8月9日 宮古島で船を下りて買い物

宮古島で2時間以上泊まり街を歩くことができた。途中下船はなかなか経験できない。宮古島は貝が安いかもしれないと思い買った。月は皓々と照っていた。

宮古島に船は寄り街へ夏の月

甲板に若者群れて夏の月


宮古島でインターネットをちょっとだけしてみた。船には電源があったのだ。そしたらダイビングが地元の漁業の人たちと対立して裁判になっている。ダイビングが漁業の邪魔をしている。だからダイビング業者に船で嫌がらせをしている。一般の観光にかかわらない人は観光客に無関心だという。利害がないからだろう。それにしても地元をうるおす観光に対立するのはわからない、観光に直接かかわらなくても回り回って利益になるはずだからだ。とった魚も観光客が食うこともある。それがわからないのだ。与那国島で木陰に長く休んでいるから怪しいと通報したのも観光と関係ない人だろう。観光客をよそ者を警戒したり嫌がるのが島の閉鎖社会でもある。クべラ島に帰る人がいた。宮古島は大きいですねと言ったら幅はないよという、沖縄も幅がないことは確かだった。すぐに反対の海に出ることができるのだ。では土地がない土地が高いかと言うと高くないという、サトウキビを広い土地をもっている人は生活もいいらしい。その人はお盆で帰ってきた。ここでは余り亀甲墓に集まる風習はないらしい。これは年二回集まる日がある。クベラ島には橋がかかるらしい。もう一つの島には橋がかかっている。いずれにしろ沖縄のことはわからないことが多すぎた。例えばサトウキビ自体なじみのないからこれがなになのか理解しにくい、つまり沖縄は日本では最も異質な外国に近い、日本ならどこでも田んぼがあり米を作っているからだ。


商人は海の風に吹かれて遠くからやってきた
風と潮に乗って船でやってきた
商人は珍しい異国の品物と話しをもってやってきた
商人は異国の地で暮しやがて死んだ
港の近くその墓には海の風が今もそよぐ
商人は遠く海の向こうの故国を思う
商人は今も海の風に吹かれ波に揺られる
商人の魂は今も遠い故国と行き来している
商人は航海者の魂はその子に孫に受け継がれる
海の向こうの故国にまた新たに海をわたる
海の風は今も吹き海は二つの国をつなぐ
商人の冒険者の魂はなおも生きている
それは伝播し受け継がれる
海を行き来する商人の魂は生きている
それが再び人を導き海をわたらせる
海には遭難した人の無念の魂が眠る
しかし人は海をわたり海は人により
国と国をつなぎ人と人をつなぐ
冒険者の魂は海に生きている


海は歴史的にも人間がかかわり人間の海となっているのだ。海は潮の流れとか風とか方向を示す星とか自然と関係している。一方飛行機は技術の勝利であって人間的なものや自然とかかわる面が少ないのだ。だから面白くないのだ。

8月9日 那覇に帰り明日は飛行機で仙台へ

船は那覇に朝7時についたので早かった。そこでもう一度首里城へ行き古い石畳の道を歩いた。朝なのであまり歩く人はいなかった。

海よりの日さし上りて首里城に客人迎える夏の朝かな

ノアサガオ石畳の道朝歩む


それからアカギという古い木があった。沖縄では街中でもちょっとした自然が残されている。そこにもでんでん虫がいた。それも親子で歩いていた。沖縄では小動物や何か生き物が生き生きしている。暑い所の方が動植物も生き生きするのだ。

木陰なすアカギの古りて石畳でで虫の親子歩む朝かな

那覇に来て気づいたことはクマゼミがジージー鳴いていたが与那国島では鳴いていなかった。このクマゼミは都会的でもある。波照間とか与那国島は最果ての旅情あるところとしてこれからも行く人は多い。自分が体験したことなど観光客に影響などしない、ただ自分としては納得できないから書いたまでである。それがインターネットの時代なのだ。個々人の経験が赤裸々に語られるからだ。マスコミでは観光にしてもその土地のいいことしか言わない。なぜなら悪いことを言うと与那国町から抗議される。すると悪い点は言えなくなるのだ。だからマスコミでは真実は本当は語られていない、差別語でも仔細に規定しているように常に団体から抗議されるから何も言えない所なのだ。

与那国にクマゼミ鳴かじ那覇に来てその声聞きて騒々しかな


今回かなり胃など悪くなり苦しい面もあったが自分なりの旅ができたので満足だった。与那国島を除いてそうだった。那覇は食い物が豊富で安い、シークワサーはスーパーで100円で売っている。これが石垣では150円であり那覇のコンビニでも140円である。この飲み物だけで毎日千円くらいかかった。食堂で食うのはソバ類だけでご飯ものは食いたくないのだ。だからジュース類が栄養になっている。それから夏ばてにいいのは意外とサツマイモだった。冷たいサツマイモ、紅芋をここにきて食った。あとは那覇でサトウキビのジュースやマンゴージュースなど飲んだらうまかった。店の人に聞いたらシークワサーはほとんど台湾製だという、沖縄ではこんなにとれないという、台湾はやはり豊かにとれる。

とにかく明日は12時に飛んで家には8時までにはつく、飛行機だとなまものが運べる、それでうまい特別なパインを買った。実を一つ一つちぎれるパインである。今回はあらゆるジュースを飲んだ。飲まざるをえなかったのだ。ジュースで体がもったのだ。ご飯は食えないからだ。まあ一カ月大変な旅だったがなんとか日本国内だからやりとげた。日本国内ならかなり厳しい旅でもこなせるのだ。

それにしてもこの宿の主は汚いからシャワー浴びたら泊めてやるとかさんざん自分の悪口をずけずけいう。お前を泊めたくないが泊めてやるんだという言い方である。それでもあとから汚いからと上野のカプセル宿よりはざっくばらんでいい。沖縄では相手に対して回りくどくなくずけずけ物を言う人が多い、これはかえって話し安い状態を作り出している。ほとんど内地の旅ではしゃべらないのには沖縄ではしゃべりつづけているのも不思議である。

ともかく暑いからすぐに汗でびっしょりになる、それで絶えずシャワーをあびないとだめなのだ。自転車はまた置くところに困ったことである。沖縄では自転車が盗まれるということで家か部屋の中に置いた。これもオリタタミだからできたのだ。とにかくこれで沖縄のライブの旅の報告は一応終わりである。
あとは帰ってから詳しく書いてみよう。沖縄は生物や歴史や地理にしても異質だから面白い、ここは日本で一番外国的な所なのだ。

・・・ 沖縄の旅の現場からの報告の終わり・・・・・・










明日の朝は7時に那覇に着く