2003-7月3日〜9月28日


9月28日
 電子パピルスで創価批判の電子本を買う

電子バピルスで電子本を買った。これは便利だった。セブンエレブンで来たメ−ルの振込み番号をもって金を払うと20分後にはダウンロ−ドできる。pdfでよめた。前はなんかソフトが必要だったりクレジットカ−ドが必要だとか住所や個人情報を入れるのがいやだった。これは名前さえ必要ないのだ。本屋に行って名前や住所などかかない、これは普通にする買い物と同じだった。これが欲しいなというときすぐに買いてよめる。これだと楽だ。ただ読むものがなかった。エロ本がほとんどである。売れ筋になるとエロになるからそうなる。商売になるとそうなるのだ。今回買った外国布教している創価のSGIの本だった。1300円は高かった。とういのはかなり短いものだったからだ。電子本にすれば500円くらいのものだった。ただジャ−ナリストも商売であり取材するのには金がかかるのだ。事実アメリカまで行って取材していた。そしたら取材費がかかるのだ。つまりなんらかの資金援助がなければジャ−ナリストも報道という仕事はできないのだ。組織のバックがある人だけが報道にたずさわるのは公正でなくなる。公正な報道には個人でも独立した立場が必要である。そうでないとかたよるのだ。

いづれにしろ創価となると批判はむずかしいし本屋にすらおけないのだ。書店も商売だから金にならないものなどおきたくない、「創価を批判する本をおくと売れ筋の創価の本は置かない」と書店に圧力をかけるという。書店は全くあてにならない、しかしインターネットはこうした書店に置けないような本とか少部数の本を出すのに向いているのだ。創価の批判の本を結構手に入れることができるしまたインターネットでは批判もかなりでている。いづれ書店はなくなる。もう書店や出版社自体必要なくなりつつある。新聞も将来的にはなくなる、そうならなくても別なものになっている。

なぜ自分が創価にこだわるかというと藤原弘達の「創価学会を斬る」読んでやめたからだ。昔の話にしろやはりあれは創価というもの危険性をわかりやすく解明したもので記念すべき著書だった。その出版を弾圧したのだ。今でも出版は弾圧されている。自民党と一体となった今、書店には創価の批判の本は置いていない、自民と創価と対立したときは結構批判の本があったのだ。創価にとっては自民党と政権党と一体となった方が都合いいのである。とにかく票をふやすことだけが目的だから大きな権力の笠下で勢力を伸ばした方が得策である。政策とか平和とかそんな問題はどうでもいい、権力奪取のためにどんなことでもやる。こういうカルト団体と一体となりそれを助長させている自民党とは一体なんなんだろう。?そしてその自民党を支持する国民が多いというのもわからない、まあ、宗教からだけ創価批判からだけ投票するのではないからしかたがないともいえるが創価にかかわったものとしては納得がいかないのだ。

とにかく電子本もあれだけ簡単に手に入るとなると使える、ただ内容あるものがそろえられないことだろう。インターネットはやはり個人のジャ−ナリストを育てる必要がある。そうでないと巨大な権力に対抗するもの生まれないしマスコミ支配もつづく、そういう過渡期にあることは確かである。

9月28日
国境意識の希薄な日本人

大陸の国境

万里の長城は延々とつづく
これは何なのだ
砂漠の果てまでつづいている
中国三千の歴史は国境作る
それは大地を区切り囲い込み
国家を作り守ろうとする執念
日本は海が国境でそれがない
大陸の国境は作られ死守されねばならぬ
国境を守るための戦いは繰り返される
国境には多大の犠牲が払われた
日本の歴史にその労苦はない
海が自然の防壁となり国境となる
それ故日本の防衛意識は薄い
国境を死守せねば国は攻められ蹂躙される
その恐怖があの万里の長城を作った


この西の果て「嘉峪関」(かよくかん)までつづいている。砂漠の中にその防塁が残っている。なぜかあそこに魏の国の遺跡があった。中国の歴史はあまりに大きすぎてわからない、あそこからは中国ではなくなるし遊牧民が攻め入った所だった。中国の歴史はモンゴルなどととの攻防の歴史だった。最初の国家自体、始皇帝自体が遊牧民の子孫とか言われるのもそのためである。つまり国家とは他国との攻防のなかに作られたのである。それが国境なのだ。

だから大陸では国境の意味は大きい、つまりその国境をめぐり多大の犠牲が払われたからだ。国境は自然が山や川があって国境になったとしても絶えず他国の侵入があるから人為的に守り作られてきたのである。日本にはこうした国境意識が希薄である。だから北方領土とか尖閣諸島など国境意識がないしそれを守ろうとする意識も薄い、大陸では国境を守ろうとする意識が歴史の中で培われてきた。島が一つの海に守られた国となると島には国境意識は醸成されない、ここがオレのシマだというときそれは動物の縄張りであり大きな国の国境を守る意識とは違う、非常に狭い範囲の縄張り意識なのだ。だから日本が大陸に侵攻するのはあまりにも無謀なことだった。中国のような大きな領土を守り国境を死守してきた歴史さえない国が大陸を支配しようとするのは無理だったのだ。

http://www.panda-style.com/dest/2002b/jiayuguan.html


9月27日
貝貨はまだ使われていた

豚、貝貨、食料、現金を交換するとともに、ガダルカナル州知事はマライタ島民に謝罪し、

これはガダルガナルのあるソロモン諸島について旅行した人が書いていたがソロモン諸島では民族紛争が起きている。言語も10以上あり島はまとまらない、島ごとに言葉が違っている。島はそうなりやすい、沖縄とにている。ただ沖縄は日本との関係が深いから日本と結び付いた国として存在しうる。ソロモン諸島はそもそも統一されていないからアメリカに統治される結果となった。日本が支配すれば日本に統治されたのだ。

ここで貝貨が今でも使われていることの驚きである。まだ貝の貨幣が実用として使われている。贖い(あがない)という言葉があるがこれにも貝が使われている。つまり貨幣はもともと贖い(あがない)としても使われたのだ。これは重要なことである。今でも賠償金を払う、ここの賠償にもよくみると貝の字なのだ。貝がいかに漢字に多いか、貝がなぜこれほど使われたのか、密接な関係が中国の殷とあったのか、それでなければこんなに貝の字を使うはずがないのだ。

http://reg.let.hokudai.ac.jp/miyauchi/solomon-tension-1.html

貝のエッセイ

9月26日 
リアルな戦争の報告

戦争がたけなわの頃 ガダルカナル島 をめぐる戦いで この島を占拠している陸軍に物資を補給する 日本海軍の艦船と これを攻撃する米国海軍との間で 熾烈な海戦が繰り返されました 結果は残念ながら陸軍の将兵の一部が撤退することで終わりました
この海戦で 合計300隻 の 日米海軍の艦船が沈没しました 日米ほぼ半々だったそうです
ガダルカナル海峡には 大量の艦船の 鉄 が沈んでいるために この海峡を通過する船のコンパス(磁石)が鉄の影響を受けて狂うことから この海峡を アイアン海峡と名付けました
この乗客が 以前ガダルカナル海峡を巡るクルーズに参加したとき この事を確かめるために方位磁石を持参して参加しました 海峡にきたときに 持参した磁石と 船橋の正確な方位とを比較してみたら 15度 ほど違っていたそうです アイアン海峡と名付けた通りだったわけです


これはリアルな戦争の報告ではないか?戦争についてリアルに感じられないのだ。人がこれほど多く死んでもリアルに感じられないのだ。リアルな報告が欠けているためでもある。戦艦が鉄くずとなって海底に沈みそれで磁石が狂うというのは科学的でありかえって幽霊がでるというよりリアルなのだ。これもたまたま偶然にク−ルズというキ−ワ−ドで見つけた。激烈な戦いがありそれが鉄くずの塊りとなって今もその怨念なのか磁石を狂わせている。戦争でもリアルに感じればああすごい戦争があった、戦争ってすごいことだなとなる。その戦艦とともに沈んだ人達はどういう人達だったのか、どういう思いで沈んでいったのかそういうことがリアルに迫ってくる。あの戦争はまだここでは風化していない、鉄はなかなか減ることがない、おそらく鉄は何百年でも海底に残るのではないか?木はくさるが鉄は残る。戦争に関しては様々な個々の情報が本当は表にでて来ないように思う。植民地解放戦争うんぬんより戦争というものがどういうものかリアルに伝えられていないからわからないのだ。
ここで3000人くらい死んだらしい。3000人が海底に眠っている。その沈んだ戦艦の鉄くずとともに・・・・


これはパシフィクビ−ナス号で東南アジアクル−ズにでていた。
引用が長すぎてこれは著作権の関係でまずいのか?
http://www8.ocn.ne.jp/~shigeo/hune-taiwan.htm

9月25日
ヨ−ロッパ(大陸)は熾烈な戦争の歴史

ヨ−ロッパの歴史は熾烈な戦いの歴史である。ヨ−ロッパ同士でも戦っているしイスラムやゲルマンやフンや異民族の侵入とも戦う、凄まじい戦いの連続なのだ。そこから生まれてくる世界観は自ずから違ってくる。もちろん中国も三国志の時代から権力、覇権争いの戦いの国である。大陸はいやおうなく異民族の侵攻などがあり戦いの歴史にならざるをえない、ある民族は絶滅させられた。そういう恐怖が大陸にはある。日本にはそうした異民族による侵攻がないので危機感がうすい。モンゴルのみが未曽有の危機だった。これも神風で勝ったとかあまりに高く評価するようになった。これは神風でもなんでもなかった。相手側の情報不足であり高麗の抵抗などで日本は確かに武士社会の底力を発揮したにしろやはり敵の情報不足やら準備不足やらに助けられたのだ。モンゴルは海に弱かったのだ。この過剰評価がやはり神風侵攻を生み無謀な戦争につながったともいえる。日清日露の戦争もそうである。これも日本が強いという傲慢な意識を生むにいたった。内村鑑三はどちらの戦争にも反対した。勝つことは奢りをうむ。日本は自らを知らず奢りを産んだのだ。

日本のアメリカとの戦争は正当化できない、朝鮮でも中国でも侵攻するのは間違っていた。なぜならこうした歴史の厚みのある所は民族の抵抗ありすべきではなかった。台湾とかフィリピンやマレ−シアなどがインドネシアなどがあえて許されるとしたら可能な地域だった。それは海を通じてつながる古い海上の道の国々だったのだ。アメリカもこれらの大陸に侵攻しなければ静観していたかもわからない、台湾が親日なごとくこれらの国も多少摩擦があっても日本の支配下に入ったかもしれなかった。これはあくまでもあの無謀な戦争よりましな戦争をするなら、被害を軽くして日本の海のル−トを確保するための防衛戦争的なものとしてである。敵はあくまでもヨ−ロッパの植民地支配を打ち破る大義名分である。どうしても歴史ある朝鮮や中国に侵攻することは大きな間違いだったとしか考えられないのだ。その正当性が理論的にも全く不可解なのである。満州は確かに中国ではない、別な国だったということもあるがそれにしても漢民族の中枢に侵攻したことは過ちであった。どうしもあの戦争をよくみても東南アジアの海を通じてのル−ト確保だったらそれなりの大義名分の押しつけがありえたが朝鮮と中国にはなかった。それを正当化することはかなり無理なことではないか、日本がアメリカにしくまれたということも言うがそれもまた納得いかないのである。


9月24日
検索のキ−ワ−ドの謎

鉄器 
石垣 ドミトリ 
俳句を英語に 
俳句 秋 虫の句

最近どういうキ−ワ−ドで自分のホームページに来ているのか毎日調べている。これは23日分のものである。鉄器と入れたものは南部鉄器とかの関係かもしれない、鉄に興味をもってのことかよくわからない、ただ自分のホームページには鉄に関しては書いてある。石垣 ドミトリ は現実に最近泊まった「旅の宿」について泊まり安い宿だと書いた。「俳句を英語には」はそれに関するものがあるが自分のホームページの場合、what's new とmemoから一番来ている。なぜmemoにきているのかわからない、トップペ−ジから入ってこない、これは困る面がある。全体の案内はトップペ−ジにあるからだ。

ホームページは自分もそうだが他の人も探しているのだ。自分が他のホームページを探す場合は自分が書くのにそれに関連したものを探す場合である。例えばイルカの詩を書いたのでイルカに関しての情報を知りたいから探す、しかしインターネットの情報はイルカと入れたからといってそれの情報がでるとは限らない、それでもインドで漁師と仲よくなった日本人の女の子が報告していた。インターネットは時事問題でも書いてきたが常にインターネット情報学になるのだ。どう利用していいかわからないのだ。その中には貴重な情報もかなりある。

問題は「鉄器」とキ−ワ−ドを入れた人はどんな情報を欲しいのかである。
次に石垣 ドミトリ と入れた人は石垣のドミトリの情報が欲しいのだ。これにはある程度答えられる。私の泊まったドミトリは2000円で大部屋がありク−ラ−がついていてその中は個室で部屋が10ほどあり食堂がありそこは台所になっていて醤油や塩とか食器があり食事ができる。ただ自炊できるのだが自炊している人はいないしそんなに長くいる人はいなかった。朝はパンとコ−ヒ−と果物が食えた。2000円では安いと思った。このドミトリタイプの宿は沖縄に多く泊まり安かった。沖縄には安い宿はいくらでもあるから心配ない・・・・・
つまりこんなふうに答えられるのだ。

次に俳句を英語にも自分なりにやっているから参考になるかもしれん

俳句 秋 虫の句というのもそれをまとめて出したペ−ジや説明したものがある。ちょっとどこにあるのかわかりにくくなっている。つまり虫の句について知りたいことはこれからわかる。するとそれに対して答えることができる。ここに書きましたとか虫の句について話し合うこともできる。みんな自分もそうだがキ−ワ−ドはそれにあうものを探しているのだ。だから一応キ−ワ−ドがわかれは私が書いたものは案内できる。
あなたのさがしているものはこのペ−ジにあります、もっと詳しく知りたければ付け足して説明しますとかなるのだ。そこまでやるとかなり時間がかかり大変になる。掲示板でやればいいのだが掲示板は相手がわからないと答えにくいのだ。掲示板をやっていないので私の場合、アクセスがふえないしインターネットを活かしていないのだ。これはかなりまずいことである。一時やっていたが書き込みがないのでやめたしまた掲示板はいろいろ問題がおきるのだ。
結局答えたのは創価をやめたいという人がメ−ルできたのでそれだけだった。これも深刻な問題なので相手が誰かわからないと答えにくいしインターネットだけでは解決しがたい問題でもある。相手がどういう人で本当に真剣なのかただからかっているだけなのかなどわからないからである。こういう問題はやはり直接あって話あわないとわからないだろう。宗教を求めて宗教は情報とも違うからインターネットでは無理な面がある。

ともかく自分にきたこのキ−ワ−ドを探ればわかるのでその案内はできる。あなたのキ−ワ−ドのペ−ジはここですとかそれに付け足した説明である。それは相手が匿名でも可能である。こうすれば多少対話的になりうるかもしれん。

他に
青春 本 
インターネット 読書


などが最近あった。これにふさわしいのが時事問題の深層にあり青春 本というのも自分として書きたいものだった。ただここになんらかの対話が必要なのだ。青春にどういう本を読むべきかの問題があるからだ。それはまず聖書であるというの答えである。自分の場合、聖書をほとんど読んでいなことが失敗だったからだ。基本的なことすら読んでいなかったのだ。
まあ、これに関して書くことはある。
ただ対話と言っても2チャンネル的に無責任な人、匿名でいいかげんな人に向かっては真面目に書けないのである。情報として必要なときはときは取り入れているが対話となるとむずかしいのだ。相手を知らなければ対話はできないのだ。ただこれらのキ−ワ−ドに関して書いたことやまた付け足して書いたことは案内できる。とにかくインターネットは情報があっても見つけられないとしたら役たたないのだ。インターネットを案内する司書のような人が必要なのだ。これは専門的に調べる人でないできない。図書館にはどこでもいる。このインターネットもかなりの数の司書が必要なのである。これを誰がやるのか専門家を養うのかわからないが図書館に司書を置くならここにも置いていいはずである。インターネットは家の中に巨大な図書館を持つと同じだからだ。
インターネットをやる人は必然的にインターネット情報学を身につけないとうまく利用できないのだ。

9月23日
喧嘩祭り

テレビでやっていたがインカの村で祭りがある。それは互いに憎み合っている人間がなぐりあいするのだ。血までだしていた。女までなぐりあいの喧嘩をする。土地の争いとか盗まれたとか原因はいろいろあるが祭りに互いに殴り合いをさせて村を平和に保つのだという、これでなんとか平和が保たれているというのも一つの村を治める知恵なのだ。野蛮といえば野蛮だがそれなりの村を治める知恵として定着した。小さな村とか島でも争いはある。そういう狭い世界では他にでていくこともできないとするとそんなふうにして互いにやりあって言いたいことをいいあってとにかく治める。殺し合いになる前に血だすくらいで終わりにする。それも一つの知恵である。法律で決めるというまでにならない世界ではそれなりに治める知恵がどこの世界でもあったのだ。

沖縄ではあからさまに面と向かって言いたいことを言うのでかえって嫌な思いもしたがその方が良かった。汚いからいやだが泊めてやるというのはそれでいい、あとからおまえは・・・・だとかはっきりいわずに宿から出すのはかえっておかしい、与那国で木陰に長く休んであやしいというのならまず一体何でそこに長く休んでいるのか聞いてみればいいのだ。それからやっぱりあやしいとなれば警察に通報すればいい、沖縄ではずけずけと言う人が多かったし会話を楽しむ世界でもあったのだ。あれは例外的なことだろう。「物言えば唇寒し」では現代の世界は通用しない、異質な人々が交わらざるをえなくなっているからだ。とにかく不満があったら言うほかない、喧嘩するというのはなにが問題なのか公にしたりすることなのだ。喧嘩する原因が何なのか互いにはっきりさせることでもある。

そもそもなぜ人間は戦争をつづけてきたのか?それは最初ささなことから始まっているのだ。ニュ−ギニア辺りの部族では戦争が儀式にまでなっている。互いに戦争ごっこみたいなことをするのである。戦争はさけられないものとして存在した。しかしその戦争をさける知恵として喧嘩をさせる祭りを作ってみたり相撲などのスポ−ツになったのかもしれない、スポ−ツの発祥は戦争だった。ギリシャの槍投げとか円盤投げとか砲丸投げとかあれは戦争で役にたった。なぜ現代の戦争がこれほど特に20世紀の戦争が悲惨なのか、そこには小さな村で喧嘩祭りをするような知恵がなくなっている。また巨大な国家同士だからそれができないためである。どっちも容赦のないものとなっている。手加減というものがないのだ。徹底して相手を打ちのめすことしかないのだ。欧米ではデベ−トが盛んである。これも口げんかであり力の行使になるまえに議論で治めようとする戦いであった。だから議論で負ければ従うということになる。

いづれにしろ戦争も世界規模になると治めようがないのだ。喧嘩祭りのように事前に治めることもできない、議論はしたり交渉はするのだが結果的に力の対決になり最悪の事態になる。そして負けた方はいつまでも恨みを残しテロになる。戦争になれば悲惨なことになるからその前にやめる知恵というのが被害を軽くする知恵というのがない、大将の一騎討ちで戦いが終わればその他の人は死なずにすんでいる、日本では殿様が切腹すれば家臣は死なずにすむ、戦争は終わる。何かそういう戦争を争いを被害甚大になるまえに治める知恵があってもいいはずである。これが一番賢いはずの人間にないのだからおかしい。この点では人間は一番馬鹿だというのは間違いない。こんなに戦争で死んだなんて愚の骨頂であった。


9月22日  
滞在型旅行(沖縄旅行の体験の効果)

今回「航海の日々の夢」という童話書けたのはやはり沖縄に一カ月いた結果だった。この一カ月で一年くらい経験した感じだ。島は長くいないとわからない、島は何もしないでいいから長くいると島のなんたるかがわかる。南の暑い所は滞在するに向いている。あまりあちらこちら移動するのは向いていない、それでも島々をめぐったし沖縄をほぼ一周したから自分はかなり歩いた。沖縄を知るには一カ月はかかる。外国旅行で何かいいものを書くとしたら自分のような旅行をしないとできないだろう。外国ではこうした自由な旅行ができない、そもそもその場所についてわからないことが多すぎる。だからいいものを書いているのは長く滞在している人だろう。

塩野七生という人がヨットで地中海を旅していた。なるほどなと思った、あれだけのものを書けるのはヨットで地中海をめぐるようなことをしていないと書けないのだ。実感としてわかることが大きいのだ。頭の中の地理と現実の地理を知るのとはかなり違う。地理の感覚は船とかヨットとか自転車でないと身につかない、汽車だと坂がないと同じだから坂をこえて向こうの村や町にゆくということがどういうことか実感としてわからないのだ。峠の意味もわからない、便利すぎて歴史を知ることもできないのだ。でもこうした手間と労力のかかる旅は確かに学生とか若い人の一部はやっているが勤めにでたらできない、だからそういう人の旅の報告はつまらないものになる。歴史は地理が基本なのだ。地理を知らなければ歴史もわからないのだ。

航海の日々の夢(童話館)

9月21日 
インターネットの番組作り(2)

ブロ−ドバンドや光ファイバ−の時代の番組作りは一人1000円だして1000人集めると百万になる。これだと映像のちょっとした取材が可能かもしれん、では千人が集まるかどうか本にしてもそれくらいはかかる。千円出し合い番組を視聴者によって作り出すのがインターネット時代の番組である。スポンサ−とかコマ−シャリズムの番組と違ったものを作るのには視聴者が自らが番組を作るのだという意気込みがないとできない、インターネットは受け身型ではなく、参加型だからだ。

そうなると今までにないニュ−スや報道の番組ができるかもしれない、つまり少数者者向けの少数者で放送できる番組である。それは今までにないものになる。あまり批判できないものも取り上げるし発言も自由になるかもしれない、他にもいろいろ変わった番組ができる。しかしそれは視聴者が作るものだということも念頭におかないとうまくいかない、インターネットは少数者でもできるということ、娯楽番組は大衆向けであり何百万人を対象としている。しかしインターネットは百人単位でも十分にできるし数人を対象でも発信できる。何百万人に発信するとすればどうしてもあらゆる面で制限される。だからどこも今までのメデアはにたりよったりになるのだ

とにかく千円出すからこういう番組を作ってくれという。そうした要求がインターネットからでてきてもいいはずである。そうでないとやはりいいものはできないのではないか、個々人だけの発信では映像関係むずかしい面があるからだ。まあ、最初はハ−ドを道路を作りそれからそこを走る自動車を走らせるようになるから自動車はあとになる。つまり通信というハ−ド面は光ファイバ−でも意外と早く整備されるかもしれないがそこを流す番組、ソフトはかなりあとになるのかもしれない、人々の要求がどこにありそれを吸い上げるソフトとかが全く整備されていない、電子本にしたってあれよりコピ−権みたいなのがインターネットには向いている。本は高すぎるし多くの本を参考にして一部をコピ−したい要求がインターネットでは高まっているからだ。

とにかくインターネットの利用は緒についたばかりなのだ。


この図のようにインターネットと制作者との関係は変わる。今までの一方的なメデアの関係と違うのだ。少数者が番組を要求して制作者が要望に応じて作る。この関係は一方的でない、循環的であり対話的になっているのだ。ただ視聴者の赤い部分の少数者と制作者というのがうまくマッチするかどうかはこれからである。


9月20日
インタ−ネット時代の番組作り(1)

インターネットにふさわしい番組が必要である。それはどういうものになるのか、今までの作り方とは違ってくるのだ。メコン川の取材を2時間ほどやっていたがこれとてメコン川に関してはわずかのことしか目立つことしか写していない、写されないものが膨大なものあるのだ。インターネットの時代の番組がどうなるのかというと24時間でも取材したものを全部細部まで見るような番組である。光ファイバ−時代になればそれもできるのだ。これまでの番組作りは何でも視聴率優先でありみんなに見てもらわねば成りたたない、だからどれもにたものになるし目立つことだけを強調するやりかたになる。でもインターネット時代の番組、遺跡でも細部にこだわり説明してゆく、それは大勢の人にみてもらうにはつまらないものとなるが関心のある人はその全部も見るようになる。特に研究者だったら必ずみる。

細部にこだわる番組作りがインターネットに向いている。それは見る人が少数でも成り立つ世界だからだ。でもそうした番組を作るとなると作る側で問題である。そうして手間暇かけてもそれを作る労力の割りには金がかかったりスポンサ−がつかないから作れないとなる。これがやはり一番の問題だろう。外国の紀行の番組でももっと詳しく知りたい人は一杯いる。一度その場に行った人は余計そうである。とにかく10時間でも20時間でも記録したものを全部調べられる、見れるようになるのが光ファイバ−の時代になる。その映像はインターネットからいつでも引き出されるようになる。

インターネットのいいところは少数者相手でもできることと金をかけずに放送できることである。ただnhkのような映像や番組を見るには視聴者が集まり金を出さないとできない、映像は手間暇かかるから自分も材料があってもきないのである。やっぱり文章が一番楽だからみんな出しているのだ。インターネット時代の本格的な番組はまだほとんどできていないのだ。今までのメデアと違うしプロは今までのメデアにいるのだからインターネットは有効に活用できていないのだ。
メデアがメッセ−ジだというときその放送するものも確実に変わってくるはずなのだ。


9月19日 名も知れぬ 遠き島より


名も知れぬ 遠き島より 椰子の実一つ

この詩がなぜ日本を象徴するような詩になっているのか不思議である。この詩の意味するものが大きいのだ。たった一行なのだが日本という国の特徴を示しているのだ。名も知れぬ、遠き島より 日本人は渡ってきたのだ。日本語自体がどこに由来するのか未だにわからないことがそれを示している。それは名も知れぬ遠き島に由来しているのだ。琉球弧から台湾、フィリンピン、インドネシア、ポリネシアとたどる海の道には名もしれぬ島が数多くあるからだ。そういう名もしれぬ遠き島をたどって日本列島にわたってきた人達がいたのだ。日本語の謎はまさにこの名もしれぬ遠き島よりわたってきたことによる。どこの島なのか名もわかわからないから日本語は解明できないのだ。日本語の基はやはり南方系であり南に由来していることは確かだろう。島は必ず漂着するものがある。それはものだけではなく人間も黒潮などにのり流されてきた、そして定着した。そういう人達が先遣隊となり次に一団の人が意を決してわたってきた。海は風や潮の流れでそういうことになりやすいのだ。南から南の植物の種が流れ着くそこに根を張るのとにている。

つまり自然と人間の文化の境界も自然が最初に決めることがある。津軽海峡を挟んでブラキストンの生物の境界があり奄美と八重山にも境界があり植生などが変わっていると同じように文化の境界を作る。ロ−マとゲルマンの境はラインであり私の町の万葉の真野も車輪梅の南限の地ということはやはり南と北の境界だったことは植生の分布とにている。人間も時代をさかのぼればさかのぼるほど自然の作用に左右される、生物と同じである。だから国と国の境界は神が定めたという時、それは自然の法則に則ってそうなったのであり人工的なもの人間の権力によって定められたものではない、自然的境界が人間の国の境界と一致しているのだ。一方アラブの世界はヨ−ロッパの列強によって分断された、力の強いものによって故意に分断された不自然な境界なのである。まあ、日本は島国だから海が境界となっているからわかりやすいが大陸となるとわかりにくい、どうして国の境界が決められたのかわかりにくいのだ。

9月18日
ヨット遭難の話題でアクセス禁止(2ちゃんねる)

ヨット遭難の話題でアクセス禁止(2ちゃんねる)

琵琶湖のヨットの遭難に興味を持ち書き込みしようとしたら「アクセス禁止」になった。ぷらら会員がアクセス禁止になった。前にもあった。数が多いからこうなるのだろう。何人かのアラシで普通の人がアクセス禁止になるのは問題だ。2ちゃんねるには人が集まりすぎなのか、影響力が大きくなっている。こうした掲示板はいくらでもあるだが一番情報が集まる所に人も集まるからかたよる。インターネットは一人勝ちになりやすいのは本当だろう。ニュ−スにしても一カ所からポ−タルサイトにまずいってそこから枝葉を拡げると便利だからだ。それが2ちゃんねるになっている。ヨットについてはわからない、でもヨットをしている人がいて発言するとわかりやすいのだ。

このスレの低レベルなことで、日本は海洋民族ではないことがわかる、水際民族(海に出られない)といわれる所以・・珍太郎知事が言っていたような

イギリスでは船舶を持っているすべてのオーナーは、緊急時には海軍に属する、それだけ誇りも高く義務もある人たちです、ダンケルク以来だが。



日本人は海洋民でも海を知らない、水際民族だというのは本当だろう。ヨットは風や潮の流れ、天候など海を知らないとできない、海と一体となるスポ−ツである。海の上で暮らすことにもなるから、家船でもある。海上生活者が昔からいた。ヨットについては海についてはわからないことが多い。日本人が海に囲まれて海を知らない民族になっていることはもったいないことである。海を利用できていないことでもある。ヨットはもっと盛んになっていいと思うがハ−ドルが高すぎる。



9月17日
海と一体となるヨット

旅行というと最初は汽車の旅行である。これもぜいたくだがあきる。乗る線がなくなったのだ。それで自転車になった。普通自転車旅行は若いときやるのが普通である。現代は自然は昔のように生業のなかで自然を知るのとは違う。もちろん生業のなかで漁業をしている人や船に乗る人はいる。しかし今や自然を知るのはスポ−ツによるのが一般的である。釣りが一倍いい例である。魚を獲って食うのではなくとった魚は放して釣りそのものを楽しんでいるのだ。西表でキャンプしてわかったことは釣りしている人の多さである。釣り人口は漁業している人より多いのだ。

海を知りたいとしたらカヌ−とかダイビングになるしヨットなどもいい。自分はどれもできない、それでヨットのホームページ探したらカリブを基地に20年もヨットにのっている人のホームページがあった。この人も自分には考えられない人だった。ヨットというのになぜ興味を持ったかというと自然の風を受ける、潮の流れにのる、自然と一体となるスポ−ツだからだ。自動車とか汽車は自然と一体になるわけにはいかない、風を受けないし日ざしもさえぎられるし自然と一体になる乗り物ではない、ヨットは海と一体となる。小さな港にも寄港できてそこで停泊して寝泊まりできる。ヨットは3ケ月分くらい食料を積んでいる。ヨット自体が長い旅になるからそうなる。でもヨット自体は高いにしても生活費はかからないそうだ。このホームページの人は貧乏ヨットマンである。外国ではヨットが盛んであるが日本では海の国なのにヨットは盛んでない、ヨットは海に接していても身近でないのだ。だから海に囲まれていても海のことを知らないのだ。

とにかく自然と一体となることは快感である。沖縄では自転車であれほどの海の風を受ける経験をした。それは実に気持ちいいことだった。風を感じること、潮の流れを感じること、・・・・これは地球を体感することである。自然は今遊びとして楽しむ時代になった。しかしヨットとなるとなじみにくいし今回の琵琶湖のヨットの転覆でもわかるように危険なのである。どこでも事故はあるが海の事故はやはり昔から多かった。遊びで死ぬというのも馬鹿らしいというえば馬鹿らしいがそれも時代である。詩などもそうした実体験がないといいもは書けない、もちろん想像で書ける場合もあるが本当に自然を知り感動しないと書けない、だから芭蕉もみちのくを旅したのだ。

例えば貿易風というのはどういうものなのかはその貿易風を帆に受けてヨットにのればわかるのだ。それはできないから貿易風という名前だけから想像することになる。せいぜい沖縄で一時間くらいのヨットセ−リングがあるからそれにのるくらいだろう。ただ旅にはいろいろあり本当の自然を知る旅は実際はカリブで20年もヨットに費やしている人とか何か特殊な人になってしまう。自然を知ることは今では大変な労力が必要である。団体旅行とか汽車とか自動車とかでは本当に自然の中に入ることはできない、今回の西表でのキャンプは毎日浜の木陰で休んでいるだけだったがあきなかった。とにかく自然の中に入るにはこうした時間が必要なのだ。スロ−ペ−スでないと自然が体に溶け込まないのだ。

安らぎの島へ

舟は導かれむ
神の御意により
安らぎの島に
そこには争いのない
平和の日々がある
今なお知られざる島
白砂の浜の木陰
その木陰に神は休むや
珊瑚の岩陰に貝は
ひっそりと眠る
海は宝石のように
エメラルドに光る
それは神の奇跡の業
朝の透き通る水に
朝の光の絶え間ない波紋
海をわたり飛び来しや
蝶が珊瑚の岩の花に
羽根を休めまた舞いさりぬ
そこにやましき人は入れず
誰も乱されたくないように
太古のままに貝は
遠く離れた島に眠る
神の手に入念に織られた
一つの島の神秘
静謐の中に眠る
今なお知られざる島
なお知られざる花の
つつみ隠され咲きぬ
大きなでで虫の眠る
そに触れしものなく
そはそこに何も加えることなく
ただ神の御意に休むのみかな

小さな島とか小さな港とかこういう所にヨットは入れる。これは大きな魅力である。そういう港に入りヨットのながて泊まることはどれほど気持ちいいことだろうか、こういうのがまさに旅でもある。日本ではそうした港が一杯あるのだ。しかし海からそうした港を知ることはヨットとか船をもっている人でないとできないのだ。


カリブのヨットマン
http://www.norari.net/carib/back_carib.php



9月16日
敬老の日

敬老の日だけど百歳でイタリアまでオペラのために行き来して強いる老人には驚いた。腰も曲がらないし色つやもいい。百歳まで生きることは何を意味するのか、人間は年でその功績は判断できない、なにをもって判断するかそれは死をもってわかるのだ。死んだ人をどを判断しているかというとその人の作品とか生前の生きざまなどから判断している。一番わかりやすいのは残したのは作品workである。宮沢賢治は30才くらいであれだけの作品を書いたことは驚きである。100歳まで生きようが死んだら何歳でも同じである。その作品で判断されるのが人間である。それだけではないにしろ後世の人は一番わかりやすい方法として作品からその人を見る。それが一番わかりやすいからだ。では年をとったからといって必ずしも後の世に残るようなものを作りえないのだ。ただ百歳まで生きれば小説家だったらかなりの長編とかをゆっくりねって書けることになる。たいだい今までは50歳くらいで死んでいたからだ。いい作品となると思った以上残せない、普通の人にとっては一冊の本を書くくらいで終わってしまう、それほど実りあるものを残すことは大変なのだ。ホームページも作品作りなのだがこれも手間かかるもんだった。操作はなれても作品としてアップすること自体かなりの労力が必要である。だからたいがい二年でやめている人が多い、日記も二年くらいでとまっている。書き続けられないのだ。例えば写真のスライドショ−とか出そうと思っていたがこれも材料があっても手間かかるから今だにできていいないのだ。



9月15日
宝貝の情報探索

インターネット情報を調べるむずかしさは何回も言ってきたが
宝貝というテ−マで調べると

Le D epart De Belle永遠的心肝宝貝  Song Of Baby Jane宝貝珍之歌 

親親的宝貝

宝貝とはベ−ビ−子供のことを中国では今でも言っているのだ。宝貝のように大事な子供となる。ここに中国との文化的つながりが発見されて面白い。その他俳句を漢詩にしているホームページもあった。どうも中国とは文化的つながりが深いのだが現代はこの関係も現代に関しては欧米中心になり文化的つながりがうすいのだ。中国を敬遠する傾向もある。そこでいろいろなものが見落とされることになる。中国には宝貝に関する情報は膨大にある。しかしそれを中国語で調べる人、調べられる人も少ない、やはり文化的つながりを発見すると血を分けた兄弟だという親しみが涌くのだ。中国に関してはあれだけ大きな国でも様々な情報が不足している。インターネットがもっと盛んになったら考えられないような情報が入ってくるかもしれない、すると中国語もある程度読むことを強いられるのだ。

宝貝 童話と入れたら西表が好きな貝採集が趣味の大正生まれの本も出している女性のホームページがあった。これはなかなかよめる。洞窟で石斧を発見したという。これも貴重な発見ではないか、あそこに石斧を使って暮らしていた人がいたのかそこから浮かんでくるものは何か、古い時代からあそこにも人が暮らしていたのだ。貝を拾うのは沖縄では面白い。島々に行ったら砂浜や岩陰の貝を見つけるのは楽しみである。何か宝物を発見する喜びがある。ヤクシマタカラカイというのはヤクシマにとれるから固有の名がついたのだろうか、名前もいろいろあり興味がつきない、波照間などの浜辺は本当に原始のままを留めていて目の覚めるように美しかった。そこの岩陰に貝がひっそりと小さな貝が眠っていた。その眠りを覚ますのが不届きな感じがしたほど原始のままの自然だった。不意なる侵入者を拒むようであった。一つの貝をとろうとしたら岩から離れないのだ。かなり強く引っ張ってもはなれない、それであきらめた。そこから離れたくない執念を感じた。


海からの贈り物
http://www2.snowman.ne.jp/~syun/d-000.htm

9月14日
トラブル解決

今回のトラブルは線がごちゃごちゃになり線がはずれていた。よく点検しなかった。adslが点滅していたのでてっきり故障かと思ってしまった。これは自分のミスだった。前は複雑な線の配線をした。一階と二階につなぐのに苦労した。5000円とられるところだったが無料にしてくれたので助かった。インターネットでは自分は貢献しているのだ。関係ないかもしれないがインターネットで情報を無料で提供している人はそれも有効な情報を提供している人はインターネットを促進している。無料で情報がえられるとしたらそのメリットは大きいからだ。

とにかく今回は例のごとく自分のはやとちりからの失敗だった。線がぬけているとは思わず最初から電話が通じないのとadslが点滅しているのでadslが悪いと思い線をよくみなかったのだ。自分にはとにかくこうした失敗が旅でも多すぎる。前はそれでもあとからなんとか最初なので配線した。今回は全くの自分のミスだった。
nttさん、すみません。・・・・・

それにしてもトラブルは何かつづいておこる。自分のホームページのホルダが消えていたのだ。検索を探してもどこにもなかった。これにはあせった。まず特定のホルダだけが消えることはない、他のホルダも消えないからだ。これも何だろうとあせった。探しても探してもないのだ。検索で必ずでてくるのが普通だからだ。それがなんとゴミ箱にあったのだ。どこかに紛れ込んだとは思っていていろいろなホルダを開いて探していたのだゴミ箱にあるとは思わなかった。パソコンは一瞬にして消えるという不安がある。それが一番怖いのだ。まあ、トラブルは解決した。どういうわけか自分は線で苦労している。ずっと前の5万で買ったスキャナ−も線が合わなかった故障していたのだ。パソコンや電話の初歩的ミスは線である。配線がうまくいっていないのだ。とにかく何か自分は最初に思い込んで自分で判断してしまい失敗することが旅でも多い。自分でも嫌になっている。忘れ物も多い、何かぼ−とすることが多いのだ。
たいがい自分の方に非があるのが普通であった。申し訳ない、外の配線などの故障は無料だが家の中は有料である。それにしても自分の今のパソコンはこれほど毎日のようにフリ−ズしているのに使える、でもこれだけフリ−ズしたら壊れても不思議ではない、それがまだ使えるのはこのパソコンは復旧力があるのだろうか、富士通だからいいのか、この復旧力が意外と大事である。このパソコンはもう限界なのかわからない、とにかくデ−タ−は3ケ所くらいに保存しておくことだ。本当に消えるのが一番怖いからだ。


9月13日
「失われた森」レイチエル・カ−ソンを買う

adslが点滅していたら電話不通になっていた。明らかに電話そのものが故障
nttに電話したら今日は受け付け終わり、明日また電話だ、無線でアップする
故障の原因はわかないがadslを使っていたからかもしれない、ちょっと長くかかるのか
めんどうだ。

今日は原町に行ってビデオと本を買った。やはり知的な仕事をするには近くにある程度大きな街がないと不便な場合がある。仙台は最近は遠く感じる。前は一週間に一回行っていたが今は一カ月に一回くらいしか行けない、本の問題は立ち読みできないことが最大の問題である。インタ−ネットでは立ち読みできないのだ。セブンエレブンのe-bookではパスワ−ド忘れて買い物でなくなった。簡単に変えることができないのが意外な盲点だった。アマゾンで注文した本は二週間もかかる。これも長すぎた。本というのも近くに専門的なものもあって今関心を持つものが欲しい場合ちょっと高くても買うのだ。インタ−ネットではいくら探しても一割程度しか見つからない、沖縄とか海とか島をテ−マにして探しても見つからない、詩の分野にしたらほとんどつまらないものばかりでないのだ。ただつまらないなかにも一パ−セントくらいはある。これもさがしあてるのが大変である。知的な刺激を受けるにはやはり身近にないと困るものがある。買い物でも何回も来てみていれる判別がつきいいものを買うことになるが通信販売の場合は判別がつかないから困るのだ。

「沈黙の春」を書いたレイチェル・カ−ソンの「失われた森」というのを2000円で買った。この女性は死んでいた。56才である。自分もいつ死ぬかわからない年齢である。だから書けるものは書いておきたい、本には出せないがインタ−ネットではいくらでも書けるのだ。反応は微々たるものでもいくらでも自由に書けることは書けるのだ。この中には海と島のことを生物学的に書いている。海とか島とかにテ−マにして書くにはそれに関しての情報が密なほどいいものが書けるのだ。生物学的なもの、歴史学的なもの、民族学的なもの、・・・・こうした知識なくしていい詩も書けない、この世界がすべて詩だと言われるとき、詩というのは全学問が対象だから大変なのである。宮沢賢治のような天才にして初めて詩人になれる。自分の場合、科学的には全くだめだから海とか島とかに関して科学的、生物学的に補うためにこの本を買った。

島の生物達は大陸の生物の大集団から隔離されたため、平均を維持し新種や異常を排除する異種交配の機会がなく特異な変化を遂げた。.......島で暮らす鳥は翼を使わなくなり、翼そのものが退化することさえある。太平洋の島々だけでも飛べないクイナが14種類はいる。

ヤンバルクイナもその一つである。天敵がいないから生き残ることができた。飛ぶなくてもいい環境でありそれで生き残ったのだ。これは島に棲む人間にも言えるのだ。古い言葉が島に残されたり言葉も進化がとまるのだ。島というの様々に考察する対象である。島では棲む人間の数から資源も制約される。あらゆる面で制約された中に生きる、その見本が江戸時代の鎖国だった。これは今や地球が資源の制約された地球船に棲むという時代、江戸時代の鎖国的生活はその見本となるというのも確かである。つまり大陸の無限大的拡張志向ではない制約された中で人類が生きる知恵が島国にはあったからである。


9月10日
イメ−ジの力

武蔵が小次郎に勝ったのは腕力でも技術でもなかった。相手の心を勝負の前に読んで勝っていた。心理作戦で勝っていた。はやる小次郎をあせらせていらただせ小次郎が心理的に怒り平常心を失わせた。武蔵は敵の心をよみ敵を明確に自分の意のままにイメ−ジした。勝負がどうなるか明確にイメ−ジしていた。まともに戦ったら負けたかもしれない、ところが武蔵のと思うがままに小次郎は心を読まれ武蔵のイメ−ジした通りに勝負は決着した。
「小次郎敗れたり」と開口一番武蔵が言ったことがそれを示している。勝負する前に心を読まれていたのだ。心理作戦で勝っていたのだ。つまり自分なりの勝負が武蔵はイメ−ジできたしその通りになった。イメ−ジする力は大きい。武蔵は勝つためのイメ−ジができていたことが勝った原因であったのだ。

このイメ−ジすることはあらゆる分野で大事である。空を鳥のように飛びたいという人はいた。でも飛行機をイメ−ジできた人はいないのだ。科学の発達にかかわらず子供の空想のように空飛ぶ絨毯ではなく大きな人工の物体が空を飛ぶということがイメ−ジできた人はいなかった。エジソンはまず科学的に作れるかどうかの前にイメ−ジした。そしてそのイメ−ジしたものを作りだした。初めにイメ−ジありきだったのだ。犯罪すらイメ−ジしてやらないとうまくいかない、あたりばったりではうまくいかない、イメ−ジできれば成功する度合いが大きくなる。台所で料理している女性がいるからきずかれないと堂々と人がいる時盗みに入っているきには驚いた。あれもイメ−ジしてきずかれないと思った、そしてイメ−ジ通りに成功していたのだ。頭で勝負の構成をイメ−ジできれば相手の出方を読めれば将棋なども勝つのかもしれない、イメ−ジ力はあらゆる場で大事である。政治家でも政策をイメ−ジしそのイメ−ジしたものを実行させようとする。だからどういう社会をイメ−ジさせるか大事になる。

聖書の場合、ヨハネが黙示録で天国をイメ−ジした。そんな世界ありうるのかといったらそのイメ−ジした世界はありうる。なんでもイメ−ジした世界は現実化する。それは悪でも犯罪でもそうなっている。心に思い浮かんだことが事実となることは多々あるのだ。インタ−ネットなども最初はわからないがこうなればいいなとイメ−ジしたことが現実化しているのだろう。何であれイメ−ジしたことはその時点で現実化する方向に向かっているのだ。


9月7日沖縄と内地人との見方の相違(2ちゃんねるより)


あんさ日本の女と外人のパターンで
最後まで上手くいってるのって聞いた事ないよ。
大体白人の方が上手くつかっておポイ捨て。
沖縄でさんざやったことが本土上陸ってだけよ。
悪いけど。女はもうちょい学んだ方がよいね。歴史に。
アジア人・女ってどういう待遇がまってるのかさ。白人の目から逆算しろよ。
シンデレラになるわけねえのに。つうか王子様のわけねえじゃん。アジア人を相手にしてる時点でかなりランク下の白人というのは沖縄ではあたりまえ。
普通の沖縄女はアメリカ人にいい印象はまったくといっていいほどない。



>>普通の沖縄女はアメリカ人にいい印象はまったくといっていいほどない。

沖縄で白人とのハ−フの子供持っている女性に会ったけど
沖縄でハ−フは差別されているのかな?


差別されます。
昔はアメリカ人の生活に憧れがありそういう事する女性が多かったんですが
結果そういう問題やら暴力やらで彼等の底が見え
現在では本土の女かアメ女とよばれる特種なの以外
アメリカ人にはみずからは近寄りません。
しかし、最近アメリカ人と沖縄で歩いてる女はほとんど本土からアメリカ人目当てにやってきた女になりつつあります。


沖縄でおきてるアメリカ兵による婦女暴行事件はかなりの率
実は本土から来た女性なのはあまりしられてない。
そういう類いのバーに自ら近寄り、またそういう行為を誘発させての
事件なので、悪いのは女の方とういう意見のが多いです。
絶対に地元の人間はあんな所にはいきません。

>>現在では本土の女かアメ女とよばれる特種なの以外
>>アメリカ人にはみずからは近寄りません。

そういうことですか、
アメリカ人とくっついて歩いていたのは沖縄人ではない
日本国内の女性だったのかな

自分のあった女性は子供に日本語と英語とそれに沖縄語で
しゃべっていた、子供が頭が混乱するんじゃないかと思った
思うにアメリカからきている兵隊の質は悪い、学歴も低い、モラルも低い
それも嫌がられることになった原因では

沖縄の人ってやっぱり相当、アメリカ人に反感持っていたんだね
身近に接している人と遠くから見ている内地の人とは違うね

これは私が会った沖縄に女性同伴でやってきた英語教師(アメリカ人)が
いっていたことですが
「日本の女性はアメリカ人にいいイメージがありすぎるね。」
どの口がいうか。それを自らしててネタにしているくせに!
しかしこれは真実をついてます。何かの夢遊病みたいなものを感じます。


英語習うのにも白人がいいらしい、
外人は外見からだけでは見分けがつかない
低能でも立派に見えたりする、そこが落とし穴だね


そうですね。
しかし、過去沢山の女性が米兵との私生児を産み
どういう結末がまっていたか・・・また待っているか。
ここから学ばない本土の女性は何を考えてるのだろうとは思いますね。
幸せな結果がまってるとはあまり思えません。



偶然に沖縄の人がいて対話が成り立った。2ちゃんねるでは自分の場合対話が成り立つのはごくごくまれである。別にこの話題ではなくアメリカを一人旅した女性が殺されたというので関心をもって読んでいたらこの話題になった。沖縄に行って関心がでたのでレスしたら返答があったのだ。
沖縄の現地の人の本音が聞かれるので2ちゃんねるなどでも他では聞けないことがわかったりすることが貴重である。これがインタ−ネットのいいところである。こういうことはすぐに差別だとかうるさいから公の場では話せなくなっているのだ。基地に身近に接している人と遠くから見ているものとは自ずからアメリカ人に対する感情は違うのだ。


9月3日
インタ−ネットの実用化のむずかしさ

セブンエレブンのe−shoppingのパスワ−ド忘れてわからなくなった。簡単に変更できるかと思った一度退会してからとかめんどうである。それで今度はアマゾンで注文した。ここではパスワ−ドは簡単に変えられる。プライバシ−保護で苦労しているらしい。でも手続きがめんどうだと買い物もいやになる。インタ−ネットはそれがめんどうだ。ジャパネット銀行も番号がわからなくなり振込も引き落としもインタ−ネットからはできない、番号を複雑に合わせるのだ。こういう点インタ−ネットの買い物はめんどうである。銀行でも簡単に通帳が盗まれて何千万も落とされたというのは不思議である。インタ−ネット上ではもっと簡単に他人の金を盗むことができるからだろう。ただこれはインタ−ネットとパソコンに通じていないと無理だろう。ジャパネットも買い物もほとんどしていない、何かめんどうなのだ。なれればそうでもないのかもはしれないがインタ−ネットの買い物は苦手である。

ただ沖縄関係の本を探しまとめて買うのにはインタ−ネットは向いている。インタ−ネットに向いているのは沖縄だったら沖縄関係の関連した情報なり本なども集め買うのに向いている。仙台の本屋に行っても集まらない、こういうのはインタ−ネットに向いているのだ。とにかくパソコンの画面上だけからやりとりして買い物するのはまだまだなじめない人がいる。だからインタ−ネットは情報の交換や発信には向いているが商売には何かめんどうで向いていない、これがインタ−ネットが実用的に普及しない原因である。本というのも電子本にすればいいのだがこれも進んでいなのだろう。電子本というのもインタ−ネットではまた別なものである。インタ−ネットではリンクが生命とすると本の一部をコピ−する権利を買うのが一番いいみたいだがこれもまだ技術的にはむずかしいのだろう。しかしどんな知識も必ずリンクする、結び付くのが知識や情報だということはインタ−ネットをやればわかるのだ。本で言えば注釈だがそれはリンクになるのだ。


9月2日 島と茶室

島と茶室はにている。茶室の中は極めて限られた狭い空間である。にじり口からやっと一人入れる。許された人しか入れない、入る人は限定される。しかし一旦入れたらその中では親密になる。それが島国の接待方法である。まず入る人が選別される。その選別は厳しい。しかし一旦入れたらそこでは内々の秘密も語られる。親密な仲間となる。茶室もこれも島国の文化的象徴だった。もちろん茶室の美学として簡素とか質素とかプラスの面もあった。でもこれも見知らぬ他者を容易には入れない島国的な文化だった。出島もそうである。一方大陸では異質なもの他者を受け入れざるえないというより異質な他者がいやおうなく侵入してくるのだ。だからアメリカでもパ−ティというとかえって見知らぬ人を受け入れ歓待するという。つまりアメリカのような異質な他者が混交するところではそうせざるをえないのだ。ヨ−ロッパでも庭は個人とか家族の庭ではなく大勢の人が集まる会場のようなものであった。いろいろな民族が交わるからそういう知恵や文化がでてきた。日本人は異質な他者を受け入れる文化がないのだ。日本人の文化の基本は島国であったことなのだ。日本人の国際化がむずかしいのは島国として歴史を作ってきたからである。これはどうにもならない、体質的なものでありこれを変えることはできない、ただ海外での暮らしの長い人などでてきているから多少は変わってくるがなかなか変えられない問題である。歴史的に見てもそうである。元(モンゴル)がせめてきて神風が吹いて助かったというのは誇張である。相手の情報不足と海に対する知識の不足であり偶然の結果ではない、相手が海とか船とか天候とかの情報不足に助けられたのだ。逆にアメリカとの戦争では日本が情報不足で神風が吹くとか神頼みになりすぎて負けたのだ。負けるべきして負けたのだ。島国は情報も閉鎖されるのだ。島国は孤立しているからそうなりやすいのだ。

それでも明治時代がなぜ偉大であったかというと偉大な人物が輩出したのかというと江戸時代の侍が日本の伝統を受け継いでいた。武士道を体現していた。それが西欧化でも力を発揮したのだ。日本には伝統文化はあった。島国的文化でもそれなりの歴史的積み重ねの文化があったのだ。戦後は全くそうした日本的伝統が喪失した。その代わりとなるべき西欧文化も血肉とはならず日本のモラルは低下して骨のないクラゲのようなものになってしまった。ただ現代は物質化による世界的に一様化された文明であり人間の存在が希薄することではどこでも同じになっている。日本だけでなくこんなに極端に物質化されない時代は個々の人間に存在感があった。島のプラスの面は波照間のような島は石の一つまでが存在感がでてくる。石の一つ一つを数えることができるほど狭い島なのだ。狭い島だから人間も物も存在感が都会のような世界とは全然違う、人間一人一人も存在が大きくクロ−ズアップされるのだ。そして島は一つの世界でありそこで完結している。それでまた存在感がましてくる。島の魅力は小さな島でも一つの世界であり宇宙であり完結していることなのだ。

島−土地の制約、人、資源の制約
島−中継地点、貿易
島−平等主義、均一化、和を保つ
島−排他的、よそものの選別
島−繊細な細部の追求


8月31日
島国根性

日本という国を理解するのには日本が大きな島国であること、これが日本人の歴史と性格を作ってきた。それを小さな島とか離島のことを例にするとわかりやすいのだ。小さな島では争いは好まない、争っては生きていけない、「和」が一番大事なのだ。その和というのは小さな島での和でありその小さな世界での和を保つことが第一におかれた。その和を保つ方法は異質なもの目立つことは排除されることである。目立ってはいけないのだ。日本の極端な平等主義は島国だからである。みんな横並びでないとだめである。目立つものは嫌われ島から追放されかねない、小さな島で暮らすにはみんな同じでないとまずいのだ。日本人の考えている和とはただみんな同じで角をたてないということになる。だから島国では大陸のような極端な権力の栄華がない、権力者さえそうした極端な栄華を行えないのだ。秀吉とか信長は日本人離れした大陸的人間だった。家康が日本人的だったのだ。

小さな島では隣が非常に気になる。隣と同じものを買ってそろえるというのも島国的である。島国では小粒にみんな同じでないとだめなのだ。突出したものは目立つものはそれだけで妬みとか憎しみの対象になるのだ。島国ではどうしても狭い世界で生きているから妬み深くなる。大陸ではとてつもない権力をもつことができるしとてつもない富をたくわえることもできる。また異民族が侵入して支配すれば突出したことをしても責めることもできないのだ。島国では話すなくてもわかるとか腹でわかるとか阿吽の呼吸とか言葉なしで理解しあう、でも大陸ではそんなことはできない、全然違った異質な人間が交わるから言葉とか公平な法とかが大事になってくる。日本人同士は説明しなくても契約しなくてもわかりあえるというのは島国だからである。島国ではだからとてつもない天才とか英雄も生まれにくい、平均的小粒な人間が和を保つものとしていいからである。大陸には天才が生まれる土壌があるが島国にはないのである。みんな平等が角がたたず和を保つことができる。この島国的和を保つ方法はしかし世界では通用しないのだ。島国的感覚で世界平和など訴えても通用しないのだ。



8月26日
 埋もれた歴史

巷に伝わる話はこうだ。――1946年から47年にかけて、明らかに混血と分かる赤ちゃんの死体が、連日のように山手外国人墓地の前に置き去りにされた。墓地の一画に埋葬されたが、数は増えるばかりで、途中からこちらの根岸外国人墓地に埋葬されるようになったという。その数は900体とも言われるが、ほとんどが進駐軍兵士と、当時、パンパンと呼ばれた日本人娼婦との間にできた子供だったようですね」実態は不明――。

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/person/pe9c1702.htm

沖縄で合ったアメリカ人とのハ−フの子供がいた。自分には珍しかった。東北は一番国際的でない所だからだ。日本語の標準語と英語と沖縄語で子供に話していた。日本語の単語を言ったら次に英語の単語で言いその中に沖縄語の方言がまじるのだ。子供は混乱しないのかと思った。ハ−フの子供はあんなふうにして育つのかと不思議だった。ハ−フは別に今だけの問題ではない、古代からあったのだ。白石にある「
子捨川」というのはヤマト政権が東北を征服した時、土地の女と結ばれたがその子は捨てられた。だから「子捨川」となった。こういう種類のものは多い、都の役人がきて土地の人といい仲になったがいつしか都に帰って行ってそれをいつまでを待ち慕う伝説である。これは沖縄でも東北でもどこにでもある。ハ−フにはアメリカの兵士が帰って行って帰らない人も多いと聞く、これは今も昔も全く同じである。人間はそういう罪なことをしてきた。日本人も戦争のときそういうことがあったしまた現代でもフィリッピンと日本人のハ−フが問題になった。つまり強いものが常に弱いものを泣かす図式である。

この裏の暗い歴史を隠そうとするのもおかしい。こうした埋もれた隠された歴史は世界中無数にあるのだ。これも歴史の一面なのだ。これを抹殺することは歴史を抹殺することになる。その捨てられた子供達の霊は成仏しない、祟りともなる。せめて正確に伝えることが後世のものの勤めだろう。人間の歴史とは何か、罪の歴史であり、罪の記録なのだ。「子捨川」と残すだけで言い伝えるだけで歴史を残している。つまり地名にはそれだけの歴史の重みがある。すべてではないにしろ地名は大地に刻まれた歴史なのだ。



8月23日
人の交流に向いている沖縄

赤花の鮮やかに咲き今日もまた集い話して一日始まる


ハイビスカスがキャンプ場に咲く、蝶は飛んできて鳥も飛んできてまた一日が始まる。沖縄は人が交流するのに向いている。そういう人を開放的にして饒舌にする雰囲気があるのだ。そこは国際的な雰囲気もある。中国の文化があり日本の文化がありアメリカの文化もある。ただ基地は人が集まり交流する場としてはマイナスである。それは平和的でないからだ。アメリカの基地があるということで他の国もいやがる。中国人などもいやがる。日本の内地からくるものもそこに基地があるだけでまだアメリカの占領がつづいているのかと実感するのだ。理屈ではなくそこに外国の軍隊がいること自体肯定できないのだ。サウジアラビアにアメリカ軍が駐留していて反発されたのも当然である。日本人だけでなく広く沖縄が人の交流の場になるには基地があるとマイナスである。沖縄は若者だけでなくたれから中高年が集い交流する場所に向いている。滞在型のリゾ−トホテルが必要になるが今のでは高すぎるのだ。中高年は移動するより一カ所にゆっくりして楽しむことが向いている。だからクル−ズが人気なのだ。そこでは旅の様々な苦労もなく滞在していると同じだからだ。


8月21日
小島の烏

小さな島に入ったらやけに烏が自分にねらいを定めたようにカ−カ−異様に鳴く、移動したらまた烏がついてきて自分に向かって鳴いてくるのだ。ここの烏は小さな島で暮らしているからよそ者がわかるのかもしれない、「おい、よそ者、よそ者、ここは俺達の島だぞ、俺達の島だぞ」と小島の烏は主張している。小島の烏は縄張り意識が強い、小島ではよそ者は烏さえ区別できるのかもしれない、もう一つはよそ者の食い物をねらっているらしい。よそ者は弁当など食いそれを残したりするからだ。それを烏は知っているのだ。だから「お−い、よそ者、食い物を置いていけ、ここは俺達のシマだから、食い物を置いていけ、それが当然だぞ」としきり鳴いている感じだ。小島では食い物すら不足するかもしれない、これは全く島の人間にも通じることである。小島の烏と小島の人間の心理状態も同じなのだ。「お−い、よそ者、よそ者、食い物を置いていかない奴は、金を落とさない奴は用はないぞ、怪しい奴はすぐ警察に通報だ、ここは俺達の島だから俺達の許しがなけりゃいることもできんのだぞ」となる。だから自分の経験したことは離島とか小島では特殊なこととも限らない、離島とか小島には烏までそうなるように特異な環境だからそうされても外部から入ったものにはおかしいと思っても島の人にとっては普通の感覚になっている。小島とか離島はそういう環境でありそこから起きた問題であり自分だけになされた特別なことではない環境なのだ。


8月18日
 離島の特性(2)

島のことについては社会についてもまた生態系についてもわからないことが多いのだ。今回自分の経験したことも島の特に離島としての社会の特異性から起きた。人間にとってもそうだが離島は特殊な環境であり生態系にしてもハブがいる島とハブがいない島があったり島が変わると生態系まで変わるのは海によって断絶されるからである。例えば台湾から来る、風に吹かれてくる迷い蝶は生態系が違うから死ぬという、その迷い蝶を採集するため与那国でも西表でも中高年の蝶採集者がいつもくるという。島は海によって人間だけでなく生態系も断絶する。別な生態系となり別個の世界を作ることになる。ここが俺のシマだというときまさに自分のシマとしてだけの世界をそこに作ることなのだ。だから島というのは特に沖縄の離島は学問の対象としても興味深いものとなる。だからいろいろな面から研究に行く人が多いのだ。瀬戸内海の島と沖縄の離島はかなり違ったものである。瀬戸内海は陸地の文化圏と連続しているが沖縄の諸島は独自の文化圏を形成したのである。だから沖縄学があり多数の沖縄に関する本が出版されている。

つまりそこに日本本土にはない自然にしても社会にしても歴史にしてもあるから興味深いとなる。島というのは一日くらいいたのではわからない、やはりそこで生活した人が実感としてわかる。どうしたって島で犯罪の起きる割合は極端に少ない、今回の自分のようにみんな見ているからすぐわかってしまうのだ。外部から入ったきたものはすぐわかるし犯罪を起こすことはむずかしいしそれを目的で来る人もまれである。こんなみんなが見ているところで何か悪いことすればすぐにわかる。事実これまでキャンプした人がかなりいたがそれらの人が何か犯罪で警察につかまったということは聞かないしほとんどないのだ。犯罪を起こせないのだ。だから島の人が例外的な一件の殺人事件で極端に過敏になるのは過剰反応なのである

ではなぜバイクとか自転車が嫌われるかというと沖縄はレンタルカ−とかバイク、自転車がいい商売になっている。これらの人にとってバイク、自転車で来る人は商売にならない、自分もレンタルサイクル屋で空気入れ借りた時はなんか悪い感じがした。バイクや自転車で来る人は商売にならないのだ。これも一つの大きな要因である。食堂に入らないで自炊で安上がりにされると食堂も商売にならないことになる。つまり金にならないから嫌われる。自分の場合別にキャンパ−擁護者ではない、というのは自分はキャンプ道具は積んでいても実際はキャンプしても寝るだけであり食堂で食事することが多いのだ。自分の場合は結構金を使うのである。ただキャンプをする人、キャンプ道具を積んでいるだけで差別したり嫌な目で見ることを問題視しているだけである。一応キャンプ道具を積んでいるとそう見られるからである。

8月18日
離島の特性(1)

島とういのが感覚的に住んでみなければわからない所である。
離島が閉鎖的になるのは排他的になるのは島というのは特に離島はそうなりやすいのだ。なぜかというとそもそも交流が少ないし海に閉ざされてしまうからである。常に島のなかで同じ人と暮らしているのだからその親密度も高くなる。警察官まで家族の一員のようになってしまうから島の人の言い分の方がよそ者より聞くことになる。島はもし経済的に自立していれば鎖国も容易である。日本も島であり鎖国して外との交流を閉ざしてしまったことでもわかる。わずかに出島を作り外の人を入れていたのだ。島国はそうすることが容易であり排他的になりやすいのだ。陸つづきだと他村に逃れることも陸伝いに遠くに逃れることもありうるかもしれない、しかし回りが海だと逃れることもできないから、島の掟は厳しいものとなる。村八分より島八分の方が怖い。与那国島の過酷な人頭税がそれを物語っている。そこで暮らすにはそれしか方法がなかったのである。外に逃れることができなかったからだ。移民するのにもできない時代だったのである。

今回の事件のようにあういう小さい島ではよそ者は島の人が排除しようとすれば簡単にできるのだ。また入れる人も簡単に制限することもできる。キャンプ禁止としてキャンプするものは入れないようにすることも簡単にできる。一方陸では広いからこの村ではだめなら次の村でキャンプしようとなるが島では完全に排除されることになるのだ。陸続きだとどうしてもよそ者を入れないわけにはいかない、島ではそれができるのだ。しかし現代のような交流なくして生きていけない時代はそうはいかない、石垣市で台風になり船で物資がこなくなり困るように外部に頼ることが多いからできなくなっているのだ。


8月17日
 
与那国島の比川浜の謎

どうしても与那国のことが納得いかないのでインタ−ネットでいろいろキャンプのことやら調べている。2003、3月の更新だからあそこで女性もふくめて若い者がこっそりキャンプしているのだ。どういことかとういと与那国の比川という地点での情報収集をインタ−ネットでしていることになる。自分のように木陰に長く休んで警察に通報された人もいるがキャンプしても見つからず通報されない人もいた。与那国に行った人は何らか狭いから比川という地域に行きかかわっている。それにしてもこのキャンプは大胆ではなかったか、これで咎められなかったのも不思議だ。余程自分の場合怪しまれたことは確かである。与那国島には今でもこっそりキャンプする人がいても別に見逃しているのだ。それだけまだ警戒感がないともいえる島なのだ。

しかし一方波照間ではキャンプ道具をテントを引き裂かれたされた話も書いてあったがこの真意はわからない、その人が聞いたことでありその情報の確実性はなく噂話にすぎない、実際はそんなことはなかった。その人の経験したことは確かであるが人から聞いたものは信じることはできない。その人が直接経験したことは信憑性があるのだ。体験した人しか書けないことがありそれはわかるのだ。今や小説より個々人が体験した話の方がインタ−ネットで読めるからためになるのだ。比川浜では波照間の殺人事件以後もキャンプした人がいた。与那国島は波照間より広いからこっそりキャンプする人がいるとうことである。キャンプには今いろいろ問題がある。キャンプの問題点もいろいろある。キャンプ禁止の場も増えている。自分の場合キャンプしても自炊しないから火は使わないし痕跡を残すことも少ない、ゴミも持って他で捨てている。実際自分は本当のキャンプはしていない、自炊していないからだ。

インタ−ネットでは与那国の比川という一地域にかかわった人達の情報が結構あったことである。狭い島だからそうなるともいえる。インタ−ネットではそうした点の情報が集まる場合があるのだ。与那国の比川という地域がどうしても自分にとって忘れられない地域となった


日本一周自転車の旅

http://travel.tipst.com/bicycle/03_02month/02month_25.htm

8月16日
離島でのキャンプ全面禁止の疑問

波照間の殺人事件以後、石垣とか西表をのぞいてキャンプ禁止になった。これも考えてみるとおかしなことである。殺人事件を犯した人はキャンプ道具を持っていなかった。キャンプしにきたのではない、どうして
波照間まで来たのかわからないがキャンプ死に来たの手はないことは確かである。ただ偶然に何か理由はわからないが波照間まできた。ここで
大事なことはキャンプしに来た人ではなかったことである。キャンプ道具をもっている人はキャンプしにきたのでありそれなりにそこで暮らす用意をしているのだ。最低限の金も持ってきているのである。なくなったら帰る人である。実際この事件前はキャンプは地元の人がいやでも黙認されていた。キャンプする人はどっちかというとより長く旅していたい人とかキャンプを楽しみたい人が多い。沖縄のような暑い所ではキャンプは向いているのだ。それを離島で禁止するのは一方的でもある。波照間での殺人事件など滅多に起こらない、その一回の殺人事件で異常なほどよそ者に警戒するのはおかしいのだ。アメリカのテロとは事情が違うのだ。

ではなぜキャンプの旅やバイクの旅を自転車の旅をする人がいるかというと一つは長く旅するには日本では宿泊費が高いからできないのである。一日4千とか五千円払っていたら絶対に長い旅はできないのだ。だからキャンプになる。長い旅する人はやむをえずそうなっている面とやはり旅の醍醐味は自由なことと長いことが醍醐味なのだ。一週間くらいで終わる旅は旅ではない、団体旅行も旅ではない、せいぜい見学にしかならないのだ。本当に旅をしようとするとキャンプ道具を積んだスタイルになるのだ。そういう人達も旅をしている人にはいるのであり
それを離島で全面禁止することもおかしいのだ。キャンプ場をもうけてそれらの人を受け入れることもやはり自由社会の選択として必要な面もあるのだ。島にとってはそんなもの金にならないとういのもわかるがではなぜ波照間の殺人事件前はそれなりに黙認されていたのかそういう人達も入ってきても嫌だがしかたがないという暗黙の了解があった。それが波照間の殺人事件を契機にこれはいいとキャンプを全面禁止にした。
つまりあの波照間の殺人事件は島の人の都合いいように利用された面もあったのだ。あの偶発的な一回の殺人事件でここまで過剰防衛になるのはやはり外部から見るとおかしいのだ。

最果ての島での恐怖体験(与那国島にて)時事問題10

8月15日
離島の事情がわかるホームページ

なぜ今回のようなことが与那国島で起きたのか、島の事情がわからないことによるのだ。沖縄のことも理解することがむずかしいからだ。これはさほど問題にすることでもないだろう。おおげさになった書き方だったかもしれない。このホームページは島の事情と長期ツ−リングに詳しい。特に大東島で働いた経験があるので島の事情がリアルに伝えている。与那国島はこれとまた事情が違うがにている面はあるだろう。与那国島の方がまだ大東島よりはいいみたいだ。大東島には飛行機すらないし港も作れない地形になっているから全く隔絶した島である。与那国島はこれから比べるとずっと恵まれている。ただ絶海の孤島という点で似た面はある。いづれにしろなぜ自分が怪しまれたかは・・・・

基本的に沖縄の人は大荷物を積んでバイクで旅している人間を良くは思っていない。これは前回4カ月沖縄に滞在して体感したことだった。宮古にはいないけど,石垣や沖縄本島で浮浪者のように長期滞在するキャンパーが多くいる。これが印象を悪くしているのだろ

おそらくこれが一番の原因だろう。この一人に見られたのである。でも与那国島には長期滞在はできない、波照間の事件以後は離島では長期滞在はできなくなっている。離島で気付いたことは政府からの補助金が優遇政策が多いらしい、サトウキビでも米と同じように補助金がでて成り立っている。離島自体が補助金がないと地方の町村より成りたたないし棲むこともできない経済状態になっているのかもしれない、観光は大きな収入源でありやはり観光客は大事にせねばならぬが汚い格好などなんらかで怪しいとみられたことは確かである。いくらそうとしても今回のことは行き過ぎである。ツ−リングの人でも旅行する権利はあるしそれらを排除するというのは納得できない、北海道ではそういうことない、ともかく島というのは感覚的にわかりにくい所なのだ。ヤクザのような人も受け入れるという島の人がそんなに外部の人を警戒するのかもわからない、いづれにしろ今や与那国島であれ離島は政府が領土保全のために補助金を出して住まわせておく必要の場所であるかもしれない、島自体が経済的に自立することはむずかしい。だから政府にとって日本にとっても離島は山村と違い領土の確保という点で重要であり防衛の点でも重要でありそこに無駄であっても補助金をつぎ込み領土を確保せねばならないのだ。

がくちゃんのTOURINGページ
http://www.geocities.jp/gakuchan_nif/index.html


8月13日 石垣市の過ごしやすい宿

石垣市の2000円の旅の宿は過ごし安かった。一週間以上いたが長くいるのに向いていると思った。大きな部屋にク−ラ−をしているが個室になっている。ドミトリタイプなのだが他人に余り干渉しないようになっている。プライバシ−は保たれる。だからそこで長期滞在者が仲間化して他の人が入りずらいことにはならない。問題はク−ラ−がク−ラ−の近くしかきかなかったことである。だから暑くてひどかった。そもそも石垣市になると那覇より物価が高くなり長期滞在には金がかかるからむずかしい面がある。そこには食堂は家の台所と同じように塩でも醤油でも食器もナイフもあり外から買ってきたものをそこで食べられるようになっている。荷物を送ろうとしたらガムテ−プとハサミまで用意してある。日常生活するのに事欠かないものが置いてある。こういう宿に泊まったのは初めてである。宿に泊まると果物を買ってもナイフがなくて困ったりした経験はみんなあると思う。そういうことでここでは困ることがなかった。だからここは長期滞在に向いているとも思ったが管理人の人は向いていないとしきり言っていた。飽きるからむいていないと言っていた。

しかし石垣市は人をあれだけ人の出入りがあるから離島のような閉鎖性はなく都会でもありよそ者も過ごしやすいのだ。過ごしやすい場所はやはり近くに都会が必要になるのだ。離島では買い物すらできない、物価も高いし通信状態も悪いし離島は本当に現代では暮らしにくい、よそ者も閉鎖的だから入りにくい、人間関係的にも離島はリゾ−ト作るにも向いていないのだ。リゾ−トにするなら島一つをよそ者で買い切りリゾ−トの島にしてしまうことだろう。そしたらそこに住んでいる島の人との摩擦もなくなるからだ。リゾ−トに向いているのは石垣市のような所である。これから中高年がリタイア組が長期滞在するにはいい街である。那覇には3年もいるという老人がいたが物価とか物が豊富なことや都会的刺激はあるがやはり都会化しすぎたことが問題である。目の前に海を望むような所は少ないから問題である。

沖縄の素泊まり宿は便利だった。自転車でも汚れていても入り安かったことである。2000円だと内地よりかなり安いと感じた。しかし実際は沖縄は金のかかるところだった。自分の場合飲み物が栄養源になったので一日千円かかった。30日でこれで3万かかったことになる。これも大きな思わぬ出費だった。それから交通費だけでも15万くらいかかっているし沖縄旅行は金がかかる。2000円の宿に泊まってもそれ以上のものがかかるから宿くらい安くないと長期の旅行は無理な所であった。

8月12日 沖縄旅行より帰る

 夏にいい沖縄の食

沖縄に沖縄独自の食べ物や飲み物があった。12時のテレビで大宜味村(おおぎみ)のアセロラという肌にいいという赤い実もそうである。沖縄が長寿県だというのは食料に沖縄独自の食があることは間違いなく関係している。今回一カ月の旅行で胃が相当悪くなったが紅芋のジュ−スとか玄米ジュ−スとか紅芋そのものなど食った。これは胃が悪いときでも食えたし飲めた。意外と夏ばてにはサツマイモとかモチが食いやすいので良かった。ご飯物はほとんど食うことなかったのに栄養をとるものがあった。胃が悪くても牛乳とかパンとか沖縄にあった食にはいいものがあった。沖縄には昔から暑さに合った食の文化があることを知った。沖縄のソバはあれも夏にあった食でありあれにあがっている肉もかなり栄養があり夏にはいいのだ。やはりあの暑さのなかで暮らすためには知恵が必要でありその基本になるのが食なのだ。沖縄は食の文化を知ることでも面白い、今年は東北は冷夏でありこのへんでも米がとれないと言っている。地球自体でもあるところは異常な暑さであり日本は冷夏になっている。とにかく沖縄の暑さに対しての準備しないで行ったから失敗だった。Tシャッツは5枚くらい必要だったしタオルもそうだった。氷水などを食うとかえって喉が渇くから食うべきではなかった。今回保冷瓶を買って水を入れて持ち歩いた。水が絶えず必要なのだ。ジュ−スを飲んだあとも水が飲みたくなる。水が絶えず必要だから水は冷蔵庫に冷やしておき持ち歩くことも必要なのだ。沖縄の水は良くはないが水の味はわかりにくいから十分に飲めた。ただ冷やさないと飲めないのだ。冷たいことが大事であり冷蔵庫が必ず必要になるのだ。

いづれにしろ暑いところの方が生き物の種類も豊富だし生物が生き生きしている。水辺の動物の蟹なども種類が多いのに驚いた。蟹があんなに機敏に動くものとは思わなかった。忍者のように岩礁を飛ぶように動くのには驚いた。確かにエデンの園は暑い所にあった。そこは生物の種類も多いし果物のも豊富で暑いのだが自然の恵みが豊かなのだ。アフリカが人類発祥の地というのもそのためである。シ−クワサ−という実からとるジュ−スも魚とか肉の臭みをとるのにいい香料の役目を果たすものである。インドとか東南アジアの方が食料には恵まれていたからヨ−ロッバからそれを欲しくて船で苦労してやってきたこともわかる。自分も今回の旅でシ−クワサ−が好きになりやめられなくなりかなり送った。これは10月に新しい実がなるらしい。ほとんどのジュ−スは台湾産になっているというのもまた意外だった。量がまかないきれないためである。暑いところだとパインなんかもうまいのだ。西表でも100円で食い切れないほど食った。キャンプ場でレンブというのもただで食ったしマンゴ−を一つもらって食ったのもおいしかった。まさにただ食えることは楽園である。なぜ貝という字が財とか貨幣とか質とかやたら多いのかというとやはり南は貝ということではなく果物などが豊富だから憧れた、財(たから)のある所として憧れたのでそうなった。貝はその一つの象徴であり貝だけではない、果物なども豊富にとれる場所として憧れたのではないか、そんなに貝だけにこだわることが理解できないのだ。

おそらく労せずして南国の楽園には果実など食べ物を手に入れることができた。だから楽園なのである。しかし沖縄ではバナナもとれない島バナナという小さいバナナはとれるがこれでは食料になりにくい、パインはとれても意外と果物はとれていないのだ。シ−クワサ−自体台湾製になっているのもそのためである。ただ貝は豊富にあるから中国人が貝を特に宝貝をとりにきたというのもわかる。沖縄がグスクができたのは鉄器が入り農業に生産の重点を置いたときというのもやはり漁業とか貝の採集だけでは国は作れない、定期的に収入になる農業によって城を作るほどの財力が生まれた。今もサトウキビが沖縄の農業の米になっている。


7月5日 島の水不足

沖縄県では、梅雨や台風があるため、降雨量は全国平均より多いのですが、山が低く土地が狭いため、水をためておくダムや貯水池が少なく、水不足になりがちです(でした)

島は川も短いし水を溜める山や森が小さい。これは日本本島では考えない、水が森で山で貯えられていることが大きな恵みとなっているのだ。
ず−と雨の降らない夏の暑い時期山に行ったら清らかな水が涼しく流れていた。こんなに日照りでも山には水が流れていることに改めて感心した。山には水は絶えることなく流れているのだ。日本では砂漠のように水のありがたさに気付かない。砂漠では水は非常に貴重である。島はどこでも水に苦しむ歴史があった。


首里森にまします
真玉森にまします
按司添い貴人(国王)の
美しい田が立派な田が
雨欲しさに水欲しさに
みな割れているから

菩薩の穂のために
石の実が入るために
金の実の入るために


菩薩の実というのは仏教が入ってきたためであり石の実とか金の実は穂が石のように確実に金のように大事なことの比喩であろう。つまり島では米は貴重なものなのだ。耕地も少ないから米は貴重なものでありそんなに自由には食べられなかった。こうして島というのが水不足であり水が貴重なものであることを知る必要があるのだ。日本本島では水がふんだんにあるから水の恵みに感謝しないのである。田というのも実は水が欠かせないものなのだ。だから県(あがた)とは上の田で山の上にありそこには水が流れてくるから米作るにはいい土地だったのである。
つまり県(あがた)は最初の国を形成したようにそこが米を作ることができたからである。山田とかも米を作るにはいい土地である。米と水は密接な関係があった。ヤマトというのもやはり米作りに適した土地として日本の国の基となった。米ができるところはだから水の豊富なモンス−ン地帯にありここは水に恵まれた所であり世界的にみると恵まれた所なのだ。他は乾燥地帯であり麦を作りパンを食っているのである。

神人来れり、富蔵(ふつか)の水、清し
神人、遊び、白沙、米に化す

日秀上人が来て農業の指導をしたらしい、つまり米をもたらしたものへの感謝が深かったのである。とにかく島では水が不足するし水を運ぶことなどが日常的な辛い労働にもなった。自分の家でも水がなくて近くの江戸水を借りていたのだ。だから「水もらいます」といちいち断りもらっていた。これは昔は地域社会では相互扶助社会であり水も今のように水道のように金で買うものではなかったのだ。金で何でも手に入るという世界は人間を金あるものを価値あるものとしてしまう。だから東南アジアとかに行ってなんでも女性でも金で買うという傲慢さをもたらしたのだ。他国に入る人間としての礼儀すらなくなったのだ。「おい、泊めてもらうぜ、これが金だ、文句あるか」くらいになってしまう。地域の相互扶助社会もまたグロ−バリズム、金至上主義で壊されたともいえる。とにかく風呂の水もバケツで運んでいたのだ。つまり水で苦労した人、苦労している人が世界では今も多いのである。

ミンミンゼミが鳴いていた暑い夏の日に呑んだ井戸水のあの冷たい感覚

井戸水で冷やしたあのスイカの冷たい味はまだどこか頭の隅に残っています

いつの頃からか井戸水はなぜか不衛生のレッサテルが貼られ、水道水が普及してしまった

「水道水はきれいですか」と質問したら、子供達は全員「きれい」と答えるであろう

しかし上流から何回も何回も塩素で下水処理されて殺菌された川の水をくみ上げてはまた殺菌して鉄官,塩ビ,鉛官で送られてくる水は本当に体によい水なのだろうか

水道水というのは確かに水なのだが本当の水とは違う、人工化した水である。だから水に対する感覚も今では違っている。水に対する水に欲する喜びがなくなった。水に対する恵みの感覚がなくなったのである。自然から人工化するとどうしても自然に対して感覚が鈍るのだ。水を人工化するのはロ−マのレンガの水道などのように文明化、都市化には不可欠である。ただ水に対する原始的感覚は喪失しているのだ。

ここのホームページの水の豊富な所や食料の豊富な所から文明は生まれない、砂漠化した所から文明が生まれたのはなぜかという問いは面白い。砂漠は実際は交通に
便利なこと人の行き来が移動が楽なこと、それから水のあるところから
大河の辺りに四大文明(エジプト、メソポタミヤ、インダス、黄河)が生まれたというのは水の利用による。水の利用により多くの人が集まり大社会が生まれ文明が発生した。砂漠は交通に便利なことは確かである。砂漠地帯が最初の商業の発生地帯だった。契約というものが生まれたのも砂漠地帯だった。商業の歴史は意外と古いのである。神との契約というのも砂漠の商業地帯から生まれた。エデンの園にも四つの川が流れていたというからおそらくこの四大文明を示唆していたのかもしれない、聖書は実際はかなり人間が文明化されてからできたものである。ロ−マの大帝国もロ−マの道き水を流す水道橋の二大建設によってできたということとも一致している。人が移動することと水を利用することで文明ができたのである。文明の発生のもう一つの原因は人の手を加えやすい所、何もない平面的な砂漠はかえって人間の想像力が働き一つの白いキャンバスとしてピラミッドのようなものを作りだした。そこには何もないから人間の手を加えねばならないという必然性があった。モンス−ン地帯ではこの二つが欠けている。移動することが不便なこと森とか湿地帯とか山は道が作りにくいのだ。それにこのような豊かな自然は人間の手を加えにくいから文明ができにくかったともいえる。日本の神話のように言葉自体も「あれる、うまれる」のであり物は自然は作られるのでなくほっておいても生まれるのである。砂漠では最初に主語がある。その主語は神になるのだ。GOD make I make となる。砂漠は何かを作り出す世界なのだ。だから文明の発生したというのはうなづけるのだ。

湧き水探訪
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/i5031chi/homepage/essay.htm

この人のホームページは同じ年代の人だった。家に外国人用の安いゲストハウスを作っているのもふしぎだった。新潟だから遠くはない、世界を旅した文がある。
インタ−ネットでは意外な巡り合わせがある。必ず自分と同じ体験をした人、文を
探している。井戸水 昔の生活でこれがでてきたというのもインタ−ネットの検索の意外な結果である。検索は手間暇かかってもキ−ワ−ド検索が意外性があり面白い。インタ−ネットではこうしたマイナ−なものが宣伝されるかもしれない、ああ、こんなところあったのか、行ってみたいなとなる。若者向きではあるが面白い宿である。何人かくらいしか泊まれない、でも北海道のライダ−宿とは全然違う、物価の高いから外国人だったら泊まりたいだろう。外国で世話になったからとこの宿を始めたのもやはり今の時代なのだろう。それにしてもあんなふうに外国人の家に泊まったりできたのは家族で旅していたからだろう。外国旅行は夫婦とか何人かで旅した方が楽だ。なんか一人だと旅しづらい、自分の場合はやはり人間が苦手だから
比べることはできないが一人は精神的に辛いことは確かである。


湧き水探訪
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/i5031chi/homepage/essay.htm


水と砂漠と文明
http://home.e08.itscom.net/21water/water.htm

やはり年配の人のホームページは読みごたえがあるものが多い。
それなりの分野で経験を積んでいるからである。もう一つの視点として
マスコミではあまり言わない視点でのべていることがある。
いろいろな考えの人がをりマスコミに選ばれた人だけが意見を言うのは
おかしなかたよったことだったのだ。


7月5日 言葉の不思議

言葉の研究は容易でない、ウオ、イホ、とかイヨで沖縄でサカナとは言わない、酒菜(さかな)というのも変だ。酒の肴が菜というのもわからない、酒の肴に菜は向いていない、酒の肴にしていたのは最初は菜であったのか、一汁一菜の貧しい生活だったのか、

昔は、副食の魚介類、野菜をすべて「菜(な)」といい、酒のあてにする食べ物は「酒菜(さかな)」と呼ばれておりました。が、やはり魚の方が好まれて、魚を本当(真)のおかずということで「真菜(まな)」、野菜の方を粗末なおかずという意味で、「粗菜(そな)」といわれるようになりました

他にも魚を真菜と言っていたとか真菜板とは魚を意味していない、

http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/sakana.html

言葉には非常に古い歴史が残っているものである。菜が中心の世界だったというのはどういことなのか、魚はそんなに食っていなかった?魚を食うことは贅沢だったのか、この海に囲まれた国で、ウオ、イホ、イヨは南方語でありサカナは大和語である。考えてみればヤマトとは山国のことだからサカナのとれる場所ではなくなっていた。ハマグリはハマのクリの意味で山国の人が名づけたのだから縄文時代は山を中心に暮らす生活が根付いていた。まずウオを酒菜(さかな)ということはありえないのだ。早くから酒は飲んでいた菜を食って飲んでいたがウオを食ったらうまかったのでこれはいいとになったのだ。

しかし海洋国の日本ではこれもわからない話である。ウオはもっと身近にありそれに酒菜(さかな)と名づけるのは変である。ただ民衆の間では魚全般をさす語はなくイワシとかクジラとかカレイとか個々の魚の名でよんでいたのかもしれない、最初は魚と分類するのはむずかしい。植物と分類するのもむずかしい。沖縄では魚とは言わず古いウオの言い方が残ったのだ。日本の神話は海の匂いに満ちている。海からきた物が山に入って行ったのだ。そして山に入ったものまた荒れ地をナラしたものが奈良の都を作った。それで海人の勢力はヤマ(ヤマト)と奈良(平地)の勢力の脇役的存在となりその言葉も平地の人、山の人の言葉が支配的となっていった。

7月5日   大衆商業主義の弊害


ネットには変わったやつがいる。絶望書店というのもその一つだろう。
商業社会になったとき本もまたその中に組み入れられベストセラ−などが作られ売られるように仕組まれたのだ。大量に売ることが目的とされた結果、独自の独創的なもの大組織に批判的なものは出されなくなった。商業主義の弊害が出版にもろに出たのだ。大衆化と教養は相容れないものである。大衆化とは俗化であり教養は俗化しないように研鑚に勤める、純粋性を保つことである。宗教も大衆化して巨大化して完全に堕落した。今の文化の状況は出版界やテレビに代表されるように大衆化であり浅薄なところで大衆にアピ−ルして視聴率をあげ宣伝効果をあげることである。本にもいろいろあるが本の性質は大衆的なものとは違う所にもあった。戦前まではまた戦後でも今の50代くらいは本とともに育ったしいい本は結構でていた。本と教養は密接に結び付いていたのだ。本を持っている本を読む人は教養人ということになっていた。本を読まなくても本を持っている、書斎を持っていれば教養人に、知識人と思われていた。それが文化の大衆化とともに出版社もそれに迎合して本はとにかく売れなきゃだめだとなった。もちろん本屋などは本などみていない、本を選びもしない、ただ出版社からあてがわれるだけであり小さな書店など本を選ぶ余裕も何もない、今では雑誌屋である。

何か錯覚しているのは大勢に読まれる本がいい本とは限らない、本は誰か一人のためにも書くものでもある。つまりいろいろあるがあらゆる人が誰かに伝えたいことを持っている、それを語り記したのが本という一面があったが本は特別の人しか出せなかった。親が子にその一生を失敗であれ成功であれ語りたい、その語り伝いたいということがそもそもの動機であり何もその本でもうけるとか有名になるとか力を得るとかそういうことではないのだ。でも出版界はそうなってしまったのだ。自費出版の本など邪魔になるとか金にならないものは起きたくないのだ。出版とか本屋は商業主義のなかにどっぷりとひたり本来の文化的役目を喪失したのだ。本は誰か一人のためにも書かれてもいいのだ。つまり誰かに語り伝いたいものが50以上になれば誰でも持っているからだ。つまりそういう個々の体験談は金にならなくても伝いたいというのが人間でありそれは歴史を伝えることであり人間としての本源的な営みだった。物語として伝説としてそれは金になるとかならないとかの以前の問題としてあった。スト−リ−(story-history)となった由縁である。

これが個々の体験談が語られることがインタ−ネットでできるようになった。確かにインタ−ネットでは読まれることがものすごく大変になる、誰にも読まれず埋もれるのも多いかもしれない、しかしインタ−ネットでは誰か一人のためにも語られる、参考になるものが提供できるのだ。そこにインタ−ネットの意味があるのだ。大勢に読まれること自体目指すことはおかしなことである。インタ−ネットでアクセスをふやそうと大勢に読まれるようにすまためにはそこでも低俗化が起こる。インタ−ネットは大勢に読まれなくてもいいのである。親が子に語る私的な体験談でもいいのである。それを参考にする一人でもあれば有効だったことになる。マスコミや出版界は大勢を対象としたものでありインタ−ネットは個々が語り伝い合うメデアであり根本的にその性質が違うことを認識する必要がある。インタ−ネットの方がある意味で本当の文化を庶民の文化をも育む可能性があるのだ。可能性の世界ではあるが今のマスコミや出版界の大衆商業主義よりはそういう可能性があることはいえる。インタ−ネットは本当は中高年にもっと利用されるべきものである。何かを伝いたいというものを持っている人が多いからである。インタ−ネットでは逆に若者のの発言が多数でありそこに偏りがあるのだ。

沖縄のことをインタ−ネットで調べようはしたらほとんどいいものが発見されなかったことにがっかりした。いいものはみんな本になっているのだ。本となるとこれが高いから買うのが大変なのだ。一冊では必ずたりなくなるからだ。まだまだ本の方が蓄積が多い、これがあと何十年間して本にでたものがネットで電子化されればそれなりの知識の体験談の厚みがでてくるだろう。まだまだ始まったばかりだから早急な判断はできないのだ。


絶望書店
http://home.interlink.or.jp/~5c33q4rw/nikki/mokuji.htm

7月4日
海の十字路−沖縄

沖縄を沖縄たらしめたのはやはりその地理にあるのだ。歴史は地理なのだ。地理がわからないと歴史もわからない、沖縄はまさに海の十字路なのだ。最初は南島諸島、ルソン(フィリンピン)とかベトナムとか東南アジアからその風は自然に則って吹いてきたしその風にのって船で沖縄に入ってき人達がいた。次に東しな海から中国人が交易のためにきた。
そしてヤマトも日本も古い時代から沖縄に根付いていた。それは言葉からわかる。歴史は自然法則によって作られていたのだ。風を知り星を目印として島づたいに人々は移動してきた。自然にのっとって生活もあったから自然
に調和した世界が作られたのである。


海の十字路−沖縄

古来沖縄は海の十字路
南よりルソンやアンナンやシャムが来る
風にのり星を目印しとして
点々島づたいに船を操りやってきた
ヤマトからも早い時期にこの島に根付いた
東しな海からは中国人がやってきた
琉球は交易に欠かせぬ大きな独立の島国
朝鮮も一国としての礼で迎い
中国もまた沖縄を一つの国として待遇す
この貿易立国もはるかかなたポルトガル人が
アフリカを回りこの沖縄の海まで到達した
日本に鉄砲をもたらし戦国時代を信長が制した
つづいてオランダ人もやってきて食い入る
海で世界の覇権争い、しのぎをけずる
故に沖縄の興亡はまた四方の大国に圧せられる歴史
中国の圧力、薩摩の圧力、それはあまりに大きく
沖縄の民はやむをえず隷属を甘んじる
過酷な薩摩の人頭税の悲劇
近くはアメリカという超大国に圧せられる悲劇
太平洋のかなたからも一枚また加わったアメリカ
海の十字路なる故にここに激しい興亡は記される
熱くディゴやカエンボクなど真紅の花が映え
ラグ−ンに波はよせて遠くニイ−ラカナを望みて
沖縄は海の十字路、要所としての宿命に華咲く







7月4日
沖縄とアイヌ

沖縄は日本との交流があり古くから文化的にも日本の一部であった。言葉も日本語である。平安時代の言葉まで残って今も使われている。島にはかえって古いものが残る。つまり日本のそれぞれの時代の言葉が島々に残っているというのもそのためである。島は古いものを古い風習を残す。というのは島は閉鎖された空間だから中継地点だからあるときそうした中継地点の役目がなくなったときそのまま昔の形を留めるのだ。
沖縄が日本人が作った国だというのは言葉に端的に表れている。
それに比べてアイヌというのは未だに謎なのである。アイヌ語と日本語は異質なものである。アイヌ語から大和語、日本語になったというのも考えられない、インタ−ネットでやってていたアイヌ語講座で動詞が英語のように欧米語のようにほんの一部だが主語によって動詞が変化するものがあったのだ。この特徴は欧米語やインドに普及した遊牧民の言葉、インド、ヨ−ロッバ語の特徴である。他に主語により動詞が変化することはない、つまりアイヌはなんらかで北方の遊牧民系との接触があり
それでインド・ヨ−ロッバ語族の形を残したのかもしれない、いづれにしろアイヌと日本、大和のかかわりはうすいのである。日本の地名がアイヌ語を基にしたというのもこれもわからない、結局これはアイヌ幻想のようなものを作り出したもので沖縄のように日本人の文化と結びつけるのに無理があるのだ。

沖縄ではそれなりに城(グスク)ができて戦国時代のようなものがあり最後に首里城により統一された。その力の源は外国との貿易にあったのだ。近くに中国や南島諸島など交易する国があり富を貯え統一国家が生まれた。城も石垣の城で結構大きなものである。アイヌにも城(チャシ)があったが石垣もないし城の形を留めていない、柵のようなものがあっただけのようである。だから大きな統一国家はできなかったのだ。コタンという村の単位の国しかなかったのだ。そのへんが沖縄とは大きな相違である。つまり日本の国家さえ邪馬台国とういのが中国の史書に記されたように外部の影響で交易で外国から輸入した文化、鏡や鉄器などで百余国が争う世界を治めたように外部の影響がないと統一国家はできないのだ。中国さえ始皇帝による最初の国家は遊牧民の影響でできたのだ。遊牧民の馬を武器として支配したのだ。あの地下の騎馬軍団をみればわかる。あそこには西域の人達も交じっていたのだ。

外部との一段高い文化の影響なくして大きな統一国家はできない、信長がホルトガルからはいった鉄砲で全国制覇したようにである。アイヌはだから比較的新しく日本に入ってきた人達だというのもまた一理ある。日本に縄文時代があるときアイヌには余り関係していないというのもその一つである。では蝦夷とかアイヌが何なのかというと自分の力では解明できない、かえってアイヌを解明するのは沖縄文化の比較とか他の外国文化の比較でわかることがある。つまり歴史を解明するのも外部の外国の視点が必要なのである。ただこれをするとなると素人では無理だろう。素人に必要なのは基本的な知識であって専門的知識ではない、一応基本的に語れる知識であって専門的になることは無理である。詩を書くにはそうした歴史の基本的知識が必要なのだ。歴史を知らない者は詩も浅薄なものになる。いづれにしろ知識の裾野は広大であり個人では限界がある。日本にしたって自分にとって沖縄はほとんど未知の分野なのだ。今回旅行してもそんなに詳しくなれるとは思えないがその場にたてば実感するものがあるから旅が必要なのである。


7月3日 オタタタミ自転車で沖縄へ


インタ−ネットで仙台発沖縄までの航空券注文した。コスモという旅行会社から電話がきて予約がとれた。仙台発は便利だ。東京だと汽車賃や宿賃でかえって高くつく。インタ−ネットで航空券注文したのは初めてである。顔が見えないしインタ−ネット上で航空券買うというのも不安だった。国内線だから試しに買った。メ−ルでなく電話で確認したので安心した。人間はやはりインタ−ネットのような電子だけの画面では信頼されない、不安になるのだ。顔と顔を突き合わせた対面的でないと信頼できない、電子画面の不安は本にして活字にしたより信頼性にともしいことなのだ。それは常に消えるという不安があるのだ。石にでも刻めば消えないが電子画面は一瞬にして消えるのだ。そこにインタ−ネットの問題があるのだ。

この梅雨の時期はどうしても一回は晴れた所に行かないと憂鬱になってしまう。これまでは必ず北海道に行っていた。今回はオリタタミ自転車で沖縄に行くことにした。沖縄は泊まる所など安い。北海道とにて長期滞在者がいる。沖縄には一回しか行ってないからわからない所である。船で東京から三日かけて行った。貨物船のようなもので三日でもあきた。これが世界一周となったらピ−スボ−トのようなものだったらあきる。本当にいやになるだろう。船はいいが時間をもてあますのだ。

まあ、帰りは船で帰ってきてもいいかもしれないが自転車があるのでめんどうである。沖縄でノ−トパソコンをもってゆきホームページにアップしてみよう。暑いしこれも大変であるがやはりライブでの報告は醍醐味があるし記録として貴重であるからなんとかやってみよう。自転車で行ってどこまでできるかわからない、旅はやはりその場で感動したことを写真にとりその場から報告することはすごいことなのだ。まあ、今回は無理はしない、中高年はスロ−でいいのである。一日百キロなど行く必要がない、50キロでも十分だしあとは休んでのんびりしていた方がいい、これが自転車はできるので実際は中高年向きなのだ。これが若いときも自転車旅行などできないと思っていたのだからおかしなものである。