小林勇一

@青春18切符で下関まで
A瀬戸田にて
B瀬戸内海から韓国まで
C慶州にて



青春18切符で下関まで
(2002-3)
(これは日本でアップするはずだったものだができなかったのを今アップした)。

北陸から下関まで行こうとしたがやめた。遠回りすぎるし時間がない。山寺は雪解けの水が激しく流れていた。

雪解けの水を集めてほとばしる滝のひびきや山深しかも

いく筋も雪解けの水を集めて谷間を流れひびきあうかな


山形から米沢にでた。ここは上杉鷹山で有名である。質素倹約で藩を建て直した。これを成し得たのもその経済規模が目に見えるもので藩の経済が一人の人間でも把握できる範囲内にあったからだ。小泉首相が米百俵を持ち出しても通じない、誰も現代の経済でも社会でも見渡せるものなどいないからだ。世界規模の経済の中にあり専門家でも言っていることはまちまちであり誰もわからないのである。ただその国や市などの歴史的背景を知っていると俳句なども味わい深いものとなる。不思議なのは芭蕉である。「語られぬ袂を濡らす湯殿かな」これは湯殿山の信仰とダブらせたのか湯殿山の碑が各地にあり農家の人は湯治にきて苦労をいやしていた。この句が何か東北人を知って同情するような句なのである。東北人は寡黙であり忍耐強い。そういう東北の女性を察する句だから不思議なのである。奥の細道の不思議はかえって外部のものが東北的なものを詩にしたからである。外部のもの旅人の方がその国の特徴を知って東北を東北たらしめたということが不思議なのである。この地域性が詩や俳句ではポイントなのである。現代は画一性文化であり食うものさえその土地の味はないのである。お土産は外見と名前だけのものが多いのである。

米沢や松質実に残る雪

米沢から福島の方に向かった。急な山を下ることになる。

雪残る山家数軒峠駅

峠駅はスイッチバックだったが今はない、そのまま通過して福島盆地の平野にでる。それからさらに郡山から白河にでる。汽車から白河城が見えた。汽車から城が見えるのは少ない。

雪残る山間いでて白河や春の夕日に城の映えにき

白河を出て那須にでた。ここからまた景色が変わる。

川広く那須の平野に春夕陽

春の空遠くに望む那須の山

山下り春の平野に夕陽かな


汽車で一緒になった人に品川から大垣の臨時の夜行列車がでると聞いて乗ることにした。一時間前から並んでいた。自分も座り並んだ。老人もそれも老婆もいた。青春18切符は年齢は別に関係ないのである。いずれにしろこれから高齢化社会になったら老人もいろんな所に交じりでてくる。不良老人や変わった老人もいたるところにでてくるし老害社会になるかもしれない。今では外国でも若者に交じり平気で一人で旅している人が必ずいるからだ。大人しく隠居などしている時代ではないからだ。

夜行列車若人と交じり春の朝

夜行列車で夜を明かし大垣についた。桜どこも満開だ。今年は十日くらい早いから異常だ。

江戸京都大阪咲き継ぐ桜かな

大垣から姫路行きにのった。

雪残る伊吹山見つ芽吹く木々近江にいでて望む春山

伊吹山は大きな山である。あそこでヤマトタケルが死んだ。その神話の山にふさわしいしここが東西の分岐線でありここで関が原の戦いや壬申の乱の戦いが行われたのは地勢学上必然だった。ここから近江にでて関西になるが地理的にも歴史的にも風土的にも違ったものとなるのだ。芭蕉が「春惜しむ近江の人と別れけり」という句はおそらく穏やかな気候に育まれた気質からであろう。ともかく風土に育まれた歴史とか知らないと旅もつまらなくなる。外国は特にそうである。皆目見当がつかない場合があるからだ。中国は余りに広くてそうであった。詩にしようとしてもできない歴史にしても大きすぎて理解できなかったのである。その点韓国は小さいので比較的分かりやすいのである。ある意味で反撥をくらうが日本の歴史の一部としても解釈できるからだ。

春の山近江にいでてなごむかな

大阪を過ぎ神戸にでて海が見えてきた。

行く汽車に淡路や春の海に船

朝桜船の行き来に明石城

花つづく京大阪姫路かな

山陽や桜橘菜の花や

菜の花や網干の名に昔かな

網干(あぼし)というのも奇妙な名と思ったが網を干すという生活の風景が地名化したのだろう。

山陽や沖行く船に朝桜

福山城は駅のすぐ近くにある城で面白い。でも大きな城である。

福山城天守に人や花盛り

駅前のベンチに憩う春の昼


福山で疲れたから泊まろうとしたがいい宿がなく尾道に泊まることにした。4000円の宿を見つけた。

目敏くも子供見つけぬ初燕

途中初燕を子供が見つけた。必ず南への旅では初燕を旅行中になる。

旅路きて赤絵の町や初燕

赤絵は有田焼の町で赤絵の絵つけで有名だからである。とにかくつづけて汽車に乗るのも疲れるから途中下車して気晴らししてやっと尾道まできた。今日はここで一泊だ。

尾道の春の夕暮渡し船           ひっきりなしに向かい岸まで渡し船がでている

明日は夜の7時に下関から韓国にわたる。今回は一人でゆっくり観察しよう。前は二人で有益ではあったがゆっくりみれなかった。二人になるとどっちかが主人になり一方が家来のようになる。人間は必ずそうなるしそうならないとうまくいかず分かれることになるのだ。かえって三人の方がうまくいくかもしれないのだ。
ただノートパソコンは使えない。変圧器だとか差込み口が地域によって違うとか三つもビデオカメラなど使うため買った。日本だけが規格が統一されているとか外国はむずかしい。通信も無理だから連絡できなくなる。インターネットがかなり全国的に普及しつつあるのかもしれない。年配の女性までパソコンの雑誌をみていた。こうしてリアルタイムに旅の報告できることも画期的なことなのだ。これも今までにないことなのだ。これは別に誰も読まなくても記録としてホームページに送ることに意味があるのだ。誰かが読めばやはり個人が視聴率とかに関係ない個人的な放送として面白いものになる。だからこの個人的放送も外国まで拡大するとさらに面白いものとなるはずである。こうしたことが行われているのだがまだ放送する個人が個性ある人がインターネットで無料で放送していないので面白いとはまだいえないのである。旅でもそれなりの知識がある人の報告とない人の報告はまるで違うからだ。ホームページの弱点はかなり貴重なものでも読まれないことなのだ。テレビは何百万だがホームページ数人とかの相手の放送にもなる。でも放送には変わりないのか、メールとも違うからだ。とにかく韓国に行ったら連絡はできない。
瀬戸田にてへ