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竜田駅で下りて折り畳み自転車で小名浜から泉まで行ってきた。やはり前にも行ったが自転車で行くと同じ道でも違ったものになるのだ。汽車ではたいがい同じであり違ったものにならなくなっている。季節が変わり新しい息吹を自転車は吸う、汽車は一部分しか見ないが自転車は全体を見るから違うのである。

[楢葉]

南へ行く汽車に鮮やか椿かな

紅梅や海の光りて朝の風

梅の香を我に集めて充たすかな

楢葉にはサイクリングタ−ミナルがあった。太平洋を一望できるホテルもできた。あそこはながめがいいので一回くらい泊まってもいいかもしれないが予約しないと泊まれないかもしれない。サイクリングロ−ドは六号線にあった、自転車の二車線で広いから良かったが距離は短い、北海道のサイクリングロ−ドは専用であり長かった。日本では土地が狭いから作れのがむずかしい。平坦でないのも条件を悪くしている。というのは自転車が一番発達したオランダは坂がなかったからだという。自転車で苦労するのは坂なのだ。

竜田から木戸へ出て末続駅辺りの道に一本の松があった。前にもいい松だと見ていた。最近松は枯れたり切られたりかなり減少している。古い街道の松はかなりなくなっている。今回この辺はトンネルが多かったので遠回りして出てきた。そしてこの一本の松を見たら一歌できた。おそらくトンネルからでてきたらこうした情緒もない、トンネルは自転車にとって鬼門なのだ。音に追われて怖いのである。

旅路きてこの道残る一本の松の良きかな春の日さしぬ

次に波立(はったて)にきた。ここは地名のごとく波の立つ所なのだ。岩礁がありそれに波が当たり波が立つのである。太平洋は岩礁がほとんどない、ただ磐城の海だけちょっとあるのだ。ここには珊瑚があり熱帯魚も来る。千葉県からその熱帯魚を探しに来ていた青年がいた。そして本当に熱帯魚がいたのである。自分も見たから驚いた。毎年のように来ていると言っていた。小名浜に今度作ったアクアマリ−ンは親潮と黒潮の境目をテ−マに水族館を作った。潮目というのが長い幅で作られるし
水温がはっきりとコンピュ−タ−で色分けされる。大きな珊瑚も海中にあった。タンポポも咲いていたから磐城は相馬よりかなりあたたかい。

潮風に椿のゆれて波立に波立つしきりカモメ飛ぶかも

この椿は自生している椿だろう。あたたかいから南の木もここに自生する。椿は青森県まで咲いている。済州島には椿の並木道がある。もともと南国のものである。

ここから海岸の道を小名浜目指して走る。ず−と松原がつづく道だからいい。遠くに岬が見えた。

春の日の照らして遠き岬かなまた新たに旅の道行く

レストラン松の緑に春鴎


距離感があってこそ旅になる。あそこまで行くのに距離があるから旅になる。自動車や汽車ではその距離感がなくなるから旅にならないのだ。
あの遠くに岬が見える、あそこまで行くのに結構時間がかかる、その時間のなかで確かな感覚、風土を景色を体で感じる、五感で感じる、その間にはだんだん日が暮れたり風に吹かれたりカモメが飛んだりと自然とともに一体になる時間があるのだ。それが今はない、例えば百回くらい東京に行っても東京まで旅したことはないのだ。江戸時代に東京、江戸まで歩いて行ったら本当に東京に着いたという感覚が生まれるが汽車では生まれないのだ。東京と大阪間を日常的に行き来しても一回も旅せず終わっているのだ。これは人間として生まれて何か重大なものを経験せずに終わるということである。

小名浜に春潮ひびき墓並ぶ

すぐ海の前に墓が並んでいる。死んでも海とともにある。小名浜はやはり海の街なのだろう。ただどれだけ海を生業としているかは今はわからない。磐城からの引き込み線、貨物を運ぶ線が残っているから港には結構船が入ってくるのかもしれない。
アクアマリンを1600円で見た。高い感じもした。スケ−ルは鳥羽水族館なんかから比べるとこじんまりしている。一回は楽しめるが二回は行くかどうか疑問だ。あれだけでも人は呼べることは確かである。
磐城でも桜はまだ咲いていなかった。

アクアマリンから小名浜港

茨城は桜の咲くと磐城にそ我来れどもまだ咲かぬかな

(参考)桜前線の短歌へ(この歌を加える)

もうすぐ桜は咲くがあと一週間以上はかかる。ここから泉駅に向かった。すでに夕暮れになっていた。偶然自転車の人が泉に行く人だったのでついて行った。意外と近かった。泉駅は新しい。磐城から上野までは複線であり通勤列車が上野まで出ている。ここから通勤する人はいないだろうが上野がかなり近くなる。でも急行で二時間くらいかかる。

泉駅新しきかな春夕焼

今回の折り畳み自転車の小旅行はこれで終わりである。泉駅から磐城で一旦おりて乗り換え帰ってきた。


春日陸奥真野から勿来の関へ

みちのくの真野の萱原遠きかな
春の日に誘われて海岸にそい行けば
海は光り白梅に紅梅交じりにおい
朝の風は太平洋より吹いてくる
波立に波は打ちしぶき椿はゆれぬ
一際に南に来て椿の色も鮮やかに
さらに南へと春の昼間を行きぬ
街道に春日に照らされ一本松もゆかしき
常緑の松の緑のつづく磐城の海岸線
春日に照らされ遠く岬も見えて
レストランもあり春の鴎は飛びぬ
道沿いに墓の並び春の潮のひびき
海をながめて祖もありにしや
小名浜に我はつきにき魚のにおい海のにおい
黒潮はここに流れて親潮に当たり
海の底にし大きなる珊瑚ありと
色美しき熱帯魚もここに来る
長き潮目を作る、南と北の境目
ここより阿武隈の山をし望む
磐城に一つ万葉の歌の殘りぬ
その歌の遠く筑紫を歌うは何ぞや
常陸は万葉の歌のあまた殘りて
都人の跡をしるせしもみちのく真野は遠しも
橘の歌も殘りてそのあたたかさを示す
勿来の関は来るなとさえぎる関
思えば磐城より小名浜よりさらに南なり
ああ 我は春の日に誘われて遠く来れり
泉の駅の新しく春の夕映え美しき
常陸には桜咲くと聞きしも磐城はまだなり
磐城に咲けばみちのく真野も咲くは早きや
しかしまだ勿来の関よりさらに遠くに
みちのくの真野の桜は咲かじも



陸奥真野から勿来の関まで今回自転車で行ってわかったことは実感したことは磐城や小名浜からよりも勿来の関はさらに南だったことである。
常陸と陸奥の境目はさらに南であり実感として陸奥真野はそこから見るとさらに遠いのである。歩く感覚からすると遠いのだ。古代とか江戸時代の感覚は歩く感覚で時間と距離を見ないと実際はわからない、これが便利な時代の盲点になっている。今の時代から推し量るからわからないのだ。距離の感覚がつかめないのである。泉まで行ってなるほどまだ勿来の関は南かとわかったのである。ともかく便利な時代かえっていろんな点で人間は感じることを貧しくしている。汽車や自動車がやはり人間の生の感覚、五感とかそうしたものを損なうから身近なものさえ存在しても感じなくなっているのだ。隣の町より外国まで飛行機で何時間だと近く身近に感じている人が多くなっているのだ。しかし実際遠さの感覚は歩いてみて自転車などで行ってみて初めてわかるものなのだ。遠くにあるものの価値は遠くまで自ら苦労して行くことにあるのだ。どんなに遠くても一瞬にして移動したら遠くにあるという価値はなくなる。景色そのものが遠くよりながめ一歩一歩近づいて遠のいて行く所に情緒が生まれるのであり一瞬にして来て一瞬にして去ったら何の感興もなく終わる。

橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

筑紫なる 匂う娘ゆえに 陸奥の 可刃利乙女の 結ひし紐解く

みちのくの真野の萱原遠けれど面影にして見ゆというものを
(笠女郎)


 春の日海から吹いてくる風

遠くから風が吹いてくる
広−い広−い海から風が吹いてくる
遠くに春の日に照らされて岬が見える
沖に船が行き、鴎が飛んで行く
波しぶきが岩礁に打ちつける
鮮やかに椿が潮風にゆれる
春の日に照らされて道は遠くつづく
梅の香りが流れ旅行く道はつづく
遠くへ遠くへ誘われる春の日よ
一カ所に居れば空気も濁る、淀む
遠くから風が吹いてくる
はるかに遠くから風が吹いてくる
ああ 一日の終わり美しい春の夕映え
さらに線路は南へとつづき
春の日遠くの人と交わる
広−い広−い海のかなたから吹いてくる風
海は自由を呼吸している
そこにさえぎるものなく自由な行き来
はるかなる南の島よ
そは孤立するにあらじ
海には自由な風が吹きそよぎ
島と島は船で結ばれ
航海の民は星を頼りに散らばりしを
海に陸地のごとき境界はなく
海は島と島を結び国と国を結ぶ
海に囲まれし美しき日本よ
そは海とともにあり海に息づく
海がこの国を育て海に養われぬ
海を渡って文化も運ばれて
この島国で醸成されて根付きぬ
日本の幸は海より来たりて海よりい出る




アクアマリンで買ったよ


折りたたみ自転車で小名浜まで(春の小旅行