8月3日 竹富島ー石垣市
与那国島へ昨日船が発った。週二回でているというが欠航も多い。夏は海は穏やかでそんなに揺れないというのでこのさい自分も行くことにした。というのはどうも東北はなんかからっと晴れないのだ。夏は夏らしくないとつまらない。かなり体もへばってきたがここで休養して多少は回復した。ほとんどご飯ものを食っていないというのも不思議だ。ジュース類だけでも栄養にはなっている。一番の栄養は牛乳だろう。まあ最後なんとか行けるだろう。
与那国へ行く船送る夏の朝
竹富島になぜあのような民家群が残されたかというと島は海に隔てられているかぎり別な世界になりやすい。固有のものが残り安いのだ。陸続きだったらそうはいかないのだ。それでも白砂の道に自動車で水をまいていた。ほこりになるから維持するのが大変である。それでも石垣島と近いから不便なことはあまりないのかもしれない。
竹富の白砂まぶし真夏の日石垣島も古り家も古りにき
夏の雲湧き上がるかな竹富にブーゲンビリアの色鮮やかに
水牛の一歩一歩の暑さかな
水牛車には乗らなかった。水牛は普通の牛とは違う。牛というと牛乳をとる牛、肉牛の牛とか牛そのものに注目する人はいない。水牛はインドや東南アジアでは農耕に使われ人間とともにあったのだ。水牛が一歩一歩歩く姿を見ていたら水牛は実に忍耐強い歩き方をしていると思った。高村光太郎の牛の詩を思いだした。まさにあれなのかもしれない。普通に見る牛にはそうしたものをあまり感じないが水牛はまさに牛的なものである。より原始的な牛なのかもしれない。良く絵にでてくる老子が乗ったのも水牛である。インドでも東南アジアでも水牛はいるが外国では身近に観察できないのだ。とにかく一歩一歩その蹄は大地に食い入るように歩むのだ。牛に見習うのはその忍耐強さである。
黙々と水牛行くや竹富の村の古りにき真夏の午後に
水牛の休むや木陰の木の古りぬ
これも南国的風景である。でもそもそも水牛は沖縄で使われていたのか、使われていたことは確かだろう。動物は精神の象徴である。エジプトの彫刻が動物と人間が一体化しているのも実は動物が常に身近に生活と一体化していたからそうなったのである。これが馬鹿げているかというとそうでもない、現代の人間は機械と一体化して人間性を失っている皮肉である。
石垣の街角に散るオオゴチョウ幾日泊まる宿の近きに
こうしてまた宿に帰って来た。十字路にオオゴチョウの花が鮮やかに咲いて散っていた。沖縄には滞在型の宿が多い、インターネットカフェーで宿を調べるとそうした宿が実に多い。ここも滞在するのにはすごしやすくできている。台所が自分の家のように使えるのが助かる。それから食堂でオカズを持ち帰れるのもいい。旅人にはすごしやすくできている。でも金はかかるから長居する人は少ないだろう。ある程度金を使わないと旅は楽しめない、満足なものも飲んだり食いなくてはつまらない、飲み物でも沖縄でしか飲めないもの食い物がある。シークワサーとか紅芋のジュースとかある。シークワサーは泡盛に入れるとうまい、飲みやすくなる。つまり暑い所ではそれに応じた飲み物がある。外国ではこれがわからないからつまらなかった。それでもプレインヨーグルトとかそれなりの飲み物はおいしかった。氷も一袋100円とか安く売っていた。日本だこの暑いなかでもどうしたら涼をとれるか工夫出来る。外国ではわからないから苦しかったのだ。
海からの風は吹くかな熱帯夜街に人の群れ石垣の日々
暑いから夜が活動的になる。夜遅くまで営業している店が多い。石垣市を毎日歩いているがわからないことがまだある。持ち帰りのオカズを知ったのもそうである。実際はどんなところでもちょっといただけではわからないのだ。ここの管理人とは良く話しできた。話し方が変わっているのでとまどうのだがいろいろ知っていて個性ある人らしい。宝貝について聞いたら岩の下のようなところに珍しいのが固まってあるという、その場所がわからないという、それはちょうど山に住む人が松茸のある場所を教えないのと同じである。それから西表島にいる仙人のことを話ししていたが小泉首相がどうのこうのと言っているのはおかしい、テレビ局の取材でそう言ったらしい。もっと気の聞いたこと言えというがそれもそうかもしれない、キャンプ場で長居する若者もろくなものいないとかそれも一理ある。つまりあれらはホームレスとかわらないというのだ。都会にあるとホームレスはゴミのように見える。西表島のような自然にあると自然の美に囲まれているからそれが都会のホームレスとは違う。原自然の中に囲まれていることがその醜さを隠すのである。
月変わる旅路つづくや夏の海
月は変化する、潮の満ち引きとも関係ある。星も方向を示すので海と関係が深い、砂漠とにているのが
海なのだ。海と遊牧民の文化には共通性があるのだ。砂漠の国が月と星を国旗にしている、海の国も月と
星なのである。