(小林勇一)
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7月17日
オウムとにていた原発事故(専門化した知識人の犯罪だった)
オウムとにていた原発事故
(専門化した知識人の犯罪だった)
●超エリ-ト集団が犯罪集団だった?
今回の原発事故は不思議だった。要するに超エリ-トと言われる人達が断罪されるにいたった。原発にかかわった人達は東大出の官僚だ、一流の原子力関係の学者であり、大企業もかかわる日本の技術者の最高レベルの人達がたずさわった事業だった。それが事故になり一転してエリ-トは断罪されるようになった。もちろん警察につかまるわけでもない、今は断罪されていない、服役もされていない、何ら罪をきせられないからエリ-トはエリ-トであり金に不自由ふることもないし刑務所に入るわけでもない、だからこの人たちは別に何ら罪悪感も感じていないかもしれない、どこで罪なんだとか思っている。罪の意識はない、でも不思議なのはこういう超エリ-ト集団が実は犯罪集団だったという側面があったしそういうことが事故で浮き彫りにされたのである。ただ以前として政府であれ政治家であれましてや検察もかかわっていたのだから誰も犯罪として裁くことなどできない、それはちょうど日本の戦争が犯罪として誰も裁くことができないと同じである。でもその戦争ともにていた。戦争を指導した人達もまたエリ-トであり同じであった。そこにマスコミもかかわり戦争に突っ走った。指導層だけではなく国民も同調したから同罪だともされ誰も戦争の責任をとる人はいない、それとまた今回の原発事故はにていたのだ。
オウムは異常な集団とされていた。サリンを隠れて製造していたのである。これは原子力ではない、でも危険なものとしてはにていた。サリンを力あるものとして武器にするためにもっていた。表面は仏教集団であり世間には宗教団体と装っていた。そして特徴はやはり理系の学生などが中心メンバ-でありその人たちがサリンを製造した。サリンは原子力発電ではない、ただ毒として武器としてもっていた。原子力が核兵器としてだけもっていると同じである。その辺は違うにしても盛んに東電はテロ集団だったと今言う人達がいる。それはオウムもサリンをまいたテロ集団であり東電もそれとにていたともいえる。目的がそもそも違っているとはいえ、原発はサリンより危険なものでありへたする国を亡ぼすほど危険なものだった。しかしそうした危険なものでも隠すことができた。それは東大出の官僚であり学者であれ政治家であれ地元の人達にしろ国策なのだから国民にも容認されていたから誰も東電などをオウムのようなテロ集団だとは思わない、でも事故を起こしてみたらその責任と罪は余りにも重いものだった。政府であれ政治家であれ官僚でも御用学者でもみな事故を起こした結果、犯罪者集団のように見えてきた。
マスコミもこの犯罪集団に加担するものでありその危険性を指摘したことはなかった。この原発村は莫大な利権集団であり金がもらえるということで容認したのである。
●原発事故は知識人の犯罪だった?
オウムとにているというときその構成した集団が超エリ-ト集団であった、国のトップを形成する人達だったからである。オウムも理系の優秀な学生がいて知識人だった。これは知識人の犯罪だという人もいた。官僚であれ学者であれ法律にかかわる検察も知識人である。マスコミも知識人である。一方ブルカラ-の人達、第一次産業にたずさわる漁業や農業や建築の現場で働く人などは知識人ではない、だから知識人の犯罪だというときあたっている。でも現場で働く人でも金になればいいということで全然関係ないかというとそうではない、事実小高と浪江では東北電力と原発を作ることを契約していた。10年後くらいに稼働予定だったのだ。それで小高の建築関係の人は不景気のとき原発建つから景気良くなると言っていたし歓迎していた。
現実に浪江と小高の境界線辺りに原発が建てられる契約までしいた。十年後くらいを目指していた。小高は南相馬市と合併したのだからこれは大きな問題を見逃していた。大甕は小高に近接して桜井市長が住んでいてそこで問題になったのは産業廃棄物問題だった。原発を市長選挙で問題にしていなかった。
ともかく金になるならこういう現場で働く人達も危険も知らないから賛成なのである。ただ知識人の罪の方が大きいことは確かである。ブル-カラ-の人は設計者の命令に従い働く人達であり原子力を設計して安全だとする方により重い責任があからだ。だからこそ東電は社会を支配することまでできたのである。確かに南相馬市が合併するとき小高の原発建てることで契約していることを問題にして合併をしないということもありえた。小高だったら確実に南相馬市は20キロ圏内になる。そういう危険なものを南相馬市が容認することになったのである。今回の事故で原発は広範囲に被害を与えるのだからとても一地域の問題ではない、日本全国の問題でもあり実際はグロ-バルな問題であり一国ですら決められない重大なものだった。へたすると人類が滅亡するかもしれない危険なものだった。そういうことを先進国で決められるのかとなる。
原子力の技術で日本は遅れをとってはならないというとき、原子力の問題は世界的問題であることを示してる。経済的な面から遅れをとってはならないという面からだけ考えられているのも問題なのである。
オウムに集った人達と他の宗教団体は違っている。創価などはエリ-トではない、泥臭い人達が集まっているからむずかしい話しはしない、これも原発建つと金になるよくらいしかない、すべてが現世利益であれ貧乏な人達の集まりからはじまったからこれも拝めば金も入ってくる、商売も繁盛する、偉くもなれる,地位も得られる、政治家にもなれる。やがて日本を支配するようになれば会員は指導層の仲間、エリ-トの仲間になる。そういうことをたきつけている。他の宗教団体もにたりよったりだろう。会長は世界中から勲章を集めているのだからそれに習うのは当然である。それでなければそんなに宗教が大衆化するはずがない、人間の欲を肯定して一切禁欲などは説かない、ただ人数を集めて権益を要求するだけだとなる。でも集った人達は泥臭い庶民であっても目的はオウムともにていた。オウム王国、創価王国を作ることだった。結局人間の欲望は深くその欲望の達成のためには協力して徒党を組むということである。漁業でも漁業権がありそれで東電から相当な金をもらっていたのである。つまり原発には利権がかかわる、膨大な利権を生むものだった。だから国から官僚から学者から検察までも金を生むということで推進したのである。そもそもこの世の中は欲の世界である。聖書がこの世は「欲で滅びる」と書いてある。根本をたどれば人間の限りない欲につきあたる。人間の欲は物質的なうまいものを食いたいということから金持ちになりたい偉くなりたい・・・無限にある。
その欲を満たすのなら手段も選ばない、戦争も辞さないとなる。それは日本だけではない、世界の国がそうなっているのだから日本ばかり攻めることはできない、そういう欲望がぶつかりあい資源戦争でもしのぎをけずりあい、実際に戦争になっているのが現実である。原発もその人間の欲の象徴だった。 人間はそうしたこの世の欲を否定することが一番むずかしい、いくら車が交通事故を起こして危険だからと言っても一人一台もってその一台も減らすことができない、それと同じように便利なものを覚えたらそれをやめることができないのだ。その欲が危険なものも生みだす、原発を生み出したのである。
●批判がタブ-化される危険
オウム問題も一見小さな集団とみていたけど暴力組織であり恐ろしい集団だった。だからマスコミでも批判できなくなっていた。サリン製造機が隠されていた。いつのまにかタブ-化される間に危険なものが醸成されていた。その隠れ蓑にしたのが宗教だった。戦後は民主主義で宗教思想の自由が盛んに言われた結果、信教の自由を楯に危険なものが歯止めなく増殖した。
宗教弾圧だとなり立ち入ることもできないままに危険なものが増殖していた。そうしたタブ-化されるとそこにさらに危険なものが育まれてもとめることはできない、規制できなくなる。戦後雨後の竹の子のように増殖したカルト宗教団体もそうである。創価なども完全にタブ-化されて誰も批判できない、特に政治を動かすようになると特にそうなった。一切の批判は抑えられる。
それが今回の原発事故と何の関係あるのかというとやはり安全神話によって東電への批判がタブ-化されることとにていたのである。政府も一体となっているのだからこれももう批判はできない、検察も警察も東電の見方であり一体化していた。完全にタブ-化された存在でありその批判できないタブ-化されたなかで原発の危険性は全く語られなくなったのである。
一見民主主義に自由があるように見えてないのである。巨大化した組織集団はタブ-化される。巨大でないにしろオウムのような存在でもタブ-化される。その時すでに危険なものが隠されそれか遂に表に露出する。タブ-化されることは別にカルト宗教団体だけではない、医学界や検察界や権力を握る所に起きやすい、結局それも専門家集団のタブ-化ともいえる。カルト宗教団体は宗教の専門家としてカトリックのようにタブ-化して権力をもつ、官僚は官僚で政治家にはしりえない情報をもちタブ-化して政治家も立ち入ることはできない、なぜタブ-化するのかというと専門家集団にもはや素人とかは立ち入ることができない、誰も批判できないチェックできないからである。原子力の専門家集団に素人が何か言うこともできない、医学の専門家集団にも何も言うことはできない、法律の専門家集団にも何も言うことはできない、結局お前らは庶民には何もわからない、俺たちのみが知っていて俺たちの命令に従えばいいのだで終わりである。そういう過去の聖職者に変わって現代の聖職者となった専門家が支配する時代が現代だったのである。
でもそうして専門家集団がタブ-化したとき危険なものが醸成されて露出したのが原発事故だった。今になり原子力の専門家集団が事故への想定が甘かったというが外部からチェックする機能が失っていたのである。
要するに外部からチェックするにもチェックできない、タブ-化されたものは暴走して破滅してゆく。国家でもそのタブ-化したものをとめることはできない、何故なら東電の方が国より力が上であり制御できない、国というときこれもあいまいであり何が国なのかとなるとわかりにくい、国とは最大の権力をもつもののように見えてもそうでもない、権力を構成するものによって作られるとしたらトヨタや電力会社が国を指導するものとなる。カルト宗教団体でもオウムがオウム王国を夢見たように創価王国を作ることもできる。それが国になるのだ。ナチスもそうなった。国は別に公正なものとして何か変わらぬものとしてあるわけでもない、時の権力を握ったものが国の支配者になるだけである。だからオウムが国になりトヨタが東電か国になっても不思議はない、創価も国になっても不思議ではない、国は何なのかということ自体問われている。 だから管首相の人間そのものに問題あっても原発をなくすという判断をして解散することは正しいかもしれない、なぜなら誰が判断して決めるのか?それを決めるのは誰なのか?となるからだ。だからイタリアでは国民投票で決めた。日本では解散総選挙で決めるというのも一つの民主主義の手段である。民主主義社会だったらそういう結論になってしまうだろう。限界があるにしろその他に方法がないからだ。
専門家は神である
科学者、法律家、医学者、官僚、・・・は神にならぶものである
この人たちへの批判は一切許されない
あなたたちは何の能力もない、専門家に従うだけである
今回の原発事故はこういう文明を構成する支配者たちの崩壊だった。それは巨大津浪によってもたらされたのである。文明も自然の力で神の力で一撃で崩壊する、それをまざまざと見たのである。安全神話を作り上げた専門家たちはただ無力感に陥るだけだった。
そして「私たち科学者はもっと核のことを恐れるべきだった」と言って反省している。結局今回の津浪といい原発事故といい神への自然への畏れをなくした結果だったともいえる。自然界のことであり何であれわからないことがいろいろあり核でもそうだしそうしたものにタブ-に挑戦した結果として罰が与えられたのである。
科学者と専門家は神を装う現代の偶像だった。科学者でも医者でも神のごとき存在になっていた。法律家も法律という一般人は近づけなもので支配するから同じである。その偶像も津浪の一撃で倒された。人間は神と自然の前には無力なのである。自分たちは核を操れるということから慢心が生まれてそれが打ち砕かれたのである。要するに人間の築き上げた文明など神の一撃で崩壊する、偶像は倒される。人間は戦争でもそうだったように犯罪者集団だったのである。それは日本だけではない他の国も同じである。犯罪者集団から必ず神により罰せられるのである。ただこういう人達は罰せられないとその罪も自覚できない、専門家でも当然の地位でありそれに見合う待遇があってしかるべきであり何ら罪など責任も自覚しない、それが今回はその大きな責任と罪を自覚させられたのである。
そして人類自体が個々人であれ集団であれどこの国であれ犯罪集団である。地球は犯罪者の巣窟だった。だからこそ最後の審判が来る。個々人もそうだが集団もすべて神によって裁かれる。罪の総決算がくる。それが最後の審判である。過去に生き残ったのは方舟を作ったノアの子孫だけだった。神の系譜に連ならないものは滅びる運命にある。残ったのはノア一人だった。そういうことがありうる。全部総決算の日、最後の審判の日にそうなる。なぜなら人類とは犯罪者であり犯罪集団であった。それを罰するものはいない、検察も安全神話の戦争の加担者であり裁かれる方にあった。でも裁かれないから神が裁くのである。国も裁くことができない、人類も裁くことができないからこそ最後に神が裁く日が来るのである。このまま犯罪者を放置することはできない、神の我慢ももう限界に来ている。その兆候の一つが今回の大津波だったのである。
現代の聖職者(科学者)の権威の象徴の
原発は無惨に崩れさった
放射能の積もった瓦礫が散乱した
聖職者は今盛んに言われる
お前たちの責任だから
瓦礫を拾ってこい
放射能をたっぷりあびてこい
それがお前たち聖職者の仕事だ
お前たちの知識はもう何の役にもたたない
その権威の象徴はもろくも崩れさった
お前たちの権威はもう何もない
何の誉れもないし厚遇もない
ただ一労働者として瓦礫をかたづけてこい
それがお前たちの仕事だ