小林勇一作
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イスタンブ−ルの安宿
イスタンブ−ルに集まりしもの、スルタンの集めし特大の宝石、中国景徳鎮の壺日本の有田焼きの壺、エジプトの品々、物のみならじ、ハ−レムにロシアの美女やブルガリアの美女、東洋の美女、アフリカ黒人の宦官、人もまた集められぬ。有田焼き、伊万里焼きというのはベトナムからインドネシアからエジプトのアラブの今のカイロの廃虚の都市の跡からも発見されているしヨ−ロッパにも渡ったのだから広がりがあった。今場末のドミトリ−にイランやシリア、ヨルダン、イスラエルから・砂にまみれ日に焼けた世界のバックパッカ−が集まり混じり合っている、蜂の巣をつついたようなその宿に世界の言葉が入り乱れ飛び交う。 ここはアジアとヨ−ロッパの境、交わる所、古来より様々の人が行き来し交わりぬ。靴みがきの少年達の中にはクルド人もいた。アフガニスタンから手作りの革製品を売りに来た者もいた。その顔は日本人にそっくりだった。
そこにすでに五〇を過ぎて世界を旅している人がいた。頭は半分以上はげていて身なりは若者のパックパッカ−と同じだった。会社では上役だったのだが会社内で指導権、権力争いがありやめたとか言っていた。出身は名古屋でそこでしきりにS団体のことを口惜しそうにぼやいていた。
「あいつらは選挙になるといくら言ったってだめだった、どうしても会社を休み選挙運動に出て行く、会社では困ると言っても圧力をかけてくるからだめなんだ、名古屋はS団体の勢力が強い所だからどうにもならなかった・・・」
なぜS団体があのように力を持ったかというと宗教だけの問題ではない,商品券であれなんであれ世俗的利益追求であり功徳としてこの世のものを物質を与えることが目的だからだ。生活保護の所帯はS団体か共産党に入っているのもそのためである。名古屋の安い住宅街をを通ったらS団体と共産党の張り紙だった。おそらく全所帯がどっちかに所属していることは確かである。S団体は一票とれならどんな人でも入れることがそのことを物語っている。宗教団体より政治団体なのである。西洋の千年の聖俗の権利争いとも違う極めて次元の低い欲得の争いにすぎないのである。そこは世俗そのものだからどろどろとした欲望が渦巻いている。
トルコではアタチュルクが政教分離を実行して近代化した。政教一致になるとどうしても近代化することはむずかしい。そもそもなぜ政教分離というものが出てきたのか、それは歴史的過程の中で必然的にできたものである。歴史の経験から生み出されたものであった。それはロ−マで政治化したカトリックから分離するための戦いだった、カトリックは土地を所有したり世俗に強大な権力を有していたのだ。ヨ−ロッパの歴史そのものがこの強大化したロ−マカトリックとの闘争だったからその無益さを解消し政治を世俗のものとして効率的に運営するため政治は政治の世界として政教分離を法律としたのである。とにかく千年以上この争いは続いたのだ。イランではまたホメイニの宗教革命から今度は近代化の言論の自由などを求めて若い勢力が聖職者の政治家と戦っているからこの戦いは一つの世界史的歴史的戦いといえる。マルクシズムでもイスラム原理主義でもこの世に理想郷を実現させようとする、しかしそれは土台無理なのである。共産主義の混乱と悲惨がそれを証明した。
こうした歴史にもとずくものを否定することはまた同じ過ちを繰り返すことになる。イスラム教国が政治的にも経済的にも停滞する原因は政教一致にあるかもしれない,政教一致にすると世俗的活動は制約するし自由な活動が制限されるからである。世界が民主主義とイスラム圏や共産主義国家と対立を生んだのは民主主義は政教分離であることもその一因である。一方現代は民主主義であれなんであれ大衆化の方向に向かってをりこれは容易にファシズムになりやすいという危険性をはらんでいるのだ。民主主義と愚民主義、大衆主義、は紙一重であり大衆主義とは世俗物質主義、欲望快楽追及である。これはいつの世でも同じだったが民主主義であれ共産主義であれ歯止めがきかなくなる。人間が蟻の大群のように押し寄せてこの世界を欲望の荒野としてしまう恐怖である。
ただイスラム原理主義というのは貧富の差の激しいトルコなどでは貧民層の味方となっているから社会主義とにた所もあり簡単に宗教問題だけとはいいがたい、政治化した問題がイスラム原理主義のテロを生んでいるのだ。宗教者もまたそういう不満層を組織化し政治的に力を持つことを考える。世界は膨大な貧困層をかかえてをり先進国に住むものはその悲惨さを肌で感じ得ず鈍感になっていることなのだ。エジプトでの日本人の新婚旅行者が10人も無惨に殺された事件には震撼とした、あまりにむごすぎた、そこには思想以前の恨みや憎悪が動機としか言いようがない、やはり貧乏というものがそのように人を残酷にするのだろうか、西洋人に対する恨みは深い。確かにその人が偉そうに髭なんかはやしているがたいしたことないとかアラブ人が低く見られるのは国際的地位とか歴史的に主導権を失ったためである。
アラブ人の髭
アラブ人は誇り高い
アラブ人の髭はご立派
だけどなぜか滑稽にも見え
何かその髭の威厳はこけおどし
それは何故か
過去の栄光を刻んだ王の彫刻のように
確かに過去の栄光が彼らの肩にある
しかしその栄光は砂に埋もれ
砂漠の中に幻影のように残り
その誇りも虚しい
ヨーロッパに蹂躪され続けた
彼らの誇りは何か
唯一の神アラー
そして石油
そこにいらだちがあり
ロバとラクダが歩む街にアラーの祈りがひびき
古い年代ものの絨毯に額ずき祈り
古い日本の車が砂煙をあげ突走り
日本の企業戦士が暑さにもめげず
かつての栄光の地に商品を売り歩く
その積年の恨み反感は大きいのか
テロが西洋人(日本人)に向けられる
その人とはイスラエルで会い「地球の歩き方」を10ドルで買った人でまたイスタンブ−ルで合ったのだ。このイスタンブ−ルのバックパッカ−の安宿街でまた合ったのだ。そこで一日二日行動を一緒にした。この人はイランに行きたいらしくビザをとることで難儀していた。イスラエルでヨルダンに行く時もそうだったしここでもみんなそれぞれビザをとるために苦労していたしイランからウクライナに向かった9ケ月も旅している人は二週間待っていやになったと言っていた。東欧であれ中東はビザをとるに苦労する所なのだ。
その人は若者と一緒のドミトリ−にしか泊まらないし若者からいろいろ情報を仕入れるためにそういう場所に泊まっている。この辺の旅行には直接人づての情報が必要なのだ。普通の人にまねできない、意志の強さを持っている、旅の動機としては子育ても終え妻は働いているから会社をやめてなにもすることがなく世界を旅行している。インドから中国からむずかしい所をほとんど旅行している。シリアであったか子供に金せびられて断ったら大きな石を投げられたとそれも大きかったので岩陰に隠れて難を逃れたと話していたが確かに怖い話である。 それそのはず彼は物売りの子供が来たらうるさいと言って蹴飛ばしていたから普通の人ではない、私の場合は子供の靴磨きが来て靴を磨かせてくれというからズックなので必要ないと言ったら「ハングリ−ハングリ−、バクシン、バクシン」と言う、靴みがきより乞食である。しかたなく靴をみがかせてやったら高い金を請求された。半分にねぎって追っ払った、他にも一杯靴磨きをいてうるさいのだ。しかしパクシ−ンで金をやらないと身に危険が及ぶことがあるから多少の金はやった方が安全だと思った。ただ彼はそうした無駄な金は全く使わない、彼はなんの原因か知らないが腕の所が腫れ上がっていた。私は二ケ月近く旅してへとへとになっていた。暑い所を旅して胃腸も悪くなっていた。それなのに彼はまだ暑いイランの方に旅するというから驚く、若者ならわかるがあれだけの年だと苦しいはずなのだがなんかそういう苦しさを意に介さない強さの持ち主であった。人に同情しないしただ冷たい所はあった。過酷な旅をまだ続けるというのだからあのくらいの強さがないと外国の旅は続けられない。もう何ケ月旅しているのか。半年も旅している時もあったようだ。
この宿は絨毯屋も経営してをり絨毯の話ばかりしているからここを移るとその人は言っていた。確かに絨毯の話ばかりで買わない興味のない人には嫌になるしいずらくなる。ここの人はプロが使うような大きなビデオカメラを持っていたしそれでとって来た海峡のビデオを見せてもらった。トルコでは金持ちである。ただその人が言うには「最近もうけた成り上がり者だ、資産があって事業したわけではないから余裕がないんだ」
とかなんとか言っていた。この人は営業の方をししていたのでその人がどんな人かすぐに判断してその長所欠点人となりを判定している。世間の裏にも通じた人と言えるかもしれない。
●場末の絨毯屋
この場末の絨毯屋には古物の絨毯や使い古した切れ端が集まってくる。赤ん坊を入れて揺り籠に使ったもの、天幕に使ったもの、ラクダにのせた入れ物、手作りの模様がぬいこまれている。一人前の女性になるを祝う頭の飾り、金属が帽子にぬいこまれまるで呪文のように祈りのように頭を飾る、そこには何か拙いが人のあたたかい血が通っている・・娘に対する親の愛、祈りのごときものが・・絨毯はまた地域ごとにその模様が違っている、部族ごと代々伝えられた模様がある・・その模様も結婚などを通じて混じり合って独特のものに発展してゆく、TEXTには織り出すという意味があり文字通り絨毯の基となるものがTEXTであった。・・・イランの絨毯あり地中海沿岸アナトリア方面の絨毯は陽気で楽しい、絨毯は常に遊牧民の生活とともにあった、絨毯の上を歩む時その感触はマイホ−に帰るごとし、その柔き感触は母の如しやあたたかく絨毯は家族を包む、絨毯はまたラクダにのせてはるか遠くへと家ごと移るのだ。天幕は包む(パオ)とも言われているからだ。
胡座(あぐら)とは胡人の風習で絨毯の上で自然とそういう仕草となる。万葉集にもアグリという名前の人が出てくるし羊という姓も・・・というのに記されている。一部にしろ遊牧民騎馬民族関係の一群が大和にも入って来たことは確かだ。絨毯の上で神に祈りまた絨毯の上で食事し絨毯の上で眠り絨毯に包まれ日々を過ごす、絨毯に遊牧民の生活が長い歴史がしみついている。今この宿の部屋にはブルガリアの絨毯が飾ってある・・・私は草木染めの多少色褪せた花模様の絨毯を買った・・・
毛という語も朝鮮語のkalkiからトルコ語のkilで同源でKILIM(キリム)というのは毛織の意味になる。毛を意識するのは羊の毛でありその毛から織物が発達したから遊牧民から伝わった言葉ともいえるかもしれない。 ヌノは日本語であった、毛野氏という古代の一族ももしかしたらそういう渡来人の一派だったかもしれぬ、なぜなら羊・・という人は明らかに毛野氏の領域に移住した渡来人であったし羊といえば毛を扱うものであり織物の技術を伝えたことも考えられる。織物の技術を伝えた人が神社として祭られてもいるので織物には奥深い文化がある。。こんなふうに考えるとトルコの絨毯も日本と結びついてくるから不思議だ。
実際山羊の毛の白いのや黒いのをそのまま使った絨毯があった。ある部族の名は山羊の毛で織ったテントからきているというし楼蘭の美少女のミイラも毛織物で包まれていた。絹もキヌでケヌとなり毛の布の意味かもしれぬ、絹はイスタンブ−ルのベズヤットで売られていた、ベズヤットは絹を意味していた。今でも絹の絨毯は高価である。それは火をつけても燃えないのである。手ざわりも実にいい。絹を作る技術が伝えられた話も面白い。 カイコは東トルキスタンに伝播されそこから西アジアやロ−マに伝播された。ロ−マ人は絹と東トルキスタンをともにセレスと呼んでいた。セレスは中国の呼び名ともなった。
日本のJAPANが漆として知られたようにその国の特産物が国の名となることがある。エジプトの植民地とされたヌビアは金の意味でヌビアから金を輸入してエジプトの黄金文化を作った、ヌビアン人というと金を持ってくる人間であり人間と意識される前に人間の物欲が先だった、もちろん人間も奴隷にするくらいだから人権などという意識は近代までどこにもなかったのである。 この古物の絨毯屋では日本人が働いている。その人はヒッタイトの青銅器だという象の置物を農民から買うかと迷っている、まがいものかもしれないが本物でもあるかもしれない、判定はできないという。そんなものもまたここに集まってくる。ヒッタイトというそんな古い古い時代のものが掘り出されまた語りだしたりする、ヒッタイトはエジプトのラムセス王と戦いラムセス王はその武勲を誇らかにヒエログリフに書かせ石に刻ませぬここには物のみならじ人も集まってくる。ヒッタイトは最初に鉄を生み出したことで知られ二輪の馬車の戦闘集団も編成した強国だったのだ。
その戦争の発端となりしはアム−ル王国を巡ってであった。あたかも朝鮮の百済や新羅を巡って唐と大和の争い綱引きのありしごと古今東西争いの原因はにたものがあった。それがいかに古きかはモ−ゼがヘブル人を率いて脱出する前の話だからだ。ここのトルコ人は日本人と結婚しているし他には磐城の女性と結婚してしいた絨毯屋もいた。トルコには日本人と結婚した人は百人もいるというのもうなづける。日本語が盛んに飛びかっているからだ。日本語もトルコ語と同じアルタイ語系でにている、それで覚えやすいと・・トルコ語を知っていると中央アジア圏は旅しやすいと・・トルクメニスタンなどトルコ系の民族国家がある。騎馬民族の発祥地は今のウクライナ辺りでスキタイであり遊牧民の発祥地はトルクメニスタン辺りでそれがモンゴルの方に伝播したというのが順序である。トルコというのは中央アジアの生みの親という面を持っている大きな民族でもあったのだ。
青銅器はトルコのアナトリア地方が発祥の地とされオリエントから戦車や暦や天文学、城郭都市などがセットになって中国に伝播したのである。鉄器もアナトリア地方からメソポタミアに伝わり強力な都市国家や中央集権国家が形成された。これは日本も例外でなく日本の統一も鉄に係わっていたことは確かなのだ。だからオリエントと中国の文化には天を祭る儀式など共通性があるのだ。十二支なども星占術から伝わった十二宮の生物を基本にして中国的なものにしたものなのだ。中国には農耕的文化とされているが遊牧民的文化が色濃く反映されている。日本には確かに騎馬民族征服説があるから遊牧民的文化は顕著なものとして反映されていない、極めて農耕的社会なのである。ただ秦の始皇帝の中国を統一した国家も西域の胡人、遊牧民や騎馬民族の影響が大きかった。トルコの呼び名は突厥らしい、強力な国家の形成には騎馬軍団という軍事力がものいったから日本でもなんらかその指導層にそうした人達が入って来たことは考えられるし巨大な古墳については説明されないものがあることは言える。
とにかくトルコやトルクメニスタン地域は文明の遙欄の地域だったのだ。今は最も看過された忘れられた地域となっている。その端の極東の日本やそのまた端であったヨ−ロッパがそして今やアメリカが歴史の主役、繁栄の地となっているのも歴史的順序でそうなっているのかもしれない、文明も序々に繁栄の地域が周辺に及んで遂に極東の日本から未開のアメリカ大陸と一巡して日本と結びついてくるから不思議だ。 実際山羊の毛の白いのや黒いのをそのまま使った絨毯があった。ある部族の名は山羊の毛で織ったテントからきているというし楼蘭の美少女のミイラも毛織物で包まれていた。
絹もキヌでケヌとなり毛の布の意味かもしれぬ、絹はイスタンブ−ルのベズヤットで売られていた、ベズヤットは絹を意味していた。今でも絹の絨毯は高価である。それは火をつけても燃えないのである。手ざわりも実にいい。絹を作る技術が伝えられた話も面白い。 カイコは東トルキスタンに伝播されそこから西アジアやロ−マに伝播された。ロ−マ人は絹と東トルキスタンをともにセレスと呼んでいた。セレスは中国の呼び名ともなった。日本のJAPANが漆として知られたようにその国の特産物が国の名となることがある。
エジプトの植民地とされたヌビアは金の意味でヌビアから金を輸入してエジプトの黄金文化を作った、ヌビアン人というと金を持ってくる人間であり人間と意識される前に人間の物欲が先だった、もちろん人間も奴隷にするくらいだから人権などという意識は近代までどこにもなかったのである。 この古物の絨毯屋では日本人が働いている。その人はヒッタイトの青銅器だという象の置物を農民から買うかと迷っている、まがいものかもしれないが本物でもあるかもしれない、判定はできないという。そんなものもまたここに集まってくる。ヒッタイトというそんな古い古い時代のものが掘り出されまた語りだしたりする、ヒッタイトはエジプトのラムセス王と戦いラムセス王はその武勲を誇らかにヒエログリフに書かせ石に刻ませぬここには物のみならじ人も集まってくる。ヒッタイトは最初に鉄を生み出したことで知られ二輪の馬車の戦闘集団も編成した強国だったのだ。
その戦争の発端となりしはアム−ル王国を巡ってであった。あたかも朝鮮の百済や新羅を巡って唐と大和の争い綱引きのありしごと古今東西争いの原因はにたものがあった。それがいかに古きかはモ−ゼがヘブル人を率いて脱出する前の話だからだ。 ここのトルコ人は日本人と結婚しているし他には磐城の女性と結婚してしいた絨毯屋もいた。トルコには日本人と結婚した人は百人もいるというのもうなづける。日本語が盛んに飛びかっているからだ。日本語もトルコ語と同じアルタイ語系でにている、それで覚えやすいと・・トルコ語を知っていると中央アジア圏は旅しやすいと・・トルクメニスタンなどトルコ系の民族国家がある。騎馬民族の発祥地は今のウクライナ辺りでスキタイであり遊牧民の発祥地はトルクメニスタン辺りでそれがモンゴルの方に伝播したというのが順序である。トルコというのは中央アジアの生みの親という面を持っている大きな民族でもあったのだ。青銅器はトルコのアナトリア地方が発祥の地とされオリエントから戦車や暦や天文学、城郭都市などがセットになって中国に伝播したのである。
鉄器もアナトリア地方からメソポタミアに伝わり強力な都市国家や中央集権国家が形成された。これは日本も例外でなく日本の統一も鉄に係わっていたことは確かなのだ。 だからオリエントと中国の文化には天を祭る儀式など共通性があるのだ。十二支なども星占術から伝わった十二宮の生物を基本にして中国的なものにしたものなのだ。中国には農耕的文化とされているが遊牧民的文化が色濃く反映されている。日本には確かに騎馬民族征服説があるから遊牧民的文化は顕著なものとして反映されていない、極めて農耕的社会なのである。ただ秦の始皇帝の中国を統一した国家も西域の胡人、遊牧民や騎馬民族の影響が大きかった。トルコの呼び名は突厥らしい、強力な国家の形成には騎馬軍団という軍事力がものいったから日本でもなんらかその指導層にそうした人達が入って来たことは考えられるし巨大な古墳については説明されないものがあることは言える。
とにかくトルコやトルクメニスタン地域は文明の遙欄の地域だったのだ。今は最も看過された忘れられた地域となっている。その端の極東の日本やそのまた端であったヨ−ロッパがそして今やアメリカが歴史の主役、繁栄の地となっているのも歴史的順序でそうなっているのかもしれない、文明も序々に繁栄の地域が周辺に及んで遂に極東の日本から未開のアメリカ大陸と一巡して日本とアメリカが世界の大国となっているのも不思議なことではないかもしれぬ
図式化すると
鹿 ⇒狩猟
羊 ⇒移動・貨幣
ロバ ⇒地域的村
ラクダ⇒ 砂漠・交易 シルクロード
馬 ⇒遊牧民・騎馬民族 ジンギスカーン
船 ⇒ヨーロッパ
自動車
飛行機
通信
世界史を動かしているものが移動する手段に負っていたことである。船というのがまさにコロンブスの新大陸発見につながり船によって新しい世界が開かれたことで重要であった。現代は最後の情報革命の時代に突入している、これまでは物の流通が世界を変えたのだがこれからは情報の流通が世界を変えるのでしる。情報には様々なものがあり心に関係してくるからこの革命は人類の最後の革命として行き着いたものである。おそらくパソコンにすべての頭脳がつながり一つの人類の知の一体化を目指している、そうした未知の壮大な夢がパソコンにはあるのかもしれない。
さてウジ(氏)は生み血でありこれは朝鮮語のウル(族)と対応し蒙古語ではウルでありトルコ語、キリギリスの方言ではウル−となり父系を継ぐ一族を現すもので母系ではないウカラ・ヤカラのカラも一族の意味で加羅、伽耶という語も一族を示すものだった。韓国では極めて一族を大事にしていることで知られている、その姓も金とか・とかで少なく結婚する時困るとか族譜を大事にするとか一般的に世界からみると中国でも姓は少なく一族がまとまる、部族、血筋を重んじるのが普遍的だが日本の姓は土地の名前に由来したものが多い、必ずどこかの土地の地名にゆきあたる、ということは苗字というごとく田に由来しその小さな土地で共同して働いて来た歴史を物語っている
日本ではその土地から離れて生活は成りたたないから土地が最も大事であったがまた逆に土地に縛られるものとなり村八分が最も重い罰のように土地から離れて暮らせない風土であったのだ。一方遊牧民社会では土地より数少ない井戸や羊を守るためゆ武勇とか指導力が問題にされた。遊牧民の物語である聖書ももともとはそうした指導者の物語に由来していたのだ。ある人の指導力が部族全体の運命を左右した物語である。農耕社会ではそういうことはなくむしろみんな同じに和して共に働くことがアイディンティを形成することであり一緒に働くこと自体に価値を見いだし共同性を培うものだったのだ。だから現代でも一緒に働く会社という場が村になったことはうなづけるのである。社自体社(やしろ)に会すという意味なのだから。 お勤めするとは仏様にに祈ることでもありまた働くことでもある。西洋ではアダムが神の命に逆らって働らくことが呪いとなったこととはその根本からして違っている。日本人を働き蜂として批判されるようになったがそもそもその国の成り立ちやら歴史を知らことなしに早計にかたるべきではない、そうなるにはそれなりの事情があった。
カイコは東トルキスタンに伝播されそこから西アジアやロ−マに伝播された。ロ−マ人は絹と東トルキスタンをともにセレスと呼んでいた。セレスは中国の呼び名ともなった。日本のJAPANが漆として知られたようにその国の特産物が国の名となることがある。エジプトの植民地とされたヌビアは金の意味でヌビアから金を輸入してエジプトの黄金文化を作った、ヌビアン人というと金を持ってくる人間であり人間と意識される前に人間の物欲が先だった、もちろん人間も奴隷にするくらいだから人権などという意識は近代までどこにもなかったのである。
またインカ帝国を滅ぼしたスペイン人はインディオを人間であるかどうか真面目に議論したのである。キリスト教徒でないものは人間でないとされたから煮て食うなり焼いて食うなりしてもいいことになっていたのだ。キリスト教徒は異教徒とか異端には過酷であり容赦しなかった。神の名による虐殺はなぜか度を越したものとなる。悪魔のような人間も神の名を語るからである。湾岸戦争にしてもあれはあくまでも石油をめぐる戦いでありアラ−の神とキリスト教徒、現代の十字軍の戦いではなかった。どっちにしろあのような物欲の戦いに神を語る資格はどっちにもなかったのである。現代のアルゼンチンが銀が産出するからであったしその国を最初に意識するのは貿易を通じてだったことがうかがわれる。アイヌはヒトでありモンゴルもヒトという意味であり民族の名はヒトを意味していたが異民族から見るとそれは物欲の対象でありヒトという共通の基盤にたてないのである。
ただ日本の場合必ず朝鮮を経由しているから注意せねばならない、直接は入ってきていないのである。朝鮮の南部は稲作文化が濃厚な地域だったがそこに遊牧民の文化が入って交じりそれが日本にも伝播した。それは朝鮮の高句麗とか扶余とか新羅、百済、伽耶などに遊牧民、騎馬民族の文化が伝えられて伝播したとも考えられる。では騎馬民族が移住して巨大古墳を作り大和朝廷を作ったというのは多少無理がある。おそらく一部分に限られ馬具などの装飾品などのみが輸入された。
それで畜産の技術は去勢とか動物の犠牲にする風習は入らなかった。エジフトで結婚式があったのだがそこでもお祝いに羊を殺し犠牲にする。羊を殺すということは何か大事なことに動物の命をとるということで厳粛さを帯びるものにしているのかもしれぬ。これは遊牧民には必ずあることなのだ。羊を殺すことは日常的に行われてをり人間を家畜化し家畜のように扱う奴隷制が生まれたのもそうした文化の背景があった。常に動物を殺す所を見ている人間はまた人間も動物のように扱うことに抵抗を感じなくなっても不思議ではない。人間を去勢する宦官を作ったのは動物で行ったことを人間にも適用したものだった。
ただ日本でなぜ仁徳天皇陵のような巨大前方後円墳が作られたのか謎が多い、ヘロトドスによるとスキタイでは王を葬る時はその側妾やその家来、馬そのもの、それに黄金の盃などを埋め全員でなるべく巨大な塚にしようとするとありその葬送の仕方がにている、日本でも最初殉死が行われていた。それがあとで埴輪に変えられたのである。
ただ不思議なことに馬そのものが古墳に埋められていた例は非常に少ないのである。豪華な馬についた副葬品はあっても馬そのものを埋めることはなかった。生死を共にした馬そのものも一緒に葬るのが人情というものだからそれがないということは騎馬民族的性格とは違ったものがそこにあったのかもしれぬ。その他古代の騎馬民族の墳墓には中国製の古鏡も埋められてをり日本の古墳との類似性があるのだ。なぜそんなに古墳に豪華な装飾品を埋めたのがこの特色は騎馬民族のものなのだ。馬より馬の装飾品が過剰に入って来たともとれる。
一方百済からはかなりの数の渡来人が入ってきて鞍作部、陶部、錦部などの技術集団を形成した。これらの渡来人を用いた豪族が天皇家を作り大和朝廷を作る基となったという説もうなづけるのだ。
日本の祭りは大甞祭など米に関係している農耕民のものである。ただ金属文化や牧畜など遊牧民の文化が農耕民に入ってきて交じり合ったことは確かである。 トルコ人には確かにどことなく日本人とにた顔も見られるのだ。ともかく今はまた日本がこのイスタンブ−ルに交じり合っているのだ。ただ困るのは日本語で話かけてくるのが間違いなく99%絨毯屋で店につれていかれしつこくすすめられことである。今やその売り込み異常であり押し売りであり脅迫の一歩手前にすらなっているのだ。絨毯も供給過剰になっている。不景気でヨ−ロッパ人が買わなくなり日本人を標的にした売り込みがされているためだというただ日本の生活に絨毯は合っていない、畳と障子の部屋に絨毯は合わない、模様もはでな原色のものが多い、日本人の感覚としても花にしても床の間に一輪花をさす、それがゆかしいとなる。ゆかしは床しなのである。一方遊牧民や向こうの花に対する感覚は全部も隙まなく花でうめる模様が多い、そもそも砂漠を経験するとわかるんだが砂漠の中でのオワシスでは生命そのものが奇跡であり生命あることが楽園なのである。だから生物に対する感覚も違ってくる。脈々として命がほとばしりそれあますことなく現れるし現すことがになる。
パラダイスとはペルシャ語で庭を意味する、正に砂漠地帯では水があり花があり涼しい中庭は十分にパラダイスなのである。それは砂漠を旅したものなら誰でも実感として感じる理屈なしの世界なのだ。 日本では生命は雑草から花から水にしてもあふれているから一輪の花を床の間にさすことがかえって花の生命をひきたたせるのである。一方砂漠では花にしろ水にしろそれは奇跡であり祝福でありそれでその生命のすべてを現す原色でぬりつぶすことが特に赤を基調としてデザインされるのが感覚的には合うようになる気がする。絨毯という字を見ると糸に戒律の戒と結びつき毛+炎のというのも実に絨毯の特殊を示したものである。絨毯にはイスラムの戒律を示したものもあるのだ。 このように日本と遊牧民の文化とは違っているため絨毯もなかなか日本では生活の中にとりこむことがむずかしい。そのへんのことがまだ良くわかっていない、日本に詳しい絨だけど日本の家には根本的に合わない所があることを肌で知っていないみたいなのだ。なぜ西洋では彫刻とか肖像画がとか飾ることが多いのかこれも日本の中ではそぐわない、床の間に肖像画を飾ることは合っていない。自然の中に神も人間も隠れているのが合っている、死んだ人間、霊は自然に帰えりその自然からお盆にはその霊が帰って来るというのが日本人の宗教となってをりこれは仏教とも関係ない極めて日本人的な祖先崇拝と自然宗教が一致したものなのだ
もう一つは日本で湿気が強く畳になったのであり乾燥している砂漠の風土とは違う。畳というのがやはり日本の風土とマッチして生まれた来たものだし畳に絨毯をしくことが合ってないことが絨毯が日本に普及しない文化としても合わないのである。ただ絨毯はただ敷くだけでなく壁でもどこでも飾るにもいいことはわかったので飾るために大きな花模様の草木染めの年代ものを買った。 言いたいことは文化とか文明はその土地と切り離せないしまた総合的なものとしてある、絨毯だけを取り入れるという訳にはいかない、その器がそれを取り入れる家の作りが問題になる、例えばハンパ−グを食うとなぜかコ−ラが飲みたくなる、中近東の羊の肉を食ってもコ−ラを飲みたくなる、コ−ラとハンパ−グはセットとしてあり食文化にしてもすべてセットとしてありパンだけを取り入れてもパンにはバタ−がミルクが・・とセットととして取り入れる必要が必ずでてくるものである。これは文明を取り入れる時でも一部分を取り入れることはできないものだった。日本は技術だけを取り入れてヨ−ロッパの作ったキリスト教を取り入れなかった、だから日本は本当に西洋化した訳ではないヨ−ロッパを理解したわけでもないのだ。技術の面だけ便利なものとして取り入れたのだ。だからヨ−ロッパの精神は除外して物質的な面だけを取り入れたので日本の国は根本が欠けるちぐはぐなものとなってしまった。ヨ−ロッパの社会がいかにキリスト教中心に作られているか街には必ず中心に教会がありその教会を中心に街が作られ人々の生活もそこを中心にして歴史を積み重ねてきたのである。それは生活全般に及んでいるのだ。
とにかくた新しい人が遠くからやってきて交わる、イスタンブ−ルは古来から世界の人々が交わる都市だったのだ。歴史も地下宮殿にふみつけられたギリシャのメド−ウサの首、アヤソフィアにキリストのイコン、ロ−マの威光、モスク、オスマントルコの遺産・・北方への入り口・・地層のように残されぬ。古りにし城壁から海を望み古来から船は絶えず行き来しにぎわった。もの古りたガラタ塔はジェノバ人が住んだ地域、古来より交易は盛んだった。今もあまたの船が浮かび、汽笛がなりそのにぎわいはやまぬのだ。今でもキプロスでトルコとギリシャは争い最近も大量の殺戮が行なはれぬぐいがたい遺恨をのこしている。民族の抗争地帯なのだ。地下宮殿の柱に踏みつけているメド−ウサの首はその歴史の根深さを語るのだろうか
地下宮殿の闇
その石の柱に押しつけられて
水の下にメデウサの首
隠されたギリシャの証し
水の滴りに千古の時の流れ
ローマの城壁の上に根付く木
トロヤの戦いも余りに古し
ローマとの戦いも古し
オスマントルコの戦いは
ヨーロッパ人を戦慄させぬ
あわれビザンチンの形見の
祈りの十字架の石の片割れ
頑なに石に刻まれし祈りかも
ロードス島にイスラム教の墓
サントリーニ島にもワインを作らせ
税金をとるかつてイスラムの支配圏
トロヤの城は土に埋もれ草生して
兵どもが夢の跡また跡なれ
歴史は地層のように重なりぬ
古りし凹む石畳の道踏みしめて
ここにオスマントルコの軍楽の響き
サルタンの城もここに古りぬ
忘れられしは地下宮殿の闇
メデウサの首柱の底に押し付けられぬ
ギリシャとトルコの戦いはなお続きにしを
我ははるか極東アジア日本より来たる者
我も悠久の歴史の一端に入る
サントリーニ島にもワインを作らせ
税金をとるかつてイスラムの支配圏
トロヤの城は土に埋もれ草生して
兵どもが夢の跡また跡なれ
歴史は地層のように重なりぬ
古りし凹む石畳の道踏みしめて
ここにオスマントルコの軍楽の響き
サルタンの城もここに古りぬ
忘れられしは地下宮殿の闇
メデウサの首柱の底に押し付けられぬ
ギリシャとトルコの戦いはなお続きにしを
我ははるか極東アジア日本より来たる者
我も悠久の歴史の一端に入る
沈むビラミット
時に抗い
再生の願い
王は眠る
もの寂びて
砂塵に崩る石
石は意志
永久の守りと
スィンクスの謎
灼熱の日に焼かれ
風砂に保つ貌
化石のごとく
砂嵐に最古の
階段ピラミッド
栄光の王の道
砂塵に埋もる
赤茶けた砂に染まる
その暗き底の底に
数千年の鎖された眠り
その眠りより醒めしか
ミイラの亡霊はい出でぬ
その時人類は滅亡の跡
その暗き底の底の死の座
人間の行き着く先END
そこから立ち昇って来る死霊
青春にも繁栄の華やかさにも
死の影そは一時の夢
誠の生活は来世にありと
その壁に描かれるは祈り
再生と浄土の生活の祈念
何よりも永続の願い
そこに世の喧燥は消えぬ
ナイルに水牛
悠久の時の流れ
保存された牛のミイラ
人間と同格の動物
ウル(牛)は最古の都市の名
一ミリづつ砂に沈む
一ミリは百年
王国もまた砂に沈む
時に抗うも
なべては沈む…・・:
既に幽界に沈む
冥界に沈下したピラミッド
死の門・冥府の門
その神殿の荘重なる石の柱
かつては深い椰子の森が
蕾の蓮開いた蓮
ナイル川に美しきロータスよ
石化した石柱の森
その優雅な蒼古たる列柱
オベリスクは天を指し
刻まれたヒエログリフ
代々の王の名も虚し
出エジプトのイスラエル
そは天に挙げられ
エジプトは地の砂に沈む
その後継の帝国も王も
その貯えた財も………・・
されどその王国は偉大なり
星辰にその偉業を記し
永久の記念と成し
命脈を保たんとす
時に抗うピラミッド
現代文明の崩壊の後にも
その文明は巨大な割に脆かった
バベルの塔のように崩壊し
記録は有無消散した
その破片のみが無惨に散らばり
一つの形を成さじ
オベリスクよ
混沌の文明に明確に指針を示せ
そこに己の不朽の言葉を記せ
その大地に立脚し揺るがじ
真昼の明るさの中に映える
その自律、自発の光輝
春の芽吹きのような清新さ
明確な形となった喜び
想像の息吹がここに満ち溢れる
灼熱の日に焼かれつも
蒼古たるピラミッドの威厳
不動の不朽の冷静・沈着・静謐
権力の象徴のみにあらじも
正確無比なる高度の技術と
アニマと一体化した霊性の一致
天と地と動植物の有機的統一
保存のカプセル・シェルター
そは余命を保ち
記した歴史を語りつつ
悠久の時の中に荘重に沈む
そが相手は変転極まりなき
現代の消耗文明にあらじも
星辰すらも引き連れて一体化し
強力なる魔法の磁力のごとし
天界・地界・冥界を宿し
不朽の如しも荘重に沈む