仙台からバスで金沢に来た。金沢からバスで福岡に行けるとあったが廃止になっていた。古い情報がインターネットにのっていたのだ。インターネットも古い情報が上位にでてくる場合がある。情報は絶えず変化してるのだ。汽車で福岡までゆくほかない。途中二三カ所途中下車して観光しよう。

今回は寺町の忍者寺に寄った。800円はい。寺は加賀藩の城と同じだった。念入りに防御のために作られていたのだ。これは確かに必見である。忍者となんの関係もない。庶民も礼拝にくるので殿様は庶民と一緒にならないように二階に特別の部屋を作り庶民が礼拝する場所から見えないようにしていた。何故こんなに殿様は武士は庶民と会うことさえ憚るほど別格にしてしまったのか、現代の感覚ではわからなくなっている。庶民と違い特別の違った存在でなければならなかた。相馬藩でも塩を山の村に運んだ塩の道が残っているがそこにはやはり庶民とかち合わせになるとまずいということで上に殿様道を作り下に庶民の道を作り顔を直接会わないようにしていたのだ。まるで宗教団体の宗祖のような特別の存在であらねばならなかった。またそういう演出をしなければならなかった。侍は庶民とは隔絶された意識をもっていたのである。天皇がそうだったように司祭がそうだったようにそこには宗教的なものさえあった。つまり神のような存在に祭り上げねばならなかったのだ。これは今でも宗教団体や北朝鮮のような国で実際にあるのだから支配者はそういう意識をもつし人を支配するには特別な力を付与された特別の存在にせねばならなかったのだ。現代はこうした特別な存在、優れた人の存在を許さない水平化の世界になっているのだ。ということは今や誰も特別な人を認めないし自らが一番優れているという大衆化の時代になったのである。

ではこうした過去がすべて遅れていて悪いものだったのかというとそうでもない、侍は自ら律する厳しい倫理観を持っていたのである。
侍にあるまじきこと武士道に反することをすれば切腹とかせねばならない。これは実に厳しいものだった。この忍者寺にも暗い一室が切腹の間だった。切腹する間がちゃんと用意されていたのだ。とにかく現代の問題はこうした自らを律する倫理観がないことである。法律はあくまでもこの厳しいモラルがあって成り立つ受動的なものである。いずれにしろ社会は一割くらいはこうした厳しい倫理観をもつ集団が必要だったのだ。それが僧だったりとかつては存在したのである。現在の大衆化はまさにそうした選ばれた自らを律する指導者層の不在により頽廃したのである。大衆を律するモラルは何もないのである。世論がそうだといっても世論自体が大勢が基準でありそれは」大衆ファシズムにつながったのである。

今日は敦賀に泊まる。気比の松原を明日は見に行く

苔むせる石垣長く秋の日のさして金沢を我も歩みぬ

寺の塀長々続き菩提なる墓の大きく秋の日暮れぬ

技伝え加賀百万石秋日和

人詣ず加賀百万や菊の列

犀川の辺り寺町秋の風

金沢の秋やいくつかの茶室かな


寺町の界隈静か秋の薔薇

金沢の朝の公園に紅葉散り旅人しばしここに安らぎぬ

金沢にて

九州への旅の報告

10月23日

敦賀(気比の松原)へ