北海道冬の旅(2001)
小樽にて
小樽なる古き倉庫に冬の月
長々と小樽の倉庫に氷柱かな
街灯に運河凍りて小樽かな
冬の海鴎幾羽か共に飛び小樽の港に我は来にけり
小樽は主に石炭の積出港として栄えた。その他ニシンや満州樺太などの港として栄えた。札幌から小樽までひかれた鉄道も石炭を運ぶためである。今は石油だがその時は石炭がエネルギー源であった。私の高校まで石炭のストーブだった。中国では今でも石炭が多く使われている。大同は石炭地帯で街全体が石炭ですすけていた。あんな状態が日本の各地にもあった。小樽で啄木は歌を残した。
悲しきは小樽の町よ歌うことなき人の声の荒さよ
そこに感じたのは倉庫などで働く大勢のほこりにまみれた姿であった。今で言えば工場地帯のような所に感じた。しかし今にしてみれば小樽の繁栄の姿でありその時嫌悪されたものが今ではなつかしがられている。それが人間の歴史である。東京のような所もあんな騒々しい都会も一旦寂れると昔の繁栄をなつかしがることになるのかもしれない。それにしても倉庫には当分溶けそうにない長い氷柱が
垂れ下がっていた。
初めて見たる小樽(啄木)
小樽で啄木が感じたことは違っていた、働く人々のたくましい姿だった
では何故あのような歌を作ったのか小樽を嫌悪して作ったのではない
歌など関心がないので自分は無用と感じたものなのか
むしろ詩人などというものの受け入れられない世界を感じての歌なのか?
札幌にて
大通り人広く入れ冬の月
大通り満月照らし雪の像
道庁にポプラ一本根雪かな
大通りに啄木の像や根雪かな
札幌の大通り公園は気持ちいい、街中に広いスペースがあることがいいのだ。いかにも北海道らしい。日本は前にも述べたが公共的空間が土地の狭いせいもあって貧弱である。都会はどこも狭苦しい、大通りはそれ故気持ちいいのだ。外国では庭というのは政治的公共的空間で大勢の人が集うために作られた。日本では生活の単位が村でありそもそも大きな公共的空間を、公共的意識を醸成する場がなかった。せいぜい鎮守の村の広場くらいだったのだ。村内の見知った人々の寄り合いの場だった。鳥居の意味はわからないがよそ者は受け入れない閉鎖的場を作る所だったかもしれぬ。社会とは社に会すであり小さな社に集い共同意識を醸成した。そこでは法律など必要がない、人の話し合いで和が保たれる世界である。
北海道にはそうした窮屈な日本から抜け出したような解放感や目の前が開ける爽快感を何度来ても感じる。空気自体が違うように感じるのだ。苫小牧に船で下りたときすでに北海道の息吹を感じる。それは本質的に本土では感じ得ないものだある。
苫小牧凍れる道を踏みにつつ夕日に赤き雲に煙突
雪の峰大きく映えて喫茶店に苫小牧発つ汽車の見ゆかも
それは苫小牧の風景にもあった。もうもうと煙を吐く煙突が目の前にあるのだが後ろには大きな雪の峰が聳え清涼感がある。その煙突の煙も生活感を示していて凍えるような景色にあたたかさをそえているのも北海道的なのかもしれない。
雪祭りの日光の寺はいかにも日本的な繊細さが出てよかった。紫色にライトアップされた時が幻想的で一番美しかった。泊まる所を心配したが駅前の東横インに泊まれた。泊まるのには雪祭りの期間でも休日でない限り困らない、思った以上すいていた。
支笏湖にて
深雪に樹々の鎮まり支笏の湯
深雪に情の深きは北の国
凍れるや樹間に星の張り付きぬ
深雪に真澄の月やかそかにも獣の足跡雪に残れる
山顛に雪打ち吹雪きその後にきらめく星の光強きも
支笏湖の国民休暇村は夏にも泊まりよっかたので今回も泊まることにした。あそこのいいのは店も何軒しかないし静かなかなことである。スキーする場もなく歩くスキーをしているがそれもたいしたものではない、カンジキを貸していて雪の上を歩いた。雪の上を歩いたら腰までのめりこんだがカンジキを使うとのめらずに歩けた。腰までのめることで雪の深さを体で知ったし雪に覆われる世界のリアリティに触れた。あそこでまたいいのは肌つるつるになる温泉である。あれは本当に肌つるつるになる。そこで美肌の湯という風呂に入れる薬剤を買った。これも今まで買ったのでは一番効いた。