相馬市

相馬市は元から相馬市のように思う人がいるが中村市だった。相馬市は新しいのである。
相馬神社ではなく中村神社だった.相馬六万石ではあるが中村が市の名前となっていたのは
まさに中村という村が相馬六万石の中核の村だったからかもしれない、鹿島町が鹿島村が
中核の村だったごとく・・・



町田とか田町というのは全国的にあるがそもそもの名の起こりは田があってそこに宿場町のような家が
建ち初めて町田となった。図のようにまさに町の近くにある田のことだったのだ。田町というのはそこが
もともと田だったのだが後に家が建ち田町となった。田の上にできた町だったのだ。日本では町というの
がそもそも町が一区画の意味のように大きな役割を果たしていなかった。町は村に付随したものであり
日本の行政単位は生活単位は村だったのである.税金を年貢をとるのも村であり町は付随的に宿場町の
ように存在していた。

相馬の藤の花

相馬六万石の城跡を誰か訪ねむ
昔中村神社の古りてその境内に
古木の藤の長々と垂れし静けく
相馬駒焼きの店もありて老いし
陶工の気むずかしきと励む技や
城下町田町をそぞろ歩み夕暮れ
残る浜街道の松並木我が帰る道
土蔵に松の家も古り日立木の村
木蔭に道の辺の社の一つ何語る
地蔵見守る街道の暮れて静まる