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2000 春の部 夏の部 秋の部 2000−2001冬の部 春の部 夏の部 秋の部 冬の部  評論と鑑賞 薔薇の句

  

              2001-2002/1-(冬の部)

薔薇の句を別ペ−ジに新しい壁紙にアレンジ


春待つや政宗残す臥竜梅
(臥竜梅の説明にリンク


一本の枯木守りぬ社かな

身にしみて四五本枯木いつもの道

寄りそいて老夫婦あわれ冬のバラ






故郷の道長々と枯芒

故郷の刈田の暮れて故郷の刈田の暮れて家五軒

松の間に冬草映えて射す夕日

冬日さし郵便受けに松一本

新年や海に誘う川のカモメ

隣家の枯木の影や籠もる日々

落合の観音堂や年の暮


小さなる社に群れし寒雀


山神にベコの湯ひそと冬の暮


寒烏見守り送る山の道

紋別にロシアの船や年の暮

沖に行く船は休まず冬鴎

陽の没るや松に残菊家五軒

残菊や我が一人見て帰るかな

残菊に風の唸るや家五軒

田舎駅乗り降り少なく冬の薔薇

誰が知るや闇につつまる冬の薔薇

浮かれずに静かに祈る聖夜かな

冬の燈や小松一本に隠居かな

芒枯れ繊き月映る水たまり

年の瀬や濁れる水に写す月

今はとて何も語らず雪のみそ降るも良きかな墓所ひそまりぬ

峠越え隣の村や年の暮

石二つ定めと動かじ冬の暮

若くして死したる女のその家に雨しととぬる紅き山茶花

誰が棲むや裏の通りに冬のバラ

その道をを今日は行かざり冬のバラ

今日一日人目に触れず冬のバラ

一目見てはや暮れにけり冬の薔薇

残菊に束の間見えて消えし蝶

馬追いの今年来らず町変わる

晩菊の隠れて咲くを見つくかな

喫茶店に初老の人や冬の月

冬の庭石の二つや照らす月

質素なる昔に戻らむ冬の月

みちのくの六万石や冬の月

寒雀餌をもらいに今日も来る

寒雀庭の小松に今日も来る



上萱(うえがや)に人棲まずなり誰が訪ぬ土盛る墓に寒さ沁み入る



老境の句

最近老人に興味を持つようになった。俳句は老人に適した面がある。なぜ老人から俳句を始めたりするかというと簡単だからだ。誰でも一句くらいひねりだせるからそれで簡単だと錯覚してしまうのだ。老境の俳句とかはやはり老人にならねば作れないだろう。老境の俳句には深いものをいいものがあるのはやはり枯れた境地というものがそれなりに深い趣きがあるからだ。もちろん自分も老人になりつつあるから老人に興味を持ったのである。老人は孤独で淋しいのが普通である。喫茶店にいた初老の人・・・・喫茶店に初老の人や冬の月 ああ 自分もその淋しい面影に共感したのである。青春は遠く去ったのだ。若い人を見るとそれが同じ人間ではない、別な人間のように思えてしまうのだ。老人と青年の差の大きさである。青年とはこれから何かを得ようとするものであり老人はこの世から去りゆくものなのだ。何かを得ようとするから青年は様々な欲望が頭を肉体を駆けめぐり焦燥感にかきたてられるから落ち着いた写実的な句などできないのだ。冬の日に日々見ているのは隣の家の柿の木の枯れた影だけだった。この柿の木は子供の頃からあった。しかしこの辺は宅地化されて昔の面影はまるっきりくなくなった。全部家は新築化して新しい住宅地となったのだ。確かに隣の柿の木は随分長くそこにあったものである。そして今我が見てるいるのも家でも老人でありその柿の木の家の住人も老夫婦である。ただ枯木の影だけをみてこもっているだけだ。そこにも深い味わいが見いだされるのも人生であり老人は深く事物を人生をみることにまた一つの生きがいがある。俳句は短い故に深く読むことが大事なのだ。鑑賞が大事なことは確かである。ただこの読むことがかなりむづかしいのだ。相当に想像力を働かせないと読めないしそれは骨が折れるから私自身は余り他人の句を読んでいないのだ。次の句は多少似ているかもしれない、同じ発想があるかもしれない。

侘助の一つの花の日数かな  阿波野青畝

とにかくこのように世の中は無常なもの、常なきものなのだ。回りの環境がこんなに変わってしまったことで今回痛切に感じたのだ。

徒然草二五段

飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり事さり、たのしびかなしびゆきかひて、花やかなりしあたりも人住まぬのらとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李もの言はねば、誰と共にか昔を語らん。まして、見ぬ古のやん事なかりけん跡のみぞ、いとはかなき

「桃李もの言はねば誰と共にか昔を語らん」正に柿の木は残ったけれどもの言わないから昔のことはわからないということなのだ。人の世の移り変わるさまは早いということである。50才にもなればこのことを感じない人はいない。人も環境も変わってしまうのだ。

写実

子規が主張した写実は俳句にとって大きな意味があった。俳句は余りに短いからいろいろ感情とか説明を入れる余裕がないのだ。極力短くする必要があり説明を省いた簡潔なもの禅の精神のようなものが必要になる。説明を省き物をして直接語らしめることが写実なのだ。

残菊に風の唸るや家五軒

冬の燈や小松一本に隠居かな


自分で自分の句を説明するのもなんだがここに事物をして語らしめるものがあった。家五軒であり小松一本をして語らしめるのである。
子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」の失敗はありぬべしにあったのだ。あるだろうかという説明になったからだ。つまり鶏頭・・・・十四五本 この間に写実のしたものを入れれば説明がないから事物をして何をかを語らせることができたのだ。

残菊や我が一人見て帰るかな
           そのあと唸る風の寒しも


俳句から短歌になるのが多い。日本の詩歌は短歌から始まったのだが短歌と俳句は密接な関係にある。インタ−ネットではみんな俳句も短歌も
詩も書いているのが普通だが雑誌では俳句の結社とか短歌の結社とか雑誌も分かれているのは不自然である。インタ−ネットではそういうふうに専門化されない。いくらでも自由な表現の場が与えられている。しかし誰も評価しない自己満足になってしまう面がある。結局二年間のホ−ムペ−ジ作りはただただ自分を出すだけで終わったのである。他者をみる余裕が通信時間が制限されてできなかったともいえる。
年の暮

人間の感覚としてやはり隣の町とか隣の村くらいしか生活も時間も共有してなかった。今は世界中がメデアで結ばれる時代だがやはり生活、時間、歴史を共有することがむずかしい。インタ−ネットで結ばれてもコミニケーションが成立するのかむずかしい。インドであれイスラムであれアフリカであれ中国であれベトナムやタイにしろそれぞれの風土と歴史のなかで時間感覚も違う。今年も暮れてゆくんだなと歩いて峠を越えてゆききした。そうした感覚は今のような自動車ですいすいと行く時とは違い生活を共にする一体感があったことは確かである.国道の六号線の御田母神を思う人、目に留める人もいないのだ。なぜなら地元の人と関係なく通過するだけだからだ。物は流通しても人と人との関係はないのだ。昔は明らかに人と物は分離していない。外国から来る品物などないしせいぜい隣の村との交流くらいだったのだ。現代の複雑さは実際は人間的感覚で交流する範囲を越えて交わらねばならぬから問題がいたるところで起こるのだ。
隣人の死


近くの女性が53歳で癌で死んだ。少なからず我が家とかかわった人なので思うことがあった。ただ借金とかでもめたこともありすべていい関係だとはいえなかった。子供も大きくなり死んでもあとの問題はさほどない。むしろいろいろ問題ある人で夫婦間でもうまくいかず離婚とかもうわさになりなんか死者に悪いが一応勤めを終えて役目を終えて死んだということも外から見ると言えた.そう言われるのは心外かもしれぬしまたそう言われてしまう死も悲しい。役目が終えたからあの人は死んでよかった。もうこの世には用ない人惜しまれない死は悲しい。人の死にはいろいろある。どんな死も何をかその時それぞれ生の総決算として語るものである。垣根に赤い山茶花が雨にぬれて咲いていた。その紅さはもっと生きたいという紅さの色に見えた。
その家の広い庭はこの辺の工事で家を移転した時買った実に広い庭なのだ。前は庭などなかったのだ。その庭もゆっくり見ずに死んだのはあわれであった。


英訳

I I take at a glance
 a rose blooming in winter
 It has already come to a close

六万石の冬

相馬六万石とか五万石とか三万石とか封建時代の小さな範囲の中での質素な暮しに戻るのではないか、今までの贅沢はかなりの資源の無駄使いでありそれは自然の法則に反していた。これからはあらゆる面で浪費はできない。アメリカが世界の資源を一人じめにし使い過ぎたことは確かなのだ。フランスがアフガニスタンにカスピ海からの天然ガスのパイプを引くのをアメリカが一人じめにする、フランスはイランでがまんしなければならないと嘆いているのも利権がすべてアメリカに集中する仕組みになっているからだ。アメリカの繁栄は世界の富を集中させたことにありこれが今回の事件の深層であった。