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2000
夏の部
故郷の古りし部落や蝉しぐれ
南へと帰る旅人晩夏かな
夏富士に新幹線や夕燕
夏富士を仰ぎて早し新幹線
今日も咲くアメリカンブル−や庭新し
尼鷺にサイクル車行き飛燕かな
走りつつ浜昼顔や六号線
聞き分けて蝉のあまたや森深し
森深く老鶯の声我が聞きぬ
広広と庭に芙蓉や農家一軒
かぼちゃの花屋根に咲かせて午後静か
トンボ一つ空き地に飛んで夏の暮
夏の朝町一つすぐサイクル車
若者の力仕事や夏の雲
山百合の一群れ墓に草深し
一点のしみなき白百合見つめ暮る
今ひとしきり蝉鳴き生きむ老母かな
松影に車輪梅や沖に船
古井戸に木陰の濃しや午後の道
健やかな命にあれや夏の月
家移り空地となるや夏の月
新しき庭を照らすや夏の月
ベランダの広く望むや夏の山
ベランダの広く歩むや夏の月
パソコンに向かうや近く稲光り
白椿牡丹に朝の光かな
故郷の直なる大樹に飛燕かな
葉桜や六万石の城下かな
葉桜や図書館静か読書かな
街道に残れる松や八重桜
老鶯のひびくや森の深くあれ足音ひそめて夕日のさしぬ
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桐の花の章
桐の花の章
ひっそりとひっそりと余りにひっそりと
ありとも知れず声もたてずひっそりと
うすい青い空にそは消え入るや
その花に手を触れるな!
汝の手は汚れてあればなり
そは知らずや墓所に散り重なりぬ
しととしとしと細い雨がふる
沈めるピアノのリフレインのように
しととしとしとしとしと・・・・・
会津の奥の一部落誰か訪ねむ
静かに花のさされて眠る墓
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会津は桐で有名である、桐の下駄とかの産地であった、確かに山国の会津には桐が似合うのかもその土地にににあう花がある、花でもだから原産地、オリジナルな場所が一番似合っているひまわりはどうしても大陸的な花であり日本のような狭い国には合わない花だし牡丹というのも中国の国の花のごとく大陸的なものだろう、花の探求はいろんな面から尽きないのである
パソコンの不思議
パソコンに向かう、近くに雷があり時々窓に稲妻で明るくなる、バソコンの不思議はそのパソコンの向こうに無機質ではない、生きた人間が意識されることである、通信で繋がっている限りそうなのだ、もちろん自分の場合アクセスは今の所極めて少ない、それにしてもやはりパソコンの向こうに人がいるということを意識している、こちらから発信すればパソコンの向こうから稲妻が走る、稲妻も電気信号だから電気信号としての稲妻がパソコンから発信される、現実にパソコン通信では強烈な稲妻が発信されて現実社会で争うことにもなった、これが今までにない不思議な世界である、電気信号でもそれは殺人兵器のようになる、いろいろ言われるがやはりこれは人間の心をつないでいる、全部ではないにしてもそういう面があることは否定できないのだ。その不思議さがパソコンに引き付ける原因なことは確かなのだ、心も電気信号となり伝播するということだ。脳も確かにパソコンと深く関係してをり脳を活性化したり脳の一部分と化していることは言えるしますますパソコン的なものが脳に取り入れられパソコンと合体化してくる面がある。それが今までにない機械なので惹かれるのではないか。
輝く夏
6号線をサイクリング車が荷物を積んで軽快に走り去って行った、自分も一ヶ月北海道を走っていたことを思った、自転車の気持ちよさは風のように走ることである、走ること自体気持ちいいのだ、今は夏の盛りひまわりが咲き鬼百合が燃えるように咲きそして芙蓉がゆったりと咲き遠くに夏の連峰をを望む。やっと病気の看護からしばし解放されて気持ちよい、余裕がでてきた、病人の看護は全く疲れる、自然はいつも健康的だが人間はさまざまなものに苦しめられる、夏も終わりになってくる,十分に汗を流し夏を味わおう、年を重ねても夏は夏なのだ、夏は輝いている
自然の生の声
深い森に入り蝉の声を聞く、一番多いのは油蝉の声である,油蝉はバイオリンのようなものである、その中にニイニイ蝉とかヒグラシとかが交じり鳴くのが聞き分けられる。人は人工的なものの中で暮らしている故自然の生の声に接することが薄くなり本当に自分の神から与えられた五感を活用していない、音楽にしても生演奏とレコ−ドでは感動は違う、皮肉なことだが文明人の五感は原始人より退化している。原始人は自然の中に密着して暮らしていたので鋭い感覚を持っていた、機械に頼らなくても体験と五感で本能で危険も察知したしタカのような目も持ち望遠鏡がなくとも遠くまで見ることができた。文明人はあまりにも様様なものに頼りその感覚も退化しているのだ。退化しているより麻痺してしまっているともいえる。感覚を麻痺させる環境が人工的な環境で暮らしているということだ。クラ−なしでは暮らせない、クラ−の熱はがさらに都会を暑くしている、騒音が耳を麻痺させニュ−スが人に対する悲惨さを当然のものとして同情する感覚も麻痺させる、芭蕉の句の「静けさや岩に染み入る蝉の声」の蝉はなんの蝉か論争したことがかつてあったようだがそれは一種類の蝉ではなかったのだ。蝉はいろんな蝉がいっせいに鳴くものであり自然が豊かな時代ならなおさらである。そんな論争するのはおかしいのである。斎藤茂吉などが言い出したようだが彼は都会に住み都会人的感覚になっていたのである。彼の短歌もそれほどのものではないような気がする、ただアララギとかで結社で政治的力も持つようになったので有名になったのかもしれない、俳句とか短歌の結社というのも極めて日本的な派閥社会で芸術にはそぐわないものなのだ。そもそも俳句短歌は誰でも作れるのでそれだけで芸術家といえることはむずかしい面がある、とにかくインタ−ネットがもっと普及すれば個人としての芸術の追求が主流となるかもしれない,発表の場を確保することがこれまでは難しかったのだから・・・・・・・・・
渡り鳥
尼鷺は渡り鳥である。沖縄の方では年中みかけるもので夏になると北の方にもやってくる。その尼鷺に燕が飛ぶ、サイクリング車が六号線を走り北に向かって走り去る、六号線は浜街道であり浜昼顔がにあう、絶えず海に接して
海を望める、車輪梅というのは南国に特有の花でこれは相馬郡の我が町が南限だとある。つまりこの辺はまだ東北でもあたたかい地域だしサンゴの化石が残っていたり万葉集の歌が残っている、奈良の都にも早く知られた早くから大和政権下に入った地域ともいえる。サイクリングのいい点は走ること自体楽しいし気持ちがいいし風のように自然と一体となることである。その点自動車は自然を遮断するので自然と一体化することがむずかしいのだ。
南から北へ北から南へ
日本の面白さは季節の変化にあるが地理的に細長いので北と南では季節感にかなりのずれがあり旅するには面白いのだ。東北はまだ冬でも一ヶ月くらいのずれで沖縄九州は春になっているのだ。今回の北海道の旅で驚いたのは6月になっても稚内では桜が咲いていたのである。その桜がいかにも侘しく冷たい雨に打たれていた。6月でも5度くらいの冬の寒さだったのだ。そして今北に向かった旅人は南へと帰ってゆく、渡り鳥と同じように・・・・サイクリング車の走っているのは見ていても気持ちがいい、とにかく今年は東北も暑い、特に最近残暑がきつい、むしむしと暑いのだ。