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2000
秋の部
晩菊やゲ−トボ−ル場日の暮れぬ
子規庵に根岸の名残り竹と菊
裏町に老舗の残り冬柳
荒川に都電残りて柿なりぬ
秋の燈や都電に帰る人のあり
裏磐梯初秋の旅
訪ぬれば信夫摺石秋の蝉
耳澄まし遠くに聞こゆ秋の蝉
この道や家四五軒に秋の蝉
盆終えて墓地の静かや秋の蝉
静粛な松にひびきぬ秋の蝉
その手には三輪ほどの小菊かな
触れたるはトンボ一つやソバナかな
目立たざる仕事や厨に虫の声
秋雨にぬれて落ち着く石二つ
私の周囲の環境はまるっきりかわってし
まった。もう工事は一年半以上続いてい
る。田畑だったところがみんな宅地になり
家が建った。まだすぐ隣に家三軒も建つ
大変な工事だった。我が家も改築がせま
られた。ペランダとか新しい庭を作ったこと
は良いことだったがかなりの出費だった。
他の家はちょっと道になるだけで移転させ
られ金をもらい新しい家を建てた。
しかし金を無計画に使いすぎてボロ家まで
引っ張って移せという。
これは納得しないだろう。他の人は何千万もらいいい家を建てたのだから。結局我が家をふくめ4軒くらいは損な結果になった。でもあとの二十軒くらいはみんな新しい家を建てたのだから文句はない。そもそも我が町小さくて家を建てる金をもっている人は少ない、ここに何十軒も家が建つ宅地ができても建てる人はほとんどない、金をもらった人だけが建てたのである。とにかく昔の面影はまるっきたなくなってしまった。
世の中変わらないと思うけどこんなに変わってしまうのも世の中である。ただ新しい庭作りは面白かった。まだできていないが石二つ置いた。この石もこの庭に落ち着くまでは時間がかかる。庭は一つの生き物である事を知った。つまり花でも石でも土でも生き物であり単なる物を配置しているものでないからそれが根づくには時間がかかるし時間の中で次第に作られてゆくのが庭であった。庭には虫や蝶々と生き物が実際に生息したり行き交ったりするから庭は自然の一部なのである。人工的なものではなく自然の一部として次第に作られてゆくものだとということを悟った。庭は故に奥深いし一つの小宇宙であることがわかった。庭にはエジプトペンタスとアメリカンブル−、ニチニチ草などを植えた。
秋雨に濡れて落ち着く石二つ
cool rains in autumn
two settled stones
in my new garden
俳句はこれだけで短いのでよく鑑賞できない、どういう背景で作ったか説明されるとああそうかと納得する場合がある。
秋雨に濡れて静かや石二つ新しき庭に落ち着くらしも
短歌にするとこうなるのだがちょっと違ったものになる。新しい庭というのが入っているから新しい庭に置いた石ということが理解できるが俳句の場合はわからないから説明が必要なのである。
※しのぶもちずり
訪ぬれば信夫摺石秋の蝉
みちのくのしのぶもちずり誰ゆえにみだれそめにしわれならなくに
これは都の役人と恋に陥った伝説に由来している、「早苗とる手元や昔しのぶ摺り」芭蕉 この石の紋様を摺った絹が有名になった。都の役人は里の女の所には帰らずその石を摺って恋しい人の顔が現れることを願い通いつめたという。みちのくにはこうした伝説の類として子捨川が白石にある。これは大和政権時代の蝦夷征服で侵略した大和のものが土地の女と交わり子をはらませたのだが土地の人はその子を育てず川に捨てた。
伝説とか歴史は現代と関係ないものではない、密接に連綿と人間の業として同じことを繰り返しているのだ。フィリピンには日本人の子供がたくさんいると問題になったり必ず外部から強いものが入ってくると弱い土地のものはふみにじられる。カンボジアでは腹ただしくなった。日本人の中高年のものが買春を昼間からプノンペンの大通りで堂々としている。そのために集まっているのだ。何ヶ月もいるものもいる。カンボジアで地雷に足をやられて片輪のものやら20代のものには三分の一が父親がいないとか悲劇があった。私も人間の骨で埋まったや骸骨の山を見てきた。この世の生き地獄を経験したのだ。その混乱の後にやってきたのが外国からの買春である。日本人だけではない、世界中から集まってくるのだ。
●貿易の貿の字の意味
貿易の卯(ぼう)閉じている門をこじあけて中の貝を宝を奪いとることまたは女性を犯すことにもイメ−ジされた字だという。ということ貿易にはそうした意味がもともとあり弱いものが貿易では損することになっている。アイヌが和人との取引きでだまされたように経済というのはやはり上下関係から成り立っていて弱いものは損するのである。その余りの金の価値の相違自体が侵略なのだ。経済的に優位なものは経済侵略になるのだ。10倍も金の差があると常識的な経済感覚から離れてしまう。それが人間を傲慢にさせ女性を貿易させる、犯してしまうことにもなるのだ。
「若い若い・・・」とか悪魔的笑いがそこに木霊しているのだ。一回5ドルだとか十代の女性が食い物にされているのだ。毎日日替わりで女を変えて白昼脇にはべらせてふんぞりかえっている。あの姿は最低である。まさに東鬼である。あれが日本人の姿なのかとそして戦争中も同じではなかったかと・・・今美化されつつある戦争のことは疑問である。やはり日本人はアジアに対しては優越感を抱き見下し支配しようとしたのではないか。確かにすべてがそれだけとは言えないがあの姿を見た時昔と変わらないことを感じたのである。こうしたことは人間の歴史の中で繰り返されて来たことだし他にも人間のすることは世界中で共通なことが多いから一地方の伝説でも同じようなことが外国でも起こっているので人間はすることは世界中で変わらないことがわかる。
みちのくの子捨川や冬の暮
ともかく訪ねてみれば今はかそかに秋の蝉が鳴きその声に耳を傾け旅人は去る
裏磐梯初秋の旅
山小屋に竜胆一むれ中高年
なおあまた高原の空に秋つばめ
なおあまたペンション村に秋燕
ヘンションに山帽子の実に果実酒や
秋湖澄み山重なりて映す影
湖広く噴火の痕やうろこ雲
裏磐梯沼のひそかにうろこ雲
心澄むペンションの窓に秋の星
秀麗の秋の峰二つ重なりぬ
秋の峰高きに上り際だちぬ
大岩によりてあまたの月見草
叔父倉や実りの秋に何語る
要田の駅や実りの秋となる
うろこ雲と磐梯山の写真とったがフィルム忘れて合成写真作った、インタ−ネットから写真とってきたのだが一部分を切り取って合成したものでこれは盗作にはならないと思う、合成写真は創作の一つなのだ。ただ写真と写実を基本とする俳句が確かに合っている。つまり作られたものではなく見たものをそのままに表現することは写真と通じているからだ。絵は個性的自然の加工だが写真は写実に根ざしたもので絵とは違い見たままの表現なのだ。おそらくだから写真と俳句は相性がいいのだと思うが・・・・・インタ−ネットは巨大な図書館化していることも言える、いちいち図書館や本屋に行って調べたり本を借りることはめんどうである。とにかく本というのは今になると便利なものだが不便なものにもなっている。今回まず雲というので検索したら雲を研究しているホ−ムペ−ジがあった、それで磐梯山の写真と合成したのである。これもインタ−ネットの利用方法の一つであった。
浄土平までバスに折りたたみ自転車をのせて行った、そこで水石という溶岩の噴出物の岩石を買った、5000円だから高かった、これに松やミヤマキリシマなどの苗を植え盆栽を作るそうだ、バスの運転手が自分でもやってるので詳しく教えてくれた。新しい庭を作ったので飾りに置きたかったのである。
ここからまた自転車でちょっと行くと山小屋があった。山登りしている中高年の人と出会った、今中高年の人が結構山登りしている。海外に旅行している人も多い、中高年パックパッカ−も増えて問題になっているとか、実際サンダル履きの67歳の人が中国に一人で旅行してきたのには驚いた。そういう時代なのである。どこにでも今や海外で中高年の人に出会うのだ。その山小屋あいにく休みだったが中に布団が用意してあって素泊まり4000円とあった。裏磐梯は結構宿泊費も高い、パンガロ−が一棟6000円なのには驚いた。
山小屋に竜胆一むれ中高年
竜胆がひっそりとその山小屋の前に咲いていた。
それから自転車で下りペンション村に着いたのは暗くなっていた。ペンションは多い、インタ−ネットで調べたペンションもあったが環境が余りよくないのでやめにした。回りの環境まではわからないから宿選びは事前にしても自分に合った所でない場合が多いので困る。
泊まったのはLというペンションだった。そこで面白かったのは山帽子の果実酒が置いてあったので珍しいと思い聞いたら庭に山帽子の木があるといいその実をみせてくれた、山帽子はコブシとにた花で間違いやすい、余り見たことないのだがこの花の由来が実からきていることを知った。ハマナスもナスににた実がなるから実が名前の由来となっている。葉が名前の由来のもある。四葉シオガマは四つの葉が茎から出ているので名づけられた。石蕗(つわぶき)も葉がその名の由来である。花の名の由来を調べるのも面白いが今回は長くなるのでまたの機会にしたい。
次の日は皇太子夫婦が来ていて警戒のために警察が一杯であった。わからないが噴火することはありえないと思う。ペンションは夕食付きだと3000円高くなる、夕食をとらなかったので6000円でとまれた。ペンションだとそのくらいはとるだろう。水石で一万ほど余分に使ってしまん金がなくなった。
二日泊まってまた浄土平まで上ろうとしたが天気が悪くなり猪苗代の方に下って行った、木地小屋とか叔父倉という地名などが面白いと思った。実際木地師が棲んだことは確かで神社もあった。あとは猪苗代から郡山まで下りの道で自転車で軽快に下ってきて楽だった。折りたたみ自転車の場合宿泊費や交通費などで金がかかる。自転車の旅はテントしないと節約できない、とにかく腹がへるので食う方は節約できないからだ。郡山から磐越西線にのり途中要田という駅があった。この地名にもひかれた。日本の旅は地名が面白いのだ。
あとは写真を無くしたが二本目のフィルムは残ったのでここにのせる。
初秋裏磐梯
しんみりと空に広がるうろこ雲
桧原湖の広々として映しける
ひそかな沼にも映るうろこ雲
秀麗なる秋の山影映す玲瓏の湖
神秘の色を湛えて静まる湖
足音を忍ばせて青い沼の森を歩め
ペンションの庭に山帽子の赤き実
その果実酒のここに蓄えられぬ
激しき熱情の噴火の山の痕生々し
我が前に打ち迫るその荒々しい肌
旅人はなお行き交いてあまた
高原の朝のさやかに盛んに秋燕飛ぶ
そして山間に隠されるごとひそか
木地師の謂れを語る小さき社かな
初秋に訪ねてあわれ心にしみぬ
薄なびき大岩一つ畑に根づきて
あまた月見草寄りて咲きにき
木地小屋という一部落もあわれ
猪苗代にい出れば道に菊の花の列
街道の古りにし松のもの寂びて
旅人よ、強清水の峠に冷たき清水を飲み
会津囲む秀逸なる山々仰ぎつ
武士の菩提に参りて昔を偲べ
俳句や短歌をつなぐと詩になるのである。日本ではどうしても俳句や短歌が詩の元なのである。俳句とか短歌が添削とか相互批評ができるのもそうした文化的共通基盤があり理解しあえるからである。今詩になると全く理解しあえない、それぞれかってに理解サレないむずかしい詩を作り自己満悦に陥っている。実際全然詩でないものでも誰からも理解されないものでも理解されないが故に優れた詩のように錯覚し自己欺瞞に陥っているのだ。俳句と短歌は即理解しやすいし良し悪しが比較的判断できるのでいいのである。
英訳
When I look up on the height
A sharp lined mountain in autumn
The beautiful performanced one
荒川近辺
成田から上野に来る途中安い宿がないかと探し日暮里とかで降りたら昔の通りがあり小さな店が並んでいた。日暮里、町屋、千住とか荒川の都電もあり由緒あるところだった。子規庵というのもあった。小さい家だった。あんなところに本当に棲んでいたのか意外だった。ただ環境は悪くなっている。ラブホテル街になっていた。あれでは情緒がそがれる。やはり東京という大都会はあんなふうになってしまうのだろう。あの辺にどんな家があったのか実際は淋しい所だったかもしれない。いづれにしろ今とは全然違った環境だった。それでも多少昔を偲ぶよすががあった。柿というのはヨ−ロッパにもあった。四角の大きな柿だった。柿は明治時代に来たヨ−ロッパ人が日本から持ちかえったものだそうだ。ヨ−ロッパ特にドイツではリンゴの種類が豊富だった。リンゴは安かった。寒い地方なのでリンゴはとれる。北欧ではリンゴの料理が豊かだというのもわかる。
それにしても外国から日本までホテル探しはつづいていた。疲れてらふらになりやっぱりカプセルホテルに泊まるほかなかった。日本はホテルが少ない、ヨ−ロッパには種々のホテルがありパリですら東駅のすぐ近くに200フランのホテルがあった。3000円ちょっとで一部屋仕えるのだ。こうしてまたやっと日本の我が家にたどりついた。