左沢まで日帰りの旅をした。雪はほとんど消えていた。山寺の渓谷そいに一部残っているだけだった。今年は例年よりあたたかい。山寺には寄らなかったが句を作った。

山寺の御堂の高く残る雪

山寺に大岩一つ残る雪

春風や対面石に我が来たる

山寺はいつも雪の深い所である。どうしてあの場所を選んだのか
霊場としてはふさわしい場所だった。あそこに棲んでいたのは猟師だけであり磐司岩と名前が残っている。馬形部落という名もひなびて面白い。夏よりは冬の方が山寺らしいし霊場の雰囲気がある。

雪にまた雪のつもりぬ山寺に眠れる人のさらに鎮まる

快速で山形までは早い。途中北山形駅でおりた。ここで乗り換え乗り換えるつもりだったが待ち合わせの時間が長すぎた。

ぽかぽかと春のひざしや途中下車

城跡を歩み街の中を歩いた。七日町とか十日町とかの町の名がありここにはやはり市が多くたったのだ。秋に神社の境内で骨董市があって茶碗を買ったがあれは安物だったらしい。春風が吹き抜けて街はやはり人が出会う場所である。

 春風や新たに街に人交じる

 春風や七日町十日町を歩むかな

ここから左沢線にのった。どういうわけかアテラ沢と事前に調べて知っていたのだがトコロ沢と間違って聞いてしまった。アテラ沢というのは覚えにくい名である。ワンマンカ−であったが高校生で一杯であった。寒河江を過ぎて空いてきて柴橋という駅についた。何かここで山形市内からもかなり離れたのでその柴橋という名によりひなびた所に来た感じになった。汽車の旅地名をたどる旅になるのだ。地名が心に残るのである。帰りに見たら茅葺きの家もあったから確かに街から離れたひなびた風情がある所だった。

  街離れ柴橋あわれ残る雪

  柴橋に茅葺きの家や残る雪

次の駅は終点の左沢であった。このアテラ沢とは何の意味なのか。アチラ沢、アチラの沢がアテラ沢になったとか、そうかもしれぬ。アチラの沢が何か生活上意識化されたからかもしれない。最上川が流れているから川と関係あるともいえる。この町で印象に残ったのは石の橋であった。狭い橋だから自動車の通らない昔からあった橋のようである。近くに新しい大きな橋を作っていた。当時ではかなりモダンな橋だった。最上川がうねりうす巻き流れていた。ここはかなり上流であり流れも早い。

 橋一つ古りてかかりぬ左沢最上川の岸雪の残りぬ

  春の水うねり流るや最上川

rolling water in spring
at Mogami River


その古い橋をわたり田んぼの道を歩いた。果物の樹の剪定している人が畑にみかけた。枯木に春の風がしきりに吹いた。

 左沢旅人来たりぬ春の風枯木にしきり吹きつけ暮れぬ

  左沢ワンマンカ−に来て春田かな

ここで一時間ほどいて駅前にお菓子やがあった。何かお土産がないかと寄ったら生菓子があった。福寿草と蕗の薹を形にしたもので面白いからかった。なぜか旅するとどうしてもお土産が欲しくなる。お土産とはその土地の産になるものなのだ。今では生活が一様化してお土産になるものが少ない。その土地に産するものではない場合が多いのだ。茶碗などは日本では土地土地で個性があるからお土産にはいい。

  お土産に春を装う和菓子かな

こうして春の小旅行は終わった。汽車ではほとんど日本全国旅しているので乗る線がなくなった。こうした支線の支線のような線しか残されていない。今回もデジカメが役に立った。デジカメがインタ−ネットとセットになって役に立つかわかる。一万円くらいのものでも結構よくとれている。インタ−ネットの面白さはこうして常に気軽に報告できることなのだ。その時々をこうして報告できることは自分を発見することでもある。前に何度も旅したがこんなふうに報告して書いたことがなかった。いかに発表の場を持つことが芸術にとって大事かわかる。インタ−ネットによって今までなら埋もれていたものが残るのである。  

左沢までの春の小旅行