須恵器の杯

韓国の慶州は昔は新羅の都として栄えた所でした。日本で言えば奈良のような所でした。その名残が今でも街の真ん中に王様の墓がいくつも山のように築かれたことでわかります。慶州は今春の盛りでした。桜が千本も植えられて花盛りでした。連翹もまばゆく明るい春の日に輝いていました。四方に春の山が映えて当時の栄えた都が偲ばれました。この都も回りは日本と同じ田んぼでした。農家もありました。その春の田んぼの下から何か音が盛んにしたのです。
チャラチャラチャララチャララという金属的な音でした。
「お−い、酒をもっともってこい、酒だよ、カチャカチュカチャ・・・・・」
「はいはい、今もってまいります」
「百済は大和とと結んでいる、どうしてもたたかねばならんな」
「高句麗との関係もむずかしい、唐に援軍をたのむ」
「唐が味方につけば千人力じゃの」
「大和はまだまだ野蛮な文化のない国じゃよ」
「そうですな、我々がずっと豊かでですな、我々がいろいろ教えてやっているんですよ」
「それがうぬぼれてな、唐への朝貢で新羅より上にたとうとしたんですよ、全くうぬぼれてはこまる」
「まあ、唐が味方すれば一気にその傲慢な鼻ぱしらをへし折ってやりますわ」
「でもな、唐には頭が上がらなくなるな」
「ううん それもやむをえん、大和にはどうしても負けたくない」
「そういうことそういうこと チャラチャラチャララチャララ・・・酒だ、酒だ」
「はい、どうぞ おもちしました」

 大和には負けられぬ
 大和と結ぶ百済よ
 我々は討たねばならぬ
 新羅の栄えのために
 大和には負けられぬ
 ・・・・・・・・・

 
 こんな声が田んぼの下から聞こえたのです。新羅は大和とはいろいろ対抗していたのです。百済は大和とは深い友好関係にあり応援していたのです。でも唐との戦争で船を出したのですが白村江の戦いで敗れ百済の人々は大和に逃れたのでした。その中には百済王という人が日本の歴史書にその名を残しているのです。陸奥に黄金をとりにきた人は百済王の一族で奈良の大仏は金箔をぬられ輝きました。天皇はそのために百済王に位を授けたのでした。慶州にも仏国寺という奈良の大仏と同じ寺がありそこには華美な百済の塔とシンプルな新羅の塔が対を成して立っています。百済と新羅がともに仲良く栄える願いでもありました。
 さてその後も何回もカチャカチュカチャと音がしたのです。農家の子供がその音を聞いて不思議がりその田んぼを掘ってみました。そしたら陶器の器の半分くらいのものがでてきました。
「アジモニ、これ何だい」
「ああ これはスエキの酒の杯だ」
「これで酒飲んだのか」
「昔ここに住んでいた偉い人たちが使ったものだよ」
「これをふると音がするよ」
「そうやって音をだし王様に仕える女性に酒をつがせたんだよ」
「はあ そんなもんか おもしれえな」
「それそこに飾ってある馬もその後ろに杯がついているんだよ」
「これかい、これが杯か、おもしれえな ハッハッハッ」
馬にのる人がいてその後ろに杯がついているものもあったのです。この須恵器は日本のいたるところでたくさん発見されているしスエとうつく地名はこの須恵器が発見された所で大量に須恵器が作られた所でもありました。これは土器と比べると鉄の様に硬くて薄く軽いのでこれを手にとった大和の人々は驚いたでしょう。韓国から古代にはいろいろなものが入ってきたのです。この須恵器もその一つです。
この慶州には大和の使いも海を越えてやってきました。それはそれは大変な苦労の旅でした。あるものは途中で死にました。壱岐の島という小さな島にその人の墓がまだ残っているそうです。今でも新羅にゆきたい新羅に行きたいというつぶやき無念の声がそこから聞こえてきます。
 しかし新羅の都だった慶州も一日強い風が吹き千本の桜はたちまち散ってしまいました。それは強い風でした。春も終わりとなってしまいました。慶州は巨大な山のような王様の墓を残して今年の春も終わりとなるのでした。
でもまだ農家のあのスエキの杯を掘り出した子供は寝床でしきりにチャラチャラチャララチャララという音が聞こえてしょうがなかったのです。
「酒をもっともってこい、チャラチャラチャララチャララ」
「はい,どうぞ酒をもってまいりました」
「大和など一気にやっつけてやるさ、生意気な」
「チャラチャラチャララチャララ・・・・酒もってこい」
このチャラチャラチャララチャララ・・・・という音はこの新羅の都からはなかなか消えないかもしれません。なぜならたくさん須恵器はこの都の下に埋まっているからです。三一代も王様がつづいた都です。王やその家来はここになお昔を偲んで住んでいるのです。ここにはたくさんの日本人もきて昔を偲び日本へ帰ってゆきます。須恵器は今も作られてをりお土産に買ってゆきます。韓国は日本にとって一番身近な国なのです。

後ろは酒をつぐところだった。前には角がでている。
なぜここに角がでているのか。つまりこれを作った人がなぜここに角を作ったのかということである。この角はどこからヒントを得たのか、犀というのはすでに中国では知られていた。中国から伝わったのかもしれない。???