時事問題の深層37-2007


相馬発信-小林勇一(小林勇一)
これまで家族の認知症のことでプログで書いてきました。これまでの記録は記事はプログで読んでください
「今日の一句一首プログ」
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日本人の精神構造は島国から作られた(海に囲まれ外国との関係を絶つ鎖国志向)11月2日

モンスタ−ペアレント、モンスタ−ペイシャントはなぜ?(民主主義はあらゆる権威を否定してゆく11月17日

沖縄への団塊の世代の移住お断り(汗と苦労の物語は金では買えない)11月26日

江戸時代の停滞文明は現代人の癒しとなる(二つの時代を生きることが必要)12月2日

私のサイトに来たキ-ワ-ド(年の暮の感想)12月20日



日本人の精神構造は島国から作られた(海に囲まれ外国との関係を絶つ鎖国志向)

●天然の要塞、海が日本を守る(国境意識がない)

日本人の精神構造は島国という環境からきている。回りが海である、天然の要塞となっていることが陸でつながっている大陸とは違う精神構造を作り出した。日本は大陸とつながらないということで一つの宇宙でありそこが最大の特徴になった。日本に日本最南端とか最西端とか最北端とかさいはての場所が人気になる。そこで日本の国は尽きて外国になるがその外国は遠い世界であり日本とつながっていない、日本は海で囲まれている故に世界とつながらないのだ。外国とは常に別世界であり大陸としてつながったものとして意識することができない、だから国境意識が希薄になるしそもそも国境を守る意識も育たない、具体的に分ける国境がないからだ。だから敵が攻めてきても神風が吹いて敵は日本には攻め入ることができないと確信している。一方で中国や大陸では必ずいやでも異民族や敵が攻め入ってくる、それ故に中国では万里の長城が作られたのである。ウオ−ルを壁を作り街を国を守ることが要請された。堅固な城壁が必要でありその壁が国境になったのである。日本ではなぜ日本国内でも城壁がないかというと大陸のような異民族が押し寄せ住民までが皆殺しとか奴隷にするようなことがなかったからだ。大陸では常にそうした激しい攻防が戦争が行われていた。日本では国内でしかそうした戦いはないから戦争は談合のようになってしまうのである。

●日本人は橋を落とし守る

日本人の敵に対処する精神構造は橋を例にとると敵が攻めてくるからと橋を作らない、むしろあえて橋を壊してしまう、日本では技術的問題があったかもしれないが大きな川に防衛のために橋を作らなかった。一方大陸では頑丈な橋を作っている。橋も一つの建築の一部であり城と一体だった。橋があればその橋から敵が攻めてくるのだから橋を作らないという方法もあっていいはずだが橋は頑丈な橋を作っている。日本人は江戸時代になぜ馬車で全国に荷物を運ばなかったのかという疑問を呈した人がいた。それは技術的に可能であってもあえてしなかった。なぜ籠などという原始的な運搬方法から脱しなかったのか?その理由は既得権者の船の運送などにかかわるものを保護するためだとか他にあえてできたのにさせなかったということを説明している人がいた。江戸時代の鎖国にしても敵が外国から攻めてくるという意識はまるでない、だからこそ橋を断ってしまうよに外国との交流を断ってしまう、海が自然の障壁となるから鎖国ということができる。大陸では外国との交流をいいにしろ悪いにしろ絶つことができないのだ。万里の長城を作っても敵は攻め入ってくる。だからどうしても外国との戦闘になるからまた平和を計る道を絶えず模索していかねばならない、鎖国はできないのである。法律が発達したのも異民族で信用できないからこそ詳細な契約が必要であり責任体制を整えることも必要である。相手が信用できないからこそ法律を優先する社会が生まれたのである。日本の口約束とか腹でわかるというより文書で詳細に契約する社会が生まれた。

●日本人の鎖国は相手の関係を絶つこと

日本人の鎖国は必然的に起こったことである。外国との関係が嫌なら関係を絶つ、橋を落として交通できなくさせる・・・島国だからそういう精神構造になる。大陸であれば小国でも陸とつながっているから大陸的思考になる。小国でも常に大国になる、陸地はつながっているからあるとき勢いにのってどこまでも拡大化してゆく、その興亡が世界の歴史だった。モンゴルなどはその最たる例である。そこで大局的思考、戦略、大陸を支配する大局観にたつものが求められる。小さな島国に閉じこもることはできない、大陸を抱合する思考が必要になってくるのだ。日本人のように相手の干渉を絶つということができないのである。村八分などというのも日本的に相手の関係を絶つという島国的思考なのである。日本からはそもそも世界を抱合するような世界観、思想、宗教は生まれない、小さな社が神であり村の寄り合いであり向こう三軒両隣が世間なのである。世間というとき非常に狭いのである。村が基本にありそれ以上の世界がもちえない、その世界では法律は必要でない、狭い世界だから仲介するのも大家だったり庄屋だったりその土地の有力者で十分だとなる。人間関係が社会が村のような狭いものとして作られてきた。談合がなくならないのは狭い人間関係で利益を計ることが根底にある村意識による解決方法なのである。大きな視点をもつことができないのが日本なのだ。日本人のなかには島国であるが故に相手との関係を断ってしまうという思考が働いている。大陸ではむしろ相手との関係を絶つというより敵を全滅させねばならぬという強迫観念にとらわれている。敵を全滅させないとこちらが全滅させられるという恐怖感のもとに行動している。相手との関係を絶つことができないのだからそうなる。災いの種はとりさるべきだとなる。これは旧約聖書にもあるし大陸では必然的にそうなったのである。

●日本の世界史の参入の時代

そういう私自身に関しては全く国際性のない東北の村人間に過ぎなかった。50でやっと世界旅行したことでもわかる。現代は20代で世界一周などするのはめずらしくもない、世界旅行は冒険でない、そして海外で働いている人もふえたしグロ−バル化で必然的に国際的思考を身につけねばならなくなった。これは別に都会だけじゃない、田舎でも起こっているのだ。だからこれからは日本の島国根性は変えられてゆくことはたしかである。ただ日本の島国根性は長い歴史のなかで風土とともにつくられてきたものだから根強く根底に残っている。それが日本人を特殊にしている精神構造なのだ。日本人が世界史を作ろうとしたの太平洋戦争だったという人もいる。確かに日本人がはじめて世界を相手にして無謀な戦いを挑んだのだからそうもとれる。しかしそれも日本人の相手との関係を絶つの裏返しの鎖国的心情が働いた。相手の関係をたてない、相手から敵から責められて関係を絶つ鎖国はできない、すると外に出てあえて戦わねばならなくなった。それは全く無謀であっても突進した。そこには戦略も何もない、猪突猛進だった。神風が吹くという神がかりな信仰であり普遍的な世界的に通用する思想、宗教はそこにはなかった。世界的宗教には普遍性があるから世界を抱合する思想があるから世界宗教となった。神道にはそういうものはなかった。

●軍事力の背後に文化が求められる

日本は太平洋戦争ではじめて世界的対立の世界にまきこまれた。そして敗北したのだ。大陸で常に国の攻防がありその中で世界史は作られてきた。日本が全面的に世界史のなかに現れた戦争だった。世界史に現れるということは普遍的になるということは戦争だけではない、文化の面でも世界的になる普遍的なにるものが創出されることなのだ。それが文化であり宗教であり学問であり様々なものへ波及する運動となる。モンゴルは軍事的波及であり一時的世界制覇に終わったがロ−マ帝国の波及は今日まで欧米の文化の基となっているからロ−マの波及は軍事的なものだけではない、文化的なものの普遍化があってそれはルネサンスとなり後に華咲いたのである。アメリカも軍事的征服があっても文化的波及がないならそれはモンゴルのような一時的拡大であり物質的拡大でありそれで終われば不毛となる。アメリカに代わり中国が台頭しつつあっても中国には朝貢思想とかしかないから現代では文化的には反発するも国が多くなる。中国に支配されたら中国が皇帝になり他は奴隷にされてしまうという恐怖がある。その点ではアメリカの民主主義がましだとなる。文化的に遅れたものは支配することはできない、力だけで支配することはできないのだ。創価のようなカルト宗教団体とか共産党一党独裁とかの支配を受けるのと同じなのだ。そういうものは文化的に拒否する。ロ−マ帝国が様々な抵抗、問題があるにしろ異民族から受けいれられたのは文化の優越性だった。異民族を受けいれる市民権を与えるとか公平性ある政治も文化だったのである。仏教もインドから中国−韓国−日本と波及したのは文化としてであって軍事力とは関係なかった。それは経済力でもない、文化として受けいれられたのだ。チベットには未だに根強く古い仏教が残っている。それが今度は中国の支配により破壊される。文化の破壊が行われるから抵抗がでてくる。中国の経済力、軍事力で支配しようとするときそこに抵抗がある。それは仏教が文化的に普及したのとは違っている。中国は唐の時代国際的になったのは軍事力でも経済力でもなかった。仏教や漢字の輸出とか文化力だったのである。今の中国には経済力とか軍事力が拡大化しても文化力はない、経済力、軍事力の拡大化だけでは世界から受けいれられないのである。




モンスタ−ペアレント、モンスタ−ペイシャントはなぜ?
(民主主義はあらゆる権威を否定してゆく)

●人徳より技術と知識が優先

今なぜこれほど規制の権威が否定されるのだろうか?先生とか医者となれば権威の象徴だった。それに向かって責めてくる、暴力をふるうまでになっているのはどういうことなのか、医者はお医者様であり医療ミスが膨大にあっても抗議もできないことも現実なのにお医者様の権威をも否定してくる。政治家は民主主義の時代では誰も尊敬しない、政治家は権力を操作するものであり人格いいとかそうしたものは今や関係ない、だから人格的に好ましからぬ人物でも堂々と政治家になっているしかえってそういう人が政治家にふさわしいともなる。政治家の権威はその人によって作られたものではなく選挙で民衆が与えた権力であり権威ではない、現代では人徳とかを基準に人選はされない、江戸時代は塾の講師でも人徳ある人を選んだとか、君主にも人徳が求められたし民衆も人徳を求めていた。現代では人徳とは何なのか?それさえわからない、先生に望むものは知識でありある知識に精通した人である。英語だったら英語が外人としゃべれるからあの人に学べばいいとか数学でもその他の学科でもいかに知識に優れているかであり人徳など考えて師を選ぶなどということはありえない、先生に望むのはいかに知識に優れているかであり医者に望むのは医は仁術ではなくいかに治療に技術的に優れているかなのである。神の手をもつ医者というのがとりざたされるときまさにそうである。その技術は本当に見ていて感嘆するものであった。技術的な点で医者の神様だとなり権威をもつのである。

●権威と権力は混同されやすい

民主主義時代というのはあらゆる面で平等を対等を目指す社会なのである。だから必然的に常に権威や権力を否定してくる社会である。天皇という権威は絶対だったがそれすら否定されてくる。あらゆる権威は否定されてくる。みんな同じではないかというのが民主主義社会なのである。優れた人などいない、みんな同じであるから尊敬する人はいないとなる。そうなれば人間は自分が万能だったらいいのだがそうではないからやはり権威を求める。権威というより今は権力を求めているのだ。権力と権威はかなり違っている。権力はいやでも従わざるをえないものである。先生に度はずれた要求が多いとついに弁護士に頼み警察まで出動させておさえねばならないとなると先生の権威を誰ももはや認めないから権力で従わさせるとなる。権威は否定されて従う拘束力はない、権力は否定しても拘束され従わざるをえないものである。民主主義では権威は否定されやすいのである。江戸時代までは権力も権威もお上にありお上に逆らうことはできなかった。民主主義社会でも権威は必要でありその権威は法律に移った。法律がむずかしくても法律に反するものは罰せられる。権力と法律は一体化しているから効力があり従わざるをえないのである。現実モンスタ−ペアレトでもペイシャントでも刺股まで用意して力で権力で従わさせる意外なくなっているのだ。民主主義社会はアメリカとにてくるのも必然である。アメリカでは8人に人が弁護士とか訴訟社会であり4500万人が飢餓線上にあるとか極端な格差社会であり国情でそうなっている。だから民主主義といっても日本には日本にあった民主主義が必要なのである。国情や文化が違うからなんでも一様にグロ−バル化できないののである。

ともかく権力と権威は混同しやすい、天皇は権威であり権力ではなかった。その権威はどこからきたのかむずかしいがヨ−ロッパのように権力をもった王ではない、イギリスの王室が莫大な財産を未だにもっているのとは違う。天皇はいかなる財産ももっていないのだ。ただその権威を政治的に利用されてきたからこれも権威と権力が混同してきた歴史はある。キリストでも釈迦でも何の権力ももっていない、寝る場所すらなかった。それでも権威となりその権威は常に政治的に利用されてきた。権威は権力化されると権威と権力の混同が起きる。その点芸術などは権威の世界であり本来は権力の入り込む余地のない世界である。マスコミや出版社がコマ−シャリズムで売り出す作家でもやはり実力がないなら後世に残らないし評価されない、一時的に権力が作用しても芸術は正当に評価され権威化される。ここでは権力は無力なのである。芸術家は大衆に指示されたからと言って権威を持つことはできない、ベストセラ−になっても結局紙屑になってしまう。芸術は有力な一人の人間でも評価すると一躍権威化するのだ。芸術はそれだけ大衆的に理解できるものでないからそうなる。これは哲学とか学問とか他にも権威化されるのは大衆の指示によってではない、真贋を定める人が後世に出てきて評価されることがよくある。実際天才といわれる人は同時代にはほとんど評価されていない芸術家が多いことでもわかるのだ。

●民主主義は常に権威が否定されてゆく社会

民主主義とはな何かと言ったらこれ自体に定義も何もない、強いていえば法律が権威と権力になる世界だともなる。民主主義社会とは常に権威が権力が否定されてゆく社会でもある。それが悪いかというと悪いとはいえない、それは進歩なのである。常に権力化するものには悪がひそんでいる。現代で権威化したもの、権力化したものがマスメデアであった。これは通信技術の発達で社会に大きな影響力をもったのである。毎日お茶の間でテレビを見るということいかに大きな影響力をもったかを見ればわかる。技術の進歩によっても権威となり権力となるのは変わるのだ。つまり技術的に権力をもち権威化したのである。新聞などでも宅配制度が権力をもち新聞が権威化したのである。インタ−ネットになったら宅配制度は必要ではない、個人でもできるくらいの費用で配信できるとなると新聞の権威も権力も下落した。

インタ−ネットによってマスコミの権威と権力は否定されてゆくのも民主主義なのである。民主主義が規制の権威を権力を否定してゆく社会というときこれはすべて悪いものとはならない、その極端化したものとしてモンスタ−ペアレントとかモンスタ−ペイシャントがでてきたのである。キケルゴ−ルの水平化が民主主義なのである。宗教でも教祖様とか予言者とか一人の神に命じられたものへの否定がある。つまり人間は一人だけ優れたり神に命じられたりして偉い人はいない、他でも偉い人はいない、みんな同じだというのが民主主義なのだ。結局偉い人は誰か・・それはあらゆる権威の否定に向かう大衆一人一人である。でもその一人一人は神ではないのだから何かしら権威に従わざるを得ない、それは権威というより権力なのである。宗教も権威ある一人に従っているのではない、宗教団体を見ればわかるそこでの権威はあくまでも権力に従っているのだ。会員の数の多さや財力で宗教の権威が評価される、会館の大きさや建物でも評価される。その権威は権力にあり宗教の本来の権威は全くないのである。ただ地獄に落ちるとか暴力団なみに脅して権威を利用しているのだ。だから宗教団体を恐れるのは権力のためであり本来の宗教の権威のためではない、宗教の恐れは罪の恐れは別に数とは関係していないからだ。

●インタ−ネットも規制の権威の否定

インタ−ネットというメデアも今までの権威の否定するものとしてある。新聞とかテレビとか今まで権威と権力をもっていたものは明らかに否定されることでもわかる。一方でインタ−ネットに対してマスコミは犯罪を増長する危険なものとして批判するのもそのためである。マスコミにとってインタ−ネットはこれまで築き上げた権威と権力を否定するものだから敵対視するのだ。こういうことは技術的なこと起きてきた。汽車がでてきて馬車と競争したとかこれまで馬車で生活していたものが困るからそうなった。でも技術の進歩は否定できない、技術の進歩は民主主義を促進させる。規制の権威、権力の否定に向かうのが民主主義なのである。


しかし反面、WEB短歌には、師匠も弟子もない、先輩も後輩も、初心者も、玄人もいない。皆が対等な者として、ふるまえる場がある。
 だからお客さんもいないわけで、正当な忌憚のない批評がとびかい、質の向上が望めそうな場でありえた。これからはWEB短歌会が盛んになっていく事には、間違いはない。しかしそれには、とにかく息長く続ける事と、参加者の質の向上をどうはかるかが重要になってくるように思われる。


先輩も後輩も、初心者も、玄人もいない。皆が対等な者として、ふるまえる場がある。

これがキケルゴ−ルの水平化でありインタ−ネットの目指しているのはいい悪いにしろこういう世界なのだ。インタ−ネットで7年間ほど発言していても個人が自由に発言することができるとなっていたが実際は個の消失というのがインタ−ネットにはあった。インタ−ネットという宇宙的無限の知の世界に個は埋もれその全体のほんの一部としてしか読まれない、評価されないのだ。キ-ワ-ドでペ−ジごとに読んでいるから個人の発言を全部読む人はいないのである。自分自身もそうする場合が多いのがインタ−ネットだった。確かに発言は自由でも個々人の発言はインタ−ネットという全体の中に埋没して一つの索引のようになってしまう。インタ−ネットでは個の権威すら否定されているのだ。あなたという個はない、神のごとき知識の総体−インタ−ネットという全体があるだけだとなる。インタ−ネットは匿名が問題というけど匿名的になりやすい、個より全体としての知識の情報の総体のなかで評価されるのであり特定の個に重きを置かない世界なのである。だから7年間自由に発表できるということで夢中でやってきたがインタ−ネットにも疑問を感じたのである。マスコミの権威、権力の否定は正しいとしてもインタ−ネットがかえって個を消失させるメデアだということに気づいたからだ。



沖縄への団塊の世代の移住お断り(汗と苦労の物語は金では買えない)
http://allabout.co.jp/travel/travelokinawa/closeup/CU20070910A/

NHKスペシャル にっぽん家族の肖像(5) 「おばあの壮絶人生に涙・沖縄戦・開拓・夫の死・孫娘の決断」

●石垣島の明石の開拓

入植から10年ほどは、電気・ガスが通っておらず、農耕の労力として水牛を使ったり、近くの海で魚を捕ったりと、ほとんど自給自足の生活を送っていたとうかがいました
http://www.tsuru.ac.jp/~akaishi/history.html

NHKの放送でわかったのだが石垣島の明石は戦後開拓された場所だから新しい場所であった。戦後各地に開拓に入った人が多かったのだ。それはどこの町でも村でもそういう人たちがいる。戦後も日本は農業中心の経済であり働く場−農地を求めていたのである。そもそも日本の戦争が農業する土地を求めた戦争だったのだ。それが満州に象徴されていた。広大な土地で農業するために移住していった。プラジルなどの移住もそうだった。だから沖縄でも移住した開拓者がいたことは不思議ではない、沖縄は本土とは自然も違う異質の文化圏であるからひかれる人が多い。ここで問題にするのは沖縄に団塊の世代などが移住することで問題起きている、島の人口減で最初は歓迎していたがいろいろ軋轢があり今では団塊の世代移住お断りまでになっている。それはなぜなのか?一つの見方としていくら金があっても金で買えないものがあるということである。沖縄というのは一つの異質の文化をもった別な国であるからそこに移住するとなると自然環境の破壊だとか島の人間関係の破壊だとか介護をあてにしても病院がないだとかインフラを整備しろとか一方的要求ばかり多いとか様々な問題が生じてくる。金を出すんだから俺には住む権利があるとか金ですべてが解決するというのが古くから住んでいる沖縄の人たちには受けいれられない、傲慢なものになる。ここにも金だけでは買いないものとしての問題が生まれているのだ。

●苦労の物語は金では買えない

ここで開拓した移り住んだ人たちの苦労は並大抵のものではなかった。その血と汗の物語は金では買えないのだ。つまり歴史−history-物語であるときその物語は金では買えない、金は万能ではない、ここで前書いた石の貨幣のことを読み返してみた。

その形、石のクオリティ、そしてもっとも重要なのは入手の困難さなのです。 道中で嵐に出くわした(よくあることなのですが)り、人命が失われたりなど、安全に持ちかえるために要した努力が大きければ、その苦労が価値を高めたのです。

南極から北極まで自分の足で答えを探せ!世界一過酷な冒険クイズ(フジテレビ)

http://www.mantaray.com/yap/yap_stonemoney_j.html

この番組は面白かった。石の貨幣が海に沈んでいるのをとりだすのに苦労して取り出し運べば貨幣の価値があがる。そこで酋長にどんなに苦労してその石の貨幣をとりだしたかを報告するのだ。この石の貨幣は切り出すのにも運ぶのは400キロも離れたところから運ぶのでありそれでこの石の貨幣を運ぶ途中に嵐にあい海に沈んだのである。この苦労話に価値があり石の貨幣もその苦労の度合いによって価値が決められていたのだ。このことは沖縄の団塊の移住者にあてはめると団塊の人たちも苦労した人が多いかもしれないがこの沖縄の土地で苦労した人ではない、そこに歴史の継続性がないのだ。明石の開拓で苦労した親の跡を農業を継ぐという娘とは違う、その親はその土地で苦労した話を娘に語りその親の存在感を示すことができる。しかし他から来た人はいくら経済的に成功してもその土地とは関係ないも物語となってしまう。その金の価値はその土地では通用しないことになる。だからいくら金で解決しようとしてもできないのだ。物語は金で買えないのである。

●沖縄には移住より短期の滞在が向いている

沖縄を一カ月旅行して感じたことは沖縄は移住は住みつくことは向いていない、なぜなら島は狭いし限られた世界でありこれは土地でも人間でもそうである。そんなに多くの人を受けいれる余地がないのだ。だから人間的にまだ閉鎖的であり人を拒絶する異様なもの江戸時代のような世界があったことを書いた。見知らぬ人を異常に警戒するし寄せつけないからここの人間関係に入ることは非常にむずかしいだろう。離れ島はある意味で刑務所であり監獄だと思った。非常に限られた狭い世界が全世界になりやすいのだ。たまに行くならいいが住みつくべきではない場所だと思った。それでも那覇には三年も住んでいるという老人などいたから那覇辺りだとそういうこともできるかもしれないが沖縄は短期滞在に向いているのだ。沖縄だけではなく団塊の世代が田舎暮らしにあこがれこるのもわかるが農業するにしてもそれが利益をあげようとしたりしたら挫折する。またいろいろと土地の人と問題を起こすことの方が多いかもしれない、やはり人間は歴史を生きるからその人の歴史とつながる土地と人間が必要なのだ。現代社会は一般的にそうした絆をもちにくい、会社を離れたら自らのアイディンティティを失い地域といってもそこで農業したわけでもないしつながりをもちにくい社会に育っているのだ。沖縄ではおばあと呼ばれる人が健在であり老人が尊ばれる社会が残っている。それはその土地で根付いて苦労した物語をもっているしそれを聞くものとそれに価値を受け継ぐものがいるから成り立つ世界である。だから認知症になっても老人は回りからうとまれず溶け込んでいて病気だとされないという不思議さがある。それはまだ沖縄に社会全体に老人を敬う文化が息づいている、根付いているためなのだ。文化とはそうした全体によって作られるのであり一部分ではない、老人の問題も社会全体の中に位置づけられ有機的に結合されているのだ。老人だけを分離して考えることはない、世代のつながりのなかで老人も考えられている。現代では老人は老人として社会から分離され排除されやすいのである。社会とは文化でありその文化は全体のことであり部分に分解できないのである。それは老人問題でもそうだったのである。沖縄に移住することのむずかしさはそうした文化の中に入ることになるから金があるから何でも受けいれられるとはならない文化の問題として拒絶されたのである。

●沖縄も現代の日本の縮図

一国の問題が縮図のように現れるのは境界となる地域である。韓国が世界の問題の縮図のようになったりしたのはそこで大国のせめぎ合い奪い合いの場となったからである。これは中国−韓国−日本と古代からそうなっていたのだ。沖縄もまた米軍に占領されてそうなった。そこでは多大の犠牲の血が流された。今も米軍基地があり戦後の問題は継続されている。それで沖縄の土地を買ったら米軍基地の近くで騒音がひどいと訴訟した人がいた。これも沖縄にたいして無知であったからそうなっている。沖縄にも日本の歴史が凝縮されて今も継続されているのだ。だから戦争の問題も生々しく語られている。日本人のために犠牲になったというとき日本を外国のように見る。もともと中国文化の影響が大きかったから日本という国と一線を画すことがあった。やはり日本本土から距離的に相当離れているから別な独立の国意識をもつのである。沖縄と北海道は風土的にも異質でありそれが日本を豊かにしている反面、日本から分離してゆく側面もあった。北海道の場合、アイヌは消滅したものとしてあるが沖縄は歴史が継続しているから独立国ともなりうるのである。沖縄にはやはり古いものが残っているということで文化的価値がある。認知症の問題でもそんな世界があるのかと不思議に思ったからである。沖縄とはいろんな面で現代人の癒しの場として最適なのである。ただそこにも戦争というあまりにも深い傷痕や米軍基地という現実に直面している。辺野古という沖縄でも山原の原生林から出てきた所にある小さな町でも米軍基地の問題があり自然の海岸が破壊されるとか反対運動が起きている。そこの海岸に野宿したのであそこが基地になってしまうのかと興味をもった。沖縄には米軍の占領が生々しくつづいていることをこれでも思いしらされる。平和な島に米軍が跋扈して沖縄からベトナムへイラクへの軍事基地として兵隊や物資や兵器が送り出されている基地という現実も沖縄だった。この米軍基地がなくなれば沖縄は本当に癒しの地として最適の地なのである。ただ住みつくことは向いていない、短期滞在が向いているのだ。



江戸時代の停滞文明は現代人の癒しとなる(二つの時代を生きることが必要)

●明治維新は庶民の活力を引き出した

街道の出発点である仙台藩(宮城県)は、敵国であった相馬藩(福島県)の領内の通過を敬遠し、伊達藩以北の諸大名は、強大な伊達藩の領内の通過を敬遠し山形方面への遠回りによる移動を行った。このため、浜街道を参勤交代で用いた藩は、もっぱら磐城平藩や相馬藩などに限られてしまったのである

そもそも江戸時代は藩ごとに仕切られていた時代であり、藩が国であり拘束されていた。身分制は藩の間でもあった。大きな藩と小さな藩では格式があり身分差もあった。だから伊達藩は大藩だからそこを小藩のものが通ると遠慮するしはばかるものとなる。逆に小藩のものが大藩のものが通るときは小藩のものは気を使うとなる。その気の使いようが格式を重んじることが政治だった。だからこの格式の行儀作法から逸脱するこはが原因で赤穂浪士のようになることもあった。つまり他の藩を通過するでだけでも外国に行くと同じだったのである。伊達藩が陸前浜街道を利用しなかったのは相馬藩が敵対する藩だったからである。伊達藩の方を通らず山形から不便な道を通ったのも伊達藩に気兼ねしたからとなる。伊達藩は伊達ものとしてその参勤交代がはでであった。それはまた藩民を疲弊させたのである。東北では豪農とか豪商とか中間階級がなく武士と貧農が主体だった。それで大阪などの経済力とは比べうるものではなく明治維新も一方的に西に押されるだけのものだった。

会津でも明治維新後は士族が残った会津若松が発展せず北方の喜多方が商人が活躍して発展したのも旧弊なものが残っていなかったからである。つまり庶民にとって明治維新が歓迎されたものであり士族は薩摩長州でもかえってその後その地方は封建時代と違うから発展しなかったのである。封建時代だったら藩が主体になるから石高が加増されて藩の力は増大した。その藩もなくなったのだから発展しようがなかったのである。それで士族の反乱が起きた西南戦争になったのである。明治維新が藩とか侍をなくす革命だったということが西郷隆盛すらわからなかったのだ。そもそもそうなるとは思っていなかったのだから別な目的があった。侍や藩は残るものと思っていた。しかし根本的に侍や藩をなくすことが最大の革命だったのだ。廃藩置県になったときそこにはもはや県は藩とは全然違った行政府に過ぎない、隣の県に行くのに関所はもうなかったし商業が盛んになった。この改革は庶民に大きな影響があった。藩民は存在せず日本国民になりその代わり国民皆兵となり国民一人一人が兵役の義務が課せられたのである。明治維新と同時に鉄道が全国に普及していったのも日本が交通で一体感をもつのに拍車をかけた。駕籠の時代からすると飛躍的な進歩だった。明治になって人口が二千万もふえたということはいかに庶民から活力がでてきたかわかる。

明治時代になると中央政権ができてかえって薩摩長州土佐肥後など明治維新の牽引力となった藩が武士の身分に固執して中央政府に反乱を起して人口も増えず発展が停止したというのもそのことを物語っている。会津藩士で中央政府は差別なく採用しているし出世ひた人もいたから明治維新を否定するだけの恨み節は合理的解釈ではない、感情的に小説家などにより作られたものでありそれに過剰に反応しているのだ。歴史を合理的に見ず感情的に見ると一方的になってしまうのである。中国でも韓国でも冷静に見ず恨みだけが感情的に拡大化して日本を責めることになるのだ。これは会津とにているのだ。磐城は人口が明治になり増大したし相馬も継いで増大した。磐城の人口増加はやはり東京と直結した結果である。江戸時代は今から見ると停滞文明になっていたのだ。ただそれは一面ふりかえると停滞文明がよく見えるのは現代はあまりにもその反対の高速文明になっているからである。江戸時代に癒しを求めるのは現代の凄まじい高速文明の結果としてそうなっているのだ。でも江戸時代でも一日40キロも歩くとしたらその歩くスピ−ドは早いしのんびりしていられない、だから朝早くたち足早に歩きつづけねばならない、歩くのに忙しかったとなる。それが現代からみて遅くのんびり感じられるのは車とか新幹線を基準にしているからなのだ。江戸時代からすると百倍も早くなっているから遅いと感じるのである。

●江戸時代−停滞文明の意義

江戸時代を理解することは一方的な思い込みなどが多くなる。江戸時代だけではなく過去はその時代の現実ではない、今の時点から見た想像した過去なのである。だから江戸時代について美化したことを書いてきたがその当時に生きる人の実感とは違っている。そもそも江戸時代を実感すること自体できないのだ。だから勝手な思い込みで書いているだけなのである。例えば江戸時代は深い闇があった、その闇があったからこそ明かりは幻想的に見えただとか書いた。でも明治になってガラスが入りガラス窓になったとき一番良かったのは光を取り入れること明るくなったことだいうとき陰影礼参というのも日本の文化にしてもそれは暗いものとして嫌われ当時としてはガラスは歓迎されそこから入ってくる光は新鮮なものであったのだ。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。-漱石「門

硝子から入ってくに春の光は今まで経験しない光だったのだ。襖から障子に発展したように障子も明かりを取り入れるものだったが硝子はまさに光を取り入れるものとしては障子の比ではなかった。夜が暗くて長いことは仕事するにもさしさわりがあるから古代から朝廷というのもわかる。朝早く宮廷に出勤することになる。自然のリズムに従って生活することになる。だから江戸時代を知るには明治時代を知るとわかりやすいのだ。明治は劇的に江戸からあらゆる分野で変わってしまったからである。
江戸時代の魅力(江馬細香の漢詩から)

江戸時代はなぜ駕籠のようなものが人間が担ぐ原始的なものが運搬手段だったのか、なぜこうした荷車など車をついたもので運搬しなかったのかとかそれは発明できないのではなく上からの藩からの規制でそうさせなかったという論文がある。江戸時代は技術の発展を敢えて制止した社会でもあった。そうでなければ駕籠のような原始的な運搬手段であるはずがないというのもうなづける。川でも駕籠で担いでわたるというのもそうである。橋を防衛のためにわざわざ作らなかった。升形というのもわざわざ通りにくくしたりと藩は防衛のためにわざわざ不便にしていたのだ。運搬方法も牛車−馬車−駕籠でありかえって江戸時代に停滞した、退行していったという不思議があるのだ。技術はたいがい競争して進歩してゆくのが普通なのだが江戸時代は退行していたのである。それは藩の格式とか藩が経済の取り仕切り他藩は外国となり流通も自由でなかったからである。

●江戸時代が現代の癒しとなる

江戸時代に生きる人は現代を知らないのだから自分たちの生きる時代がどういうものか知り得ない、しかし現代に生きる人間は常に現代を基準にして比べて江戸時代を想像して作り上げるのである。そこに時代の相互交流が起きているのだ。二つの時代を生きることができる。二つの時代を行き来することができる。人間は空間的にも時間的にも二つの世界を行き来するのが人間の特徴である。ただ時間を行き来するには相当な想像力が必要になる。それで一面人間の見方は江戸時代より豊かになっている。江戸時代には鎖国という閉鎖的時代のなかでしか生きられないが今の人間は視野がグロ−バル化として庶民までそうなっている。アメリカでは今の時点からしか物事を見れない、江戸時代もないし過去の歴史が極めて短いからである。過去に帰るといっても百年くらいの西部開拓時代でありその歴史と江戸時代3百年は相当違ったものでありその歴史を作り出すことはできないのである。そこに癒しの時代がない、現代だけに生きる性急さがでてくる。アメリカにあるのは現代史だけだとなるのだ。つまり奇妙だが江戸時代が癒しとなるのは現代という高速、高能率、競争社会、ストレス社会・・・こうした現代社会になったからこそ江戸時代に回帰する心が生まれる。逆に江戸時代に生まれた人は現代をしりえようがない、現代を知ったら江戸時代の閉塞した世界に住めるものではなくなってくるのだ。

高齢化社会でもアメリカでは現代からしか見られないが日本では江戸時代から見ることができる。江戸時代は一面高齢者には環境的に住みよかったのである。スロ−ライフだった。隠居文化があり老人は敬われていた。その名残が沖縄に残っているのだ。そこで認知症の人も地域で暮らしていて病気ということがわからずに暮らしているという。認知症を病気としてではなく老いとして見て家族でも回りでも老人を敬っているというから不思議である。高齢化社会は現代の高速、効率、競争社会をゆるめる作用がでてくる。それは江戸時代にそうだったのであり高齢化は江戸時代を自ずと高齢者のなかに作り出してしまうのである。アメリカも若いことが価値がある社会だが高齢化社会になるからその価値観も変わってくる。江戸時代的価値観の社会に変わらざるをえなくなるのだ。老いた人は能力がなくなるのだからすべてを能力主義の競争だけでは社会はやっていけなくなる。ただアメリカには老いの文化が歴史的にはないからそれはアジアから学ぶことにもなる。



私のサイトに来たキ-ワ-ド(年の暮の感想)

渡辺高裕

この人に関心をもつづけている人がいる、地元だとやはり衝撃的な事件だった
マスコミではその場限りで一回で報道は終わるが地元ではいつまでも関心をもちつづける。それが今度は伝説とか昔話とかなってまで語られたである。ここがマスコミが報道するのと地元の人が受け取る重みが違うのである。全国的に関心のないことでも地元の人は関心をもちつづけるのだ。

トヨタ 期間工 宮城

トヨタはどうしても話題になる。大衡村ではトヨタの従業員が5千人とか移住するというから驚きだ。そうなればトヨタの力は大きくなり村を支配してしまうのもわかる。トヨタはそれだけ影響力があるから誰もマスコミでも宣伝費もらうから悪口は言えないのだ。親戚の人も期間工に行っている。いろいろ文句言いたい上の人に訴えるとか言っているから人使いに問題があることは確かである。

大堀相馬焼 陶器の販売工夫

相馬焼は江戸時代に百軒とかあり江戸時代が全盛時代だった。相馬から各地に広がり売れたのである。それだけ相馬焼はいいものブランド品として売れたのである。ところが明治時代になり競争が激しくなって売れなくなったのだ。これもグロ−バル化の影響だったのである。明治からすでに経済であれ何であれグロ−バル化でありそれが大戦争に結びついたのである。その証拠に江戸時代の3百年は鎖国でも国内だけで平和が保たれたからである。グロ−バル化すると陶器でも全国との競争になるから苦しくなるのだ。伝統を活かし新しいものを作る工夫が必要になって行く。販売の工夫となるとむずかしい。あまり売れなくなっているのかもしれない、他にいろいろありすぎるからである。

横手 廃れる 衰退 都市 南相馬市

地方の衰退はますますひどくなるのか、南相馬市もそうなのだろう。20年後とかの経済でも南相馬市辺りは衰退地域になっていた。火力発電所くらいが金をかせぐものになるのか、工場団地もあるから東京に近いからそんなに悪くないと思っていたが現実はそうではない。宮城県だけは仙台がありいいのかもしれない、宮城県は全般的にいいのである。仙台から波及するからいいとなる。地方では廃れるということで危機感をもっている人がかなりいるだろう。選挙でもその危機感が自民党の敗北の原因だった。その危機感は大きいのである。地方の経済の問題もグロ−バル化が原因しているからこれまたむずかしいのである。グロ−バル化は世界的に格差社会を作り出す世界競争のことだからである。

高等遊民になるには

こんなことを探しているのはやはり今の時代を象徴している。佐世保の銃乱射事件でも37才で仕事していない、唯一の趣味が拠り所が銃であり銃マニアだった。仕事しないとこういうことになりやすい、世間からひきこもり銃が全世界になってしまう。「小人閑居して不善をなす」は若い者だけでなく老人にも起こっている。暇をもてあます人がふえてきているからだ。それだけの金の余裕のある人もふえたからそこで不善をなすとなる。自分もそうだったかからこれはよくわかるのだ。世間から離脱する上野霄里氏の思想は過激でありあれが極端になり悪い方になるとこんなふうになるかもしれないのだ。世界を放浪している、外国の安宿に一年とかぶらぶらしている人の将来はどうなるのか?そういう生活の味を覚えたものはなかなかぬけられない、そのままぶらぶら人生の終わりまで放浪になってしまうかもしれない、その中で世界放浪者として名をなす、世界旅行案内人となる人もでてくるがこれはまれである。こういう人も天才なのである。優秀でない、天才でもない芸術家志望が巷に何百万人もあふれ時代も異常なのかもしれない、それだけ経済的に余裕ができたからである。

一生で得られる情報量 江戸時代と比較

江戸時代のことかなり書いてきたのでキ-ワ-ドでくる。一生で得られる情報量は百倍になっている。だからといって人間は畏くもなっていない、知識がふえても人間は賢くはならない、江戸時代の人間の方がかえって人間として威厳があり立派だったとか見直される。あまりに情報が多いと人間は判断できなくなる。それは今やグロ−バル化して世界のことまで考えねばならないしあらゆることが情報が多すぎて判断できない、江戸時代のような狭い情報空間なら判断するのも楽である。今は多すぎるから判断できないという皮肉があるのだ。インタ−ネットでも情報が爆発的にふえてさらに情報のカオスのなかで判断できなくなる。情報スモッグという本を出した人がいるが本当にそうである。今やそれぞれが読者を得るために苦労せねばならぬ。自分が発した情報の読み手を求めているのが現代である。マスコミでもデジタル放送でも50局とかなるとそれを選び見ることになりみんなが見る番組はなくなってしまう。インタ−ネットでは億の局があるのだからそんなのに目を通すことはできないのである。

原因は 全滅の恐れ 地球温暖化 動物

Tuvalu(ツバル)から自分のホ−ムペ−ジにアクセスがあった。これは一番めずらしい。一応ほとんどの国からきている。さほど意味のないかもしれないがインタ−ネットは一応世界からアクセスされるものということがわかる。ツバルは海に沈んで消えてしまう島、国である。それでなんとかしてくれと世界に訴えている。地球温暖化で最も早く被害を受けた国となる。地球規模になると人間はこれまた情報的に処理できなくなる。いろいろ考えても科学者でもないしわからなくなる。でも動物が種が減って地球上から消えることは人間に必ず影響する。人間も地球の生物だから生きにくくなるのだ。人間が生物の種を保存することは神から託されたことだった。それを守らないとなると人間自らも滅びる、神から滅ぼされる運命にあるのかもしれない、いづれにしろ人間はいづれ滅びる、それが何になるのかはわからない、地球の生態系の乱れなのか核戦争なのかどちらにしろ滅びはくる。だから脱出が聖書のテ-マだったのである。

貨幣 金は天下の回りもの

金は天下の回りものというときこれは国内で考えていたのだ。今はグロ−バル化で世界で金が回っている。今は中東が石油で潤い逆にアメリカがサブライムロ-ンで苦しみ投資されている。日本にも中東の金が投資されている。中東には金が回りたまっているから逆流してきている。まさに金は天下の回りものなのである。金はどこかにたまる、たまった金はどこかに回ってくる。金は一カ所に滞らない、溜めていても金はふえないからだ。金を増やすにはまたどこかに投資するほかないのだ。貯金していても金は目減りしている。金は投資、使わない限りふえないのである。

高齢化社会 良い面

高齢化社会がすべて悪いとはいえない、いい面もある。それは高齢者は弱者になるから弱者にやさしい社会となる、高齢者をいたわることは弱者をいたわることであり協力して弱者を助け合う社会となる。一般的に病院でも福祉施設でも互いに病人を弱者を障害者を助けるために協力する場であり一般社会の競争社会とは違う、絶えず病人を弱者をいたわる、看護し介護する世界はやさしさが要求されるのだ。人をおしのけて自分だけが金持ちになるとか出世するとか強者の論理ではない、助け合い協力する社会をめざすのである。もう一つは高齢者にやさしい社会は意外と若者にとっても住みやすい居心地いいものとなる。車に乗れない高齢者のためにバスとか他に近くの交通が便利になるかもしれない、車だけの社会が変わるかもしれないし他にいろいろといい面はある。ただ悪い面もあるのでその辺は高齢化社会は未知の社会だからわからないのである。

この二年間は家族の認知症介護で追われた。これほどショックなことはなかったし毎日、一日も家事で休むことができなかった。遠くへ出かけることもできなかった。こんな生活になるとは思いもよらなかったしこういう生活から脱出する方法も今のところ見当たらない、つまり自由に旅行できた身分から囚われの身になったのである。

何年かぶりにキ-ワ-ドでふりかえってみた。反応はキ-ワ-ドしかないからだ。アクセスはホ−ムペ−ジで250とか減っている。プログで250とすると合計で500となる。この辺は変わらないみたいだ。とにかく今年も終わりだ、認知症で明け暮れた二年間であった。人間はみんな追われているのかもしれない、生活はそういうものなのだろう。自分はあまりにも30年間恵まれていたから人並みに生活に追われるものとなったのである。何かと毎日が追われる生活なのである。だから暇なとき余裕のあるときのように時事問題も書けないのである。朝昼晩を一応最低限でも用意することは結構手間なのである。だから何かと疲れたというのもこの二年間だった。でも今は落ち着いているし楽になった。認知症もその人のいいようにしていれば不満がないから暴れたりしない、それがそれぞさの家庭でできないから暴れたり騒いだりするのがこの病気の特徴のように思える。極端に忘れるのは病気でもその他の問題行動は抑えられるのではないか、そういう環境を整えれば抑えられる、盗んだとかも今は言わないからである。