沖縄への旅−小林勇一
那覇に戻り仙台へ(8月10日)
宮古島に船から下りて(8月9日)
与那国島より飛行機で帰る(8月8日)
石垣市にて(8月5日)
竹富島ー石垣(8月3日)
黒島の一日(8月1日)
波照間から石垣市へ戻る(7月29日ー31)
西表島日記(7月23日ー28)
那覇から石垣島へ(7月21日ー22)
石川市から那覇まで(7月19日ー20日)
7月12日より7月18日までは次のページへ
辺土岬を回り石川市まで
7月11日 マンションで一日休む
空の青海の藍さや首里城の朱き御柱装い建ちぬ
風通るバラックの家や夏の月
黄金の伝説の庭炎暑かな
黄金の伝説はどこにでもある、この炎暑のなかでの島の黄金伝説も独特なものと思った。沖縄にはいろいろ話しの種になるのが多いが知識がないので書けない、古本屋で本を買って読んだ。ここで滞在していてもあきないだろう。沖縄の貿易で一番大事なのは鉄だった。農器具に使うからだ。これによってすごく生産力があがる。鉄が国家を造るというのはここでもあてはまる。14世紀ころまで沖縄が木や石の農器具を使っていたということは島が
発展に取り残されることを如実に示している。鉄の道具を導入してから生産力が飛躍的に増大するのだ。
暑くて今日は一日家にいた。陽差しが強い。暑いと動きたくない、クーラーの部屋にいると楽だ。国際通りは食い物も豊富だし滞在するには楽だ。暑い所は移動するのが辛い。国際通りの近辺をぶらついているがバラックのバーとか家があった。こんな都市の中心にあるのも南国だからだろう。暑いから南国では粗末な家でいいのである。水道とかトイレは必要であるが寒さがないから家はバラックでもいいのかもしれない、風がバッラクの家の窓からそよぎいる、こういう点南は厳しい冬がないから気楽だ。
明日はどうするか自転車ではつらいのでバスで知念に行き久高島に行ってみるか、山原のほうに行きたいがこう暑いと移動するのがつらいからこまる。
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今年作たる米や ずず玉ぬごとに
我が嫁なて来しや 得米ど抱ちゅる
沖縄の米は真珠のように抱くほど貴重なものという意味、
米が沖縄ではとれにくい、水が不足するのと水質が悪いのだ。
島は経済的に貿易がないと苦しいのだ。済州島でも海女の出稼ぎとか
外に働きにでるようになる。
マンションの窓から
7月10日 首里城へ
今日は那覇を自転車で首里城まで行って終わりだった。それほど大きくないから地理はすぐにわかるが地理がわからないと迷うから疲れる。必ず遠回りになる。自分は都会暮しは若いときしたが神奈川で東京からかなりはずれていた。都会で暮らすとなると広々とした所がないからこまる。閉塞感に悩まされる。人間は見晴らしのいいところに棲むと精神も開放されて気分いい。なぜか一人の老人がガジュマルの木の影でずーと休んでいた。前はひっきりなしに自動車が通っている。あんなところでしか休むところがないのだろう。那覇は都会だけど昔の赤瓦の小さい家が残っていたり木が多く木陰が多い、暑いところでは木陰がないと苦しい、今日はスコールはなかった。沖縄は夕方は涼しくなる。
首里城は中国をまねて建てられたのだから韓国とかの宮殿とにている。進貢船が来るのをあの城から見ていたという。前の日本の竜の柱は熊本の侍に傷つけられたとかまた今度はアメリカの爆撃で壊されたとかこれに象徴されるように沖縄は日本からもアメリカからもひどい目にあっている。ただ中国には良くされている。特別待遇だったのだ。とすると中国をあまり恨むということはないのか、沖縄は位置的に受難の島だった。日本なのだが外国の干渉を受けやすいのだ。
海望み進貢船を王は待つ陽ざし明るく首里城の朱
丘登りユウナにいくつ蝶の舞う
明るさやユウナに蝶のいくつ舞う
街中の夏草に埋もれ亀甲墓
夕暮れにソケイの花の数輪や壺屋の道を下りて咲きにき
ソケイの花は南国の花にしてはハデでなく、清楚で質素な感じがする。この花は気にいった。南国の花種類が多いからわかりにくい、これは確かにソケイだろう。
ガジュマルの木陰にともに休むかな
ガジュマルの木陰に休んでいた老人とは何も話さなかった、旅人に関心もないらしい、でもガジュマルの木陰は沖縄の一つの風景である。
夏の月国際通りに露天商
国際通りは物が高い感じがする、お土産価格でなんか最近こういう観光客を相手にするところは物はよくなくても高い。だから食料だったらスーパーとかで買う方がいい。他の品物もそうである。沖縄は安く泊まれる所があるが物価は本土と同じである。このウェークリーマンションは観光するには楽だ。最初にやはり日本でも土地に慣れる必要があるのだ。どんなものだったら安く買えてうまいとか知る必要がある。特に外国では最初慣れる必要があるから一週間くら一カ所で生活するのがいい。沖縄の水道水はうまくない、だからミネラルウオターは買う必要がある。このウェークリーマンションには冷蔵庫ついているから助かる。この暑さでは冷蔵庫ないと苦しい。おそらく沖縄では野菜類もそんなに多くとれないだろう、土地が不足しているからだ。また土地も肥えていないのだ。だから貿易できないと苦しくなるのだ。今は観光だろう。明日は船で渡嘉敷に行く、日帰りである。
インターネットカフェに入った。飲み物が飲み放題で一時間500円は安い、でもインターネットで情報を得るのは旅ではむずかしい、検索で必ず無駄なものがでてだめなのだ。旅では時間がないからできないのだ。でも地図も印刷できるから宿探しには便利だ。場所がわかりにくいのだ。いずれにしろ今沖縄は暑いからあんまり動かずのんびりした方がいい、山原まで100キロくらいというから近いが島でのんびりした方がいいみたいだ。ただ船賃は高いので苦しい。沖縄は本土のように自転車でもそんなに動くところではない、島は狭いのである。
7月9日 中城へ
今日は那覇から中城に行ってきた。20キロくらいだからそんなに遠くなかったが行きは時間がかかった。帰りは自動車道路下ってきたので行きの半分の時間で帰れた。自動車道路を走れると早い、ただ那覇から都市部がつづいている。中学生が事件を起こした読谷は都市部だったのだ。那覇からかなり広範囲に都市部がつづいている。中城に行ってサトウキビ畑があったり多少田舎が残っていた。かなり暑いのだが一日一回かたぶりというスコールがある。これが涼しい、木陰があり風も涼しい、暑いし喉が乾くので飲み物や果物がうまい、冷しウドンとか黄色いスイカとか赤いドラゴンフルーツとか食った。自分は果物好きなのだ。果物食っていると幸せなのだ。やはり暑い所はそれのあったものがうまいのだ。魚など北の方がうまい、鯛は別だが南の熱帯の魚は美しくてもそれほどうまくない、それでなぜ沖縄が豚肉をくうのかというと魚だけではタンパク質がたりないのだ。島の食生活もそれなりの工夫が必要になる。詩はできず、食い飲みかただった。
朝散りぬソケイの花やひそかかな
夾竹桃ユウナの花や雲白くわきあがるかな沖縄の朝
夏の朝木陰に咲ける小さなる青き花かな涼しく休む
スコールに雨ふくむ葉の木陰かな
ゆるやかに風そよぎつつ沖縄の古き家かな離れ家涼しき
クマゼミや亀甲墓に眠る人
クマゼミはなんか集団で鳴き騒々しい、亀甲墓はエジプトの墓のように立派だ。これには何代もの人が眠っている感じだ。こんな墓は部落の人が一緒にみんな入るのにむいている。都市部では必要なくなっているのだろう。ただ都市部でも古い家とか沖縄的なものが残っているのが面白い。
中村家という古い沖縄の家は塀も庭も珊瑚で敷きつめられていた。
離れ家があり老人が休む部屋なのだろう。この辺はまだ都会で沖縄らしくはない。
雨乞いのウタキのありぬ中城ガジュマルの木に城壁古りぬ
真夏中城跡
真夏の陽射し照りつけ
空青く四方に海を望みて
ガジュマルの木やその根元
城内に雨乞いのウタキの拝所
ハイビスカスの石門に赤く
蝶は舞いつつ去りぬ
一の郭二の郭三の郭の門
中城栄えしは昔なるかな
争いし城の主の無念も遠く
城壁は海を望みてそそり立つ
夏の月サンシンの音なおひびく
7月8日 飛行機11:55 →那覇
オリタタミ自転車は電車からバスから飛行機と楽にのせられた。このオリタタミ自転車は小さめだからいいのだ。これが大きくなるとめんどうになる。今日の宿は国際通りのすぐ裏のウエークリマンションにした。炊事と冷蔵庫がある。ここから浦添とか結構遠くまで行けるらしい。沖縄はそれほど大きくない、端まで百キロくらいらしい。ここを根城として何日か観光しよう。3500円だから高くはない。2000円のところは雑居になるからこっちにした。
飛行機から奄美大島が見えた。まるで空に浮いているように見えた。空と海の区別ができないのだ。飛行機からみると島は沖縄まで連なっているように見えた。月がぽっかりでていたのも不思議な感じ、空からの視点はなかなかえにくい。
夏の雲空より見つつ島いくつ
梅雨の雲ぬけて飛行機沖縄へ
my airplane break through rainy clouds and go to OKINAWA
那覇につき飛行機をおりると黄色の花が咲きつづく、ユウナの花というのかもしれない、沖縄の花についてはわからないのが多い。あとは赤いのはハイビスカスだろう。自転車はこうした花を見つつ風にそよぎ走るのがいいのだ。
ユウナの花ハイビスカスの赤迎えたる飛行機下りて我が走り行く
そのほか南国的な木々が町中にも多い。木の長さは短い、それが特徴である。沖縄では果物が安いかと思ったらオレンジなんか輸入品で高い、沖縄は輸送費かかるから外から入るものは高くなる。椰子の実のジュースとか売っていたが外国からすると高いから余り飲みたくない。沖縄で果物が安いならいいのだが果物も余り生産できないとなると貧しい島と感じる。安い果物が食いたい、日本では果物が高いからだ。
明日からこのウェークリーマンションを根城にして近く自転車で回ってみよう。
旅人に国際通りや夏の月