石と旅人

山には春がやってきました。そこかしこ桜が咲き鶯が盛んに鳴いていました。そんな道の辺に一つの石が春の日ざしにぽかぽかと気持ちよくしていました。そして独り言をつぶやきました。
「ああ、寒い冬もようやく過ぎて春が来た、春の日はあたたかく気持ちがいいな、さてこんな山の村だけど誰かこないかな」
「来ますよ、来ますよ、山の向こうの町からやってきますよ」
「ああ、ツバメさんですか」
その時その石の上をかすめるようにツバメが飛んで言いました。
「私たちも海をこえてはるばる飛んできたんですから」
「それはうれしいな」
ぽかぽか春の日はその道の辺の石をあたためていました。そして石は遠くに重なる春の山をながめていました。すると確かに誰かがやってきました。
「ああ 疲れた 疲れた ここに休むか あの峠はきつかった」
一人の旅人がその石の上に座り休みました。
「ああ ツバメさんのいうようにやっぱり町からやってくる人がいた」
旅人も大分前ですがここに来たことがあったようです。
「またこの石がここにありここで休む、俺が休むためにこの石はあるのか」石はその旅人が前にも来たことを思い出したようです。
「ああ また来ましたね、そうですよ、あなたを待っていましたよ」
そう石は言いましたが聞こえなかったようです。
旅人はまたたってその村を回り遠くの山を望み道の標識を見ると都路へ20キロとありそれを見て
「今回は遠いから都路は次に行こう」
といいその道をひき返し自分の住んでいる町の方へ帰ってゆきました。
そしてどうどうと春の水が勢い良く流れが交わるところの橋の上にバスの止まる標が一つぽつんと立っていました。それには塩浸と書いてありました。それで旅人は思い出しました。
「これが塩浸か、なるほどな」
旅人はうなずくようにその塩浸の名を一人口ずさんでいました。
旅人はこの塩浸の謂れを聞いたことがあるからです。
「ここは昔は橋がなく塩を運んでいた馬が荷が軽くなるとここにわざと塩を落として軽くして水に浸した。そして三春藩へ運んだ。ここは相馬藩から三春藩や二本松藩までも塩を運んだ道だ、相馬藩は六万石、三春藩は五万石、その境でもあった、確かにそんなところだ・・・でも馬がそんなこと考えるかな、やはり相馬から三春は馬でも遠いし運ぶのがつらかったことは確かだな・・・」町からきた旅人は一人うなずきまた暮れかかる山道を行くのでした。今でも馬の苦労を偲んでか馬を供養する馬頭観世音の碑はたくさんあります。バスはここも一日ニ回くらいしか来ませんでした。
途中また道の辺に弁慶石と記された石がありました。
「さてさてこんなところにも弁慶がきたのか」
義経と弁慶にまつわる話は各地にたくさん残されていますから珍しくはないのですが旅人はここにはないと思っていたのでしげしげと見て去って行きました。そして夕べ帰るが鳴いていました。
「そろそろカエレ、そろそろカエッテくるな」
確かに山の家には山の学校から子供が帰ってきたようです。そして石は春の日永の夕べ一人もの思いにふけっていました。旅人が一時立ち止まり見ていた標識にぼんやりと見える字がきにかかっていたのです。その時ツバメさんが飛んできたので聞いてみました。
「ツバメさん あの道の標識に書いてある字は何ですか」
「ああ 見てみましょう」
ツバメはさっと飛んでその字を見てすぐに戻ってきました。
「あの字は都路という字です」
「都路ね、それにしても都路とは何だろうな、確かにあの標識は都路とある、都路へつづく道なんだ、でもこんなところに都がどうしてあるんだ、こんな山の中にだよ 何にもない山の中にだよ」
「石さん、石さん、都路は昔々天皇様がお通りになった道なんだよ、実際ここには天皇の子孫だなどと言う人が住んでいましたから」
そう言ったのは枝垂れ桜さんでした。
「ええ、天皇様だって、それは大変だ、それで都へ通うじる道だと、なるほどなるほだ、合点、合点、枝垂れ桜さんは物知りだ」
「ここにこうしているのも長いですから」
「それはお互い様ですが 都路はいいですな、一度は行ってみたいですな」
「本当に行ってみたいです」
そうして道の辺の石と枝垂れ桜は遠くの暮れてゆく春の山と都路へつづく道を見ながらひっそりとまた静まってゆくのでした。鶯もまだ気持ち良く鳴いていました。
すると桜の花びらが音もなくはらはらと散って花びらが小さな道を作りその道がまるで都へ通じる都路となっていました。
「あれ 桜の花びらが散って都路になった うう やっぱりここは都路へ通じる村だ」
その桜の花びらの道を今度は細い山の月が照らしていました。山の桜も今年もはやくも散ってゆくようです。道の辺の石はやっぱり遠くから来てここに休んだ旅人を思ってまた静かな眠りにつきました。そのわきに古木の枝垂れ桜は長々と垂れ咲いていました。