秋の日や湾に入りこみ泳ぐ鯛
大きな鯛が何匹か泳いでいた。鯛はめずらしい。
橋立やつなぎて古りぬ秋の暮
橋立は通う道かな野菊咲く
虫の音や大岩静か夕暮れぬ
普通列車で福岡まで行こう、切符は通しで買った。汽車のたびは随分した。ほとんど乗る所がないくらい日本全国乗った。そして汽車の旅に飽きて自転車の旅をするようになった。汽車の旅は駅の名前が一番心に残るのだ。それで地名に興味をもったのである。歩く旅、汽車の旅、バスの旅、自転車の旅、・・・・はそれぞれ違ったものになる。マクルーハンがメデアがメッセージだというとき汽車やバスや自転車もメデアでありそこから発せられるものは違ったものになるのだ。バスの窓から見る景色と汽車の車窓からみる景色は違うのだ。だから俳句でもそれぞれ違ったものになるのである。
今回はairHの無線なのでどこでもインターネットができるしホームページにどこでもいつでもアップできる。でも宿に泊まって一日一回が限度だ。これだけでも大変だ。今から十日間くらいつづけることになる。デジカメの写真で臨場感がだせる。今日は天の橋立に泊まり書いた。
秋静か日本海の海の色
海望み秋の日静か美浜かな
コスモスに海を望みて美浜かな
駅一つまた過ぎ行くや秋の薔薇
松静かバスを待てるや虫の声
杖を手に通り歩むや秋日和
20人くらい乗れるコミュニテイバスが走っていた。乗るのは老人が多かった。病院で下りる老人が多かった。今バスはどこも走っていない、それで旅行するのに不便なのだ。郊外にバスはなかなか行かなかったりバスがあてにならないからだ。老人にとってバスは必要なのだ。これは老人にとって便利なものだろう。老人にやさしい社会は生き安い社会である。例えばネパールとかインドとか貧乏な生活条件の厳しい国では老人は長生きできない、日本人が超高齢化社会になるのはそれだけ社会が長生きできるよう環境が整っているからだ。ただこうして老人ばかり増える社会がいいのかどうかはわからない。どうしても活力が社会から失われてくるからだ。
秋の朝砂を踏みしめ波静か松の間歩み心静まる
秋日さし旅人寄りぬ古き松
松原に四阿屋静か虫の声
敦賀の気比の松原を見る。砂を踏みしめる感触が良かった。青松白砂の風景は日本からほとんど消えてしまった。日本は松に象徴される国だった。この松は防風林などのために作られた景観でもあった。それでも日本の風景にマッチしたのである。ここには古い大きな松が残っていた。松は一番身近な木であり好きである。
敦賀ー気比の松原