれがインタ-ネットの醍醐味なのだ。ただその発信を受けとる相手がいないということもありうる。でもその時々のことを発信する。相手がいなくても発信する。これが奇妙なのだがそうういメデアなのだ。その時々の興奮したことはその時書く方が一番いいからである。
面白い、いいだてと書いてあった石、真野ダムにあった。
コ-ヒ-をわかして飲む、これは一番簡単だ。コンロもいらない。
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2004年4月8日(木) |
隣の花 |
我が庭に白椿咲き隣には水仙咲きて午後のひそけき
隣の庭に水仙がひっそりと咲いている。我が庭の白椿からみるとまた一つの視点となることを発見してデジカメでとった。デジカメはこれは便利なものなのだ。これによって写真の芸術というか一つの新しい分野を開いた。インタ-ネットもそうである。artは技術であるというのは本当だった。新しい技術は新しい芸術を生むのだ。インタ-ネット日記というのもメモというのも新しい表現方法なのである。インタ-ネットは様々な表現を生み出したのである。デジカメはそれと一番セットになっていたのだ。絵が描けなくても画家の視点を楽しむことができる。今日の写真はそうだった。これを絵にすれば絵になるのである。花もそうだが自然は視点を変えると尽きせぬ表情を持つのである。だから同じ花でも違って見えるのだ。
隣の花だけを見ていればいいが実際は隣同士うまくいっていることはない,国も隣の国とうまくいっているところはない、隣の花だけを見ていればいいのだが人間はみなうまくいかない、住んでいる人が悪いからである。まあ、となりの花を見るだけならただであるから花には罪はないが花まで実際は人がすむことで汚れてしまっているのだ。汚れなく咲く花は天国にしかないのだ。
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2004年4月6日(火) |
虫と花 |
木蓮の一気に咲き満ち処々に見ゆ
水仙や清楚さ残し人去りぬ
穏やかに白椿咲き虫一匹今日来る命の喜び
白い木蓮が一気にそちこちに咲き満ちた。春も盛りだ。一気に花でおおわれてくる。みるみるうちに花でおおわれてくる。春は一気にくる。天の国も一気にくる。一気にこの世にもたらされる。人間の努力ではこない、神がもたらすのだ。
水仙は何を意味しているのか、清楚さである。江戸時代の人はみな清楚なのだ。貧しいから人間が清楚である。何もないから貧しいからかえってその清楚だけが残された。人間何も残さなくても清楚さを残して去っていったものはそれなりにすがすがしい。何かいやなものを残して去って行く人が多いではないか、財産を残してもその子孫が奪い合いにあるのも悲しい。さの清楚さというのも日本人から喪失した。日本人がもっていた良きものがなんかみんな喪失したのだ。それは極端な欧米化の結果だったのだ。
虫一匹が飛んできた。この虫にも命の喜びがある。精一杯生きる喜びがある。春は命が再びよみがえる。
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2004年4月5日(月) |
不思議な墓 |
山路きて夕日のそめぬ猫柳
歩みつつ上る高きや芽吹きかな
大いなる山に芽吹きや遠く見ゆ
鶯の声とぎれずに里へ山へ
町小さし春の満月大きかな
名もなきや墓二つあり里の人花をささげて春の日暮れぬ
猫柳は今川にはない、川にあるのが猫柳だった。川が変わってしまったのだ。工事して真っ直ぐにしたり岸辺が変わってしまってなくなった。山には結構あった。山にあんなにあるとは思わなかった。自転車だと山へは坂を歩みながら上るほかない、歩み上るから芽吹いた木々が頂上へとつづき春の息吹を体で感じるのだ。鶯の声も町から麓の里から山へととぎれることなく聞こえた。今日は雲一つなかった。大きな満月もでていた。町が小さいから満月だけがやけに大きく映えている。都会だと満月も小さくなっているのだ。
栃窪の山陰にあった墓は何の墓だろう?名前も記されていない、昔の墓にしては一つにまとまっていない、二つの墓ともう一つも二つの墓しかない、犬猫の墓とも思えない、昔は墓を作るのも金をかかるから作らなかったことも考えられる。墓は今でも結構金かかるしこんなに墓を造るようになったのは明治以降特に戦後だろう。庶民は余り墓を造らなかった。それにしても何か書いてあってもいいはずだがおかしい、ただの石を置いただけである。それでも花がさされているのだから何かいわれがあるのか、近くの人が知っているのかわからない、犬猫の墓にしては古い感じがするからだ。並んで二つありもう一つも並んで二つあるも不思議だ。夫婦の墓なのか不思議な墓である。
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2004年4月4日(日) |
梅の芳香 |
絶え間なき梅の芳香や他になし
石黙したえまなき梅の芳香かな
自然から流れてくるものそれは絶え間なき梅の芳香である。人間界から流れてくるものそれはたえまなき罪である。罪というというとき犯罪を犯すだけでなく口からでてくる罪もかなり大きいのだ。意外とこっちの方が大きいのだ。これはまたひんぱんにある。日常的にあるからだ。でもたいした罪ではないと思っている。愚痴を言ったり不満や様々な悪いことが口からでてくるのだ。神の口から梅の芳香のみが流れてくるという不思議である。人間は一番で口で汚れてくる。口から出るもので一番汚れる。これはたいした罪ではないと思っている。だから口から絶えざる罵詈雑言やら汚いものがでてくる。自然界には動物ですらしゃべれないのだから口から言葉となり汚いものがでてこないのだ。
「俺をこんな地獄に落としたのは、へつらいのせいだ、俺の舌はそれであきもしなかったよ」(ダンテ、地獄編)
まさに社会ではこういうことが強いられたり口から汚れ意が心がよごれるのだ。意外とこれを軽くみるし自分もそんなものが何か心と関係あるのかと思っていたしたいした重要なものだと思っていなかった。自分の場合は偶然に社会的に適応することが欠けていたため社会と没交渉でありえたから口を汚さず意を心を汚さずにすんだのである。つまり人とも合わず沈黙していることは精神的には非常にいい作用をもたらすのだ。罪を犯さずにすむということである。だから比較的農民とか山で暮らす人とか自然に準じて暮らす人は罪を犯す割合が少なかったのだ。絶え間なく梅の芳香しかながれてこない世界゛これが自然なのである。天国でもやはりたえまなく梅か薔薇かわからないがその馥郁たる芳香が天国を満たしているのだ。
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2004年4月3日(土) |
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冬芒ついに刈られて燃やされぬ
たんぽぽの一列並び咲きにけり
a bright lined dandelions
along the road
冬芒は春になってもしつこく残っていた。しかしこれも刈られ燃やされる。そこに新しい芽がうまれ自然も新しい春の息吹がみちる。新しい命が生まれる。冬芒はやはり刈られ燃やされねばならない、そうしないと新しいものが生まれないのだ。
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2004年4月2日(金) |
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ただ一日梅の香りや墓所静か
一隅の庭に春の日満ちにけり
近くの墓所にふんぷんと梅の香りが流れている。なんとも気持ちがいい。死んだ人は不幸であろうか?そうは思えない、このように今梅の香りに一日ひたされて眠っている。この世の患いもなく眠っている、これは最高の幸せではないか、死んだら梅の香りをかぐことはできない、それもそうだが死者が必ずしも不幸とは思えない、実際この世の方が余りにも恐ろしい場所である。イラクの戦争の無惨な子供の死体やアメリカ人が焼き殺されてつるされたとか余りにも無惨である。まさにこの世にこそ地獄があるのだ。戦争だけではない、この世は人間でも普通の人間でも欲にからむと恐ろしいのだ。そういう欲の世界からこの世から脱した人々が不幸だとは思えない、地獄はこの世にこそあるのだ。
新しい庭も三年くらいたった。ここにまた春の光が満ちて花もいろいろ咲いた。ここは幸せな場所だった。ここに幸福があった。平和があった。平和とはこうした平凡なところに感じるのだ。何気ないものに感じるのだ。平和運動したって平和はない、平和はその日々の生活の中で
見いだされるものである。そもそも何か不満だらけの生活していたら平和はない、心に平和がないからだ。戦争がないだけが平和ではなくその生活に平和がない暮らしをししている人は金持ちでも平和はない、平和は小さな一隅の庭にも見いだされるのである。
今度はじめた日記は幅が狭い、これが問題だ。ただデスクトップから簡単にかきこめるし送るの自動になっているから楽だ。ホ-ムペ-ジは実際いろいろな表現の仕方がある。ホ-ムペ-ジビルダ-はよくできているが文章を入れる幅が変えられないのか、アンケ-ト実験も失敗に終わりどうしたらできるのかわからないなどこの世界もいろいろある。ともかくこうして毎日書いているというのがホ-ムペ-ジに一番あっている。その時その時書くから意外とつづくのかもしれない、長い文を書こうとしたらいつまでたっても書けない、まとまったものを書いて出そうとしていたが書けなくなっている。書くためには短く書くと長つづきするのかもしれない、こんなに長くつづけられたのもそのためかもしれない、春はいろいろ変化するから書くことが多くなることは言える。
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2004年4月2日(金) |
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スミレ一つ見つけて帰る知らぬ道
春の日や烏用なく昼の月
梅の香の四方より流れ満たすかな
旧道に松の影あり春の月
旧道の残る一本の松枯れんとす春の日さして我はまたよる
知らない道がまだあるものだ。小さな小経を歩いてスミレを発見した。歩く道は無限にある。
烏が一羽鳴いている、上を見たら昼の月がでていた。それはまさに自分だ。昼間用のない人間が歩いている。そしていつもの旧道を帰ってくるのだが月の影がさして松の影があった。一方国道の六号線にはこうした自然が反映されない、自動車がひっきりなしに通るベルトコンベア-である。そこには道端の自然が松などあっても目につかないし松の影が道にさすようなこともないのだ。これよりひどいのは高速道路だろう、まったく自然が遮断されてしまうのだ。江戸時代が歩いてしか遠くに行く方法がなかったということ自体信じられないのだからいかに変わってしまったかである。広重のような浮世絵のような情緒は永遠に失われてしまったのだ。
松並木を歩く人間の姿がいかに自然と調和したものか、いかに街道が美しいものだったかそれが永遠に失われたのだ。
2年間くらい今日の一句一首をやっている、こんなにつづくとは思わなかった。ネタ切れになると思ったからだ。これだけはほぼ毎日書きつづけた。こういう表現の仕方はインタ-ネットだからできた。これは日々発信するものなのだ。俳句でなくても日々感じたことを毎日発信する書き留める、これがインタ-ネットの表現方法である。俳句がこれに向いていたのだ。俳句は即興的だから一番向いていたのだ。短歌になると少なくなったことでわかる。これからもつづくのか、やはりつづくであろう。インタ-ネットはいかに発表する方にとっては便利かわかる。ただ読むほうになると不便なのだ。つまりどこになにがあるかわからないからだ。ほとんど自分の場合は一方通行だった。それでも書くことがあるから書くことに追われているのが実情であった。毎日日記を書き発信するだけで結構手間暇かかるものだと思った。それで新しいホ-ムペ-ジビルダ-の日記を利用することにした。こういうことでも簡単にアップできるようにしておかないと不便なのだ
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